2019年02月19日の日記です


「蓄音機」特許の成立日(1878)  2019-02-19 13:24:14  今日は何の日

今日、2月19日はエジソンによる「蓄音機」特許の成立日。

米国特許番号は US200521A。google で、その全文を読むことができます


#テキストは、特許を OCR したもので、誤字脱字などもある。

 添付画像に元となった特許書面があるのだが、全部は公開されていないようだ。




さて、特許のタイトルは「フォノグラフ、または喋る機械の改良」です。


…最初の蓄音機のはずなのに、改良?

どうも、細かな部品単位の特許は先に申請していたようで、この特許書面の中にも「何月何日に提出した書類に詳細がある」という記述が多いです。


そして、それらを組み合わせ、「蓄音機」という新しい機械として示したのがこの特許。


蓄音機というものが未知の装置ですから、ここでは「喋る機械」としています。

フォノグラフ (Phonograph) 、というのは、エジソンが名付けた装置名です。




蓄音機の発明の前に、当時存在していた2つの発明品を紹介しておきましょう。



まず、1800年代の前半には、電気の研究が急速に進んでいます。


1800年にボルタが電池を発明。1820年ごろには電流と磁気の関係性が明らかにされ、1825年には電磁石が発明されています。

1827年には「オームの法則」で有名なオームが、電気回路の数学的解析を発表。


1832年には、電信機が発明されますが、伝達距離には限度がありました。

1835年には、リレー装置が発明され、電信機の伝達距離の制限がなくなります。


そして、1836年。

モールスが「モールス信号」式の電信機を発明します。


1850年代前半には、モールス電信網は全米に張り巡らされていました。



同じころ、「フォノートグラフ」(phonautograph)という、音声を記録する装置が発明されます。


1857年に開発されたもので、科学的な研究のために、音の波を図形として記録するための装置でした。

名前も、音 (phon) を、自動的に (auto) 図形 (graph) として記録する、ということに由来します。


この装置は、研究のための道具なので、「記録」だけで、再生装置はありません。



ここで、誰もが同じことを考えました。

フォノートグラフのような仕組みを使って、音を電気信号に変えて、モールス信号のように遠隔地に送れないだろうか?


