2010年04月14日の日記です


iPad を触ってみた  2010-04-14 17:01:25  コンピュータ 歯車

知人が iPad を個人輸入で入手した。


「見てみたいですか?」と自慢したげに言うので、見せてくれるなら見ますが、と答えたら「そんな態度とって、本当は見たいんでしょう~」と良くわからないリアクションをしながら見せてくれた。

いや、それほど興味なかったから、本当に見なくても構わなかったのだが。


あまり批判すると iPhone 派の人から狙撃されそうだが、自分としては国内での iPhone 普及には当初から懐疑的である。


ガラパゴスと批判されようと、日本の携帯電話のガジェットとしてのレベルは高い。


…いや、そもそもいまどき「ガラパゴス」だなんていう人は世間に取り残されている。

この言葉は、一部の人が日本の携帯電話を批判するために使い始めたが、その後擁護派が「ガラパゴスは悪いことではない」と猛烈な反論を行ったため、ネガティブな意味は失われた。

しかし、iPad を見せてくれた知人は iPhone 派であり、iPad を見せながら話をする間中、日本の携帯を否定的な意味で「ガラケー」(ガラパゴス携帯の意味)と呼んでいた。


まぁ、ガラパゴスについては置いておき、まずは iPad のことから。




iPad を触っての第一印象は、伝え聞いていた通り重い、ということ。


ここのところ、立場により感想が異なるだろう。実際の重さは 700g。


iPhone のように常に携帯して持ち歩く、と言うことを考えていた人は「重い」と言う。

ノートパソコンのようなものを想像していた人は「軽い」と言う。

つまりは、微妙でどっちつかずの重さだということだ。



僕は iPad の話題を聞いたときから、これは持ち歩くものではなく、リビングで使うものだと思っていた。

しかし重い。うちには Kindle があるのだが、Kindle は気軽に家の中で持ち運ぶ気になる。

しかし、iPad の重さだと微妙である。リビングで使う、と決めたらそこに置きっぱなしにする機械だろう。


というのも、筐体設計の悪さが重さを余計に感じさせているのだ。

想像以上に大きい機械で、薄くて重いので、落としたら壊れそうである。

しかし、持ち手などは付いていない。うっかり手が滑って落としそうな怖さがある。これが重さを際立たせる。


iPhone とイメージ統一のため、表面をつるつるで凹凸のない形にしたのだろうが、指が引っかかるようなふくらみなり、滑り止めのざらざらなりつくってあれば、もっと軽く感じたかもしれない。


(IBM の古い機械、PT-110には、持ちやすくするためのふくらみがつけてあった。ここら辺の話、10年以上も書きたいと思ったまま置きっぱなしだ。)



片手で持って使おうとすると、重くて長い板を端っこの1点で支えることになり、余計に重く感じる。

ついしっかり掴もうとしてしまうが、そうするとタッチパネル部分に手が触れてしまうので、使えない。

もって使うなら常に両手で、と言う設計なのだろう。iPhone を片手で使っているような気楽さはない。




しかし、操作感は非常に快適であった。

iPhone でもそうだが、Jobs はこういう部分には一切妥協を許さない。


iBook など、ページ送りする時のアニメーションが、リアルタイムの演算によるものだった。

つまり、指をスライドすると、その指で紙をめくっているように動く。左右にめくるものなのに、途中で止めて上下に指を動かすと、曲げた紙の端が上下に動くように、たわみ方が変わる。


実用上はどうでもいい部分にこだわって作っている、と言うことが非常に良い。

しかし、こういうデジタルガジェットは、「実用品」と言うよりはおもちゃなのだから、このこだわりは重要だ。


GoogleMap のアプリケーションも同様の快適さ。

大きな画面で、自由に地図を動かすのは面白い。


あえて Zoom In した航空写真で、家の近所の道を辿って散歩していたら迷子になった。

普通はこんなことせずに、Zoom Out して目的地を探すのだが、軽快に動くから無駄な動きを楽しみたくなるのだ。




一番の感動は、iPhone のソフトを動かした時だった。


自分は、iPhone のソフトが動くとはいっても、それでは iPad の画面の広さは活かせないだろうし、「専用ソフトが発売されるまでの繋ぎ」程度の機能だろうと予測していた。


しかし、予想はいい意味で裏切られた。

iPhone 用に作ったソフトを iPad で動かすと、iPad の画面の広さの恩恵に預かれるのだ。


iPhone ソフトの動作環境は、互換サイズと2倍サイズの2通りが選べ、動作中でも切り替え可能である。

互換サイズで動かすと、画面の真ん中に小さなウィンドウが作られて、そこで動く。

2倍サイズにすると、ウィンドウは丁度縦横2倍になる。


ここまでは予想していた。

そして、2倍にすれば1ドットの大きさも画面の 2x2 ドットに割り振られて、ドットがカクカクと見えるものになるのだろう…と思っていた。


しかし、違う。2倍サイズの画面にすると、iPhone 用のソフトは iPad 向けに何の対応もしなくとも、2倍の解像度で美しく表示される。


具体的には、産経新聞の iPhone アプリをいじっていた時にこの現象が起こった。

産経新聞は、iPhone 向けに当日の新聞を無料で配信している。

iPhone ではかなり拡大しないと文字がつぶれて読めないのだが、iPad の2倍サイズ画面では、たくさん文字を表示したまま読めるのだ。


最初は、新聞だし、文字を並べてあるのかな、と思っていた。

ビットマップなら拡大したらギザギザが目立つが、文字データであれば、最終的には OS がレンダリングするので、拡大しても問題はない。

文字でなくとも、ベクターデータになっていても拡大に強いだろう。


しかし、そうではないようだ。iPad でも、極端に拡大を行うと、ギザギザが見える。

これは一体どういう現象だ?



