目次
2026-03-13 【訃報】トニー・ホーア
2026-02-28 ビーチコーミング
2026-02-25 ネトフリ
2026-02-01 テレビとビデオの不調
2026-01-21 照れ臭い
2026-01-10 新書
2026-01-08 【訃報】デビッド・ローゼン
今月の日記
3月5日に、トニー・ホーア氏が亡くなったらしい。
…いや、すみません。正直自分でも誰だったかわかってませんでした。
チャールズ・アントニー・リチャード・ホーア 享年92歳。
クイックソートの発明者だそうです。
大学の時にソートアルゴリズムいろいろ習ったのを思い出します。
ソートって、プログラマには当たり前すぎる概念なのだけど、何らかの基準に従って「並べる」ことを意味します。
エクセルなんかでも、特定の列の値に従って、行を並び替えたりできますね。あれがソート。
ソートって、「比較」と「データの移動」が非常に多いので、どうしても遅くなる傾向にある。
コンピューターって、メモリのアクセスが遅いのね。仕組み上、計算よりずっと遅い。
クイックソートでは、比較と移動のやり方を工夫していて、非常に速いです。
でも、実はこの工夫が「ちょっとしたズル」になっていて、事前のデータの並びによって、必要な計算量が激しく変わる。
プログラムの種類にもよりますが、「最悪の時の速度」を確保するのが必要な場合があります。
そういう場合には、クイックソートは余り使えない。
もっとも、クイックソートと、別のソートアルゴリズムをうまく組み合わせると、この最悪を避けられることも知られている。
こうした「組み合わせ」アルゴリズムはいろいろと考案されていて、別の名前がついていたりもする。
その意味では、クイックソートは「ソートの基本アルゴリズム」の中では最速で、これを考案したのはすごい人だと思う。
ホーア氏は計算機科学者で、クイックソートは「わかりやすく有名なもの」の一つに過ぎない。
特に「ホーア論理」で知られるそうです。
ごめんなさい。こちらも僕は認識していなかった。
ただ、「そういうものがある」というのは聞いていました。実際使うのは非常に難しいのだけど…
ホーア論理、プログラムが「バグがない」と証明するための、数学的な定義です。
バグがないプログラムというのは理想だし、僕もプログラマとして目指している所ではあるのだけど、人がやることはどうしても間違いを含んでしまう。
ホーア論理は、プログラムにとはなにか、ということを「数学的に」定めたものです。
数学的なので、いろいろと記号に置き換えて論じているからややこしく見えるけど、別にその記号じゃなきゃいけない、というわけではない。
具体的には、プログラムを6つの機能の組み合わせと見て、それらが正し組み合わされることで目的通りの動作をするのであれば、バグがないプログラムと見なす。
実際のプログラム言語をホーア論理を使用してチェックするようなシステムもあるんだそうです。
僕は使ったことないですが。一般に広まってない、ということは、チェックできるようにプログラムの書き方に制約があるとか、どんなプログラムにでも適用できるようなものではないのでしょう。
ただ、ホーア自身が、1995 年には、この方法で「バグがない」ことが確認できるのは非常に小さなプログラムだけで、現在の(1995年時点での)プログラムでは役に立たない、というようなことを言っています。
null 参照、という概念も、ホーア氏が「発明」したものだそうです。
コンピューターのメモリは、アドレス(番地)で区別されます。
プログラム内で、いろいろなデータは「変数」に入れられて保存されますが、この変数の正体は、アドレスで示されたメモリ。
ここで、「アドレス自体が存在しない変数」というのが null 参照です。
変数と書いてしまったけど、アドレスが示すメモリが変数だと考えると、「変数ですらないもの」です。
プログラム馴れしていない人には奇妙に思えるかもしれませんが、これはこれで便利なんですよ…
でも、ホーア自身は、null 参照の発明を悔いていました。
「プログラム馴れ」した人なら使いこなせても、プログラム初心者には使いこなせない。
概念すら理解しづらい。
そして、概念もわからずに使っているものは、必ずバグの温床になるのです。
ホーアが残した言葉。(うけうり)
ソフトウェアを設計するには、2通りの方法がある。
1つは、とてもシンプルに設計して、明らかに欠陥がないようにすること。
もう1つは、とても複雑に設計して、明らかな欠陥がないようにすることだ。
