目次
10-13 町口浩康さんの誕生日(1960)
10-13 母の喜寿と運動会
今日は町口浩康さんの誕生日(1960年)。
グラディウスのゲームデザイナーです。
詳しく存じませんが、ヒット作はこのシリーズのみ。
もっと言えば、シリーズは後になるほどマニア化するため、多くの人にとっては「初代」のみが記憶されているでしょう。
でも、この一本はゲーム史に輝く金字塔です。これ1本だけで、十分すぎる良い仕事だと思います。
グラディウスは語りつくされている感があるため、僕が新たに付け加えるようなことはありません。
概略だけを示しておきましょう。
1981年、コナミは「スクランブル」というゲームを発表します。
1981年に発売されたテレビゲームと言えば、ドンキーコングやギャラガ、フロッガーなど。いずれも画面固定、1ボタンのゲームです。
この当時に、スクランブルは横スクロールのシューティングゲームで、2つのボタンで空中と地上の攻撃を使い分ける、と言う内容で大ヒットしました。
大ヒットすれば模倣する、というのがゲーム業界の常。
ナムコは、「スクロールして、地上と空中を2ボタンで攻撃」という部分を真似して、1983年にゼビウスを発表します。
キャラクターごとに7色しか使えなかった色を、ほとんど灰色のグラデーションで使い切り、立体的な陰影を表現する、という思い切ったグラフィックと、「たかがシューティングゲーム」なのに深遠なストーリーを感じさせることが評判となり、大ヒットとなります。
これを受け、コナミでは「ゼビウスを超えるゲームを作る」プロジェクトが始まります。
(ちなみに、ゼビウスがスクランブルを模倣して作られた、と言う打ち明け話はもっと後になって出てきたもの。当時はコナミの人は知りません)
各種ゲームを調査した結果、ゲームのベースはやはりスクランブルとなり、「スクランブル2」の作成が開始されます。これが発売時には「グラディウス」と言う名前になります。
ところで、スクランブルにはあったのに、ゼビウスではなくなっているものがあります。
まぁ、違うゲームなので細かなことを言えばいくらでもあるのですが(笑)、「多彩な面構成」はゼビウスに引き継がれなかったもの。
ゼビウスは、面が進むことで難易度は上がりましたが、基本的には同じことの繰り返しでした。
しかし、スクランブルは、次々と面構成が変わるゲームでした。
山岳地帯に作られたミサイル防衛網を抜け、洞窟をくぐり、ビルの合間を抜け、最深部の要塞を破壊する…ドラマティックな展開ですが、単純にそれだけではなく、面の構成方法が全然違うため、攻略法も変わってくるのです。
グラディウスでも、このような多彩な面構成は残されています。
グラディウスの発表は 1985年5月ですが、「開発期間は1年くらい」あったそうです。
この間の 1984年7月には、ナムコが「ドルアーガの塔」を発表しています。
ドルアーガの塔は、「パワーアップ」の概念を導入したゲームでした。
これ以前にも、パックマンのパワー餌やポパイのほうれん草、ドンキーコングのハンマーなど、「パワーアップして立場逆転」の要素は存在しましたが、いずれも一定時間のみの要素でした。
継続的に主人公がパワーアップし、複数のパワーアップを重ねていける、というのはドルアーガの塔が最初ではないかと思います。
グラディウスでも、独自のパワーアップシステムを取り入れました。
当時他にも「ゼビウス風ゲーム+パワーアップ」と言う作品は発売されています(Bウィングなど)。
しかし、グラディウスが優れていたのは、先に書いた「多彩な面構成」とパワーアップを見事に融合させていることです。
どちらか片方しか選べないレーザー/ダブルのどちらを使うか、いつバリアを使うか(状況によっては、背景の障害物にバリアがぶつかり、あっという間になくなってしまう)、オプションをどのように配置するか、などなど。
スクランブルでも面構成に合わせた攻略は必要でしたが、その一部として「パワーアップ」の選択が綺麗に組み合わされているのです。
