元箱根には「箱根杉並木」が現在でも残っていて、直径2mはあろうかという大きな杉が立ち並んでいます。
藤沢・平塚・大磯あたりでも見られたように、旧街道は海沿いを通っているために松並木が多いらしいのですが、箱根は山の中ですからね。
ところで、この杉並木周辺の森…「緑は友達国有林」と名づけられているようです。森林管理所も不思議な名前を付けるなぁ。
その杉並木を越え、10分ほど歩くといよいよ箱根の関所です。
箱根越えが東海道の旅で一番大変だった…というのは、山が厳しいことよりも関所の取調べが大変だったから、だそうです。
大変なだけで、厳しいわけではないというのがミソですね (^^; 今も昔もお役所仕事というのは遅かったようで、ここで待たされるのが大変だったようです。山の中で日が暮れたら大変なので、待っている間は気が気でなかったのでしょう。
とはいえ、もちろん現代は取り調べも何もありませんし、だいたい関所自体が発掘調査中です (^^;
平成19年には復元が完了するそうですが、今は工事現場が見えるのみ。
関所を越えて少し歩くと、いよいよ箱根峠です。広重が描いた「箱根」がどこかはわかっていませんが、僕は箱根峠を想像で描いた構図ではないかと思っています。
なにぶん広重の絵が「想像」だと思われるので、写真も同じような構図にはなりません (^^; だって、どう見ても鳥瞰視点で描いているのだもの。
ちなみに、写真は峠のちょっと手前にある「道の駅」から撮影。旧街道からは外れていて、無意味に200mほど往復しました。
箱根峠…つまり「道沿いで一番高いところ」は、現在はゴルフ場に入る道になっています。本当にこの道であっているのか…と不安になりながら進み、峠を越えて下ります。12時45分、どうやらこれで静岡県入りです。
もちろん、ゴルフ場への道を峠と呼ぶのは一般的ではないため、その道を下った先に「箱根峠」という名前の交差点がありました。坂を下った先に峠があるとはこれ如何に。
この先で、道を間違えて300mほど車道沿いに進んでしまいます。どうもおかしいと気付いて戻ってみると、ちゃんと「旧街道」の看板は出ていました。
ただ、県が変わったので看板の形状などが全然違っています。神奈川では旧街道を示す看板はかなり大きかったのですが、静岡では小さめ。そのかわりに神奈川よりも頻繁に看板が出ていて、とても親切です。…そりゃぁもう、おせっかいなくらいに。
「この先記念碑あり」「すべりやすいので注意して歩いて下さい」「横断歩道を渡りましょう」「道路の横断しないで下さい」「この先で飲食できます」…などなど。
場合によっては、この看板どおりに動かないといけないような雰囲気で、スタンプラリーでもしているような気分になります。ここまで細かく指示する必要があるのでしょうか?
ここら辺からは快調に歩いていきます。道は緩やかな下り坂ですし、道に迷うようなところも(おせっかいな看板のおかげもあって)ありません。それに何よりも見所が何もありません (^^;
1時20分頃、山中新田の一里塚をすぎます。50分頃には雲助徳利の墓を越え、2時半には笹原新田の一里塚へ。
説明が必要なのは雲助徳利の墓だけかな…
雲助っていうのは、かごや荷物を運ぶ人足ですね。力持ちで荒くれ者が多いので、怖がられた存在でもあるようです。
しかし、学もあって面倒見の良い雲助というのもいたそうです。酒飲みなのがタマに傷。その人が死んだ時に仲間が作った墓が「雲助徳利の墓」だそうで、墓に徳利と杯が彫ってあります。
この墓、昔は違う位置にあったのに、いつのまにかここに移動していたそうです。「酒飲みの墓なのでふらふらして一箇所に落ち着かない」と書いてある説明にセンスのよさを感じました。
さて、笹原新田の一里塚を越えると住宅地に出ました。そのうち一軒の庭先で、なんだかオレンジ色のものがぽこぽこと動いています。
なんだぁ? とよく見ると、農家のおじさんが機械でニンジンを洗っているのでした。
「いいなぁ、新鮮なニンジン食べてみたい」と妻。妻は生の野菜をそのままかじるのが好きです。本人いわく「うさぎみたいに」だそうですが、僕から言えば「馬みたいに」。
「食べてみたいなら、一本だけ売ってくれないか交渉してみる?」と僕。妻もしばらく悩んでいましたが、思い切って頼んでみることに。
「すいません、このニンジン一本だけ売ってくれませんか?」妻が尋ねると、おじさんは怪訝そうな顔をしてこちらを見つめ返しました。
「これ採れたてなんですよね? ニンジン好きなんで、採れたてを食べてみたいんですよ」と続けます。この「ニンジン好き」という言葉を聞いた瞬間、おじさんの顔が明るく変わりました。
「あぁ、いいよいいよ。これなんかどうだい」と大きなニンジンを選んでくれます。いや、歩きながら食べるつもりだからもっと小さいので…というと、それでも十分に大きなものを手渡してくれます。
「いくらですか?」と聞くと、「タダでいいよ。持っていきな」と気前が良いです。十分お礼をいって、お言葉に甘えることにしました。
喜んでニンジンをかじってみると、非常に瑞々しい味がします。妻の言う「スイカのようだ」というのはオーバーな表現ですが、普通に売られているニンジンよりは、ずっと水分が多いのは確かです。
おいしいなぁ、といいながら交互にニンジンをかじりながら下り坂を歩いていると、なんだかどんどん坂が急になっていきます。
ここが「こわめし坂」でした。米を背負って上ると、背中にかく汗で米が蒸しあがって こわめしになる…と表現されるほどの急坂です。
これほど急坂だと、下るにしても普通に歩くことは出来ず、勝手に小走りになってしまいます。
こわめし坂を下りきったところで、足が痛くなって来たので少し休憩し、テーピングを直します。
雪の中を歩いたので靴の中が濡れ、テーピングの粘着力が弱くなっていました。そのせいで、足の裏がヒリヒリしていたのです。
濡れた靴下も交換し、ふたたび準備万端。いつのまにか雪もすっかりなくなっていますし、これ以降靴が濡れることも無いでしょう。
その後は、また何事も無く歩き続きます。
なぜか13体ある六地蔵を越え、錦田の一里塚をすぎた頃には3時半でした。ここまでくれば、三島は目の前です。
今回、山越えで八里(およそ30km)ということで、三島につく頃にはボロボロになっているのではないかと考えていました。しかし、もうすぐ三島だというのに、体力はありあまっているし足も痛くありません。
妻も考えは同じようで、次の沼津…いや、時間に余裕があればさらに次の原まで行ってみようということになります。
初日と同じく、「当時の人は12時間がタイムリミットだったろう」という考えで、夜8時をタイムリミットとします。
三島から原まではおよそ12km、3時間で歩けます。三島を4時過ぎに出たとして、夜8時までに原というのは無理ではない感じです。
いよいよ三島宿に入る手前、大場川の横にあるコンビニで、おやつを買ってトイレを借ります。甘いお菓子を食べながら歩くと、多少の疲れも吹き飛びます。俄然やる気になってきました。
さぁ、いよいよ三島に入ります。