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04-06 花見とサクラ
04-06 ジョン・スカリーの誕生日
毎年恒例、高校友人との花見に出席。
今年は横浜市児童遊園。昔はここでやっていたが、最近別の場所になっていたので、古巣に戻った感じ。
子供が風邪ひいた、と言う直前キャンセルが2家庭。
結果として、僕と同窓の知人の家族、そして元部活顧問の先生夫妻の、3組だけの出席になった。
少し寂しいが、久しぶりに会ってゆっくり話ができた。
子供たちも楽しかったようだ。
家に帰ってから、長女の質問。
「お花見っていうけど、花は沢山あるのに、なんで桜じゃないといけないの?」
なかなか良い質問だ。
これに答えられる大人はどれほどいるだろうか?
諸説あるし、僕の知っているのも一説に過ぎないが、自分の日記に書いたことは無かったようなので書き留めておこう。
座るときに、「あぐらをかく」ことがある。
馬に乗る場所を「くら」という。
これらの言葉の「くら」とは、座ることを意味する。
また、単に一時的に座るだけでなく、長い時間とどまる意味合いもある。
「くらす」(暮らす)といえば、同じ場所に長期滞在して日々を送ることだ。
ここで、サクラとは花の名前ではなく、木の名前だ。
「さ」という名前の神様が来て、そこに居座る木。
日本の古代信仰では、神様が木に宿ることは多い。
というか、依代(よりしろ)と呼ばれる、一時的に乗り移るものがないと、神様は人前に来ることができない。
神様は見えないが、依代に憑依することで、人前に姿を現すことができるのだ。
正月に飾る門松も、冬でも青々として元気な松を、神様(この場合は年神様)の依代とするものだ。
さて、「さ」の神様は、農業の神だ。
「さ」は古い発音で、現代では「た」、つまり「田」を意味する。
正月に来る年神様と違い、農業の始まるころにやってくる。つまり、春になるまで来ない。
「さ」が「さくら」にやってきたとき、さくらは「さ来」(咲く)。
昔の人は、自然の変化に敏感だった。
さくらが盛大に咲いた年は、稲が豊作になりやすいと経験則で知っていた。
現代の科学でいえば、サクラが咲くのは春先からの積算温度と関係がある。
蕾ができる前年の秋と、春先からの気候が共に穏やかであれば、そのまま穏やかな気候が続くと期待される。つまり、稲の発育にもよく、豊作となる。
「桜が綺麗に咲けば豊作」というのは、科学的にも正しいものとなる。
人々は「さ」の神様にお祈りをすれば、もっと綺麗にさくだろう、と期待した。
そして、桜が咲く季節というのは、寒い冬が終わって、しかしまだ本格的に農業は始まらない、一息つける頃だ。
ここに、神様にお願いをする…とともに、皆が楽しむ「祭り」がおこる。
祭りでは、今年の豊作を祈願して、神様にお酒と肴をふるまう。
ちなみに、酒は古語では「き」と言った。今でも、神様に献上する酒を「お神酒」(おみき)と呼ぶ。
「き」の中でも、「さ」に献上するものは特別に「さき」と呼んだが、後に音が変化して「さけ」(酒)となっている。
そして、「な」はおかずの意味だ。
酒にあわせる「な」を「サカナ」と呼ぶ。
古代の日本では一番重要なおかずは、良質な動物性たんぱくの取れる、魚だった。
だから、「サカナ」には大抵、魚が使われる。今では発音まで同じになっている。
重要なおかず、と言う意味で、昔は魚のことを「マナ」(真ナ)と呼び、これを調理する台を「マナ板」と呼んだ。
また、マナ以外のナ(副菜)には、大抵野草や野菜が使われる。今でも「菜(な)」と言えば、食べられる植物の意味となる。
日本の古い宗教では、お供え物は、供えた人々がお祭り(お祈り)をしている間に神様がいただく。
そして、終わった時にまだ残っていた分に関しては、祭りの参加者が残らず食べることになっている。
神様が残したのは、皆に分け与えるためなので、残すのは神様の好意を無にし、機嫌を損ねる行為となる。
