ぜんぜん日々更新ではない日記です

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目次

2026-01-10 新書
2026-01-08 【訃報】デビッド・ローゼン
2026-01-04 家系図
2026-01-01 あけましておめでとうございます
2025-12-25 日付の変わり目
2025-12-16 詐欺電話
2025-12-07 ヨハン・ホイジンガ 誕生日(1872)
 今月の日記
新書  2026-01-10 19:08:44  その他

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次女が、学校の先生から「新書を読んで感想文を提出」という宿題を出されたらしい。


…新書? 新書を読む、とは?


いや、新書はなんとなくわかる。岩波新書とか、PHP新書というやつだ。

でも、これはシリーズのタイトルであって、改めて「新書を読む」と言われると、新書って何だろう、と思う。


すぐ上に書いた「新書はなんとなくわかる」ではダメで、読んでくるように言われたのだから、ちゃんと新書が何であるか理解する必要があるだろう。


しかし、残念ながら僕にその知識がなかった。


この時点で、僕のイメージとしては、新書とは「ちょっと専門的な知識を、初心者にわかりやすい読み物として教えてくれる書籍」だった。




ネットで調べてみる。


新書とは、出版業界の専門用語で、本のサイズを規定する言葉らしい。

え、内容関係ないの? ちょっと衝撃だった。


サイズ規定としては、新書と呼ばれることもあるが、より正確には「新書版」。

文庫版よりも少し大きいサイズ、ということらしい。


なるほど。家にある新書と、文庫本の小説の本のサイズを比べてみると、新書は縦に長い感じだ。


これに対して「単行本」という言葉もある。

こちらは、本のサイズではなく、出版の際の形式を言うらしい。


1冊だけを刊行するのであれば、単行本。

上下巻同時発売、とかいうときは、単行本ではない。


漫画の第3巻、とかが出る場合も、シリーズ物ではあるが刊行の際はこの1冊だけ。だから単行本。

漫画でも、「1、2巻同時発売」というのを見たことあるのだけど、この場合も慣習で単行本と言っているように思う。


このことに気付いて、手近にあった漫画を、先ほど比較していた文庫・新書に重ねてみる。

なるほど、サイズとしては単行本というものがあるわけではないのか。新書と同じサイズだった。


(実際には漫画のサイズもいろいろ。子供向け漫画には新書版が多いそうだ)




調べると、「新書」ジャンルには、教養書や小説などがある、という。

漫画はさすがに入っていないのか。活字じゃないとだめだとしたら、これは古い出版業界の悪習の気がする。


長らく、「年間で読んだ本の調査」などでは、活字本のみで漫画は除く、などと差別されていたから。


まぁ、そのことはいいや。新書で小説ってどんなのだ? と思って少し考え、すぐにピンときた。

子供が小学生のころ買っていた、「つばさ文庫」や「青い鳥文庫」を重ねてみる。


なるほど、新書版だ。「文庫」なのに新書なのだ。


つまり、新書には小説などもある、というのはこういうことらしい。

子供向け漫画が新書版なのと同じく、子供向けの本は新書版が多いのだな。子供の手に持ちやすいサイズ、ということだろう。


となると、「新書を読んでくる」というのは、子供向け小説もありなのか。

サイズだけが新書の定義であれば、漫画でもありなのか。



最初に、僕のイメージとしては「専門的な知識をわかりやすく」書いた本だと書いた。

現代的には同じサイズの本が当たり前すぎて、まさかサイズを規定する言葉だとは思っていなかったのだ。




まぁ、言葉遊びをしているわけでもないのでもう少し真面目に調べる。

つまりはこういうことなのだ。


岩波新書がはじめて「新書」と銘打って刊行されたのが、1938年。

ここで、新書というのは単に「今までの本とは違う、新しい視点でまとめた本のシリーズ」を示す、バズワードに過ぎなかった。


それまでは岩波文庫があり、これは古典文学などが中心だった。

これに対し、「古い因習や権威などにとらわれることなく、自分で考えられる日本人」を育てるために刊行したシリーズが、岩波新書だった。

(この目的は数回改定されているが、現代人に必要な教養を与えるシリーズ、という芯は揺るがないようだ)