前者の方がはるかに困難である。
「明らかに」と「明らかな」なのが大事。
「明らかに」は、バグがないことを保証している。
「明らかな」は、目立つようなバグは無い、というだけで、保証はできていない。
でも、プログラムって、コンピューターの力を借りたいほど問題が複雑だから作られるの。
バグがないほどシンプルなプログラムで、役に立つような動作ができるなんてことは、多くない。
だから、「前者の方がはるかに困難」。
…DJB なんかは、この困難を実現した例ですかね。
メールサーバーが有名だけど、動作を分割して別々のプログラムにしてしまった。
一つ一つのプログラムはシンプルで、「明らかに」バグが無いようにしてある。
全体としてはそれなりに複雑なことをしているのですが、実際長年バグが見つからないままです。
(全く見つからないわけではないが、他のソフトに比べると非常に少ない)
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別年同日の日記
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話は1週間前に遡る。
先週土曜日、受験が終わった長女と、次女が一緒に献血に行った。
以前から「行ってみたい」とは言っていたところに、高校生が今行くとプレゼントがもらえる、というキャンペーンをやっていたのだ。
買い物に出るついでに駅まで送ったのだが、その最中に長女が「受験も終わったし、海行きたい」と言い出した。
以前から、ビーチコーミングしたいと言っていたのだ。長女は小学生のころから貝などを集めるのが好きだったが、ここ数年はシーグラスを集めている。
特に、2年前にカドミウムグラスを拾ってから、紫外線ライトを持って夜のビーチを歩きたいと言っている。
じゃぁ、今夜行ってみるかー、などと言ってみたが、妻が調べたら先週は夜満潮。ビーチコーミングには向かなかった。
そして昨日金曜日、僕が仕事がちょっと手間取って夜7時くらいに終わり、居間に降りていくと「ビーチコーミングに行く!」という状態になっていた。
妻から相談を持ち掛けられる。次女と妻の二人で自転車で行くか、車で送ってもらって、ビーチコーミング中に僕は食材の買い出しでもしてもらうか…
え、ちょっと待って。送るのは全然かまわないが、僕は食材の買い出しじゃなくてビーチコーミング付き合いたい。
そしたら長男も「面白そうなことするなら付き合う」と。次女も行くと言い出した。学年末試験中なのに。
このフットワークの軽さは我が家らしい。
7時から30分で夕食を食べ、7時半過ぎに海へ出発する。
海へは自転車でも行ける距離ではあるが、ちょっと遠い。
車だと自転車で行ける「最短の道」を通れないので、時間的には30分ほどかかる。
しかしまぁ、8時前には材木座海岸につく。
夜の海は真っ暗だ。とはいえ、すぐ横を自動車道が通っているので、怖いほどではなかった。
この日の為に、数か月前から紫外線ライトを買ってあった。でも、1つしかない。
そもそも来たがっていた長女にライトを持たせ、海辺散歩。
海辺につく前の砂浜で、漁に使う網の切れ端が光っていた。
なるほど。プラスチック片で光るものがある、とは知っていたが、網の糸とかでも光るのか。
この糸のきれっぱしだけで、普通のライトだと周囲の砂に紛れ込んで見えないが、紫外線ライトだとはっきり見える、と盛り上がる。
そして波打ち際へ。
当初想定では、目的のウランガラス類とか、蛍光塗料を含むプラスチック片とかは光るだろう、と思っていた。
しかし、一部の貝や海藻も美しく光る。予想外に光るものが多く、面白い。
次女は高校で写真部に入っているので、なんとかスマホカメラで夜景を撮ろうと苦心している。
スマホカメラでは三脚が使えず長時間露光が難しいので、角度が自由にできる「スマホスタンド」を持ってきていた。でも、当然砂浜に置くと視線が低すぎて風景が映らない。
「あそこら辺にある漁船を借りて、高い位置に置けばいいよ」とアドバイスすると、しばらく何やらやっていた。
戻ってくると、「タイムラプス撮影して見た」と車道風景の光の点が高速に動く画像を見せられた。結構面白い。
しかし、夜景は「光のきらめき」が面白いのであり、動画ではなく「写真で」となると思ったように綺麗さが出ないらしい。
そこは、一眼レフ持ってても難しい部分だからね。
所で僕は、材木座海岸に来てからなんとなく「♪ざざざ 材木座~」と歌っていた。
この歌、鎌倉市民なら誰でも知っていて欲しい曲。…知っていて欲しいだけで、多分知っている人少ない。
