目次
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2024-06-14 溶連菌の流行
2024-07-22 第2回ご出生お祝い会
2024-08-13 怒涛の2週間
2024-09-29 今年の夏
2024-10-06 INPUTが無いとOUTPUTも無い
2024-11-04 町内文化祭
2024-11-20 書きたいことはあるのだが
2024-12-02 多忙な週末
2024-12-10 バナナ
2024-12-11 テトリス
2024-12-18 人探し
2025-01-01 あけましておめでとうございます
2025-01-15 鎌倉散策
2025-03-24 天気
2025-04-23 町内会ホームページ
2025-05-29 5月が終わってしまう
2025-07-23 ここしばらくの出来事
2025-08-12 盆まつり
2025-08-15 飲み会
ちょっと日記の間が空いた。
前回の日記で、次女が溶連菌感染症にかかった、と書いたが、これは「風邪」としての感染。
いま、「劇症型溶連菌感染症」が問題になっている、とテレビが取り上げ始めた。
溶連菌が、傷口から入ってしまった場合に起きるのだそうだ。
傷口から入った溶連菌により、熱が出て、傷の周辺が腫れあがる。
この時点で対処出来れば、まだ「溶連菌感染症」の類だそうだ。
対処しないと、腫れがひどくなって腕や足などがパンパンに膨れ上がる。
この時点で劇症型、と呼ばれるようになるらしい。
この状態から、さすがにおかしいと病院などを訪れる人もいるようなのだが、進行が早いのが特徴。
検査キットなどを使って原因を特定している間に容体が急変し、会話できる程度には元気だった人が、検査結果が出るまでには死んでいる、ということもあるらしい。
そして、劇症型になってからの死亡率は3割程度という。致死率が高い。
コロナよりも前に、ここ10年くらいで年々増えていたそうだが、コロナの最中に少し患者数が減り、今年は急増らしい。
患者の多くは60歳以上で、足の傷口から感染するパターンが多いとも。
溶連菌、自分の認識では、保育園くらいの子供がかかりやすい風邪、だった。
大人はかかりにくいが、重症化しやすいから要注意、くらい。
思ったより怖い病気。認識を改めた。
別年同日の日記
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20日(土)に、町内会の「ご出生お祝い会」が行われた。
僕が責任者で計画していたので、当然ながら出席してきた。
前回から、9か月ぶり。
半年に1回行うという予定だったのだが、第1回の反省から、開催を少しずらした。
第1回は、1~6月生まれを対象にしたのだが、これにより「年度」が分断されてしまったのだ。
せっかく知り合っても、小学校に上がる時期で1年間の差がある。これでは話がしにくい。
そのため、今回は、前回以降に生まれた7月~4月1日生まれを対象とした。
4月1日生まれは前年度、4月2日生まれは次年度だからね。
そして、新生児のうちは外出するのも大変だろう、と、お祝い会は「少なくとも3か月になってから」で計画している。そのため7月になったわけだ。
さて、今回は、昨年の7月生まれの子の参加があった。すでに1歳。
1歳未満の子の親を集めようと思っていたので申し訳ない。しかし、すでに歩けておもちゃ遊びもできるので、すごくかわいかった。
子供のおもちゃの参考&実際に遊べる子は遊んでもいいつもりで、僕の私物のレゴプリモ・デュプロを持ち込んでいたが、2歳のお兄ちゃんといっしょに遊んでいた。
もう一人の参加は、9か月。こちらは大人しい子ではあったが、ズリバイで動き回っていた。
ズリバイッて、お腹をつけて足を引きずるようなハイハイね。匍匐前進。
9か月でズリバイは特に問題はない。
でも、動きをみるとそろそろハイハイできても良いころかも、というので、市から派遣された保育士さんが「ハイハイトレーニング」のやり方を教えていた。
本人が、腕だけで前に進めると思っていると足を使わないので、足を曲げた状態にして足の裏をしっかり押さえ、足を動かすと体が前に進むのを覚えさせると良いのだそうだ。
前回同様、お祝い金などを渡した後は、かなり自由に雑談の時間。
鎌倉市の保健師さんもいるし、地域の福祉担当(地域包括センター)の人もいる。
雑談の中で、相談事などが出てくればすぐに答えられる。
前回は、直前になって「お祝い金とは別に、お祝いの食べ物を出そう」と決まり、時間の関係もあってお赤飯を注文して出した。
今回は事前準備して、お祝いのお菓子を用意した。町内で、個人で小さくやっている焼き菓子店があるので、特別注文でお祝い用のパックを作ってもらったのだ。
これは出席した大人全員に配った。包括センターや市の職員の方は、こうした会への出席も「仕事のうち」で無償。お金などは受け取っていただけないので、せめてものお礼でもある。
で、僕も自分の分をもらったのだが、ここのお菓子は非常にうまい。
個人でやっているので、大量生産でないぶんだけ、材料や作り方にこだわりがあるようなのだ。
期間内にご出生があった、という申請はもう一件とどいていたが、残念ながら日程の都合で参加されず。
会が終わった後に、お祝い金とお祝い菓子はお届けした。
前回は申請は2件だった。今回3件で、少しはお祝い会の存在が認知されてきたのであれば、嬉しく思う。
(期間、6か月が9か月になったから人数もそれに応じて増えた…というだけかもしれないけど)
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
先月末から2週間ほど、日記を書いていなかった。
怒涛の忙しさだったのだ。
まず、普段の仕事が混んでいるのはいつもの事なので、まぁおいとく。
イベントに使われたりするプログラムを作っているので、夏休みシーズンにいろいろな要望が届いていて作らないといけないのだ。
それよりも、問題は町内会。
7月末に「ご出生お祝い会」を行った、というのは先に書いているのだが、実は並行して「敬老の日該当者調査」というのも行っていた。
僕、福祉厚生担当なので、子供と老人の関連やらないといけないのね。
で、敬老の日該当者調査の調査票が届いたのが8月頭。
プライバシーに気を使って、1通づつ封書になっているので、全部開封して、集計しないといけない。
およそ250通。
一応、町内の組ごとにまとまっているので、ひたすら切り開いて中身を取り出し、組ごとに紙をまとめる。
この紙も、封筒に入れるときに人ごとにいろいろな折り方しているので、ここで同じ向きに揃えて開いてまとめるのが重要。
この紙には組と住所を書くようになっているのだが、書かない人がいる。これについては、去年の記録に名前が無いか確認し、補わないといけない。
あと、生年月日と年齢があっていない人がいるので、これも訂正が必要。ただし、訂正はこの後の作業になる。
さて、250通を、ひたすらエクセルに入力する。
エクセルフォームで、生年月日を入れると、敬老の日時点での年齢がわかるようにしてある。
ここで、年齢を間違えて申請している人は判断できるわけだ。
90歳と100歳の人には、市からお祝い金が出る。それ以外の該当者は、町内会からお祝いの品が出る。
なので、これをひたすらまとめる。
ここまでできたところで、一旦他の人を交えて、入力ミスが無いかチェック。
十分注意したつもりでも、他の人も入れて確認するとミスが見つかるので修正。
系統の日調査はまだやることがあるのだが、ひとまずはここまで。
なぜなら、町内会の作業で、もう一つやらないといけないことがあるためだ。
8月の10,11日は、町内会の盆祭りだった。
盆踊りではなく、盆祭り。昨年までは盆踊りと銘打っていたのだが、盆踊りを踊れる人も減ったし、子供中心のお祭りに変えてしまおう、というのが今年の方針だったから。
コロナ中は自粛してて、昨年久しぶりに盆踊りを再開したら、以前とは来る年齢の層が変わっていたのよ。
以前踊りを楽しみにしていた年配が、足腰弱って踊れなくなっていた。
今年は子供中心に変えたのが、大成功。
この祭りで、僕は音響・花掛け担当だった。これも以前と同じなのだけど。
花掛けというのは、寄付をいただいた人の名前を板に貼りだして、この人たちの善意で祭りが成り立っています、と皆に伝えるもの。
盆祭りは、町内会で行ってはいるが、町内会とは切り離された行事なのだ。
盆、というのが宗教行事だから。政教分離の原則。
だから、町内会費は一切使っていない。
近隣の町内会では、寄付金の額も名前の横に添えたり、高額な人を上に貼りだしたりするところもある。しかし、うちの町内会は金額にかかわらず扱いは同じ。
お金を出してくれる、という善意に対して、善意をありがとう、と称えるだけにしよう、という方針だから。
昨年は、久しぶりにやったので機材とかも「コロナ前」とは変わっていた。
それで、音が少し小さくて、スピーカーから離れたところで聞こえないという苦情が多かった。
今年は機材を見直したところ、音が小さいということはなくなった。その代わり、音が大きすぎて割れてしまう、という苦情が多い。
それでいて、スピーカーから離れたところでは聞こえない、という苦情も同時に来る。
つまり、問題は音の大きさではなく、スピーカーが少ないことなのだ。
スピーカーが多ければ、音量を絞っても皆に聞こえるようになるので、音割れも無くなる。
実は、「音が小さい」と言われていた対策を夏祭りのちょっと前に考えていたのだが、思ったより難問で今年は間に合わなかった。
反省会の時に、音割れ・聞こえない問題をどうにかできるか? と言われたのでアイディア披露。
