今日は、アダム・オズボーンの誕生日(1939)
オズボーン1(1981/4)を作った人です。
知らない? 知りませんね。僕も名前くらいしか聞いたことない。
基本的には欧米でしか発売されていないのだもの。
世界初の「ポータブルPC」です。
一応、ポケコンは、シャープの PC-1210が 1980年に出ているようです。
でも、BASIC が使えるプログラミング電卓、といった趣で、仕事につかえる「PC」ではありません。
オズボーン1は、当時の人気 OS である CP/M や、ワープロ・表計算・データベースなどが使える、立派な PC でした。
一応、オズボーン1以前にも「ポータブルPC」は存在しています。
世界初、というのは、商業的に成功した世界初、という意味合い。
オズボーン1の元となったのは、Xerox NoteTaker。
Xerox の PARC(パロアルト・リサーチセンター)で、1978年に10台だけ作られた「研究用」です。
パロアルトと言えば、アラン・ケイ。
「ダイナブック」という、未来にあるべきコンピューターの姿を構想した人です。
コンピューターが、高価で、重たく、テキスト処理が中心だった時代に、ダイナブックは
・子供が持てるほど軽く、薄い
・子供に与えても良いくらい安価
・グラフィック処理が中心
と言った、先進的な姿を描いていました。
この構想に基づいて、Alto というコンピューターが作られたのは有名です。
Alto 上で動作した Smalltalk という環境は、子供でもプログラムが作れるような、グラフィカルで扱いやすいものでした。
これが、後に Macintosh や Windows に発展していきます。
そしてもう一つ、持ち歩けるほど軽いコンピューターがあれば何ができるか、という研究もおこなわれました。
それが、NotetTaker 。名前の通り、ノートのように使えるコンピューターです。
CPU は 16bit の 8086。
これ、1978年のマシンですよ。日本では TK-80 が 8080 で動いていた時代。
その時代に、すでに 8086を採用しているのです。
メモリは 256Kbyte 。当時、AppleII の標準メモリは 4Kbyte です。
フロッピーディスクと、たった 7inch とはいえ、タッチセンサー付きのディスプレイを備えています。
バッテリーを備え、どこでも使うことができます。
そして、SmallTalk が動きました。ダイナブックの実験ですから。
…これ、「持ち運べる」とはいっても、気軽ではありません。
当時のバッテリーって、鉛蓄電池しかないからね。22Kg もあったそうです。
試作品なので値段は付いていませんが、プロジェクトの費用などから見積もると、1台5万ドルに相当するそうです。
AppleII は、当時 1298ドルで販売されていました。
オズボーン1は、NoteTaker の影響下で作られたマシンでした。
ただし、商業的に採算に合うように、大幅に簡略化されています。
重たい蓄電池はなくしています。だから、持ち運べるとは言っても、使う際にはコンセントが必要です。
ディスプレイも、大きいと重たくなるので、5インチになっています。タッチセンサーは無し。
#当時のディスプレイはブラウン管…中が真空のガラス管です。
大きくすると、空気圧に耐えるためガラスを厚くする必要があり、単に大きくする以上に重たくなりました。
こうした割りきりで、重さは 10.7Kg に抑えられています。
CPU は Z80。メモリは 64Kbyte 。フロッピーディスクは2基あります。
見た目は、NoteTaker にそっくり。
でも、値段は 1795ドルで、この値段の中にワープロ・表計算・ゲームなど、多数のソフトが含まれていました。
当時、AppleII plus は 1195ドル。ただしメモリは 16Kbyte で、本体のみです。
まともに使うには、別途ディスプレイも必要だし、ディスクドライブも必要。
メモリを 64K に拡張して…と、全部そろえると4千ドルくらいになったようです。
さらにソフトは別売り。
オズボーン1は大人気になりました。
発売すると、1ヵ月で1万台、100万ドルを売り上げたそうです。
しかし、オズボーン社にはそれほどの生産能力がありませんでした。
当初の予想では、数年かけて1万台売れればよい、と考えていたのですから…
結局、8ヵ月で実際にお客さんの手に渡ったのが、1万1千台。
この時点で、まだ5万台の予約が入っていたといいます。
…なんかどこかで聞いた話ですね。
そう、Altair 8800とそっくりです。
そして、この後の展開もそっくり。
互換機が発売されるのです。
1982年発売の、KayproII。
ほぼ互換機なのですが、ディスプレイは 9inch に改良されており、それに伴い表示桁数も増えています。
#当然重くなっていたそうです。
しかし、オズボーン1の人気は、「持ち運べる」ことよりも、「オールイン1パッケージで安い」ことでした。
同じ買うのなら性能がよくて、すぐ手に入るほうを…オズボーンの潜在顧客は、KayproII に徐々に奪われていきます。
もうひとつ、IBM は 1981年の8月…オズボーン1の発売から4か月後に、IBM PC を発売しています。
こちらも強力なライバルでした。
オズボーン社は後継機の開発を急ぎます。
そして、試作機ができた段階で…まだ量産機の発売日程などが決まらないうちに、発表を行います。
他社に対する牽制でした。話題を作って他社の機械を買おうとしている人たちを繋ぎとめようというのです。
しかし、これは逆効果でした。
オズボーン1を買おうとしている人達すら、新マシンを待とうとして、売り上げが激減してしまったのです。
発売された新マシンは IBM-PC と闘えるくらい高性能でしたが、値段も高いものでした。
思ったほど人気が出ません。
そこで、KyproII にターゲットを絞った「次のマシン」の開発に入りますが、こちらでも同じように速すぎる発表により、買い控えを起こしてしまいます。
結果、1981年に登場した「オズボーンコンピューター」は、1983年の9月に倒産します。
決して人気が無かったわけではありません。
人気があるにもかかわらず、近いうちにもっといいものが出ると消費者が期待し、買い控えが起こる…
当時の経済学では想定していなかった現象でした。
今では、この失敗にならって「オズボーン効果」と名付けられています。
#「発表による買い控えで売り上げ悪化して倒産」は都市伝説だそうです。
本当の理由は、もっとずっと後でわかっている。
でも、倒産まで行かずとも売り上げが落ちたのは事実だし、当時は本当の理由がわからなかったため、今でもオズボーン効果と呼ばれます。
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