かくいう僕もサビしか歌えない。
思い立って Amazon music で探してみる。タイトルすら知らないけど「材木座」で探せば何とかなるだろう。
「That's 材木座」という曲だった。
しばらく音楽を流しながら散策。
いや、材木座海岸でこの歌を聞いてみたかっただけ。
さて、長女の方は、思ったより光る貝殻などがあるので、とりあえず拾っている。
目的は「光るシーグラス」なのだが、それが珍しいこともわかっている。見つからなくても、興味深いものは拾っていこう、という考えだ。
歩くうち、赤く光る小さな透明な破片があった。
これはガラスかも! と少し盛り上がる。
探してみればあるもんだ。その後も、黄色っぽいものも数個。
しかし長女は言う。
シーグラスなら角が削れていて、全体にすりガラスになっているはずなのだが、そうなっていない者ばかり。プラスチック片かも。
なるほど。ガラスは堅いが脆いので、波で削られて角が丸く、表面はすりガラスになる。
しかしプラスチックは粘りがあるので角が削れないし、表面も綺麗なまま。
まぁ、家に帰ってから詳細に見ることにして、気になるものは拾っていく。
材木座海岸を葉山方面に歩いていたが、トンネル近くまで来てしまったのでまた戻る。
帰り道で、大きな光るものを発見した。
最初はプラスチックかと思ったが、大きいが分厚く、硬い。これは明らかにガラス。
光る色もウランガラスと思われる色だった。
これはウランガラスかも。しかも大きい。
目的物らしきものの収穫に浮かれながら車に戻る。
1時間をちょっと過ぎていた。時間は9時過ぎ。
駐車場は1時間400円だが、ちょっと過ぎたので800円取られた。まぁ楽しかったので仕方ない。
買い物をしたいと思っていたスーパーは9時閉店なので、買い物は翌日に回す。
家に帰ってから長女が精査している。
プラスチック片だろう、と予想していた、最初に拾った赤いものは、やはりプラスチックっぽかった。
でも、その後に拾った黄色い破片は、少し重くてかたい。おそらくガラス。カドミウムガラスのようだ。
そして、大きな破片はウランガラス。探していたものを、結構な大物で拾ってしまった。
他にも拾った貝など同定し、名前や拾った場所・日時などをカードにしてジッパー袋に入れる。データが整理されていれば立派な資料だ。
翌日、僕が買い物に出たついでに100円ショップに行った。
紫外線ライトはそこで買ったものなのだ。2個売っていたので2つ買う。
合計3個あれば、次回はもっと楽しめるだろう。
今回は材木座だったが、次回はまた別の所に行ってみたい。
と言っても、鎌倉近辺だと、材木座かその隣の由比ガ浜あたりがビーチコーミングしやすいスポットなんだよね。
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別年同日の日記
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大学受験を終えた長女、発表待ちの間ひとまず羽根を伸ばしている。
「Netflix の『超かぐや姫!』が見たい」というので、ネットフリックスに加入することにする。
ネトフリ独占配信のアニメで評判が良いことは知っていた。
余りに評判が良いので、映画館で上映が始まった。でも、ネトフリの方が安いし、家族で見られるからと長女は「自分でお金を払うから」と見たがったのだ。
2時間半近く合って長い話なので、夕食の時などに少しづつ見た。
面白かった。話題になっているだけのことはある。
で、1か月たったら解約するつもりなのだが、せっかくなのでしばらくはネットフリックスの独占配信番組を見ようと思う。
今は、2025年に話題になった「新幹線大爆破」を家族で、やはり食事の時に見ている。
僕一人で、家事の合間に元ネタとなった 1975年版「新幹線大爆破」を見た。
スピードの元ネタになった映画、とよく聞くのでそういうのを想像していたが、結構違った。
スピードは「止めるわけにいかないバス」に乗り合わせた主人公の、アクション活劇だ。
でも、新幹線大爆破は、閉じ込められた乗客たちや、彼らを守ろうとする乗務員も重要ではあるが、犯人を捜して爆弾解除方法を聞き出そうとする警察の捜査や、新幹線を止めずに走らせようとする国鉄職員の苦労を描く。
(調べたら、海外版が作られた時には警察などのドラマ部分は大幅にカットされ、アクション活劇にされたらしい。それが元でスピードが作られたわけだ)