この際、岩波新書は「新しい判型」を作り出した。これが、現代の「新書版」と呼ばれるサイズだ。


先に書いた「岩波文庫」は、「文庫版」というサイズを作り出したシリーズだった。

そしてまた「岩波新書」で、「新書版」を作り出したわけだ。




その後、岩波新書を真似した「教養書」が各社から出版される。

知性を見せることは出版社の品格なのだ。

辞書を編纂できることなどは出版社の力量の指標とされるが、新書を出すこともまた、出版社の力量を示すものなのだ。


かくして新書はブームとなる。各社から新書が刊行される。

一方で、新書が相次いで印刷されるということは、対応印刷機・製本機も普及するということだ。

これは便利な判型となり、小説などでもこの判型を使うものが出始める。そして、これもまた「新書」として扱われた。


その後、従来通りの狙いの内容を持つ新書は、わざわざ「教養新書」と呼ばれるようになる。




さて、この「教養新書」に、もう一度ブームが来る。

1990年代後半から、書籍としては雑誌しか扱わなかったコンビニで、文庫本や新書が置かれるようになるのだ。


教養新書、と言いながらも、気軽に読める軽いテーマを中心にした、いわゆる「コンビニ本」だ。

マメ知識や雑学、ビジネス書や自己啓発などを中心としたものではあるが、これらのシリーズが大ヒットする。


ここで、「教養新書」は「現代人に必要な教養を与える」という従来通りのものと、「話題作りの豆知識」程度の内容を書いたものに分岐したわけだ。

そして、より売れたのは後者だった。教養新書、というジャンルのイメージは、当然これらの「豆知識」本に引きずられることになる。


もっと言ってしまえば、こうした本の中には科学者が眉を顰めるような、似非科学を広めてしまうようなものもある。


本当の意味で「教養」を与えられるとは思えない。

しかし、読者にとって知らないことが書かれていて、読者が「知的好奇心」を満たせたのであれば、それはその読者にとっての「教養」なのだ。


また、これらの本の類型としては、知識人に気軽に語ってもらった「雑談」を示しただけの本などもある。


雑談のような内容で、「現代人に必要な教養」を与えるようなものではない。

でも、知識を持った人が自分の専門分野を語れば、面白いのだ。

娯楽としてはちょうどよいが、娯楽小説などではない。ジャンルとしては「教養新書」となる。


そして、実は教養新書として大ベストセラーとなった「バカの壁」は、この雑談ジャンルと言ってよい。




さて、最初の問題に立ち戻ろう。


次女が課題として出された「新書を読む」は、学校の先生が課題として出したくらいなので、教養新書の「現代人に必要な教養を与える」ようなものを1冊読んでこい、ということかと思う。


でも、新書としては雑学本もあるし、似非科学もあるし、小説や、形状だけでいえば漫画も含まれる。

判型だけでなく、シリーズとしても「新書」を銘打っているのがあるし、新書とすることに異議は挟めないだろう。

単に「新書」といった場合には、これらすべてが新書なのだ。


さて、学校ではどのような感想文が提出されるだろう?


先生の意図を汲める人ばかりであればよいのだが、「新書」と銘打ったトンデモ本の感想があったとして、それは課題の出し方が悪かっただけなので…



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【訃報】デビッド・ローゼン  2026-01-08 17:52:41  今日は何の日

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セガ・エンタープライゼス初代社長の、デビッド・ローゼン氏が亡くなったそうです。


日本で報じられたのは昨日ですが、葬儀は1月2日に行われ、海外ニュースサイトでは同日に取り上げられています


亡くなったのは、2025年 12月25日とのこと。



僕のページでは、10年ほど前にローゼン氏のことを記事にしていました




ところで、先にリンクした海外記事、ローゼン氏をサービス・ゲームズ社の創業メンバーと勘違いしています。


セガ・エンタープライゼスの初代社長ではありますが、サービス・ゲームズ社の創業者ではありません。

そもそも、サービス・ゲームズは創業時の名前ですらありません。


しかしまぁ、Service Games の頭文字を2文字づつとって SEGA 、というブランドを使用していたのは事実。


そして、そんなサービス・ゲームズ社が日本に作った「サービス・ゲームズ・ジャパン」を…この会社、違法な「賭博」を生業としていたので紆余曲折ありまして、分社化したり名前が変わったり。


最終的に、ローゼン氏が作った健全な会社「ローゼン・エンタープライズ」が買収します。

この時に、有名になっていた「セガ」ブランドを社名につけ、「セガ・エンタープライゼス」とした際の初代社長がローゼン氏。


ここら辺の話は、セガ初期の歴史として過去にまとめています。




デビッド・ローゼン氏、面識はありませんが、僕も間接的に多大にお世話になった形になります。

ご冥福をお祈りします。


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家系図  2026-01-04 16:26:07  家族

