ぜんぜん日々更新ではない日記です

まぁ、ぼちぼちやっていきます。
このページは最新7日分で、逆順(最新が上)で並んでいます。
過去のものはヘッダ部分のリンクから選べます。

目次

2025-04-27 選挙権
2025-04-23 町内会ホームページ
2025-04-10 次女入学式
2025-04-07 O26 は世界初のスクリーンエディタか?
2025-04-04 マイクロソフト 創立記念日
2025-03-30 やっと書いた
2025-03-24 天気
 今月の日記
選挙権  2025-04-27 16:59:35  家族

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今日、住んでいる鎌倉市では、市議会議員選挙があった。


ところで、一昨日は長女の誕生日だった。18歳になった。

選挙の2日前に、選挙権を得たわけだ。


これがなかなかレアなタイミングで、郵送されてきた投票所入場券といっしょに、説明書きの用紙が1枚入っていた。


選挙は、原則当日投票するものだが、当日忙しくて投票に行けない人の為に、2つの制度がある。

期日前投票と、不在者投票だ。


不在者投票は、当日不在となるため、選挙管理委員会に認められた「代理人」に票を預ける制度となっている。

だれに投票するかを記して、秘密を守るため封筒に封緘し、預ける。実際の投票は、投票日当日に代理人によって行われる。


期日前投票は、期日以前に、本人の手によって投票する制度となっている。

期日前投票所に、しっかりと管理された投票箱が用意され、その場で投票する。箱に入れた時点で秘密は守られているので、封筒に入れたりする必要はない。



さて、期日前投票も不在者投票も、実際の投票日の一週間前から行うことができる。

しかし、長女は一週間前の段階では、選挙権を得ていない。


ここで、期日前に「投票」を行う、期日前投票は行えないのだ。

票を預け、投票日当日に投票が行われる、不在者投票なら使うことができる。


長女の場合、誕生日は一昨日だったわけだが、そのタイミングで期日前投票も使えるようになる。



…と、このややこしい制度を説明するために、特別な説明書き用紙が同封されていたのだ。


非常に面白い。

一生に1度、選挙権を得てから1週間以内に選挙がある、というタイミングでないと、この用紙はもらえないわけだ。


なんてことの無い説明書きなのだが、記念にしばらく置いておこう。

あとでどうでもよくなって捨てるかも(笑)


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02年 4/26

03年 ほっかいどぉ

08年 誕生日とG.W.

11年 誕生日

14年 相模湖リゾート プレジャーフォレスト

15年 ピューロランド・追記

15年 サミュエル・モールス 誕生日(1791)

18年 ダイナマイト刑事2

19年 長女の誕生日

20年 長女の誕生日

20年 病院週間


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町内会ホームページ  2025-04-23 18:56:32  その他

