目次
09-28 パソコン記念日
09-28 小さな冒険
今日はパソコン記念日。
PC-8001の発売日を記念して定められた…と言うことになっているのですが、発売日は確定できないようです。
まぁ、一応当時のNECの支配人の「記憶」ではこの日だったようなのですが。
リンク先に調査結果がありますが、すごいなぁ。
こうした細かなことを突き詰められる人、偉いと思います。
さて、以下の内容は、上のリンクを見る前に、数日前に今日発表用に書きあげてあったものです。
今日が発売日、ということで書かれていますが、ご容赦ください。
今日はパソコン記念日。
PC-8001の発売日を記念して定められました。
これは…僕なんかより語るのに適した人がいっぱいいるように思います。
古いコンピューターは好きだし、高校の部活で所有していたので PC-8001 もかなり使い倒したけど、当時所有はしていなかったので。
所有していた人は多い機械ですからね。その人たちの方が語るに適していると思います。
なので、ざっくりと…
NEC の TK-80 が日本で最初の「パソコン」なのは結構有名な話です。
これは、NEC のマイクロコンピューター販売部が作ったものでした。
マイクロコンピューター、とは、この当時まったく新しい半導体であった「1chip CPU」のこと。
まだ新しすぎて応用用途も思いつかないような、新しい半導体の販売を促進するための部署でした。
新しくて応用が思いつかないなら、まずはこの技術に慣れてもらおう、とまずは技術者向けの教材の販売を行うことにします。
これが TK-80 。TK という型番もトレーニングキットの略で、組み立ても自分で行うものでした。
これが予想外の(?)大ヒット。単に技術者向けの教材の枠を超え、パソコンを使ってみたい、と言う層に訴求します。
のちに、ベーシックを使えるようにする拡張セット TK-80BS を発売し、最初から BS 内臓で組み立て済みの COMPO BS/80 も発売されます。
しかし、COMPO BS/80 発売に至るまでの裏で、TK-80 を作った技術者たちは新しいマシンを開発していました。
そのマシンは、すでに組み立て済みで、BASIC が最初から使えるようになっていて、カラーも出力できる「パソコン」でした。
問題はここにあって、すでに販売促進のための部署が扱うようなものではなくなっていたのです。
紆余曲折があり、新しいパソコンは子会社の新日本電気の扱いとし、販売だけを NEC で行う形で発売にこぎつけます。
これ、まったく新しい商品を作って、大コケしたら新日本電気が倒産するだけで、NECの業績には影響がないように…という思惑です (^^;
これが PC-8001 でした。
COMPO BS/80 の発売は1979年の4月。そして PC-8001の発表は5月。
値段は PC-8001 の方が安いのに、性能は上でした。
この後も TK-80 のシリーズは発売されるのですが、市場は完全に PC-8001 に移行します。
9月28日に発売された PC-8001は大ヒット商品となり、人気は1年以上続きます。
TK-80 は、販売時期だけでいえば「日本初」です。しかし、誰もが扱える製品ではなく、部品を集めてあるだけの「半製品」でした。
PC-8001 は、買ってくれば誰でも使える製品でした。
さらに、この後に書きますが、PC-8001 をきっかけとして多くのコンピューターが作られていきます。
PC-8001 の発売日が「パソコン記念日」とされているのは、そのような理由からです。
実は、PC-8001 を任された時点で、新日本電気は独自にパソコンを設計していました。
せっかく PC-8001 を任されたのだからと互換性のある BASIC を搭載しようとするのですが、これには親会社である NEC の許可が出ません。
PC-8001 以上の性能を持つのはダメ。互換があってもダメ。廉価版もダメ。NEC から見れば、せっかく人気の出ている PC-8001 を脅かす存在はいらないのです。
最終的に、予定よりも大幅に性能を落とし、PC-8001 との互換性も切り捨て、値段を下げた「ホビーパソコン」として PC-6001 が発売されます。
一方で、同じ NEC 社内でも、大型コンピューターを作っていた情報処理部門も PC-8001 をほおっておくことはできなくなります。
人気のある安いパソコンがある、ということで、顧客からの注目も高くなっているのです。
しかし、大型コンピューターの端末として使ったり、単独でビジネス処理をさせるには、PC-8001 では力不足でした。
そこで、情報処理部門は、PC-8001 互換の BASIC を搭載し、よりパワフルな 16bit 機の開発を開始します。
これが後の PC-9801 です。
実は、PC-9801 の開発は、社内的に極秘だったと言います。
顧客からの注目を考えれば、PC-8001 との互換性は絶対に必要です。
しかし、PC-6001 が PC-8001 との互換を許されなかったように、事前に「互換性計画」がばれてしまえば、止められる危険性があるのです。
最終的には、完全な互換機として仕上がるまで社内的には極秘、さらに PC-8001 と、その後継機である PC-8801 の両機種と BASIC レベルで互換性を持つ、という機械に仕上がります。
完成後に社内でお披露目がされたときには PC-8001 を作った人たちは慌てたようですが、すでに完成したものを止めることもできません。そのまま発売となりました。
(ここらへん、社内的に情報処理部の方が力が強かったという事情もあるようですが)
1990年代は、完全に PC-9801 の時代でした。
あれ? 最初に TK-80 と PC-8001 を開発した人たちはどうなったの?