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2日に親戚が集まった。


僕は6人兄弟なのだが、長兄の家に集合。

兄弟は都合がつかない者もいて、3名参加。


でも、その3名は家族がいる。家族も集まった。

来た姪のうち、二人は配偶者と子供も来たし、別の姪は婚約者を連れてきた。


そんなわけで、参加者は赤ちゃん含めて17人に上る。




まぁ、この会はそれだけの話で、楽しかった。

長兄はいつも新年の集まりにカレーを作ってくれて、さらにお寿司をとって蟹もある。

美味しいので子供たちも楽しみにしている。


ただ、家に帰ってから「誰が誰かわからない」と子供に言われた。

まぁ、親戚多すぎな上に、新しく生まれた子供とか、新しくつれてきた婚約者とか、覚えきれんわな。


紙に家系図書きながら説明したが、今度は「さっき会った人の顔と一致しない」と言われた。

顔写真入りの家系図が欲しい、と。


なるほど、まとめてみるか。




昨日3日に、家系図を作るのによさげなソフトを探してみる。

家系図って、レイアウトとかややこしいので手書きで作っていると疲弊する。データが変わったら自動的にレイアウトしなおしてくれるようなソフトが欲しい。


Windows 上だと、エクセル家系図 というソフトが定番と知る。


微妙な分野だから、市販ソフトも少なく、無料で使えるのは事実上これだけなのだ。

エクセルのマクロで動作するアプリケーション。

当然だが「無料」と言っても、エクセルを持っていることは前提。


サンプルとしてサザエさん世界の家系図が入っている。磯野家だけではなく、婚姻関係のあるフグ田家の家系図なども同時に作りこまれているため、結構大掛かり。

しかし、その大掛かりなものを、入力データを基にして自動レイアウトできる程度の機能は持っている、という安心感はある。



懇切丁寧な説明書があるのだが、長いため最初の方を少し読んで、とにかく使い始めてみる。

まずはサザエさん家系図を削除してから、自分の兄弟などのデータから入れ始める。


…すぐ使い方に詰まった。色々とデータが不整合を起こしているようだ。

一旦なかったことにして、もう一度説明書を読んでやり直す。


エクセルシートとしては「入力」というシートがあるのでそこで入力したくなるのだが、ここは基本的に触ってはダメなところだった。

触っても良いのだが、このアプリケーションの動作に対する深い理解が必要だ。そうしないとデータ不整合を起こす。


入力はその隣、「個票」で行うのが前提だった。ちゃんと説明書にも最初の方に書いてあるのだが、「入力」というシートがあったらそこで入力したくなるじゃんか。

まぁ、一度失敗して、そこで改めて説明書を読む、というのはいつも新しいソフトを使いだす際に行っている儀式のようなものだから、気にしない。



しかし、「入力」シートをいじっている間に、一部の計算式を壊してしまったようだ。これが後で悩みの種になるのだが、この時点では気づいていなかった。




「個票」では、非常に UI が作りこまれていて、エクセルというよりは別種のアプリケーションとして動作する。


ある人に注目した時に、その人の配偶者や親、子供などが「簡易な」家系図ツリーで表示されている。

すでにデータがあれば名前が表示されるし、データがなくても空白の枠がある。


新しい人を登録したいときは、ここで空白の枠をクリックすればよい。

そうすると、そこに入るべき人の名前を聞かれる。


名前を入れれば、その枠に名前が入った状態で表示される。

最低限の操作としてはこれで完了。

さらにデータを埋めたい場合は、名前の入った枠をクリックすればよい。入力のためのシートが作られ、生年月日や性別などのデータを入れることができる。


これを繰り返せば、データは蓄積する。

全てを入れないでも、ある程度入ったところで家系図を描いてみよう。




家系図シートを開き、「家系図作成」ボタンを押すと、自動で家系図が描かれる。

ちょっと時間がかかるのでのんびり待とう。(高速化の方法もある)


僕の場合、ここで「一部の人が書かれない」バグが発生した。その人の子供は、別の人の子供として描かれてしまう。


1時間くらい悩んでいたと思うが、「入力」シートで直接入力をしていた時に、計算式を壊してしまっていたのを発見。周囲のセルからコピーして計算式を戻すことで、問題を解消できた。


入力シートは基本的にいじらず、「個票」で入力を行うこと。

この決まりを守っていれば、おかしなことにはならない。



ともかく、問題解消したら家系図を書けるようになった。

データを全部入れるのは大変なので、この日はここで一旦おしまい。




翌日、というのは今日の事だが、他のデータも記憶で埋める。

しかし、姪の旦那さんの名前とか覚えてない。まぁ、わからないところはわからないなりに埋める。


印刷して、妻に見せてみた。こんな感じだけど、わからないところ埋められる?