少し金はかかるが、予算をつけるから来年はどうにかしよう、ということになっている。
スピーカーシステムはステレオなので、2つ以上のスピーカーに増やすのは難しい。
そこで、ミニ FM 局にしてしまって、各所にラジオを置こう、というアイディアなのだけどね。
ミニ FM 局は、電波が 50m 程度しか届かないラジオ局。
まぁ、ラジオというよりは、こういうイベントの時に声を届けるための使い方がほとんどなのだけど。
しかし、これを作るための機材が、最近は入手困難。大手メーカーが作ってないので大量生産効果はなく、値段の高めのものしかない。
海外製なら安いのもあるけど、国内で使うと違法になっちゃうものが多いんだよね…
さて、祭りも終わり、目下敬老の日調査のまとめをやっている最中。
組ごとに、名前と住所をまとめた紙を作って、各組長さんにお祝いの品を届けてもらうように依頼しないといけないのだけど、このまとめがすごく大変。
去年は2日間で慌ててやったので、ひたすら手作業の力押しだった。
今年は、もう少し自動化したくて、エクセルスクリプトを組んでみている。
まだできていないが、まとめるのにあと2週間くらい猶予があるので、コツコツやる予定。
別年同日の日記
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気づけば9月に1回しか日記を書いていない。
もう一度くらい書いておこうか。
今年の夏は異常気象による災害が多かった。
まず、異常な猛暑。昨年も記録的な猛暑で「異常気象」だったのだが、今年はそれ以上。
30度以上の猛暑日は、福岡県太宰府市で連続40日、累計60日という記録を作った。
東京でも、9月18日に猛暑日になっている。これは過去一番遅い猛暑日だそうだ。
ただ、暑さ寒さも彼岸までで、9月23日くらいから急に「例年並み」に涼しくなった。
その後また暑くなって夏日を記録したりはしている。
10月頭くらいまでは夏日になる可能性があるようだ。
この暑さに伴い、全国で線状降水帯による集中豪雨の被害が相次いだ。
特筆すべきは2つ。一つ目は台風10号だ。
8月22日にマリアナ海溝付近で発生したが、動きが異常に遅い。太平洋高気圧の張り出し方が例年と違うそうで、台風を動かすための風が吹かないため遅いのだ。
遅すぎるため進路予測が難しい上に、暑い海洋上に長期間いたため、十分に発達した大きな台風になった。
当初は関東直撃コースが予想されていたが、予想進路は徐々に西にそれていき、沖縄を通り越して中国大陸方面へ、という予想になった。
それで安心していたところ、沖縄に上陸したあたりで完全停滞。台風に刺激された前線により、九州から東北まで雨が降り続く。
さらに、台風がやっと動き始めたときには東向きに進路を変えており、九州から上陸、四国から太平洋に抜けたうえで、再度急に方向転換し、近畿に再上陸して低気圧に変化、その後も雨を降らす力は衰えないままに日本海側に抜けた。
僕が住む神奈川県でも小田原から箱根にかけて大雨が降り、床上浸水や土砂崩れが多数報告される。
国道246号線のトンネルが土砂崩れで埋まり、1週間の間通行止めになった。
もう一つは能登豪雨。
9月21日だから、1週間ほど前の話だ。
この雨自体、100年に一度、とも形容されるほどの豪雨だった。
その上、能登は今年の元日に大きな地震があり、まだ十分に復旧できていない。
あちこちで土砂崩れが起き、やっと立ったばかりの仮設住宅も含め多くの家が床上浸水、やっと地震の避難から戻ってきた、という人も含めて、再度多くの人が県外に避難する事態となった。
こちらに関しては、行方不明者も多く、まだ捜索が続いている。復旧のめども立っていない。
特に大きな被害はこの二つだが、線状降水帯による豪雨で床上浸水などの被害が出た場所はもっとたくさんある。
あとは、北関東で雹が何度か降っていたな…
これも猛暑によるものだね。地表からの上昇気流が強いからこそ、氷の粒が大きくなるまで落ちないように支えられる。
ゴルフボール大の雹による被害も出ていたようだ。人に当たったら死ぬレベルだが、死者などは出なかった模様。
(農業用のガラスハウスや、止めてあった自動車の被害は多かったようだ)
今年の夏は、異常な猛暑と、その猛暑からくる気象被害の多い年だった、と言えるだろう。
幸いなことに、自分がいる地域ではそれほどひどい雨は降っていない。
しかし、先にも書いたように神奈川県でも被害が出ているところはあるし、災害の話題を聞くたびに、明日は我が身、と言うつもりで備えを怠らないようにしてきた。
水と食料のローリングストックだな。
それくらいしかできることがないわけだが…
正直なところ、家族全員の3日分、という指針には若干足りていないのだが、何もないよりはずっと良い、という考えで備えている。
別年同日の日記
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最近日記が少なめになっています。
仕事が忙しいのと、子供たちが塾や学校で忙しく、土日も平日とあまり変わらないので、日記に書くような「特別」が起きにくいのですね。
INPUT が無いので OUTPUT も無い。
そんな生活でも、アマプラでアニメなどは見ております。
以前も書いたのだけど、僕は主夫なので家事をする時間が多く、家事のお供に映像作品をだらだらと見ている。
見ている、というより主に音声を聞いている。
アニメが多いのは、アニメ独特の文法により、声だけでも状況がわかりやすいから。
実写でやったらオーバーアクションで違和感があるほど、声で演技するのがアニメですからね。
おかげで、映像を適当に見ていても状況を把握しやすい。
元々アニメ好きだったわけではないのですよ。
最初のころは、一人で家事をしていても寂しいので、アマプラで「実写の」ドラマとか映画を見ていた。
でも、アニメを見てみたら、上に書いたような理由で家事のお供に良かった。1話30分、と短いのも区切りやすくて助かる。
せっかく大量に見ているのだから、どこかに感想を書いておこう、と思ったのですが、正直なところ僕の感想なんて「駄文」にすぎないので、自分の日記ページに書こうとも思わない。
ツイッターなんかに迂闊なことを書いたら、作品のファンから粘着されそうで怖い。
そんな時に、1年ほど前に「タイッツー」が現れました。
なので、そちらでだらだらと感想書き続けています。
…そんなわけで、たびたび文章を書いてはいるのですが、この日記ページではないのですね。
それでいて、OUTPUT はしているので満足してしまって、こちらのページに書くことが減ってしまうという悪循環。
まぁ、感想駄文はタイツーで、日常の日記はこちらで、という使い分けなので、書きたいことがあれば書くのですが。
タイッツーを使っている方は「#アマプラ」タグを見てみると、ほとんど僕の感想です…
別に占有するつもりもないし、他の方が感想書いていることもありますが。
(自分一人で感想を書き続けるのも寂しいので、他の方が書くと「いいね」してます)
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
昨日文化の日、町内でも恒例の文化祭が行われた。
1年前の日記を見ると、来年、つまり今年に向けての反省点などが書かれているな。
長年文化祭を取り仕切ってくださっていた人が、高齢と大病を患ったことを理由に引退。
…と去年の時点では決めていたのだが、今年までは面倒を見てくれた。
ただ、今年は中心人物は別の人に引き継がれ、上記の人はやり方を教える形でサポートのみ。
で、新しい人が頑張ってくれた。今までの形式はある程度残しつつも、来場者を増やせるように様々な工夫。
特に、「文化」なんて肩ひじ張らずに、子供向けのゲーム大会などを催したのは大きかったようで、昨年までは全然来なかった子供の来場者が増えた。
ただ、昨年までの形式と、子供向けは別会場としたため、人出が分散してしまったのは来年への反省点。
反省会では上手くまとめる方法が模索された。
新しいやり方になったことは良いとして、準備にかかる時間などが増えた。
結果として、3連休のうち2日は町内会の仕事で完全につぶれてしまった。
これはなかなかつらい。
今日は振り替え休日でやっと自分の自由になる時間だったのだが、午前中に買い物行って、昼食後に疲れで昼寝したらもう夕方。
休日が溶けてゆく。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
日記停滞しているなぁ。
書きたいことがないわけではない。でも、いざ書こうと思うと、わざわざ書くほどの事でもないのだ。
そんなわけで、最近の話題の書きなぐり。
▼今週頭の日曜日
町内会で、「三町内合同スタンプウォークラリー」開催。
市からスポーツ振興費というのが地域ごとに出ていて、市民の健康の為にスポーツ大会を行って報告する必要がある。
コロナ禍の際に、密集を避けるために運動会は取りやめて、みんながそれぞれのペースで歩けばいい、ということで始まったのが「ウォークラリー」なのだが、その後運動会が復活しても、ウォークラリーの人気もあるため両方行われている。
正直なところ、運営している町内会スタッフとしては面倒くさい。ウォークラリーの方が人気あるから運動会辞めちゃえばいいのに、と思うくらいだが、運動会は運動会で楽しみにしている人も多いんだよね。
参加者層が全然違うという感じ。
▼ここ1か月くらいの話
町内会がらみで続けると、「次の町内会長をどうするか」という話が問題になっている。
僕は、なんとなく慣習で副会長が次の会長だと思っていた。