これが、「電話」の開発につながります。




電話機の発明に力を注いだのは、主に3人でした。


まずは、音声生理学者であった、グラハム・ベル。

最終的な「発明者」です。



彼の母は聴覚障碍者でした。

しかし、全く聞こえないわけではなく、工夫をした話し方をすれば言葉を伝えられます。


そのことから、ベルは音声学に興味を持ったようです。

子供のころには、人の声帯を模したゴム膜と、喉を模した管を組み合わせて「ママ」と喋る装置を作っています。


こうした興味が高じて、遠隔地に人の声を伝える装置を作ろうとしたようですが、彼自身は技術者ではないため、多くの人に支えられて発明を行っています。


#ちなみに、ヘレンケラーにサリバン先生を紹介したのは、グラハム・ベル。

 サリバン先生は、同じく聴覚障碍者のための活動をしていた、ベルの父の教え子でした。



もう一人は、イライシャ・グレイ。

彼自身が発明者・技術者で、ベルの強力なライバルでした。


ベルは、主にグレイが研究している内容をどこからともなく知り、同様の研究を始める…という形で電話機を作り上げたようです。


ただ、グレイはベルを支えた技術者たちほどの技術はなかったようで、基本的な着想はよいものの、なかなか完成には至らなかったようです。



最後の一人は、トーマス・エジソン。

有名な発明王です。


ベルの電話機は、仮に完成した段階で特許を取っていますが、実用には程遠いものでした。

そこで、エジソンはベルの電話機を改良し、改良特許を取ります。


たとえ発明者がベルだとしても、最初の「実用品」を作り上げて普及させれば、商売としては十分なのです。




ところで、当時のアメリカの特許について説明しておきましょう。

当時のアメリカの特許は、「先発明主義」で、書類を出すのが遅くとも、先に発明している証拠があれば、そちらに特許が与えられます。


そして、まだ発明品が完成していない段階でも、近いうちに完成する見込みがある際には、「予告記載」というものを特許庁に出すことができます。


これは、先にアイディアを出していたことを、公に認めてもらうための方法です。

つまり、「先に発明している証拠」として有用な方法なのです。



エジソンは、ベルよりも先に実用になる電話機を作り上げ、特許を取得しました。

しかし、これと同様の特許を「予告記載」していた人がいました。


彼の名は、エミール・ベルリナー。

ベルにあこがれて、ベルが開発した電話機を独自に改良をしていたのです。


ベルは、ベルリナーを技術者として雇い入れます。


そして、エジソンとベル(とベルリナー)のどちらが先に電話を完成させたのか、裁判で争うのです。




電話の発明裁判では、最終的に、エジソンは負けました。

エジソンによれば「訴訟なんかやっているより、次の発明をしたかったので譲った」そうですが、これはどうも悔し紛れの言葉。



しかし、エジソンはこの時点で、「音声」を機械的に扱う方法を十分熟知していました。

電話という音声機械の競争に負けた彼は、すぐに別の音声機械を発明します。


それが、音を記録する装置、「蓄音機」でした。

最初に書いた通り、1878年に特許を取っています。




エジソンの蓄音機(フォノグラフ)は、金属管に巻き付けた錫箔に傷をつけて音を録音するものでした。



錫は非常に柔らかい金属で、爪で傷をつけられるほどです。

その錫箔を針で押して凹ませ、溝の深さ(縦方向記録)によって空気の振動を記録します。


しかし、凹ませる、という方式上、微妙な振動は記録できませんでした。


さらに、錫はありふれた金属ではありますが、金属箔は決して安くありません。

それだけでなく、薄い錫箔では、十数回も再生を繰り返すと、破れてしまうのです。


結果として、蓄音機の音は悪く、記録メディアは高く、壊れやすく、実用性のほとんどないものでした。


「喋る機械」として話題にはなりますが、とても商売にはならないもの。

エジソン自身、すぐに興味を失ってしまいます。




エジソンの蓄音機の特許書面には、筒以外の「記録媒体」の可能性についても言及しています。


#特許書面に、容易に予想される改良方式をあらかじめ書いておくのは普通のことです。

 こうしておかないと、特許とは微妙に異なる方式を採用することで、特許を回避できてしまいます。



エジソンは、ここで「円盤状の記録媒体に、螺旋状に溝をつけて記録を行う」という方式を提唱しています。


しかも、音を記録した円盤を石膏で型取りし、大量生産する可能性にまで言及しているのです。


実際、蓄音機の開発初期には円盤状も実験していたようです。

しかし、技術的な難易度が高かったようで、完成したのは円筒に記録する方式でした。



円盤に螺旋状に記録する、というのは、のちに登場するレコードと同じものです。

そのため、エジソンはレコードを予期していたにもかかわらず、自分では作ることができなかった…というように言われます。


でも、円盤に記録する音楽メディアというのは、当時流行していて、それほど珍しいものではありませんでした。

「ディスクオルゴール」です。




オルゴールは、17世紀に初期のものが作られ始めました。


18世紀には、円筒にピンを埋め込んだ形…今でもよく見るオルゴールと同じ形式で普及しますが、この方式は大量生産に向きません。


18世紀の末に蒸気機関が発明され、蒸気機関による「金属プレス機」が開発されます。

金属の板を強い力で押さえつけ、曲げたり、穴をあけたりする機械でした。


オルゴールは、穴の開いた金属ディスクを使って演奏する「ディスクオルゴール」に変化します。

金属ディスクは別売りもされ、流行歌などを楽しむこともできました。


#穴を使って演奏するオルゴールの技術については、オルガニート参照。



19世紀の前半、蓄音機が作られたころには、ディスクオルゴールはありふれた娯楽製品になっていました。

家庭で買うには少し高価なものでしたが、酒場や遊技場で目にする、ありふれたものでした。


エジソンが特許書類に「ディスク型」を書き、さらには大量生産の方法まで示唆しているのは、これを踏まえてのことです。

決して、未来に登場するレコードを予期していたのではありません。






さて、エジソンが興味を失った「蓄音機」ですが、改良を開始したのは、電話でもライバルだった、ベルたちでした。


ベルは、電話の発明により、フランス政府よりボルタ賞(電池を発明した、ボルタにちなんだ、電気関係で業績を上げた人に与えられる国際賞)を授与されていました。

