2018年05月17日の日記です


義母の葬儀  2018-05-17 18:06:55  その他

妻の母、僕の義母が死去したので、家族で葬儀に参列してきた。


参列というか、一親等なので本来は喪主側だな。

でも、家が遠いし妻としては「結婚して家を出た」つもりでいるので、葬儀の段取りなどはすべて義父と義兄に任せた。

だから、ほとんど参列しただけ。




義母は、3年半前に倒れて以来、植物状態だった。


倒れた時は年末だったのだけど、危篤の報が入って妻がすぐに実家に向かった。

そのまま死去したら家族で葬儀に参列しないといけない、ということで、僕や子供たちも準備して待機した。


しかし、3日くらいたって「意識は戻らないが生命の危機は脱した」状態になった。

それ以来、いつ急に訃報が入っても大丈夫なように、バッグにまとめた葬儀の準備はそのままにして置いた。



そのまま3年半。


最初は、意識がないのは承知のうえで見舞いにも行ったし、残された義父が心配で時々実家に行ったりもした。

実際、義父は不摂生だったようで、知らない間に入院したりもしていたようだ。


しかし、3年半もたつと、義母がいない状態で暮らしも成り立つようになる。

いなくなるその日に向けて、ゆっくりと覚悟が進んだともいえる。



そして1カ月ほど前、再び「危篤」の報。

その後、危機を脱したと連絡があったまま、何の連絡もなくなった。


もしかしたら、すでに死んで混乱のまま、こちらに連絡が来ていないのかもしれない。

問い合わせないといけないな…と思っていたところ、1週間ほど前に、再び「危篤」の報。


そして、そのまま死去の連絡がきた。




こちらは遠く離れていて詳細がわからないので、葬儀の段取りなどは全部任せることにした。

半日ほどたち、段取りが決まったので葬儀の日時と場所が送られてきた。


それからホテルを取ろうとするも、最寄り駅の駅前はビジネスホテルしかない。

家族5人で泊まろうにも、ビジネスホテルは「ツインルーム」が最大人数であることが多く、どうしても子供一人の部屋が生じてしまう。


車で30分ほど離れた別の駅に、大きめのビジネスホテルがあり、トリプルルームとツインルームを隣部屋でとることができた。

通夜・葬儀でホテルと葬儀場を往復することになるので、30分は少し遠い。しかし、他に選択肢はなかったので仕方がない。


距離的には30分…と考えていたのだが、実際には途中に渋滞しやすいポイントがあり、移動は毎回45分ほどかかった。




通夜の日(14日・月曜日)は、自宅で朝の家事を終わらせてから出発。

遊びに行く時のような朝6時出発の必要はない。


車で移動が2時間ほど。暇だろうから、子供たちにはゲーム・タブレットでのビデオ鑑賞を許可する。


家族旅行の際には、基本的にそういうのは許可しないのね。移動時間も含めて楽しい家族旅行だから。

でも、今回はそうではない。子供は面白くもない葬儀に強制参加させられるだけだ。


ちなみに、先に書いたように義母は3年半前に倒れている。

その前に子供たちと何度かあったことはあるのだけど、特に一番下の子は保育園の頃にちょっとあっただけで、ほぼ記憶がない。

長男でも、少し覚えている程度で、特に思い出などがあるわけではない。


でも、二親等だから葬儀には参加するものだ。

強制参加とはそういう意味。



午後3時ごろ、一端ホテルにチェックインし、少し落ち着いてから着替え。

その後葬儀場へ向かう。


おそらく、家族は2時間前集合だと思う。

でも、通常の参列時刻しか聞いていなかった。

せめて1時間前につこう、と思っていたのだが、渋滞に巻き込まれたりして、到着は30分前だった。




先に書いたが、入院が長かったので義父・義兄は覚悟できていたようだった。

特に死去に対するショックがあるわけでもなく、淡々としている。


妻の記憶では、妻の祖母が亡くなった時は義父・義兄とも「死」というものに対するショックで、泣きじゃくっていたそうだ。

同じような状態だったらどうしよう、と妻は心配していたのだが、それは杞憂だった。


通夜は40分ほど。

小学校3年生の次女には退屈で仕方がないようだったが、よく耐えてくれた。

中学2年の長男はちゃんと座っていたが、やっぱ「疲れた」らしい。


通夜の後は、会食。

義父は小さな会社を経営しているため、親戚よりも仕事関係者が多い。

特に会話するようなこともないのだが、幸いうちは家族だけで5人もいるわけで、1テーブル専有できた。


食事は美味しかったが、仕事関係の人の多くが食事に手をつけずに帰ってしまう。

「残すのもったいない」と子供たちは食べていたが、そんなに食べれるわけもない。無理。



一端ホテルに戻る。




翌朝、ホテルの朝ご飯はバイキング形式だった。


前日夜は食べ過ぎたので「おいしそうだけど食べられない」と子供たちは言いつつ、かなり食べた。

だって、美味しそうだったから。


特に急がないので、10時チェックアウトでまた葬儀場へ向かう。



11時45分から、葬儀が40分ほど。

さらに、続けて繰り上げ初七日法要を行ったので、これが30分ほど。長丁場。


実は長男、葬儀の直前の土曜日が体育祭で、実行委員もやっていたために疲れていた。

余りに長丁場で、座ったまま寝ている。かわいそうだが、時々起こして寝崩れないようにしないといけない。


葬儀後は、バスで1時間ほどかけて火葬場へ移動。

長男だけでなく、子供たちはみな寝た。


火葬の開始はすぐで、その後待ち時間の1時間ほどをかけて、昼飯を兼ねた会食。



…これが苦痛だった。

前日の通夜と違い、テーブルが一つながりだった。


親族なので義父・義兄の近くに座るが、義父は少し離れた仕事の付き合いの人と話をしたりしていて、落ち着いて食べられない。

当たり前だが大人向けの仕出し弁当で、下の子二人には量が多すぎた。好きなものだけ食べさせ、残させる。



収骨。

下の子二人は、骨を見るのが怖いようだったので、部屋の片隅で待機。

長男は参加した。


長期入院のせいか、骨はもろくなっていた。

ただ、なぜか大腿骨は立派。


立派だと骨壺に入らないので、職員が折り潰すのだけど。



この後、再びバスで葬儀場に戻り、散会。

この時点ですでに午後4時くらいだったかな。


もうみんな疲れていたので、帰りはまっすぐ家に帰った。

帰り着いたの、夜7時前だったかな。


疲れと食べ過ぎで夕ご飯は食べる気がしなかった。


冷蔵庫にあったもので、冷ややっことサラダを作ってそれだけ食べた。



…長男と長女はこの後すぐ寝たのだけど、次女だけ「お腹空いて寝られない」と起きてきて、僕と一緒に少しパンを食べた。




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