#余談だけど、これ、墓参りなどでもマナーです。お墓にお供え置きっぱなしで帰る人がいるけど、野犬の餌になってしまうので必ず食べるか、持ち帰りましょう。
お供えは「上げる」、つまり目上の方(ここでは神様)に対して献上するものだ。
しかし、神様はそれをあえて残し、皆に分配する。こちらは「下げる」ものだ。
ここで、お供え物を「ササゲル」(捧げる)という言葉が生まれる。「さ」の神様に対し一旦献上して、「さげる」ことが前提となっている。
そして、おさがりを皆でいただくのだが、ここでいう「皆」には、神様も含まれる。
お祈りをしている間は、陳情受付と陳情者、というビジネス関係だ。
でも、ビジネスタイムが終わったら無礼講。
関係者みんなで酒を飲んで仲良くなる、というのは現在でも続く日本人の仕事のやり方だ。
そこで、満開の桜の下で、皆でご馳走を食べながら酒を飲むことになる。
この酒宴は、神様も一緒にいるものなので、神様に満足してもらえれば大成功だ。
余興なども出し合い、笑い合えれば一番良いものとなる。
ちなみに、食べ物は力の源だ。
神様が食べたものを皆で一緒にたべる、ということは、神様の力を皆に授けることでもある。
稲を豊作にする力を持つ神様の力を皆ももらい、これから農業を開始する。
これは、非常に重要な儀式でもあった。
古代の人々にとって、神様は神頼みするような存在でも、天罰を与えるような存在でもなかった。
力を借りることはできるが、その力をちゃんと使えるかどうかは、自分次第。
神様がいても努力は必要。でも努力しても及ばない部分(天候など)だけは、神様に頼むしかない。
天は自ら助くる者を助くのだ。
以上が花見の起源についての一説だ。
さ来(咲く)、さ下げる(捧げる)、さけ(酒)、さかな(魚)…
など、花見に限らず、この神様がいかに信仰の対象だったかよくわかる言葉が残っている。
漢字も違うし、こじつけじゃないかって?
田神(さがみ)信仰は漢字の伝来よりも古いもので、そこで生まれた日本語の古語に、後から中国語の意味に従って漢字をこじつけたのだ。
だから、「こじつけ」ではあるが、その関係は逆となる。
音が近いものが元々近い意味で、漢字が違うのは後からこじつけたからだ。
ちなみに、この行事の後、旧歴5月ごろから農業が本格的に始まる。
この月は「さつき」(「さ」の神様がいる月)と呼ばれる。
「さ」の神様は、桜に来た時には花を咲かせて知らせ、その後は葉を茂らせる。
農業が終わり、冬になるころには帰ってしまうので、葉は全部落ちる。
「さ」の神様は、農業のない時期は山にいる。
人々との仕事が終わり、自分の世界に帰った神様は畏れ多い存在だ。近寄ってはならない。
(冬山は厳しく、遭難することがあるための戒めでもあるだろう)
「さ」の神様の支配する領域を「さかい」(さ界)と呼び、現代では「境」、領域を隔てるラインの意味となる。
間違えて入らないように、物理的に境を区切るものを「さく」(柵)と呼ぶ。
恐らく、日本人はもともと桜が好きだったのだろう。
数ある花の中で、農業と密接に結びつく花はいくつかあるが、特に桜が好まれて神様にされ、神様であるがゆえにますます好きになった。
いつしか信仰は廃れたが、春に花見をする習慣だけは残り、今でも受け継がれている。
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今日はジョン・スカリーの誕生日(1939)
アップル・コンピューターの元社長です。
ジョン・スカリーは、ペプシ・コーラの社長でした。
アイディア豊富な人で、コカ・コーラに対して敵意丸出しの比較 TV-CM を次々と作ります。
コカ・コーラのルートトラック(配送車)を、ペプシのマークの入った大型コンボイが追い抜く、というイメージ CM が有名。
当時大人気だったマイケル・ジャクソンを CM に起用したのもスカリーの時代。
また、「ペプシ・チャレンジ」という、コカ・コーラとペプシをブラインドテストで飲み比べ、おいしいほうを教えてもらう、というテストを街角で行い、その様子をそのまま CM として使用しました。
