2017年10月24日の日記です


さん付け運動実施中  2017-10-24 18:05:39  業界記

コラムス97~オーラ写真の頃の話…だと思うのだけど、正確な時期は覚えていない。

また、いくつかの話があって、同じ時期だったと思うのだけど、これも正確には覚えていない。


ゲーム作成ではなく、当時の「人事」のお話。




確か、僕がいたころのセガの社員数は、3000人規模だった。

たしか、開発・生産・運営が、それぞれ1000人くらいづつじゃなかったかな。


僕が入ったのは 1994年なのだけど、その前の3年間で人数が3倍に増えた、と誰かが言っていた気がする。

正確な資料がないので間違っていたら申し訳ないのだけど、メガドライブのヒットや、店舗展開の好調などがあり、人員を大幅に増強したのだろう。


新卒採用だけでなく、小さな会社の吸収合併なども行っていたみたい。


僕の入社の前年には、業務用と家庭用の部署で、大規模な人材交換も行われている。

業務用部署に技術力の高い人が多く、家庭用部署をテコ入れしたかった、ということらしいのだけど、実際部内にも「家庭用部署から来た」という人が何人かいた。



これだけ増えた人数を統括するために、役員も大幅増員。

生え抜きでその人数を集めることなんてできないので、社外から来た人も多く、ゲーム開発なんて理解していない役員もいた。

(悪いことではない。業界の悪しき慣習を打ち破るなどの効果はあった)



ただ、急に会社の規模が3倍になったら、人事部は状況を把握しきれなくなり、迷走を始める。




ある時、「さん付け運動」という指示が出た。

各自の名札に貼り付ける、「さん付け運動実施中」というシールまで作られた。

(セガの当時の看板キャラクター、ソニックが配してあった)


部長、課長と言った役職で呼ぶことで、人間関係に壁を作ってしまい、相談などがしにくくなる。

仕事を進めるうえで相談は必須だから、こうした壁は仕事の邪魔になる。

役職名ではなく、「さん」をつけて名前を呼ぼう、という趣旨だった。



ところで、開発現場は基本的に実力主義。


もちろん部課長クラスは特別な地位にいたし、先輩社員は一目置かれた。

でも、AM1研では言われるまでもなく、役職名なんかで呼んでいなかったし、常に「さん」づけだった。


なので「全社を挙げて さん付け運動」と言われても困惑するだけ。


まぁ、これも「開発現場」とひとくくりにしてはいけないのだとは思うけど。

別の部署では役職名で呼んでいた可能性はある。




また別の時、人事の参考に、とアンケートが配られた。社員全員が必ず回答しなくてはならない。


現在仕事で行っている職能以外に、趣味などで持っている技術があれば書いてほしい、とのこと。

特にコンピューターを扱う能力に関しては質問が細かく、達しているレベルを答えさせるようになっていた。


1) ワープロを使って文章を書くことができる。

2) エクセルを使って計算シートを作ることができる

3) メールの送受信ができる。

4) パソコンにソフトウェアのインストールができる

5) 人にワードやエクセルの使い方を教えられる

    :    :    :

10) VBやCを使って簡単なアプリケーションを作成できる


こんな感じのレベル分け。


プログラム課の人間は、もちろんCを使うことなんて当たり前。


でも、Windows の API なんて勉強してないから、「簡単な」と言われたって、なにも作れない。

エクセルだって持ってないから、使い方知らないし教えるなんて無理に決まってる。


#当時は Windows 95 が出たばかりで、ワープロもまだ一太郎のほうが人気のころ。

 MS-Office も「仕事用」の位置づけで、事務仕事をする人の一部が使っている程度だった。

 Personal エディションが作られ、プリインストール戦略で誰もが使うようになるのは Office 97 から。


みんな迷った挙句、「ワープロが使える」レベルであると申告するしかなかった。

AM1研のプログラマー全員、コンピューターを使う能力は最低ランクです。




また別の話。

机の上を整頓しよう、という運動が展開された。


毎日、帰る際には机の上に何もない状態にしてから帰ること。

書類などには企業秘密も含まれるだろうし、机の上に置きっぱなしで誰でも見られるような状態にしてはならない。


これも趣旨は分かるのだけど、開発には無理な話。

開発でも、もちろん書類は使います。でも、机の上は書類よりも、開発機材でいっぱいなのです。


開発機材は、設置するのも大変な作業。毎日片付けて「何もない状態」なんかにしていたら効率が悪くて仕方がない。

そして、この開発機材こそが、最大の「企業秘密」なわけです。

これは、運動が展開されても当然そのまま。



企画書・仕様書などで書類もあったが、こちらはあまりにも膨大なので、机の上に置くと開発機材が埋もれてしまう。

大抵の人が、ファイルとか書類封筒とか、工夫してまとめて、引き出しや棚に置いていた。


とはいえ、今作っている部分の2~3ページの仕様書程度は机の上に出しっぱなしの人もいたのは事実。

運動が展開されたので、仕様書数ページ分だけど、出しっぱなしにせずに片付けるようにはなった。


(数か月後には元に戻っていたように思うけど)




水曜日はノー残業デー、というのもあったな。

これは、完全無視。


以前も書いたけど、少なくともAM1研では、無駄な残業をしようという風潮はなかった。

むしろ、追い込みの際には嫌でも泊まり込みになるので、そうではない時期は積極的に早く帰ってしまうし、会社に来ないでも構わない。


つまり、「ノー残業デー」と言われて帰れる人は、言われないでも帰っている。

追い込み時期の人は、言われたとしても帰れないし、帰らない。




いろいろ例を挙げてきたけど、いろいろな指示を出す人事部が、開発現場の雰囲気を全く理解してなかった。

たぶん営業・店舗営業か…最悪の話、人事部のある事務方周辺の雰囲気だけで指示を出していたのじゃないかと思う。


会社規模が急に大きくなりすぎ、完全に迷走していました。


(この話、思い出を書き留めただけで、特にオチはない)



同じテーマの日記(最近の一覧)

業界記

関連ページ

引っ越し作業【日記 17/11/02】

別年同日の日記

07年 無理難題

13年 ジョン・マッカーシーの命日

15年 非力なマシンはやっぱり非力だった

23年 PC修理


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています


戻る
トップページへ

-- share --

0000

-- follow --




- Reverse Link -