2013年10月16日の日記です


追悼:やなせたかしさん  2013-10-16 05:46:35  今日は何の日

昨日のうちに、13日に亡くなったと訃報を知って、追悼文を書こうかどうか悩んでいた。

アンパンマンは結構好きなのだけど、僕のページは基本的にパソコンページだし、追悼を書いたものかどうか、と。


…でも、個人的な思いのみで追悼することにします。




子供のころにアンパンマンの絵本を見た世代です。

音楽の教科書に「手のひらを太陽に」が載っていた世代です。


厳密にいうと、最初の絵本って全然売れてなかったよね。直接見たか記憶が定かではない。

やなせさん自身もそう語っている通り、あまり評価されていなかった。


アンパンマンを初めて見たのは、記憶の限りではテレビ番組「ママと遊ぼう!ピンポンパン」の、おねえさんが絵本の読み聞かせをしてくれるコーナー。

毎週見ていた覚えはあるのだけど、絵本コーナーの記憶はこの時のみだ。「アンパンマン」のインパクトは、それだけ強かったのだろう。


これは幼稚園の頃の話。作者名なんて気にしていない。

小学生になり、音楽で「手のひらを太陽に」を習った。なんか僕はこの歌が気に入って、よく口ずさんでいたように思う。


特に好きだったのが「手のひらを太陽にすかしてみれば」と言う歌詞。

よく太陽に手を向け、「本当に赤く見える」と、そんなことで喜んでいたように思う。


実は、これ、高校や大人になってからも時々思い出してやっていた。

子供の薄い手のひらだと「透かす」ことができるのだが、大人の厚い手だと真っ黒で、赤くならない。

作詞時に当然大人だったやなせさんが、こうした「子供の感覚」を持ち合わせていたことは素晴らしいと思う。



中学か高校の頃、月に1度新聞社(朝日だったかな?)から配布される冊子に、「リトルボオ」という1ページ漫画が載っていた。

1ページだから大したことは起こらない。基本的にほのぼの話なのだが、これが結構好きだった。


この時に、はじめて母から「アンパンマンと手のひらを太陽にと、リトルボオが同じ作者」だと教えてもらったと思う。

それまで、この3つを結び付けて考えてはいなかった。

ここで初めて、別々に好きだったものが「やなせたかし」の名のもとに一つにまとめられた。


アンパンマンのアニメが始まったのは大学生の頃か。

当然、見てはいない。でも、やっているのは知っていた。


Oh! X のライターが編集後記で「力に頼らず、顔を分け与えるのがアンパンマンだと思っていた。パンチを繰り出すテレビアニメはイメージと違う」と書いていたのを覚えている。

あぁ、そうなんだ。僕らが好きだったアンパンマンではないんだ。でも、商業的にはわかりやすい勧善懲悪が必要なんだろうなぁ…と寂しく思ったものだ。



#後日追記:リトルボォは、高島屋の通販カタログ裏の漫画だったそうです。




後のインタビューで、やなせさん自身は「子供向けだけはやりたくなかった」と語っている。


でも、どの分野に行っても自分より才能がある奴がいて、誰も自分を認めてくれない。そこで別の分野に逃げ出す。

それを繰り返しているうちに子供向けに行き着いてしまったが、そこでも誰も認めてくれない。

ところが、絵本の発売後に子供たちが喜んでくれた。これで「3歳の子は認めてくれる」と感じて、結局そこが安住の地になってしまった…とのことだ。


認められなかったのは、氏が反骨精神を持っているからだろう。

そもそも「認められたい」と思い続けていること自体が、自分をアピールしたい精神の表れでもある。


その反骨精神が、いわゆる勧善懲悪ではないヒーローの創出だったのだろうと思うが、20年もたってアニメ化されるときには勧善懲悪を盛り込んだのは、その年月の間にある程度認められたことで「大人」の対応ができるようになっていたのか。