そうしたら、妻の方でも忘れないようにメモを取ってくれていたので、かなり埋まった。

そのデータを再入力。


さらに、母の葬儀の時の写真から、AI に顔を切り出してもらって個々の顔写真を作成する。


この写真を家系図の個々人のデータに入れていく。

これで家系図を作成してみると、かなりいい感じ。


葬儀の時に来れなかった人もいたので、別の写真を探して、だいたい埋めた。

それでも埋まらない人は、余り親戚の集まりに来ない人なので、今回の目的からすれば顔写真がなくても許されるだろう。


さらに、「子供が認識している」データを書いておく。

エクセル家系図だと、個人の右側・左側に、小さく箇条書きデータを入れられる。


ここに、住んでいる場所とか、「タバコのみ」とか書いておく。

タバコを吸う人は少ないので、子供はそれで個人を識別しているのだ。また、住んでいる場所が遠い人は余り集まりに来れない、と理解しやすい。



そうこうして、つい先ほど、写真入り家系図が出来上がった。


人数多すぎて、A4 一枚に収めようと思ったら、70% 縮小印刷が必要だった。

4世代38人が書いてある。(一番上の世代は父母で、もう鬼籍に入っている。それ以外の36人は健在なので、なにかの際には全員集まるだろう。)


だから写真とか豆粒のようでわかりにくい。でも、一昨日会ったばかりの人なので、識別の役には十分立ったようだ。




家系図、といっても、「会う親戚がどういう関係か知りたい」目的なので、基本的には生きている人だけ。

僕の父母の兄弟や、僕の従妹などの親戚もいるのだけど、実のところ僕も良く把握していない。


父は6人兄弟で、母も兄弟が多かった。

そして、父母とも関西出身で東京に出てきたので、遠方の親戚には時々しか会わなかった。


だから数人は覚えているのだけど、続柄とか僕もよくわかってないのね。

よくわからないけど親戚、と認識できている人が、子供のころはいっぱいいたのだ。


だから、今自分の子供が同じ状態になっているのがよくわかる。

年に数度しか会わないのでちゃんと覚える必要はないのだけど、「なんとなく」把握できれば十分だろう。



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あけましておめでとうございます  2026-01-01 16:00:47  その他

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。


今年のおせち。


写真左上から。


数の子入り松前漬け

菊(もってのほか)の酢の物

菜の花にしん(既製品)

梅水晶(既製品)

くりきんとん


上中央。

伊達巻

紅白かまぼこ(既製品)

にしん昆布巻き(既製品)


左下。

焼豚

煮卵


下中央

鶏ハム

蕪と京人参のなます

田作り(既製品)


右上。

煮〆



写真の段階で、黒豆(既製品)を出し忘れてる。



今年は、全部僕が作りました。

というのも、大晦日になって妻が風邪っぽい症状を示し、感染防止のためキッチンへの出入りを禁じたため。


忙しかったけど、やればできるもんだ。普段は妻に任せている料理をやってみたのは、面白い経験だった。



今年の鶏ハムは、28日から仕込んだ。

強めの塩で3日間漬け込んで、31日に半日くらいかけて塩抜きしてから茹でる。


いつも、28日が仕事納めで29日に買い物行って、それから作ると塩漬けの時間が短いのだよね。

しっかり塩漬けしたら、いつもよりずっと美味しいものになった。鶏ハムは塩漬けの期間が3日くらい無いと美味しくない。


(もともとの 2ch レシピではそうなっていたのだが、最近レシピ紹介しているサイトでは1日も付け込まないものが多い。それは「ハム」ではなく、塩ゆでした鶏の味になる。美味しいのだけど、違うもの)




妻の風邪症状は、どうも次女・長女の風邪がうつったようだ。

年末から、次女・長女の順に風邪を惹いている。そして、熱はそれほど出ずに、すぐに症状が治まることもわかっている。


なので、次女・長女はすでに免疫を持っているだろう、ということで、元日の朝は席替えして、妻の近くに長女・次女が入ることで対応。

家族そろって新年のおせちを食べた。


(妻の料理とりわけは、本人が取らずに長女・次女に依頼することで対応)


現在元日の夕方で、すでに妻の症状は回復気味。

とはいえ、しばらく感染力はある物と考えて対応したほうがよいだろう。




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日付の変わり目  2025-12-25 14:53:19  その他

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以前も書いた気がするネタだが、ネット見てたら悩んでる人がいたので、簡単に。


