家族33ページ目の日記です

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2026-05-06 G.W. 横浜編 (1/2)
2026-05-30 夜光虫
2026-05-31 コーヒー
2026-06-09 バナナ
G.W. 横浜編 (1/2)  2026-05-06 16:24:12  社会科見学 家族

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G.W. 横浜編をまとめて読む


家族に意見聞いてまとめた「行きたいところ」は横浜にもあった。

こちらは東京より軽め。自宅から車で行ける距離だし。


というわけで、5月5日は朝8時過ぎに家を出発。

9時少し前に、三渓園に到着する。


三渓園は、横浜にある日本庭園。原三渓という明治~昭和初期の大富豪の「個人邸宅」だったが、住んでいた時から庭を一般開放した上、当時の廃仏毀釈運動もあって取り壊される建築物などがあると聞けば、大金を使って庭園内に移築した。


そのため、三渓園は日本庭園であるとともに、古建築のテーマパークのようになっている。


…というのが、自分の知っていた事前知識。


小学校のころは横浜に住んでいたので、遠足で三渓園に行った覚えがある。

でも、小学生に日本庭園や古建築なんて、正直なところよくわからない。「行った」という事実のみ覚えていて、そこに何があったかなど一切覚えていない。


せっかく有名な日本庭園が車で気軽に行ける距離にあるのに、どんなところか知らないというのももったいない、と以前から思っていたし、妻も興味があるようだった。

それを今回、高校生~大学生の子供たちなら十分楽しめるだろうと、家族で行くことにしたわけだ。




細かなことは省略して、全体の概略から書こう。


入り口からしばらくは、庭園らしいところが続く。庭園の中で最初に建てられ、原三渓が自宅として使っていた、という「鶴翔閣」があるが、遠くから見られるだけで近づくことも禁止。


その後で、原三渓記念館というところがあるので、まずはここを見ると良い。

庭園を見て回るのに必要な知識は、ここで大体仕入れられる。


原三渓が作ったから三渓園、と聞いたことがあるのだが、原三渓は本名ではなかった。

本名は原富太郎。

え、じゃぁ三渓って何? と混乱したが、ここの展示には答えはなかった。

後で調べたところ、雅号が三渓らしい。


そう。雅号がある。茶人だったのだ。

原三渓は実業家で大金持ちだったが、美術や芸術を愛し、茶人としても多くの人と親交を深めた。

原三渓自身絵を描いたそうだが、若き芸術家のパトロンにもなったし、日本画家の横山大観とも仲が良かった。夏目漱石とも親交があった。




原三渓の「養父」が横浜で生糸問屋の事業を始めた。この事業を拡大して財を成したのが原三渓だ。


解説には書いていない自分の知識だけど、当時西欧では蚕の病気が流行し、絹の生産が出来なくなっていた。

そのため中国が生糸を西欧に輸出するのだが、こちらでは内乱が勃発。また、中国でも西欧と同様の蚕の病気が流行し、輸出量が減少する。


そこに日本の絹織物が入り込み、大成功。当初は生糸だけが輸出されたのだが、絹織物をハンカチとして販売するようになる。


ここで、日本の印刷技術は当時世界一だった、ということ知っておいて欲しい。

大衆娯楽としての浮世絵の影響もあり、多色刷りの技術が凄い。この技術で模様を付けたハンカチは、日本でしか作れない特産品だった。


特に横浜ではハンカチ産業が大きくなり、会社が乱立した。

しかし、絵柄を作る会社が増えたとして、そのすべてが「生糸」「絹織物」を必要とするのだ。

それらは、原三渓の会社が取り扱っている。こうして、原三渓の会社は莫大な財を成した。


ところで、ハンカチは後に大判化し、スカーフとなる。

エルメスが「多色刷りのスカーフ」事業に乗り出したのはその後だ。

現在ではエルメスが世界的に有名だが、その前は横浜スカーフは世界的に有名なブランドだった。



現在世界遺産となっている、富岡製糸場も、原三渓の会社のものだった時期がある。

最初は国策として政府によって建造されたが、思ったようにうまく行かず民間に払い下げられたのだ。

当初は三井が購入したが、これもうまく行かない。原三渓に売却されたところ、品質も生産量も増して、大工場となった。


つまりは、原三渓は絹を扱うことで財を成したし、そのノウハウを使うことでさらに財を増やしていったのだ。




原三渓に限らず、当時の大金持ちというのは、金持ちの「責務」としての公共投資に積極的であることが多い。


三渓園を作ったのもそうだが、横浜銀行の初代頭取も務めている。経済安定のためには地元に銀行が必要であり、世界恐慌の為に破綻した銀行の業務を引き継ぐという「火中の栗を拾う」ようなことをしたのだ。


