次世代ゲーム機戦争
目次
解説:1991年の状況
プレステの話を、まずは概要をわかりやすくまとめました。しかし、いろいろツッコミどころがあるので解説を。
以前は、前節の内容に調査しきれない部分が多々あったため、その疑問を提示した節でした。
疑問は解消したので削除しますが、一部解説を残します。
任天堂の動きですが、当時はまだスーパーファミコンも売れていますし、ソニーと CD-ROM アダプタを作る話も続いています。
なぜフィリップスに看板キャラクターを貸し出す…わざわざライバルを増やすようなことをしたのでしょう?
これは、おそらく社長の山内さんが保険をかけたのかと思います。山内さんは「おもちゃ業界では、あっという間に流行が変わる」と、ファミコンブームよりずっと前から「売れている商品が、急に売れなくなる可能性」を警戒していました。
この頃は CD-ROM のブームがあり、自社でもソニーと提携してドライブを開発する一方で、「CD 開発の片割れ」であるフィリップスにも恩義を売っておこうとしたのではないかと。
これで、万が一 CD-i が売れたとしても大丈夫。でも、できるなら「ライバルになるほど売れない方がよい」のです。
そのため、契約内容は金のかからない「キャラクターを貸す」だけ。開発には一切手を出していません。
任天堂はその後も、「スーパーマリオRPG」でスクエアと、「ゼルダの伝説ふしぎの木の実」でカプコンと、「ドンキーコンガ」でナムコと、「マリオ&ソニック at 北京オリンピック」でセガと…と、キャラクターを貸し出す商売は熱心です。
こちらには、恩義を売るというよりは、小さな会社で実はそれほど開発力を持たない任天堂が、他社の力を借りながらブランドイメージを高めようという戦略でもあるようです。
(人気キャラクターを借りられる他社にとっても、もちろんメリットがあるわけです)
しかし、フィリップスとの契約時には、「メインキャラクターを貸し出す」という試みは初めてであり、その真意を周囲がすぐに理解できたわけではありませんでした。
もし、ソニーが日経の記事を誤報だと気づいたとしても、任天堂が奇妙な行動をとっているのは事実だったのです。
それが余計にソニーの疑心暗鬼を生んだようにも思います。
サターン
セガはすでに書いたように、1991年ごろから「次世代メガドライブ」の開発を開始していたようです。
当時のセガがもつ最高性能の業務用基板、System32 を家庭用にしたような構造でした。5番目の家庭用ハードと言うことで「ジュピター」と呼ばれるようになります。
しかし、そこにソニーが作る新しいゲーム機…開発名「PSX」の噂が入ってきます。なんと、ポリゴンをベースとした3Dゲーム機を、家庭用に提供するというのです。
この時代、ポリゴンゲーム機は業務用でも珍しく、基板も非常に高価でした。それを家庭用で提供する、というのは衝撃でした。
ジュピターの開発は急遽方針を変更し「サターン」となります。
System32 のスプライト機能は「拡大・縮小」を持っていましたが、おそらく方針変更で「自由変形」が取り入れられています。
後から変更したために、自由変形と半透明を組み合わせると破綻するなどの問題はありましたが、とにかくポリゴンを出すことは可能となりました。
また、おそらくこの仕様変更で CPU も再選定しています。1992年夏ごろが CPU 選定の時期だった、とのことですから、ジュピターからサターンになったのも1992年に入ってからかもしれません。
市場のゲームを調査し、今後も2Dが主流と判断したのがいつかは不明です。
サターンの性能バランスを判断するための調査だった可能性もあります。
(すでに作成中の回路に機能を追加するだけで良いのか、再設計すべきかの指標は必要だったでしょう)
しかし、1992年にはまだ3Dゲームは珍しかったため、充実していなくとも、とにかくポリゴンが使えさえすればよい、と言う判断も当然だったように思います。
カートリッジ供給をやめて CD-ROM としたのも、この仕様変更だったようです。
PSX は CD-ROM 供給だ、という噂が影響したのかもしれません。
ただ、CD-ROM は遅いし、ドライブが高価なため、ぎりぎりまで判断を迷っていたように思います。
しかし、これで迎撃準備は整いました。
サターンはゲームを作るうえで、これ以上ない機能をもったハードウェアでした。
この頃、CD-ROM を使用した「マルチメディア機」が流行していました。
先に書いた 1991年に CD-i 、1994年には 3DO 、プレイディア、サターン、プレステ、PC-FX 。
NINTENDO64 はCD-ROM を持ちませんが、少し遅い1996年。この年にはピピンアットマークも発売されています。
いわゆる「マルチメディア機」は、なんでもできる、と言いながら何もできない機械ばかりでした。
必要とするすべての機能を満たしながら、それなりに安い価格で提供しようとすると、どの機能も中途半端になってしまうのです。
その点、サターンは「2Dゲーム」に的を絞り、「3Dゲームも可能」な作りでした。ゲームに特化することで、他のマルチメディア機とは一線を画していたのです。
8bit/16bit 時代に三つ巴の戦いをした、任天堂と NEC は、今回は敵ではなさそうでした。
NEC は2D機能を極限まで上げていますが、流行し始めの3Dには全く気付いていない様子。任天堂はサターン発売時点ではまだ開発途中で、発売は2年後です。
それ以外の機械は、ゲームのことがわかっていない会社が作ったものです。
誰の目から見ても、勝手に自滅するように見えました。
性能的には気になるソニーも同じです。
サターンではポリゴンゲームも作れますし、ゲームを作ったことがない会社が、勝てるはずがありません。