どちらも「伝統的な日付の切り替わりタイミング」の問題。




25日がクリスマスだから、夜御馳走しようと思ってたら、スーパーなんかはもうクリスマス撤収してお正月モード、と言ってる人がいた。


25日の夜は、もうクリスマスではない。

キリスト教はユダヤ教の宗派として起こった宗教だが、ユダヤ教は砂漠の宗教であり、日中は暑いため、日が沈んでから活動する。


そのため、一日の始まりは日没であり、次の日没までが「一日」になる。

クリスマスは、現代的には 24日の日没から、25日の日没までだ。



現代日本でも「朝ごはんはちゃんと食べよう」ということが呼びかけられている。

これは、一日の最初のご飯だからだ。一日の活動の源になるからだ。


同じ理由で、ユダヤ教では日没後の最初の食事を大切にする。一日の始まりだからだ。


ところで、英語では「夜」はイブニング。

だから、クリスマスの夜を現代では「クリスマスイブ」という。前日の意味ではなく、クリスマスの夜だ。


クリスマスのごちそうは24日の夜(クリスマスイブ)に食べるもの。25日の夜はもうクリスマスではない。


余談だが、「イブ」は、2つに分けたときの「もう片方」だと考えていい。

昼に対しての夜が evening だし、対等であれば even だし、男の肋骨から作られたもう一人の人間が eve だ。




もうすぐお正月だけど、初夢は 12/31~1/1 の間に見た夢か、1/1~1/2 の間に見た夢か、と言っている人がいた。


12/31~1/1 の間は、まだ「旧年中」だ。初夢ではない。


日本においては、日の出が一日の始まりだった。

当然、年の切り替わりも「初日の出」の瞬間だ。


昔の人は、今みたいに夜に明かりをつけて活動なんてできない。

ろうそくや行灯はあったが、高価なものだった。


だから、夜が更けたらさっさと寝てしまう。そして、朝は空が明るくなってきたら起きて活動する。

空が明るくなる時間というのは、まだ日の出前だ。


そして、日の出を拝んで、一日の活動が始まる。


つまり、日の出の瞬間にはもう起きていて、夢を見るのはそれ以前。

だから、この夢は「前日」の夢なのだ。


初夢も同じ。

12/31~1/1 の間に見た夢は「旧年中」であり、1/1~1/2 の間に見た夢が「初夢」だ。



「あけましておめでとう」という言葉も、「夜明け」と共に使う言葉だ。

現代的には深夜 12時で年が変わることになっているが、この段階ではまだ「あけて」ない。

深夜から初詣に行く人がいるのだが、その時点では明けてないので初詣ではない。


ただ、江戸時代から「2年参り」と言って、年明け前から初詣を始める人がいた。

その風習が今でも続いているのだ、と考えれば、深夜 12時から初詣を行うのはあながち間違ってはいない。



余談だが、「元旦」という言葉は、初日の出の瞬間を意味する言葉だ。まさに年が明けた瞬間。

「旦」は地平線から日が昇っている、という象形文字だ。

(厳密には、絵を元に作った文字ではなく、文字の意味を組み合わせて作った会意文字)




もう一つついでに。

これは、ネットで知って「へー」と思った知識。


今年の「冬至」は12月22日だった。

冬至というのは、一日の「太陽が出ている時間」が一番短い日だが、地球の公転軌道上に「冬至点」が設定されており、地球がそこに到達した日が冬至となる。


今年、冬至点に到達した時刻は、日本時間で 12月22日の 0時3分だったそうだ。

だから「日本では」22日が冬至。


これが、隣の中国では時差の関係で、12月 21日の 23時 3分となる。

だから、中国では 21日が冬至。


なるほど。地球が「冬至点」に達する瞬間は世界中で同時だけど、その時の日付は国によって違うわけか。

言われてみれば当然だが、考えたことがなかったので新鮮な驚きでした。





ところで、正月もクリスマスも、冬至を超えたお祝だ。

厳しい冬はこの日が「底」で、後は日が伸びて温かくなっていく。


正月は、日本では太陽太陰暦を使っていた関係で、冬至後の最初の新月の日から始まるものだった。

その意味では、冬至と正月は最初から別物だったが、まぁ日付は近かった。

今は太陽暦(グレゴリウス歴)になったので新月の日に始まるわけではないが、冬至のすぐ後に正月が来る。


クリスマスは、太陽神を崇拝するミトラ教の教えで、弱りゆく太陽がこの日を境に復活する、「神様の誕生日」が元になっている。


キリスト教は偶像崇拝や祭りを禁止したのだが、楽しい祭りをやらない宗教、というのは布教に苦労した。

そこで、当時人気のあったミトラ教の「神様の誕生日」を「キリストの誕生日」と言い換えて取り込んだ。

(キリストの本当の誕生日は8月だ)


昔から使われていた暦は非常に不正確で、毎年のように日付がずれていった。

時々調整を入れても、不正確で不便。そこでユリウス暦が考案される。


とはいえ、このユリウス暦も、それまでの暦から移行しやすいように「冬至に一番近い月替わり」を1月1日として開始した。

この時点で、冬至は 12月25日だった。これが、クリスマスが 12月25日である理由だ。冬至のお祝だ。


しかし、当時としては驚くほど正確だったユリウス暦も、100年に1日ほどずれた。

長い年月の間に、クリスマスと冬至は別の日になってしまった。


ローマでは、新しくグレゴリウス歴が導入され、暦のずれはほぼなくなった。


でも、ロシア正教はユリウス暦を使い続けた。

そのため、ロシア正教のクリスマス…ユリウス暦の 12月25日は、グレゴリウス歴の1月7日だ。ロシアではこの日にクリスマスのお祝をする。

(あくまでも「ロシア正教の」宗教ごよみであり、生活にはグレゴリウス歴を使用している。だからロシアの人は年明けの後にクリスマスを祝う)


