1968年の今日、ダグラス・エンゲルバートにより、NLS の「伝説のデモ」が行われました。
ダグラス・エンゲルバートは元米空軍のレーダー技師で、Whirlwind I の海軍版である「SAGE」を扱っていました。
当時のコンピューターは、「計算機」にすぎません。
パンチカードでプログラムとデータを入力すると、テレタイプライターが結果を印字します。
普通なら、これで終わり。
しかし、SAGE はそうではありませんでした。
何台もの CRT ディスプレイ…オシロスコープを改造したものが接続されていて、ベクタースキャンで画像や文字を出力します。
さらに、ライトガンと呼ばれる機器で画面をタッチすることで操作を行えます。
米空軍では、海岸線に並べたレーダーから入る情報を SAGE を使って統合し、表示し、必要なら即座に詳細情報を見られるようにしていました。
こうして、米国本土に侵入する航空機を監視していたのです。
エンゲルバートは、SAGE を扱った経験から、「コンピューターと対話する」可能性に気付きました。
SAGE では、必要な情報を画面に表示するだけです。しかし、「計算」だけではなく、画像や文字で情報が表示され、それに触れるだけで詳細を得られました。
この方法をもっと拡張すれば、コンピューターで文章を作成したり、遠く離れた人とそれを共有したり、文字を使って会議をすることもできるでしょう。
エンゲルバートのアイディアは、oN Line System 、略して NLS と呼ばれ、ARPA (国防総省高等研究計画局) の予算を獲得します。
NLS では、SAGE で使っていたベクタースキャンディスプレイよりも「安価な端末」として、市販されていたテレビを利用します。
ただ、このためにライトガンが使えなくなってしまいました。
そこで、エンゲルバートはライトガンに変わる「暫定的な」ポインティングデバイスとして、マウスを考案します。
また、マウスと同時に「片手だけで文字を入力できるキーボード」として、和音キーボードも考案します。
NLS は、文字入力用の通常のキーボードと、コマンド入力用の和音キーボード、そして、コマンドを適用する位置を指定するマウスの、3つの入力機器を使用していました。
1968年の今日…12月8日に、スタンフォード大学で NLS の発表会が行われます。
これが、後に「伝説のデモ」と呼ばれることになるものでした。
SAGE からずっと時代はたっていますが…まだ、コンピューターはテレタイプで使うのが普通でした。
ディスプレイを接続された PDP-1 などは現れていましたが、それはちょっとグラフを表示したりテレビゲームに使われたりする程度の、メイン用途ではない周辺機器です。
そこに、マウスによってグラフィカルに操作を行え、文章を自由自在に「コピー&ペースト」出来る、魔法のようなワープロが登場したのです。
oN Line System の名前の通り、遠隔地ともオンラインで結ばれており、テレビ会議を行うことも可能でした。
エンゲルバートのスピーチも見事なもので、この新しい概念…コンピューターを計算以外に使う、ということの有用性をわかりやすく伝えていました。
このデモを直接見た人は、そう多くはないそうです。
大学の講堂で行われた発表会に過ぎませんから。
しかし、その中にアラン・ケイがいて、スモールトークと GUI が生み出されます。
テッド・ネルソンの Xanadu も、伝説のデモの影響をいくらか受けているようです。
(ハイパーリンク、という案は伝説のデモ以前から持っていたようですが、このデモ以降に具体的なものとなったようです)
スモールトークが元となって Macintosh が、そして Windows が生み出されましたし、Xanadu が元となって WEB が生み出されました。
その意味で、NLS のデモが後に与えたインパクトは絶大で、まさに「伝説の」と呼ばれるのにふさわしいものだったように思います。
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