50年代の画面表示技術

目次

動作確認モニタ

Whirlwind I

NLS

その後のベクタースキャン

おまけ


その後のベクタースキャン

今回の技術解説は、これであっさりと終わり。

1950年代の画面表示技術なんて、それほど複雑なことはしていません。


でも、コンピューターにディスプレイが取り付けられ、ベクタースキャンの機能が充実し、やがてラスタースキャンに変わる様子を知ってほしかったのです。


80年代編は、ファミコンと MSX を中心に話を進めたのだから、最後に少しベクタースキャンゲームの話をしましょう。

(ゲームとなるとやはり80年代なのですが)


ベクタースキャンは、ラスタースキャンと違い、次の特徴を持ちます。


・専用の画像メモリがいらない。

 昔はメモリが高かったので、ベクタースキャンなら安くできる可能性があった。


・拡大縮小回転がラスタースキャンに比較して容易。

 頂点の間を線で結ぶ方法で描いていますから。


これは、非常にゲーム向きの特徴でした。

特に、アタリ社はベクタースキャンのゲームを作り続けています。


1979年には、白黒の名作「ルナランダー」および「アステロイド」(下動画)を発売。

1981年には、カラーのベクタースキャンである「Tempest」を発売。これ以降カラーです。

1983年には「スターウォーズ」(下動画)を発売します。


2019.5.24 動画差し替え。
以前は、MAME エミュレートの動画を示していましたが、リンク切れになったのを機に変更し、実機をビデオカメラで収めたものにしました。
ビデオ撮影なので、ピントが甘かったり、画面がゆがんだりしていますが、エミュレートでは表現できない「ベクタースキャンの輝度の強さ」がわかります。
なお、画面がちらつくのは、ラスタースキャン撮影のビデオと、ベクタースキャン描画のゲーム画面の周波数の食い違いから起こるもので、本物の画面を肉眼で見るとちらつきません。

ルナランダーは、アタリ初のベクタースキャンゲームでしたが、ベクタースキャンの特徴をそれほど活かしていなかったような…

アステロイドは回転を多用したゲーム。小学生のころ、近所の駄菓子屋に置いてあってよく遊びました。(1回10円だった)


カラー以降は3D表現を多用したゲームで、当時はベクタースキャンでないとできない芸当でした。


現代のPCの性能では、ベクタースキャンのゲームをラスタースキャンでエミュレートできてしまいます。

しかし、ベクタースキャンでないと出せない美しさがあります。


「80年代」の解説で、テレビの表示方法の際に書きましたが、白黒テレビの場合「ビームが蛍光体に当たると光る」という単純な仕組みです。

ラスタースキャンの場合、斜めの線であっても「横方向の線の集まり」に一度分解してから表示します。

横方向の線の隙間は、わずかに開いています。滑らかにはつながりません。また、画面全体に「走査線」を作り出すために、ビームの動く速度は結構速いです。


一方で、ベクタースキャンだと隙間は開きません。描画しない部分にビームを当てる必要はないため、ラスタースキャンと同じ時間で「1画面」を作るとしたら、ビームをゆっくり動かすことができます。

ビームがゆっくり動くということは、その場所が強く輝くということです。

これにより、ベクタースキャンではラスタースキャンよりも滑らかで、うつくしく輝く線を表現できました。


カラーの場合、赤青緑の3原色を分離するため、ブラウン管に穴の開いた「マスク」を入れる必要があります。

このため、ベクタースキャンでもドット表示のように見えてしまいます。


それでも、当時のラスタースキャンゲーム機に比べれば、はるかに細かなドットでした。

拡大縮小が可能などの優位点もあり、特別な地位を持っていました。


しかし、ベクタースキャンでは「線で画面を構成する」ため、面積比で多くの部分が黒くなってしまい、画面が寂しいのも事実でした。

アタリは、ベクタースキャンのように拡大縮小が自由にできる、ラスタースキャンのハードウェアを開発します。


これが「リアルタイムのポリゴン表示 3Dハードウェア」の始まりです。

1983年の I ROBOT を皮切りに、1988年の Hard Drivin'、1989年の S.T.U.N. Runner など、アタリは他社が真似できない技術力の高さを誇っていました。


1988年には、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)がポリゴンハードウェアによるゲーム「ウィニングラン」を発売している。
一応ナムコが独自に作成したハードウェアだが、この当時アタリはナムコの子会社だった。

この間に、先に挙げた「スターウォーズ」の続編(同じ基盤でプログラム交換)の「Empire Strikes Back」(1985)を発売してはいますが、これがアタリの最後のベクタースキャンゲームでした。


こうして、ベクタースキャンの時代は幕を閉じます。




80年代の「スプライト」技術は、絶滅したのではなく汎用化されて残っていました。

ベクタースキャンにも同じことが言えます。


ベクタースキャンは、テレビのような走査線の模倣をするにはメモリが足りない、と言う理由で使われ始めました。

しかし、模倣できるようになってもなお、線が滑らかで、回転拡大縮小等がやりやすい、という特徴を活かして使われ続けました。

現在では、メモリが安くなったために解像度が上がり、ラスタースキャンであっても十分に線が滑らかに見えます。処理速度も上がったため、回転拡大縮小も自由にできるようになりました。

だから、ベクタースキャンは無くなりました。絶滅したのではなく、汎用化されたのです。




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(ページ作成 2013-08-06)
(最終更新 2019-05-24)
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