これは日本でも同じ手法の CM が放映され、話題になりましたね。
これらの CM が話題を呼び、結果的にペプシはコカ・コーラを抜いて、No.1 コーラ企業となります。
全米一の大企業の社長となったスカリーは、そのまま悠々自適の人生を送れる…はずでした。
彼の手腕に期待する企業から、社長をお願いしたい、という依頼が数多く彼の元に寄せられていました。
しかし、彼は全てを断っていました。
そんなある日、スカリーも信頼している超一流のヘッドハンターから、「シリコンバレーにあるコンピューター企業が、最高経営責任者を探している」という情報が寄せられます。
友人でもあり、超一流と認める彼が薦めるのであれば、とスカリーは「ちょっと話をするだけ」の約束で、その企業を訪れます。それがアップル・コンピューターでした。
1度だけの約束が何度か訪問を行い、3日ごとに電話で会談をし、新製品の開発チームの紹介まで受け…
スカリーは、アップルに心惹かれるようになっていました。
しかし、ペプシの社長の座は、捨ててしまうには惜しすぎます。
これを棄てる見返りとして、十分なものがもらえるのであれば…と、彼はほとんど無理難題ともいえる要求を出します。
前渡し契約金100万ドル、年棒に100万ドル、うまくいかなくても退職金100万ドル、アップルのオプションストック(株式)を35万株、それと、アップル本社近く、北カリフォルニアの半島部に、現在住んでいるのと同程度の自宅を用意しろ、と言うものでした。
この条件を全て呑む、と言う返事と共に、ジョブズは挑戦的な言葉を彼につきつけます。
「残りの余生を砂糖水を売って暮らしたいですか? それとも、世界を変えるチャンスに賭けますか?」
そして、スカリーはペプシを辞任し、アップルの社長に就任します。
スカリー以前のアップルは、成長の一途をたどる企業で、非常に自由な社風でした。
しかし、スカリー就任時のアップルは、Apple// の売り上げを IBM-PC に奪われ、続く AppleIII の開発には失敗し、社運をかけた新商品「Lisa」も全然売れない、と言う状況でした。
スカリーは次々と経営陣を解雇し、経営体制を完全に入れ替えます。
さらに、パートタイマーを400人解雇します。
しかし、これは「支出を抑える」ための策です。
どんなに支出を抑えても、収入が上がらなくては仕方がありません。
ちょうど、完成を控えた新商品…これは、スカリーが説得されているときから紹介されていました…がありました。
ジョブズとスカリーは、この新商品に社運をかけることにし、膨大な予算で TV-CM を作成、全米のテレビ番組の中で視聴率が一番高い(そのため CM 放映料も一番高い)スーパーボールの中で放映を行います。
これが有名な「1984年は、"1984年"にはならない」という、Macintosh の発表予告 CM でした。
1回だけ放映した CM のために、160万ドルがつぎ込まれたと言います。
#Mac 発表は 1984年。1948年に書かれた「1984年」というディストピア小説が話題となった年でもありました。
小説の 1984年、当時話題だったから読んだけど、題名で話題になっただけで面白くはないです…
スカリーの社長としての対外的なデビューは、この Mac の発表会。
コンピューターが音声合成で自己紹介を行い、グラフィックを使って操作可能…という、それまでのコンピューターとは全く違う「ユーザーフレンドリー」な演出は非常に注目されます。
アップル・コンピューター社長、ジョン・スカリーの華々しいデビューでした。
しかし Mac は売れませんでした。発表会こそ華々しかったものの、現実に入手し、使ってみようとすると非常に使いにくい…使い物にならないマシンだったのです。
にもかかわらず、ジョブズ率いる Mac 開発チームは社内で偉そうにし、優遇されていました。
「古い製品」をまだ改良し続けている Apple// 開発チームは、いわれもなく「無能のごくつぶし」呼ばわりされていました。
