舞阪  2003/7/18 8:40  「荒井」まで 5.9Km

浜松に泊まった翌日、朝5時に起きて歩く準備をします。

簡単な身支度を整えるだけ…ならすぐできるのですが、足の裏にテーピングをするのが案外時間がかかります。


前日買った葛餅を「おめざ」に食べて、出発は6時。

浜松ならファミレスくらいあるだろうから、見つけたらそこで朝ごはんを…と考えたのですが、ファミレスはなかなか見つからないまま、市街を抜けてしまいます。

歩くこと1時間半。やっとサークルKを発見し、「アチアチバンズ・スパイシーインドカリー」(128円)と「はちみつ&ホイップクレープ」(150円)を買います。

おやつ程度ですが、この時点ではまだ、「朝ごはんはちゃんとしたものを」と考えていたので、それまでのつなぎ。


…しかし、食べれる時に食べておくべきだと痛感したのはしばらく後。

道は大通りをそれて住宅街へ。ファミレスどころか、コンビニも見当たらなくなります。


ガイドブックなどには「浜松から舞浜まではなにもなくてつまらない」と書かれていましたが、本当に何もありません。

いや、観光地なんか求めているのではないです。せめて、歩いている時に話の種になる、バカな看板があるだけでもいいのです。

それすらないのは歩いていてつらいです。

篠原一里塚サークルKを出た後の住宅地で篠原一里塚を発見しましたが、他には特筆すべきものは無し。

その後は延々と歩くこと2時間。道は舞阪へと続いて行きます。



舞阪松並木8時45分、道は松並木に入りました。舞阪宿の手前にある、舞阪松並木です。もっとも、今の松並木は再現されたもの。(一部に当時の樹を使っているのかも知れません)

江戸時代よりも規模が小さくなっているとは言っても、いまでも十分立派な道です。



道の片側には広重の東海道五十三次を描いたモニュメントが並び、「舞阪」の部分だけが大きく作られています。

もう片側には、十二支を表した彫像が並び、江戸時代の十二支の意味…時間や方角、季節などを説明していました。

両側にいろいろと配置してあるだけでも、この松並木の整備に力が入っていることがわかります。


浪小僧松並木を抜けたところに、「浪小僧の像」と言うのがありました。

説明によれば、漁師の網に海の底に住む子供がかかって命乞いをしたという伝説があるようで…

…いや、稚児橋もそうだったけど、それ絶対近所の子供のいたずらだと思うぞ (^^;;


稚児橋は江尻にあった橋です。たいしたものではないのでこの旅行記では取り上げてなかったのですが…
 「橋が完成し渡り初めが行われる日、川から現れた稚児が、誰よりも先に渡ってしまった」という伝説があるのですが、それって絶対近所の子供のイタズラ(笑)


舞阪の見附石垣舞阪一里塚少し歩いて9時すぎには舞阪宿に入ります。入り口には見附石垣というものがあり、妻がものめずらしそうに見ています。「関東ではあまり見かけない石で出来てる…なんだろう」。妻は大学で地学を専攻していました (^^;

宿に入ってすぐのところには、舞阪一里塚もありました。


脇本陣茗荷屋舞阪には、脇本陣「茗荷屋」がありました。

本陣とは、大名のみが宿泊できる旅館のこと。宿泊できるのは本当に大名1名のみで、連れのものは近くの旅籠に泊まらなくてはならなかったとか。1つの本陣で1名しか宿泊できないので、全ての宿で十分な数の本陣を準備するように幕府によって定められていました。

しかし「大名のみ」を相手にしていたのでは、高いお金をもらっているとしても商売になりません。そこで、本陣は最小限だけ用意して、複数の大名が同時に宿に来た時にだけ本陣として使われる「脇本陣」が作られるようになりました。脇本陣は、普段は町人でも宿泊ができる高級旅館です。


東海道旅の目的は歩くことで、あまり遺跡には興味ない…と思っていたのですが、脇本陣が残っているのは東海道中ここだけ、と聞いて覗いて行くことにしました。


茗荷屋見学の様子は、社会科見学コーナーにそのうち書く予定です。(予定は未定という言葉もあるが… (^^; )

渡船場跡15分程度の見学を済ませて脇本陣を過ぎると、舞阪宿は終わり。すぐに渡船場跡へと出ます。

昔は、ここから今切の渡しを使って荒井宿へ向かったそうです。しかし、現代の旅人は弁天島を経由して、橋で湖をわたります。


弁天島は江戸時代からあった島ですが、近代になって埋め立ても進み、温泉客・海水浴客でにぎわう一大リゾート地となりました。

…しかし、それもすでに昔の話。いまとなっては寂れています。大きなホテルだったらしい建物も「テナント募集中」の垂れ幕がかかっています。


大衆食堂まるまん弁天島駅前で、「大衆食堂まるまん」を発見します。どこにでもある大衆食堂なのですが、これがなんとありがたかったことでしょう!

もう空腹も限界、食えるものならなんでもいいという気持ちで店に入ります。

食べたのはラーメン(450円)とカツ丼(600円)。味はまさに大衆食堂の味(笑)。でも、腹が満たせたのでとりあえず満足。朝5時おきで歩いているのに、朝ご飯は10時だったということになります。

そのまま弁天島を歩き続け、通り抜けます。橋をわたって荒井宿のほうへ。

ここまできてやっと、「舞阪宿」の風景写真を撮ることが出来ました。


広重「舞阪」現在の「舞阪」



橋の上から撮ったのが上の写真。

広重の絵とは全然違いますね。毎度泣き言ですけど、あの構図の写真は無理(泣)


広重の絵は、「今切」と呼ばれる、浜名湖と海がつながった部分を描いたものです。今切をわたる渡し舟がたくさんあります。

そして、写真は別角度ではありますが、その今切を撮影したもの。今切をわたる自動車道が写っています。中央付近の下の部分、陸地が切れて海になっているのがわかるでしょうか?(手前に防波堤があるのでわかりにくいのですが)


延々と歩きつづけ、10時50分、JR新居町駅につきました。

なんだか今日は暑いのと、空腹で歩いたのと、浜松のアスファルトが固かったので疲れました。

まだ午前中とはいえ、もう4時間も歩き通しです。少し休むことにしましょう。駅前の公園を見つけ、そこで腰を落ち着けます。


新居駅前公園の噴水公園には、謎の噴水がありました。これを見て思い出しました。ここらへんって、手筒花火が有名な地域だっけか。

しかし、手筒花火って命懸けで勇壮な祭りだったはず…幸せそうに笑いながら踊っている君らはそれでいいのか。

頭上の「天下泰平」「五穀豊穣」などの文字が、さらに平和さを醸し出しています…



ベンチに座り、靴を脱いで足を休めます。さすがに2日連続なのでもう足の裏がいたくなって来ています。入念にマッサージ。

20分ほど休息をとり、十分に体力が回復したので再び出発。駅前には山頭火の句碑がありました。

   水のまんなかの道がまっすぐ

道がまっすぐ…。山頭火はこのフレーズが好きだったのかな。今回の旅はまっすぐな道でつまらん。もっと笑えるものがほしい。


当時、週間モーニングに「まっすぐな道でさみしい」という山頭火の伝記漫画が連載中でした。このタイトルは、山頭火の詠んだ句でもあります。

(ページ作成 2003-09-29)

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