2015年05月11日の日記です

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05-11 コンピューターが、チェスの世界チャンピオンに勝った日(1997)
05-11 くじ引きの確率


コンピューターが、チェスの世界チャンピオンに勝った日(1997)  2015-05-11 11:26:33  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ディープ・ブルーがカスパロフを破った日(1997)。


ガルリ・カスパロフはチェスの元世界チャンピオンです。

その世界チャンピオンが、IBM が作成したチェス専用コンピューター、ディープブルーに敗北したのです。


これは非常にセンセーショナルな出来事でした。




チェスは、西洋では知力を測る物差しのひとつだと考えられてきました。


チェスでの勝敗は、そのまま頭の良さの優劣と捉えられるのです。

もちろん、ゲームですから「時の運」もあり、正しく勝敗を決するには、何度かの勝負を行います。


今でも、チェスは頭脳のスポーツだと言われます。



冷戦下の米ソ間では、どちらがチェスの世界チャンピオンを輩出できるかで争った時代もありました。

もっとも、これはソ連側が一方的に仕掛けた戦いで、アメリカは相手にしていなかった。

当然、ソビエト人が世界チャンピオンの時代が長く続きます。


アメリカ人ボビー・フィッシャーが「チェスの天才」だと言われ始めた時から、ホワイトハウスもこの競争に乗り出し、チェスは国家の威信をかけた代理戦争となります。


たかがゲーム、ではなく、チェスが国を動かした時代もあるのです。




ケンペレンが「チェスを指す人形」を作った時も、機械がチェスを指すというので大評判となったのです。


後にバベジも、実際にチェスを指す機械を構想しています。

これは、構想だけで複雑さに気付き、製作には至りませんでした。


チューリングも、チェスを指すプログラムを構想しています。

こちらも、アルゴリズムを考察しただけで、当時のコンピューターでは実現できませんでした。


コンピューターが作られ、進化し、ただの「計算機」ではなくなって、やっと最初の「人工知能」研究が始まります。

その題材の一つは、やはりチェスでした。


「人工知能」という言葉を作ったのも、その一環としてチェスを研究したのも、ジョン・マッカーシーです。


彼は教え子たちにチェスのプログラムの作成を示唆しますが、1960年ごろのコンピューターでは、まだ難しすぎました。

完成はさらにコンピューターが改良されてからになります。




カスパロフはソ連生まれで、22歳の時、史上最年少でチェスの世界チャンピオンになります(1985)。

そのあと、15年間チャンピオンの座を維持し続けます。


チェスをコンピューターに教える研究はソ連でも行われており…それどころか、アメリカよりもソ連の方が進んでいました。


カスパロフのチェスの師匠、ミハイル・ボトヴィニクはソ連におけるチェス研究の第1人者で、そのためにカスパロフもコンピューターチェスの研究を推進する立場でした。


1988年、アメリカのカーネギー・メロン大学で、カスパロフに勝利することを目的としたチェスプログラムが作られます。

それが、「ディープ・ソート」でした。


#名前は、不条理SFの金字塔である「銀河ヒッチハイクガイド」に出てくるスーパーコンピューターの名前に由来。


1990年、ディープ・ソートとカスパロフが初対戦します。

コンピューターチェスに理解があるカスパロフが世界チャンピオンだったからこそ実現できた、夢の一戦と言って良いでしょう。


でも、ディープ・ソートは大敗を喫します。




ところで、「ディープ・ソート」の名前の由来となった「銀河ヒッチハイクガイド」では、ディープ・ソートは自分を超えるコンピューターを自ら設計し、建造します。


そのコンピューターの名前は、ディープ・ブルー。



チェス・コンピューターのディープ・ソートは、その後関係者が IBM に迎え入れられ、IBM のプロジェクトに変わります。

IBM の企業イメージカラーは青。そして、プロジェクトが作る、チェス専用コンピューターの名前は「ディープ・ブルー」となります。



ディープ・ブルーは、1996年にカスパロフと対戦。この時は、6戦してカスパロフが3勝1敗2引き分けで勝利しています。


そして、翌 1997 年5月、再戦。6戦して勝ち越したほうが勝者、という勝負で、最後の対戦が11日でした。


それまでの戦績は、1勝1敗3引き分け。最終日を制した方が勝者です。




カスパロフは、チェスのプログラムの弱点を「創造性のなさ」であると見抜いていました。

長年コンピューターチェスと向き合ってきたうえでの結論です。


