15日(金) 告別式当日。
朝、長女・次女の通う中学校から電話がありました。
今日の参観日、自由な時間にご覧になって構いませんよ、と…
すっかり忘れていました。中学校は参観日でした。
コロナの影響で、密を避けるために子供の出席番号による時間指定があったのですが、長女と次女が同じ時間なのでどちらかずらせないか、と相談していたのでした。
これもコロナの影響で、参観日に見に行けるのは家族で一人だけ。
元々妻が行く予定だったのですが、この日は雨で、僕は葬儀場まで妻に車で送ってもらうつもりでした。
時間割を見ながら、「面白そうな授業」を見に行けるように妻が予定を組み立てる…
1時間目に次女の授業を見て、一度家に帰って僕を送ってから、3時間目に長女の授業を見れば大丈夫そう。
さらに、4時間目の後に懇談会と、長女の修学旅行の説明があるのですが…
4時間目の間は「密を避けるため」中学校を出ないといけないのでまた家と往復し、この日妻は1万歩歩いたそうです。お疲れ様です。
告別式は、繰り上げ初七日法要まで一気に行う形でした。
その後、棺に花を入れます。
葬儀の祭壇は、花で作られたものでした。
父の時と同じ葬儀社ですが、父の時は白木の祭壇。こちらの方が形式としては正しいようなのですが、女性の場合柔らかなイメージで、花の祭壇にすることが多いのだとか。
で、初七日法要の後、参列者は一旦別室に移り、スタッフの方が祭壇の花をすべて取り外し、ものによっては茎も切り落とします。
後で聞いたのですが、少しでもお別れの時間を長くとるために、この作業はできうる限り迅速に行ってくれたのだとか。
そして、いよいよ棺に花を入れて最後のお別れ。
母が普段来ていた服を、長兄の奥さんが持ってきてくれていました。
喜寿の時に兄弟で集まってお祝いした時、母にプレゼントしていたカーディガンもありました。
また、母が好きだったという「きんつば」も持ってきてくれていました。
…ん? 僕は「きんつばが好きだった」と納棺の時に初めて聞いたのですが、僕以外みんな知ってる。
あれ? きんつば好きだったって、知らなかったの僕だけ?
きんつばを棺に入れ、みんな花を入れていき…
「きんつば隠れちゃう」と、長姉がきんつばの位置を移動します。
さらに花を入れていくうちに、また「隠れちゃう」と移動。さらにもう一回。
誰かが「もう、お母さんにくわえさせれば?」と言い出して、一斉に「やめて」「それはダメ」なんて突っ込みが入ります。
さすがに、皆が笑いました。
「お父さんの時は、◯◯おじさんが棺に直接お酒を振りかけて、みんな笑ったね」なんて思い出話が出ました。
父の時も確かに笑いました。こうして、笑顔で送れるのはいい式だと思います。
そして棺は花でいっぱいに。
皆が母の顔に触ります。頭をなでます。
僕も感謝の念を込めて、頭を撫でました。
そして、みんなで蓋を閉じます。
これで見納めです。
火葬場まではマイクロバスで 30分ほど。
これも父の時と同じ場所です。
雨が降っていました。
そういえば、父の時も大雨だったよね、と次兄が言います。
先ほど過去の日記を調べたら、父の時は台風が来ていたようです。
そして、今回の雨も、遠くを通過する台風の雨です。
長姉の結婚式の時も、妹の結婚式も台風でした。
我が家の冠婚葬祭には「赤道直下からの大物ゲスト」が良く来るようです。
火葬は1時間ほどで終わり、皆で骨を拾います。
骨壺に収め、最後に愛用していた眼鏡を入れました。これも父の時と同じです。
父はきっと母を迎えに来ているだろう、と長兄が言いました。
そうかもしれません。よく二人で旅行していました。
父が事前に下調べをして、母を案内するように。
あの世までの遠い旅路も、父に任せられると思えば安心です。
仲の良い夫婦でしたから。
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