2015年10月15日の日記です

目次

10-15 プレイステーションを生み出した新聞記事
10-15 グレゴリオ暦の制定日(1582)


プレイステーションを生み出した新聞記事  2015-10-15 17:42:26  コンピュータ

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プレイステーションを生み出した新聞記事

もう1年も前に、セガサターン関連の記事として、ライバルでもあるプレステとの「次世代ゲーム機戦争」の話を書きました。


これ書いたときに、すごく強い疑問が残ったのね。

プレステは、任天堂の裏切りによって誕生した、というのは有名な話。


でも、史実を確認すると、実際には任天堂は裏切ってなんかいない。

ソニーが一方的に「任天堂が裏切った」と言っているだけ。


一体、真実はどこにあるのか。


ありがたいことに、この記事を書いてから反響があり、関連情報が寄せられています。

どうも、日経新聞の記事が「誤報」というのは違うようで、これはこれで正しかった。


裏にいろいろ複雑な事情が見えてきた感じですが、まとめるのに少し時間がかかりそうです。

まとまり次第、この記事からリンクいたします。




簡単に状況を説明しましょう。


ソニーとフィリップスは、一緒にCDの規格を制定した仲間であり、その「次の規格」を争うライバルです。


フィリップスはCDを応用してゲーム機を作るという。

でも、当時のゲーム界の覇者は任天堂。


ソニーはスーファミ用の音源チップなどを任天堂に提供していて、当時任天堂と仲が良かった。

じゃぁ、フィリップスに対抗して、任天堂と一緒にCDをゲームに応用しようとします。


細かなことが決まり、1991年に、やっとアメリカで行われる家電品のショーで発表にこぎつけました。

ところが、翌日の新聞では、「任天堂がフィリップスと提携し、CDゲームを開発する」と書かれているのです。



これが、ソニーの言う「裏切り」です。

確かに、任天堂はこのショーの時に、フィリップスと提携を発表しています。


その提携内容は、フィリップスとゲームソフトを共同開発するよ、というもの。

ソフトです。ソニーと提携しているような、ハードではありません。

だから、裏切りというほどではない。



ここに疑問がありました。




1年前に調査していた時、思ったのは、ソニーが早合点しただけじゃないのかな、ということ。

フィリップスとゲーム「ソフト」を開発するのは事実だし、ソニーとゲーム「ハード」を開発するのも事実。


でも、フィリップスはソニーのライバルだから、頭に血が上って細かな部分を読み落としたんじゃないかということ。



もう一つの可能性として、この新聞って、日経じゃないのかということ。

「ただし、ソースは日経」という言葉がよく使われるのですが、日経は誤報が多いです。


せめて日経の記事かどうかくらいは確かめたい、と思いつつ、確認できないまま記事を公開しました。

家の近所には、日経の縮刷版を置いてある図書館がなかったから。




今日、急に時間が空いたので、思い立って少し離れた図書館まで行ってきました。

そこなら日経の縮刷版があるとわかっていた。



そして調べると…該当記事を見つけました。

詳細は次世代ゲーム機戦争の記事を更新して、そちらに記しています。



まぁ、日経の大誤報でした。

ソニーが「スーファミ用のCDドライブ作るよ」って発表したのと、フィリップスが「任天堂と一緒にゲーム作るよ」と発表したのを、混ぜて1つの記事にしちゃった。


フィリップスと一緒にCDドライブ作る、となってます。

これは、ソニーの人は裏切りだと怒るわけだ。



というわけで、プレステは日経の誤報によって生み出された、ということが確認できました。




1991年5月・6月の新聞を調べていたのだけど、ほかにいろいろと面白かったことを書いときます。


まず、同じショーで、NECは PC-Engine duo を発表しているのね。

「CD-ROM ドライブ一体型の初めてのゲーム機」とされている。


確かにそうだね。周辺機器だったのをくっつけただけで、やっぱり扱いとしては周辺機器なのだけど。


同じく、セガは MEGA-CD を発表しています。


NECとセガの記事は、詳細に書かれていて何もおかしくないのね。

なぜ任天堂だけ大誤報になったのか。日経だから、としか言いようがないけど。




当時、雲仙普賢岳の噴火が連日新聞に載っていました。

5月には「危険なので避難」なのだけど、いったん活動が収まったとして6月頭に避難命令が解除され、そのとたんに火砕流が起きて死者が出ている。


痛ましい事故でした。世界的な火山学者が、研究のためにかなり近くまで寄っていて、「学者が近づくのだから安全なのだろう」と報道陣も近寄っていたところに火砕流が流れたんだよね。