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度々書くのだが、町内会の評議員をやっている。


丸7年やって、8年目に入ったところか…

1年でいいから、と頼まれたのだが、なんとなく辞めづらい感じになり、5年目くらいからやっと仕事を自主的にできるようになり、8年目。


昨年までは、ベテランの副会長の下で福祉関係の仕事をやっていたのだが、副会長が年齢を理由に退職してしまった。

今年からは自主的にやらないといけないのだが、去年は引継ぎのつもりで福祉厚生部長をやっていたので、多分大丈夫。


ちなみに、福祉はほとんど敬老関係だったのだが、1年半ほど前から、「ご出生お祝い会」をやっている。

これの発案は、先に書いた副会長。老人にばかり金を使って子供に金を使わないのはバランスに欠く、という判断で、ご自身が高齢だったのに素晴らしい判断。


で、今年からは、ご出生だけでなく、小さな子の子育て家庭を集めて「子育てサロン」をやろうと思っている。

というか、先日1回目を開催した。

需要がわからず集めただけになり、おもちゃを用意しといたので子供には喜んでもらえたのだが、グダグダだった。


次回は、集まってくれたお母さんの一人がいろいろやってみたいと言ってくれたので任せてみるつもり。

ゆくゆくは、子育てサロンはやってくれる人に委任できればと思っている。

今、老人向けに「おしゃべり会」という会があり、それは委任しているから、同じ形態にしたいのだ。




というわけで、仕事を外部に委任していけると良いなぁ、という前提で、今年は総務も兼任となってしまった。

具体的に言えばパソコン担当。


最初はパソコン担当を期待されて入ったのだが、町内会の事を右も左もわからない状態では、何をしていいのかわからなかった。

それで、一旦別の方が変わってくれて、ある程度パソコン担当をしてくれていたのだ。

でも、その方が退職することになり、また僕に担当が回ってきた。


一番重視されているのが、町内会のホームページ作成。

数年前に辞めた方が作ってくれていたのだが、更新が止まっているのだ。

なにぶんそのページが、html を直打ちして、ftp でページをアップロードして更新する形式なので…


そこで、有料のブログシステムを借りて、前任者がある程度作ってくれていた。

しかし、まだ公開にこぎつけていない。


これを4月になってから引き継いで…申し訳ないが大改造した。


ベースはそのままなのだけど、静的なページが多くて更新が大変そうだったのだ。

そこで、変化しない情報は静的ページのまま、更新が必要なページはブログ形式にした。

今まで作ってくれていた内容も、ブログに入れなおした。


これで、更新が楽になるし、更新速度も上げられそうだ。


こういうちまちました改良をしているのが、結構楽しい。




ここで使っているページ作成ソフトは、wix.com 。

僕としては以前ホームページ作成を頼まれたときに、Wordpress を使おうと考えていたのだが、あれは結構マニアックなプログラムなので、パソコン馴れしていない人が使えるとは思えない。


wix は有料ではあるが、慣れていない人でも使えるように、かなり親切に作り込まれている。

とはいえ、やはりパソコン馴れしていないと難しいところはあるのだけど。

前任者が静的ページだけで作ろうとしていたのも、おそらく「ブログ」という概念に不慣れなせいで、旧ページをできるだけ再現しようとしていたからなのだ。



ただ、wix は今回の目的にはオーバースペックなようにも思える。

お店などがホームページを作ることを想定して機能が設定されていて、通販のためのカタログを作ったりする機能が沢山あるのだけど、町内会にそこまで必要ないんだよね。


それでいて、「町内会館を予約したい」みたいな機能は、当たり前だけどない。

セミナーとかを設定して予約を入れる機能はあるのだけど、会議室の予約みたいな、社内向け機能みたいなのは無いのだ。


今はまだ旧ホームページが使えるので、この機能だけ旧ホームページにリンクしている。

旧ホームページは、CGI で作成された会議室予約システムがあったのだ。

(どこかで配布されていたのを拾ってきて設置したもののようだ)


ただ、wix には、Javascript プログラムを、ページ内に iframe で作られたサンドボックス内で動かす機能がある。

なので、工夫したら自分で作れるかな、とも思っている。将来的な展望だけど。




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13年 LUMIX Phone Update

17年 キッザニア東京

20年 おむつの想い出


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次女入学式  2025-04-10 15:38:41  家族

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もう2日たってしまったが、8日(火)が次女の高校の入学式だった。


近年、コロナで各家庭参加者は1名、ということが多かった。

長男も長女も、入学式は妻に行ってもらっていた。


今回は制限がなかったので、平日だけど仕事は休みをもらって僕も列席。


これが、バスと電車を乗り継いでいくと、家族3人だと5千円近くなる。

駐車場はないから公共交通機関を使うように、また、近隣の公的機関の駐車場に停めないように、とお達しが出ていたので、自分で駐車場を確保。

自宅の駐車場を貸したい人が登録するサービス「アキッパ」で、付近の家の駐車場を借りる。1日860円だったので、ガソリン代を考えても電車で行くより安い。


さて、学校に近づいたところで、叫び声や鳴り物の音が聞こえる。

もっと近づいたら、校門から各部活が祝福のエールの列を作っているのだった。

圧の強いアメフト部の「おめでとー」から始まり、チアダンス部や吹奏楽部、英検のような小さな文化系の部活に至るまで、並んで祝福している。


妻によれば、長女の学校にもこうした祝福があったが、次女の学校の方がずっと圧が強い、とのこと。




クラス分けは、「名前順」で、辞書のように「あ~く」などと見出しがあって、貼りだされている。

名前の辞書順なので、探すのも簡単で、雑踏にならない。


もちろん、名前を見つければ、クラスと名簿順が書かれており、指示に従って席に座ればよい。

この貼りだし方は、長男・長女の学校にはなかったそうで、頭が良いと妻が感心していた。



入学式は、まぁ普通。

全員の名前を呼んで一人づつ立たせ、以上の者の入学を許可する、という言葉で締めくくる。


最後に校歌紹介があった。入学したばかりの子が歌えるわけもないので、「紹介」で聞いていればよい。

校門で祝福してくれた各部活の子が入ってて、歌い上げた。吹奏楽部は伴奏。

なるほど、この要員を兼ねていたのか。




みんな入学式だから襟を正してきちっとした格好で来るのかと思ったら、すでに着崩している。

男は詰襟だが、上の方のボタンを開けているものもいる。まぁ、襟まできちっと止めているのもいたが。


それよりも女子のスカートが、皆短い。校則では長さはひざ下、となっているが、妻がカウントしたところ、3人しか守ってなかったらしい。

そして、「ちゃんと長さを守っている」のはうちの子のみ。スカート丈の長さ、ぶっちぎりで優勝。


終わった後、次女は、ギャルばっかだ、陽キャばっかだと恐れおののいていた。

ぼっちちゃんのようだ。がんばれ。

(早速話が合って仲良くなった子もいたようだが)


