2015年02月14日の日記です

目次

02-14 おばあちゃんとぼくと
02-14 ENIAC公開日(1946)


おばあちゃんとぼくと  2015-02-14 10:17:19  コンピュータ 家族

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おばあちゃんとぼくと

「おばあちゃんとぼくと」という名作ソフトがある。


ソフト…あえて言うならゲームなのだろうけど、いまでいう「デジタル絵本」の最初期のものの一つだ。

Mac 用に発売されたもので、後に Windows にも移植されている。


初めて見たのは、1992年。

箱根で、デジタル美術の展示イベントがあった。


箱根中がイベント会場だったらしいのだけど、大学のサークル合宿(という名目の旅行)で行った、箱根彫刻の森美術館では、Mac を複数台並べて「アートな」ソフトや、活動を紹介していた。


その中に、「おばあちゃんとぼくと」があった。




衝撃を受けた。

これはゲームではない。特に目的は無く、絵本のお話をパソコンに読んでもらうだけだからだ。


でも、パソコンが絵本を読み上げた後、そのページの絵をゆっくり楽しむのは構わない。

それは実物の絵本だってそうだ。絵本と言うのは絵を楽しむものだ。


そして、「おばあちゃんとぼくと」には、パソコンならではの仕掛けがあった。

絵に描かれたものをクリックすると、いろいろなことが起きる。


これは絵本なのだから、それによってストーリーが変わったりすることは無い。

何のことは無い、ただの「遊び」。でも、ゲームなんていずれもただの遊びだ。


そして、遊びである以上、楽しいか楽しくないかが非常に重要な一線となる。

「おばあちゃんとぼくと」は、めっぽう楽しかった。



実は、「おばあちゃんとぼくと」以前に、Mac では似たようなゲームが出ている。

「the Manhole」(マンホール)というゲームで、もっとゲームらしいゲームだった。


でも、面白かったかというと…僕には面白いと思えなかった。


基本的には絵本だ。

ただ、クリックしたものによっては、その先の場所に移動する。

ハイパーリンクで構成された世界の中をさまよい、世界観に浸ることが主目的で、特にゴールは無い。


このゲーム、当時のゲーム賞を総なめにしていたはず。

今でも好きだという人は多い。


でも、ゲームとしては「アドベンチャーゲーム」に属するもので、道に迷ったりする。

気付かないと先に進めないような経路もあり、ひたすらクリックして進める場所を探す必要がある。


それでいて、クリックに反応する箇所はそれほど多くは無かった。

このことで、ゲームが「作業している」感を感じるものになってしまったのが、僕が楽しくないと思った理由だ。



「おばあちゃんとぼくと」は、ゲームではなくて絵本なので、道に迷うことは無い。

たった12ページしかない。


でも、少ないページ数だからこそ、クリックに反応する箇所が非常に多く、濃密な体験ができる。

そして、このクリックしたときの動きが、非常にセンスが良い。



後に、Mac が Performa シリーズ…多数のソフトを最初から付属させた廉価機種ラインナップを出した際に、「おばあちゃんとぼくと」が付属したものがあった。


僕はこの機種を選んで買い、ソフトを入手した。

Mac が欲しかったのもあるが、このソフトが付いていることは決め手の一つだったように思う。




当時は、兄の子供が3歳くらいだったので、ずいぶんとこのソフトで遊ばせてあげた。

子供と言うのは集中すると飽きずに遊んでいる。


僕も気に入ってそれなりに遊んだのだけど、大人の発想ではクリックしないポイントが相当ある、とこの時に気付いた。


さらに数年たち、兄に2人目の子供が生まれ、5歳くらいになった時に久しぶりにソフトで遊ばせたような覚えがある。


この時にも、見たことのない動作を発見した。


いや、もしかしたら見たけど忘れていただけかもしれない。

でも、覚えきれないほど動作があるので、遊ぶたびに発見があるのだ。


そういうソフトはなかなかない。



僕の長男が5歳くらいの頃、このゲームで遊ばせてあげたい、と思った。

しかしその時は Windows を使っていて、Mac はあるのだけど、子供がいるからこそ物置から引きずり出すことができなかった。