また、関東大震災の際には横浜市復興会の会長を務め、私財をつぎ込んで横浜の復興に勤めている。

ちなみに、関東大震災って横浜の本牧のあたりが震源で、三渓園は本牧にある。まさに「被災の中心地」で、財産をなげうって地域の復興を行ったのだ。


後で書くが、関東大震災とその後の第二次大戦の横浜大空襲で、三渓園の歴史的建造物はずいぶん失われてしまったらしい。




以上のような前知識を仕入れたうえで、三渓園を見て回る。


建造物の前には、その建物の大まかな構造の図示と、説明を書いたパネルがある。

三渓が建てた建物には建造年しかないが、移築したものは建造年と移築年が書かれている。


室町時代に建てられた建物とかもあるが、多くは江戸初期のもの。

先に書いたように廃仏毀釈運動もあったためか、仏教寺院の建造物が多いが、戦国武将ゆかりの建築物などもある。

いずれにせよ、誰かが保存しないと失われてしまう、重要な建築物の噂を聞いては、移築していたようだ。


ただ、移築に際しては、必ずしも元の建物を再現しようとはしていない。

現代的(当時の話だが)に住みやすいように手を加えたり、間取りを変えることもあったようだ。

だから、織田信長の弟が建てたという茶室には、電灯と硝子扉がついていたりする。

単に懐古趣味で残すのではなく、あくまでも「使用できる」ことを重視しているのだ。




三渓園は公開から120周年だそうで、園のあちこちに「当時の風景」の写真がパネルになって設置されている。


これを見て回るのが結構面白い。当時の風景が分かる、とかではなくて、説明が無茶苦茶…というか、波乱万丈で面白いのだ。


多くの建物が、関東大震災や空襲で失われている。一方で、三渓園が「完成」した後でも、どんどん新しい建物が移築されている。

つまりは、今の三渓園は、けっして原三渓の作った三渓園ではないのだ。でも、その心は受け継いでいる。


パネルの中には、写っている建物が来歴不詳、詳細不明、今はないのだがなぜ無くなったのか不明、っていう不明だらけのものもある。そんな不明だらけなら紹介しないでもよいのでは、と思うのだが、正体不明のものが写真には残っているからこそ、知っている人に情報を求めているのかもしれない。


しかしまぁ、ツッコミどころだらけで面白い。




原三渓は秀吉大好きだったようで、秀吉が作った聚楽第の一部、と信じて移築した建物もある。今では違うとわかっているそうだけど。


また、中華趣味があったそうで、中華風の建物も自分で設計して作ったりしている。こちらも、空襲で焼けてしまったそうで写真しか残っていない。



園内の茶店「待春軒」で、原三渓が考案したという「三渓そば」を食べられる。僕は食べてないけど。

待春軒のWEBページで、どのようなものか大まかなレシピが書かれている。


…えーと、ページには「起源不明」と書いてあるけど、どう見ても中国の炸醤麺(ジャージャー麺)だな。

それを、当時の日本で入手しやすい材料で作れるようにアレンジしたのだろう。


ここら辺も、中華趣味だったというので、普段から気軽に食べたくて考案したのだろうと思う。


(どうでもよい話だが、翌日にこのレシピを参考に、「それっぽいもの」を作って家族で食べました)




三渓園は、原三渓存命のうちに無料で一般開放されていたのは知っていたのだが、見学者に無料でお茶を出していたらしい。

その際に使った東屋なども写真と共に残っている。東屋の中央に炉があり、東屋全体に煤けているが、これは現在でも年に一度、当時と同じように使用しているからかもしれない。


すぐ隣に在った茶室は、後に別の場所に移築されたのだとか。現在は、さらに後に移築した茶室が建っている。


建物の移築って大変なことだと思うのだけど、そんなに気軽に移築を繰り返すんだ…

「不動」産って何だろう。




さて、園内を一通り見たら、時間は12時ちょっと前。ほぼ3時間かかりましたね。


なんとなく流し見する程度なら2時間で回れると思いますし、園内で食事したり、予約が必要な特別公開の家の中まで見ていたら、もっと時間がかかると思います。


見に行こうと思う方は参考までに。



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夜光虫  2026-05-30 18:39:47  家族

