まずは、なんとなくネット記事を読んでいた時に見つけた話。
ちょうど入試の時期で、国語の問題で「作者がどんな気持ちで書いたか」を問う問題があった…という話の流れがあったらしい。
作家さんが、X 上で、過去に自分の書いたエッセイを公開していたんだ。
リンク先にあるのがそれ。2023年のエッセイだ。後半有料だが、主旨は無料部分だけで十分伝わってくる。
この方の過去に書いたエッセイが難関中学の入試問題に使われ、解いてみたが正解がわからなかった、という話。
このエッセイの白眉は、作者の気持ちを問う問題を作者が答えられない、ということではない。
そんな話は過去に語りつくされており、改めて言うまでもないのだ。
重要なのは、「作者の気持ちを端的に伝える言葉」は、編集者によって選別されているのだ、という点。
言葉に現れる「作者の意図」を作者は理解できない。思うことを文章にしているだけで、意図を込めた気はないからだ。
でも、編集者はその文章から意図を汲み取り、より読者に届くようにするのが仕事だ。
ノイズを消し、わかりにくいところを追記するよう作者にアドバイスする。
結果、出来上がる「意図」は、作者のものではある。しかし、それを明示的にしたのは編集者なのだ。
なるほど。面白い。
僕の文章を含め、ネット上には筆者がそのまま書き散らかしているだけの駄文が膨大に転がっている。
こんなものは、無料であっても読む人はそう多くない。
しかし、編集者の手を経て、自分の視点だけでなく人の視点も借りて推敲された文書だけが、出版してお金を取れる珠玉の作品となるのだ。
まぁ、以前から「編集者の仕事って重要だよな」とは思っていたのが、思わぬ形で具体的事例を見せられた、という感じ。
どんな職業でも、トップもいれば底辺もいるわけで、すべての編集がこんなに素晴らしい仕事をしているわけではない、ということも知ってはいるが。
(過去に知人が、余りにもダメな編集者と仕事してひどい目にあったので)
さて、そんな素晴らしいエッセイを読んだのと前後して、エゴサーチしていたら当ページの事を書いてくれている方がいた。
このページを好きで読んでくださっているそうなので、書いた当人は自分の事だとすぐわかると思うが…。
Xで、プレミアム会員になって長文が書けるようになった記念として、「最初の長文」に、当ページの紹介を長々と書いてくれていたのだ。
いや、感想もらえるのすごくうれしい。でも褒められすぎて恥ずかしい。
嬉し恥ずかしがない交ぜになり、読んでいて顔がニヤける。
そして、文章の書き方なども意図があるかのように細かく絶賛してくれているのだが、そんな意図ないからね!?
先に書いた「作者の意図」と同じで、僕は自分の好きなように駄文を書き散らかしているだけで、文章に意図なんて込めているつもりはないのだ。
(逆接的に、作者が意識していなくても何らかの意図は入っているのかもしれない、ということではある)
元文章を示さないので、多くの人にとって何のことやら、わからないでしょう。
感想くれた人に、直接ではなく間接的に、公開で返事書いている感じ。
いや、だってあまり褒めてくれているから、リンクとかすると自分を持ち上げているみたいで照れ臭いじゃん。
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