今日は「パソコン通信」が生まれた日(1978)
当ページでは、古いコンピューターの話題も多数取り上げています。
だから、いわゆる「コンピューター通信網」は、これよりずっと前からあったよ、と言わないわけにいきません。
でも、1978 年の今日、「パソコン通信」が生まれたのです。
インターネットの前身となる ARPANET は、1969年には生まれています。
「テレタイプ」同士を電話線で繋げて通信を行うのはもっと昔からありました。
そして、テレタイプはコンピューターの入力機器としても使われました。当然、電話越しの利用もありです。
DEC の PDP-10 は1966 年に出荷されたマシンで、タイムシェアリング…複数のプログラムを同時に動かせる機能が特徴でした。
#今では複数のソフトが同時に動くなんて当たり前の話ですが、1990年代初頭までは一般的ではなかったのです。
このタイムシェアリング機能と、電話線越しのテレタイプ接続を使って、コンピューターを時間貸しするサービスが 1968年には存在しています。
1980年代には世界最大手のパソコン通信会社だった CompuServe も、1969年に創業したコンピューターの時間貸しサービスの会社でした。
とはいえ、コンピューターに電話線で接続してできることは、コンピューターのアプリケーションを利用すること、だけでした。
1975年、Altair 8800 が登場します。世界初の「パーソナルコンピューター」でした。
Altair は…作った MITS 社自身が売れるとは思っておらず、量産体制を整えてなかったため、入手困難な人気商品になりました。
そして、回路をほぼ丸ごと真似した「互換機」が大量に発売されることになるのです。
Altair の設計の特徴は、すべてを…CPU すらも、「周辺機器」と考え、それらを結び合わせるバスを巧妙に設計したことにありました。
このバスは S-100 バスと呼ばれ、互換機は S-100 コンピューターと呼ばれます。
シカゴに住むワード・クリスチャンセン (Ward Christensen) は、こうした互換機の内の一つを入手しました。
ワードは、近所のコンピューター愛好家の集会に顔を出すようになります。
Cicago Area Computer Hobbyists' Exchange、略称で CACHE と呼ばれる集会で、ランディ・スース (Randy Suess) と知り合います。
二人は打ち解け、仲の良い友達になりました。
1960年代末から普及し始めた「コンピューターの時間貸しサービス」は、電話回線越しにテレタイプやコンピューターを接続するための「モデム」を、一般的な電気製品にしていました。
コンピューターショップに買いに行けば、誰でも手に入れることができるのです。
ワードとランディは、この面白い機械を使えば、CACHE に顔を出して紙テープの受け渡しをしないでも、コンピューターのプログラムを交換できると考えました。
この頃の通信網というのは、それほど品質が高くありません。時々電気ノイズにより、ビットに「誤り」が起きるのです。
コンピューターの時間貸しを行っているだけであれば、それらは「文字が化ける」ことになります。
結果の数字が運悪く別の数字に化けたりすると困りますが、そんなに都合よく化けることはあまりなく、アルファベットなどに化けるので「おかしい」ことが分かります。
おかしいと思えば、再度計算させて確認することもできます。
しかし、コンピューターのプログラムで 1bit 間違える、というのは致命的です。
品質の悪い回線で、絶対にデータを間違えない転送方法を考案する必要がありました。
ワードは、300bps のモデムでデータ転送を行うための「MODEM」というプログラムを作り上げます。
128byte 転送するごとにチェックサムを送り、相手が「正しい」と信号を送ってくれば次を送ります。
もし「再送」という信号が来れば、同じ 128byte を送り直します。
これを最後まで繰り返せば、間違いなくバイナリプログラムを送ることができるはずです。
このプログラムは仲間内で話題となったようです。
それまで、パソコンは単体で使うもので、「電話線越しに接続する」なんて試みはなかったのですから。
やがて、パソコン同士を接続できるのであれば、みんなに伝えたいことなどを記録しておき、誰でも好きな時に確認できるシステムは作れないだろうか、という構想に発展していきます。
パソコンを相手とした留守番電話、というイメージでした。
ただし、メッセージは留守番電話の持ち主だけでなく、誰でも見ることができるのです。
とはいえ、構想だけでなかなか作成には入れなかったようです。
1978年1月中旬、シカゴは猛烈なブリザードに襲われました。
家の外に出るのもままならない状態。もちろん CACHE の集会にも顔を出せません。
しかし、家にいなくてはならないこの時間は、以前から考えていたプログラムを作る良い機会でもありました。
留守番電話のようなコンピューターを作るのであれば、普段使っている物とは別に、電話番専用の機械が必要になります。
ランディは、新しい S-100 コンピューターを組み立て始めました。
ワードは、MITS の 8K BASIC (ビルゲイツが作った Altair 用 BASIC)で、プログラムの試作を開始します。
試作段階では、メッセージはメモリ上にのみ残されました。
しかし、想定していたシステムは順調に動くようです。
ランディはさらにディスクドライブを入手して機械に取り付け、ワードは試作したプログラムを、アセンブラで作り直しました。
メッセージをディスクに残すために、CP/M 上のアプリケーションとなりました。
作業開始は、1月16日。
当初は2週間のつもりで作業していましたが、完成度を高めるためにさらに2週間の追加作業を行います。
そして、1978年の 2月 16日、システムは完成し、お披露目が行われました。
パソコン同士を接続し、メッセージを読んだり、新たなメッセージをみんなに見せたりできる。
コンピューター化(Computerized)された掲示板(Bulletin Board)のシステム(System)です。
頭文字を取って、CBBS と名付けられました。
世界で最初の、いわゆる「パソコン通信」 BBS と呼ばれるものです。
#C を、彼の属していたサークル CACHE の意味とする説もあるらしいが、彼自身が「CACHE は関係ない」と明言している。
ワードとランディは、自分たちの作成したシステムの概要を、Byte 誌に投稿します。
この記事は、11月号に掲載されました。
記事のタイトルは Hobbyist Computerized Bulletin Board。
記事中では、表記ゆれで Computerized Hobbyist Bulletin Board System になったり、単に Bulletin Board System になったりします。
実際に動作している画面イメージでは CBBS/CHICAGO とあります。
どうやら、これで「Bulletin Board System」、略して BBS 、というのが一般的な認識となったようです。
この後、BBS を名乗るシステムが多数同時発生します。
「パソコン通信」の時代が始まったのです。
ワードの作成したプログラム転送機能、MODEM は、後にプロトコルなどが改良されて XMODEM と呼ばれるものになりました。
後にもっと改良されたプロトコルが作られても、「パソコン通信ソフト」には、XMODEM で転送を行う機能があるのが普通でした。
パソコン通信のホスト側も、クライアント側も、すべてが対応する「最低限の共通プロトコル」だったのです。
#1990年代にはモデムが高機能化し、通信回線の品質も高まっていたので、Flying XMODEM とかありました。…何もかも懐かしい。
多くのパソコン通信は、インターネット接続が一般化した 1990年代にサービスを終了しています。
CBBS も、そのころ運用を終了しました。
しかし、BBS の精神は無くなっていません。
元々 BBS は、「草の根」と呼ばれる、友達や地域の人と話をするための小さなコミュニティが中心でした。
大手企業が運営しているものはあっても、それが文化の中心ではなかったのです。
インターネット時代には、小さなコミュニティは「CGI 掲示板」などの形で残され、現在の SNS にも影響を与えています。
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