今日はテッド・ネルソンの誕生日(1937)。
Xanadu を作った…というか、まだできてないので考案した人です。
Xanadu を知らない人は上の記事を読んでもらうことにして…
ちょうど1週間前、openXanadu がリリースされた、と話題になっていました。
報じたサイトは数あれど、中にはちゃんと理解していないサイトもあって、ちょっと酷かった。
(もちろん正しく認識し、伝えているサイトもありました)
酷いサイトがどこか、名指しで批判するのは辞めておきましょう。
僕だって事実誤認はしょっちゅうしている。人の揚げ足を取っても面白くない。
でも、正しく認識してもらうためにも、そのサイトの報じ方が「よく勘違いされる部分なのだ」と考えて、正そうと思います。
まず、openXanadu がプロジェクト開始から54年たってついにリリースされた、という話題について。
54年もたってリリース、と言うと話が面白いので、そう報じたサイトがありました。
でも、今までに何度もリリースしています。また新しいバージョンができた、というだけ。
新しい Photoshop がリリースされる際に、最初のバージョン作成開始の時期にさかのぼって「25年たってついに」と言ったらおかしなことになります。
同じように、openXanadu も54年たってついに、ではありません。新バージョンが出ただけ。
もっと早く出ていれば WEB の地位を奪えたのに、とか、WEB になり損ねたプロジェクト、というような「競合関係」に見る記事もあったのですが、WEB は Xanadu に触発されて作られたものです。
だから、Xanadu は「WEB になり損ねた」のではなく、WEB を生み出す母体となったものです。
たとえソフトウェアが完成していなくても、高く掲げられたその理想は、コンピューター業界をリードしてきました。
Twitter などでリリースの報に触れた話題で、「昔 Mac にハイパーカードっていうのがあったけど似てる」見たいなものを見かけました。
ハイパーカードもまた、Xanadu に触発されて作られたものです。
ハイパーカードを作成したビル・アトキンソンは、Xanadu の「ハイパーテキスト」の概念をちゃんと理解していました。
だから、ハイパーテキストを名乗るのは畏れ多い、と「ハイパーカード」を名乗ったのです。
長大な「テキスト」ではなく、ほんの短く区切られた「カード」。
このサイズの違いが、ハイパーカードと本来のハイパーテキストの差である、という意味です。
もちろん、これは比喩ですよ。画面サイズが小さいとかの物理的な意味ではなくて、概念としてずっと小さなものだということ。
でも、エッセンスは十分詰まっていました。
それに比べると、WEB は「ハイパーテキスト」と名乗ってしまいました。
http って、「ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル」の略だからね。
でも、ハイパーテキストを名乗るには、あまりにも機能が貧弱で、問題だらけでした。
テッド・ネルソンは、WEB を忌々しく思っている節があります。彼が熟考したハイパーテキストの概念を踏みにじってしまったからです。
その一方で、彼の構想のほんの一部でも実現し、世界が大きく変わったことは事実として受け入れ、喜んでいるようにも思います。
WEB を作ったティム・バーナーズ・リーだって、WEB がまさかこんなに普及するとは思っていなかったでしょう。
もともとは、CERN の内部で使われる小さなシステムだったはずなのですから。
テッド・ネルソンが「WEBは問題だらけだ」と指摘するように、ティム・バーナーズ・リーもまた「こんなに普及するならもっと良い設計にしたかった」と言っています。
しかし、彼らはそう言いながらも、わかっているように思います。
もし良い設計にしていたなら、普及はしなかったでしょう。
問題への対処なんて考えていない、単純な機能を実装してみただけの非常にシンプルな構成だからこそ、WEB は多くの環境に移植でき、拡張され、普及したのです。
じゃぁ、テッド・ネルソンの設計が複雑すぎて悪かったのか、と言えばそんなこともありません。
「まず動く小さなモデルを作らないといけなかった」としたり顔で書いているようなサイトもありましたが、それでは問題が噴出することがわかっていたから、彼は大きなシステムを作ろうとしたのです。
まだ皆が手書きで文章を書いていた時代、簡単に活字にすることはできないし、コピー機すら珍しかった時代に、彼はコンピューターのパワーを正しく認識していました。
皆がコンピューターで文章を書けば、引用も参照も思うがまま。
いつでもバックナンバーを入手できるし、へき地に住むから情報にアクセスできない、ということもない。
その一方で、引用も参照も簡単だということは、著作権侵害も簡単に起こるということです。
実際、現在のインターネットでは著作権問題はもめ続けています。
2ch まとめだって、NAVER まとめだって、パクツイだって著作権侵害だけど、誰もそのことを気に留めてない。
明日にも自分が被害者になるかもしれないのに、実際被害にあわないと問題意識を持てないのです。
また、電子データは紙の本と違い、一瞬で消える可能性があります。
知識と言うのは、先人の知識の上に乗っかって高くなっていくものです。
(西洋では、このことを「巨人の肩に乗る」とする言い回しがあります)
ところが、そのベースとなるデータが、ある日突然消えてしまったとしたら?
その消滅データの価値がどうであったか…という話ではありません。
そんな脆弱な状況では、人類の知は砂上の楼閣となってしまいます。
…これが、テッド・ネルソンが複雑で、強固なシステムを最初から目指していた理由です。
やっぱり複雑なこと考え過ぎに見える?
そうかもしれません。
しかし、当時はまだ誰もコンピューターの利便性に気が付いておらず、その利便性の先にある問題点など当然気づかない段階。
「最初に道を開拓するもの」の努めとして、後に遺恨を残さないように頑張っていたのでしょう。
もちろん、今の WEB がこれらの問題を解決できていない「ダメシステム」と否定するものではありません。
利便性を多くの人に示してくれましたし、問題点もやはり世界中の人に気づかせてくれました。
いま、世界はやっと 54年前にテッド・ネルソンが「利便性だけでなく問題点も多い」と気づいた頃に追いついたところ。
じゃぁ、その問題を解消するための次の一手はどうするか? …といえば、やはり Xanadu には学ぶところが多いのです。
テッド自身、WEB に Xanadu を融合するための方法を研究している…はずだったんですけど、その後の進捗聞きません。
WEB が普及しすぎて、一人の人間の手には負えない状況なんでしょうね。
とはいえ、おそらく何年か後には問題のいくつかは解決されるでしょう。
ほおっておくわけにはいきませんから。
そして、たぶんその解決法はやっぱり Xanadu を参考にしているのだと思います。
出来たシステムがやっぱり Xanadu でなかったとしても、Xanadu が「なりそこない」なわけではないのです。
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