…大丈夫。PC-8001 の大ヒットで、NEC 内でも正式にパソコンの開発部署ができました。
ただし、PC-8001 と PC-6001 は、すでに新日本電気に任せています。
16bit 機は情報処理部門が設計しています。
パソコン開発部署は「この中間」の機械を作ることになりました。
家庭用だけど、ビジネスに使うこともできる程度の性能を持つマシンの開発です。
これで生み出されたのが、まずは 8bit ながら高性能の PC-8801。
これは PC-8001 以上の大ヒットで、1980 年代後半の標準的なマシンになりました。
そして、もうひとつ、16bit ながらホビー用途を志向した PC-100。
これは…多分ほとんどの人が知りませんね。
専用に開発された多数の LSI を搭載し、性能もすごかったけど値段もすごかったマシンです。
唯一の誤算は、マイクロソフトが担当した専用 OS が開発に失敗したこと。
専用 OS がないために本来の性能を引き出すことができず、MS-DOS で使うには PC-9801 と競合してしまうため、結果として葬り去られることになったのです。
マイクロソフトが作成していた専用 OS は、後に IBM PC で動作するようになり、Windows 1.0 の名前で発売されます。
#後に PC-8801 のシリーズも、新日本電気が改名した日本電気ホームエレクトロニクスに移されている。
パソコン部署がどうなったのかは不明。今回の主な情報源にしている「パソコン創世記」では、PC-9801に至るまでの歴史が主題であり、そこまで追いかけていないため。
唐突に個人的な話を。
僕、多分なのですが、発売直後に PC-8001 を触っているように思います。
つい先日、ワープロの日に書いたのですが1979年暮(もしかしたら 1980年の初頭)に、東京タワーでパソコン展が行われていました。
この時に、NEC のブースで、パソコンのゲームを遊んでいるのです。
カーレースゲーム、と説明にあったのですが、車は上から下に向かって走っていました。
…表現的には、下から上にスクロールしていた、と言ったほうが良いでしょう。
カーレースと言いながら他の車はなく、障害物を避けるゲームでした。
普通は下から上に走るのに、なんで逆なのだろう、他の車は出ないのだろうか…などと思ったのですが、とにかくこれが初めて触ったパソコンでした。
おぼろげな記憶で、パソコンの形状などは正確に覚えていません。
高校生くらいの時になんとなくパソコンの歴史年表を見て、時代的に TK-80 かなぁ、でもしっかりした筐体に納められていたから、COMPO BS/80かなぁ…などと思っていたのですが…
今考えると、カラーが出ていました。となると TK-80 ではなく、PC-8001 です。
高校の時になぜ PC-8001 だと思わなかったのかは不明。年表に載っていなかったのかなぁ…
(PC-8801 が全盛の時代だったから、PC-8001 が無視される傾向だったのかも)
PC-100、PC-6001、PC-8001、PC-8801、PC-9801 …
以上が、1979年の今日発売された、PC-8001 をきっかけとして生み出されたマシンシリーズたちです。
PC-100 を除けば後継機もたくさん作られ、一時は「月刊NEC」と呼ばれるほど新製品を発表していました。
なるほど、「元祖」にあたる PC-8001 の発売日が「記念」されるわけです。
以上、もっと詳細を知りたい方は、パソコン創世記をどうぞ。現在は無料で公開されています。
(僕は Mac 版を買って置いてありますが、OldMac 用なのですでに読めません (^^; 無料公開は助かります)
先日亡くなった富田倫生氏の力作です。
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目的地が決まっていれば「旅」だが、手段だけが決まっていれば「冒険」だと思う。
次女が、近所の高圧電線を見て「どこまで行ってるの?」と聞いてきたのは1か月ほど前。
じゃぁ、今度電線を追いかけて確かめてみよう、と約束した。
今日、家族で高圧電線を追いかける冒険に出かけてみた。
目的地は決めない。ただ高圧電線をたどっていくだけの、小さな冒険。
実は、子供には言っていないが、あらかじめ Google Map で調べてある。
どこまで追いかけてもきりがないことはわかっているが、適当に切り上げて帰ればよいだろう。
家族みんなで自転車で出かける。
長男は自分の自転車。長女と次女は、僕と妻の自転車に分乗。
最初のうちは近所だから、長男も自分で走りなれた道。
家の近所から電線を追いつつ、通いなれた保育園を通り、公園を通り…
いつもの知っている道でも、鉄塔を見つけながら、その鉄塔の番号を確認しながら進むのは新鮮だ。
長男が知らない道に入ってしばらく行くと、冒頭に示した写真の変電所があった。
結構家の近所なのだが、僕もここは知らなかった。(妻は知っていたらしい)
変電所がなにかわかっていない長男に、変電所の役割を教える。
冒険旅行は社会科見学でもあるし、「電圧」とは何かを教える理科にもなる。
この変電所から家の近所まで電気が来ていることはわかった。
つづいて、この変電所にはどこから電気が来ているのか、追い続ける。
僕が小学生のころ住んでいた町に入る。
友人の家の前を抜け、友人が通っていた高校の前を抜け、長男が生まれた時に住んでいたアパートを抜け…
かなり走り、長男が疲れてきた。
電線はまだ続くが、この後は延々上り坂だ、と判っている。
旅の提案者の次女に聞くと、おなかすいたからもう終わりでもいいという。
コンビニで弁当を買い、近くの公園で食べる。
(昔住んでいた町なので、大きな公園があることも知っていた)
子供たちは、はじめて来た公園にはしゃいで遊んでいる。
とりあえず、旅の終わりは初めて見た公園。
「また遊びに来たい」と次女は言った。何かの機会があれば、それもいいだろう。
街の中でも、こういう無目的な冒険は楽しい。
今度は川沿いにひたすら走るとか、やってみようかな。
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