目次
01-10 国立科学博物館
01-10 国立科学博物館(続き)
01-10 上野公園
長女が「どこか科学館行きたいー」という。
遊園地に連れてけ、とかいう話ではなく科学館というのが我が家らしい。
そういえば先日妻が「湘南台のこども館にまた行きたいね」とか言ってた。
あそこは科学館ではないが、似たようなものだ。行くか。
…と思って妻に相談したら、発言は別にすぐに行きたいというものではなくて、それほど遠くないうちに、程度の話だという。
今すぐであれば、国立科学博物館でやっている「江戸時代の天文学者」展を見たいという。
じゃぁ、そちらに行こう。
電車で上野まで。
到着は10時過ぎで、ちょっと小腹がすいたので上野公園の入り口にある休憩所、上野グリーンサロンで食事。
無料休憩所なのだけど、食事(もちろん有料)も提供している。値段は安めで、750円前後のものが多い。
次女は「パンダカレー」という、見た目がかわいらしいけど 800円のメニューを注文。家族の中で一番高い。
そして、食べきれないと残す。まぁ、いつものことなのだけど。
この店、いたるところにパンダのぬいぐるみやシールが配置され、子供は大喜びった。
科博へ。
前回来た時は、特別展目当てで、地球館を回ったら時間切れで終了となった。
今回は特別展がワインの話。…興味はあるが、特別展をまわっているとまた時間が無くなる。パス。
日本館の1階に、目当ての展示があった。広いかと思ったら1部屋だけで小さくまとまっていた。
時々書くけど、僕は小学生の時に「尊敬する人物」と聞かれて、周囲が「お父さん」とか「王貞治」とか答える中で、そんな誰もが知っている人じゃつまらないと思っていろいろ考えた挙句「伊能忠敬」と答えた。
その時は、江戸時代に日本地図を作った人、程度の認識で、尊敬する等ほど知っている人ではなかった。
でも、「そう言ってしまったから」その後調べて、今ではそれなりに知っている。
伊能忠敬もまた、天文学者の一人だ。
星の運行を調べ、星の観察によって地球上の「緯度」を調べられることを知り、緯度の1度がどの程度の距離になるのかを確かめようとして測量術を学んだ。
徒歩で歩数を数えることによる測量、縄やチェーンを使い距離を測る測量、歯車を組み合わせた車を地面の上で動かすことによる測量、山などの位置関係を調べることによる三角測量、星を観察することによる測量…などなど、複数技術を組み合わせ、それぞれの結果をその状況での信頼度を加味しながら組み合わせて、驚くほど正確な地図を作った。
伊能忠敬が浅草にあった天文所でこれらの技術を学んだ、ということは知っていたのだけど、僕は浅草の天文所がどのような所かは知らなかった。
今回は、浅草の天文所の様子を伝える貴重な紙資料、実際に残されている器具などの資料と共に、それらを元に再現したジオラマ模型の展示もあった。
そもそもは、渋川春海から始まっている…そうだ。今回の展示で初めて知った。
日本では、昔から中国大陸から伝わってきた情報をありがたがった。
無条件に、中国は日本よりも優れている、と考える傾向にあった。
渋川春海は江戸初期の天文学者で、800年前に中国から伝わり、使い続けられている暦がおかしいことに気づいた。
中国から入ってきたものをなんでもありがたがる、という風潮の中で、「疑った」ことが重要だ。
そして、自分でも天体観測を行い、暦が800年の間に2日分ずれていることを発見し、修正した暦を作り上げる。
ここに、日本独自の天体観測が始まる。
中国と日本では、地理的な違いから見える星にも違いがあるし、それらの「南中」時刻も異なる。
中国で観測されたデータは日本では使えない、ということが明らかになったため、天体観測の重要性が認識されたのだ。
将軍徳川吉宗も、江戸城の中に天文台を設置し、天体観測を行っている。
天体観測熱の高まりを受け、天体観測のための機器を製造し、販売する専門業者まで現れる。
専門業者がいる、ということは、名もない無名の天文家が多数いた、ということだ。
元々「暦が間違えている」ことに気づいて始まった天文観測は、最終的に正確な暦の策定をもたらした。
天保暦。現代では、「旧暦」と呼ばれているのがこれだ。
世界中で、およそ30日の単位を「ひと月」と呼ぶけど、月の満ち欠けの周期が30日程度のためだ。
現代の暦(グレゴリオ暦)では、地球が太陽を1周する期間を「1年」と定め、12か月に固定した日数を割り振っている。
太陽との位置関係のみで暦が決定され、最早「月」は、30日程度という周期に名残を残すのみになっている。
天保暦では、ちゃんと月の運行を元として暦が決められている。
そのため、朔日(月の初めの日)は、必ず新月の日。15日は満月になる。