ところが、副会長は急に会長に引っ張られて町内会の役員になり、たった2年で副会長を任されてしまった人で、「副会長が会長になる」という慣習も聞かされていなかった。
いつか会長をやるのは構わないが、まだ仕事内容とか全然把握していないのでできないよ、というのが副会長の言い分。もっともだ。
で、慣習で物事を進めていると、町内会が持続可能で無くなってしまうという話題が出た。
昔は、会長は定年退職した人がやるものだった。暇もあるから対外的な会議が平日昼間でも出られる。
しかし、今は定年退職年齢が引きあがっており、定年退職するころには町内会の仕事なんてやる気力がなくなる。
この問題、近隣の他の町内会でも問題になっているらしい。
いろいろ複雑な事情があり、慣習はそれらの事情を考慮して決まっていることも理解できるのだが、慣習を守っていると破綻する、と言われてちょっと真剣に考えるようになった。
で、現状の自分の案を10ページほどの資料にまとめて、副会長に提出した。
これは自分の案にすぎず、あえて慣習をすべてぶち壊そうとするようなものだし、本当に実現できるかも不明。
しかし、何も考えないよりは、考えといたほうが良かろう。
(町内会の役員も、これも慣習で「1~2年で交代」する地域と、「選ばれたらしばらくやる」地域に分かれる。
僕はしばらくやる地域なので、しばらくやるつもりでいる。しかし、1~2年で交代する地域の人は、仕事を理解する前に交代してしまうし、持続性なんてことを言われてもアイディアが出ない。
そんなわけで、何か考えるのも自分の仕事だろうなぁ、と考えている次第)
▼仕事の話
作成しているシステムに大きな機能追加をしよう、というアイディアが企画者から1年~半年くらい前に3つ出てきて、うち2つは具体的に進めているのだが、どちらかの形を先に整えようということで2か月くらい前から本格的に作り込んでいる。
機能を形作るために細かなものから大掛かりなものまでプログラムを作り込まなくてはならないが、プログラマは基本的に僕一人。
コツコツと作り続けていたが、ここ2週間くらいで、以前から早く作りたかった部分を作っていて楽しい。
元々ゲームプログラマーなので、画面上で物が動くのは楽しいんだよね。
サーバ側の API や DB ハンドリングは必要なのだが、この2週間は、画面上に SVG で滑らかに動く物体を、企画者と連絡取りながら、あーでもないこーでもないと作り込んでいたのだ。
SVG をつかう描画で、直線の交点や直線と円の交点などを求める関数を駆使しているのが、また楽しい。
計算で求めているからこそ、動いたときに滑らかでいいのだ。
まぁ、詳細は書けないけど、こういう SVG の動きとか使って、ブラウザで動くゲーム作ったら楽しそうだなぁ、と思う。
▼家族の話
日記に書くほどではなかったのだけど、次女と鶴ヶ岡八幡宮行ったんですよ。
2か月くらい前の話。
その日は次女の歯科矯正の日で、八幡宮近くの矯正歯科に行ったのね。
終わって帰ろうとしたら、駐車場のシステムがシステムトラブル起こしていて、駐車場から車が出せなかった。
先に駐車場から車を出そうとした人が、システムの会社に連絡していて、「修理に30分くらいかかるそうです」と教えてくれた。どうもすみません、と謝ってまでくれたのだが、あなた方も被害者で何も悪くないでしょう。
30分、どうしようか…と次女に聞いたら、「八幡宮、ちゃんと見たことないから行きたい」と。
そういえば、近所過ぎて子供連れてきたのもずいぶん前だな。
そんなわけで、八幡宮の中を適当に歩いて観光した。
駐車場のシステムはネット対応していたので、時々確認して、修理が終わったと判ったのですぐ戻った。
駐車料金どうなっているだろう…とおもったら、結構長時間停めたが、最低金額しか要求されなかった。
で、この話はそれで終わりではなくて、ちょっと見たら案外楽しかったもので、もっとちゃんと見にこよう、と次女と約束したのだ。
ところが、次女は受験生で、その頃から塾が忙しくなって、土日も講義が入るようになった。
そんなわけで、まだ観光に行けていない。
忙しいからこそ、どこかで気晴らしに連れ出してやりたいと思っている。
▼Chromebook の話
購入した duet 2024 、快調です。
Amazon PrimeVideo のアプリ、初代機種ではスリープから起こしたときに度々フリーズしてしまい、イライラしていた。
しかし、新機種ではその現象に1度しかあっていない。1度はあったのだけど。
ヒンジ形状が変わって斜めになったので、トイレに持ち込むのが難しくなった。
家事をしながらビデオ見てて、ちょっとトイレに…ってときでも以前は気軽に持ち込めたのね。
トイレの壁にパイプ手すりがあるので、開いたヒンジ部分でパイプを挟む形で固定できた。
しかし、斜めだからこれができない。
まぁ、トイレに持ち込むなんてめったにやらないし、あまり問題ないのだけど。
(購入してから1か月で1度だけ、トイレにもっていって問題に気づいた)
▼タイッツーの話
もともと SNS はあまり使わないのだが、タイッツーは温かい雰囲気で気軽なので、たびたび書き込んでいる。
現在主に書いているのは2つだけ。
上に書いたように、家事をしながらアニメを見まくっているので、感想を書いている。
タイッツーの仕様では、最初に 140文字かけて、続きを見ようと思った人向けには 6000字程度まで書ける。
なので、140文字で簡単な感想を書いて、その後詳細を書く感じ。
アニメの感想を書く、というほどアニメが好きなわけではない。
自分のページに書こうとも思わない。記録に残したいほど重要な情報だと、自分自身が思ってないためだ。
でも、感想というのは後で自分で見ても参考になることがあるので、タイッツーに書きなぐっている感じ。
もうひとつ、「ことのはたんご」というゲームをやって、正解の単語について何か書いている。
毎日出題される「単語」を推測するゲーム。単語は全員で同じで、どのように推察して正解に辿り着いたか、という過程だけ(単語の文字などは抜きで)共有できるようになっている。
で、これを共有したうえで、正解単語について思うところを書く。
先に書いたように、タイッツーでは、最初の 140文字とそれ以降を分けて書けるのだが、後半部分に「あいことば」を設定できるのだ。
「あいことば」が設定されると、その「あいことば」を知っている人しか続きを読めない。
だから、ゲームの正解単語を知っている人だけ、その単語についての話を読めるようにしている。
さて、この「アニメの感想」と、「毎日ランダムに出される単語についてのエッセイ」だけで、何か書きたい、という欲が結構満たされてしまうんだよね…
それも、日記が少なくなっている原因になっているとは思う。
もっとも、子供たちが忙しくて土日も家族で遊びにも行けず、書くような内容がないということの方が大きいけどねぇ。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
先週末は忙しかったので記しておこう。
読んでも何も得しない、個人的な日記である。
まず、木曜日から。
普段在宅で仕事をしているが、在宅だと効率が悪いこともある。
現在開発中のシステムの UI の「詰め」を行うために、木曜日は仕事先の事務所に行き、その場でリクエストをもらいながらどんどんプログラムを作っていった。
時々こうした作業をやるのだが、短時間でブラッシュアップされていくのは楽しい。
その反面、これやると「ひとまず試しで」パラメーターいじったり、作り散らかしたりするので、ソースコードボロボロになるんだよね…
後で整理するのだけど。
帰りに、仕事先事務所の近くで、Big Issue を売っているおじさんに出会う。
コロナ前は、たびたび事務所に行っていたし、このおじさんとも良く出会った。
とはいえ、3か月に1度くらいの遭遇頻度だったので、そのたびに最近のバックナンバーから面白そうなものを買っていた。
コロナで僕も外出が減ってしまっていたし、おじさんも販売できない状態になっていたそうだ。
本当に久しぶり…数年ぶりに会ったので、ちょっと世間話をして、2冊ほど購入。
Big Issue は、「ホームレスの自立」を目指した活動名であり、雑誌名なのだが、数年たっても同じ人が販売している、というのは本当は良くないのかもしれない。
販売で得た資金を元手に、普通の仕事に復帰できるのが目指すゴールなんだよね。
金曜日。
特に忙しくはないが、毎月1回、近所の老人ホームの会議に出席しなくてはならない。
町内会で「福祉厚生部長」をやっているためである。
平日なのに会議に出ないといけないので、仕事を離席することになる。
時給で働いているので損失なのだが、自宅仕事なのでまだ「出られる」のである。
町内会の役員でも、会社に行って仕事している人は多く、そういう人たちは会議に出る選択肢もあり得ない。
仕方なく僕が出ている、ともいえる。
まぁ、これはそれだけ。
土用日。この日が一番忙しかった。
長男の大学は土曜日も講義があるので、平日と同じ朝4時半に起きて、朝ご飯と弁当を作る。
6時になったら長男を起こし、7時には送り出す。
で、入れ替えに次女を起こす。中学三年生で受験生なので、土曜日は塾があるのだ。特にこの日は模試で、早く行かなくてはならない。
起こしたら、町内会の仕事。先日貼りだした掲示物に記述ミスがある、と指摘があったので、早く修正しないといけない。
原稿など用意して USB スティックに収め、8時ごろ町内会館へ。掲示板雨ざらしのものもあるので、ラミネート加工しなくてはならず、その機械が町内会館にあるため。
毎月掲示するものなので、ついでに今年度中に貼りだす分を全部用意。1時間弱で作り終える。
