PC以降の音楽演奏

目次

Music of a sort(1975)

演奏データ形式もっと知りたい

SCORTOS (1977/9)

演奏データ形式もっと知りたい

Altair 8800 の MUSIC (1978/3)

演奏データ形式もっと知りたい

ここまでのまとめ

アメリカのパソコンブーム日本のパソコン事情

NEC TK-80(1976/8)

演奏データ形式もっと知りたい

日立ベーシックマスター(1978/9)

演奏データ形式もっと知りたい

MZ-80K(1978/12)

演奏データ形式もっと知りたい

沖電気if800(1980/5)

演奏データ形式もっと知りたい

パソピア(1981/9)

演奏データ形式もっと知りたい

NEC PC-6001(1981/11)

演奏データ形式もっと知りたい

ふたたび、次回へ続く…


Altair 8800 の MUSIC (1978/3)

音楽演奏の話ですから、MUSIC って名前のソフトは多いです。今度は Altair 8800 のソフト。当然今までの MUSIC とは無関係です。

Altair MUSIC は、BYTE誌の 1978年3月号の巻頭特集で紹介された、パイプオルガンを制御して音楽を演奏するためのシステムです。こちらを作ったのは、ジェフリー・レダラー(Jeffrey Lederer)を中心とする複数人数でのプロジェクト。

実際には2台のコンピューターを使ったシステムで、Altair は、人間の指示した「譜面」を解釈して、 Intellec8 に制御データを送ります。すると、Intellec8 がパイプオルガンを物理的に操作し、音を出す仕組みです。


Intellec8 は、Altair より先に発売されていたコンピューターキットです。
技術評価用キット、という位置づけだったため、世界初のパソコンとはされていませんが、実際には同じような機械です。

Altair の「music system」は、「MUSIC Language」で制御されます。

MUSYS は MUSYS Language を持ち、SCORTOS も SCORTOS Language を持ちました。この二つは、プログラム言語らしい特徴がありました。しかし、MUSIC Language は、単に譜面をデータ化するだけのものです。かっこいいから「言語」っていいたかっただけじゃないかな (^^;


音源を制御するマシンと、楽譜を解釈して演奏データを作り出すマシンの2台構成。そして、上に書いたように「言語」と名付けられた制御方法…MUSYS に酷似しています。恐らくは、これも先に挙げた SCORTOS と同じく、MUSYS を真似たシステム。

SCORTOS の際には BYTE 誌は紹介しただけなのですが、Altair MUSIC の紹介はこれだけにとどまりません。周辺記事として、パイプオルガンを制御するための物理的な仕掛けから、駆動する電子回路の作りかた、制御プログラムのテクニック、中古オルガンの入手方法や改造指南まで、真似したい人のための情報が満載です。

SCORTOS はまだ「高価な」システムでしたが、中古のパイプオルガンを改造する、という方法なら、個人が趣味で手を出せるレベルの値段になったのでしょう。

おそらく、これによって「コンピューターで音楽を演奏する」というのは、一気に身近なホビーとなります。


演奏データ形式

すべてを、数字とアルファベットの組で指示します。

まず、音長を指定します。アルファベットは N で、4分音符を指定するなら 4N と書きます。

N は Normal の意味で、普通の長さの音を出します。長く、次の音につながる音を出す場合には L (legato:音を長く、の意味)を、短く出すには S (staccato:音を短く切って、の意味)を使います。

2分音符は 2 、8分音符は 8 と書けばよいようですが、付点などが使えるかは不明。…多分使えない気がします。L で2つの音を組み合わせればいいんじゃないかな。


音階指定は CDEFAGAB で、前にオクターブを数値で示します。440Hz の A の音を出す場合、オクターブ4にあるので 4A と書きます。オクターブ数値が「科学的表記法」と一致することにご注目ください。(これまで書いたシステムの中で初めて!)

シャープやフラットは音階の後ろにさらに記号を付ける…らしいのですが、どの記号を使うのか不明です。

休符も不明です。MUSIC Languege の記述として「音符、和音、グリッサンド、トレモロ、休符」が使える、と書いてあるので、休符は音符とは別の方法で記述されたようです。ただ、音符と和音以外の例が示されていないのです。


音長さや音階は、カンマ区切りで列記できるのですが、この際、先頭に音長を置いて、以降は音階を置く、という文法です。

音階を複数置くと和音になります。


次の音を出す際は、カンマではなくセミコロンで区切り、音長から再び書き始めます。音長などが違う和音は、別の行として書きます。

複数行にわたって書かれた場合、その複数の行は並列に解釈され、同時演奏されます。(つまり、複数行に書くことで和音を書くこともできますし、1行にまとめて和音を書くこともできます)


さて…不明な部分も多く、あっているかも不明ですが、「トッカータとフーガニ短調」は次のよう(な感じ)になるかと思います。

16N,3A;16N,3G;8L,3A;2N,3A;16N,3G;16N,3F;16N,3E;16N,3D;4N,3C+;2N,3D;4R;


