2014年11月11日の日記です

目次

11-11 スーパーカミオカンデの完成した日(1995)
11-11 寺田貴信の誕生日(1969)


スーパーカミオカンデの完成した日(1995)  2014-11-11 12:02:26  天文 今日は何の日

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先日、子供と「日本科学未来館」に行ってきました。


ここには、スーパーカミオカンデの1/10模型があります。

…というか、なんだろう。サイズ的に1/10だけど、姿を伝える「模型」とは違う、別の機能がある。


スーパーカミオカンデは、ニュートリノを検出する装置です。いわば入力装置。

でも、科学館にある模型は、過去の「検出データ」を目で見られる形で再生する、出力装置になっています。


ここら辺が説明不足なので、多くの人が「なんだかチカチカ光っていて綺麗だけど、意味わからない」状態のまま通りすぎます。

非常にもったいない。




世界中、宇宙中のすべての物質は、分子から作られています。その分子は原子の組み合わせです。


原子は電子と原子核の組み合わせで、原子核は陽子と中性子の組み合わせです。


この陽子や中性子は、さらに小さなクオークと言う物質の組み合わせで出来ています。

そのクオークの仲間として「レプトン」と呼ばれるものがあり、電子はレプトンのグループに含まれます。


そして、「ニュートリノ」も、同じくレプトングループの中にあります。


原子の大きさと比べても非常に小さいため、ニュートリノは原子を素通りしてしまいます。

電子のように電荷を持たないため、引きあったり反発したり、という反応もありません。


理論上は、ニュートリノは非常にありふれた物質で、いたるところに存在しています。

しかし、それを捉えることができないため、余りにもわからないことが多い、謎の存在でした。


1900年初頭には存在が予測されていたのに、やっと捉えたのは 1950年代。

それでも、データが少なすぎて謎が多かったのです。


数式から性質などを想像するしかない存在でした。



ニュートリノの性質が数式で「予測」された当時(1970年代)、数式が示す「宇宙全体の重さ」と、実際に観測されている宇宙全体の重さがあまりにも違う、ということが問題となっていました。


この差は仮想的な物質として「ダークマター」(暗黒物質)と呼ばれ、実際に観測が難しいニュートリノに重さがあり、宇宙全体のニュートリノをあわせたら差を埋められるのではないか、と考える人もいました。


一方で、ニュートリノの性質を予測した数式では、ニュートリノには「重さが無い」ことが示されていました。

いったい、重さが無い物質なんて存在するのか? これも議論の的でした。



数式を仔細に検討した結果、特定条件さえ満たせれば、ニュートリノに「重さがあっても構わない」こともわかります。

では、仮に重さがあったら何が起きるのか、ということも数式を元に予測されます。


この結果、ニュートリノの重さの違いは、星の大きさに関係することがわかってきました。

ニュートリノの重さがわかれば、宇宙にある星の大きさや数を、大体推計することができます。


それはつまり、宇宙全体を知るためには、ニュートリノの重さを知ることが重要だ、ということでもあります。




ところで、この「ニュートリノ」の性質を予測した数式は、大統一理論と呼ばれるものです。

理論物理学の打ち立てた、その時点での最高の数式でした。



理論物理学は湯川秀樹博士や朝永振一郎博士(共にノーベル賞学者です)をはじめとして、日本のお家芸です。

その二人に師事した(といっても、二人ともあまりに忙しく、ほぼ独学だったそうですが)佐藤文隆博士は、教え子であった佐藤勝彦博士と共にビッグバン直後の宇宙で何が起きていたか、を数式を元に予測します。


これによれば、すでに知られていた4つの「力」…重力、電磁力、素粒子間に働く「弱い力」「強い力」は、最初は1つだった、ということになります。


では、今からでもすべてを一つにまとめた数式が作れるのではないか?