ロシア正教は、20世紀に「修正ユリウス暦」を導入した。そのため、これ以上グレゴリウス歴とずれることはない。



そんなわけで、冬至と、クリスマスと、新年は非常に近い間に連続する。

元々同じお祝だったのが、様々な理由で分離したのだ。



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詐欺電話  2025-12-16 16:07:01  その他

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怪しい電話は結構かかってくるが、大抵はすぐに断っている。


でも、昨日巧妙な電話があって危なかったので、注意喚起も含めて記しておこう。


…いや、正直なところ、注意喚起よりも「面白かった」ので書いておきたいのだ。




NTT からの委託業者を名乗る電話だった。


光回線の使用歴が長い家庭向けに、機器と回線の交換をお願いしている、という。

話を聞いていると、実際うちがいつから光回線の契約をしているかなど把握していた。


新しい回線に変えてもらうと、速度も上がって値段も下がるという。今なら回線・機器交換も無料で行うという。


最初は怪しい話だと感じたのだが、こちらの状況を把握していたことと、実際無料でも古い回線を交換した方が、回線業者にとって特になることもある、と知っているので、そういうこともあるのかな、と感じた。


ここ、説明が必要だね。


NTT の光回線を使用しているわけだが、最寄りの交換局では複数の回線をまとめて一つのサーバで処理しているはずだ。

そして、このサーバは光回線の世代によって異なる。光回線自体の速度も変わるためだ。


さらに、速度が遅い回線では、データのやり取りに時間がかかる。この「時間がかかる」間は、サーバに負荷をかけていることになる。

回線速度が速くなれば、やり取りの時間は短くなり、サーバの負荷も減ることになる。


こうしたことを考えると、あまり古い回線契約のままの人に対して、サーバを移行してもらって「物理的なスペース」を開けることは、新サーバも導入できるし、契約可能な容量を増やすことにもなる。


だから、回線業者が、あまり古い回線に対して、無料でいいから乗り換えてくれ、ということは実際あるのだ、という認識だ。


(わかりやすい例でいえば、ちょうど今、携帯電話の 3G 電波停止が迫っている。今でも使っている人には、端末を無料サービスしてでも、最近の携帯電話への乗り換えキャンペーンを行うことになる)




さて、そんなわけで、僕は別に今の回線で困ってないのだけど、もう移行を促されるような感じなのか…と感じつつ、そういうことなら仕方ないな、と思い、了承した。


ただ、我が家の場合固定 IP を使用したりもしているので、回線変更の際にはこれらの環境が維持できるのかなどの不安もある。その点を聞くと、乗換案内をしているオペレーターでは技術の事が分かりかねるので、この後技術の担当から電話を差し上げるのでお聞きください、とのことだった。



しばしまつと、技術担当から電話がかかってきた。


現在、電話もテレビアンテナも光回線を使用しているが、それは大丈夫だという。

しかし、使用しているプロバイダでの固定 IP アドレスの話になったら、途端に怪しくなった。


プロバイダのメールアドレスなどはそのまま使えるプランがある、などと関係のない話をし始めたのだ。

そもそも「そのまま使える」とは?


向こうからいろいろ説明しているのを遮って、プロバイダの事を問いただす。

新しい回線はプロバイダが不要になる新技術を使っていて、プロバイダへの支払いがなくなるので安くなる、という説明だった。


そんな馬鹿な話はない。

「回線」と「ネットへの接続」は技術的にべつのもので、「回線」は NTT が、「ネットへの接続」はプロバイダが担うものだ。

今回の相手は、NTT の代理だと言っているのだから、回線を交換したいというのはわかる。しかし、そこでプロバイダが不要になるというのはおかしな話だし、インターネットの仕組み上あり得ない。



