子供番組を見ていたら、「夏」から連想するものを集めたクイズのようなものがあった。
その中に、「土用の丑」という言葉が出てきて、イメージ映像としてうな丼が表示された。
7歳の長男の疑問。「土用ってなに?」
さて、なかなか奥の深い質問だ。
うなぎが高価になって庶民には手が出ない、とか騒がれているけど、何で土用にうなぎを食べるのか、そもそも土用とは何なのか、理解している人はどれほどいるのだろうか。
長男はポケモン好きなので、ポケモンのバトルで「相性」があることは知っている。
そして、そもそもこのポケモンの相性が、五行思想をベースに設計されていることは教えたことがある。
小学校2年生で、五行って木火土金水のことでしょ? って知っているのはそれほど居ないと思う。
もっとも、長男も言葉として知っているだけで、あまりちゃんとわかっているとは言いがたいが。
西洋には四元素論があった。
火水土風の4つが世界を形作っている、という思想だ。
RPGなどのファンタジーでも、4つの精霊が出てくることは多い。
4つの元素ですべてが作られているから、適切に混ぜ合わせれば、別の物質を作り出せる、と考えた。
金を作り出そうという錬金術もここから生まれたものだ。
錬金術の発達により、この思想は間違っていたことが明らかになるが、それはそのまま現代化学の基礎となった。
東洋には五元素論がある。これが五行思想だ。
四元素論は「すべての物質は四元素から作られている」と考えたが、五行思想はそれとは少し違う。
五行思想では、世の中のすべてのものは、五行で「分類できる」と考える。
あくまでも分類であり、混ぜたら別のものに変わったりはしない。
五行とは、先に書いたが木火土金水の5つだ。
中国では、人々が生活するところは「土」だった。
東に行けば海に近づき、豊かな自然が広がった。これは「木」だ。
逆に西に行けば砂漠だ。黄色い砂は「金」だ。
南は暑い。単純に「火」。そして、逆である北は「水」。
一説によれば、この方角観が五行思想のベースになった、といわれている。
五行は、それぞれ「強い」「弱い」「産み出す」などの関係がある。
水は火に強い、土は水に強い(水を吸収してしまうから)、木は土に強い(根を張るから)など、それなりの理由があるが、ジャンケンよりややこしい関係になっている。
そして、この相性はポケモンの相性のベース概念となっている。
以上の部分までは、以前に長男に教えていた部分。
今回教えたのはここから。
五行は季節にも当てはまる。
草が芽吹き、木が茂る春は「木」。
暑い夏は「火」。
稲穂が黄金色になる秋は「金」。
寒い冬は「水」。
さて、あまった「土」はどうするか?
これは、それぞれの季節の変わり目に入れられた。
だから、年に4回ある。
土を
この時期は体調を崩しやすいとされ、特に夏は栄養のあるものを食べる。
今では、夏以外はあまり「土用」を意識しない。
まぁ、小学生に教えるならこれで十分。
さて、なぜ「土用は体調を崩しやすい」のか。
先に、五行には「産み出す」関係もあると書いた。この順番は、木火土金水、の順になっている。
このとおりに進んでいれば、自然に生み出されるものなので、なにも問題は起こらない。
ところが、季節の変わり目に「土用」を入れると、話がおかしくなる。
夏から秋は「火土金」と進むので、順当だ。それ以外の季節は順当でなくなる。
特に深刻なのが春の「木」から「土」に進むときだ。木は土に強い。
新しく来る「土」の季節を、前の季節である「木」が阻もうとする。
四季の移り変わりは、自然の一部である人間にも当然やってくる。
体が「木」から「土」にうまく変われないせいで、体調を崩す、と考えられた。
この場合、「土」が木に対して弱いことが問題になっている。
そこで、体に「土」の力を蓄えることが重要、と考えられた。
五行はまた、主要な家畜も分類している。
土は大きく、動かず、力強いものである「牛」が当てられている。
つまり、土用には牛を食べることで、体調を整え健康に過ごすことができる。
ところで、十二支にもまた、五行が当てられている。「丑」は土である。
土の力を強めたいのだから、土用の中でも「丑」の日に儀式を行うと良い。
まぁ、実際のところ肉が貴重だった時代に牛なんて食べれば、精力が増しただろう。
暑くなり始めてて疲れを感じた頃に牛を食べれば、その後の暑い夏も乗り切れたと思う。
中国から日本に五行と陰陽が伝えられたのは平安時代。