1970年代にはそのような試みが行われていました。


まず、弱い力と電磁力は、早々に1つの数式にまとめられていました。これを標準理論と言います。


「違うと思っていた力が、実は1つの数式にまとめられる」ことを示した標準理論が、他の力もまとめてみよう、という試みにつながったとも言えます。


ここに強い力をまとめたものが、当時「大統一理論」と呼ばれていました。

これ、以前に紹介した当時の小説「HARLIE」の中でも、重要な小道具として出てきました。

SF 小説に出てくる程度には、専門家でなくても当時の人が注目するトピックだったのです。


#さらに後には、重力も含めた「超弦理論」になります。



1980年ごろには、この「大統一理論」の数式は完成しました。

非常に美しい数式で、素粒子の振る舞いや、理論上は大量に存在するはずの反物質が宇宙に少ない理由、ニュートリノが捉えにくい理由など、すべて説明が付いたそうです。


もうこの数式に間違いない、と誰もが思いました。

でも、まだ「これが正しい」とする証拠はありません。検証する必要があります。


日本のお家芸である理論物理学が作りだした、珠玉の宝石。これを検証するために莫大な税金をつぎ込んで作った施設…それがカミオカンデでした。




カミオカンデは、岐阜県神岡の神岡鉱山跡に作られた施設です。

「ン」はニュークレオン(陽子を含む仲間)、「デ」はディケイ(崩壊)の意味で、陽子崩壊を観測する施設でした。


先に挙げた大統一理論が正しければ、非常に強固であるはずの陽子も、時間と共に崩壊するはずでした。

非常に長い時間がかかるのですが、大量に陽子があれば、確率問題として短期間に観測ができます。


陽子が崩壊すると、電子と陽電子が飛び出して…複雑な理論は置いときますが、最終的に「非常に弱い光」に変わります。

透明な物質中でこの反応を起こせば、外側から観測できます。


そこで、カミオカンデが建設されます。

大きなタンクの壁面に、非常に暗い光でも検出できる「光電子倍増管」がびっしりと並べられ、中を純水で満たしました。


水分子も陽子を持ちます。そして、水は透明です。

陽子が崩壊すれば非常に弱い光を放ち、それは光電子倍増管でとらえられるはずです。


陽子が崩壊した時の反応は、宇宙から降り注ぐ宇宙線でも引き起こされます。

このため、宇宙から最も遠いところ…鉱山の地中深くに施設が作られました。

(多くの宇宙線は、地面によって遮られます。ただし、なんでも貫通するニュートリノは別です)