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いまから13年ほど前の話。


まだ保育園児だった子供たちを、保育園帰りにそのまま連れまわして

夜光虫を探しに行ったことがある。


その時は、妻がネット友達から情報を得て見に行ったのだ。


その後、時々噂を聞いては夜光虫探しに行っていたのだが、うまく遭遇できたためしがない。

子供たちも忙しくなり、探しに行くことも無くなっていた。




昨年の事だったと思うが、次女が「あの時みたいにまた夜光虫探しに行きたい」と言い出した。


今、次女は海の近くの高校に通っている。

あんたが一番観察できるのだから、赤潮が出たら教えてよ、と言っておいた。



で、今週の水曜日に、次女から連絡が来たのだ。

「友達が、海が赤潮になっていると教えてくれた」と。


この日は次女は塾のある日。学校帰りにそのまま塾まで行き、帰宅は10時過ぎになる。

ネットで確認すると、前々日あたりから江の島周辺で見られているらしい。


家にいた長女も行きたい、という。

長男は大学の帰りが遅い日で…連絡を取ると、帰りを待っていると出かけられなくなりそうなので、長男に断って僕と妻と長女で出かける。




2カ所で見られる、という情報を得ていた。

1カ所は材木座。人があまり来ない浜。

目撃情報も少ないが、人が少ないのでゆっくり見られそう。


もう一カ所は、江の島周辺。観光客も多く目撃情報が多い。確実に見られそうだが、混雑しているかもしれない。


妻が「確実にみられる方に行こう」というので、若宮王子から海岸に出て、江の島を目指したのだけど…



判断ミスでした。

大渋滞。普段は平日はこんなに渋滞しないのに。


妻がネットで調べていたら、どうやら夜光虫の話をテレビニュースでやったらしく、見てみたい人が集中しているのだった。


七里ガ浜あたりから江の島にかけて、夜光虫で波が光っているのはわかったのだけど、駐車場もどこも満車。

車を停めて見ることができない。


そのまま江の島まで来てしまったが、夜だというのに海を見ている人だらけ。

車停める場所ないよー、と言いながら江の島近辺からモノレール江ノ島駅方面に入ると、ドラッグストアを見つけた。駐車場は Times になっているので有料でも止められるが、買い物すれば 30分無料。


じゃぁ、何か買おう。規定料金買って、浜に急ぐ。




確かに夜光虫はいて光っているのだが、しょぼい。

この日は風が強く、波が荒い。夜光虫は光り続けて疲れてしまったようで、光が弱い。


夜光虫は、赤潮の原因にもなる渦鞭毛藻の一種。

刺激を与えると光る。


海岸近くではない「穏やかな海」では、敵に近寄られたらその刺激で光り、驚いた敵が逃げることで生存性を高めているのだろう。

しかし、海岸付近に流れ着くと、波の刺激だけで光る。綺麗ではあるが、生物としては疲れてしまい、すぐに光が弱くなるし、数日で死んでしまう。




さて、翌日も次女は塾があり、さらに翌日の金曜日(昨日だ)にやっと時間が自由になった。


学校帰りに海を確認し、まだ赤潮になっている、と報告。

この日は長男も学校が速く終わる日で、全員で再び海へ行くことにした。


ちなみに、木曜日も夜光虫が見られた、という情報は得ている。



渋滞情報を見ると、江の島周辺はまた混んでいるので、今度こそ材木座を目指す。

材木座の駐車場は、案外高い。すぐ近くに Times 駐車場があるのだが、これは「位置的には」すぐ近くなのだが、道路が繋がっておらず、非常にまわりみちしないと入れない。最初からそこに入るつもりで進む。


さて、海へ行く…が、全く夜光虫はいない。空振り。


もっと逗子方面に行ってみようか…ということになり、車を走らせる。

実は、先に書いたように、最初に入れた駐車場は「非常にまわりみちしないといけない」のだ。

位置的には近いのに、車で材木座海岸に出るまでに30分近くかかった。(海沿いが大渋滞のせいもある)


冒頭に書いた、13年前に夜光虫を見たあたりまで行くも、結局見られず。




いいタイミングで海に出たくて、夕食を食べていない。

どこかで食べられそうなところあれば食べよう…と言いながら、家に帰る方向に車を走らせる。


しかし、当たり前だが、ある程度は渋滞を避けても、結局今来た道を戻るしかないのだ。

大渋滞。さらに言えば、観光地価格の高い店しかない。


うーん、どこかで食事してれば道もすくかな… 空いたら、江の島方面まで走ってみるのも良いかもしれない。




結局、食べられる店はなく、江の島まで渋滞を走り切った。

(数カ所ショートカットしたが、鎌倉から江の島にかけての海沿いは、基本的に逃げ道がない)


江の島近辺でも夜光虫は確認できず。ただ、夜光虫の噂で集まった観光客の流れが凄かっただけ。

まぁ、「どこに行っても確認できなかった」というのは、諦めがついた。


渋滞もあり、3時間ほど車で走り回っていたことになる。


この後、帰宅ルートに入り、ファミレスで遅い夕食を食べて帰りました。




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コーヒー  2026-05-31 16:42:03  料理 家族

