今日は、ガストン・ジュリアの誕生日(1893)。
添付している画像は、節分なので鬼のお面…ではなくて、今日紹介するジュリアが考案した、ジュリア集合図形の一種。
この複雑な図形、たった一つの数式で描かれている。
描き方は後で紹介しよう。
ジュリアは19世紀末に生まれた、20世紀初頭の数学者だ。
19世紀の数学は、微分・積分を究極の武器として発達した。
20世紀初頭には「違う方法での数学アプローチ」が求め始められていて、あらゆる部分で微分「不可能」な図形が多数考案されたりしている。
微分とか積分とか聞くと拒否反応を示す人もいるので、簡単に説明しよう。
微分可能、というのは、言い換えれば「滑らかだ」と言っているだけだ。
微分すると、結果としてその「滑らかさ」の度合いを知ることができる。
でも、ここでは結果はどうでもいい。可能かどうかだけを聞いているのだから。
これは、「滑らかか」と聞かれているだけだ。
直線はどこまでもまっすぐで、滑らかだ。円周もどこまでも滑らかだ。
これらは微分可能だ。
でも、三角形の角は滑らかではない。ここを「微分不可能な点」と言ったりする。
じゃぁ、あらゆる部分で微分不可能、とはどういうものだろう。
多くの数学者は、「線」の定義を変えることで微分を不可能にした。
コッホは、直線の定義を「2点の間を3分割して、両端は直線に、中央は三角形の残りの二辺の直線を描く線」と定義しなおした。
…おっと、ここで注意しなくてはならない。コッホは直線を定義したはずなのに、その定義の中に直線が入っている。
この定義には「分割」が入っている。定義の中に定義自身が入ることで、無限に分割され、無限の「三角形の角」を生み出す。
先に書いたように、三角形の角は微分不可能だ。
そのため、コッホの考案した、この「コッホ曲線」は、あらゆるところで微分不可能となる。
19世紀の数学は、微分・積分を究極の武器とした。
その事実から考えると、「あらゆるところで微分不可能」というのは、非常に恐ろしく、非常に興味深い図形だ。
ジュリアは、ここに虚数を組み合わせた図形を考案した。
虚数!
…あぁ、また「難しそう」と思う人がいそう。
この際、虚数の計算方法はどうでもいい。これが興味深いものであることだけを示そう。
普通の数は、「数直線」の上に表すことができる。小学校で習うね。
同じように虚数も、虚数の数直線の上に表すことができる。この点では、普通の数と何も変わらない。
ただ一つ違うのは、虚数の数直線は、普通の数直線と「直角に」交わっている、ということだ。
この世界に、虚数は存在しない。数学者の頭の中だけに存在する、と言われる。
実は、物理学的にも虚数は存在していると考えたほうが都合がよい…つまりは、実際にも存在しているのだけど、少なくとも我々の誰も、その虚数を感じ取ることはできない。
たとえ、虚数の「計算方法」を知っている物理学者であったって、その存在を実感することはできないんだ。
なんでかというと、我々は数直線に落ちた「影」を見ているから。
数直線の上にある、と思われている数は、実は数直線の上ではなく、自由な位置にある。
ただ、その位置から数直線に向けて、まっすぐに「影」を落としている。そして、我々はこの影しか見ることができない。
だから、世界に虚数があったとしても、誰一人として感じ取ることはできない。
さて、数が自由な位置にあり、数直線に影を落としているだけだとしたら、本当の数はどこにあるのだろう?
先に書いたように、虚数は普通の数と直角に交わったもの、と考えることができる。
となると、自由な位置にある…普通の数だけでは表現できない数も、虚数を組み合わせれば表現できる。
これが、「複素数」と呼ばれるものだ。
普通の数と虚数の、二つの数直線を使って「平面」を示すとき、これは複素数平面と呼ばれる。
混乱しないように書いておくと、普通の平面なら、(X,Y) の二つの数字で点を示すことができる。
複素数平面は、 X が普通の数で、 Y が虚数だというだけ。これ自体特別なものではない。
ジュリアの研究は、この複素数の奇妙な性質を調べるものだった。
先に複素数を「自由な位置にある数」と呼んだ。
複素数自体は、普通の数と虚数の組み合わせで示されるけど、決して二つの数ではなく、これで一つの数だ。
1つの数なので、計算ができる。
そこで、こんなことを考えてみよう。
1) 複素数 z に対して、最初の位置 z0 を与える。
2) z に対し一定の操作をしたうえで、複素数 c を足す。
3) 2 でできたものを新たな z として、何度も 2 を繰り返す。
4) 発散したかどうかを、z0 の位置ごとに記録する。z0 を変えながらひたすら繰り返す。
「一定の操作」というのがわかりにくいのだけど、自乗とか3乗とかが一般的だ。
なんでもいいのだけど、「一般的」なものは、面白い挙動が見られるからよくつかわれる(一般的である)。
複素数 c も、なんでもいい。ただし、これは一連の計算の間は固定の値だ。
で、一連の計算というのは、 3 でひたすら繰り返すし、4 で 1 の条件を変えながらひたすら繰り返す。
ものすごい数の計算をしなくてはならない。
4 で「発散したかどうか」とあるのだけど、ここは注意深い説明が必要だ。