しかしこの当時、現実には Apple の売り上げの7割が Apple// によるものでした。
Apple の創業メンバーであり、Apple// の責任者だったスティーブン・ウォズニアクは、この状況に反発して退社します。
#Apple I と Apple// の設計はウォズによるもの。大失敗だった AppleIII は別人の設計。
Apple//はウォズの退社により、今後の展開は無くなりました。
Mac は、消費者からそっぽを向かれました。
その前に発売していた Lisa は、開発責任者だったジョブズの陰謀で「失敗は無かったことに」されて、いつの間にか生産が停止していました。
…問題を起こしているすべての原因は、ジョブズにありました。
ここでスカリーは、社内の混乱の原因がジョブズにあることを指摘します。
この時点では、ジョブズはスカリーを招いた人間であり、スカリーにも遠慮があったようです。
しかし、ジョブズはこれに反発。自分が招いたスカリーを失脚させようと裏工作を開始します。
…が、発覚。お家騒動ともいえるアップル社内の内紛劇に発展します。
最終的に、スカリーは自分とジョブズ以外の役員に「どちらかを残して、もう片方を追放せよ」と決断を迫ります。
結果、追放されたのはジョブズでした。
ジョブズは、Mac は完全な商品で、変更する必要は一切ない、と言い張っていました。
しかし、スカリーはジョブズ追放の直後に改良を始めます。
まずは、単純にメモリを4倍に増やしました。次に、拡張性をもたせ、最後に CPU をパワーアップします。
これで「使い物にならない」原因が解消され、Mac は人気商品になります。
しかし、この改良は「コンピューターが使えない人へ」と作られた Mac を、ただのコンピューターにしてしまう行為でした。
スカリーには、ジョブズのような強烈なビジョン…コンピューターがどうあるべきか、と言う考えはありませんでした。
しかし、それでは今後ブレなくアップル社を牽引できません。スカリーは「ナレッジナビゲーター」という…夢物語ともいえるコンピューター像を示し、未来社会をイメージする短編映画を作ります。
そして、その頃開発が始まっていた新商品、Newton に「ナレッジナビゲーター」のイメージを重ね合わせます。
まだ新製品で1円ももうけを出していない Newton には、莫大な予算がつぎ込まれました。
その一方で、売れている Mac 開発チームの予算は削減されます。
これに対し、Mac 開発の責任者であった(そして、Newton の開発許可を与えた重役でもあった)ジャン=ルイ・ガセーが反発。
スカリーはガセーを追放し、その後 Mac の開発は混乱をきたすことになります。
…Mac に、Apple//と同じ道を歩ませてしまったのです。
Newton はアイディアは悪くないのですが、発売時点で大きすぎる夢を詰め込んだ機械でした。
現実的には、使い物になりませんでした。
しかし、「デスクトップコンピューターを小型化したもの」ではなく、「持ち歩く情報端末」として、後の多くの機械に指針を与えています。
スカリーはこの後、売れている Mac に注力せず、売れもしない Newton に予算をつぎ込むことで業績を悪化した、という責任を問われ、退任に追い込まれます。
最終的に彼は、Apple// にとどめを刺し、アップルに残っていた創業メンバーを追い出し、Mac を混乱させ、Newton を失敗作とし、「ナレッジナビゲーター」という夢物語で業界をミスリードしただけでした。
しかし、彼がいなければアップルはもっと早く倒産していた、とも思います。
彼の経営手腕があったから、もうほとんど死にかけていた企業を延命させ、低空飛行ながらも生きながらえる会社に出来たのでしょう。
アップルの復活は、この数年後にジョブズが呼び戻されるまで待たねばなりません。
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