1か月は、30日か29日。これは新月から次の新月までの間隔が、実際には 29.5日であるためだ。
1か月が30日足らずなので、1年間は360日よりも短くなる。これでは太陽の運行とずれてしまうので、数年おきに1か月増やして「閏月」を設ける。
…と、ここまでは実は天保暦以前でも行われていた。
天保暦が優れているのは、このルールを細かく定めたことだ。
太陽の位置関係を元に、1年を12に区切る。(実際には24節気のうち、1つ置きの12を使用する)
特に重要な、春分・夏至・秋分・冬至の日が属する月を、2月・5月・8月・11月とする。
先に書いたように、ひと月は新月の日から始まる。
上に書いた2・5・8・11の月の間が2か月づつであれば、素直に連番を割り振って暦が決まる。
でも、時折3か月入ってしまう時がある。
このときは、先に書いた「12の区切り」が入っていない月があるはずだ。
その月を「閏月」として、前の月の繰り返しとする。
たとえば、5月の次が閏月となった場合は、閏5月、と呼ばれる。
展示の最後には、自分で実際に暦を割り出せるコーナーがあった。
新月・満月と、24節気が示された2016年の新暦カレンダーが配布されていて、そこにルールに従って「旧暦」を書き込んでいけば完成する。
上手なのは、「上級編」として、来年、2017年のカレンダーも置いてあったこと。
天保歴では、2017年は閏年に当たるそうで、閏月の適用規則が必要となるため、少し処理が難しくなる。
ところで、天保歴は2033年に破たんする。
このことは今回の展示では触れられていなかったのだけど、面白いので書いておこう。
今でもカレンダーに旧暦を印刷してあることは多いので、ここ数年カレンダー業者の間で、2033年にどうするのかが問題視されている。
先に12の区切り、と書いたけど、これは太陽との位置関係によるものだ。
太陽との角度を均等に12分割して、区切りとしている。
ところで、地球は太陽の周りを「きれいに」回っているわけではない。
楕円軌道で回っていて、太陽に近いところは速く、遠いところはゆっくり動く。
それに対し、「月の形」の周期は一定で、29.5日になっている。これは、1か月の時間がほぼ一定ということだ。
これで何が起こるか。
タイミングによっては、1か月の間に、12の区切りが2つ入ってしまうことがある。
いや、これだけなら大丈夫。
先に書いたように、天保歴は2・5・8・11月を先に決めて、そのあとで間を埋めるようになっている。
これは、もともと1か月に区切りが2つ来る、というような問題を考慮して決められたルールだ。
しかし、2033年は、11月に2つの「区切り」が入ってしまう関係で、8月と11月の間に1か月しかなくなる。
いや、これでもまだ大丈夫。過去にもこういうことはあった。
例えば、8月と11月の間が1か月で、5月と8月の間が3か月であれば、8月を特別にずらせば解決する。
特に問題はない。
2033年がややこしいのは、この前後に閏月が入ってしまうためだ。
5月と8月の間が3か月で、8月と11月の間が1か月、そして11月と2月の間が3か月ある。
閏年なのだから、5月と8月の間か、11月と2月の間か、どちらかに閏月が挟まるのだろう。
どちらかが決まれば、8月と11月の間が1か月、というのも特別な処理で解決できるかもしれない。
でも、どちらが本当の閏月か、天保歴では決まらない。
200年近く使われてきた天保歴で、こんなことは初めてなのだ。
カレンダーの問題なので、国立天文台に決めてもらいたい、という要望もあるようだ。
しかし、国立天文台は「現代の」暦を決める業務は行っているが、すでに法的に廃止された旧暦に関する権限を持たない。
旧暦は勝手にカレンダー業者が印刷しているだけなので、カレンダー業者の組合などで決めてほしいという。
でも、カレンダーを印刷するような印刷業者は多数あり、それらは特に組合など作っていない。
結局、誰もが心配していて、誰もが決める権限を持っていない状態のままになっている。
まだ17年も先の話、とも思えるけど、「権限を誰が持つか、誰もが納得する方法で決める」という大事業を考えると、タイムリミットは近い。
また話は変わるのだけど、この日記につけた画像。
天体観測をするための、当時の精密な計時装置(時計ではない)の文字盤なのだけど、ちょっとおもしろいことがわかる。
漢数字で書かれているのに「0」が使われているのだ。
この計時装置自体は、元々科博の別の部屋に置いてあった覚えがある。今は企画展で、こちらに移しているのだろう。
以前見たときには気づかなかった。
明治になって、外国の文明と共にアラビア数字も入ってきた。
その際に、日本人は初めてゼロの概念を知った、ということになっている。