作り終わったら、掲示板を回って貼り換え。
これが終わったのが9時半ごろ。
次女はちゃんとご飯を食べ終わり、模試の勉強をしていたが、塾の時間までまだ間がある。
PC に向かって作業。
「福祉厚生部」としては、新生児のお祝い会も行っている。この告知を12月の回覧板で回し、掲示板にも貼りだしたいのだが、まだ原稿作成途中なのだ。
とはいえ、以前行ったものがあるので、それをベースに作成。ちょっと新しいことを始めたいので文面の書き換えは多め。
10時ごろ完成し、承認を得るために副会長にメール送付。
さて、次女は塾に行くために11時には家を出たい。その前に昼ご飯を食べたい。
10時からご飯を作り始め、10時半から昼ご飯。
長女は風邪が治り気味で、この時間まで寝ていた。休日なのでブランチでよいだろう。
すぐに食べ終わり、11時には家を出る。次女を塾に送りがてら、買い物に。
普段は土曜日に一週間分の食料を買い込むのだが、この日はちょっと「生活雑貨」を買い求めたかった。
ならば、まだ買わないが探したい雑貨もある。近所の店はある程度確認してあるのだが、別の店の者も見たかったので、少し離れたホームセンターに行ってみることにした。
…空振りだった。遠くのホームセンター、以前行ったときは大きいイメージがあったのだが、思ったより小さくて欲しいものが無かった。
まぁ、ないと確認したのも収穫ではある。食材を買って帰る。
出るのが11時と早かったので、いろいろ回って買い物しても、帰宅は3時。
ちょっと疲れたので仮眠。
この日はこれで終わらない。
夕方6時から、近隣3町内の懇親会。毎年やっているもの。
普段顔を合わさない近隣町内会の人と一緒に飲むというのは気を使う一方で、自分の知らない、地域の昔話など聞けるのは面白い。
僕はこの地域に、子供ができてから引っ越してきたので、余り昔のことを知らないのだ。
ちょうど、老人ホームの会議でも同席する、隣町の福祉厚生の人がいたので、聞きたかったことを質問。
隣の町では、赤ちゃんのいる家庭が集まれる会を定期的に行っている。こうした会をうちの町内でもやりたいと思っているのだが、何をすればいいのか全く分からないのだ。
(新生児のお祝い会も最近始めたのだが、先に書いた「新しいことを始めたい」のは、赤ちゃん家庭が集まれる会なのだ)
隣町の赤ちゃん家庭の会は、もうかなり歴史も長く、しっかりした活動を行っているらしい。
参考になるやら、ならないやら。そこまでしっかりした会を開催できるリソースが、うちの町内にはないのだ。
しかし、こうした相談ができるだけでも、懇親会には意義がある。
楽しい会だった。
日曜日。
第2回の「焼きそば祭り」の日。お手伝いで参加した。
以前、町内で、12月最初の日曜日に「餅つき大会」があった。
地元の工務店が主催していたもので、なんと無料。お餅、焼きそばなど大盤振る舞いで、子供向けに木工コーナーがあったり、ヨーヨー釣りがあったりで大人気だった。
しかし、コロナを機に終了してしまった。
最初は「地元還元」のつもりで始めたイベントだが、大規模になり過ぎて毎年大赤字になっていたとも聞いている。
しかし、子供たちが笑顔でいる空間を守りたい、と、同じ「12月最初の日曜日」に、町内の神社の神輿会の有志が開始したのが、焼きそば祭り。
去年が第1回で、焼きそば、フランクフルトの販売と、ジュース類の販売、後子供向けの当てくじしかなかった。
しかしこれが大盛況で、今年は神輿会と仲の良い囃子会も参加してくれることになった。
とにかく手が足りない、というので、去年も手伝った僕は、再度参加。
朝10時スタートだったが、その時間より前に子供たちが集まり始める。
神社の境内でやっているのだが、11時過ぎには、初もうでの時でもこれほど混まない、と言うほどの人が集まっていた。
これは大盛況だ、と喜んでいたら、12時を過ぎたた波が引いたように人がいなくなってしまった。
昨年は、焼きそばなどを昼ご飯にしてそのまま居座る人も多かったのだが、今年はみな、ご飯を食べに家に帰ってしまったのだ。
去年は小学生ターゲットで、みんなお小遣いをもらって遊びに来ていた感じだった。
しかし、去年楽しかったと評判を呼び、今年は保育園くらいの子の親子連れも多かった。
そして、親子連れは帰ってしまうのだ。子供は遊び続けていて楽しいが、大人は飽きるから。
午後になって、昼ご飯を食べ終わった時間からまた少し人が来たが、午前中の賑わいにはならなかった。
昨年は売るものが無くなって、予定時間前に終了となってしまった。
今年はそうならないようにすべてのものを多めに用意してあったのだが、大量に余ってしまった。
ジュース類などは置いておけるが、焼きそばはそうはいかない。
手伝いのお礼に、好きな数持ち帰ってください、と言ってくれたので、家族の分だけ…焼きそば5個と、ラムネ5本をもらって帰った。
朝10時から午後3時まで、5時間たちっぱなしでさすがに疲れたが、面白くはあった。
町内会主催ではないのだが、こういうことを企画してくれる人たちが町内にいる、ということが頼もしい。
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16年 Windows で、二つのネットワークにまたがる VPN 設定を行う
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さて、ひとつ前に書いた「ハイキングに行った」話の後の話。
ただ、その前段階があるので、最初に2週間前の出来事を書こう。
2週間前、駅前の八百屋で、バナナが安かったのだ。
2袋で50円。ただし、バナナとしては少し小さめ。基本的に4本入り。時々5本のものもある。
安いな、とは思ったが、家族5人なので、5本入りを選んで2袋購入。
余りに安くて面白かったので、子供に「いくらだったでしょう」と問題を出す。
通常は、スーパーで買うと現在1袋150円くらい。
駅前の八百屋は少し安いものを売ることが多いので、1袋100円くらい。
でも、安いというくらいだから、1袋80円? とか子供は言ってくる。
まぁ、普通安いと言ってもそのくらいだよね。
答として、1袋25円。
そういったら「もっと買ってくればよかったのに」とバナナ好きの長女に言われた。
で、話は冒頭に戻る。
午前中にさくっとハイキングを済ませ、次女の塾に車で送りがてら、買い物に出かけた。
八百屋に行くと、またバナナが安かった。
以前のものみたいに小さくないが、1袋3~4本。そして、3袋で50円。
あぁ、これは3袋で済ますと長女がまた残念がるな、と思い、6袋かった。
本数にして20本強。大盤振る舞いだが、100円。
本数多いので、自由に食べていいよ、ってことにしてあるが、まだ残っている。
元々「熟しすぎ」で安いというのもあり、早く食べないとな。
後日談 2025.1.15 追記
この八百屋、さらに後日、小分けする前の大きな「ハンド」と呼ばれる状態のバナナを売っていた。
20本くらいついたもので、100円。まだ青い状態だったが、1日たったら普通に黄色くなった。
良い鮮度。
さらに後日、お節料理の材料を買いに行ったら、また3袋50円だったので6袋かった。
これがクリスマスごろだったと思う。年末はバナナばかり食べていた。
年始に店に行ったら、1袋 120円だった。普通。
年末のバナナフィーバーは終了したようだ。
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Nintendo Switch に「テトリス99」というゲームがある。
現在のテトリスはルールが統一されているのだが、最初の流行の時は、統一されていなかった。
日本では、パソコン版を作った BPS のテトリスと、ゲームセンター版を作った SEGA のテトリスと、ゲームボーイ版を作った任天堂のテトリスがあり、それぞれ「目指しているものが違った」。
ルールどころか、ゲームの目指すゴールが違うのだ。
BPS テトリスはパズル、SEGA テトリスは激しいアクションゲーム、任天堂テトリスは対戦ゲームだった。
それぞれのゲームの目的に合わせ、細かなルールは全然違うものになっている。
ここら辺の話、過去に詳細を書いている。
テトリスは単純なゲームの上、当初は誰が作ったのかもわからず、世界中で「正しいライセンスを取得せずに作成」する事例が相次いだのだ。
それぞれの会社は、勝手にゲームを作成したために、ルールなども統一されていない。
BPS、セガ、任天堂のテトリスでは、一番後発の任天堂だけが、正式なライセンスを取得してから作成している。
2000年ごろに権利が整理されて、今ではどこの会社でもテトリスを作ることができる。
しかし、アリカという会社の作っているテトリスが「現代的なテトリス」の代表かと思う。
系統としては、激しいアクションである SEGA テトリスの系統と考えてよい。
そして、テトリス 99 は、任天堂がアリカに依頼して作成したテトリス。対戦になっている。
しかも、ゲームボーイのような1対1ではなく、99人同時対戦のバトルロイヤル。
テトリス 99 を紹介したいのではない。もうずいぶん前のゲームだから、今更紹介する必要もないし。
長女がこれを結構好きで、我が家の中では一番うまい。
テトリス99 では時々イベントをやるのだが、この度「テトリス 40周年」イベントが行われ、スキン(画面上の見た目)が、NES 版テトリスになった。
NES (ニンテンドー・エンターテインメント・システム。ファミコンの海外版)のテトリスは、テトリスの複雑な権利関係が整理された後で、権利を取得した任天堂が作成したもの。