平安時代と言えば、どちらかと言うと「陰陽道」の方がメジャーなイメージがある。
でも、五行も一緒に使われていた。
五行と陰陽を組み合わせると、組み合わせが「10」となり、十進法や「十干」と相性が良いためだ。
#先に「十二支」を書いているが、十干と十二支を組み合わせて「干支」(えと)と呼ぶ。
ところで、日本では、平安以前の飛鳥時代に仏教が伝来し、肉食禁止令が出されている。
もっとも、禁止されてもみんなこっそり肉を食べたりしていたようだ。
ただ、表向きは肉食禁止なので、「うし」と言ってはいけない。「うのつくもの」を食べるのだ。
さて、平安時代には貴族のものだった陰陽道は、江戸時代には庶民にまで広まっていた。
つまりは、夏前に「牛」をたべると良い、と多くの人が考えていた、ということだ。
江戸時代には戸籍制度はないが、「檀家制度」として事実上の戸籍が作られていた。
すべての家は、どこかの寺の檀家となっていて、寺では家ごとの家族構成を把握していた。
檀家になっているということは、すべての人が「仏教徒」だということにもなる。もちろん、肉食は禁止だ。
そしてもちろん、庶民はいろいろと言い訳をして肉を食べるし、坊主だって落語のねたにされる程度には食べる。
やはり、うしを食べるときは「うのつくもの」と呼ぶ。
土用の丑には「うのつくもの」を食べると良い、という習慣は、庶民にまで広がっていた。
ただ、うしは禁止されているだけでなく、高かった。庶民にはなかなか手が届かない。
いつしか、「う」が付けば何でも良いことになった。うめぼし でも、うり でも うの花でも。
しかし当然、こうしたもので精力が付くはずもない。単に「う」が付けばよい、というのでは、ただの まじない だ。
…と、ここまでの話が元になって、あとはよく聞いたことのあるストーリーとなる。
本来冬が旬であるうなぎを、なんとか夏でも食べてもらいたいと思ったうなぎ屋の主人が、平賀源内に相談する。
一計を案じた源内は、土用の丑の日に、うなぎ屋の前に「本日土用丑の日」と大書する。
この部分だけを紹介して「だから、土用丑の日に うなぎ を食べるようになった」という話が多いのだけど、これだけだと全く意味不明だ。
この話の裏には、上に書いたような長い前知識が必要なのだ。
というか、江戸の庶民は聞きかじりレベルではあっても、みんな五行説を理解していたのだ。
それでないと「本日丑の日」だけで「う」の付くものを食べようとは考えない。
この点においては、意味不明の(源内が~って)説明で納得してしまう現代人よりもはるかに知識レベルが高い。
ちなみに、うなぎ と うめぼし は「食い合わせが悪い」食べ物とされている。
この理由も「う のつく食べ物」としてバッティングするためじゃないかと思っている。
「食い合わせ」という概念は、貝原益軒が1712年に「養生訓」の中で提唱したものだ。ただし、ここでは「銀杏に鰻」となっている。
源内は 1728年~1780年の人なので、養生訓よりも後の時代であるが、おそらく「銀杏」が「うめぼし」に変わったのは、「う のつくたべもの」として うなぎ がメジャーになったためではないかと思う。
それ以前は、うめぼし が普通に食べられていたのだから。
今では鰻は夏に食べるものになってしまったけど、しらす不漁で値段が高い。
業界としては、通年商品にして需要を分散したいようで、「土用は年に4回ある」と、春の土用に一生懸命宣伝をしていた。
一方、牛肉業界は「丑の日に牛を」と売り込んでいる。
一般的には、鰻業界の宣伝のほうは「まともな主張」で、牛肉業界の宣伝のほうは「ただの駄洒落」に思われている。
でも、歴史的意義を考えると、むしろ後者のほうがまともだったりする。
まぁ、「まともであること」と、年に一度くらいは鰻食いたいという気持ちは別物。
自分は鰻好きなのでできれば食いたいが、余り高価なら無理して食べないでもいい。
その程度の情熱しか持ち合わせていない。
2013.8.1 後日追記
この日記を書いたときは、まだ鰻は「高いだけ」でした。
今では絶滅が危惧されています。
「食文化を残す」ことは大切だと思いますが、ならばちゃんとうなぎ屋に行きましょう。
スーパーや牛丼屋で手軽に済ますのであれば、絶滅に瀕している生き物を食べるべきではない、と思います。
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