#小さな子がいると、ややこしい機械を出すのははばかられるもんです。



Windows 用の Mac エミュレータの存在もこの時に知ったのだけど、うまく動作しなかった。




さて、2年ほど前に、長男が近所の科学館で「キッドピクス」を見て面白がっていた。


家にあるから今度遊ばせてあげる、と約束したのだが、この時もまだ次女が3歳で、物置からガラクタを引きずり出すのは難しかった。


もう一度エミュレータに挑戦した。

動作はするのだけど、CD-ROM ドライブにアクセスできない。


この時も断念した。




先日、急に思い出して3度目の挑戦をした。


エミュレータも、数年の間にずいぶん進化した。

68K Mac のエミュレータ、Basilisk II というやつなのだけど、現在は JIT コンパイラを搭載し、68K のコードを x86 ネイティブに変換しながら動作する。


CD-ROM ドライブが読めない件は、どうやら 32bit Windows 用のドライバしかないことが問題だったようだ。

無いものは仕方がない。iso ファイルをマウントすれば読めるよ、と説明があるのを見つけたので、CD-ROM から iso ファイルに変換した。


今のマシンだと、CD-ROM を丸ごとファイル化しても、ハードディスクに対して誤差範囲みたいなものだ。

昔のマシンでは、なんか記憶領域がもったいなくってできなかった。


かくして「おばあちゃんとぼくと」が蘇った。懐かしい。

キッドピクスもインストールした。


えーと、他に Mac 用のゲーム持ってたかな…Puzzle Bobble 2 があった。遊べることを確認。

まぁ、わざわざエミュレータで遊ぶほど好きだったわけでもないのだけど、動くことが楽しい。


iTachoco のゲーム、結構沢山持っていたので遊びたいのだけど、これはフロッピーディスクなので読む方法が無い。残念。




かくして、いま5歳の次女に「おばあちゃんとぼくと」を遊ばせてみている。


すっごく気に入ったようで、集中して遊んでいる。


Windows の画面に、狭い Mac エミュレータのウィンドウを開き、その中央に小さく表示された画面で。


#「おばあちゃんとぼくと」は、カラーであればコンパクトマックでも動くように、小さな画面で設計されていた。


色数も 256 色。ドットも荒く見える。

今こんなソフト発売しても売れないだろうね。


でも、実際に子供はすごく面白がっている。

色数とかドットの細かさとか、面白さとは無関係だということがよくわかる。



キッドピクスも遊ばせるつもりだったけど、「おばあちゃんとぼくと」を気に入って何度も最初からやり直しているので、まだキッドピクスには進んでいない。




2019.10.28 追記


今でも入手できないか、というお問い合わせをいただいたので…


1年ほど前に、Internet Archive に動作する状態で収蔵されているため、現在 WebBrowser で遊べます。


Just Grandma and Me



Internet Archive は、もともとは「すぐに消えてしまいやすい」WEB ページをアーカイブする目的で設立された、アメリカの非営利団体です。

当初のサービスは Wayback Machine と言い、1996 年以降の WEB ページを積極的に収集、公開しています。


当ページでも、リンク切れなどの際にたびたびこちらにリンクをつなぎなおしています。



その後、活動範囲を広げ、コンピューター関連のありとあらゆるものをアーカイブしようとしています。


古いコンピューター雑誌とか、古いゲームとか。

こちらも、資料としてよく使います。




注意書きを一つ。


アメリカと日本では著作権に対する考え方が違っていまして、アメリカではこれは合法活動です。

しかし日本では、Internet Archive のような活動は、違法行為となる可能性があります。


…「可能性」と書いたのは、日本では、いろいろと曖昧なままでして…



まず、他者の著作物を勝手に公開することが、日本国内では違法行為です。

国内であれば、Internet Archive 自体がアウト。


とはいえ、先に書いたように、アメリカの活動で、アメリカに著者がいる著作物を公開しているので、今回の話に関しては違法ではない。(適法ではなく、「違法ではない」グレーゾーンです)