次女の学校、近隣では有名な学校で、偏差値も高い。

というか、名前は書かないが世界的に有名で、外国人観光客が勝手に入らないように、普段は校門を閉ざしている。

親であっても、こういう機会でないとはいりづらい。


だから興味もあって入学式に参加したのだけど。


そして、校則で制服は決まっていても、生徒の頭が良いからこそ、多少崩していても厳しく言わないようだ。

先生側も、生徒を安心して信頼できる、ということでもあるだろう。


なかなか良い学校そうだった。



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O26 は世界初のスクリーンエディタか?  2025-04-07 17:49:35  コンピュータ

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先日マイクロソフトの設立記念日について書いた際に、MS-DOS の元となった OS である CP/M の説明の為に、もう12年も前に書いた自分の記事を引用した。


vi は世界初のスクリーンエディタか?


この記事の中に CP/M の話題が、ほんのちょっとだけ出てくる。それでリンクしたのだ。


まぁ、それは置いといて、この記事を書いた際にコメントをもらっていて、気にしていたが12年も放置していたことを思い出した。


世界初のスクリーンエディタとして、 O26 というものがある、という情報だった。


実は、情報をもらってすぐに、ある程度調査は済んでいたのだ。

その時の調査の雑感としては「O26 はスクリーンエディタではない」だった。


だけど、情報が少なすぎた。これが本当に世界初、というようなものであれば、もっと情報があるはずだ。

その情報がない、という時点でかなり怪しくもあるのだが、情報が少なすぎて確信が持てなかったので、記事を書くのは保留にした。

そして、書かないまま忘れていたわけだ。




最初に、根拠希薄だと断ったうえで、一番の有力証拠を挙げておこう。


O26 のキー操作・命令の一覧表だ。


12年前には普通に見られたのだが、すでにページが無くなってしまったようなので、WaybackMachine のアーカイブを示した。


以下、この命令表を参照しながら話を進めることになるので、PC などでお読みの際には、別ウィンドウで開いてすぐに見られるようにしておいてもらえると、話が分かりやすいと思う。


この命令表には、O26 で使用できたキー操作や、命令体系が書かれている。

しかし公式なものではない。後で示すが、キー操作や命令だけをまとめた「インスタント」という小冊子があり、そこから抜き出したもののようだ。


いずれにせよ、ここで示されているのは O26 の命令などの早見表ではあるが、それが何であるかなどの説明は一切載っていない。あくまでも「インスタント」…現在でいうチートシートのようなもので、本当に詳しく知りたいときはマニュアルを参照すればよい。


だが、マニュアルが今となっては失われている。

(こうした資料を集約しているアーカイブプロジェクト、bitsaver の CDC のディレクトリを隅々まで探したが、見当たらなかった)