なぜなら、ここに複素数の奇妙で興味深い振る舞いが現れるから。
普通の数…まぁ、整数としておこう。整数なら、自乗すれば大きくなる。何度も繰り返せばどんどん大きくなる。
0~1 の範囲の数だと、何度も自乗すれば小さくなる。今度はどんどん小さくなる。
どちらにしても、どんどん一つの方向に向かって数が動き続ける。
でも、複素数はそうじゃない。虚数は、自乗すると「マイナスの数になる」という性質があるからだ。
計算方法はややこしいので書かないけど、大きくなろうとする普通の数と、それを引き戻そうとするマイナスの数がせめぎあって、あちこちを行ったり来たりすることになる。
さらに、複素数 c を足しているので、この振る舞いは非常に興味深いことになる。
ただ、ある程度複素平面の原点 (0,0) から離れすぎてしまうと、すごい勢いでどこかに飛んで行ってしまうことはわかっていた。
数学的には、すごい勢いで数が離れていくことを「発散した」という。なので、原点から離れると発散する。
ジュリアは、この「興味深い」動きを調べようとした。
z0 を少しづつ変えながら、発散したかどうかを記録し続けた。
先に書いたように、ものすごい数の計算が必要だ。
ジュリアの時代には、手回し計算機があったので、手で計算していた時代に比べれば高速に計算できたから、こんな手間のかかることをやろうとしたのだろう。
とはいえ、現代の…コンピューターの計算力を知っている我々から見ると、なんとも気の遠くなる作業だ。
結果は、非常に興味深い。最初に与える z0 が原点に近ければ発散しない、というような単純なものではない。
発散した点とそうでない点を塗り分けると、非常に複雑な図形が出現する。
そして、その境界は非常に微妙だ。
発散した点だらけのあたりで適当に取った点は、やはり発散する。
発散しない点だらけのあたりだと、やはり発散しない。
でも、境界線当たりでは、ほんのわずかに数値を動かしただけで、挙動が変わってしまう。
つまり、「どんなに細かく見ても、境界線を見極められない」。
これこそ、すべての点で微分不可能である、という、最初に書いた図形の一種なのだ。
おそらくジュリアは、複素数の興味深い振る舞いを調べたかったのだろうけど、20世紀初頭に流行した図形のバリエーションを…非常に独創的な方法で作り出したことになる。
ちなみに、最初に示した「鬼の面のような画像」は、 z^2 * exp(z) + 0.21 、という操作で作られている、そうだ。
Wikipedia で CC BY-SA 3.0 ライセンスのものを、ライセンスに従って使わせてもらった。
本来のジュリア集合は、この図の「黒い部分」である。
発散してしまった場合、発散するまでの計算回数を元に、点に色を付ける。
すると、美しいグラデーションが現れる。近い点は、同じ程度の計算回数で発散しやすいためだ。
しかし、見てわかるように、単純なグラデーションとはならない分断面も多数ある。
こうした複雑さがジュリア集合の面白さになっている。
ジュリアの時代には、計算力が足りなかった。
ジュリアは方法論を示して後の世に影響を与えたけど、時代が早すぎた。
ずっと後の話になるのだけど、マンデルブロがこの「ジュリア集合」に興味を示す。
その時にはコンピューターがあったので、簡単に計算を行うことができた。
先に書いた通り、ジュリア集合は原点 (0,0) 付近を離れない点の集合だ。
関係するパラメーターはいくつもあるのだけど、計算するごとに足し続ける値、c は非常に重要になる。
この c の値によっては、初期値が原点の場合ですら発散してしまうことがある。
そこで、マンデルブロはまず、ジュリア集合世界の「見取り図」を作ろうとした。
まず、計算を単純な「自乗」だけに限定した。
初期値 z0 を、原点である (0,0) にして、c の値を変えながら、ジュリア集合と同じように繰り返し計算を行った。
そして、c の位置に応じて、発散したかどうかを複素平面に描いていく。
マンデルブロの目的は、「興味深い振る舞いをしそうな c の値」を探し出すことだった。
原点ですらあっという間に発散するようでは、その c の値に見どころはないからね。
しかし、この「見取り図」こそが、ジュリア集合以上に興味深いものだった。
見取り図を作ることが目的だったので、ジュリア集合よりもずっとパラメーターが少ない。
にもかかわらず、ジュリア集合と非常によく似た振る舞いを示し、細かな部分にジュリア集合と類似のパターンが現れた。
マンデルブロが作成した「見取り図」を、マンデルブロ集合と呼ぶ。
今となっては、マンデルブロ集合はジュリア集合以上に有名だ。
ジュリア集合、マンデルブロ集合、を含み、先に書いたコッホ曲線など、「微分不可能な数学」の一分野を、マンデルブロは「フラクタル幾何学」と名付けた。
今では、このフラクタルの概念も拡張され、いろいろなところで役立っている。
そう、なんだか難しい話に思えた人も多いと思うけど、身の回りで役に立てられている技術だ。
マンデルブロとその業績については、マンデルブロの命日の記事に書いているので、興味がある人はそちら読んでほしい。
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