さらに、ゼビウスはランダム性の入っているゲームでしたが、グラディウスは完全にパターンゲームでした。
敵の出現位置などを覚えてしまえば、出現と同時に倒せる、と言うことになります。
これにより、グラディウスはシューティングゲームでありながら、パズルのような試行錯誤を必要とするゲームとなっていました。
グラディウスがパズルである、というエピソードの一端として、発売から数年後にゲーメスト誌で連載された「グラディウス4周目以降の復活パターン」を挙げておきます。
グラディウスでは死んでしまうとパワーアップが失われますが、その状態から完全パワーアップまで「復活」させるための手順を、詰将棋のように解説した連載でした。
#ゲーメストが現在手元にないため、発売からどれくらいたっていたか、正式タイトルがこれであっているか不明。知っている方は教えてください。
バブルシステムにも少しふれておきましょうか。
グラディウスは、バブルシステムと呼ばれる基板で供給されました。
このシステムには、磁気バブルメモリが採用されています。
このメモリ、一時期は「将来の有望メモリ」だったのですが、今ではすっかり消えてしまいました。
まぁ、簡単に言えばカセットテープやディスクと同じような、磁気記録メディアです。
磁気メディアでは、磁気記録された媒体を動かすことで、周囲に電場を発生し、読み取りを行うのが普通です。しかし、媒体を動かさなくてはならないと言うことは、モーターなどの可動部品を使うことになります。
可動部品は壊れやすく、メンテナンスが欠かせないため、いろいろと面倒も多いです。
そこでバブルメモリ。
詳細はややこしいので省きますが、磁気バブル現象と言うものを使用したもので、記録媒体を「変化する磁場」の中に置くと、磁場が変化するたびに「磁気記録」が一方向に移動します。
読み取りは移動先の端で行い、読み取った結果は逆の端に書き戻します。
こうすることで、可動部品がないのにカセットテープのようなシーケンシャル読み出しが可能となります。
パソコンでは、FM-8/11 や BUBCOM 80 で記録メディアとして使われています。
しかし、先に書いたようにカセットテープと同じような原理なので遅く、あまり普及しませんでした。
ならば、毎朝1回の起動時だけ使えればよい業務用に…とグラディウスにも採用されたのだと思いますが、これは「磁気記録メディア」であることを忘れてはなりません。
当然周囲の磁場に弱いのですが、ブラウン管は強い磁場を発生します。そして、業務用ゲーム機は、狭いスペースにブラウン管と基板を格納してあるのが普通です。
バブルメモリは壊れやすく、問題が多かったようで、グラディウスでは後に ROM 版も作られています。
グラディウスは、シューティング史に輝く金字塔ですが、シューティングを衰退させた戦犯でもあると思っています。
業務用ゲームでは、「長くプレイされないこと」はかなり重要です。
しかし、グラディウスの大ヒットで、類似したゲーム性のシューティングゲームが増えました。
グラディウスは先にあげたようにパターンゲームの側面を持っていたため、最初のうちこそ売り上げがよいのですが、徐々に一部の人が占有する形で売り上げが落ちていきます。
シリーズを重ねるうちに、難易度を上げるなど対応を図りましたが、今度はマニア以外には難しすぎて人気の出ないゲームになっていきます。
シューティングは一定の需要があるためにゲームセンターでは買ってくれますが、決して複数台を導入するようなものではなくなっていきます。
かわりに人気が出たのは、対戦格闘でした。
もちろん、面白かったからファンが増えた、というのはありますが、対戦格闘では「お客さん同士が潰しあってくれる」ために、プレイ時間が非常に短く、ゲームセンターで導入しやすいという側面もあったのです。
面白ければゲームが売れる、というのはある種の幻想です。
もちろん、回すために面白さは重要な要素ですが、ビジネスとしてうまく回らないものは、どんなに面白くても除外されていきます。
