次世代ゲーム機戦争
目次
ナムコの立場
ソニーにとって、ほぼ唯一の頼りになる援軍は、ナムコでした。
ソニーはプレステ向けに専用 LSI などの設計を行っていますが、新開発された LSI の情報などは、経済誌などでも発表されていました。
ナムコはこの LSI が業務用基板に使えるのではないか、とソニーに連絡を取ります。その際にソニーから開発中のプレステを見せられ、開発に協力します。
具体的には、かなり早い段階から開発機材を借り受け、「リッジレーサー」の移植を行っていたようです。プレステの同時発売タイトルでもありますが、移植の目的はむしろ「プレステの性能試験」でした。
ソニーにはゲーム機作成のノウハウはありませんでしたから、ナムコが具体的なゲームを作り、問題点があれば解消する、と言う方法で性能を上げていったのです。
ただ、多くの方が勘違いされているようですが、ナムコは「プレステにゲームを独占供給」するような契約は結んでいません。
ナムコはセガとも比較的仲の良い会社だったため、セガからもサターンの開発機材が早い段階から貸し出されていますし、プレステ・サターンの発売後も、サターン開発機材を借りたまま研究を続けていました。
当時のナムコは、面白いゲームを作るには開発者が自由に楽しめなくてはならない、と考えていました。そのため、どの機種で作るかはゲーム作成のチーム任せだったようです。
先に書いた通り、ナムコがプレステの開発に協力したきっかけは、ソニーの LSI が業務用基板に使えそうだと思ったからです。
実際ナムコは、この LSI を使った基板を作成しています。これは、プレステの上位互換基板でした。
この基板向けに作ったゲームは、当然プレステに移植されます。あくまでも「上位互換」なので、移植作業は必要です。しかし、サターンに移植するよりははるかに簡単です。
また、これによってノウハウが蓄積するため、別の基板からの移植や、全く新規に家庭用を作る場合もプレステが選択されることになります。
先に書いたように、ナムコ社内にはサターンのプログラムを研究していた人もいます。彼らも、せっかく研究したのだから、プレステとの違い、特に長所を社内で宣伝したようです。
しかし、サターン向けのゲームを作る、という決断に至らないまま、市場シェアはプレステに傾いていきました。
結局ナムコがサターンにゲームを発売することはありませんでしたが、これは結果論です。
プレステ発売前から決まっていたわけではありません。
ナムコはサターンの研究はしていましたから、サターンが無視できない市場規模を作り上げていれば、ソフトを供給したでしょう。
ソニーの広告戦略
セガサターンとプレステは共に1994年の年末商戦で発売されました。
1年ほどは、両方それほど売り上げにも差がなく…悪く言えば、似たような機種が2つ出てしまったので、市場は様子見でした。
値下げを仕掛けたのもプレステ。多分「自滅しなければよい」と考えていたソニーにとって、プレステは予想以上の売れ行きで、値下げしても十分に元が取れる段階に達したのでしょう。
でも、サターンの方はそうではありませんでした。業界の覇者となるのを前提として、非常に高機能なハードを作りこんでいます。しかし、ライバルの値下げに対応しないわけにはいかず、セガは赤字を出しながら追随せざるを得ませんでした。
先に 100万台を突破したのはサターン。でも、プレステもすぐに100万台を超えています。このころは、本当に互角の勝負だったと言えるでしょう。
そして迎えた1年後の年末商戦。
セガは大英断を下し、広告費に4億円を投入します。これは、当時のゲーム業界としては異例の高額でした。
それだけの金額を投入しても、プレステとの戦いには勝たなくてはならない。それがセガの上層部の判断だったのでしょう。
しかし、同時期のソニーの広告費は、まさに桁違いの40億円。
実際プレステの CM はよく見ましたし、CM プランニングも上手でした。
セガのCMでは、最後に「セガ」という音声とロゴを入れていました。
ゲームの広告に興味を持ってくれた人に、「これはセガの製品である」と伝えるため。当時としてはごく普通のCMの作り方です。
時期によってCMのフォーマットも変化します。ソニーとの戦いが長引き、なんとか興味を引こうといろいろな方法を駆使しているのですが、悪く言えば統一感がありません。
それに対し、ソニーのCMは、本体の発売告知から一貫して独特のフォーマットを定めていました。
CMの最初と最後にプレステロゴ。最初は「ポーン」という、耳障りではないが注意を引く音。最後は「プレイステーション」という音声が付きます。ソニーの名前はどこにも出てきません。
たった15秒しかない枠で、最初と最後に決まったものを入れる。「勿体ない」作り方です。でも、これによりCMの最初に注意を引くことに成功します。「見てもらう」ことを何よりも重視したのです。
一貫してこのフォーマットを使い続け、ゲームが好きな人なら最初の音を聞いただけで反応してしまう、という状況を作り出したことも巧みでした。
フォーマットの変化するセガの広告ではこうはならず、「セガ」の音声が聞こえた時には、CMは終わっているのです。
もう一つ、「プレイステーション」とだけ伝え、ソニーの名前は出さないことには、非常に重要な戦略がありました。
先に書いた通り、松下が作った 3DO が惨敗だった理由の一つは、「ゲーム会社ではなかったから」だとソニーは考えていました。
ならば、ソニーがゲームを作っている、と思わせてはならない。ソニーらしさを出してはならない。
テレビにCMを出せば、そのCMだけではなく、番組中に「提供会社」の名前が表示されます。
ここにも、「ソニー」ではなく、「プレイステーション」と表示してもらうようにしました。
今ではこうした「商品名による提供」も当たり前ですが、この時は広告業界初の試みだったそうです。
そして、用意周到に「ソニーらしさ」を消したことで、さらに次の手を打ちます。
