2016年01月10日の日記です


国立科学博物館  2016-01-10 17:26:50  社会科見学 家族
国立科学博物館

長女が「どこか科学館行きたいー」という。

遊園地に連れてけ、とかいう話ではなく科学館というのが我が家らしい。


そういえば先日妻が「湘南台のこども館にまた行きたいね」とか言ってた。

あそこは科学館ではないが、似たようなものだ。行くか。


…と思って妻に相談したら、発言は別にすぐに行きたいというものではなくて、それほど遠くないうちに、程度の話だという。

今すぐであれば、国立科学博物館でやっている「江戸時代の天文学者」展を見たいという。


じゃぁ、そちらに行こう。




電車で上野まで。

到着は10時過ぎで、ちょっと小腹がすいたので上野公園の入り口にある休憩所、上野グリーンサロンで食事。


無料休憩所なのだけど、食事(もちろん有料)も提供している。値段は安めで、750円前後のものが多い。

次女は「パンダカレー」という、見た目がかわいらしいけど 800円のメニューを注文。家族の中で一番高い。

そして、食べきれないと残す。まぁ、いつものことなのだけど。


この店、いたるところにパンダのぬいぐるみやシールが配置され、子供は大喜びった。




科博へ。

前回来た時は、特別展目当てで、地球館を回ったら時間切れで終了となった。


今回は特別展がワインの話。…興味はあるが、特別展をまわっているとまた時間が無くなる。パス。

日本館の1階に、目当ての展示があった。広いかと思ったら1部屋だけで小さくまとまっていた。



時々書くけど、僕は小学生の時に「尊敬する人物」と聞かれて、周囲が「お父さん」とか「王貞治」とか答える中で、そんな誰もが知っている人じゃつまらないと思っていろいろ考えた挙句「伊能忠敬」と答えた。


その時は、江戸時代に日本地図を作った人、程度の認識で、尊敬する等ほど知っている人ではなかった。

でも、「そう言ってしまったから」その後調べて、今ではそれなりに知っている。


伊能忠敬もまた、天文学者の一人だ。

星の運行を調べ、星の観察によって地球上の「緯度」を調べられることを知り、緯度の1度がどの程度の距離になるのかを確かめようとして測量術を学んだ。


徒歩で歩数を数えることによる測量、縄やチェーンを使い距離を測る測量、歯車を組み合わせた車を地面の上で動かすことによる測量、山などの位置関係を調べることによる三角測量、星を観察することによる測量…などなど、複数技術を組み合わせ、それぞれの結果をその状況での信頼度を加味しながら組み合わせて、驚くほど正確な地図を作った。


伊能忠敬が浅草にあった天文所でこれらの技術を学んだ、ということは知っていたのだけど、僕は浅草の天文所がどのような所かは知らなかった。

今回は、浅草の天文所の様子を伝える貴重な紙資料、実際に残されている器具などの資料と共に、それらを元に再現したジオラマ模型の展示もあった。




そもそもは、渋川春海から始まっている…そうだ。今回の展示で初めて知った。


日本では、昔から中国大陸から伝わってきた情報をありがたがった。

無条件に、中国は日本よりも優れている、と考える傾向にあった。


渋川春海は江戸初期の天文学者で、800年前に中国から伝わり、使い続けられている暦がおかしいことに気づいた。

中国から入ってきたものをなんでもありがたがる、という風潮の中で、「疑った」ことが重要だ。


そして、自分でも天体観測を行い、暦が800年の間に2日分ずれていることを発見し、修正した暦を作り上げる。



ここに、日本独自の天体観測が始まる。

中国と日本では、地理的な違いから見える星にも違いがあるし、それらの「南中」時刻も異なる。

中国で観測されたデータは日本では使えない、ということが明らかになったため、天体観測の重要性が認識されたのだ。


将軍徳川吉宗も、江戸城の中に天文台を設置し、天体観測を行っている。

天体観測熱の高まりを受け、天体観測のための機器を製造し、販売する専門業者まで現れる。


専門業者がいる、ということは、名もない無名の天文家が多数いた、ということだ。




元々「暦が間違えている」ことに気づいて始まった天文観測は、最終的に正確な暦の策定をもたらした。

天保暦。現代では、「旧暦」と呼ばれているのがこれだ。


世界中で、およそ30日の単位を「ひと月」と呼ぶけど、月の満ち欠けの周期が30日程度のためだ。


現代の暦(グレゴリオ暦)では、地球が太陽を1周する期間を「1年」と定め、12か月に固定した日数を割り振っている。

太陽との位置関係のみで暦が決定され、最早「月」は、30日程度という周期に名残を残すのみになっている。


天保暦では、ちゃんと月の運行を元として暦が決められている。

そのため、朔日(月の初めの日)は、必ず新月の日。15日は満月になる。

1か月は、30日か29日。これは新月から次の新月までの間隔が、実際には 29.5日であるためだ。


1か月が30日足らずなので、1年間は360日よりも短くなる。これでは太陽の運行とずれてしまうので、数年おきに1か月増やして「閏月」を設ける。


…と、ここまでは実は天保暦以前でも行われていた。

天保暦が優れているのは、このルールを細かく定めたことだ。


太陽の位置関係を元に、1年を12に区切る。(実際には24節気のうち、1つ置きの12を使用する)