もっと知りたい

BYTE 1978年3月号

SCORTOS と同じく、Internet Archive に保存された BYTE。

当時の広告なども入っていて、非常に貴重な情報が詰まっています。

アメリカの著作権法だと、「公共の福祉に供する」(フェア・ユース)目的なら、こういうことが許されるのですよね…。日本では、勝手に雑誌を電子化して保存なんてできません。

(でも、Internet Archive には日本の雑誌も多数保存されています。国内法に照らして著作権違反なので URL は示しませんが、今では閲覧すら困難な雑誌が保存された良い情報源である、とだけ書いておきます)


ここまでのまとめ

アメリカのパソコンブーム

話はまだ中間地点ですが、ここで一度まとめます。

いよいよ Altair が発売され、音楽演奏も雑誌で紹介されて、ここから一気にコンピューター音楽が趣味として認知されていきます。

…が、音楽演奏と言うのは「演奏専用のアプリケーションとして作るもの」であって、その機能が BASIC に組み込まれる、というようなことはアメリカでは起こりませんでした。


当時はハードウェアも貧弱だし、BASICのROMも小さかったから…と言うだけの理由ではなさそうです。

アメリカのパソコンブームを牽引したのは、すでに PDP などに触っていたハッカーたち。そして、ハッカー文化として「シンプルでいること」は重視されていたのです。


KISS …「Keep It Simply, Stupid」は工学分野から出てきた標語らしいけど、ハッカー文化でも重視されていた。
直訳は「簡単なままにしとけ、間抜けめ」。もしくは「簡単で愚直にしておけ」。
いずれにせよ、「なくても良い機能なら、追加するな」という意味合いだった。

アメリカのパソコンの BASIC に音を出す機能が無かったわけではありません。

たとえば、ATARI800(1978/11) には、パソコンとして恐らく初めて音源チップが搭載されました。そして、これを制御するための SOUND という命令があり、周波数を指定して音を出すことが出来ました。

でも、それだけです。ハッカー的にはこれで十分。音が出るのですから、音楽を演奏したいなら自分でプログラムを作ればいいだけの話です。


逆に、音楽の専用命令なんて用意したら、その命令で用意されていないことは出来なくなってしまいます。バロック音楽を純正律で演奏したいのに、完全12平均律しか使えないなんて!

最初から高機能を用意してしまうと、それ以外のことはできなくなるのです。用意される機能はシンプルなものが一番。そこで工夫するのがハッカー文化の美徳でした。


ATARI800と同じ年に、後の大ヒット音源チップである AY-3-8910(いわゆるPSG) が発売されます。1978年のカタログにはすでに載っているようですが、実際に普及するのは1980年代に入ってから。

もちろん、これを搭載したパソコンはアメリカでも多数発売されます。BASIC からも制御可能にはなっているのですが、やはり「音楽演奏」なんていう、目的を特化してしまって応用の利かない命令はなかなか現われません。


日本のパソコン事情

1976 年、NEC から国内最初のパソコン、TK-80 が発売となります。

TK-80 は型番の「トレーニングキット」が表すとおり、電子回路設計者に CPU の使い方を教える目的で作られた研究用キットでした。しかし、これが技術者の枠を超えて予想外の大ヒット。

とはいえ、「コンピューターが所有できる」という憧れで購入した人の多くが挫折。複雑な回路を自分で組み立てる必要がありましたし、組み立てに成功しても難解な16進数を使ってプログラムをする必要があります。ここら辺、Altair の時のアメリカと事情は同じ。


ここに、当時アスキー出版を設立したばかりの西和彦が商機を見出します。Altair と同じ状況なのだから、Altair の成功例と同じことをすれば、日本でも大ヒット間違いなしです。

西和彦は、当時まだ小さな会社だったマイクロソフトと接触し、ビル・ゲイツに BASIC のカスタマイズの約束を取り付けます。そして、TK-80 用の BASIC の作成を開始するのです。


この時、西はマイクロソフトの日本代理店であるアスキーマイクロソフトを設立し、同時に米国マイクロソフトの副社長の地位についています。

実際、ただのビジネスパートナーではありません。
小さな会社だったマイクロソフトが大会社に成長する過程では、西和彦の影響が非常に大きいです。

実際には、TK-80 用のマイクロソフト BASIC は発売されていません。BASIC を搭載した完成品である、 TK-80 COMPO/BS は、NEC 製の BASIC を採用していました。

しかし、このあとの PC-8001(1979)を皮切りに、PC-8801、PC-6001 と、NEC はマイクロソフトの BASIC を搭載していきます。

また、西和彦は同時に電気会社各社をあたり、コンピューターの企画・設計に参画していきます。


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(ページ作成 2014-07-17)
(最終更新 2015-07-02)
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