そんなわけで、O26 がどのようなものであったのか、詳細が皆目わからないのだ。

わからないままに、O26 は世界で最初のスクリーンエディタだった、という話だけが流布している。




わかるところから順に確認していこう。


まず最初に予備知識。「スクリーンエディタ」とはなにか。

わざわざ「スクリーン」とつけているのだから、そうでないエディタもある。まずはその話からだ。



大前提として、初期のコンピューターは非常に高価なもので、個人が持つことなどできなかった。

皆で共有していて、個人が使いたいときには予約して時間割り当てをもらう。

その時間の中でコンピューター作業を済ませる必要がある。


コンピューターを使用する作業を手早く済ませるには、事前準備が必要だ。

「プログラムを作る」というと、今ではコンピューターに向かってテキストを編集するイメージがあるのだが、当時はコンピューターを使わずに行った。


パンチカードの穿孔作業にはコンピューターは不要なので、紙の上でプログラムを作成したうえで、パンチカードに穿孔してコンピューターが読み取れる状態にしておくのだ。


パンチカードは、今回の話の中心である CDC 6000 シリーズの場合、一度に 4000枚をセット可能で、1分に1200枚読めた。

1枚が1行だから、ちょっとしたプログラムならすぐに読み込みが終わる。


しかし、人間のやることだから必ず間違いはある。

パンチカードを読み込んでファイルを作り、そのプログラムをコンパイルしたら、エラーが出たとしよう。

文法エラーの行番号がメッセージに含まれているから、間違えた行はわかる。


ここでパンチカードを作り直してもう一度読んでも良いのだが、すでにファイルになっているので「エディタ」で操作してみよう。


まず、エディタのプログラムを動かす。

当時のコンピューターの操作方法は、タイプライターのキーボードと、プリンタだ。


エディタを動かす命令を実行すると、また命令待ちになる、

これは OS が命令を待っているのではなく、エディタが命令を待っている状態。


編集したいテキストファイルを読み込め、と命令を入力する。

続いて、エラーで示された行番号を元に、前後5行ほどを印字するように命令を入力すると、テキストファイルの一部が印字される。


なるほど。おかしな場所を見つけたら、修正する。

ここでもまた、「入れ替え」を指示する命令と、行番号を入れる。

さらに、正しい内容を1行分、間違えずに正確に入力する。


これで、間違えた行は、正しい内容に置き換わった「はず」だ。


行番号を間違えたり、入力でまた間違えていたりするとおかしなことになる。

なので、もう一度エラー行の前後5行ほどを印字する命令を入力する。


印字された内容が正しくなっていれば、修正は完了だ。

修正内容をファイルに書き戻して、エディタを終了する。


以上が、当時のテキスト編集の「普通の」やり方だ。

何をやるにも行番号が必要。行ベースで編集を行うので、「ラインエディタ」と呼ばれる。


ラインエディタは、テキストファイルの「修正」を行うことができるが、1から作成することはあまり想定していない。

先に書いたように、最初はパンチカードでファイルを作成するのが前提だ。


テキストファイルを命令で編集する、というのは面倒そうに見えるが、小さな修正だけなら特に問題なかった。




これに対し、現代的なエディタは「スクリーンエディタ」と呼ばれる。

連続して複数行にわたる長文だって入力できるし、単に「編集するためのエディタ」ではなく、1からすべてを作り上げられる。


文字を挿入したり、削除したりする編集点を、「カーソル」と呼ばれる表示で示す。

このカーソルを自由な位置に動かし、直接的に追記や削除を行う。


カーソル移動がカーソルキーだったり、マウスクリックだったり、文字が固定幅だったり、プロポーショナルだったり、リッチテキストだったりという違いはあれど、カーソルを使って編集する方式は、スクリーンエディタの仲間だ。


スクリーンエディタには、「必ず」カーソルが存在する。

名前の呼び方は違っても良いが、この概念が重要だ。


あと、カーソルという概念は、スクリーンエディタが普及する前は無かった。

だから、キーボードにカーソルキーが付くのはずっと後の話で、初期のスクリーンエディタは、何とかして普通のキーボードでカーソルを移動する。


「カーソル移動キー」は、スクリーンエディタにおいて、もっとも重要なキーだ。




さて、以上の知識を踏まえたうえで、O26 の命令一覧表を読んでみて欲しい。


最初の方にあるのは、命令ではなくキー操作の説明だ。


「SETS INSERT」という記述が多く並んでいる。

これについては後で説明を加えよう。


その後、MESSAGE、SYSTEM COMMANDS、FILE COMMANDS、と見出しが続いて、その後に LINE ENTRY AND DATA MOVE とある。


注目すべきはこの部分だ。

「行の編集」について多くのコマンドが示されている。


行の内容を削除したり、追記したり。

この際、X,Y で示されるのは、行番号。


編集はコマンドを行番号込みで使用して、行単位で行う、という操作方法だ。


つまり、O26 エディタは、以下のような特徴を持つ。


・カーソル移動に相当する概念が存在しない。

・編集が直接入力ではなく、コマンドによって行われる。

・編集コマンドには、行番号の概念が密接に結びついている。


これはラインエディタの特徴であり、「O26 は世界初のスクリーンエディタだった」という話とは全く違っている。




ラインエディタはプリンタを使用してテキストを確認しながら編集を行った。


プリントアウトされたものは変化しない。過去の情報であり、現在とは食い違っている。

だから、常に「最新の情報」を確認しながら編集を進める必要がある。


O26 は編集命令などを見る限りラインエディタの延長上にあるものだが、ブラウン管ディスプレイをうまく活用した機能を持っていた。


ここで、まず「ディスプレイ」について概要を示す必要があるだろう。


最初にディスプレイを搭載した市販機は、1960 年発売の PDP-1 。ベクタースキャンディスプレイで、グラフィックの表示は得意だが、文字表示にはあまり向いていなかった。