ゼロがないと位取りができないので、計算がややこしい。
江戸時代には和算という独特の計算方法が発達していた。
でも、この文字盤…写真は「1」単位の文字盤で、十単位で数が示してあるのだけど、最初が「0十」から始まっている。
十には達していないよ、と示すために、わざわざ「0」を使ったのだ。
まぁ、学者の多くは蘭学(オランダから入ってきた学問)を学んでいるのだから、一般人に先駆けてアラビア数字にも親しんでいただろう。
でも、漢数字に混ざってアラビア数字の「0」だけを使っている、ということが興味深い。
企画展の話だけで長くなりすぎたので、ここでいったん区切る。
続きは別ページに。
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企画展は、日本館の1階だった。
日本館は、どうやら一番上の階から下に下りながら見るようになっているようだ。
そうすると、日本の古代から始まって江戸時代までの暮らし、そして江戸以降花開いた日本独自の科学技術の歴史が見られるようになっている。
しかし、企画展を最初に見たので、向かいの部屋、科学技術の歴史を先に見る。
いや、非常に面白かった。
全体に4つに分かれている。
天文観測、顕微鏡、地震観測、計時技術だ。
いずれも、非常に面白かったけど、ここでは計時技術…つまりは、時計について書いておこう。
僕が一番好きな技術だから。
現代は、一日を均等に24分割して「時間」とする、定時法を使っている。
(古代は12分割していたそうですが、いつから24分割になったのか、僕は知らない)
日本では1日を12分割した。
このうち昼が6分割、夜が6分割だ。
昼と夜の長さは、季節によって異なる。
にもかかわらず、昼と夜を、それぞれ均等に分割する。季節によって分割の長さが変わることになる。
これが「不定時法」だ。
日が昇るのが「明け六つ」、日が沈むのが「暮れ六つ」。
太陽の南中時刻が「九つ」で、真夜中も「九つ」。
ここから、明けと暮れの六つに向かってカウントダウンする。
そのままカウントダウンを続け、三つの次がまた九つ。
なんで九つから始まるのか、なんでカウントダウンなのか、その理由は知らなかったけど、解説ボランティアの方に伺うことができた。
といっても、ボランティアの方もよくわかっていないようだったので、ここではさらに僕の知識を上乗せして解説する。
陰陽では、奇数を「陽」、偶数を「陰」とする。
この二つはバランスが大切であり、どちらが良い、という意味ではない。
と言いながら、陽のほうが良いものとされ、重視される。
奇数の数字は縁起の良いものとして、今でも数字が並ぶ日を祝う習慣がある。
一月一日、三月三日、五月五日、七月七日…
一桁の中で一番大きな「陽」数である九は、一番縁起の良い数字とされる。
今では祝わなくなってしまったのだが、九月九日を「重陽の節句」という。
さて、ボランティアの方は「重陽」を知らなかったようなのだが、江戸時代の人は縁起のいい数字として重視していた。
そこで、一日の重要な時間…南中時刻と、反対の真夜中を「九」に割り当てた。
そして、一時が進むたびに、9を足した。
「九つ」の次は「十八」で、続いて「二十七」「三十六」だ。
でも、どんどん数字が大きくなるのは使いにくいので、一の位だけを利用した。これだと、一見カウントダウンに見えるのだけど、実は縁起の良い9を重ねているのだ。
このボランティアの方、割り駒式の和時計の解説もしてくれた。
先に書いたように、季節ごとに時間の長さは変わる。でも、時計が季節ごとに進む速度が変わる、というのは難しい。
じゃぁ、時計の針は一日に一周するようにして、文字盤を調整すればいい。それが割り駒式だ。
数字が「駒」になっていて、自由に動かせる。
江戸時代の不定時法を理解するには、まずはわかりやすい解説。
でも、展示の多くは2丁天符式。
振り子時計では、振り子が正確に動くことを利用して時間を測る。
天符式では、長い棒を振り回すのには結構力がいる(力学的にいえば、モーメントが大きい)ことを利用して時間を測る。
この天符を、昼と夜で自動的に切り替えて、時間の進む速度を調整するのが2丁天符式だ。
ただ時計がたくさん収蔵されているだけで、ここら辺の解説は一切なし。
そもそも文字盤と針を動かす機構を省略して、錘(おもり)式時計の「錘」の位置によってのみ時刻を示す、尺時計というものもある。
毎日錘を上に引き上げる必要があるけど、これは錘式なら当然やらねばならないこと。
普通の錘式との違いは、引き上げる際に正確な位置に合わせる必要がある、という手間で、大幅に機械を簡略化している。
「正確な不定時法への挑戦」という、一見して矛盾しているような解説もあった。
