2016年08月03日の日記です

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08-03 【訃報】シーモア・パパート
08-03 カシオミニ 発売日(1972)


【訃報】シーモア・パパート  2016-08-03 10:16:14  コンピュータ 今日は何の日

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7月31日、パパートが亡くなったそうです。享年88歳。

昨日知ったのですが、昨日は仕事が忙しくて訃報をかけませんでした。


LOGO を作った人です。

LOGO は今となっては古い言語なのですが、「計算機」に「計算させない」ための言語、というスゴイ発想の転換でした。


もちろん、コンピューターのアプリケーションで、計算を目的としていないものはあります。

しかし、それだって内部ではいろいろな計算をやっている。プログラムというのは計算で成り立っています。



でも、この「計算」こそが、プログラムを難しいものだと思わせている元凶だ、とパパートは考えました。

細かな数字なんてどうだっていい。

「プログラムする」こと自体を楽しめる言語を作れば、子供だってプログラムを楽しめるのではないか。




パパートは教育学者であると同時に、数学者でした。

そして、数学にとって当時はまだ「新しい武器」であったコンピューターにも触れていました。


この頃、BASIC のような「初心者向けのプログラム言語」が作られ始めていました。

パパートの在籍する MIT でも、子供に扱える、簡単なプログラム言語は作れないかと研究を始めます。



BASIC は、「文法が平易」で「実行しながらデバッグがしやすい」言語です。

しかし、そこで扱う概念はやはりコンピューターそのもので、計算することが中心になっていました。


これでは子供にとっては難しすぎます。

そこで、パパートはもっと概念が簡単なプログラム言語を作ろうとします。



プログラムの難しさは、計算を多用することと、できることが抽象的過ぎることの2点に集約されます。

そこで、パパートは複雑な計算をしないでも、ロボットが動かせる言語を作りました。


抽象的であることは、「ロボットに命令する」という具体性に置き換えて解決しました。

そして、常にロボットを中心として考えることで「座標系」の概念を知らないでも絵を描けるようにしたのです。


手順を示して絵…グラフを描くということは、幾何数学そのものです。

しかし、そこには座標系やベクトルなどの難しい概念は存在せず、分度器で測れる「角度」と、ものさしで測れる「距離」だけがあればいいのです。




LOGO は BASIC のようなものを目指して作られ始めましたが、できたものは全く違ったものでした。


BASIC は、プログラムの初歩を教えるものです。

文法は扱いやすく、デバッグもしやすいのですが、当時主流だった FORTRAN や COBOL と、根本的な部分では変わりません。

「なにか」を解決するためのプログラムを作るための道具です。


しかし、LOGO はプログラム言語でありながら、役に立つプログラムを作るための道具ではありませんでした。

LOGO で重要なのは、出来上がった成果物ではなく、その成果物を作る過程なのです。


子供は目的を達成するために、綿密に計画を立て、その手順をコンピューターにプログラムします。

しかし、大抵は思い違いなどで誤動作するものです。この「バグ」の原因を突き止め、自分の勘違いを修正しなくてはなりません。


人は成功からは何も学べません。

上手くいく、とわかっている知識だけを詰め込まれても、たいした役には立たないのです。


それよりも、何度も繰り返し失敗し、失敗した時にどう対処すればいいのか、どういうやり方なら失敗しにくいのか、実地で経験し続けることは、子供にとって何よりも重要な体験となります。


LOGO は、子供がそれを学ぶことができる言語なのです。



LOGO の開発話に関しては、パパートの誕生日にも記事を書いています。

興味のある方はそちらもお読みください。




LOGO は Smalltalk を生み出し、Smalltalk は Squeak, Scratch を生み出しました。


Scratch は、現在子供向けとしては一番成功しているプログラム言語です。

LOGO と同じように、具体性をもってプログラムできますし、非常に巧妙な仕組みで、初心者でも簡単にゲームやアニメを作れます。


#一応本職のゲームプログラマの目で見ても、ゲームに関しては「子供でも使える」けど、子供だましではない本格的なものが作れます。



一方で、Smalltalk は「オブジェクト指向」という新しいプログラム技法を生み出しています。

LOGO が「ロボットに教える」という具体性でプログラムを解かりやすくしたように、任意の機能を持った「オブジェクト」(物、という意味)をプログラムして、オブジェクトの組み合わせでプログラムをしていく、という技法です。