ゲームボーイ版の後に作成されたが、対戦モードは存在しない。その意味では、余り特徴のない、よく言えばオーソドックスなテトリスだ。
ただ、テトリスは7種類のブロックがあり、通常は色で判別できるのだが、NES 版は「違う形のブロックでも同じ色が使われている」。
長女にとっては、これが非常に遊びづらかったらしい。
テトリスなのにブロックが色で判別付かないとは、どうなっているのだ! と愚痴を言いながらプレイしていた。
いや、ファミコン(NES と性能は同じ)だと画面上に色が3色しか出せなくて、ブロックの色も3種類だけで描いているんだよ…
と説明するもわかってもらえない。
だって、ファミコンのゲームって3色どころじゃない。古いゲーム機とはいっても、もっとカラフルじゃん、という今の子の主張。
いやぁ、ファミコン時代の現役の子だって、3色しか使わないテトリスの画面見たら色が寂しいと思うよね。
僕は過去の記事で、ファミコンは最大25色出せると書いている。
しかし、ここでは3色しか出せないと言っているのだ。
最大25色、というのが難しい条件で、理論上の最大値だ。
実際にはその半分も出せない。そして、最悪の条件では、テトリスのように3色しか出せない。
それがファミコンの性能限界なのだ。
「ファミコン」らしい画面を持つゲームとしては、ドラクエが筆頭かと思う。
ドラクエは、ファミコンの性能の限界をよく理解して設計されている。
背景キャラクターはすべて 16x16 で描かれ、その上にスプライトで滑らかに動くキャラクターがいる。
ファミコンの背景は、8x8 ドットのキャラクターを並べて作るが、色を設定するときは 16x16 ドットを単位とするのだ。
だから、最初からこのサイズで絵を考えていると、一番性能を引き出せる。
ところが、テトリスはパソコン発祥のゲームで、ブロックは 8x8 ドットで描く必要があった。
色は 16x16 単位でしか設定できないのに、ブロックは 8x8 なのだ。しかも自由に動かせる。
この場合、16x16 単位で設定できる「色」というのは、事実上使えないのといっしょだ。
全部を同じ色で描くしかない。
ファミコンでは 8x8 ドットの絵に3色を使えるので、背景全体を3色で描く、ということになってしまう。
元の NES 版でスプライトを使っていたかどうかは、ちゃんと確認してないのでわからない。
まぁ、操作中のブロックには使っていたんじゃないかな。その方が簡単に作れるし、8x8 のチップを横に 8枚まで並べられる、というファミコンの性能上、特に問題もない。
しかし、操作中ブロックに積みあがったブロックと違う色を使ったら、接地した瞬間に色が変わって不自然だろう。
だから、スプライトは背景と違う色を使える、という機能があっても、ここでは同じ色を選択することになる。
結果として、ブロックの色は3色しか使えない、という状況は変わらないのだ。
説明したら子供は納得はしたが、ファミコンというハードの、予想以上の制約の多さに驚いていた。
当時、各社のゲーム機の中で勝ち残り、大ヒットしたゲーム機だから、もっと性能が高いと思っていたようなのだ。
以前も書いたが、ファミコンのライバルの SG-1000 とか、MSX は、同じ VDP を使っている。
よく考えられた汎用品で、派手な機能はないが使い勝手は決して悪くない。
ファミコンの方がカラフル…つまりは「派手」に見えるのだが、当時の技術なので、どこかを豪華にすると別の部分に制約が出るのだ。ファミコンの場合、うまく使えば多くの色が出るが、条件が合わないと、上記のように3色しか使えない、なんてことになる。
余談だけど、落ちものパズルブームの時に任天堂がファミコンで作った「Dr.Mario」は、3色の「細菌」を、3色のお薬を使って消していくゲームになっている。
「3色」という、ファミコンの限界を考慮したゲームデザインだ。
また、「ワリオの森」では、落ちものパズルだけど、あえてブロックを大きめに設定し、16x16 ドットにしている。
これまた、ファミコンの限界を考慮したゲームデザインだ。
ファミコンで作られた名作というのは、「ファミコンの限界」を考慮してルールなどが設定されているものが多い。
テトリスは、大ヒットしたからファミコンにも移植された、という流れであり、残念ながらファミコン向けのゲームデザインにはなっていなかった。
画面の色が寂しい、というのは、そうした残念な結果によるものなのだ。
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少し前の事。
友人Mが、共通の友人Kに連絡を取りたいのだという。
連絡先知らない? と聞かれた。
M と K と僕は、同じ会社の同期。
僕が会社を辞めて独立し、K も1年後くらいにやはり独立した。この時、僕はその時の仕事に K を誘い、しばらく一緒に仕事をしていたが、K はやがて実家に帰ることにした。
M はずっと後に会社を辞め、別の会社へ。そこでしばらく働いていたが、その後独立。
今僕は、M の会社から仕事を請け負っている。
で、M はずいぶん長い間 K にあっていないので連絡をつけたいというのだ。
K からは、15年くらい前に「引っ越しました」という手紙をもらっていたが、それが最後になっていた。
今もその住所に住んでいるのかはわからない。
…って話を、M と電話で話していたら、電話が終わってしばらくしてから妻に「これ K さんじゃない?」と写真を見せられた。
どこかの会社の宴会の記念写真で、K らしき人が映っている。でも、それらしくも見えるし、別人にも見える。
他の写真もある、と見せられた。数枚見たら確信できた。K だ。
名前で検索してみたら、論文に名前が入っていた、そうだ。
実は、僕もそこまではやった。でも、K は学者じゃないから論文なんて書かないだろうし、同姓同名だろうと思っていた。
しかし妻はここから、論文の内容を読んで、大学と企業の共同研究だと知る。
企業側の会社名で検索したら、会社の WEB ページが見つかった。住所は K の実家のある地域だった。
その会社ホームページで公式 Facebook ページがあるのを知り、そこを閲覧したところ、しばらく前の宴会の写真に K らしき人を発見した、という経緯だった。
自分の妻ながら恐ろしい検索能力。
この経緯を M に伝えたら、Mが思い切って会社にメールを送り、無事 K との連絡が取れた。
遠い会社なのだが、東京に支店があるため、年1回くらい東京に来るという。
その時にでも、また飲もうという話になっている。
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15年 CentOS5+Xen3 から CentOS6+Xen4 への引っ越し
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毎年恒例、今年のおせち。
左上の一の重、紅白かまぼこと、さくらんぼの練り切りは市販品。伊達巻は僕の作ったもの。
右上の二の重、いくらは秋に筋子から作ったもの。田作り、紅白なますは妻の作。数の子入り松前漬けは僕の作ったものだが、松前漬けに関しては素材を細切りにしてある市販キット。
右下、三の重。栗きんとんは僕の作だが、栗は市販の甘露煮、金団の裏ごしは次女がやった。
ここ数年は次女が裏ごししていて、今年は受験生で忙しいのに「やりたい」と主張するので、時間を合わせて作った。
鶏ハムは僕の作。締めサバは、秋に妻の友達からもらっていた冷凍品だが、ちょっといいやつ。
一緒にいろいろな水産物加工品をもらっていて、他は食べたのだがこれだけなんとなく残っていたのでおせちに入れた。
左下、別重。煮しめ。妻の作。
僕も妻も煮しめは好きなのだが、子供たちが小さなころには不評だったので、しばらく作っていなかった。
今は子供たちも美味しいと食べていた。ちなみに、中に入っている里芋は、庭の畑(花壇)で取れたもの。
別皿の煮卵は僕の作。ゆで卵を少しにんにくを入れただし醤油で漬けただけ。
次女は高校受験で、塾の正月特訓がある。しかし、初詣には行きたい、というので、6時に起きて地元神社へ。
僕はその前におせちの準備をしたかったので、5時起き。
6時に起こすも、起きない。妻もこのタイミングで起床。
次女がなんとか居間まで起きてきて、そのまま横になって寝てる。「起きろ」と言いながら、弁当などの用意。
6時20分ごろにやっと家を出て近所の神社まで…走る。時間がないのと、寒かったので走れば体が温まると思ったから。
でも、次女は「走ると風が冷たい」といって背を丸めて歩いている。
神社はまだ氏子会の人は誰もいなかった。毎年氏子会の人が甘酒とかふるまってくれているの。
どうやら、昨日の深夜の「年が変わる瞬間」にお参りする人もいるので、甘酒とか一度ふるまった様子はある。
町内会の付き合いもあるので、いたら少しくらい寄付しようかと思っていたが、賽銭だけで帰る。
家に帰りついて6時50分。もちを焼いてお雑煮を準備したが、このわずかな時間で次女は再度寝てしまう。
7時過ぎには他の子も起こして新年のあいさつ、食事となったが、次女は「眠くて食欲ない」という。
お弁当に加え、おにぎりを用意する。朝塾まで行く途中で食べるそうだ。
8時には、駅まで車で送る。普段は駅前の塾に通っているが、正月特訓は隣駅のグループの塾に集約している。
あ、写真にはお酒写っているけど、車出す予定だったから飲んでませんよ。
家に戻ってから、再度寝た。
大みそかは「ゆく年くる年」を見てから寝るから、5時起きだと睡眠足りてない。
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今週頭の13日月曜日、成人の日で休日だったが、ちょっと鎌倉散策に出かけた。