どうも、ここで「ディスプレイ」の有用性に気づいたらしい各社が、こぞって 1964年にディスプレイ付きのコンソールを発売する。


発売順などはよくわからないが、同じ 1964年発売なので、開発などは同時に進んでいたのだろう。順不同で紹介する。


まず、IBM 。当時のコンピューター最大手だ。

価格の違う3つの製品を出したのだが、いずれもラスタースキャン。文字の表示に適した方式だ。

一番高級機で、80文字 12行を表示できた。


次に UNISYS 。IBM にまともに対抗できていた大手だ。

こちらも2機種あるが、ベクタースキャン。グラフィック表示に適しているが、文字を表示する機能があった。

高級機で、80文字 12行を表示できた。


さて、O26 が作成された、CDC 6000 シリーズ。

最初の機種である CDC 6600 が 1964年に発売になっており、セットで使うディスプレイ付きコンソールも同時に発売している。


画面が2つにキーボードが1つ、という変則的な構成で、ベクタースキャン。

しかし文字の表示に特化したモードを持つ。この時、ベクタースキャンの特徴を活かして、文字サイズは3段階に可変。


一番文字を小さくしたとき、1画面に 64文字 40行を表示できた。

横に表示できる文字数こそ他社より少ないのだが、行数が多いため、画面に表示できる文字量で圧倒している。

しかも、これが2画面ある。


この「潤沢に文字表示ができる」ディスプレイを活用して、O26 というテキストエディタが作られたのだ。



(このディスプレイについては、6600 Computer System Reference Manualの54 ページに詳細が書かれている。

 行数が示されていなかったが、画面写真の行数を数えて、少なくとも 40行表示できているのを確認)




コマンド表から「想像」できる、O26 の概要を示そう。


ここから先の話、O26 のマニュアルなどが見当たらないため、想像に過ぎない。

命令表などを読んでそれなりの根拠はあるが、間違えている可能性は多々ある、というつもりで読んで欲しい。


通常のラインエディタでは、編集する際には、まず編集したいテキスト周辺を印字、コマンドにより編集、正しく編集できたか、もう一度テキスト周辺を印字、という作業を繰り返す。


これは、プリンタの特性上当然となる作業の流れだ。


しかし、CDC のコンソールであれば、画面上にテキストを常に表示しておき、編集したらすぐに画面上にも反映、ということができる。


おそらくは、O26 の最大の特徴はここにある。スクリーンエディタではないが、従来のラインエディタではない、「スクリーンを活用した、非常に便利なエディット環境」ではあった。


先に書いたように、CDC のスクリーン上には 40行の表示が可能だ。

このうち おそらく 32行を使って、テキストを表示している。


画面は表示部分以外に数行余るが、おそらくはここでコマンドを受け付ける。

(もしかしたら、2つ目のディスプレイを使ったかもしれない)


編集コマンドでテキスト内容を変更すれば、それは表示部分にすぐに反映される。

この環境は、従来のラインエディタに比べれば、非常に使いやすかっただろう。




さて、命令表の最初の方には「INSERT MARKER」という語句が並んでいる。


O26 にはカーソルは無いのだが、INSERT MARKER という概念がある。

INSERT MARKER を任意の行に設定し、一部の命令は INSERT MARKER が示す行を編集対象とする。


ただし、命令を見ると、INSERT MARKER を対象とした命令と、行番号を必要とする命令が混在している。


実は、INSERT MARKER にはさらに特殊な「INSERT 8」「INSERT 9」と呼ばれる概念がある。

この2つは、「範囲の最初」と「範囲の最後」を示すものだ。


そして、命令によって行番号が必要だったり、2つの行番号で範囲を示したり、INSERT MARKER で特定行を示したり、INSERT MARKER 「以降」という範囲を示したり、INSERT 8/9 で範囲を示したり…と、なんとも命令系統が混乱しているのだ。



…ここで、追加で資料を示そう。


最初に挙げた命令表は「インスタント」から抜き出したものだろう、と書いたが、1981年当時の INSTANT であれば、bitsavers にあったのだ。


1981年版の INSTANT


1-39ページからが O26 の記述になる。


ここで、最初に書いた命令表と見比べると、命令の体系が結構変わっている。

行番号を対象とするものはなくなり、すべてが INSERT MARKER (8/9 含む)を使った操作になっているのだ。


相変わらず直接テキストを編集することはできず、命令で操作することになる。

でも、行番号を意識する必要はなくなり、命令系統もずいぶんとすっきりした。


なお、先に「テキスト部分は 32行」と書いた根拠は、ここでの記述になる。

INSERT MARKER の設定部分が変更されており、先の命令表では 28行目にセットしていた操作が、32行目になった。

「4行おき」だったのがここで不自然に飛ぶことになったが、おそらく 32行目が最終行で、最終行にセットできるようにしたかったのだろう。



ここで重要なのが、1981 年にはすでに vi も word star も発表になっていることだ。

つまり、スクリーンエディタは当然になっている。


そして、O26 はプログラムが改良され、もともとラインエディタとして作られていたのが、スクリーンエディタっぽくなっているのだ。

(相変わらず編集に命令が必要だが、行番号を意識する必要がなくなった)


そう考えると、最初に書いた命令表も、いつのものだかわからないため怪しくなってくる。

最初から INSERT MARKER は存在したのか?