オブジェクト指向は、C++ や Objective-C を生み、Java や Javascript にも使われてきました。

こちらは単純に LOGO の子孫とは呼びにくいものですが、パパートの考えた「わかりやすくするための具体性」は受け継いでいます。



4年後をめどに、日本でも学習指導要領が改められ、子供にも積極的にコンピューターに触れさせることになりました。

少し前から方針は明らかにされていましたが、一昨日詳細が発表されてニュースをにぎわしたところです。


日本で、パパートの目指した教育がやっと取り入れられようとしている時の残念な訃報でした。


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今日はカシオミニが発売された日(1972)。


名前は有名ですが、もちろん僕は実機を使ったことも、CMをリアルタイムに見たこともありません。

年がばれるけど、この世にはいたけど物心ついてない頃。



カシオミニは、ポケットに入るサイズの電卓です。

電卓というのは、「電子卓上計算機」の略です。卓上、つまりはデスクトップです。


その卓上計算機が、ポケットに入るサイズになるまでには激しい競争がありました。




「卓上」計算機になる前の話から始めましょう。


1950 年代、計算機と言えばタイガー計算機でした。

桁ごとにレバーが付いていて、その位置で 0~9 の数字を表します。

そして、クランクを回して歯車を動かすことで計算を行います。


足し算引き算はクランクを1回まわすだけ。


掛け算の場合、クランクを「かけたい数」だけ回します。

つまり、足し算を繰り返せば掛け算になる、という原理です。


ただ、大きな数をかけたいときにはこのままでは大変ですから、桁をずらすことで「筆算」と同じ原理で高速に計算できました。

割り算はもう少し複雑になりますが、おおむね掛け算の逆の考え方です。



1937年には、電動式のタイガー計算機も開発されていますが、高価で普及はもう少し後です。

電動式では、桁をずらす部分まで含め、自動的に掛け算・割り算を行ってくれました。


1950年代になると電動式も普及し始めますが、手動式でも高価なものだったので、一般的だったわけではありません。




コンピューターは「計算機」に自動制御機能を追加したものですから、電気式計算機もコンピューター以前からありました。


初期のものはリレー回路を使用していて、非常に巨大で、遅いものです。

それでも歯車式よりも高速で動作したため、特に膨大な計算が必要な組織で使用されていました。


この頃の計算機は、数値の入力も歯車式の計算機を模していました。

桁ごとに 0~9の数値を選ぶ、という方式です。10桁の入力がができるなら、10桁それぞれに 0~9 の数字が必要で、数字だけで 100個のキーが必要でした。

これを「フルキー方式」と呼びます。


カシオ計算機は、もともとはこの「リレー式計算機」を作成する企業でした。

まだ計算機と言えばタイガー計算機のような歯車式が中心で、リレー式計算機なんて作られていない頃のこと。


樫尾4兄弟の次男の発案で、リレー式の計算機を作り始め、1957年に「14-A」計算機が完成します。

カシオ計算機は、この機械の利益で作られた会社です。


使いやすさを考慮し、フルキー式ではなく、世界初の「テンキー式」を採用した計算機でした。

テンキー式とは…いうまでもなく、今の我々が知っている「計算機」の入力方法です。

10個のキーで 0~9 の数値を入力し、キーを押すごとに以前に入力した桁が上の桁に送られていきます。


表示に関しては、各桁ごとに 0~9 を示すランプがついていました。

まだ現在のような7セグ表示(いわゆるデジタル数字表示)はありませんし、それ以前につかわれた、数字の形の電極が重なるように入れてある「ニキシー管」も普及前です。



14-A は歯車などの機械部分を持たない「純電気式計算機」であり卓上計算機ではありません。

一見、机の上に置かれているように見えるのですが、その机こそが本体。上に載っているように見えるのは、入出力を行う操作盤です。


価格は 48万 5千円でした。

大学卒の初任給が1万円未満、あんぱん1個が12円の時代です。


#当時の「大学卒」は、非常に限られたエリートだったことに留意。今の大卒と違って高給取り。

 今の感覚でいえば、1000万円近い機械でしょうか。




1964年 7月、シャープが「電子卓上計算機」コンペット CS-10A を発売します。53万 5千円。

フルキー方式でしたが、カシオのものよりもずっと小さく、机の上に乗せることができました。

なによりも、リレーと違いトランジスタを使用していたため、高速でした。


カシオはまだリレー式を作っていたのですが、トランジスタ式の研究も開始し、いや応なく切り替えていく形になります。


ここにきて、電卓市場に乗り出してくる会社が相次ぎ、後に「電卓競争」と呼ばれる状態に突入します。

各社機能と安さを競うようになり、どんどんコストパフォーマンスが上がっていきました。



1966年 7月に、日本計算器販売の発売した Busicom 161 が、競争の中で一歩抜き出ます。

数値の記憶部分に高価なトランジスタを使うのではなく、安価なコアメモリを使うようにした製品でした。

値段は 29万 8千円。たった2年で、電卓の値段は半額近くまで下がったことになります。


同社は、製品名のほうが有名になったために、後に「ビジコン」と社名変更します。




この頃、電卓の機能競争は、購入する各社ごとに必要な計算を行いやすくする「アプリケーション」の競争に入っていきます。


銀行に納入するなら複利計算などがすぐできるように。設計事務所に納入するなら構造計算がすぐできるように。

レンズメーカーに納入するなら、光の屈折計算がすぐできるように…