長女はこの日から修学旅行。次女は受験生なので祝日でも塾へ。
長男は家にいるが、そろそろ大学の試験なので家で勉強。
で、妻と二人で、初詣を兼ねて出かけた。
あ、初詣はちゃんと元日に、地元神社に行ってますよ。
昨年12月に、それまで歩いたことが無かった山道を歩いた。
この時に、遠いと思っていたところが、我が家から結構近いことに気づいた。
車で行ったら、大きく迂回して30分以上かかるところ。
ところが、山に入ってしまえば歩いて 30分だった。
もっとも、山に入るまでで 20分程度歩かないといけないのだけど。
山の入り口まで自転車で行き、そこに自転車を置いておくことにした。帰りは逆順で。
これだと、車で行くより気が楽だ。
さて、今回の目的は鎌倉宮。
12月に歩いたときも鎌倉宮に立ち寄った。
ここには「身代わり様」という木像があり、自分の悪いところを撫でると、身代わりになってくれて自分は治るという。
…身代わり地蔵の類って、全国どこでもあるよね。
ところが、妻が昨年1年近く、筋を違えて肩が痛いのが治らなかったのが、身代わり様を撫でてからすぐに治ったのだ。
超常的な力で治った、とは思わない。何か原因があったのだろう。でも原因がわからない。
わからないなら、身代わり様のおかげってことにしておこう。
ただ、一つ気がかりなことがあった。
身代わり様、お賽銭箱があったのに、お金いれていないのだ。本堂の方にお賽銭入れたからいいよね、ってお金も入れずに撫でさせてもらった。
今回、直してもらったのだからちゃんとお礼参りしよう、という目的で初詣に行ったのだった。
僕も妻も信心深くはないので、本堂にお賽銭入れたと言っても、たしか二人で20円だったと思う。
まぁ、今回は初詣も兼ねるし、たっぷりお礼しよう。妻は300円、僕は別にお礼ではないので100円で。
これとは別に、本堂にも100円づつ入れたので、鎌倉宮には二人で600円お賽銭を投げたことになる。
12月の散策は、実は後の予定があって時間に追われた散策だった。
そのため、この周辺をゆっくり見ていない。
せっかくなので散策しよう…と少し歩くと、荏柄天神があった。
お参りする。
鎌倉宮よりにぎわっている、と思ったが、妻に「受験シーズンだから」と言われて納得した。
天神様は学問の神様だからね。
そして、神社の隅に「絵筆塚」があった。
あ、これ、ここだったのか。鎌倉のどこぞにあると聞いたことはあったが、はじめて見た。
有名漫画家がみんなで「河童の絵」を描いて建立したもの。
正面の一番見やすいところには、河童に変装する道具をもった ドラえもん がいる。
唐突に思えるが、2つの由来がある。
一つは、天神様が「学問の神様」だということ。
古くは学問の象徴が筆だった。使い古した筆などを奉納して供養してもらう習わしがある。
そしてもう一つ。
筆供養の一環として、手塚治虫以前の時代の漫画家さんが「かっぱ筆塚」を建立しているのだ。
普通にいろいろな漫画を描いていた方だが、特にヒットだったのが河童を描いた漫画だった。
それで「かっぱ筆塚」なのだ。
さすがに古すぎて僕もよく知らない。黄桜酒造の河童の絵を描いていた「初代」の人だそうだ。
現在の河童の絵は2代目の方が描いたものだが、この2代目もすでに亡くなっている。
で、最初の話に戻る。
漫画は手塚治虫以前と以降で全然違うものになったが、「以前」の人がここに筆供養の塚を作っている。
そこで、「以降」の漫画家 154人が連名で、新たな絵筆塚を作ったのだ。
絵筆塚が建立されたのは平成元年。この年に手塚治虫は無くなっているが、絵筆塚には河童に扮した鉄腕アトムも描かれている。もちろん手塚治虫が描いたもの。
黄桜の2代目の絵を描いている方も、もちろん描いている。「昭和の有名漫画家」がみんなで河童のイラストを描いた、珍しい共作物だと言えるだろう。
もう一つ、覚園寺にもお参りしてきたが…
ここは、奥に本堂があって、そちらに行くのに拝観料が必要だったので、奥には行っていない。
しかし、その手前、無料で拝観できる部分でも、鎌倉時代に作られた仏像三体を見ることができる。
せっかくなので、ここでもお賽銭を。
神社仏閣巡りでこんなにお賽銭を出したのは初めてだ。
(もちろん、荏柄天神でも出しています)
この日の鎌倉散策はこれで終了。散策時間は1時間半程度。
移動時間含め、2時間弱でした。
別年同日の日記
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書くほどの事でもないのだが、面白いので記録だけしておこう。
先週3月19日、春分の日の前日だったが、東京で雪が降った。積雪1センチ。
鎌倉では降っていない。
今年は3月に入っても雪が多く、東京はこの日で5日目の雪。
3月に東京で5日も雪が降ったのは、2001年以来の24年ぶりだそうだ。
また、春一番の観測は無かった。
(こちらは珍しい事ではない)
で、昨日23日(日)。
東京で気温25度を超え、夏日となった。
東京で3月の夏日は3年連続、観測史上7回目だそうだ。
ソメイヨシノは東京ではまだ咲いていない。
大船の玉縄桜は2月に咲いてたけどね。
2025.4.1 追記
夏日は数日続いて、その後また冷え込んだ。
今日は関東でも山間部は雪。渋谷でも朝一瞬だけ雪が降ったそうだ。
春は三寒四温だが、ちょっと振れ幅が大きい。
別年同日の日記
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度々書くのだが、町内会の評議員をやっている。
丸7年やって、8年目に入ったところか…
1年でいいから、と頼まれたのだが、なんとなく辞めづらい感じになり、5年目くらいからやっと仕事を自主的にできるようになり、8年目。
昨年までは、ベテランの副会長の下で福祉関係の仕事をやっていたのだが、副会長が年齢を理由に退職してしまった。
今年からは自主的にやらないといけないのだが、去年は引継ぎのつもりで福祉厚生部長をやっていたので、多分大丈夫。
ちなみに、福祉はほとんど敬老関係だったのだが、1年半ほど前から、「ご出生お祝い会」をやっている。
これの発案は、先に書いた副会長。老人にばかり金を使って子供に金を使わないのはバランスに欠く、という判断で、ご自身が高齢だったのに素晴らしい判断。
で、今年からは、ご出生だけでなく、小さな子の子育て家庭を集めて「子育てサロン」をやろうと思っている。
というか、先日1回目を開催した。
需要がわからず集めただけになり、おもちゃを用意しといたので子供には喜んでもらえたのだが、グダグダだった。
次回は、集まってくれたお母さんの一人がいろいろやってみたいと言ってくれたので任せてみるつもり。
ゆくゆくは、子育てサロンはやってくれる人に委任できればと思っている。
今、老人向けに「おしゃべり会」という会があり、それは委任しているから、同じ形態にしたいのだ。
というわけで、仕事を外部に委任していけると良いなぁ、という前提で、今年は総務も兼任となってしまった。
具体的に言えばパソコン担当。
最初はパソコン担当を期待されて入ったのだが、町内会の事を右も左もわからない状態では、何をしていいのかわからなかった。
それで、一旦別の方が変わってくれて、ある程度パソコン担当をしてくれていたのだ。
でも、その方が退職することになり、また僕に担当が回ってきた。
一番重視されているのが、町内会のホームページ作成。
数年前に辞めた方が作ってくれていたのだが、更新が止まっているのだ。
なにぶんそのページが、html を直打ちして、ftp でページをアップロードして更新する形式なので…
そこで、有料のブログシステムを借りて、前任者がある程度作ってくれていた。
しかし、まだ公開にこぎつけていない。
これを4月になってから引き継いで…申し訳ないが大改造した。
ベースはそのままなのだけど、静的なページが多くて更新が大変そうだったのだ。
そこで、変化しない情報は静的ページのまま、更新が必要なページはブログ形式にした。
今まで作ってくれていた内容も、ブログに入れなおした。
これで、更新が楽になるし、更新速度も上げられそうだ。
こういうちまちました改良をしているのが、結構楽しい。
ここで使っているページ作成ソフトは、wix.com 。
僕としては以前ホームページ作成を頼まれたときに、Wordpress を使おうと考えていたのだが、あれは結構マニアックなプログラムなので、パソコン馴れしていない人が使えるとは思えない。
wix は有料ではあるが、慣れていない人でも使えるように、かなり親切に作り込まれている。
とはいえ、やはりパソコン馴れしていないと難しいところはあるのだけど。
前任者が静的ページだけで作ろうとしていたのも、おそらく「ブログ」という概念に不慣れなせいで、旧ページをできるだけ再現しようとしていたからなのだ。
ただ、wix は今回の目的にはオーバースペックなようにも思える。
お店などがホームページを作ることを想定して機能が設定されていて、通販のためのカタログを作ったりする機能が沢山あるのだけど、町内会にそこまで必要ないんだよね。
それでいて、「町内会館を予約したい」みたいな機能は、当たり前だけどない。
セミナーとかを設定して予約を入れる機能はあるのだけど、会議室の予約みたいな、社内向け機能みたいなのは無いのだ。
今はまだ旧ホームページが使えるので、この機能だけ旧ホームページにリンクしている。
旧ホームページは、CGI で作成された会議室予約システムがあったのだ。
(どこかで配布されていたのを拾ってきて設置したもののようだ)
