小田原  2003/2/9 12:15  「箱根」まで16.5Km

広重「小田原」現在の「小田原」



酒匂(さかわ)川を越えると、いよいよ小田原宿までわずかです。

広重は、この酒匂越えを絵に描いています。江戸時代にはここには橋はなく、渡し舟か人夫に担いでもらうしかありませんでした。

多摩川に橋がなかったのは急流で流されやすかったからですが、酒匂などの大きな川に橋がないのは政治・軍事上の理由です。少人数ずつなら渡れても大人数では渡れないようにすることで、大規模な軍事行動などを封じる効果がありました。


僕のとった写真の方…ここで何枚か写真をとったのですが、川を写したものを載せておきます。というのも、現在では大きな橋が架かっているため、向こうに山が見えるように橋をとった写真は、どうも「川越」の雰囲気が出ないためです。

広重「小田原」後摺また、当日は明け方まで雨が降っていたせいで遠くがかすんでいて、山が良く見えなかったというのもあります。

山といえば、上に掲げた広重の絵は、箱根の山をずいぶん誇張してあります。箱根は実際険しい山なので雰囲気は出ているのですが、さすがにこの誇張は問題があったのか、後に改定して左のような絵に直しています。




酒匂を越えたあたりで、自転車に乗ったおっちゃんが追い越していきました。すこし先で自転車を止めて振り返り、「そこの道を左に入るんだよ!」と叫んで走り去ります。

…??? いったいなんだっていうんだ?


地図で調べてみると、たしかにおっちゃんのいうとおり、左に曲がる道が旧道となっています。とはいえ、ほんの10m ほど自動車道から離れているだけなのですが…

この道をおくまで進むと、新田義貞の墓があるようです。

「新田義貞って誰だっけ?」と妻に聞くと「たしか鎌倉時代の人で、尊王派の人じゃなかったっけ?」との答え。二人とも興味はないので、無視して先に進むことにします (^^;

まぁ、せっかくおっちゃんが教えてくれたので、わずかな距離でも旧道は通ることにしましょう。


小田原一里塚その後もひたすら歩き、12時40分に小田原宿の入り口である江戸口見附に着きます。ここは、同時に一里塚跡でもありました。

ここにも説明があります。「見附とは見張番所であって、武器を用意し昼夜警戒に当たる場所であるが…」

へぇ、見附って宿の端を意味しているだけかと思ったら、そんなに物々しい警戒してたんだ、と少し驚きます。


ここで驚いたのは、もちろん僕の勘違い。ここはただの宿ではなく「小田原城の城下町」だったから警戒が厳しいだけ。そのあたりまえのことに気付いたのは、小田原宿のもう一方の口となる上方見附でもう一度同じような説明を読んだ時でした (^^;


さて、今日の目的地小田原到着! 今日はここで歩くのをやめるつもりでした。しかし、歩きながら妻と相談します。

今日の予定では、この後小田原駅から電車に乗って風祭まで行くつもりでした。風祭には温泉や地ビールレストランがあるので、たまには遊ぶのもよいかと思ったのです。

しかし、地図を良く見ると旧街道から小田原駅まではずいぶん離れています。その一方、風祭駅は旧街道沿いです。

「でも、宿場単位で歩きたいんでしょ?」と妻。まぁ、それはそうなんですけど…


江戸時代の旅人は、公式には宿場にしか泊まる事が出来ませんでした。僕もそれに倣って歩きたいので「宿場単位で歩く」ことを自分に課しています。しかし、実は小田原に関しては江戸時代から裏技があったようで…


  • 小田原は城下町で堅苦しい規制が多く、宿泊してもつまらなかった
  • 小田原の次は厳しい箱根越えで、翌朝のスタートを出来るだけ山の近くにしたかった
  • 小田原から箱根寄りのところには「箱根湯本」という湯治場があり、旅人ではなく「湯治客」であれば宿泊できた

こんな理由で、箱根湯本に湯治客と偽って宿泊する旅人は多かったといいます。宿泊客が少ないから旅籠も減り、旅籠が少ないから客が逃げる…という悪循環で、江戸末期には大名以外で宿泊する客はほとんどなかったとか。

今回は、僕もそれに倣って「宿単位」で歩くことにはこだわらないことにしました。


ところで、こんな話をしている間に「唐人町」というところを通りました。小田原近辺に流れ着いた唐人を住まわせた地区らしいです。日本海側かどうかはともかく、やはり唐人は流れ着いていたんだ、と確認しました。


川治食堂さて、時間はそろそろ1時です。風祭の地ビールレストランで昼飯を…とか思っていたのですが、歩くのであればまだ時間がかかるし、ここらで昼飯にしましょう。


東海道沿い、小田原城の近くにいくつか店が並んでいます。その中で、なんとなく美味そうだった「川治食堂」へ。

お茶のサービスがうれしい食堂に入ってすぐ、お茶が大き目の急須…というより、小さなやかんで持ってこられます。疲れた体に、自由に飲める濃い緑茶がおいしい。

名物メニューが多いようで、たずねるといろいろと教えてくれるおばちゃんも陽気でいい雰囲気です。この食堂、気に入りました。


あなご丼めかぶ丼頼んだのは、僕があなご丼(700円)、妻がめかぶ丼(700円)です。どちらも味噌汁、御新香付。

味はもちろんおいしいです。店員が朗らかな店は大抵おいしい :-) 御新香には最初から醤油がかかっているのが、ダメな人にはダメかも。



1時30分、ふたたび出発します。ここから風祭は、距離にして2Kmほど。歩けば30分の距離です。

実際、なにごともなく2時には風祭到着。


小田原温泉「八里」風祭には「小田原温泉」があります。ここ自体は戦後になってから掘り当てられたものらしく、江戸時代にはなかったわけですが日帰り入浴するには安くてちょうど良いです。

…が、結局僕らは入りませんでした (^^; 鈴廣で遊んでいたら時間がなくなってしまって…

鈴廣で何をしていたかは別記事に譲りますが、風祭周辺は鈴廣の施設がひしめいています。

ここに来るのは3度目ですが、十分楽しめます。こうなるとただの かまぼこ屋・土産物屋でなく「かまぼこテーマパーク」と呼んでも良いくらいです。

結局、楽しみにしていた地ビールレストランで4時半頃に早めの夕食を取り、この日は終了としました。


今回の旅のデータ

旅行日時2003/2/9 7:30〜14:00
歩いた時間6時間00分 (うち、休憩30分)
歩数(万歩計)約25000歩
歩いた距離およそ21km
交通費大船〜平塚 320円*2
風祭〜大船 830円*2
食費朝飯(出発前) マクドナルド 360円(朝マックセット)*2
昼飯 川治食堂 700円*2
箱根ビール蔵2623円
その他費用かまぼこ作成体験 1575円*2
費用合計10193円

費用の半分は、風祭で遊んだ分ですね (^^;

(ページ作成 2003-02-23)

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