で、2025年版はまだ見ている最中で評価できないが、「速度を落とすと爆発する新幹線」という点以外は大幅に作り替えられている。
時代と技術に合わせて変えたのだろうね。そうしないと不自然だし。
1975年版では、新幹線のためにつくられた ATC が、いろいろと救出作業の妨げになっていた。
安全のための装置だから、救出の為に別の列車を近づかせようとすればブレーキがかかるし、爆弾があると思われる車両を切り離そうとしてもブレーキがかかる。
でも、2025年版では、ATC の運用はより柔軟になっていて、必要とあれば解除もできる。
それでも簡単にはいかない部分があって、ちゃんと緊迫のドラマになっているが。
普段は家事のお供として、アマプラでアニメとか見てる。
元々アニメ好きだったわけではないのだが、家事のお供にはアニメが良い。
ドラマは体で演技をしているので画面を見ていないとわからないことがあるが、アニメは声優が声だけで分かるような演技をしているので、ながら視聴に向くのだ。
見たらタイッツーに感想書くことにしている。あまりにも個人的な感想で、人様に見せるほどのものでもないので、ここの日記には書かない。
同じように、ネトフリで見たものも、タイッツーに書いていくと思う。
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別年同日の日記
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家族でテレビを見ていた時に、画面中央下あたりの輝度が安定しなかった。
蛍光灯の切れかかったような…そろそろこの表現も死語になりそうだが、明るくなったり暗くなったり不安定なのだ。
液晶テレビとはいっても、冷陰極管バックライトではない。LED なのだが、こういう動作をするということはもう寿命近いのだろう。
しばらくしたら、その不安定さはなくなったのだが、そのあたりの輝度が少し落ちているのが気になる。
その気になってみると、そのあたりだけではなく、画面に数カ所暗いところがある。
真っ白い画面などにならないと気にならないのだが、テレビ番組などで真っ白な画面が出ても、明るさにムラがあるのは「そういうデザイン」なのだと思って気にも留めていなかった。
あ、このテレビ、もう壊れかかってるんだ。
そう認識して、新しいテレビを探し始めた。
上記の「蛍光灯のように」輝度が変わったのは、1月8日の話だった。
アマゾンでテレビを探したら、1月7日まで初売りセールで安かった。なんでこんなタイミングで壊れるかな。
でも、その後は蛍光灯のような現象は起きていない。単に輝度が低くなっているだけだ。
それほど気にしないで使っていられる。
現在我が家のテレビは 32型の 2K テレビだ。
このテレビ自体に HDD を外付けして録画する機能があるが、チューナーは一つしかない。
予約録画するとその時間は好きな番組を見られなくなるので使っていない。
しかし、このテレビを買う以前から使っている HDD レコーダーがある。こちらは2番組同時録画可能なので、テレビ本体で録画しなくても全く問題はない。
さて、昨年 Switch2 を買った時「NINTENDO SWITCH2 のひみつ展」の中で 4K テレビがないと遊べない機能がある、と書いた。
いまだに Switch2 の 4K 機能を活用したソフトは出ていないのだが、このミニゲームを見るためだけに、4K テレビが欲しい。
まぁ、「このためだけ」というのは大げさで、そろそろ値段も手ごろになってきた 4K テレビに興味がある、と言ったところだ。
どうせなら、ゲームも遊びやすい 120fps 対応も欲しいよね。
…なんて考えながら、一応欲しい機種を選定。
先に書いたが、初売りセールの時は安かった。また安くなるのをまとう、と思っていたら、年末ほど安いわけではないが、1月下旬にセールを始めた。
でも、長女が大学受験控えているからね。新しいテレビとかあると気が散ってしまうので、受験が終わるまで待ってから買おう。
別に慌てるものではないから、その後セールのタイミングまで待って購入すればよい。
等と考えていたら、今日になって外付けの HDD レコーダーの調子が悪い。
というか、壊れたのだろう。たぶん HDD 故障。電源を入れても、HDD 起動できない様子で、LED で「起動中」であることを知らせた状態から進まない。
今使っているテレビより前に購入したやつだからな…調べたらちょうど10年ほど前に買っていた。
そろそろ寿命か。仕方がない。