この命令表は、筆者の「昔のコンピューターの思い出話」の中で資料として示されている。

この思い出話は、1978~1983 年のものだ。

1981年のインスタントよりも内容的に「命令が整理されていない」ので、より古いもの思うのだが、1978年であればすでに vi は世に出ているのだ。


つまり、これが改良中の、徐々にスクリーンエディタの作法を取り入れている最中の O26 のもので、だからこそ命令に混乱があるのだ、という可能性も捨てきれない。





以下、調査結果をまとめよう。


12年前、vi が世界最初のスクリーンエディタだが、word star も vi を真似したわけではなく、独自に同じ発想に至ったのだろう、と書いた。

これに対して O26 の方が先に作られたスクリーンエディタだ、という情報をいただいた。


O26 は、1967 年に作成されている。

これに対し、vi はその前身となる ex の開発が、1976 年に開始されている。

(vi は ex の名前を変えただけ)


O26 の方が古いのだから、O26 が世界初だろう、という情報だったが、調査の結果、O26 はラインエディタであり、スクリーンエディタではなかった。


今のところは、世界最初のスクリーンエディタは vi 、という認識のままでよいかと思う、



O26 の当初の機能は、残念ながら文献が見つからずよくわからない。

しかし、「ある時点」の命令表と、1981年の命令表が見つかっている。


ここで分かるのは、O26 は作りっぱなしではなく、積極的にアップデートされていたということ。

スクリーンエディタが世に出て以降は、スクリーンエディタの作法を取り入れて便利に改良した節が見受けられる。

相変わらずカーソルの存在しないラインエディタなのだが、行番号を意識せずに使えるようになったのだ。



ここら辺の歴史経緯に気づかずに混同したのが「O26 は世界最初のスクリーンエディタだ」と言われている原因でないかと思われる。



ただ、作法的にラインエディタだったとしても、編集中のテキストを常に表示しているなど、非常に使いやすい環境だっただろうとは思う。

「スクリーンエディタ」ではないが、「当時はまだ珍しかった、スクリーンを上手に活用したエディタ」だったことは事実だ。


4.16 追記


元々英語のWikipedia に O26 の項目があるのが話の初めなのだが、急に気が付いて、「talk」を読んでみた。


Wikipedia では、編集の際に議論が必要となった場合の為に、表には見せない議論の場がある。それが talk だ。


で、確認したら、案の定「スクリーンエディタとは何か」という話になっており、もともと記事を起こしたらしい人が「編集バッファの内容をリアルタイムでディスプレイに表示するものをスクリーンエディタと定義する」と独断していた。


なるほど。その定義でいえば、O26 は世界初のテキストエディタだろう。

カーソルなど存在しないでも、作法的にラインエディタであっても、この定義であればテキストエディタとなる。


しかし、本文に書いた通り、世間的なテキストエディタの定義とは食い違う。あくまでも、コンセンサスの取れない独自研究に類する話のようだ。


どうも、ネットに(英語圏で)流布している、O26 が最初のテキストエディタだという説は、英語の Wikipedia が発信源のようだが、以上のように余りにも独特な主張である、ということを明記しておく。


僕は度々 Wikipedia を信じることの危険性を書いているが、ここでも同じ話の繰り返しでした。


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マイクロソフト 創立記念日  2025-04-04 14:08:08  コンピュータ 今日は何の日

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今年で50周年だそうです。

1975 年 4月 4日に設立した、ということだね。


ただ、これは正確かどうか、ちょっと疑問だ。

というのも、法人登記どころか、この日付を示す書面などの物的証拠が何一つ残っていないから。


ただわかっているのは、「マイクロソフトという名前は、1975年の夏に思いついた」という、命名したポール・アレン本人の記述であり、少なくとも4月時点ではマイクロソフトの名前は使っていない。


とはいえ、のちにマイクロソフト BASIC と呼ばれるものの最初のバージョンを作り上げたのは、このくらいの時期だったはず。




マイクロソフトは Altair 8800 に BASIC を供給する際に作られた会社。


Altair 8800 は「世界最初のパソコン」と呼ばれるものなのだけど、自分で組み立てるキット式だった。

これが発表されたのが、1975年の 1月。


すぐに注文が殺到したのだけど、そんなに注文が来ると思ってなかったので量産体制が整っていない。

1台も出荷していないうちに、「BASIC を開発中だから買い取らないか」という電話がかかってくる。


出荷していないのに対応ソフトを作ったって?