江戸末期、技術が進んで、西洋よりややこしい、不定時報を採用した時計が次々作られている。
そのあと、明治になって定時法が導入されます。
定時法で作られた柱時計(しばらく前に理科ハウスで見たのとほぼ同じ奴)や、懐中時計などが多数展示されます。
最期はセイコークオーツの1号機で締めくくられています。
1秒を正確に測る方法として、振り子や天符が使われてきた中で、「水晶発振子」によって正確性を飛躍的に高めた時計ですね。
でも、ここら辺も解説一切なし。せっかく面白いものが多数あるのにもったいない。
でも、科博の展示って、基本的にすべてそんな感じ。
国の最高機関としての科学博物館だから、わかっている人への資料性が高く、わからない人への解説はしないのですね。
この後、上の階に登りながら展示を見て回ります。
時代的には、どんどん古代の日本に遡っていく形。
途中で長女がおなかすいた、と言います。
でも、もうちょっと見たら全部だから、そしたらご飯食べよう…と言いながら引っ張る。
全部見終わったら3時前。。
地球館のレストランに行きます。
長男はマカロニグラタンを頼んだけど、ほかはみんなケーキ。
地球館は前回来た時にみっちり見たのですが、まだ時間があるので少しだけ回ります。
骨の標本などが多数ある区域、前回は次女が怖がって近寄れなかった。今回は大丈夫。
#まだ、人骨標本は怖くて嫌い。
動物は大丈夫になった。
チビトガリネズミをはじめとする、非常に小さな剥製標本が並べてあるコーナーがありました。
ちいさい、かわいい、と長女も次女も喜びます。
ふと後ろを見ると、アフリカゾウやキリンの骨格が後ろにあります。
あー、なるほど。一番大きな生物と、一番小さな生物なのか、と理解して、子供に説明します。
チビトガリネズミは、ほ乳類最小の生き物です。そして、アフリカゾウは地上最大のほ乳類。
大きさ全然違うねー、と解説しながら、あれ? この流れはもしや…と、周囲を見回す。
ありました。頭の上に、天井からつりさげられた、シロナガスクジラの骨格標本。
世界最大のほ乳類です。象よりもはるかに大きなサイズに、長男も「大きさのスケールが違う」と驚く。
なかなか良い展示方法です。
相変わらず、説明はあまりないのだけどね。
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科学館が閉館時間になったのだけど、せっかくだから上野公園を歩いてみます。
動物園の前まで行って、こっちはまた今度来ようね…と言う程度のつもりだった。
そしたら、何やら楽し気な明かりが見えます。次女があれなに? と気にしています。
僕も知らなかったので近寄ってみたら、上野こども遊園地でした。
上野動物園には何度か来ているし、上野こども遊園地は1946年から営業している、ということだけど、今まで気づかなかった。
#子供がいないときは、僕がこうしたものに興味なかったので見落としていたのでしょう。
非常に狭いところに、古い遊園地の遊具を押し込めたような、昭和の屋上遊園地を5倍濃縮したようなスペース。
次女が、空飛ぶ象の乗り物に乗りたがります。
実は、先日ディズニーランドに行ったときに、時間の都合でダンボに乗れなかったのです。
乗れなかったのを残念がっていたので、これでよければ乗りましょう。
1人百円。長女も載るというので、僕と合わせて300円。
これで満足してくれるなら安いものです。
周囲には、デパートのゲームセンターなどにも置かれることのある、子供ライドものが多数ありました。
わくわくマリンとわくわくトーマスもあったよ。
(マリンは故障中で画面消えてたけど)
さぁ、暗いしもう帰ろうか…と駅に向かう最中、大噴水が動いているのを発見。
子供たちが慌てて駆け寄りますが、ちょうど終わるところでした。
そしたら「もう一度動いているのを見たい」とその場で待つことに。
えー、いつ動くかわからないし、寒いから帰ろうよ、といっても、子供は見る気十分。
無駄に噴水の周囲を走り回って「寒くない」と言っています。
妻が愛用の一眼レフで、夜景などをとっています。さすがにいいカメラではとれる。
じゃぁ、僕も…と honor 6 で夜景モードを試してみる。
持ち運べる小型の三脚しかないのでアングルに制約が出るのですが、暗い中でそれなりに綺麗に撮れています。
携帯のカメラとしては十分な感じ。
どのくらい待ったのだろう…まぁ、30分は待っていないと思いますが、また動き出しました。
しばらく見て、子供がやっと満足しました。
これでやっと終了。
子供と約束したから、今度は動物園に来ないとな…
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