新しいテレビを買ってしまえば、外付け HDD への録画機能がある。
今のテレビと違い、3チューナー持っていて、視聴している番組の裏で2番組撮れる。
なので、本命は「完全にシステム移行」なのだけど、先に書いた通り長女が受験で、まさに明日から1週間はすごく忙しいんだよね。
いま家電を買い替える、というのは生活環境が変わってしまうのでやりたくない。
まぁ、TVer などの普及もあってビデオがなくてもそれほど生活に問題はないので、当面はこのままかな。
受験が終わって、その後にアマゾンがセールをやったタイミングで、テレビと外付け HDD を購入したいと思います。
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別年同日の日記
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まずは、なんとなくネット記事を読んでいた時に見つけた話。
ちょうど入試の時期で、国語の問題で「作者がどんな気持ちで書いたか」を問う問題があった…という話の流れがあったらしい。
作家さんが、X 上で、過去に自分の書いたエッセイを公開していたんだ。
リンク先にあるのがそれ。2023年のエッセイだ。後半有料だが、主旨は無料部分だけで十分伝わってくる。
この方の過去に書いたエッセイが難関中学の入試問題に使われ、解いてみたが正解がわからなかった、という話。
このエッセイの白眉は、作者の気持ちを問う問題を作者が答えられない、ということではない。
そんな話は過去に語りつくされており、改めて言うまでもないのだ。
重要なのは、「作者の気持ちを端的に伝える言葉」は、編集者によって選別されているのだ、という点。
言葉に現れる「作者の意図」を作者は理解できない。思うことを文章にしているだけで、意図を込めた気はないからだ。
でも、編集者はその文章から意図を汲み取り、より読者に届くようにするのが仕事だ。
ノイズを消し、わかりにくいところを追記するよう作者にアドバイスする。
結果、出来上がる「意図」は、作者のものではある。しかし、それを明示的にしたのは編集者なのだ。
なるほど。面白い。
僕の文章を含め、ネット上には筆者がそのまま書き散らかしているだけの駄文が膨大に転がっている。
こんなものは、無料であっても読む人はそう多くない。
しかし、編集者の手を経て、自分の視点だけでなく人の視点も借りて推敲された文書だけが、出版してお金を取れる珠玉の作品となるのだ。
まぁ、以前から「編集者の仕事って重要だよな」とは思っていたのが、思わぬ形で具体的事例を見せられた、という感じ。
どんな職業でも、トップもいれば底辺もいるわけで、すべての編集がこんなに素晴らしい仕事をしているわけではない、ということも知ってはいるが。
(過去に知人が、余りにもダメな編集者と仕事してひどい目にあったので)
さて、そんな素晴らしいエッセイを読んだのと前後して、エゴサーチしていたら当ページの事を書いてくれている方がいた。
このページを好きで読んでくださっているそうなので、書いた当人は自分の事だとすぐわかると思うが…。
Xで、プレミアム会員になって長文が書けるようになった記念として、「最初の長文」に、当ページの紹介を長々と書いてくれていたのだ。
いや、感想もらえるのすごくうれしい。でも褒められすぎて恥ずかしい。
嬉し恥ずかしがない交ぜになり、読んでいて顔がニヤける。
そして、文章の書き方なども意図があるかのように細かく絶賛してくれているのだが、そんな意図ないからね!?
先に書いた「作者の意図」と同じで、僕は自分の好きなように駄文を書き散らかしているだけで、文章に意図なんて込めているつもりはないのだ。
(逆接的に、作者が意識していなくても何らかの意図は入っているのかもしれない、ということではある)
元文章を示さないので、多くの人にとって何のことやら、わからないでしょう。
感想くれた人に、直接ではなく間接的に、公開で返事書いている感じ。
いや、だってあまり褒めてくれているから、リンクとかすると自分を持ち上げているみたいで照れ臭いじゃん。
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別年同日の日記
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次女が、学校の先生から「新書を読んで感想文を提出」という宿題を出されたらしい。
…新書? 新書を読む、とは?