カミオカンデは莫大な税金をつぎ込んだ施設ですが、実は同様の施設は海外でもいくつか作られていました。

ただ、カミオカンデの検出力はその中でも群を抜いた設計でした。


これで世界初の検出に成功すれば、理論物理における日本の地位は、一層固まるでしょう。



…が、半年も観測すれば検出されるはずの陽子崩壊は、1年たっても、2年たっても観測されませんでした。

中には「自然は不勉強で、大統一理論をまだ学んでいないのだ」と言い出すものもいたとか。


つまり「陽子は崩壊すべきだ」と言いたくなるくらい、大統一理論は美しいものだった…のだそうです。


しかし、観測結果は非情でした。

世界中の同様施設でも状況は同じ。これは、大統一理論が間違っている、ということに他なりません。


莫大な税金をつぎ込んだのに…

カミオカンデの責任者だった小柴昌俊博士は、どう言い訳をしたものか、ずっと悩んでいたそうです。




1987年、超新星爆発が観測されます。


超新星爆発は、星が死ぬ瞬間の姿です。

星は内部で「燃える」エネルギーによって形を保っていますが、この燃える力が尽きると、急に形を保てなくなり、急速に縮みます。


そして、星全体が中央に一気に落ち込むと、その圧縮力によって最後のエネルギーが放出され、大爆発するのです。


この超新星爆発は、1987A と名付けられました。1987はもちろん年号、A は、その年最初の、という意味です。

でも、当時はコンピューター観測もなかったため、数年に一度しか超新星爆発は観測されていません。


それらも、大抵は非常に遠いところにある別銀河の物です。

1987Aは、すぐ近くにある銀河で起こった爆発で、十分肉眼で観察できる明るさでした。

このようなものは、300年ぶりでした。


#残念ながら南半球でないと観測できないもので、日本からは見えませんでした。



星が爆発するときに何が起きるか、もまた、理論物理学によって詳細に解き明かされています。

爆発するときにはまずエネルギーが光として放出され、その次に大量のニュートリノが放出されます。


そして、このニュートリノは、地球を当たり前に通過します。南半球でしか見られない爆発であっても、ニュートリノは日本に届くのです。

カミオカンデは、このニュートリノを捉えました。


先に書いた通り、ニュートリノはいかなる物質も貫通します。

しかし、確率問題で、ごくまれに「原子核に」ニュートリノがぶつかった際に、陽子崩壊と同じように非常に暗い光を放ちます。


そして、たまたま大量の水…つまり原子核を蓄え、非常に暗い光でも捉えられる実験施設がそこにあり、300年に一度のチャンスを捕まえたのです。



このデータはやがて、海外の類似施設とも照合され、全く同時刻に別の施設でも同じ反応が出ていたことが確かめられました。

つまり、観測データは偶然ではなく「1987A 由来のニュートリノの反応」と確かめられたのです。


陽子崩壊を観測する実験装置として、莫大な税金をつぎ込んで失敗に終わったカミオカンデは、「ニュートリノの観測器」として一躍有名となります。



#当時は、「光のあとにニュートリノ」と考えられていた。

 その後、観測データの解析や、そのデータを基にした数値計算により、光よりも先にニュートリノが放出され、その後爆発が起こり光が放出されるとわかっている。

 この爆発の際にもニュートリノは放出され、光よりも遅れて届く。1987Aでは、この遅れてきたニュートリノの観測に成功した。




カミオカンデは元々陽子崩壊の実験施設であり、ニュートリノを「捉えることも出来るだろう」とは考えられていましたが、そのために十分な性能を持っていたわけではありませんでした。


そこで、改めてニュートリノ補足用の施設として、スーパーカミオカンデが作られます。

今度の「ンデ」は、陽子崩壊の意味ではなく、「ニュートリノ」と「ディテクション」(検出)の意味です。



そして、スーパーカミオカンデでは多数のニュートリノを補足し、質量があることも確認しました。

これらの功績により、小柴博士は 2002 年にノーベル賞を受賞しています。




さて、最初の話に戻ります。

日本科学未来館には、スーパーカミオカンデの模型があります。


本来光電子倍増管が付けられている部分は、すべて LED になっていて、「検出した」パターンを光ることで示します。

1/10 模型ですが、中に人が入れるほど大きいです。


光る際、片側の壁面が一斉に光ることがあります。

これは、ニュートリノと原子核が衝突して光る際、その光は衝突地点から「円錐形に」放射されるためです。


まぁ、衝突地点から懐中電灯で照らしたようなものを想像してください。

そのため、大量のニュートリノが流入した際には、流入とは逆側で、一斉に光が検出されるのです。



ここまで「ニュートリノ」と書いてきましたが、実際にはニュートリノには3種類の「型」があります。

スーパーカミオカンデでの、光のパターンなどを解析すると、捉えたのがどの型であるかもわかるそうです。


そして、ニュートリノに「質量があるならば」、この3つの型は時間と共に入れ替わる、とも予測されていました。

これをニュートリノ振動と言います。


スーパーカミオカンデでは、まず太陽で発生「しているはず」のニュートリノと、実際に捉えられるニュートリノが違うことから、ニュートリノ振動が実際に起っていることを確認しました。


ただ、この時点では理論と違う、というだけで、理論が誤っている可能性もありました。


その後、250km 離れた施設から「人工的に作ったニュートリノ」を打ち込む実験で、作ったのとは明らかに違うニュートリノが検出されることを確かめています。


これらの実験は、ニュートリノに質量があることを意味していますが、質量を特定するには至っていません。





今回の話、つい先日読んだ「宇宙物理への道」(佐藤文隆著)をネタ本としています。


この本、図書館で古くなったので「不要」とされてリサイクル扱い(自由にもらってよい)になっていたのを貰ったまま、数年放置していたもの。

「そういえば読んでない」と読んだら、非常に面白かった。


佐藤文隆博士、ノーベル賞取っているわけでもないし、申し訳ないけど「知らない人」だった。

でも、文中に書いた通りノーベル賞学者に囲まれて研究していて、博士自身非常に重要な理論を打ち立て、研究した人でした。

ホーキング博士の「肉声を聞いたことがある」人も珍しいのではないかな。



理論物理は興味はあるのですが、専門家ではないので間違いがあったらごめんなさい。

その際は怒らず教えてください。修正します。




2015.10.7追記


文中では2002年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士の名前を「カミオカンデの責任者」として出していました。


