2017年01月31日の日記です


【追悼】中村雅哉さん  2017-01-31 11:20:49  今日は何の日

昨夜、ナムコ創業者の中村雅哉さんが 22日に亡くなられていたというニュースが入ってきました。


ナムコには思い入れがあるので何か書きたい、という気持ちのある反面、僕は中村さんの人柄についてほとんど知りません。

ちょっと検索して書けるような薄っぺらいお悔やみを書くよりも、自分のナムコに対する思いを書こうかと思います。




インベーダーゲームのブームは僕が幼稚園年長の時。


まだ当時はテレビゲームは「大人の遊び」でしたから、幼稚園児がテレビゲームなんてやるわけがない。

(もっとも、うちには「TV FUN 701」があったので、テレビゲームという遊びがあることは知っていた)


そのまま、「インベーダーゲーム、というものがある」という程度の知識しかないまま育ちます。


以前も書いたのですが、小学校2年の時、年が離れた兄(当時高校生だと思う)に、ゲームセンターに連れて行ってもらいました。

親が出かけるので兄は僕の「お守り」を頼まれていて、家にいてもつまらないからゲームセンターに連れて行った、というだけだと思いますが。


兄は、自分の小遣いでどれかゲームを遊ばせてくれる、と言いました。

インベーダーゲームの知識しかなかったので「インベーダーやりたい」と言ったのですが、当時のゲームセンターにはすでにインベーダーはない。


最新のゲームはドンキーコングで、兄は上手に…簡単そうにプレイしていました。

僕にもやらせてくれたのですが、難しい。すぐ終わったと思います。


そして、やっぱりインベーダーを遊びたいと言っている僕に、兄が似たゲームを遊ばせてくれます。



これも難しくてすぐ終わったのだけど、インベーダーに似たゲームを遊んだ、ということで満足。

この、僕を始めて満足させてくれたゲームが、ナムコの「ギャラクシアン」でした。




もっとゲームを見てみたい、と思うのですが、小学校の規則でゲームセンターに行くのは禁止でした。

そのうち、友達から「あそこの駄菓子屋にゲームが置いてある」なんて情報をもらって、入り浸るようになります。


ネオジオの頃の、駄菓子屋の店頭にゲーム機が1台置いてあるような「駄菓子屋ロケーション」ではなく、小さなゲーセンみたいな駄菓子屋があったのです。

当初は3台くらい。人気があるので店舗拡張して、後には8台くらい置いてあったかな。


他にも似たような店が3件ほどありました。



小学生であまりお小遣い持ってないから、人のプレイを見てばかり。

それでもゲームは面白かった。


遊んでいるのは主に中高生で、おそらくは不良が多かったのでしょう。

人のプレイを食い入るように見ている変な小学生は、適当にからかわれました。


でも、からかいながらもその人たちは優しかった。

ゲームで手が離せないので「ちょっとそこのお菓子食べたいから、おばちゃんにお金払ってきてよ」とか使いッパシリにされて、その駄賃として「最後の一機」を遊ばせてくれたりするのです。


#ハイスコアを目指すプレイをしている人は、これはどうもダメだ、と見たところで、残機がいてもゲーム放棄することがあった。



このときのゲームは、主にパックマン。

馴染みのグループの人が上手で、パターンを組んで延々と遊んでいました。


自分ではとても覚えられませんでしたが、パターンを試行錯誤しながら組み上げた「攻略ノート」を見せてもらったりしました。

今思うと、「ゲームは攻略するものだ」とこのときに知ったのかもしれません。


この頃、友達の家にローリングクラッシュが置いてありました。

(その友達の親戚が喫茶店をやっていて、店に置けない筐体を預かっていた)


何度でも遊べるので、このゲームは攻略しました。

そして、やはりノートに攻略パターンを記録していました。




だらだら書いても仕方ないので、この先は少し飛ばしましょう。


この頃ゲームに魅せられていた人なら、誰しもナムコを特別に思っていたはずです。

ヒットしたからと言って似たようなゲームを作らない。どのゲームも常に「新しい体験」でした。



僕もナムコのゲームは大好きでした。


以前も書きましたが、スーパーマリオはパックランドの真似だ、と思っていた。

ナムコが好きだったからこれが許せなくて、スーパーマリオを遊んだのは、大ヒットからしばらくたった後です。


#今となってはこれは誤解だったと知っていますし、今ではスーパーマリオは大好きなゲームの一つですが、これはナムコの話としては余談。



高校の頃には、将来はゲーム会社で働きたいと思っていました。

大学になると具体的に考え始めます。


そして、出した結論は、「ナムコ以外のゲーム会社に行こう」でした。


いつか独立したい、という夢もありました。

(これも、ナムコから独立したゲームスタジオの影響があります)


その時に、ナムコだったら大好きすぎて、とても出て行こうとは思えないだろう、という気がしたのですね。

それくらいナムコが好きだった。




最も、1980年代中期~後期のナムコのゲームが好きだった、という程度で、それほど詳しいわけでもありません。


ゲームセンターにあまり行かなかった時期もあって、フォゾンとか見てもいないし。

NG も飛び飛びに読んでいたけど、全号集めようとするほどのものではない。未来忍者の映画だって見ていない。


まぁ、好きだと言っても所詮はぬるいファンに過ぎないです。マニアと自称できるほどでもない。




中村雅哉氏の話が全然ないので、最後に少しだけ。


僕の大学時代の知人が、ナムコに入社しています。

だから、直接は知らないけど雰囲気的なものを聞いたことはある。



基本的に、ゲーム開発には口を出さないけど、面白いかどうかはきっちり確認する人だった、と聞いたことがあります。

スケジュールも特に定めない。会社なんだから商売っ気が必要なはずなのに、そんなことよりも面白いものを作ることが優先だという。


そういう雰囲気だから、ナムコが常に新しいゲームを作り続けられたのだと思います。

そして、そのナムコに牽引されてゲーム業界は大きくなりました。



ゲーム業界の末席にいたものとして、中村氏に感謝しております。




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