いや、新書はなんとなくわかる。岩波新書とか、PHP新書というやつだ。
でも、これはシリーズのタイトルであって、改めて「新書を読む」と言われると、新書って何だろう、と思う。
すぐ上に書いた「新書はなんとなくわかる」ではダメで、読んでくるように言われたのだから、ちゃんと新書が何であるか理解する必要があるだろう。
しかし、残念ながら僕にその知識がなかった。
この時点で、僕のイメージとしては、新書とは「ちょっと専門的な知識を、初心者にわかりやすい読み物として教えてくれる書籍」だった。
ネットで調べてみる。
新書とは、出版業界の専門用語で、本のサイズを規定する言葉らしい。
え、内容関係ないの? ちょっと衝撃だった。
サイズ規定としては、新書と呼ばれることもあるが、より正確には「新書版」。
文庫版よりも少し大きいサイズ、ということらしい。
なるほど。家にある新書と、文庫本の小説の本のサイズを比べてみると、新書は縦に長い感じだ。
これに対して「単行本」という言葉もある。
こちらは、本のサイズではなく、出版の際の形式を言うらしい。
1冊だけを刊行するのであれば、単行本。
上下巻同時発売、とかいうときは、単行本ではない。
漫画の第3巻、とかが出る場合も、シリーズ物ではあるが刊行の際はこの1冊だけ。だから単行本。
漫画でも、「1、2巻同時発売」というのを見たことあるのだけど、この場合も慣習で単行本と言っているように思う。
このことに気付いて、手近にあった漫画を、先ほど比較していた文庫・新書に重ねてみる。
なるほど、サイズとしては単行本というものがあるわけではないのか。新書と同じサイズだった。
(実際には漫画のサイズもいろいろ。子供向け漫画には新書版が多いそうだ)
調べると、「新書」ジャンルには、教養書や小説などがある、という。
漫画はさすがに入っていないのか。活字じゃないとだめだとしたら、これは古い出版業界の悪習の気がする。
長らく、「年間で読んだ本の調査」などでは、活字本のみで漫画は除く、などと差別されていたから。
まぁ、そのことはいいや。新書で小説ってどんなのだ? と思って少し考え、すぐにピンときた。
子供が小学生のころ買っていた、「つばさ文庫」や「青い鳥文庫」を重ねてみる。
なるほど、新書版だ。「文庫」なのに新書なのだ。
つまり、新書には小説などもある、というのはこういうことらしい。
子供向け漫画が新書版なのと同じく、子供向けの本は新書版が多いのだな。子供の手に持ちやすいサイズ、ということだろう。
となると、「新書を読んでくる」というのは、子供向け小説もありなのか。
サイズだけが新書の定義であれば、漫画でもありなのか。
最初に、僕のイメージとしては「専門的な知識をわかりやすく」書いた本だと書いた。
現代的には同じサイズの本が当たり前すぎて、まさかサイズを規定する言葉だとは思っていなかったのだ。
まぁ、言葉遊びをしているわけでもないのでもう少し真面目に調べる。
つまりはこういうことなのだ。
岩波新書がはじめて「新書」と銘打って刊行されたのが、1938年。
ここで、新書というのは単に「今までの本とは違う、新しい視点でまとめた本のシリーズ」を示す、バズワードに過ぎなかった。
それまでは岩波文庫があり、これは古典文学などが中心だった。
これに対し、「古い因習や権威などにとらわれることなく、自分で考えられる日本人」を育てるために刊行したシリーズが、岩波新書だった。
(この目的は数回改定されているが、現代人に必要な教養を与えるシリーズ、という芯は揺るがないようだ)
この際、岩波新書は「新しい判型」を作り出した。これが、現代の「新書版」と呼ばれるサイズだ。
先に書いた「岩波文庫」は、「文庫版」というサイズを作り出したシリーズだった。
そしてまた「岩波新書」で、「新書版」を作り出したわけだ。
その後、岩波新書を真似した「教養書」が各社から出版される。
知性を見せることは出版社の品格なのだ。
辞書を編纂できることなどは出版社の力量の指標とされるが、新書を出すこともまた、出版社の力量を示すものなのだ。
かくして新書はブームとなる。各社から新書が刊行される。
一方で、新書が相次いで印刷されるということは、対応印刷機・製本機も普及するということだ。
これは便利な判型となり、小説などでもこの判型を使うものが出始める。そして、これもまた「新書」として扱われた。