ただ、wix には、Javascript プログラムを、ページ内に iframe で作られたサンドボックス内で動かす機能がある。
なので、工夫したら自分で作れるかな、とも思っている。将来的な展望だけど。
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いろいろ忙しくて、コピー機の話を書いただけになっているな。
このまま5月が終わるのも寂しいので、よしなしごとを。
コピー機の件だが、先日書いたものは一旦キャンセルになり、改めて購入しなおした。
元々「高いので保守などはいらない」という前提で頼まれていたのだが、購入する段になって「やっぱり、故障した時に頼みやすいように近所が良い」という意見が出たためだ。
最終的に、神奈川県内の業者に依頼することになった。
機種も違うし一概に比較できないのだが、価格はほぼ同じで、5年落ちの機械となった。
(以前に選定したものは2年落ち。まだ最新機種で、新品同様、と言ってよいものだった)
5年たつと買い替えるところが多く、中古が急に増える。そのため、5年たつと金額は10万円くらい下がる。
同じ価格だったのだから、10万円くらい高いわけだが、トナーなどは新品に入れ替えてあるという。
これだけで定価だと10万円近いので、まぁ良心価格と見るべきか…
6月5日納入、と先ほど決まったので楽しみに待つことにする。
次女の高校でいろいろトラブルがあって、いろいろ書きたい気もするのだが、学内でのトラブルなので迂闊に詳細を書かない方が良いのだろう。
5月後半はこのトラブルで疲弊した気がする。僕もアドバイスしたが、妻がべったり付き合って疲れている。
簡単にいえば、新学期始まったばかりで「クラスTシャツ作ろう」となった際の知的財産権問題なのだが、先生が全く指導できていないのだ。
指導できていないどころか、間違った知識を生徒に吹き込んで、違法な方向に突っ走った。
以前から僕はこのページに時々知的財産権関連の記事を書いている。
自分で言うのもなんだが、弁護士などの専門職でない中では、割と理解している自負はある。
だから、先生がやっていることが違法だ、と指摘できるのだが、それとなく伝えても「大丈夫です」と自信満々に違法行為に突っ込んでいく。
これに巻き込まれるのを次女が嫌がっていたので、親としてどうにかしようとしたのだが、先生の違法行為暴走に成すすべがなかった。
ちなみに、知的財産権は、学習指導要領にも明記されている「教えなくてはならない」ことだ。
先生が率先して違法行為を行う、というのは、ちょっと笑えない状況だ。
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ふと気づいたら、今月の日記 akamai の技術解説しか書いてないではないか。
これは僕の「日記」なのに、技術解説のみというのは良くない。
今月だってそれなりにいろいろあったのだ。
いろいろあったのだけど…ネタとしては弱くて、書くほどじゃないかな、って思って書かなかったのだ。
せっかくだから、まとめて書いておこう。
1つづつでは弱くても、まとめればそれなりの量になる。
6月末の話しから始まる。
長女の高校で文化祭があったので見に行った。
もう3年生だが、1・2年生の時はまだ「コロナ警戒」のため、家族から1名だけ、と指定されていたのだ。
それで妻が見に行っていた。僕は今年初めて。
「携帯電話、電波はいらないよ」と妻と長女から散々聞いていたが、校内本当に電波が入らない。笑いが出るレベル。
山の上にあって、「陸の孤島」みたいに言われてるんだよね…
この文化祭で、長女は部活卒業。演劇部だった。
しかし、この演劇部が困った人だらけで、振り回された3年間であった。
(我が強くて自分勝手な親子がいて、子供も親も他人の迷惑を顧みない行動をとり続けたのだ。
それを筆頭に困った人ばかりの部活で…嫌気がさして辞めた部員も多数。結果、困った人しか残ってなかったともいう。)
長女も出演した最後の公演、その困ったちゃんが何かに感化されたそうで、「自分がシナリオ書くからミュージカルをやる」と強行して、本人が音痴だという…
シナリオ書くのに難航して、曲を作る時間も十分になかったらしい。なので音が非常に薄く、スーパーの店内BGMのよう。
それでも、公演したものは「かなりマシになった」バージョンだそうで、文化祭のしばらく前に大会で出したものは本当にひどかったって。
(主演の「こまったちゃん」があまりに音痴なので、直前に他の部員が結託してクーデターを起こし、何曲か歌のシーンをカットさせたらしい。大会の際はそこどまりで、無理なカットが多いので話が繋がらなかった。
文化祭公演はカットした歌の代わりのシーンを作って、話がまともにつながるようにしたもの)
2週間後の7月頭、今度は次女の高校の文化祭があったので見に行った。
次女は写真部に入った。とはいえ、カメラ持ってない。
今年立ち上げたばかりの部活で、部長が「スマホのカメラでもいいよ」と言ってくれたので、スマホで写真撮ってる。
で、はじめての文化祭展示なのだが、今時なので現像するのではなく、プリントセンターで綺麗に印刷してもらったものを壁に並べてある。
スペースが狭いので、いろいろな写真をごちゃっと。なんとなく色別に分けてグラデーションを感じさせてあるのは悪くないアイディア。
でも、最初は印刷された紙をそのまま貼ろうとして、「そのまま壁に貼るのはなんか違う」と、段ボールに貼ってから壁につけたそうだ。
これが、段ボールの表面のうねりが出てしまい、なんとも貧相。段ボールの小口見えてるし。
時間がなかったので急ごしらえしてから、皆で反省して「来年はもう少し考える」らしい。
ところで、次女の高校は文化祭のしばらく前に「クラスTシャツ」を作ったのだが、こちらもひと悶着あった。
教員の指示が適切でないために、ありとあらゆる「違法案件」を踏み続けたのだ。
このページでも時々著作権がらみの話書いているのだけど、僕は「普通の人よりは」著作権に詳しいと自負している。
(弁護士ではないので、あくまでも普通の人よりは、どまりだ)
Tシャツデザイン案が上がってくるたびに、それは著作権違反だ、肖像権違反だ、商標法違反だ、と指摘していたのだが、そもそも教員に順法精神が欠如していた。全く根拠なく「大丈夫です」と言って、違法な道を突き進むのだ。
…結局、最初に依頼したTシャツ作成業者に「なぜか」そのデザインは受け付けられないと断られ、作ってくれるところを探して依頼したらしい。
断られた時点で、業者も法に違反している、と判断したのに、そこでデザインを変えるのではなく、請け負ってくれるところを探してでも作るという行動。
…で、クラスTシャツができてから、「クラスTシャツがらみのトラブルが続出している」と政府関連機関も注意喚起する事態になっていますね。
もう少し早く注意喚起してくれれば、学校での無駄なごたごたもなかっただろうに。
(いや、注意喚起が遅かったとかの問題ではなく、順法精神のない教員が問題なのだが)
ちなみに、次女の高校、昨年受験前に「視察で」文化祭に行った際、著作権違反が凄かった。
ポスターとか、有名キャラを真似て描いた絵だらけだったのだ。
ところが、今年の文化祭ではそうしたポスターはほぼ見られなかった。
どうも、クラスTシャツの件でいろいろ申し入れたので、教員側でも少し知財について学んだらしい。
Tシャツの時には間に合わなかったが、しばらく後の文化祭には活かされた、というわけ。
ちなみに、長女の学校は昔から知財に厳しい。
詳しい先生がいて、案の時点でその先生のチェックを通らないといけないのだそうだ。
さて、次女の文化祭の少し後の話。
2日ほど後に、僕が腹痛を起こした。気分が悪くなるほどの状態で、仕事を早退させてもらったほど。
でも、1日でだいたい治った。寝てるときに腹冷やしたかな…と思っていたら。
さらに2日後、長女も似た症状。その翌日には長男も。
あら、これ、そういうタイプの風邪だわ。
で、週末の土曜日に、夜になってから次女も同じ状態に。
…なのだが、8時過ぎに、すごい腹が痛いと苦しみ出した。涙が出るほど痛いらしい。
これはちょっと尋常ではないが、救急車を呼ぶほどの事かどうか…
でも、土曜日なので病院行くなら早くしないと、日曜日は休診の所が多い。
調べたら「救急車を呼ぶかどうか迷ったら電話」というサービスがあった。神奈川県のサービスだ。
そこに電話をかけて相談。症状を聞く限り、すぐ病院へ、と言われ、夜間診療している病院を紹介された。
その頃には本人が少し持ち直しており、自動車移動ならできるというので家の車で連れて行った。
病院に行ってから気分が悪くなり、戻してしまうこと2回。
血液検査や CT スキャンも行ったうえで、有意な異常は見られないので、家族もかかったということを考えて急性ウィルス性腸炎だろう、との診断。
この病気でそこまで腹痛になることはあまりないらしいが、全くないわけではないという。
1週間ほどたって、一昨日の話。
海の日の休日。
次女の高校では、1年の今のうちから志望大学決めとけ、と言われている。
少し前に次女もいろいろ調べて、自分の興味がある学問・偏差値レベルなどを勘案して1カ所志望校を決めていた。
で、それを決めたときに調べたら、海の日にオープンキャンパスをやるという。
その時点で「締め切りは昨日だった」のだが、確認したらキャンセルが出たようで申し込めた。
2名まで行けるそうなのだが、今年受験生の長女が、志望校ではないが見てみたいという。
娘二人で見に行った。
これは問題ないのだが、暑い日だった。
帰ってきてから、長女は「疲れた」と仮眠。
塾に行く時間になって起こしたのだが、様子がおかしい。目がうつろで受け答えが変。