俄かには信じられないが、Altair 8800 の作者は、とにかく電話の相手と会ってみることにした。

しかし、作成したという相手は、まだ完成には時間がかかるからと、2か月後の日付を指定した。


電話をしたのは、ビル・ゲイツと仲の良かった、ポール・アレン。

ビル・ゲイツは BASIC を自分で作ったことがあり、ポールアレンは学校のコンピューター上に、8008 CPU のエミュレータを作ったことがあった。

だから、8008 の後継である 8080 上の BASIC は作れるはずだ、と確信していたのだ。


とにかく2月後に商談だ、というので、ここから Altair 8800 の CPU である 8080 エミュレータを開発し、そのうえで動作する BASIC を作る。


…この話、詳細は以前に書いたエド・ロバーツの誕生日と、ビル・ゲイツの誕生日を読んで欲しい。


1月に Altair 8800 が発表されて、少し間があって、2か月後には BASIC を見せて…

BASIC を見るために3月に会う約束をした、とされている記述が多いのだけど、そうなると4月4日とは何だろう。


BASIC を見せた「返事」をこのあたりでももらったのかもしれない。

それは製品が初めて売れ、会社を続けていくことになった日ということで、マイクロソフトの第一歩、と言えなくもない。


この後、口約束で「ソフトを供給する」契約を結び、さらに改良して実際に発売するのは夏。

この時に契約するために「マイクロソフト」という会社名を考え出したのだと思われる。




さて、上に書いたように「世界初のパソコン」に BASIC を供給することからマイクロソフトが始まる。

だから、マイクロソフトの話をまともに書くと、パソコンの歴史を全部書くことになってしまう。


ところで、当時の BASIC は「言語」ではなく、OS の役割も果たしていたことに留意。


Altair の BASIC は、紙テープから本体にロードされた。

紙テープからロードするためのソフトウェアは、ユーザーがトグルスイッチを使って、2進数で RAM に直接書き込んだ。

いまから見るととても面倒だが、当時の常識なのでどうということはない。



でも、のちには BASIC は ROM に搭載され、パソコンの電源を入れれば動くようになっている。

最初に動くのが BASIC で、BASIC で書かれたプログラムはもちろん、そうでないプログラムを動かすときも、BASIC の命令を使ってプログラムをロードすることから始まる。


だから、BASIC は言語というよりも、パソコンの作業環境そのもの、OS の役割を兼ねていた。

そして、マイクロソフト BASIC は、カスタマイズされたものが各社のパソコンに供給されていた。


当時、コンピューターの互換性はなかったが、マイクロソフト BASIC は少なくとも「文法が似通っている」ため、移植が行いやすかった。




IBM が IBM-PC を発売することになり、IBM もマイクロソフト BASIC を欲しがる。

それほど、当時は BASIC といえばマイクロソフトだった。



ただ、他の会社と違い、IBM は BASIC を ROM で搭載しようとはしなかった。

メインフレームで使われる言語なども供給したいので、OS を用意して、その OS 上で BASIC を動かす、というのが IBM の意向だった。


…ところが、この OS が決まらない。

これに商機を見出し、マイクロソフトは OS も自分たちで作る、と申し出る。


ビル・ゲイツは及び腰だったそうだ。BASIC 以外にも FORTRAN、COBOL、PASCAL を提供する契約で、これ以上の開発はとてもできない。


でも、これはチャンスだからやらなくてはならない、と強く主張したのは、当時マイクロソフト副社長だった西和彦。

小さな会社が作成した OS を、その開発者込みで知っており、これを開発者ごと買収しようという計画を立てた。


果たして、OS もマイクロソフトが提供することになる。

これがのちの MS-DOS で、互換性のない各社 PC でも共通して MS-DOS を搭載するようになっていく。


…BASIC の時と同じパターンを、時代を超えて繰り返すのに成功したわけだ。



ここら辺の話は、IBM PC の発売日西和彦 誕生日に詳細を書いた。



あと、MS-DOS は、当時 8bit 機で普及していた OS 、CP/M を独自に 16bit 化したものだ。


この CP/M の話は、アラン・シュガートの誕生日とか、か、vi は世界初のスクリーンエディタか?とかに断片的に情報を書いているが、まとまった記述をしていなかったな…


