TX-0 世界初のホビーマシン
目次
完成後のTX-0
先に書いた通り、TX-0 は、大量のメモリが動作するかを確認する実験機でした。
DEC社が所持していたものを、DECを買収したCompaqを買収したHPが MIT に寄贈した写真をMITのページで公開しているものを引用させていただきました。(権利者は誰だろう…)
TX-0 の完成後、リンカーン研究所では TX-1 の開発が始まります。
…しかし、この開発は失敗でした。TX-1 にはいろいろな機能を盛り込もうとしすぎて、うまく動かなかったのです。
そこで、反省を踏まえて機能を絞り込んだ TX-2 が作られます。
TX-2 は、後にサザーランドが「スケッチパッド」の開発に使用したマシンです。
TX-0 は、TX-2 の開発中に様々な機能をテストするのに使用されました。
そして TX-2 が完成すると、TX-0 に 64k word 搭載されていたメモリはほとんど外され、TX-2 のメモリとして再利用されます。
最後に、4k word のメモリだけを残された TX-0 は、リンカーン研究所にとっては「不要品」でした。
しかし思い出してください。
TX-0 は、簡略化されたとはいえ、Whirlwind をトランジスタに置きかえ、高速化したマシンです。
そして、Whirlwind は、当時の一般的なコンピューターよりも 2~10倍近くも高速な、スーパーマシンだったのです。
リンカーン研究所にとっての不要品は、非常に稀有な宝物でした。廃棄されることはなく、同じ MIT の電子工学研究所(Radio Laboratory of Electronics:以下 RLE)に無償・無期限で貸し出されます。
当時のコンピューターは非常に高価で、専門家以外が触ることは許されないものでした。
しかし、TX-0 はもともと対話的に使うことを想定した機械でしたし、なによりも RLE にとって TX-0 は「無料」で手に入ったものでした。
そこで、RLE では TX-0 を広く開放します。専門家でなくても自由に触ってよい、という画期的なマシンとなったのです。
…といっても誰でも使えるわけではなく、正規の利用権を持っているのは教授や職員などでしたが。
TX-0 の管理を任されたのは、元 MIT の学生で、今は MIT の職員をしていたジャック・デニスでした。
コンピューターの利用時間の管理、という誰もやったことのない面倒な仕事を、デニスは…馴染みの後輩の学生たちに丸投げします。職員は忙しくて暇はありませんが、学生たちは暇ですから。
そして、管理の見返りとして、学生たちもコンピューターに触れることを許したのです。
ただし、利用者がいないときに限って。
TMRC
デニスが管理を丸投げしたのは、テック鉄道模型クラブ(Tech Model Railroad Club:以下 TMRC)というサークルでした。
ただの鉄道模型ではありませんよ。「テクニカルな」模型を作るのが好きな集まりです。リアルに作られたジオラマの上を、何台もの列車が走り回り、自由にコントロールできるようにしていました。
…と、表面だけ見るとただのおもちゃ好きですね。
鉄道模型は、一般に「レールに電気を流すことで動いている」ということにご注意ください。
彼らの鉄道模型は、すべてのレールが接続され、自由に電車が走れるようになっていました。
そのほうが、よりリアルですからね。
しかし、すべてつながったレールの上で、「何台もの」電車が、自由に走ったり、止まったり、速度を変えたり、逆に進んだりできたのです。
ジオラマの下の配線は、非常に複雑なものになっていました。
一般的には鉄道模型はレール全体に電気を流しますが、彼らの作った模型では、レールは細かな区間に区切られ、その区間ごとに電気をコントロールできるのです。
しかも、運転者は「レールの区間」なんて気にする必要はありません。
システム全体が、いまどの電車がどこにいるかを把握して、自動的に適切な区間に電力を供給するのです。
電気のスイッチを、電気によって行う仕組みが多用されていました。
これは、コンピューターの動作原理と同じです。TMRC の鉄道模型はコンピューターではありませんが、それと同じような仕組みで動く、複雑なシステムだったのです。
デニス自身、学生のときには TMRC に所属し、このシステムの改良を行ったりしていました。
だからこそ、TMRC ならコンピューターの管理を任せられると知っていたのです。
TMRC のメンバーは、この少し前からコンピューターに非常に興味を持ち…じつは、学生立ち入り禁止の部屋に勝手に入り、コンピューターの動作原理を学んでいました。
MIT には IBM 704 がありました。
しかし、これは本体のみで100万ドル、周辺機器も含めると300万ドルもする高価な機械でした。
本体は IBM から派遣されたオペレーター以外は立ち入り禁止の部屋に置かれ、夜間は鍵がかけられていました。
その隣の部屋は、「電子会計機室」(Electric Accounting Machinery:EAM)でした。
ここには、IBM 704 に命令を与えるためのパンチカードを作成するための「穿孔機」が置かれています。
この部屋も学生は立ち入り禁止でしたが、鍵はかかっておらず、夜間には忍び込めました。
部屋の名前は「パンチカード穿孔室」ではありません。会計機室、です。
IBM 704 はパンチカードで命令を与えましたが、そのパンチカードは本来、集計用のものでした。
そして、EAMは「会計機」が置かれた部屋なのです。
会計機は、パンチカードを分類したり、決められた順序に並べたり、枚数を数えたりする機械です。
これらの動作を、複雑な配線によって変更できました。
そう、ENIAC が配線によってプログラムできたように、集計機はプログラム可能な「コンピューター」の一種だったのです。