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02-18 歯科矯正
02-18 秒殺(1)
いま5年生の長男が2年生の頃、学校の歯科検診で不正咬合と診断された。
歯医者に行ってみてもらってください、というので歯医者に行くと、矯正を始めるにはもう少し待ってからで良いと思います、と言われる。
それから毎年繰り返し、ことし「じゃぁ、そろそろ始めても良いかもしれませんね」と言われた。
で、歯科矯正するならこちらがいいですよ、と別の歯医者を勧められる。
かかりつけの医者、診療内容には「小児矯正歯科」を謳っている。
でも、やってないらしい。
お勧めされた歯医者(車で行かないといけない程度には遠い)には、もうちょっと早く来たほうが良かった、と言われた。
低学年から始めたほうが、変な癖がつく前だから治療が楽らしい。
とはいえ、こちらも歯医者の指示に従っていただけだ。
歯科医にも専門があって、矯正の専門家から見ると速い方が良いのだけど、そう思ってはいない歯科医もいるらしい。
一言で歯科と言ってもいろいろなので、仕方のないところだろう。
で、学校でも矯正を勧められるくらいなので少しくらい保険がきくかと思ったけど、矯正は完全に保険適用外。
べらぼうに高い。治療したものかどうか、躊躇したくらい高い。
とはいえ、歯は一生の問題だ。
高いとは言っても、矯正にかかる手間は個人差もあるし、やってみないとわからない部分もある。
やってみたら手間がかかったので料金高め、とかだと患者のほうも困るので、料金は基本的に一律だという。
最初の診療から、治療計画を立てるまで2週間。
この2週間の間に治療はしようと決めていたので、治療計画を聞いて、お願いしますと即決。
で、その場で歯形をとって、治療器具を作る。
2週間後、できた治療器具を入れてもらいに行く。
歯科矯正というとワイヤーで引っ張るイメージがあるのだけど、それだけではない。
長男の場合、舌の使い方に問題があるのが原因なので、それを修正しないといけないという。
うちの長男、乳歯から永久歯への生え変わりの時期に、乳歯が抜けてから新しい歯が生えるまでずいぶん時間がかかった。
前歯が抜けてから生えるまで、1年半くらいかかったはず。
で、前歯がないと「さしすせそ」のような音を出せない。
これらは、前歯と舌の間にわずかな隙間を開け、そこに空気を通すことで出す音だからだ。
これらの音を出そうとして、無意識に舌を前歯に強く押し当てる癖がつくという。
そして、普段から押し当てたままになってしまう。
その後永久歯が生えてきても、舌が押し当てられているので十分に伸びることができず、前歯をかみ合わせても隙間が空いたままになる。
これが不正咬合なのだけど、隙間があるので喋りづらく、舌を押し当ててしまい隙間が保持される、という悪循環に陥る。
さらには、歯が前に押されるので出っ歯(これも不正咬合)になる。まっすぐ下に向いても隙間がある歯が前に向けば、余計に隙間ができるわけで、良い話が一つもない。
というわけで、作られた治療器具は、舌の動きを制限するためのもの。
上両奥歯から前歯のほうにワイヤーを伸ばし、舌を前歯に押し当てられないように「フェンス」を作る。
最初はすごく嫌な感じがするだろうから、まずは慣れること、と言われ、基本的には今はこれだけ。
「舌打ち」で大きな音が出るように時々練習してね、とは言われている。
舌を前歯に当てている子は、大抵下の筋肉が弱く、後ろにひっこめておくことができないらしい。
舌打ちはこの筋肉を使う動作なので、繰り返すことで下を後ろにひっこめて置けるようになるのだとか。
他にも舌のトレーニングはあるのだけど、器具になれる1か月後から練習を始めるという。
ワイヤーなどをつけて歯列矯正するのも、1か月後に様子を見てから。
今週の頭にこれを装着して、長男は非常にしゃべりづらくなっている。
「さしすせそ」はかろうじていえるのだけど「たちつてと」は壊滅的。
これらは、前歯に舌を当ててから、勢いよく離して空気を前歯にぶつけて出す音だからね。
フェンスを入れたらご飯が食べにくい、というのは想定していたけど、しゃべりづらいことのほうがずっとストレスのようだ。
装着の直前、先週の土曜日に、参観日があった。
長男は5年生になったころから非常に積極的で、誰もやりたがらない仕事を率先してやっている。
参観日でも、発表の前に「これから~~の発表を行います」などのスピーチをする役割だった。
これは、上手にやっていた。
そして、3月に入ると「6年生を送る会」があるそうで、このスピーチも立候補していたそうだ。
喋りにくいけど大丈夫かな、とちょっと心配している。
心配だったら先生に相談しな、とは言ってあるけど、多少喋りづらくてもやりたい気持ちはあるらしい。
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そろそろ、昔話を再開しましょう。
記憶にはなく、ネットで記録を探しても見つからないのですが、1996年の AOU エクスポは、おそらく2月の16~17日。
毎年、2月第3週の金・土にやっていた…と思いますので。ちょうど20年が過ぎたところ。
で、このショーに出品予定だったのですが、間に合わずに出せなかったゲームの作成に参加していました。
この後、このゲームはロケテストもしないまま開発中止になっています。
つまり、どこにも披露せずにお蔵入り。関係者以外誰も知らないはず。
そんなゲームの話を書いてよいのか、と自分でも迷いますが、20年もたっているのだからそろそろ書いても良いでしょう。
ファイナルアーチの海外版 (Super Major League) の開発が終了したのは、1995年の暮れのこと。
開発が終わり、チームは解散。僕はすぐに別のチームに配属になりました。