アンパンマンとの再会は、会社員になってからだった。

務めていた会社で、アンパンマンのキャラクター商売をやっていたのだ。


もっとも、僕は全然違う部署で、あまり関係がない。でも、再度アンパンマンに注目するには十分だった。

…と同時に、愛社心みたいに思われるのが嫌で、アンパンマンを多少避け気味にもなった。まぁ、どちらにせよ意識してた、ってことだ。


会社を辞めて独立し、子供ができたら、当然のように子供はアンパンマンを見始めた。

先に書いたように、避け気味だったのと、Oh!X で読んだ「暴力に頼り過ぎ」という言葉を思い出して少し躊躇した。

でも、子供が見たがるなら親のエゴを通すよりも、子供の好きにさせたい。一緒に見始めた。


…悪くない。面白い。それが初期の感想。偏見が解け始めた。

週一度のアンパンマンでは子供が満足しなかったので、BSで毎日やっている再放送も見てみた。


第1話からしばらくの間は、アンパンマンは暴力をふるわない。

バイキンマンの相手をするときも、石鹸を付けて洗っちゃったりする。


弱って嫌がるバイキンマンを見て笑ったりしているので、「いじめ」を感じさせる問題表現ではある。しかし、少なくとも暴力に頼った解決はしていない。

ちなみに、最初期のアンパンマンは顔が濡れても大丈夫。雨の中でも飛んでるし、海にも平気で潜る。


最初の頃は「アンパンマンとバイキンマンがじゃれあっているだけ」な内容なのだけど、メリハリをつけるためにアンパンマンの弱点(顔が完全でないと弱い)を設定し、その弱点を克服すると使える必殺技(アンパンチ)を設定したのだろう。


多分、初期の話のままでは20年も続かず飽きられていたと思う。アンパンチは「安易に暴力に走った」のではなく、アンパンマンの人気を維持し、精神を広めるための苦渋の決断だったのだ、と思う。


今でも、4歳の次女がアンパンマンを好きだ。昔ほどの頻度では見なくなったが(以前は毎日見ていたが、最近はプリキュアやアイカツも好き)アンパンマンはやはり好きだ。




横浜にアンパンマンミュージアムができた時、生まれたばかりの長女を抱いて、長男を連れて行った

長女の適齢期にも行ったし、次女の誕生日にも行った


無料エリアがあるので、知人にはもっと子供を連れて行っている奴もいるが、うちからは微妙に遠く、それほど頻繁にはいけない。


適齢期の子供にとっては、アンパンマンの世界に入り込める、というのはそれだけで鉄板でウケる。

もっとも、「ミュージアム」であって遊園地ではないので、適齢期を過ぎると急に面白くなくなる。


これは微妙なところ。遊園地だと、3~5歳の子供には遊びづらいだろう。見て、ちょっとだけ触って楽しむ、と言う程度でちょうどよいのだと思う。


今年の春に行ったとき、次女は「また行きたい」と言っていた。

でも、そのころは毎日見ていたアンパンマンは、最近では週に一度だ。適齢期を過ぎつつある。もう一度行くかは不明だ。




震災の時、「アンパンマンのマーチ」が何度もラジオで流れていた。

うちは NHK を聞いていたが、TOKYO-FM が最初に流したようだ。(同局は東北のFM曲にもネット配信している)


それまで歌詞の内容を深く考えてなかった、という人も多いようだけど、僕はこの歌は好きだったので、あまりにも的確な選曲に感心した。


NHK でこれが最初に流れた時(震災からずっとつけっぱなしだったので、最初だと思う)、リクエストの内容は「不安を抱えている子供も多くいるので、子供向けの、元気が出る曲をお願いします」だった。

このリクエストだったら、NHK的には「100%勇気」(忍たま乱太郎の曲)が順当だと思う。実際、この曲は阪神大震災の時にラジオで繰り返し流され、多くの子供を勇気づけたのだ。


にもかかわらず、NHK はアンパンマンのマーチを選んだ。他局アニメの曲を選んだのは英断だ。

おそらくは、TOKYO-FM が流したことを知っていた(もしくは、読まれなかっただけで、リクエストした人は TOKYO-FM で聞いて、この曲を指定していた)のだと思うが。


その後も、ラジオではテーマが繰り返しかかっていた。うちの子供が喜ぶから、かかるときにはわざわざ呼んでいた。

やなせさんも「アンパンマンが子供に勇気を与えている」と知って、その後東北支援に乗り出す。



あの時、アンパンマンはヒーローだった。

暴力をふるわず、人々に寄り添う…やなせさんが当初思い描いた通りのヒーローだった。


ただ一つ違うのは、お話の中のヒーローではなく、本当に困っている人々を勇気づけていたことだった。



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