同じような現象は、コミックを見ていたときにもおきた。

そして、こちらで確信した。


毎日作成される新聞ならともかく、既に紙で作られている原稿を取り込んだコミックリーダーで、ベクターデータにしてあるわけがない。

これは、ビットマップだ。iPhone - iPad の表示の仕組みでは、画面のサイズに関係なく、ビットマップを美しく表示できる仕組みが最初から備わっているのだ。


と言うことでピンと来た。

古い Mac ユーザーなら知っているだろう。Old Mac は、画面描画に QuickDraw という仕組みを使っていた。


QuickDraw は、そもそも Apple II の Pascal 用に作られた描画ライブラリだ。

特徴は、数学的に画面を構成すること。画面描画命令は画面の解像度に依存しないように作ってあり、最終的には「全体のうち、どの部分を画面に表示するか」と言う指示によって、実際の画面に反映される。


まぁ、ベクターグラフィックと基本的な概念は同じだ。それを OS の仕組みとして取り込んである、と言うことが違うだけ。


Jobs が Apple を「クビになって」から作った NeXT Computer でも、同じような仕組みが使われた。

ただし、こちらはDisplay PostScript と言い、PostScript プリンタと互換性のある方法で画面を描画する。


Adobe 社は後に、Display PostScript の技術を広く転用し、パソコン画面とプリンタで同じ見た目を実現するソフトを作成した。Adobe Acrobat だ。そのデータ形式である PDF (Portable Document File : どこにでも持っていける文章ファイル)は表示デバイスの解像度に依存しない。


現在の Mac OS X では、 QuickDraw の後継であり、Display PostScript の後継でもある、Quartz で画面を描画する。つまり、Quartz の技術は、PDF の技術と親戚筋であり、デバイスの解像度には依存しない。



さて、長い説明だったが、iPhone にも Quartz が使われている。

産経新聞は、紙面全体を大きなビットマップとして持っている。


全体を表示したいなら、ビットマップ全体を表示するように…と Quartz に指示を出す。

すると、Quartz は適切にビットマップを縮小し、画面に表示する。この際、表示デバイスの解像度を気にする必要はない。

一部を拡大したいなら、拡大したい部分を表示するように、と指示を出す。これまた、Quartz は適切にビットマップを縮小し、画面に表示する。やはりデバイスの解像度を気にすることはない。



デバイスの解像度を気にすることはない、としつこく書いているのは、これによって iPad の2倍表示モードでも、画面の広さが適切に活かされ、美しい表示になっているからだ。


最終的に、画面の広さよりも狭い部分を表示するように、と指示が出ると、今度は縮小ではなく、拡大が行われる。このときにはさすがに画面がカクカクになる。



最初からこのような美しい設計をしていたから、新しい機種を作っても互換性問題で苦しむことがないのだ。


iPhone HD の噂が出ている。

画面は丁度2倍になるそうだ。最初は、ドットを 1:2 で拡大することで互換性を取りやすくするために2倍なのだろう、と考えていた。つまり、専用ソフトが出るまでは画面の広さは活かされないだろう、と。


しかし、どうやら iPhone HD は最初から画面の広さが活かされそうだ。





以上のように、デバイスとしては iPad は良くできている。


見せてくれた知人は、こんなにすばらしいものだから、国内で発売されたらみんな買うんじゃないか、と言う。

でも、それはないだろう。


まず第一に、iPad はパソコンではない。パソコンのデータを持ち出すための、ビュワーだ。


そのため、母艦となる PC は必須だ。

しかも、WiFi 対応しているのに、母艦には WiFi で接続できない。iTune を通して、USB 接続でデータをやり取りするしかないのだ。



でも、国内では、それほど PC は普及していない。


同じ理由で、iPhone もある程度以上売れないだろう。

iPhone も iPod も、 PC を母艦として使う設計だ。

それは悪いわけではなく、小さなところでやりにくい作業は最初からやらない、そういう作業は PC でやって持ち込む、という使い分けでもある。

この使い分けによって、あの機能美を実現している。



しかし、最初に挙げたように、国内ではガラパゴスと呼ばれる携帯が普及している。

非常に高機能で、WEB やメール程度なら PC を必要としない。


…Netbook 、と呼ばれる PC の守備範囲は、携帯で十分なのだ。

そして、それが故、現在の大学生から下の世代では、マニアでなければ PC を持たない。


アメリカでは、労働世代には「必需品」の PC が、日本では必需品ではない。

そのため、PC を必須とする iPad / iPhone は、国内では普及の足がかりを持たない。



iPad は、Netbook に対する Apple からの回答だ。

しかし、PC ではない。


これが PC として動けるのであれば、iPad を母艦として iPhone を使う、なんていう若い世代が出てくるかもしれない。

その時は、国内の携帯電話の勢力図も大きく変化するかもしれない。


#もっとも、国内がいい意味で「ガラパゴス」なのは、デバイスの機能問題だけではなく、社会インフラの問題もある。

 インフラが整わない限りは、若い世代にとって携帯は手放せないだろうし、その状況で iPhoneや Android 携帯の爆発的普及はない。



翌日追記


勘違いされるといけないので書いておきますが、自分は Apple 好きです。

Mac が白黒だった頃から知っていますし、今も Mac 使ってますよ。


同時に、モバイルガジェット好きとして iPhone 類に興味がないため、もっていません。


Apple は好きだけど、他が嫌いなわけじゃない。

仕事には Windows も Linux も使うし、普段持ち歩いている Netwalker は Ubuntu Linux。


iPhone を持ってないからと言って、否定もしません。

上に書いたように、技術的に優れたところには素直に感心します。




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