コンピューターは高速化し、人間よりも正確に先を読むようになりました。

しかし、「先」を読んだとしても、そこにまちうけているものの「意味」を読み取るのは、コンピューターは苦手です。


たとえば、ある手を打てば確実に相手のコマを取ることができ、自分は何の損もない。

この手は是非打つべきでしょう。


別の手を打つと、確実に自分のコマを失い、相手のコマを取ることはできない。

この手は避けるべきです。


でも、しばらく先を読んでも、そのどちらでもないことは往々にしてあり得ます。

そんな時、どのような局面に持っていくのが有利で、どのような局面が不利なのか。


これは、コンピューターの苦手とする形勢判断です。

一応、コマの位置関係などを元に点数を付けてあり、コンピューターは自分が有利になると思うように、「点数を取りに行く」ように動きます。



でも、チェスは非常に複雑なゲームで、簡単に点数化できるものではありません。

ここに、コンピューターの弱さがあります。


人間であれば、一見自分が不利に見える状況を罠として用意し、罠にかかったら一気に逆転させる、というような、点数だけでは解決しない戦略も準備できます。




ところが、1997年の対戦の早いうちに、ディープ・ブルーはそうした手を打ってきていました。


自らのコマを一つ犠牲にし、その後に続く自分の戦略をカムフラージュして、相手をミスリードさせる…

後から振り返った時、非常に洗練された手で、多くの専門家がコンピューターの繰り出した手とは思えない、と口をそろえていました。



これ、15年たってやっと技術者が明らかにしたところによれば、「バグだった」そうです。


パラメーターの調整に矛盾があり、どうして良いかわからなくなった時に、停止してしまうと「試合放棄」なので、とりあえずランダムに打てる手を打つようにしてあったそうです。


もちろん、そんな状況にならない方がいい。でも、この時はパラメーターに問題があり、その状態になってしまった。だから「バグ」です。

ランダムなのでおかしな打ち筋です。しかし、それが「後の手を隠すようにカムフラージュした」ように見えたわけです。


コンピューターに創造性はないはず。

そう確信するカスパロフは、もしかしたらディープ・ブルーは自分の知りえない、とんでもないコンピューターかもしれないと、心のどこかで思い始めていました。




そして、運命の6戦目。


カスパロフは、前日までの5回の対戦で、コンピューターの癖…どのような局面に、どのような点数付けが行われているかを大体読み切っていました。

先に上げた「洗練された1手」のようなものもありましたが、それ以外はやはりコンピューターらしい打ち筋です。


そこで、最終日は、罠を仕掛けます。コンピューターに明らかな「点数」をちらつかして、罠を仕掛けようというのです。

コンピューターには創造性はありません。美味すぎる話に「罠だ」と気づくこともなく、引っかかってくれるでしょう。



ところが、コンピューターがここで予想外の動きを見せます。

前日までの勝負で読み切ったと思っていた「点数付け」なら、当然動くであろう動きを見せないのです。


コンピューターはカスパロフの全く予想していなかった打ち筋で攻めてきました。


コンピューターに創造性は無いはず。なのに、なぜそれまでとは明らかに違う手を打ってきたのか?


カスパロフの心によぎった結論はただ一つ。

ついに、コンピューターは創造性を身に付けたのです。


普段は「コンピューターらしい」打ち筋でも、ここ1番という時にはとんでもない手を繰り出してくる!




実は、1997年の対戦では、ディープ・ブルーは、1戦終わるごとにパラメータを「微調整」されていました。

対戦後、戦いを振り返って悪かった手筋を見つけだし、その手筋に至った原因である「戦局の点数付け」パラメータを調整します。


コンピューターに創造性はありませんが、プログラマーには創造性があり、反省して修正することができたのです。


カスパロフは、コンピューターチェスのパラメータが、非常に微妙なバランスの上に成り立っていて、調整に長い時間が必要だと知っていました。

そして、それが故に「対戦期間の間、打ち筋が変わることは無い」と考えていました。


しかし、ディープ・ブルーは IBM が威信をかけて行っているプロジェクトでした。

調整したパラメータが適切かどうか、内部で自分同士で対戦を行うことで検証できましたし、チェスの専門家も同行していて、パラメータにどのような問題があるかを指摘することも出来ました。


このため、毎日パラメータを変更することが可能になっていたのです。


「洗練された1手」はバグでしたが、打ち筋が変わったのは、1晩でパラメータ変更を行えるチームワークがあったのです。




コンピューターが創造性を身に付け始めている!