このチームが作っていたのが、ST-V の縦スクロールシューティングゲームで、この時点での仮タイトルが「秒殺 - Second kill」でした。
先に書いた通り、開発中止したので正式タイトルはありません。以降「秒殺」と呼びます。
セガって、ほとんど縦シュー作ったことがない。
いや、皆無とは言いませんが、経験が蓄積されるほど頻繁には作っていないのです。
でも、まだこのころは縦シューというのはゲームの重要ジャンルの一つでした。
社員の中でも、縦シューが好きだという人は結構いた。
そういう人たちが集まって、ST-V の性能なら新しい縦シューが作れる、と会社に掛け合って開発をしていたのが、秒殺でした、
縦シューは上に書いたように重要ジャンルなのですが、稼げるジャンルではありませんでした。
お店にとっては、ゲームの種類を揃えるために2~3台は置いておきたいけど、良くてトントン、場合によっては投資を回収できないジャンル。
だから、できるだけ安く作らなくてはなりません。
ST-V は発売前から、3D が使えるのに非常に安価なボード、とされていました。
安価なら縦シューを作るのに十分。3D なら、他社が出せないような新しい表現ができる。
そうした「新しい縦シューのジャンル」を作り出すのがプロジェクトの目標でした。
でも、新しいジャンルの創出って、言うほど簡単ではないのよ。
ST-V の実機が動き始めるはるかに前から、縦シュー好きの企画の人が、アイディアを温め続けていました。
ただ、実際の 3D がよくわかってないから、申し訳ないけどアイディアのほとんどが「机上の空論」。
3D だったらこんなことができる、あんなことができる…と、空想を膨らましているだけで、実際に作ってみないとわからない「3Dの欠点」には一切気づいていない。
企画先行型の落とし穴です。
たとえば、3D でパースを付けた街の上を飛べることになっているのに、地上物と空中物を同じ弾で倒せることへの違和感は考えていなかった。
パースがついているから、そもそも「弾の真下にいる」地上物は、俯瞰したカメラでとらえた画面の上では、弾と重ならないのです。
でも、座標上では重なったことになるから、「敵に当たった」と判断することになる。
この程度なら、画面の見た目で重なることを優先、で済むのですが、一事が万事そんな調子。
3D にする、3D の表現を取り入れる、ってかなりややこしいことでした。
そもそも縦シューの開発経験が乏しく、ノウハウがない、というのも問題でした。
秒殺のメインプログラマは、手相占いでメインプログラマをやった先輩。
怒首領蜂など、CAVE系の縦シューが大好きでした。
自分が好きだから一応かなり研究して、基礎部分を作り上げます。
でも、「遊ぶのが好き」という観点で研究したとしても、実際に作ってみないとわからないことがある。
このときに作成した基礎部分、それほど設計が良くありませんでした。
そして、企画担当者は彩京シューティングが好き。
僕は、チームに入るときに企画の方から「ガンバードを遊び込んでほしい」といわれました。
彩京の当時のヒットゲームの一つね。
#僕は縦シューはそれほど好きなジャンルではないのですが、仕事でやるのだからソフトを購入して、クリアできる程度にはやりこみました。
だから、ガンバードはそこそこ好きなゲームの一つ。
ゲーム好きでないとよくわからないかもしれないけど、「縦シュー」といっても会社ごとに個性が違い、ゲーム内容はかなり異なります。
CAVE系のゲームは、アクション性が強くてパターンを作りにくい。反射神経が勝負です。
でも、彩京のゲームはパターン化しやすい。敵の弾もそれほど自分を狙ってこないため、繰り返し遊んで記憶することが大切。
さて、メインプログラマーが CAVE 好きで、企画が彩京好き、というのは困った問題を引き起こしました。
最初に CAVE のようなゲームを想定したプログラムを作ったのに、企画書ではそうではない動きばかり要求されるのです。
チーフ以外に2名のプログラマがいましたが、それぞれに担当したボスの動きなどの必要性から、元のプログラムをコピーして改造し、微妙に違うプログラムが多数存在する状態になっていきます。
コピーが多数あるので、バグが見つかった時には全部を修正しないといけないし、そもそもメモリを無駄遣いしている。
だんだん収集がつかない状態になっていきました。
僕がチームに入ったのはそんな時。
メインプログラマの先輩が、手相で一緒にやった僕の腕を信頼してくれ、僕をチームに入れるように部長に掛け合ったのです。
しかし、これが難題でした。
先に書いたように、秒殺のプログラマーは僕のほかに3人。
メインは、先に書いたように手相のメインプログラマの先輩でした。
手相の時は、この先輩と2人でプログラムを作りました。
もう1人、手相でご一緒した先輩がサブプログラマをしています。
…僕とメインの二人が手相の時のプログラマだったのに、もう1人一緒にやったプログラマがいる、というのは計算に合いませんね。
この人、手相の時は企画でした。
手相の前に作った占いもヒット、手相は大ヒットで、そのまま企画を続けるのに実績は十分…と思うのですが、なぜかプログラマに転向。
入社前は個人でゲームを作っていたようで、プログラムも、企画も、グラフィックもできる人でした。
この方とは、後に別のゲームでまたご一緒することになります。
あと一人、メインプログラマーと仲の良い後輩で、僕よりは当然先輩の方。
以前に書いたけど「わくわくタマ&フレンズ」作った人。
この方とも、後に別のゲームでまたご一緒しました。
この話、長いので次回に続きます。
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