(それを跳ね除けるほど強烈な面白さを持つ作品、というのも時折存在しますが)
シューティングゲームは、グラディウスのヒットによって、残念ながらこのサイクルから外れていき、その空席に対戦格闘がうまくはまったのです。
バーチャファイター2など、ゲーム開始5秒でリングアウトに追い込む、と言うようなプレイスタイルもありましたからね。
100円入れて、15秒しか遊べなかったとしたら、普通のゲームなら2度と遊ばないでしょう。
しかし、対戦格闘では「くやしい」と言ってもう 100円入れてくれる。ゲームセンターにとっては夢のような商材でした。
インベーダーゲームの流行の後、ギャラクシアンなどの類似ゲームが出た後で、パックマンが出ます。
この後は「キャラクターがコミカルに動くゲーム」が流行し、「もうシューティングのアイディアは出尽くした」と言われました。
でも、上に挙げたスクランブル、ゼビウス、グラディウスでシューティングは再び見直され、対戦格闘のブームで「シューティングのアイディアは出尽くした」と言われました。
でも、その後もレイフォースのシリーズとか、レイディアントシルバーガンから斑鳩の流れとか、雷電系から首領蜂系の流れとか、大ヒットには届かなくても、新しいタイプのシューティングを作ろうとする人たちはいます。
まだまだアイディアが出尽くすなんてことはないのです。
シューティングはテレビゲームの中でもかなり古いゲームジャンルです。
つまりは、原始的に人間が面白いと思う感覚にかなうものなのです。
いつかまた、新しいタイプのシューティングが出てきて、「出尽くしたなんて言ったの誰だよ」と笑って言えると良いな、と思っています。
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昨日の土曜日はダブルヘッダー。
先週の土曜日が雨だったため、保育園の運動会は昨日に延期。
そして、延期がなければ昨日は予定なしだったので、母の喜寿のお祝い会をやろう、と兄から提案されていたのです。
まず運動会の話をざっくりと。
いつも保育園で使っている広場は、近所の地主さんの好意で皆の遊べる広場として解放されている場所でした。
数年前、この地主の方が亡くなり、いろいろあって市が土地を買い取りました。
市の資産になった以上はちゃんと整備しなくてはならない、ということで、昨年末から工事を行い、今年の春に防災公園として生まれ変わっています。
で、この公園化がくせもの。
いや、ちゃんとみんなが遊べる公園になったことは異論はないのです。いい公園です。
しかし、整備の際に地下を遊水地にしたようで、グランドに杭が打てないのです。運動会だけど万国旗の飾りつけも、鈴割の鈴を下げることも、コースを囲むロープの設置もできず、競技内容にも影響が出ましたし、ずいぶん地味でした。
でも、長女の最後の、次女が本格的に参加するのは始めての運動会。
二人とも白組。PTA参加で僕も綱引き・障害物走にでましたし、妻もリレーに出ました。
結果は…わずか1点差で紅組の勝ち。
地味だったし負けて残念だったけど、今年の運動会は好勝負が多かった。
なかなか楽しめました。
妻は PTA で運動会の手伝い。
毎年恒例のことだけど、終わった後は「反省会」と称して飲み会があります。
僕が予定があるので、妻は挨拶して早々に帰ってきてくれました。
でも、へべれけで、帰ってきたのは5時ごろ。
喜寿祝は5時半からで、鎌倉駅前。うちから最寄り駅まで自転車で行き、そこから鎌倉まで…だと、30分以上かかります。
直接自転車で行くと 20分くらい。自転車で突っ走ります。
#お祝いの席に汗だくで…は避けたかったので、電車で行くつもりだったのですが。
さて、今日はここからが本題。
予約してあった店は、鎌倉駅前の「鯉之助」。駅を出て正面のビルの1階…つまりは一等地の有名店です。
父の初七日法要を行った鎌倉御代川の系列店です。
今日の日記で書きたいのは、喜寿祝の内容ではなく、この店のすばらしさ!