つまり、うまいこと騙して「自社のプロバイダに乗り換え」させて月額料金を取り続けよう、という詐欺だと、ここで確定。


それは話がおかしいので、お断りさせてください、と強く言うと、あわてていろいろと説明を始めたが、電話を一方的に切った。




ネットに繋がればなんでもよくて、複雑なことは良くわからない、という人が相手なら騙せただろう。

さらに言えば、だましてでも乗り換えさせれば、実際プロバイダ料金を安い値段でサービスしているのだろう。

騙された人がデメリットを感じなければ、問題にもならない。


おそらく、世の中の9割がそういう人だと思う。

だから、この「詐欺」は問題にならずに稼ぐことができる。



でも、固定 IP で、アドレスが変わるとすごくややこしいことになるとか、そういう人にとっては迂闊に騙されるとデメリットが大きい。

もしかしたら、携帯電話とか抱き合わせで安くしているとか、プロバイダの「契約期間」縛りで安くしているとか、条件付きの人の場合、かえってコストがかかる可能性もある。


あと、本当に「バレない」レベルにサービスを充実させているのに安いプロバイダ業者だとしたら、サーバ部分の代金をケチってると思う。


「回線」としては速いものなので、速度が上がりましたよ、とお客さんには説明できるが、サーバが安いものだと速度が出ない。

遅いと言われても、ネットのサービス速度は「ベストエフォート」であることが普通なので、遅くても保証する必要はない。

これも、高速回線なんて実際には必要ない人が多いので、バレにくい部分だとは思うけど。



まぁ、騙されても、騙されたことに気付かなければ幸せ、ということか。

デメリットを被ってから騙されたと騒いでも、時すでに遅しなので気を付けましょう。




この件、書いてから検索しましたが、総務省も注意を呼び掛けてました



翌日追記


そういえば、詐欺電話でほかにも面白かったものがあったのを思い出した。

もう数か月前だったと思う。


固定電話にかかってきて、機械音声で「こちらは NTT ドコモです。今通話中の回線は料金未納のため、3時間以内に支払いがない場合は停止します」とか言い出すのだ。


なんで固定電話の料金未納を、NTT ドコモがアナウンスするのだ。

出落ちのように詐欺だとわかる。シナリオが雑過ぎないか?



「オレオレ詐欺」のころから、こういう詐欺はシナリオを考えて商材として売る組織と、そのシナリオを購入して儲けようとする詐欺集団、そして実際に詐欺を働く実行部隊に分かれているという。


実行部隊は、いざとなると「トカゲのしっぽ切り」で逮捕される人々だね。

詐欺集団は、詐欺を指示しているのだから逮捕される可能性はあるが、実行部隊ほど危機に直面しない。

そして、シナリオ商材を作る組織は、実は安全。この商材自体は、詐欺に使えるシナリオ集ではあるが、実際に詐欺を働いたわけではないから。

(犯罪教唆で逮捕できるかもしれないが、犯罪小説を読んだ人が真似して犯罪を行うか? というのと同じような理屈で、なかなか立件が難しい)



シナリオ商材を作る方は、細かな部分は必要に応じて適宜修正して…というような注釈をつけているようなのだが、詐欺集団がそれほど頭がよくない場合、おかしなシチュエーションでもそのままシナリオを使ってしまうようだ。


多分、「NTT ドコモ」を名乗るパターンは、携帯電話の電話番号に限定して使うものなのだろうね。

それを、電話番号が固定電話なのにそのまま使おうとした、という頭の悪い集団がいたのだろう。



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ヨハン・ホイジンガ 誕生日(1872)  2025-12-07 17:55:10  今日は何の日

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ヨハン・ホイジンガ。誰それ? という人が多そうですが、オランダ出身の歴史家です。

僕が彼を取り上げるのは、ゲーム業界の末端にいた人間として、彼の功績を無視できないと思うから。


20世紀初頭、ヨーロッパではまだキリスト教的な「道徳観」の強かった時代、「遊ぶ」ことは非道徳なこととされていました。

過去に書いた話だと、ハイジのロッテンマイヤーさんの考え方が、まさにそれ。(ハイジは19世紀末の作品ですが、それほど変わっていません)


質素で勤勉な暮らしこそ、神が人々に望むもの。遊びに興じるなど、悪魔の囁きに身をゆだねる行為。


しかし、ホイジンガは「遊びこそが人間の本質」と考え、遊びが人類を発展させてきたと説くのです。




今でも、テレビゲームや漫画などを「何の役にも立たない、無駄なもの」と考える人はいます。


まぁ、個人の思想は自由なので、そう考えていても構いません。ただ、僕は昔テレビゲーム業界にいたので、自分の仕事に対して論理武装したかった。


それで、ホイジンガの著書、「ホモ・ルーデンス」を購入して読んだのですね。


…ここで謝らなくてはなりません。

ホモ・ルーデンス、読んだのですが内容ほとんど覚えていません。


というのも、読んだ時の僕の興味は、ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」の方にあったから。

カイヨワは、「ホモ・ルーデンス」に影響を受けて研究を始め、「遊びと人間」で人間が楽しいと感じる要素を見事に分解してみせます。


この分解が見事で、ゲームを作る人間は知っておいた方が良いもの。まぁ、知るために本を読む必要はないですが、僕は原点に当たる主義なので。




そう、原点に当たりたいので、ホイジンガの事を書くなら「ホモ・ルーデンス」をちゃんと読んでから、と思うのです。でも、実はいまコロナ療養中で家庭内で隔離中でして、家のどこかにある本を探しに行けない。