熱中症だ、と判断して、氷嚢などで体を冷やす。経口補水液も作って飲ませる。
塾には休みの連絡を入れた。
しばらくして、顔には生気が戻ったが、高熱が出た。
本人寒いと言うが、毛布に入ってしまうと体の熱が逃げない。腹に薄いタオルケットをかけるくらいで、身体を冷やし続ける。
1時間くらいしたら、熱も引いてきた。とはいえ、37度を超えていたが。
熱中症は急に死ぬことがあるので、親の目の届くところで仮眠させて様子を見ていたが、夜中には大丈夫そうだと判断できる状態になった。
翌日(昨日)は学校の終業式で、休むとややこしいことになる状態だったが、熱も下がって問題なく行くことができた。
別年同日の日記
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町内会の盆まつりが終わった。
いやー疲れた。町内会としては最大の行事。
僕は「当日の実働部隊」のうえ、力仕事ではなく放送とPCでの印刷担当。
(祭りは寄付金と模擬店の売り上げで行っており、寄付してくれた人の名前を張りだす「華掛け」が大切。その場で PC で名前を印刷して張りだすのだ)
事前準備もしてないし比較的楽な部類だと思うのだが、本当に皆様お疲れさまでした。
事前準備していないとは言いつつ、いくつか新しい試みをしたのでその準備はしている。
1. 盆踊り曲が増えた
以前はいろいろ音楽を流していたのだが、そもそも「盆踊り」を楽しんでいた世代が老人ホームに入ってしまっているのだ。踊れない。
コロナ禍のときに祭りを開催できずに数年のブランクが開き、久しぶりに開催したらそれまで踊りの中心になっていた人たちが皆いない、という…
その人たちは盆踊りの中心であり、女王のように君臨していた。
率先して踊ってくれ、周囲もそれに合わせることで楽しめていた、という良い面もあるが、その人たちの意見は絶対だったという悪い側面もあった。
その人たちがいなくなったのだ。翌年から大改革が始まった。
盆踊りなんて今の若い人にはわからん。子供向けのダンスを取り入れよう、というのでできたのが「キッズタイム」。
ある意味これは大成功だったのだが、キッズタイムに時間をとられ過ぎたために「盆踊りを楽しみたかった」という大人の意見も多くなった。
で、今年また大きく変えたのだ。踊る時間を3つに分ける。
1つはキッズタイム。子供向けの踊り中心だ。ただ、ここで「炭坑節」と「東京音頭」という2大盆踊りを教える時間も設ける。
もう1つは、定番盆踊りの時間。上に挙げた2曲に加え、「きよしのズンドコ節」を流す。ズンドコ節はちゃんと踊りもあるのだが、炭坑節の踊りであわせてもなんとなくいける。
そして、もう1つは「休憩時間」の BGM を全部盆踊り曲にした。去年は、子供に喜んでもらおうと子供に人気のある曲を流していたのだ。
「定番」でない盆踊り曲を踊りたい、という要求には、ここで答える。休憩時間でも踊りたい人は踊ればよい。
で、ここの「盆踊り曲」に、ダンシングヒーローとマツケンサンバIIを入れたのだ。
町内会長の発案によるが、「誰も踊れなくても構わないから、新定番を取り入れていこう」ということだった。
この二つ、全国的に最近の「新定番」。
ダンシングヒーローは 1985年の曲だし、名古屋ではその頃から踊られていたらしい。
でも、数年前にバブリーダンスと称して高校のダンス部がこの曲に合わせて踊ったものが大ヒット。
高校生向けのダンスコンテストでいくつも優勝した上に、テレビでも紹介されて大人気に。
で、「実は中京地区では盆踊りにされている」というのも一緒に有名になり、全国で踊られるようになったのだ。
マツケンサンバII は、普通に曲がヒットしたころから全国で踊られているらしい。
盆踊りの年齢層とマッチしたのだろうね。
どちらも、結局盆踊りというのは「誰かが踊りを作ればよい」だけなのだ。曲が何であれ、誰かが踊りを考案すれば盆踊りになる。
他の定番も含め、町内会の HP で踊り方ビデオをリンクして公開したのだが、なにぶん HP は今年4月に作り始めたばかりで、読んでいる人が少ない。
僕も踊るつもりでいたのだが、祭りの1週間前に腰を痛めてしまってね…。夏祭りまでには動けるようにはなったが、踊りの練習はできなかった。うろ覚えでもにぎやかしで踊ってみたのだが、途中でわからなくなり惨敗。
誰かひとりが踊れれば周囲はそれを見て踊れる。来年は覚えて踊れるようにしたい。
2. ラジオ放送を取り入れた
もう一つの新しい試みとして、ラジオ電波での放送を取り入れた。
FM波は、50m 離れたら聞こえないほど微弱な電波であれば、ある程度の決まりを守れば使用してかまわない。
(その地域で聞けるラジオ局の周波数の近くはダメだとか、緊急信号用の周波数の1/2 、1/3 周波数はダメだとか、いろいろ気を使う点はある)
そこで、機材を購入して、お祭りの際にスピーカーから流している音声を、ラジオでも放送するようにした。
というのも、町内会でもっているスピーカーの出力では、会場の端まで音が届かないのだ。
大体 10m くらいの範囲は聞こえる。人がいなければ 20m でもはっきり聞こえる。
でも、人がいて雑踏の喧噪になると、20mでは音が鳴っていることはわかるが、言葉などは聞き取れない。
そして、会場はお祭りの櫓を中心として、一番遠いところでは 30m くらいあるのだ。
踊る人は櫓近くにいて、周辺は模擬店だ。でも、アナウンスなど模擬店を楽しんでいる最中でも聞こえないと困るものもある。
そこでラジオ放送だ。模擬店にラジオを置いてもらえば、スピーカー音声が聞こえないところでも、放送内容が聞こえるようになる。
ただ、この試みは半分成功、というところ。
ラジオが必要、と伝えたところ、町内会で手配すると言われていたのだが、当日受け取ったのは小さなポータブルラジオ3つだけだった。
ポータブルなのでスピーカーが小さく、音も出力が弱い。
雑踏の中ではラジオの前 1m 程度のところまでしか音が聞き取れない。
それでも、ラジオを置いたところの店にいるお客さんには聞こえていたようだけど。
櫓の上で太鼓をたたいている、囃子会の人は独自に「大音量が出るラジカセ」を準備してくれた。
毎年、櫓下にあるスピーカーからの音では、太鼓の音にかき消されて合わせずらかったのが解消したという。
このため、囃子会の人には今回の試み大好評。
(関係ないが、櫓と放送席の間にトランシーバーも導入した。毎年何か伝えることがあると「伝令」が走っていたのだが、すぐ話ができるというのも大好評だった)
僕の担当分野での「新しい試み」はこれくらいかな。
1日目は順調で大盛況。
大盛況すぎて、人が多いので事故が起きないか心配だった、というのは後から聞いた。
(放送席は会場脇の屋内にあり、全体がよく見えない)
子供は走り回ってるし、近所の老人ホームから車いすの老人も20人くらい来ていたのだ。
実際、子供用に用意していたお菓子があったのだが、十分用意したにも関わらず足りなかった。
(足りない分は2日目に用意していた分を出した)
2日目は朝から雨。結構激しく降っていた。
この雨は予想されていたので、昼ごろ方針を決めて連絡する、と聞いていた。
まぁ、この雨じゃ無理だろう…と思っていたら、昼頃に決行の連絡。
天気予報では徐々に弱まるとはなっていたが、「止む」とまではなっていない。夕方の開催時刻でもせいぜい「小雨」だ。
やると聞いたので会場に行ったが、関係者みんなが「本当にやるの?」 という感じだった。
これが、実際に開始時刻には雨が上がったのだ。そして、5分程度の小雨は2回降ったが、開催期間中はそれだけだった。
むしろ、前日の暑さが消え、踊りやすいくらい。
まぁ、運がよかっただけとも言える。
町内会長としては、多少雨でも楽しみにしていた子供は喜んで来るだろうし、前日のような大混雑にならないならその方が安全だろう、という読みだったらしい。だから、雨が降ったままでも構わなかったのだ。
さらに翌日の片づけは、雨の中での作業となり、作業していた人はずぶぬれだった。
僕は相変わらず PC や音響機器の片付けなど屋内作業中心で、その後もその流れのまま屋内でテントを拭いて畳む作業をしていた。
毎年のことだが、大きなイベントなのでうまく行かない点も多く、反省点も多い。
しかし去年の反省は確実に活かされているし、多くの人が喜んでくれたので成功だったと思う。
関係した皆様、準備した側だけでなく、遊びに来てくれた人々も含め、お疲れさまでした。
別年同日の日記
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仕事先の社長に誘われて飲み会に行ってきた。
いつもは仕事に呼ばれ、終わった後に飲み会という流れなので今回も何か仕事あるかな、と思っていたらなかった。
夕方に来て、と言われるので、昼は自宅で仕事をして、早めに切り上げて仕事先に向かう。
その会社のマスコットキャラクターを頼んでいるイラストレーターさんも来る、というので地元のお菓子をお土産に買って行った。(我が家は仕事先まで Door to Door で1時間半ほどかかる。周辺の人から見ると「ちょっとした観光地」だ)
イラストレーターさん…基本イラストレーターだが漫画も描く。Vtuber のデザインなんかも手掛けたらしい。飲み会の席で初めて聞いた。
まぁ、ちょっと有名な方。でも、気さくで、いろいろな話をして楽しい飲み会だった。
特にオチのある話ではなく、楽しかったから記録にとどめるのみ。
別年同日の日記
15年 Windows10 へのアップグレードで Chrome が動かなくなったが
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