3Dプリンタの元祖

Whirlwind について数回に分けて書いてきたのですが、調べれば調べるほど興味の尽きないマシンです。

でも、これ以上は些末な話になっていきそうなので、一応今回で最後。

(関連話題がもう一つありますが)


今回は、Whirlwind そのものの話ではありません。でも、重要な派生技術の話。

Whirlwind から派生して、その後世界を変えた技術は多いのですが、今回書くのは、現代の「3D プリンタ」につながる技術です。


目次

パーソンズ社

空軍

加工機の完成

Whirlwind

自動プログラム装置

完成、その後

CAD

そして現代





パーソンズ社

事の起こりは、Whirlwind よりもずっと古くにさかのぼります。


1942 年、加工機械メーカー、パーソンズ社のジョン・パーソンズ (John T.Parsons : 社名と人名が同じだが、彼は父の会社で働いていた) は、航空機メーカーのシコルスキー(sikorsky)社から、ヘリコプターのローターブレード(上部回転翼)の加工を請け負いました。

ヘリコプターのローターは、鋼管を中心として、上下に鉄板を張り合わせるように作ります。形状を保つため、中には梁が入れられます。

この梁の形状はすべて違っていて、鉄板は微妙な曲線を生み出し、ヘリコプターを飛ばす揚力を生み出します。

パーソンズ社の役割は、シコルスキー社の設計者が作った設計図通りのブレードのプロトタイプを作り出すことです。


しかし、「設計図」には、梁の形状を、重要な17個の点の位置として示したものしかありませんでした。

コンピューターが開発される前、手回し計算機の時代はこれが普通でした。

設計は航空力学に基づいて行われますが、非常に複雑な計算をこなす必要があり、重要な点の計算だけで精いっぱいだったのです。

その点の位置をもとに、滑らかな曲線を作るのは加工屋の仕事でした。


曲線を作るには、当時は弾力のある板を使うのが普通でした。重要な点の位置で板を固定すると、板が滑らかな曲線を作り出してくれます。

あとは、この板を定規として材料に線を引き、その通りに切り出せばよいのです。


パーソンズも、もちろんこの方法を使いました。…しかし、シコルスキー社の要求は、この方法では満たせないことがわかりました。


パーソンズは、ローターの中に入る「梁」の曲線を、上の方法で求めました。

この曲線に鉄板を溶接していけば曲面になるはず…と思っていたのですが、梁と鉄板の間には、いたるところで隙間ができてしまいました。

たくさんの曲線を積み重ねれば曲面になる、という考え方は間違っていたのです。梁の曲線を作る際には、最初から曲面にすることを考慮しながら作らなくてはならなかったのです。


ここで、パーソンズは板で曲線を作る方法はあきらめ、もっと原始的な方法を使うことにしました。


まず、加工の簡単な木を使って、何度も試行錯誤しながら要求された形状をつくります。

これができたら、この木を「型」として、同じように金属を削り出せばよいだけです。


しかし、この方法にも問題がありました。

木型を作るまではよいとして、どうやって「同じ形に金属を削る」の?




当時、トレーサー制御型の加工機は存在していました。

トレーサーというのは、加工機の横に置かれた「型」を、人間がなぞる(トレースする)ことによって、加工機の刃物も同じように動く機械です。


これにより、型と同じ形状に、素材を削ることができます。…ということになっているのですが、実際には精度は非常に荒く、同じ形状に、というのは無理な話でした。


これは、素材を削る際には、逆側に働く力「応力」が存在するためです。

型をなぞる棒(スタイラス)を動かすと、刃も同じ距離動く…はずなのですが、実際には素材の応力により、微妙なずれが生じます。

スタイラスを動かすたびにずれが蓄積し、全体としてはあまり精度が出ないものだったのです。


1946年、パーソンズは、ヘリコプターローターの設計に詳しいフランク・スターレン(Frank Stulen) を雇います。

彼は、空軍のライトフィールド(Wright Field)飛行試験センター(現在のライトパターソン空軍基地)のプロペラ研究所で、回転環部門長をしていました。


彼の兄弟もまた、ローター設計者で、設計にパンチカード式の計算機を使用していました。

そこで、まずは形状の計算を計算機で行うことにします。計算機は、本当に重要なポイントの位置情報を、パンチカードで出力します。

これで、理想的な形状データが作成できました。


出力されたデータは、ただの形状データではありません。

「削り出す」ことを想定して、加工機が型を削るのに必要な「削りしろ」もちゃんと想定した、加工機の刃がどのように動けばよいか、というところまで計算されたデータでした。


あとは、この通りに加工できる方法さえあれば完成です。


この時点で、パーソンズは夢のような機械を構想していました。

トレーサー制御型の加工機は、スタイラスを動かした距離をセンサーが読み取り、同じ距離だけ加工機の刃を動かします。

(少なくとも、同じだけ動かすようにモーターを動かそうとします。実際には応力のせいで同じだけ動かないのは、すでに書いた通り)


ならば、スタイラスなしで、パンチカードの指定した値通りに刃を動かすことだって可能なはず。

同じものを何度でも削り出せるのだから、量産だって簡単です。


しかし、問題が二つありました。


一つは、先に挙げた応力の問題。

そして、もう一つは…そんなすごい機械を作る資金がありませんでした。


空軍

パーソンズ社のセールスマンの一人が、ライトフィールド飛行試験センターを訪れたとき、空軍が新しい問題を抱えていることを知りました。

航空機会社のロッキードでは、新たなジェット機の設計中だったのですが、この翼の製造工程で問題が出ていたのです。


ジェット機の翼の設計は、微妙な形状を必要とする、繊細なものでした。

しかし、ロッキード社はすでにパーソンズがダメだと気づいた方法…しなやかな板による設計と、トレーサー制御加工機械に頼っていました。


これこそが空軍の抱えている問題の根本原因だと見抜いたパーソンズは、空軍に新型の加工機開発を行いたいと提案しました。

そして、1949 年、ついに研究開発のための資金が付きます。


問題の一つ、資金の問題は、空軍の助けによって片付きました。

残すはもう一つの問題…応力のせいで、加工精度が出ない問題を解決する必要があります。


ここでも、空軍が助け舟を出します。

スタイラスの動きに応じてモーターを動かし、スタイラスが止まるとモーターが止まるからいけない。

本当に目標位置まで到達したかを確認し、それによってモーターの動きを制御する、というフィードバックの考え方が必要なのです。


このような技術は、「サーボ制御」と呼ばれます。そして、空軍にはサーボ技術をよく知っている、なじみの研究機関がありました。


Whirlwind 製作中の、MIT サーボ機構研究室です。

とはいえ、新型の加工機と Whirlwind は、この時点では全くの別プロジェクト。


パーソンズの構想は、サーボ研究所に持ち込まれて実用化に向けて動き出します。

この機械は Numerically Controlled Milling Machine (数値制御加工機械)、略して NCMM 。

これを作るプロジェクトは、NCMM プロジェクトと呼ばれました。


ここでは、自然な訳となるように Milling Machine を「加工機械」と訳した。
より正確には「フライス盤」という訳が正しい。
フライス盤は加工機械の一種で、ドリル状に回転する刃物を使い、対象物を削って溝などを掘る機械。

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(ページ作成 2013-05-02)

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