重要な話なのでどこかでまとめておきたい。




マイクロソフト 50周年の WEB ページを見に行くと、歴史は MS-DOS から始まった感じになっている。

いまとなっては OS の会社として知られているので、MS-DOS からというのがわかりやすいのだろう。


先に書いた通り、BASIC は言語であるとともに、当時は OS でもあった。

でも、これは詳細を知らない人に説明しずらいからね…



以降は、MS-DOS を拡張する形で Windows が作られ始め、3.0 になってやっと「まともな」プラットフォームへと成長する。

それ以前は、発表はしたものの実用にならなかったのだ。


さらに、より強固な OS を求めて、倒産した DEC 社から買収した OS 作成チームが、独自のマイクロカーネル上に Windows の互換環境を作り上げる。

これが Windows NT だ。DEC の OS である、VMS を「一歩進めた」システムとされている。

(VMS をアルファベットで1文字進めると WNT になる)


XP 以降は Windows NT をベースとして、32bit OS から 64bit OS への転身も遂げた。

今でも OS としては標準の座にある。




Windows の 1 と 2 は使い物にならなかった、と書いたが、たとえ製品的に失敗であっても、諦めずに技術開発を続けるのがマイクロソフトの強みだと思う。


Windows for WORKGROUP とか、Windows for PEN Computing なんていう「派生版」もあった。

物珍しく話題にはなったが、実際にはそれほど売れていないだろう。


でも、そこで「特別に」作られた機能は、のちの Windows に取り込まれている。

製品が売れなくてもちゃんと技術は活かされているのだ。


PEN の延長として、Origami プロジェクトというのもあった。

小型 PC を普及させようというプロジェクトで、OS から「小型 PC に必要なもの」を作ろうと模索していた。


Windows CE の存在も忘れてはならないだろう。

小型機に組み込みで使うための OS として開発されていたが、日本国産 OS であった TRON への対抗でもあった、ということはあまり知られていない。


(TRON は製品の中に組み込んで使用するものなので、あまり一般に知られていないのだが、RTOS と呼ばれる特定分野でのシェア率は20年以上、TRON がトップを走っている。現在世界シェアで 60% 程度。

 Windows は RTOS ではないが、Windows CE は RTOS として作られていた。)


Windows CE は携帯電話に組み込まれ、iPhone よりも前の「スマートフォン」として使われたりもした。


後に Origami と Windows CE の「スマートフォン」が融合するような形で Windows Phone というのが作られたが、これも全く売れませんでしたね。

でも、マウス操作ではなくタッチ操作がしやすい環境、というのが研究されて、今の Windows Tablet などに活かされている。




なんか話が雑多になってしまったけど、すでに書いたように、マイクロソフトの歴史を語るのはパソコンの歴史を語ることに等しい。


最後の方は自分が書きたいことをまとめておいたが、詰め込み気味になってしまったことをお詫びしておく。



今はコンピューター産業が成熟したからこそ、マイクロソフトの存在感も以前より薄れている。

しかし、今後も業界をリードし続けるのだろう、とは思う。




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やっと書いた  2025-03-30 16:06:55  家族

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2月に行った家族旅行、旅行記はとっくに書いていたのだが、リンクなどを整えてページの体裁にするのがなかなかできず、やっとアップできた。


時間が無かったのでかなりやっつけ。文字だけで写真も入っていないし、他人が読んで面白いものでもない。

日記ページに書いてしまう方が楽なのだけど、余りにも時間がたっていて「日記」というのもどうかと思うので、旅行記ページの方に書いた。


春の家族旅行2025


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天気  2025-03-24 15:36:27  その他

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書くほどの事でもないのだが、面白いので記録だけしておこう。


先週3月19日、春分の日の前日だったが、東京で雪が降った。積雪1センチ。

鎌倉では降っていない。


今年は3月に入っても雪が多く、東京はこの日で5日目の雪。

3月に東京で5日も雪が降ったのは、2001年以来の24年ぶりだそうだ。


また、春一番の観測は無かった。

(こちらは珍しい事ではない)


で、昨日23日(日)。

東京で気温25度を超え、夏日となった。


東京で3月の夏日は3年連続、観測史上7回目だそうだ。



ソメイヨシノは東京ではまだ咲いていない。

大船の玉縄桜は2月に咲いてたけどね。



2025.4.1 追記


夏日は数日続いて、その後また冷え込んだ。

今日は関東でも山間部は雪。渋谷でも朝一瞬だけ雪が降ったそうだ。


春は三寒四温だが、ちょっと振れ幅が大きい。



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