2015年のノーベル物理学賞に、小柴博士の教え子でもある梶田隆章氏が選ばれました。

スーパーカミオカンデでニュートリノに質量があることを突き止めた功績。文中に書いた実験の責任者だったようです。



太陽からのニュートリノ、と文中では書きましたが、宇宙線が地球大気に入ってきたときのエネルギーで発生する「大気ニュートリノ」がかなり重要だった様子。


大気ニュートリノは地球表面すべてで発生しているのに、真上からのものだけが観測され、真下から(地球を貫通してきたものが)観測されない、という謎がきっかけだったそうです。


スーパーカミオカンデでは、3種類あるニュートリノのうち、タウニュートリノを観測できないのだそうです。

そこで、「地球を貫通している距離の間に、ニュートリノ振動が起きてタウに変化した」と考えたのだとか。


この時点では「ひらめき」にすぎませんが、そのひらめきを裏付けるために、1日に1~2個しか観測されない大気ニュートリノのデータを数年分検証し、仮説を裏付ける十分な証拠を集めます。



スーパーカミオカンデは国際的な研究施設で、データだけなら他の人でも見られたはず。

でも、そのデータを見ても、「下から来ないのはおかしい」と考える人はいなかったわけです。


まさに、1%のひらめきと99%の努力、を地で行く話。


エジソンの残した言葉だけど、「ひらめきがなくては、努力しても無駄だ」という意味だからね。

努力することが大事だ、みたいに受け止められて、エジソンは悲しんでいたようですが。



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今日は寺田貴信さんの誕生日(1969)。


僕、この人知りませんでした。

スーパーロボット大戦シリーズ一筋のプロデューサーの方。


…このシリーズやったことないんですよ。

先日書いたばかりだけど、ゲーム好きだけど「気に入ったゲームをやり込む」タイプなので、知らないゲームの方が多い。


それに、アニメも子供のころからそれほど見なかったので、元ネタをほとんど知らんのです。




じゃぁなんで書くのか、といえば、昔バイトしていた会社でSDガンダムのゲーム作るのを、ちょっと手伝った覚えがあるため。


自分でも何やったのかよく覚えてないけど、主にデータ整理だったんじゃないかな。

プログラムした覚えはない。


僕はガンダム良く知らないからわからないのだけど、発注元の営業さんが来た際にドット絵を見て、「16ドットなのに、よく似たモビルスーツの違いがちゃんと判る」としきりに感心していたのを覚えています。

その現場では、プログラムもドット絵描きもやっていました。


シリーズいっぱい出ているけど、どれだったのかなー…と今調べたけど、わかりませんでした。

この作品、孫請けでやっていたはずなのね。開発元にすら会社名入っていない。


メイン発注元の「ライバル会社」の発注を受けてしまったので、こっそりやる…と、メインの事務所とは違うマンションの一室で開発していました。

だから、開発元としても名前出さなかったんでしょうね。


この会社以外でもゲーム会社でバイトしたり、他の会社の事情も聴いたことありますけど、こんな話ざらにあります。

孫請けで仕事しても世の中に名前でないし、名前出すわけに行かない仕事でも請け負うことが多い。



この仕事やっていたとき、プログラマの人に、「キャラクタ動かすのに、小数点を使わず、正確に目的地について、動きの速度が一定になる方法、なんか知らない?」と聞かれたので、ブレゼンハムのアルゴリズム教えました。


グラフィックなんかで線を描くアルゴリズムなんですけど、しばらく研究して「求めているのと違う」と言って、結局固定小数点で計算してました。



寺田さんは「スーパーロボット大戦」の人で、SDガンダムとは違うのだけど、延長上にあるシリーズ…と考えていいんですよね?

やってないので何とも言えないのだけど。




ガンダム知らないにも関わらず、ファミコンディスクの「ガチャポン戦士」は遊んでいて、非常に面白かった覚えがあります。

シミュレーションゲームは基本的に好きなのね。


ただ、時間かかるものが多いからあまり遊ばないのだけど。



というわけで、この日記は非常に短く終了。

人を紹介したはずなのに、どういう方かちゃんとわかっておらず、申し訳ない。



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