(隔離中でやることないから、久しぶりに「今日は何の日」を書いている、というのものあります)


というわけで、ホイジンガの業績をたたえたいにもかかわらず、その正確なところが伝えられないと… グダグダですね。




本を読めないので、ある程度ネットで調べた情報になってしまいますが…


ホイジンガは、遊びとして、次の5つの特徴を挙げています。


1. 自由な行為である

2. 仮構の世界である

3. 場所的時間的限定性をもつ

4. 秩序を創造する

5. 秘密をもつ


これらを、「形式的特徴」と呼びます。


また、これらとは別に「闘技」「演技」という二つの「機能的特徴」を挙げます



これらについて、順に簡単な解説を加えましょう。



1 の「自由な行為」。


例えば漫画を読む。これは多くの人にとって、自由な遊びです。小説を読むのもそう。

でも、指定された小説を読んで感想文を書きなさい、と学校の課題で出されたとしたら、これは自由ではない。


自由であれば、楽しくなければやめてしまえばいいのです。楽しいことをすればいい。

でも、自由でないと、楽しくないことをすることになります。これは遊びではない。


逆に言えば、学校の勉強でも、興味を持って前向きに取り組めるのであれば、楽しんで遊びにできてしまう、ということでもあります。好きな教科はやっていて楽しいよね、ということ。


僕が今、この「今日は何の日」を書いているのは、自由な遊びです。

でも実は、「今日は何の日」を頻繁に書いていた時は、書かないといけないという義務感がちょっとあった。

そういうのは遊びではないですね。



2 の「仮構の世界」。


日常とは切り離されている、ということ。

遊びでの優劣が日々の生活に絡んで来たら、それはもう遊びではありませんね。


ギャンブルを「余暇の楽しみ」にしている程度なら遊びだけど、ギャンブルで生計を立てていると遊びではない。

生活が懸かって必死になっていますから、楽しめない。


遊びが日常を侵食するようではダメなのです。



3 「場所的時間的限定性」。


いつまでも続くものではなくて、区切りがあるということ。日常とは違う、仮構の世界と類似ですね。

終わりがあると判っているから、安心してその世界に浸れるのです。


小説「ソード・アート・オンライン」はゲームの中に閉じ込められる話ですけど、終わりがないということの恐怖がよくわかる。

(この小説しらなくても、有名になって類似設定の小説沢山生み出したので、そういうのなんか知っているでしょ?)



4 「秩序を創造する」。


ルールがある、ということですけど、遊びはゲームに限ったものではないのですね。


たとえば「物語」。多くの物語は、起承転結を持ちます。

話の起こりは日常的なもの。でも、日常とは違う状態になり、何かをきっかけとしてまた日常に戻る。

この「特異な状況」をまとめたものが、「物語」です。


ここにあるのは、秩序が混沌に飲み込まれ、また秩序が想像される、という疑似体験です。

これは良い物語足り得る。



5 「秘密を持つ」


遊びには、何か知らないことが隠れているワクワク感が大切です。


カードゲームで手の内を隠している、というのも「秘密」。秘密だからこそ、相手の手の内を読もうと想像を働かせます。

将棋のように情報が公開されているゲームであっても、互いの戦略は秘密です。どんな展開になるか事前にわからないから面白いのです。


ゲームでなくとも、物語の先の展開も「秘密」。散歩するだけだって、何に出会うかわかりません。

そういう「秘密」があれば、遊びとして十分に面白いのです。




「闘技」と「演技」というのは、対立するか協力するか、と言い換えても良いかもしれません。


多くのゲームは、競争して対立するものです。

でも、ごっこ遊びは対立せずに協力するもの。


遊びのタイプとしては全然違いますが、どちらも楽しい遊びですね。



さて、実は重要なのは、「遊び」を定義したことで、普通は遊びだとは思わないようなことも、定義に即していれば遊びではないか? と逆に考えられること。



ホイジンガが見事なのは、ありとあらゆることを「遊び」と見立てて、遊びが人間の本質だと証拠を挙げていくのです。


例えば戦争。

前線で命を張っている戦士には、命令で行っていて自由ではないし、仮構の世界ではない現実だし、遊びではない。


でも、作戦室で地図の上でコマを動かして討論している人たちにとっては「遊び」と何ら変わらないのです。

切り口を変えれば、すべての事は遊びで、それによって人間社会が作られてきた、と分かる。




ホイジンガは、遊びこそが人間の本質であると主張し、「遊び」とは何か、要件定義しました。

でも、遊びそのものを研究しているわけではありません。


遊び自体の研究は、ホイジンガに影響を受けたカイヨワが行っています。

こちらは、カイヨワの誕生日の記事に詳細を書いていますので、そちらも併せてお読みください。



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