そして、閲覧者側。これもまた、グレーゾーンです。


一応、閲覧するだけの場合でも、著作権法第119条 3項では、「違法と知りつつダウンロード」した際に違法になるように条文が作られています。


ここで、ダウンロードを「録音または録画」と位置付けています。

あらかじめ録音・録画されたデータであっても、インターネットを通して、改めて手元に「残す」時点で、録音・録画行為となります。


このため、「残さない」場合や、せいぜい「一時ファイル・キャッシュが残る」程度の場合は、違法性がないと判断されます。


ただ、昨年起きた「漫画村」事件のように、現在は「WEB 上で見せてしまう」違法行為が増えたため、政府はこれに対応する法律を準備しようとしました。

WEB 上で見るだけでも違法、という位置づけにしようとしたのですね。


しかし、あまりにも影響範囲が大きすぎるということで、反対意見が相次いで表明され、法制化を断念しています。


上に書いたような「ゲーム」の場合、これらが録音・録画の範疇に入るのか、などの問題もあります。

(一応、ゲームは映画の著作物の一種として扱う、という過去の判断があるため、録画として判断することも可能です)




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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

あきよし】 日記に書いた通り、「おばあちゃんと僕と」自体はCD-ROMをisoフォーマットに変換したものを使用、エミュレータとしてはBasiliskIIです。
エミュレータ上でのソフト使用はWin/Mac両方の周辺知識を高いレベルで要求されます。
冷たいようですが、ご自分で解決できないようであれば、あきらめたほうが良いかと思います。
 (2017-03-02 11:21:57)

【あこ】 こんにちは。初めまして!検索からこのブログを見に来させていただきました!!「おばあちゃんとぼくと」、名作でしたよね!! 私もプレイしたいのですが、解凍がうまくいかず……。 宜しければ、どのソフトを使用したか……教えて頂ければ幸いです。 (2017-03-01 15:59:43)