その賞金をもとに基金を用意し、「ボルタ研究所」を設立します。


ボルタ研究所は、聴覚障碍者のための情報を集約するための施設でした。

…先に書いた話を思い出してください。ベルの母は聴覚障碍者で、そこからベルは音声学に興味を持ったのです。


そして、ベルはボルタ研究所で、音声を扱う機械の研究を始めます。

その一つが、蓄音機の改良でした。


金属管に巻き付けた錫箔の代わりに、ボール紙の筒に蝋を塗ったもので代用します。

この蝋を、「凹ます」のではなく、「削る」ことで細かな振動まで記録することが可能になりました。


エジソンは、深さ方向に振動を記録しました。

しかし、ベルたちは、横方向に、ジグザグの溝を刻むことで音を記録するようにしました。


ベルたちの蓄音機は、「グラフォフォン」という名前がついています。


#Graphophone … Graph-o-phone 「音の図形」を意味します。

 エジソンの Phonograph を意識した名称なのでしょう。




ベルたちは、自分たちの行った改良をエジソンに見せ、一緒に商売ができないものかと考えました。

しかし、改良された機械を見たエジソンは…協力を拒み、再び独自に蓄音機の改良を始めます。


エジソンは、ボール紙に蝋を塗るのではなく、完全に蝋で作った筒を使う方法に辿り着きました。

記録方法は相変わらず縦方向なのですが、商売をするうえで「この蝋管を共通メディアとする」ことだけは、ベルたちと合意します。


こうして、記録メディアは共通で購入しやすいながらも、記録方式の違う二つの蓄音機が発売されます。


この蝋管では、2分間の記録が可能でした。

音の力で「削れる」ほどに柔らかい蝋管は、再生時にも少しづつ削れてしまい、数十回の再生にしか耐えられませんでした。


しかし、のちには素材が改良され、繰り返し再生に強くなります。

安価だが録音はできず、再生専用の蓄音機も発売され、当然のことながら、録音済みの蝋管も発売されるようになります。



初期の記録済み蝋管は、何台もの蓄音機を並べ、演者がその前で喋ったのを一斉に録音したようです。

同時に数本しか作れないので、大量生産のためには、演者は何度も同じ演技を繰り返す必要があります。


のちには、蝋管を大量複製する技術が確立し、安価に記録済み蝋管を販売することができるようになりました。


…とはいえ、先に書いたように記録時間は2分間。

こんなに短い時間では、音楽をゆっくり楽しむというほどの録音もできず、用途は限られていました。




ベルがエジソンと電話の特許を争ったとき、最後の決め手となったのは「ベルリナー」という技師が行った発明でした。


ベルリナーは、ベルと一緒に蓄音機の改良を行っていましたが、独自のアイディアを試すために蓄音機(グラフォフォン)の完成前に独立しています。


そして、彼は蝋管蓄音機ではない、新しい蓄音機を発表します。

ベルと同じく、振幅として音を記録する方式ですが、記録メディアは筒ではなく、「円盤」…後に言う、レコードでした。



エジソンが最初の特許から「円盤」を記録メディアとする可能性に触れていたにもかかわらず、採用しなかったのは、録音が難しかったためです。


蝋管では、最初から最後まで、メディアに対して同じ速度で針が動きます。

しかし、円盤に螺旋状に記録を行うと、外側では針の移動速度が速く、内側では遅くなります。


再生するときは、針が溝に従って動きますし、針は軽い力でメディアに触れていればよいだけなので、それほど問題は出ません。

しかし、何も溝がない録音時に、針を正確に動かしながら、削れるほどの力で針を押し当てていくのは難しいのです。


ベルリナーは、蓄音機から「録音」の機能をなくすことでこれに対応しました。



新しい方式なので、当初は蝋管よりも出来が悪く、おもちゃとしての販売から始まったようです。

しかし、録音機能がないことで蝋管蓄音機よりも安く、録音済みメディアもプレス機による大量生産ができるため安く、徐々に売れていきます。


当初は円盤のサイズは5インチで、2分間の記録が可能でした。

のちに、10インチで4分間、12インチで6分間というものも出てきました。



ベルリナーの蓄音機には、「グラモフォン」という名前がついています。


#Gramophone … gram はギリシア語で「書く」という意味があり、graph と同じ語源です。

 もちろん、Phonograph や Graphophone を意識した名前でしょう。




ベルリナーの円盤式の最大の強みは、プレス機による大量生産でした。

溝の「深さ」は問題ではないため、円盤が薄くてもよく、プレスしやすいのです。


録音時は、亜鉛の板に蝋を塗り、その蝋を削る形で記録を行いました。


録音が終わったら、酸をかけて「エッチング」します。

エッチングは中世から印刷に使われていた技術で、特に珍しいものではありません。


蝋がないところだけ亜鉛が酸で溶かされ、溝を作ります。

この「金属板」を型取りし、凹凸を逆にした型を作ります。


最後に、型に樹脂を押し付けて、製品となる円盤を作ります。

初期のころには、エボナイト(超硬質ゴム)が使われていたようです。


エボナイトは、型取りする段階では柔らかいのですが、そのあと蒸して加熱すると固くなります。




現代にもある…というか、すでに見たことない人も多そうですが、LP レコードなどは、ベルリナーが開発したものが形を変えて残ってきたものです。


当初の蓄音機は、溝をなぞる針の動きで薄膜を動かし、直接空気の揺れを作り出していました。

しかし、すぐに針の動きを電気的に読み取り、増幅してスピーカーを駆動する方式に変化します。


さらに、溝の両側の「淵」を使い、左右の音を同時に記録するステレオへと進化します。

ステレオのレコード盤は溝の太さが複雑に変化することになりますが、古いモノラルプレイヤーでも再生することはできます。


なかなか巧妙な方法です。




その後、音楽の記録はデジタル化され、CD が作られています。

デジタル化されてはいますが、レコードと同じように凹凸で情報を記録しているためプレスで生産可能、螺旋状に記録された円盤媒体です。


CD はデジタル記録だったため、コンピューターと相性が良く、音楽以外でも幅広く使われました。

しかし、今回は「蓄音機」の話なので、CD についてはまたの機会に譲ります。




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