これは、カスパロフにとって…コンピューターを良く知っているからこそ、驚愕の事実でした。


この事にカスパロフは恐れ、思考がまとまらなくなります。

そして、十分勝てる勝負を途中で打ち切り、敗北を宣言してしまうのです。


1997年 5月11日のことでした。


これにより、ディープ・ブルーの2勝1敗3引き分けとなり、ディープ・ブルーが「史上初めて、チェスチャンピオンに勝利したコンピューター」となります。




カスパロフは、後で「パラメーター調整が行われていた」事実を知り、再戦を申し込みます。

しかし、IBM はディープ・ブループロジェクトを解散。再戦は適いません。


IBM にとっては、これは「IBM コンピューターの優秀性」を示すデモンストレーションであり、目的を達成したらそれ以上お金をつぎ込む意味はなかったのです。



恐らく、もう1回戦っていたら、カスパロフが勝っていたでしょう。

心理的な混乱がなければ、十分勝てた勝負だったのですから、「種明かし」があれば負けなかったと思います。


しかし、歴史に「もしも」はありません。

すでに、コンピューターチェスの世界では、すでにコンピューターが人間を上回ったことになっています。


そして、より難しいゲームである、将棋や囲碁にターゲットが移っています。



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くじ引きの確率  2015-05-11 12:13:53  家族

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くじ引きの確率

毎年恒例、大船祭りに行く。


すると、これも毎年恒例で子供たちが「フリーマーケット」を見たがる。

次女は毎年恒例でぬいぐるみを探す。


これも毎年恒例ですが、「300円までは良いよ」としています。


そして、次女は運命のぬいぐるみと対面をしてしまったのです。




以前から、小児科に行くと置いてあったシナモンのぬいぐるみ。


サンリオキャラの「シナモン」は、次女の好きなキャラの一つです。

結構大きなぬいぐるみも持っています。


でも、小児科に置いてあるぬいぐるみは、もっと大きかった。

「シングレア」という薬のイメージキャラクターとして使われていて、小児科なんかには配ったようです。


当然非売品。

世の中には、小児科関連にお勤めだったり、知り合いにいたりして個人で持っている方もいるようですが。


そして、フリーマーケットに、そのぬいぐるみが置いてあったのです。

次女の目、釘づけ。




ただ、問題はこれが「売り物」ではなかったこと。


当てくじでした。

1回100円で、当たらないともらえない。


結構遅い時間に行ったので、もう残りの景品は少なくて…店番してた小学生の男の子に「あと10個」と言われたのですが、後で調べたら11個ありました。


これを、3回で当てないといけない。



どうしても欲しい、というので、1回だけの約束で当てくじを引きます。


1回目、ミッキーのキーチェーン付ぬいぐるみ。

それほど悪くない、かわいいものです。


これは、次女もちょっと嬉しそう。

…でも、納得できない。1回という約束でやったので言い出せないけど、もう一度やりたそう。


仕方がない…2回目を引きます。

ちょリスのブランケット


その場にある中では、「2番目のあたり」でした。

入手しようと思ったら、100万円必要な奴だぜ。

(JAバンクで100万円の定期預金組むともらえました)


でも、次女にとってはハズレ。



泣き出しそうなので、これで最後との約束で3回目。

でも、これで終わりと思うと、怖くてクジが引けません。


結局、ポッチャマのキーチェーンぬいぐるみ。


…次女、泣き出しました。


店番の少年も、そのお母さんも、いたたまれない気持ちになっている。

だけど、これはくじ引きだから、どうしようもありません。




しばらく考えて、長女が「じゃぁ、私がやって、当たったらあげる!」と。

長女は他のお店も見ていて、特に欲しいものが無い、と言っていました。


長女はうちの中では一番強運の持ち主、ということになっています。

よくプレゼントを当てるし、四葉のクローバーをすごい勢いで見つけ出す。

(4つ葉は、毎日10本くらい見つけてくる。大抵ひと夏に100本を超えます)


そして、1発でシナモンぬいぐるみを当てました。

当然のように「ほら、当たったからあげるよ」と漢気を見せる長女。


お店のお母さんも「どうなることかと思った。ほっとした」と。御心配おかけしました。




さて、そこで話題になったのが、長女がやっぱり強運の持ち主なのかどうか、について。


次女が3回もハズレを出して、当たる確率は高くなっていました。

とはいえ、長女が一発であたりを引いたのはやっぱりすごい。


次女は残り景品が 11個の状態から3つ引いたので、「どれかがアタリ」の確率は 3/11。

長女が引いた時点で、残る景品は 8個。あたりを引く確率は、 1/8 でした。


このままでは比べにくいので、分母をそろえると、 24/88 と 11/88。


長女は、次女の半分以下の「あたりの確率」で、見事に当てて見せたのです。

これは、やはり強運の持ち主と言える。




全体の個数が n 、あたりの個数が m の時、順次引いて行って最初に「あたり」が出る回数の期待値は、(n+1)/(m+1) になります。

確率計算の話はややこしいから、なぜそうなるかは書かないけど。



今回の場合、6回引いたらあたりが出ると期待されるわけですが、4回で当たったので安かったほう…かな?

次女が喜ばなかっただけで、一般的には当たりの「ちょリス」も当たっているし。


#このブランケット、被り物にもなっているので、家帰って遊んでたらお気に入りになりました。



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