ENIAC公開日(1946)  2015-02-14 16:58:50  コンピュータ 今日は何の日

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今日は ENIAC の公開日(1946)。


ENIAC は、戦時中の軍事機密として作成が開始されました。

そのため、完成してから公開までに時間がかかっており、公開は入念なリハーサルが行われたうえで、行われました。


ENIAC が完成したのは1945年の秋でした。

完成の報を受け、陸軍では「ENIAC の能力を見るために」当時の科学者たちを悩ませていた問題を用意します。


当時、原爆よりも強力な「水素爆弾」が考案されていたのですが、その内部状態の計算が出来ていなかったのです。

科学者たちの考えた方式で思ったような成果が出せるのかどうか、これが ENIAC に与えられた最初の計算でした。


この、非常に複雑な数式が ENIAC にプログラムされます。


プログラムが完成し、科学者・陸軍関係者が ENIAC の視察に訪れたのが1945年の12月。

結果は「考案した方式では、想定した結果にならない」でした。


これにより、水素爆弾の設計は見直されます。

ENIAC が無ければ、そのまま計画が進み、水爆の完成は遅れていたでしょう。



この頃、同時に ENIAC の完成・公開式典が計画されていました。

水爆の内部状態シミュレーションは…結果がよければ式典に使用されたのでしょうが、使わないことになりました。




公開式典では弾道計算シミュレーションの実演が行われることになり、新たなプログラムが作成されます。

しかし、このプログラムがうまく動作せず、プログラマたちは頭を悩ませます。


ENIAC のプログラマは、6人の女性でした。


6人の女性は、非常に数学の成績が優秀で、戦時中に弾道計算を行うために集められていました。

最初は、微分解析機などを使って弾道計算をすることが仕事でした。


そして、彼女たちは、ENIAC のプログラムを作ることを命じられます。

しかし、ENIAC の動作を示す資料は一切なく、あるのは複雑な回路図と、エンジニアと自由に話せる機会だけでした。


この頃、まだ ENIAC は完成しておらず、実機で試すこともできません。

そんな状態から ENIAC の動作を理解し、与えられた数式をプログラムする方法を考えなくてはならなかったのです。



ENIAC は、多数の計算回路の集合体です。

個々の回路は、掛け算だけ、足し算だけ、引き算だけ…などを行うように作られています。


プログラムは、この回路間を「結線」することで行われます。

結線により計算手順を示し、場合によっては複数の結果のうち、条件に適合したものだけを次の計算に使ったりするのです。


数式を与えられたとき、その数式を表現するために、どのような結線を行えばよいか。

これは、非常に難しい問題でした。


「結線を変えられれば自由な計算を行えるはずだ」という設計は間違えていないのですが、それがどんなに複雑なことになるかまでは考慮されていなかったのです。



彼女たちは EANIC のプログラム方法を自分たちで見つけ出し、複雑な数式もプログラムできるようになっていました。

完成後最初の計算である、水爆の内部状態遷移も彼女たちがプログラムしたものです。



しかし、それよりも簡単なはずの「弾道計算」はうまく動きませんでした。

公開式典はすでに日付が決められており、それまでにプログラムを完成させなくてはなりません。



恐らくは、世界初のデスマーチ・プロジェクトです。

彼女たちはこの問題にかかりきりで、何日も昼も夜も、何が悪いのか考え続けました。


式典の数日前、プログラマの一人である、エリザベス・ホリバートンは真夜中に目を覚まします。

何が悪いか、夢の中でひらめいたのです。


条件によって ON にならなくてはならないスイッチが、特定条件下では OFF のままでした。

これが計算を台無しにしていたのです。



#この話、デスマーチ経験のあるプログラマなら思い当たるはず。

 頭を悩ませていると、夢の中にまでその問題が現れるものです。

 そして、夢の中では「あたりまえ」だと思っていたことが邪魔せず、解決方法がひらめくことがあります。




そして、完成式典は 1946年の今日、2月14日に行われました。


世紀の大発明を公開する式典は非常に豪華なもので、晩餐会つきでした。


晩餐会のメニューは、ロブスターのビスキュイ(クリームスープ)、フィレミニヨンステーキ、サーモンステーキなどを含む5品だったそうです。


基調演説は、科学アカデミー会長で、原爆開発のマンハッタン計画にも一役買った、フランク・ジュウェットでした。



この完成式典は「完成」を伝えるためだけのものでした。

しかし、その衝撃は世界中に伝わり、ソ連からも「一台売ってくれ」と注文が来たそうです。


#この注文は断られました。

 アメリカに敵対する国に軍事上優位な装置は渡せない…というわけでもなく、「ENIAC は量産品ではなく、1台しかない」ことが主な理由です。



ENIAC の開発資金を提供した陸軍に納入されたのは、その数か月後。

余りにも巨大なので壁に穴を空け、まとまった回路ごとに分割して運び出され、陸軍に納入されました。


ENIAC の本格的な稼働はその後。

最初の計算は、設計し直された水爆の内部状態計算でした。




ところで、この完成式典を挟んだ数か月…水爆の最初の設計が正しくない、と示した時から、陸軍に納入されるまでの期間が後に争点となります。


ENIAC の特許が申請されたのは、1947年の6月26日。


アメリカでは特許申請は「公に使用されてから1年以内」と決められていました。

申請は、公の使用とは陸軍への納入である、と考えて、期限に間に合うように行われています。


しかし、後に ENIAC の特許を無効にしようと別のコンピューター会社が起こした訴訟では、「公の使用は、最初の水爆計算の 1945年12月である」と判断されました。


つまり、ENIAC の特許は申請期限を半年も過ぎており、無効。



この裁判の中で、ABC マシンが「ENIAC に先行して作成されたコンピューターである」という主張が行われています。

(先行する類似発明があると、特許は無効となります)


ABC マシンは ENIAC とは明らかに違ううえ、完成していません。

そのため、裁判ではこの件は判断されておらず、ABC が世界最初のコンピューターだとは判断されていません。


しかし、ENIAC の特許が認められなかった = ABC が最初と認められた、と主張する書籍が後に作られ、ABC が世界初である、と誤解が広まっています。




最後に、バレンタインデーらしい話を…


ENIAC のプログラマ6名が、マニュアルもない状態でプログラムを作らなくてはならなかった、という話を途中で書きました。


彼女たちは、参考に、エンジニアと自由に話をする機会を与えられました。

恐らくは、仕事のために何度も何度も、エンジニアに質問をしたことでしょう。


そのうちに仲良くなるエンジニアがいるのは当然のことです。


全員がエンジニアと交際していました。

そして、結局3組のカップルが結婚しています。



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