学者だって万能じゃない。わからないことはある。

このとき多くの人がそういっていたわけですが、その後も自然災害のたびに「学者は何やってんだ」と叩く人たちがいます。


こんな事件があったころに、ソニーがプレステ作り始めていたのだな。

後から新聞読むと、全然別のラインとして記憶していた歴史がつながり始めて面白い。



東アジア経済圏構想、という記事もありました。

このころ、バブル経済もあって日本を中心とした東アジアがかなり力を持ち始めていた。


でも、個々の国ではアメリカにかなわない。

そこで、東アジアの国が、日本を中心に束になってアメリカと肩を並べよう、という構想が出始めた。


…日本、このころはまだずいぶんと信頼されてますな。

もちろん、この頃だって日本に侵略されたことのある国々は警戒心を解いてはいないのだけど、アメリカに勝てるなら協力しよう、という雰囲気になっていた。



でも、その後肝心の日本が急に力を失って、話がまとまらなくなった。

そのうえ、対抗しようとしていたアメリカが「そんな話があるなら混ぜろ」と割り込んできて、環太平洋戦略的経済連携協定…ここしばらく世間を騒がしている、TPPに発展したわけです。


もう四半世紀も前から準備始めてたのねー。



他にも、「イリジウム」携帯電話のための運用会社設立とか、新電々(この言葉も死語だな)各社の決算状況が記事になっていたり、今見ると懐かしい記事も多い。


時代が全然変わっちゃったね。




話を元に戻して。


本来、日経の記事を使用するには、厳密な規定があるようです。

たとえ個人ページでも、著作物なので使ってはダメ。


なので、いろいろ面白い記事もあったけど、無駄に掲示するのはやめておきます。


一方で、次世代ゲーム機戦争の話の中では、核心の記事のみ、画像として掲示させてもらいました。

日経新聞の著作物であることは理解しているので、引用元が日経であるとわかるようにしています。



日経にお金を払えば、日経のサーバー上に PDF で記事を用意してくれて、引用できるそうです。

これはお金を払って期間契約なので、期間が過ぎると消えます。


今回、ニュース配信したいわけではなく、歴史を残したいので、この契約だととても使えません。

日経としては「文章テキストとしての著作物性」を気にしているように見えるため、画像としての提示のみで、本文書きおこしなどはしません。



著作物には著作権の除外規定があり、その一つに「事実の報道」があります。

誰が見ても同じ事実であるならば、そこに著作物性はない、という考え方。

写真なども、「芸術性のある写真」か「事実を切り取っただけの写真」かで判断が分かれます。



画像としての提示は、「このような誤報があったという事実の報道」をしたい、というのが主眼であり、記事内容を配信したいわけではありません。



…と、言い訳したところで、本来グレーゾーンな行為です。

日経新聞から直接警告が来た際は、画像を消去するつもりでいます。


その場合も、縮刷版の何月何日の何面に載っている、という出典掲示によって、客観性は保てます。

ただ、記事内容を読みたい人が、いちいち大きな図書館に行かなくてはならなくなるため、利便性は損ないます。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

【@azip77】 「久夛良木が面白かったからやってただけ」 プレイステーションの立役者に訊くその誕生秘話【丸山茂雄×川上量生】 http://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/2 (2017-01-28 11:05:25)

【@azip77】 参考まで、2件リンクを置いておきます。 http://anago.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1361301546/19-23n (2017-01-28 11:04:24)

【@azip77】 朝からテレビを見てたんですが、任天堂の話とネット上のデマの話を追ってるうちに、なぜかこの日記のことを思い出しました;^^ ソニー側は信用できる立場の方の証言はいくつか見つかりますが、任天堂側、特に荒川氏への取材などが全くでてこないので、なんともまとめにくい感じですねえ。。 (2017-01-28 11:03:34)

グレゴリオ暦の制定日(1582)  2015-10-15 21:15:58  天文 今日は何の日

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今日はグレゴリオ暦が制定された日。


ただし、イタリアでの話ね。

グレゴリオ暦を定めたのは、ローマ教皇グレゴリウス13世。

ローマ教皇だから、その勢力範囲はイタリア・スペインあたりなのだ。


ともかく、1582年の10月15日に、グレゴリオ暦は定められた。


ちなみに、この「10月15日」は、グレゴリオ暦によるもの。

その後はずっとグレゴリオ暦なので、今の 10月 15日と同じ意味だ。



じゃぁ、その前は10月15日は10月15日ではなかったのか、という話になる。

そう、違った。前日はグレゴリオ暦ではなく、ユリウス暦となっていて、10月4日だった。


つまり、グレゴリオ暦の1582年10月15日は、ユリウス暦の1582年10月5日だった。



…そろそろ混乱してきましたね?