ソニーは、ソニーが購入したCMの枠を、サードパーティ各社に格安で転売したのです。
提供会社は「ソニー」ではないですから、他の会社の広告が放映されても違和感はありません。ただ、ソニーの広告枠では、先に書いた「CMフォーマット」は守ってもらいます。
これにより、プレステのゲームCMは、ゲームの作成会社の枠を超えて「共通のフォーマット」を持ちました。これにより、プレステには非常に多くのゲームが発売されている、という印象付けに成功します。
これは、その会社が独自のCM枠を取得し、放映しているものでした。
数は非常に少なかったように思うので、ソニーがどれだけ「サードパーティ他社のために」金を使ったかがわかります。
一方、セガが提供したのは、本体の(下手な)イメージ広告と、セガの数少ないゲームの広告のみです。
もちろん、サターン用のゲームを販売する各社も広告は出しました。しかし、広告にはプレステ陣営のような共通フォーマットもなく、「セガサターンのゲームである」ことが伝わりにくいのです。
どっちのゲーム機が面白そうに見えるか、といえば一目瞭然でした。
しかし、やはり陣営全体として統一感のある広告戦略を打ち出せていたわけではありません。
さて、ここから微妙な話題を扱うので、もう一度「当時の噂」と断っておきます。
ソニーが雑誌などを発売前からうまく使っていた、というのは先に書いた通りですが、この年末商戦では、売上ランキングが異常な値を示していた、とも言われています。
ファミ通(当時の雑誌名は「ファミコン通信」)では協力店の売上ランキングを元に、全国での販売数を推計してランキングを行っています。この方法なら公平で実情を把握したデータが取れそうですが…そうではないです。
協力店はが「公平に」売っているかどうかなどわかりません。協力店は明かされていますから、その店に謝礼を渡して特定ソフトの販売に力を入れてもらうことも可能ですし、大量に卸した上で全部買い取れば「飛ぶような売れ行き」にできます。
「推計」の方法だって、公開されていないブラックボックスです。雑誌のスポンサーとしてメーカーが多額のお金を出している場合、そのメーカーのソフトに有利な推計が行われるかもしれません。
そして、プレステのゲームは「生産枚数以上に売れる」というおかしな自体が多発します。もちろん、ランキングの上位はプレステが占めることになります。
ランキングだけではありません。4人のライターがそれぞれゲームをプレイし、独立して評価を行う「クロスレビュー」のコーナーでも、プレステのゲームはサターンのゲームに比べて高得点を得る傾向にありました。
ソニーはファミ通に広告をたくさん出していましたが、広告ページだけでなく、ファミ通全体を買い取ってスポンサーとなったのだ、と噂されました。
…改めて明記します。すべて、「当時の噂」にすぎません。事実かどうかは不明ですし、ファミ通の名誉を棄損する意図もありません。
クロスレビューの点数が本当に偏っていたのかは集計すればわかるでしょうが、そのような検証はしていません。
そもそも、当時ソニー陣営は生産枚数なんて発表していないので、何を基準に「生産枚数より売れた」と噂されていたのかすらわかりません。
僕自身は当時セガ陣営の末席にいた形(ST-V のゲームを作る会社にいた)なので、この噂はセガ陣営の妬みから誰かが言いだしただけの、デマなんじゃないかとも思います。
それでも噂をわざわざ書いたのは、こんな噂が出るほど当時のソニーは広告上手だった、と示したいためです。
当時は「ソニーがファミ通を買い取った」という噂を否定できないほど、ソニーは広告上手だったのです。
ともかく、雑誌での広告、テレビでの広告、売上ランキング…すべて「プレステの方が面白そう」に思えるのは事実でした。
ソニーは、参入前にゲーム業界の「ゲーム会社と熱心なファンの関係」を恐れていました。松下が、この密接な関係に入り込むことができず負けたためです。
そのため、ターゲットにしたのは「普段ゲームを遊ばない層」でした。
ゲームを遊ばないから、ゲーム業界に新規参入したソニー製品でも買ってくれる。性能や細かなスペックとかではなく、ゲームの雰囲気を楽しんでくれる。そういう層を相手にし始めたのです。
ソニーは巧みな広告戦略で、こうした層に「プレステの方が面白そう」に見せることに成功しましたし、それで十分でした。
ゲームを遊ばない層が、サターンではなくプレステを買い始めました。
そして、ゲームを遊ばない層の人数は、ゲームファンよりもずっと多いのです。
これによって流れが傾き始めると、ファイナルファンタジーが、ドラクエが、相次いで「プレステで作成する」と発表します。「面白そう」に見せることでお客さんの流れを作り出し、実際に面白いものを陣営に引き込む。
面白そうだと思ってくれたお客さんに対しても、ちゃんと責任を果たしています。
広告費をかけてシェアを奪う…というと聞こえが悪いのですが、そこにあるのはお客さんの心理を読み、ニーズにしっかりと応え、商売をうまく回す方法でした。セガは「ゲーム業界」の中では大企業でしたが、ソニーと比べれば井の中の蛙、大人と子供の勝負でした。
これにより、市場は一気にプレステに傾きます。ここに、サターンとプレステの「次世代ゲーム機戦争」は事実上勝敗が決し、プレステが市場を支配するのです。
サターンの話を調べていると、「ファイナルファンタジーがサターンで出ていれば…」と、FFのプレステ発売が決定的だったようにいう人が多いようです。(半ばテンプレ化している)
しかし、FFがプレステで発売を決定したのは、プレステの方が販売台数が多いから、という事実に基づいた経営判断にすぎません。
じゃぁどうしてそうなったのか…と調べていくと、発売前から「3D性能」とか「参加企業の数」でソニーに勝負を仕掛けられ、同じ土俵に乗っかってしまったときから、勝負はソニーのペースになっているのです。