これらをすべて、トランジスタの論理回路で実現していくのです。

値段は下げなくてはならない一方、このカスタマイズ作業が非常に大変で、電卓メーカーの収益を圧迫し始めていました。


また、トランジスタを使った回路ははんだ付け個所も非常におおく、工場での組み立てコストも悩みの種でした。




1969年、シャープが QT-8D を発売します。

世界初の、LSI によって論理回路を実現した電卓でした。


基本演算部分を集積回路にし、アプリケーション部分は別に作り込めるようにすることで、はんだ付けのコストを大幅に減らしています。

値段は 99,800円と、10万円以下を実現しました。


ビジコンも追随し、LSI を1つだけの「ワンチップ化」に成功。BUSICOM LE-120A。

これにより、電池駆動でポケットに入るサイズを実現します。89,800円。


とはいえ、これは小さすぎるため、アプリケーションの作り込みなどはできないものでした。


ビジコンの次の一手が、「アプリケーションを回路の組み合わせではなく、ソフトで実現する」という 141-PF でした。

値段は 159,800円と少し高めですが、計算結果をプリントアウトできる高級機種でした。


この 141-PF を作成する過程で、世界初の「1chip CPU」である i4004 が作られています。

こちらは過去に 4004の発売日 で書いているので、興味のある方はお読みください。




ところで、1960年代は「所得倍増計画」が実行された年代でもあります。

池田勇人内閣総理大臣の打ち出した政策で、10年間で国民の所得を倍増させる、という計画。


実際は所得は4倍に増えています。好景気の時代でした。

先に、1957年ごろの大学卒初任給が1万円未満、と書きましたが、1970年代頭には 4万 6千円ほどになっています。

ちなみに、あんぱんの値段も 12円から 40円に値上がりしています。


生活に余裕ができ、レジャーブームが起こったころでもあります。

特に、ボーリングは簡単な運動で誰でもでき、屋内なので天候にも左右されないなど、いいことづくめで大ブームを起こします。




カシオ計算機の中でもボーリングはブームでしたが、当時のボーリングはすべての計算を手で行います。

(今みたいな、自動計算はない時代ですから)


ボーリングの計算は結構複雑です。

ストライク(1回の投球で的をすべて倒す)、スペア(2回の投球で的をすべて倒す)を出すと、その後の2回、1回の投球の点数がボーナスとして加算されます。

さらに、この頃はブームですから上手な人もいて、ハンデなども考慮した計算が必要です。


ここで、カシオ4兄弟の四男が、「ボーリング用の電卓があれば売れるのではないか」と発案します。

ボーリングの点数は最大で300点なので、数ゲームやって集計しても4桁あれば十分。

その分値段を下げ、ポケットに入るサイズにして…


早速技術者が仮計算してみると、1万円を切る販売価格で作れそうです。

四男とその技術者の二人だけで、他の人には一切内緒で完成させてしまいました。



作成の過程で、8桁になると製造コストが上がるが、4桁と6桁では大して変わらないことが判明。

表示は6桁になります。


従来、1桁ごとに1つの蛍光表示管(広義の真空管の一種)を使っていたのを、6桁を封入した大きな蛍光表示管にすることでコストを下げます。


#ただし、当初からそのように設計したというだけで、初期型には1桁ごとの普通のものが使われた。

 6桁封入した管を特注すると、計画が他社にばれてしまう恐れがあったため。


表示は6桁ですが、6桁×6桁=12桁の掛け算性能を持ちます。

この際、上位6桁だけが表示され、下位6桁はボタンによる表示切替で見ることができました。



ボタンにはそれまで使われていたスイッチ(リードスイッチ)と違い、パネルスイッチを採用します。

パネルスイッチとは、基板に「途中が途切れた線」が作り込まれていて、スイッチ側の導電体を押し当てることで電気を流す仕組み。

今では当たり前に使われていますが、当時としては新しいコストダウン技術でした。



完成した電卓を重役会議で披露すると、兄弟の中での反応は上々。

しかし、部長クラスの重役になると「こんなおもちゃみたいなもの、売れるわけがない」という反応もあり、意見は分かれます。




当時の電卓は事務用品ですから、事務用品店の経路で販売されていました。


しかし、カシオミニは個人消費を狙った低価格商品です。

全く新しい流通網として、文房具屋に卸すネットワークを構築します。


そして、個人向けにテレビCMが作られます。

「答え1発! カシオミニ!」


当初の予定を超え、12,800円になってしまったのですが、それでも当時は驚くほどの低価格。

カシオミニは大ヒットします。

生産が間に合わず、営業の仕事は客に謝ってまわること、と言われたほどでした。



月産10万台で、10か月後には100万台。

1年近くたっても生産量が下がらず売れ続けていたのですから、本当の大ヒット商品です。


海外にも多く輸出されていました。100万台のうち 20万台は海外輸出だったそうです。


当時の電卓は、高い計算力を持つ「兵器」の一種だという考え方で、業界では海外への輸出の自主規制が行われていました。

ただし、ここで定義される「電卓」とは、8桁以上の計算能力を持つもの。

カシオミニは、6桁しかないためこの規制も潜り抜け、自由に輸出できたのだそうです。


ここに「電卓戦争」の時代は終結します。




カシオミニはその後も改良が続けられ、まずは定価は据え置きで製造コストの削減・使い勝手の向上を、ついで値下げを行っていきます。

3年後には、4800円と5千円を切りました。


シリーズ累計では1000万台を超える売り上げ台数となったそうです。


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