その後、従来通りの狙いの内容を持つ新書は、わざわざ「教養新書」と呼ばれるようになる。
さて、この「教養新書」に、もう一度ブームが来る。
1990年代後半から、書籍としては雑誌しか扱わなかったコンビニで、文庫本や新書が置かれるようになるのだ。
教養新書、と言いながらも、気軽に読める軽いテーマを中心にした、いわゆる「コンビニ本」だ。
マメ知識や雑学、ビジネス書や自己啓発などを中心としたものではあるが、これらのシリーズが大ヒットする。
ここで、「教養新書」は「現代人に必要な教養を与える」という従来通りのものと、「話題作りの豆知識」程度の内容を書いたものに分岐したわけだ。
そして、より売れたのは後者だった。教養新書、というジャンルのイメージは、当然これらの「豆知識」本に引きずられることになる。
もっと言ってしまえば、こうした本の中には科学者が眉を顰めるような、似非科学を広めてしまうようなものもある。
本当の意味で「教養」を与えられるとは思えない。
しかし、読者にとって知らないことが書かれていて、読者が「知的好奇心」を満たせたのであれば、それはその読者にとっての「教養」なのだ。
また、これらの本の類型としては、知識人に気軽に語ってもらった「雑談」を示しただけの本などもある。
雑談のような内容で、「現代人に必要な教養」を与えるようなものではない。
でも、知識を持った人が自分の専門分野を語れば、面白いのだ。
娯楽としてはちょうどよいが、娯楽小説などではない。ジャンルとしては「教養新書」となる。
そして、実は教養新書として大ベストセラーとなった「バカの壁」は、この雑談ジャンルと言ってよい。
さて、最初の問題に立ち戻ろう。
次女が課題として出された「新書を読む」は、学校の先生が課題として出したくらいなので、教養新書の「現代人に必要な教養を与える」ようなものを1冊読んでこい、ということかと思う。
でも、新書としては雑学本もあるし、似非科学もあるし、小説や、形状だけでいえば漫画も含まれる。
判型だけでなく、シリーズとしても「新書」を銘打っているのがあるし、新書とすることに異議は挟めないだろう。
単に「新書」といった場合には、これらすべてが新書なのだ。
さて、学校ではどのような感想文が提出されるだろう?
先生の意図を汲める人ばかりであればよいのだが、「新書」と銘打ったトンデモ本の感想があったとして、それは課題の出し方が悪かっただけなので…
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別年同日の日記
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セガ・エンタープライゼス初代社長の、デビッド・ローゼン氏が亡くなったそうです。
日本で報じられたのは昨日ですが、葬儀は1月2日に行われ、海外ニュースサイトでは同日に取り上げられています。
亡くなったのは、2025年 12月25日とのこと。
僕のページでは、10年ほど前にローゼン氏のことを記事にしていました。
ところで、先にリンクした海外記事、ローゼン氏をサービス・ゲームズ社の創業メンバーと勘違いしています。
セガ・エンタープライゼスの初代社長ではありますが、サービス・ゲームズ社の創業者ではありません。
そもそも、サービス・ゲームズは創業時の名前ですらありません。
しかしまぁ、Service Games の頭文字を2文字づつとって SEGA 、というブランドを使用していたのは事実。
そして、そんなサービス・ゲームズ社が日本に作った「サービス・ゲームズ・ジャパン」を…この会社、違法な「賭博」を生業としていたので紆余曲折ありまして、分社化したり名前が変わったり。
最終的に、ローゼン氏が作った健全な会社「ローゼン・エンタープライズ」が買収します。
この時に、有名になっていた「セガ」ブランドを社名につけ、「セガ・エンタープライゼス」とした際の初代社長がローゼン氏。
ここら辺の話は、セガ初期の歴史として過去にまとめています。
デビッド・ローゼン氏、面識はありませんが、僕も間接的に多大にお世話になった形になります。
ご冥福をお祈りします。
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別年同日の日記
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