2013年11月12日の日記です


ミヒャエル・エンデの誕生日(1929)  2013-11-12 11:07:47  今日は何の日

今日はミヒャエル・エンデの誕生日(1929-1995)。


いつもパソコンネタですが、今日はそうではないです。

僕がミヒャエル・エンデ好きなのかと言えば…そうでもないかな。

でも、エンデの作品である「モモ」は自分の人格形成に重要な役割を果たしている、と思います。


これも、図書館で借りて読んだだけで手元に持っていたりはしないのだけどね。

読んだのは小学生の時。子供の頃は手元に置いておきたかったけど、子供には高い本だったし、「すでに読んだ本」にお金を使えるほど小遣いはありませんでした。


子供の頃はハードカバーしかなくて高かったのですが、今調べたら文庫版も出ているのね。

今度、子供たちに読んでやるために買おうかな。


#1年後追記:去年この日記書いた直後に買いました。

 子供にも読んだ。気に入ってくれたけど、「もう一度読んで」と言われるとつらい。

 毎日30分読んで、2週間かかるようなお話だから。




モモの話は長く語りたいから後に回して、他の有名作品について。


ジム・ボタン。子供の頃アニメでやっていました。今調べたら、幼稚園に入る前じゃん。


心を持った機関車がいて、ジムがそれに乗って旅しているの。

なんか悪い奴が出てきて、ボタン投げてやっつける。


…いや、赤ん坊の頃の認識なんてそんなもんです。

設定だけ借りたもので、お話は原作と全然違うそうです。原作も知らないけど。


こんな認識だとエンデが泣くな (^^;

それとも、赤ん坊のころに見た話を覚えている、というだけで喜んでくれるだろうか。




ネバー・エンディング・ストーリー。

映画版の最初のやつしか見ていません。ヒットしたので知っている人も多いかな?

エンデは、これを見て「全然原作と違う」と激怒したそうです。


当時友達が映画を見てから原作を購入して読み、「映画でやっているのは、原作の導入部で、この後の話が面白い」と言っていました。

同時に、「原作は翻訳の問題で読みづらいのでお勧めしない」とも。


この言葉が引っかかって、気になるのだけど未だに手を出していないお話です。



あらすじとしては、2重構造になっています。

少年が本を読むお話と、その本の中に書かれたお話。


本の中のお話としては「ファンタジェン」と言う国があり、「虚無」という恐ろしい存在が襲おうとしています。

国を救うために少年が旅をする物語。


そして、それを読む少年と、お話の中の少年が妙に「一致」します。

読む少年はそれに疑問を持ちながら読み進める。


そして、映画のラストで「虚無」とは、人々が物語を楽しまなくなることだと判明します。

ファンタジェンは物語の中にのみ存在する国で、人々が物語を楽しまなくなれば消えてしまう。


本を読んでいた少年こそが、物語を楽しもうとする存在であり、国を救う存在。

「読む少年」と「話の中の少年」が一致している理由はそこにあったのです。



…原作ではこの後、少年は本の中に入り、いろいろな経験をするらしい。



映画の続編も作られましたが、エンデと訴訟になったために完全オリジナルストーリー。

こちらは見ていないのでよくしりません。




さて、モモの話。


時間泥棒と、時間泥棒から時間を取り戻した女の子のお話です。


映画化もされましたね。ネバーエンディングストーリーの反省から、エンデがかなり細かな部分まで口を出したと聞いています。

僕は見ていないのですが、「原作のイメージ通りだったけど、原作を知らない人が見ても理解できない映画」だと知人が言っていました。


…原作者の意見に従うって、難しいよな。



ところで、ネバーエンディングストーリーの映画がヒットした際、ラジオで「モモ」のラジオドラマをやっていました。ヒット映画と同じ原作者の有名作、という触れ込みで。


兄がエアチェックしてテープに録音したのを、好きで何度も聞きました。原作本を図書館で借りてきたのもこの後の話です。

今でもテープは持っています。聞くためのデッキがないけど。


…今調べたら、このラジオドラマニコニコ動画にありますね。


原作とは微妙に…いや、かなりかな…異なります。

でも、僕にとってはこのラジオドラマが「モモ」の原点。



舞台はローマのような遺跡のある街。

主な登場人物は、モモという女の子(浮浪児)と、仲良しの道路掃除夫(知恵おくれ)、観光案内人(ペテン師)、それに灰色の男。


浮浪児と知恵おくれとペテン師、という社会の落伍者こそが、社会を外側から眺め、異変に気づくことができます。


灰色の男は、みなの時間を少しづつ奪い去る泥棒。

時間の節約を呼びかけ、効率を重視した社会に変えていきます。


のんびりしたおしゃべりなんて時間の無駄。床屋も商店も、会話を楽しみながらの仕事なんてやめて、すべてを事務的にこなすようになっていきます。


おかしいと気づいたのは、モモだけ。

そんなモモのところに、不思議な亀「カシオペア」が訪れます。


カシオペアは非常にゆっくり動く存在。時間の節約の対極にあります。

でも、彼は自分の中に時間を持っており、時間を自由にすることができるのです。


モモとカシオペアは、人々にゆっくりとした時間を取り戻すための戦いを始めるのですが…




原作ではカシオペアは「甲羅に文字を浮かべて会話ができる」のですが、ラジオ版では話します。

これはラジオだから仕方がないところ。


原作ではカシオペアは常にゆっくり動くのですが、ラジオ版では戦いの最中にジャンプキックなんてかましてくれます。これは…笑いどころ?



小学生のころに「モモ」に出会い、中学高校と過ごす間も、常にどこかで「モモ」を意識していました。


忙しいと「灰色の男」という言葉を思い出します。

忙しいときこそ、ゆっくり過ごす時間を忘れてはいけない。


ある意味、モモと同じように「社会の落伍者」でありたいのかもしれません。

…いや、落伍者なんてかっこよすぎるな。アウトローを気取っているように聞こえる。


世捨て人のように、社会と関係なく生きて行きたいのかも。

寂しがり屋なので、そんなことできないんですけどね。


お話の中で、モモは「おはなしをする」ことを非常に大切にしています。

「おはなし」というのは、表面上の会話ではなく、心と心をつなぎあわせること。


これ、「時間効率」の対極にある考え方だと思います。

心をつなぎ合わせるのは、1対1でしか行えませんし、非常に手間も時間もかかります。

でも、モモにとってはこれが一番大切な事。効率なんて関係ありません。




お話の後半、モモたちは「時間の止まった世界」を冒険します。

モモは、時間を生み出す「時間の花」を持つことで、時間の止まった世界でも動くことができます。


しかし、カシオペアはそうした特別なものなしに動くことができます。

不思議に思うモモに対してカシオペアは言います。


「私にとって時間とは、外にではなく内にあるものなのだよ」


この言葉、なんども思い出します。周囲の時間ではなく、自分の時間で生きることができるか…

会社をやめて独立したのも、この言葉の影響が少なからずあると思います。



でも、これ時間に限った話じゃないですよね。

すべてのものについて、自分の内の物にできているかどうか…


正確な時計が安くなり、正確な時間を過ごすことができますが、それは時間の余裕を無くしただけ。

ネットの普及で多くの知識に触れることができますが、情報に振り回されるだけ。

物質的に豊かな社会にはなったけど、それで幸せになるわけではない。


古くて新しい社会批判を、子供にもわかる童話として作り上げたもの、それが「モモ」の魅力だと思います。



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