今日はドラゴンクエストの発売日(1986)。
これ以前、家庭用ゲームの王道はアドベンチャーゲームにありました。
ファミコンがまだ「目新しい製品」だったころ、家でテレビゲームをやろうと思ったら、パソコンしかありません。
(まぁ、カセットビジョンとかあったけど)
当時のパソコンの性能では、アクションゲームは業務用の基板にかなうわけもなく、ゲームセンター「っぽい」ゲームが遊べる、と言うことに満足するか、ゲームセンターでは遊べないゲームを遊ぶか、どちらかでした。
で、ゲームセンターでは遊べないものの代表が、アドベンチャーゲーム。
アクションゲームでは表現できなかった「物語」を作り出すこともでき、多くのユーザーに愛されていました。
当時のアドベンチャーゲームは、「コマンド」をキーボードから入力することでストーリーを進めました。
ところどころで、そんなの思いつくか! というコマンドを入力させるのですが(もちろんノーヒントで)、そのキーワードを探し出すことも含めてゲームの楽しみでした。
だから、任天堂がアドベンチャーゲームを作れるようにキーボードのハードウェアを用意した、と言うのも理解できる話。
堀井雄二が「コマンド探しはアドベンチャーゲームの本質にあらず」と、コマンド選択式と言う新しい概念を発明して「ポートピア連続殺人事件」を移植したことで、キーボードは不要になってしまいましたが。
#キーボードは、後にファミリーベーシックで日の目を見ます。
で、パソコンではアドベンチャーゲームに変わる新たなブームとして、RPG が流行しつつありました。
とはいえ、日本ではまだほとんど知られていなかったジャンル。
これを、先に書いた「ポートピア」の堀井雄二がシナリオを手掛けることで、ファミコンで作り出したのが「ドラゴンクエスト」。
一部のマニアはパソコンですでに RPG を経験していましたが、各種 RPG のエッセンスを組み合わせ、難易度も子供でも遊べるように調整し、しかし大人の鑑賞に堪える物語性は残しつつ、作り上げたのがドラゴンクエストでした。
実のところ、RPG は非常に計算を多用する…そのため、メモリも多く必要になるゲームジャンルで、ファミコンでは作るのが難しいと考えられていたジャンルでした。
ドラゴンクエストのプログラムは、パソコンゲームの作成で「天才」と呼ばれていた中村光一を起用。
非常に少ないメモリを見事に使いこなします。
この後、時代は一気に RPG へと傾き、アドベンチャーゲームは「古いもの」になってしまいました。
日本の RPG の、ほぼすべてがドラクエの影響を何らかの形でうけています。
海外では、こうしたジャンルが「J-RPG」(本来の RPG とは異なる、日本的 RPG)と呼ばれるほどに、日本の RPG の形を規定したと言って良いでしょう。
#J-RPG には「古臭いイメージの RPG」という侮蔑の意味も含まれる。
J-RPG で海外でも人気があるのはポケモンだけ、らしい。
僕はと言えば、ドラクエは3までしかやってません。
1は友達に借りたのですが結構やり込み、2は所有してやり込み、3は友達から借りてさっと遊んだだけ。
もちろん、2が一番好きです。その後のシリーズは知らない。
というか、実は RPG はそれほど好きではないジャンルだったりします。
ウィザードリーや ROGUE は好きなんだけどね。
でも、ドラクエが日本ゲーム界の変えた、革命的作品であったことは認めるところです。
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