久しぶりに「一流の店っていうのはこういうこと」という体験ができました。
まず、喜寿祝をこの日にしたのは、北海道に住む姉夫婦がこの日に帰郷していたため。
鯉之助には1部屋だけ個室があるのですが、いつも人気で部屋が取れないそうです。でも、ちょうどこの日は空いていました。
個室の奥には、巨大な金庫の扉があります。駅前一等地で、昔は銀行が入っていたのだとか。
それを知っている人も多いので、わざと「めずらしい」扉を残してある、とのこと。
「中には大判小判がざっくざく…ではなく、今は扉だけです」と言っていました。
言っていました…というのは、個室の担当になってくれたウェイトレス(和食店なので中居さんと呼ぶべき?)の方。
そして、今日の話の1つめはこの方なのです。
接客業だから真面目にサービスをするのは当然なのですが、「楽しい会食」を盛り上げようと、いろいろと面白い話をしてくれます。
金庫の扉に関しても、何気ない会話から、以前は銀行だったこと、お金の保管ではなく貸金庫用だったことを経て、だからもともとお金なんて入っていないことを踏まえたうえでの「今は扉だけ」です。
お酒のリストを見ていれば、さりげなくそれがどのような酒か説明してくれますし、料理を出す時にはもちろん料理を説明してくれます。
そして、そのたびにただの説明で終わるのではなく、さりげなく楽しい話題を混ぜるのです。
コースも終盤、年老いた母は「おいしいのだけど、もうお腹いっぱい」と言っていました。
じゃぁ、もったいないから僕もうらうよ、と言ったら、「皿ごとどうぞ」と母が言います。
この言葉を捉えて「全部召し上がっていただいてよいのですが、お皿は食べない方が…」。
とにかく機転の利く方でした。
そのお酒リストですが、「御代川で川端康成が認めた酒」とか説明が入っています。
老舗でないとできない勧め方。
コースターには、鯉之助にちなんでか、鯉の絵が描かれています。よく見ると棟方志功。「御代川大主人仁契」と書いてあります。
仁契とは棟方志功のよく使った表現で、心を許す相手にたいする「さん」付けのようなものです。
ちなみに、店を興した初代主人の名前は御代川鯉之助。棟方志功は名前にちなんで鯉を描き、初代の名前で支店を出す際に、その鯉の絵を使ったのでしょう。
このコースターの元の絵は、ホール(個室ではない席)からよく見えるところに飾ってありました。
こちらも、老舗でないと作れないコースターでした。
喜寿のお祝い、というのはつまりは誕生日パーティ。
誕生日ケーキが欲しい、と今回の主催者である兄は思ったそうです。
で、あらかじめ店に聞いてみると、和食店なのでケーキはない、とのこと。
そこで、「ありません」で終わりではないのが一流店。
持ち込みは構わないし、むしろそうしてもらえればありがたい、との逆提案がありました。
飲食店では、食中毒などが起きた際の責任を明確にするためにも、持ち込み禁止なところも多いです。
それをあえて提案してくるのが素晴らしいです。
さらに、素晴らしいのが、ケーキにキャンドルを付けてお祝いした後。
「では切り分けてきますので」と厨房に持って帰り、戻ってきました。
皿の上には、切り分けたケーキだけでなく、生クリームとフルーツが一緒に盛られていました。
ケーキだけでは寂しいので、お誕生日サービスです、とのこと。
最後に、みんな集まったのだから記念撮影しよう…となりました。
「ホールの方が綺麗な写真が撮れますのでどうぞ」と、もうお客さんの帰ったホールの机を移動し、わざわざ写真を撮りやすいようにしてくれました。
(お店は8時半までで、この時は8時過ぎでした)
美味しい料理に、こんな素晴らしいサービスを受けて、会費は一人3500円(酒代別)。
ある程度の人数だから、先に値段を提示してその値段でコースを組んでもらったようですが、ディナーコースでこの値段なら、手が出ないような高級店ではありません。
でも、先に書いたようにサービスは一流。
世の中に美味しいお店はたくさんありますが、こういうサービスを受けられるお店は貴重だと思います。
気軽に行ける値段でもないけど、何かの折にはまた使いたい、そう思えるお店でした。
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