IBM - SSEC
目次
SSEC は機械式か?
SSEC について、「電気機械式計算機だった」と書いている資料が多数あります。
この「電気機械式」という言葉も定義があいまいなのですが、簡単に言えばマーク1のように、歯車をモーターで回して計算する計算機のことです。
また、日本の FACOM 100 のように計算部分がリレー回路で構成される場合、「電気機械」とは呼ばず、リレー式と呼ぶのが普通です。
SSEC の計算部分は真空管で作られていて、非常に高速です。
周辺回路はほとんどリレーで、機械らしい部分と言えば紙テープ・パンチカード部分のみ。
ちなみに、「リレー式」の代表として挙げた FACOM 100 も、プログラムは紙テープから読み取ります。
機械を含んでいても、それが演算部分と関係ない場合は「機械式」とは言わないのです。
しかし、なぜか SSEC は電気機械式とされることが多いのです。
これは、どうも誤解から生じているようです。
SSEC は、IBM にとって「技術的なデモンストレーション」にすぎず、商売にするつもりはありませんでした。
そのためもあって、理解されにくい真空管で動作する部分よりも、見た目にわかりやすいリレー部分や紙テープ読み取り機、電動タイプライタなどに注目させていたようです。
つまり、電気機械的な部分だけが注目され、広まっています。
その上、電気機械式だったマーク1を超えることが目標だったため、同じ方式だったのだろうという誤解が広まったようです。
僕が信頼していた本でも SSEC は「マーク1の伝統を抜けていない」と書かれていましたし、また別の本では、ハーバード・マーク1の全景として SSEC の写真が使用されていました。
これらの本は、古いコンピューターが好きな人でないと入手しないような、ある種の「専門書」ですから、専門家ですら SSEC を誤解していることになります。
同様に、「SSEC はリレー式計算機だった」という記述も多いです。
リレーは多数使われていますし、メモリもリレーで構成されています。しかし、演算部分は真空管で、真空管の高速性を活かすために、物理動作部分の遅延を出来るだけ減らす工夫がありました。
計算機としては、真空管式と考えるのが妥当でしょう。
他の機械との混同
上に書いた通り、マーク1(電気機械式計算機)や、マーク2・Z3(リレー式計算機)等との混同は非常に多いです。
当時は ENIAC が作られたばかりで、真似をして真空管計算機が続々つくられるのは少し後。その間に作られたものだから、真空管だとは思われていないのでしょう。
しかし、それ以上に SSEC の存在そのものが知られていない、という問題もあります。
洋書「COMPUTERS an illustrated history」は、貴重なコンピューターの写真などカラーで多数紹介する本です。解説は軽くとどめており、気軽に読める良書なのですが…
この中に、SSEC の写真が2枚あります。1枚は「ハーバード・マーク1」として、もう一枚は IBM 704 として紹介されています。
幸い、マーク1は写真が2点掲載され、片方は本物です。しかし、704はこれが唯一の写真。唯一が間違ってる。
SSEC に関しては、この2枚の写真が出てくるだけで、文章での記述は一切ありません。どうも、存在そのものが知られていないのです。
「誰がコンピューターを創ったか?」は、かなり詳細な調査による歴史書で、僕が信頼している本でもあります。
しかし、この中でも SSEC に関しては「マーク1の伝統をでないマシン」と一言で紹介しています。
まぁ、マーク1に対抗したもので、延長上にあるのは事実です。しかし設計はかなり異なっており、一言で済ますのは勿体ない機械のように思います。
その後
1948年に SSEC が完成すると、新聞や週刊誌は「科学の進歩に寄与する機械の頭脳」だとたたえました。
当初の目的もあり、IBM がそのような論調の記事を依頼した可能性もありますが、事実として当時最高の性能の計算機でした。
冒頭にお見せした映画も、計算機を映画に使いたい映画会社と、宣伝をしたい IBM の思惑が一致したのでしょう。
図は、当時の雑誌に掲載されたSSECの全景です。(クリックで拡大)
写真を元に精密に描かれたイラストで、本来は部屋の中にある大きな柱がありません。
奥にテープ装置が並び、中央に立っている女性は、制御卓とプリンタの間にいます。(映画で長時間写っている個所)
さらにその前には、カードパンチャとカードリーダが並んでいます。
左の男性の位置には表引き装置があり、その手前は命令実行装置です。