ユリウス暦は、紀元前から使われていたカレンダーの計算方法だ。

厳密にいえば、紀元前 45年の1月1日から始まっている。


ただし、この「1月1日」というのは、現代的な表現だ。

当時は月に名前をつけ、その名前で表現した。今でもその名前で呼ぶほうが多いけど、ともかく当時は「1月」とは言わない。


古代の天文技術というのは結構優れていて、1年が365日と1/4くらい、と理解していた。

そこで、1年は365日、ただし4年ごとに閏日を挟むことになった。


暦は春、3月から始まる。

3月は、31日まで。4月は30日まで。

以降、奇数月は31日、偶数月は30日とすると、12か月で 366日となる。


これだと、普段は1日多くなってしまう。

そこで、閏年以外は、最後の月である2月を1日減らして対応した。2月は 29日までだ。



ところで、「月の名前」は、最初のほうは神様の名前が入っている。でも、最後のほうは「8番目の月」とか、即物的になってくる。

ところが、ユリウス暦を定めた皇帝ユリウスは、自分の誕生日である7月に、自分の名前 Julius をつけて、July としてしまった。

以降の月は1つずれる。


次の皇帝アウグストゥスも、ユリウスにならって、続く8月に自分の名前を付け、August とした。

以降の月はさらに1つずれる。


さらに、8月を 31日にしてしまった。偶数月は 30日、という原則が、これ以降崩れてしまう。

この影響で、2月は28日までになってしまった。


そして、オクトーバー(8の月)、ノベンバー(9の月)、ディセンバー(10の月)は、それぞれ2つずれて、10月、11月、12月になった。

プログラマなしっていると思うけど、Oct は8進数、Dec は10進数ね。

オクトパスが蛸、というほうが、Oct が8、と納得してもらえる例かな。



ところで、さらに次の皇帝ティベリウスに、側近が「9月に名前を付けては」と進言したらしい。

でも、ティベリウスは「暦は皆が使うものだから、皇帝といえども自分の名前を付けて混乱させて良いものではない」と一喝したという。


かっこいいぜ、ティベリウス。




…と、上の説を中学の頃からずっと信じていたのだけど、これはどうも13世紀の学者が唱えた説にすぎず、最近の研究では違うようだ、となっているらしい。

たった今知りました。間違っているかもしれないとなっても、面白いから書いたけど。


先に書いたように、3月から暦が始まるとすれば、オクトーバーは正しく「8番目の月」だ。

だから、名前を付けて後ろにずれた、ということ自体違うらしい。


30日と31日を交互にしていたのに…というのも、ユリウス暦以前の太陰暦で大の月と小の月がぐちゃぐちゃで、それをそのまま受け継いだものらしい。


アウグストゥスが自分勝手な間抜けではなかった、ということだ。




それはさておき、ユリウスとアウグストゥスによって完成した「ユリウス暦」は、1年が 365.25日だった。


実際の地球の動きは、1年が 365.2422 日なので、そのままだとユリウス暦は少しづつ早くなっていってしまう。

大体、1年で675秒ずれる。1日は 86400秒なので、128年たつと1日分ずれる。


紀元 325年に、春分の日を3月21日とする、と決められた。

しかし、やっぱり少しづつずれていく。


このずれが、1500年代の後半では、325年と比較して、およそ 10日分ずれていた。

(1582-325 = 1255 。128年で1日、と考えると、およそ10日ずれる計算で合っている)



そこで、グレゴリウスが、暦の計算方法を改めた。

128年で1日早まるのだから、100年に一度は「閏日をなくす」ことにした。

これだと、まだ28年分の端数が出る。そこで、400年に一度「やっぱ閏日を入れる」ことにした。


まだ400年で12年分の端数が出ているが、そこまでは考慮しない。

これが 128年分たまったら1日ずれてしまうわけだが、4000年程度はかかる計算になる。

実用上は考えなくてよいだろう。


そして、グレゴリウスは、この暦の計算方法を使うことにするのと同時に、ずれた10日分を無理やり修正した。

そのため、1582年の 10月4日の翌日は、10月15日となったのだ。




グレゴリウス暦は、なかなかほかの国が採用するのに時間がかかった。


1752年9月14日には、イギリスが導入している。

このころのイギリスは帝国であり、アメリカを含む植民地も一斉に変わった。


このため、1752年9月をグレゴリオ暦の導入日、とする人も多い。

UNIX の cal コマンドなんか、1752年9月を表示するとちゃんと「2日の翌日が14日」の表示をしてくれる。


日本では1873年に導入している。

それ以前は、ユリウス暦ではなく太陰暦を使用しているため、12日ずれる、なんて生易しいものではない。


12月2日の翌日が、1月1日になってしまった。

しかも、十分な周知がなされないまま、無理やり導入してしまった。


実は、政府は1872年度の予算が足りなくなっていて、公務員の給与が払えない状態だった。

そこで、12月を1か月分なくすことで、早く来年度予算を決めて解決しようとしたらしい。




話はポンポン飛ぶが、「ツェラーの公式」というものがある。


グレゴリオ暦であることを前提に、年月日を元に曜日を知るための公式。


W = y + [y/4]+[h/4] - 2h + [ 13*(m+1)/5 ] + d


年は、上2桁と下2桁に分けて考える。上が h 、下が y だ。

m は月で、d が日。


ただし、年は3月に始まるものとする。1月と2月は、前年の 13、14月として処理する。


出てきた W を、 7で割った余りが曜日になる。


式の意味を解析するのは楽しいのだけど、長くなるので今はやめておく。



僕はプログラマーで、占いなんかも作ったことがあるのだけど、上の式を理解しているといろいろ応用が利く。


7で割るのではなく、6で割れば六曜に対応できる。

12で割れば十二支に、10で割れば十干に、組み合わせれば干支に対応できる。


他にも、日付によって「繰り返し」で計算する占いって、結構多い。



まぁ、占いを作るような時しか使わないので、すぐ忘れてしまう式でもあるのだけど、忘れても調べればすぐわかる。

存在を知っている、ということが大切。



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