特に重要な、春分・夏至・秋分・冬至の日が属する月を、2月・5月・8月・11月とする。


先に書いたように、ひと月は新月の日から始まる。

上に書いた2・5・8・11の月の間が2か月づつであれば、素直に連番を割り振って暦が決まる。


でも、時折3か月入ってしまう時がある。

このときは、先に書いた「12の区切り」が入っていない月があるはずだ。

その月を「閏月」として、前の月の繰り返しとする。


たとえば、5月の次が閏月となった場合は、閏5月、と呼ばれる。



展示の最後には、自分で実際に暦を割り出せるコーナーがあった。

新月・満月と、24節気が示された2016年の新暦カレンダーが配布されていて、そこにルールに従って「旧暦」を書き込んでいけば完成する。


上手なのは、「上級編」として、来年、2017年のカレンダーも置いてあったこと。

天保歴では、2017年は閏年に当たるそうで、閏月の適用規則が必要となるため、少し処理が難しくなる。




ところで、天保歴は2033年に破たんする。

このことは今回の展示では触れられていなかったのだけど、面白いので書いておこう。


今でもカレンダーに旧暦を印刷してあることは多いので、ここ数年カレンダー業者の間で、2033年にどうするのかが問題視されている。



先に12の区切り、と書いたけど、これは太陽との位置関係によるものだ。

太陽との角度を均等に12分割して、区切りとしている。


ところで、地球は太陽の周りを「きれいに」回っているわけではない。

楕円軌道で回っていて、太陽に近いところは速く、遠いところはゆっくり動く。


それに対し、「月の形」の周期は一定で、29.5日になっている。これは、1か月の時間がほぼ一定ということだ。


これで何が起こるか。

タイミングによっては、1か月の間に、12の区切りが2つ入ってしまうことがある。


いや、これだけなら大丈夫。

先に書いたように、天保歴は2・5・8・11月を先に決めて、そのあとで間を埋めるようになっている。

これは、もともと1か月に区切りが2つ来る、というような問題を考慮して決められたルールだ。


しかし、2033年は、11月に2つの「区切り」が入ってしまう関係で、8月と11月の間に1か月しかなくなる。


いや、これでもまだ大丈夫。過去にもこういうことはあった。

例えば、8月と11月の間が1か月で、5月と8月の間が3か月であれば、8月を特別にずらせば解決する。

特に問題はない。


2033年がややこしいのは、この前後に閏月が入ってしまうためだ。

5月と8月の間が3か月で、8月と11月の間が1か月、そして11月と2月の間が3か月ある。


閏年なのだから、5月と8月の間か、11月と2月の間か、どちらかに閏月が挟まるのだろう。

どちらかが決まれば、8月と11月の間が1か月、というのも特別な処理で解決できるかもしれない。


でも、どちらが本当の閏月か、天保歴では決まらない。

200年近く使われてきた天保歴で、こんなことは初めてなのだ。




カレンダーの問題なので、国立天文台に決めてもらいたい、という要望もあるようだ。

しかし、国立天文台は「現代の」暦を決める業務は行っているが、すでに法的に廃止された旧暦に関する権限を持たない。


旧暦は勝手にカレンダー業者が印刷しているだけなので、カレンダー業者の組合などで決めてほしいという。

でも、カレンダーを印刷するような印刷業者は多数あり、それらは特に組合など作っていない。


結局、誰もが心配していて、誰もが決める権限を持っていない状態のままになっている。

まだ17年も先の話、とも思えるけど、「権限を誰が持つか、誰もが納得する方法で決める」という大事業を考えると、タイムリミットは近い。




また話は変わるのだけど、この日記につけた画像


天体観測をするための、当時の精密な計時装置(時計ではない)の文字盤なのだけど、ちょっとおもしろいことがわかる。

漢数字で書かれているのに「0」が使われているのだ。


この計時装置自体は、元々科博の別の部屋に置いてあった覚えがある。今は企画展で、こちらに移しているのだろう。

以前見たときには気づかなかった。


明治になって、外国の文明と共にアラビア数字も入ってきた。

その際に、日本人は初めてゼロの概念を知った、ということになっている。


ゼロがないと位取りができないので、計算がややこしい。

江戸時代には和算という独特の計算方法が発達していた。


でも、この文字盤…写真は「1」単位の文字盤で、十単位で数が示してあるのだけど、最初が「0十」から始まっている。

十には達していないよ、と示すために、わざわざ「0」を使ったのだ。


まぁ、学者の多くは蘭学(オランダから入ってきた学問)を学んでいるのだから、一般人に先駆けてアラビア数字にも親しんでいただろう。

でも、漢数字に混ざってアラビア数字の「0」だけを使っている、ということが興味深い。




企画展の話だけで長くなりすぎたので、ここでいったん区切る。

続きは別ページに



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