右側の男性の位置には、IBM 603 を基にした演算回路があります。
SSECは「IBMの威信を示す」ために作られた機械でした。そのため、IBM 本社1階のショールームに設置され、使用されていない時は誰でも制御卓の近くまで近づいて、見ることができたようです。
先に書いたように、電気機械式、リレー式だったとする誤解は非常に多く、「完成時からすでに時代遅れだった」と書かれた文献もあるのですが、それであればこれほど報道されないでしょう。
SSEC は、完成時には間違いなく、世界一の計算機の1つでした。
SSEC が最初に性能を発揮したのが「月軌道の計算」でした。数年後までの月の位置を、正確に計算したのです。
これは、後にデータ集として出版され、NASA がアポロ計画で月を目指した際にも使われています。
「うまく動くとは思えない怪物」と言われた SSEC は立派に多くの計算をこなしています。
まだコンピューターが珍しく不安定だった時代、商業的に計算を請け負う「計算センター」として、十分役立ったのです。
しかし、時代は急速に変化します。
当時は真空管が発展途上の技術であり、どんどん小型化・高性能化されていきました。
その上、SSEC という「最先端」への挑戦は、IBM の技術力を飛躍的に高めたのです。
SSEC の完成した 1948年のうちに、SSEC の中心部である IBM 603 の後継機、604 が発売になります。
小型真空管を使い、小さいのに高性能な計算機でした。
さらに翌年、この 604 を中核に据え、405会計機と記憶装置などの周辺機器をそろえた「CPC-Iシステム」を発表します。
CPC は Card Programmed Calculator の意味で、パンチカードを使ってプログラムができました。
計算部分の速度は CPC の方が上ですが、総合的に見れば、まだ SSEC の方が性能は上です。とはいえ、SSEC とほぼ同様のシステムが、小さく収まってしまったのです。
なによりも、自分で…個人ではとても手が出ないものでしたが、会社や大学などで計算ができれば、わざわざ「計算センター」に計算を依頼する必要はなくなります。
CPC システムはヒット商品となり、2500台以上が販売されたようです。
SSEC が生み出した派生製品により、SSEC は急速に「時代遅れ」になっていきます。
後継となるコンピューター、IBM 701 が完成すると、1952年8月に SSEC は撤去され、その後には 701 が置かれました。
SSEC は量産機ではありませんでしたから、これが SSEC の最期です。
ちなみに、冒頭の映画の公開は 1952年4月。映画に登場した4か月後には解体されたことになります。
SSEC の開発チームは、701 と同時期に開発が始まった IBM 650 を開発します。
701/702 は高性能で高価なコンピューターでしたが、650 は「廉価機」であり、商業的に大成功をおさめています。
SSEC の存在は日本でも報道されていて、これを見た富士写真フィルムの岡崎文次が、SSEC を参考に独自のコンピューターを作り上げます。
カメラ用のレンズ設計は膨大な計算が必要なため、これを自動化するのが目的でした。
完成した FUJIC は、日本初の「プログラム可能な計算機」となりました。
また、国家予算を使い、東京大学で作成された計算機「TAC」も、ENIAC と SSEC を参考に作られています。
SSEC はあまり知られていない機械なのですが、日本のコンピューター界には、非常に大きな影響を与えているのです。
次回は、SSEC の高速動作を支える仕組みを紹介します。
参考文献 | |||
SSEC特許書面(1982年に書かれた解説付き) | F.E. Hamilton | 1953/1982 | IBM |
Columbia University Computing History (SSEC) | Frank da Cruz | 2002 | Columbia Unicersity |
COMPUTER HISTORY MUSEUM - archive SSEC | 2005-2010 | ||
誰がどうやってコンピューターを創ったのか? | 星野 力 | 1995 | 共立出版 |
コンピューターが計算機と呼ばれた時代 | 財団法人C&C振興財団 | 2005 | アスキー |
COMPUTERS an illustrated history | Christian Wurster | 2002 | TASCHEN |
その他、WEB上の各種ページ |