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我が家に鉢植えのコーヒーノキがある。


5年くらい前から、少しづつ実をつける。とはいえ、小さな鉢植え一本だし、最初は数個の実だった。

果実の部分、「コーヒーチェリー」はなかなか日本では出回らないので、食して楽しんでいたが、1粒食べたくらいでそれほど旨いものでもない。


一昨年は沢山実をつけたので、収穫して取っておいた。とはいえ、15個程度だったと思う。

焙煎してコーヒーにできないかな…とおもいつつ、やり方がわからず放置。


昨年もまた実をつけたので収穫し、一昨年のものとあわせて「小皿に薄く一杯」程度になった。

30個ちょっとかな。




コーヒーは、周囲の果肉は捨てて、中にある種の部分(いわゆる「豆」)を焙煎して使う。


果肉を取り外すには、水につけて自然発酵させてから、強力な水圧で洗い流す方法と、乾燥させてから脱穀する方法があるらしい。


自然発酵させて強力な水圧で…は、家庭ではちょっとできない。

そして、乾燥する方法は砂漠などで行われるらしく、日本の気候ではそこまで乾燥しない。


どうしたものか…と思っていたら、「乾燥させてから、果肉ごと焙煎」というやり方がある、と知った。

なるほど、その方法ならできるかもしれない…と思ったのだが、詳しい方法がわからない。


なんとなく、コーヒーの実は保存されたまま放置になっていた。




今日、思い切ってやってみることにした。


改めて果肉ごと焙煎する方法を調べる。


以前調べたとき…2年前は、Google は AI のまとめ結果は表示していなかった。

今は AI が主要な WEB ページで調べた内容をまとめてくれるのだが、「果肉ごと焙煎するような方法はありません」と言われた。


AI に知識を聞いちゃだめね。平気で嘘をつく。

(単純作業をやらせると、使い方次第で役に立つ。AI は道具なので、うまく使うことが重要)


WEB ページ探したら、やっぱりそのやり方はあった。

しかし、相変わらず詳しい方法はわからない。


仕方ない、自己流で行こう。




果実丸ごと乾燥しているコーヒーの実を、小さなフライパンで弱火で煎る。

どれくらいやっていいのかわからない。しばらくやっていたが、全体に黒くなってきたのでこれくらいでいいかな、と終わりにした。


続いて、これをミルに入れて挽く。

…あたりまえだが、コーヒー豆より大きく、ミルを回転させても歯の隙間に入って行かない。挽けない。


改めて取り出し、ゴマをするための小さなすり鉢で潰す。

煎られてよく乾燥しているので、簡単に砕ける。こうやって脱穀できるかも、と思ったが、豆の中まで火が通っていて、豆も砕ける。


果肉があるから豆に火が通りにくいのではないか、と考えて長時間炒っていたのだが、中央まで焦げているようだ。

ちょっと深煎りにしすぎ。


すり鉢では荒く砕けただけなので、改めてミルで挽く。


さて、当然だが「不純物の多い」粉となった。豆だけでなく、果肉も入っているからね。チャフどころの話じゃない。


深煎りしすぎたと思っていたのだが、白っぽい部分もある。

火の通り方にムラがあるな。下手な焙煎だ。初めてだから当然だ。


ドリッパーに入れるが、豆の量が少ないので、1杯分くらいしかない。少なめのお湯で抽れて、みんなで少しづつ飲もう。



…ところが、お湯を注いだら色が濃い。これは、ほぼ消し炭になっていて炭の粉が出たか。

強烈に苦いかもしれない、と思い、少しお湯を多めに入れる。


この時点での予想。焦げた匂いで強烈に苦く、コーヒーとしての味は薄いお湯。




飲んでみると、意外なことにコーヒーだった。


ちょっと酸味のある、フルーティーな香りのするコーヒー。

そして、焦げ臭さも少し混ざる。焙煎が下手。


この時は「貴重な味が、しっかり分かるように」わざと濃い目に入れていた。

妻は薄めのコーヒーが好きなのだが、ちょっと濃かったようだ。ザラメを入れて飲み、甘くしたら美味しい、と言っていた。

雑味が多い、とも言っていたが、果実ごと入れているからね。




じつはコーヒーノキは我が家に2本あったが、冬越しの際に1本枯れてしまった。

なので、今後は去年ほど豆が収穫できない。


1杯分のコーヒーを淹れるのに2年かかったのだけど、次淹れるのはいつになるかな…


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バナナ  2026-06-09 14:55:19  料理 住まい 家族

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我が家の庭にはバナナの木が生えている。


家を購入して1~2年の間に、庭造りのたびにたびたび園芸屋などをのぞいていて、鉢植えのバナナを見つけて購入したもの。

観賞用の原種に近いもので、それほど大きくならない。とはいえ、成長すると 2m くらいにはなる。実は種が多いので食用に適さないが、十分熟して自らはぜるのを待ってから口に入れると、とても甘い。口の中で転がして甘味を感じたら、種だらけなので後は捨てる、という感じ。


で、バナナは多年草で、毎年地上部は枯れるのだけど、翌年芽を出すのね。この際、どんどん増える。


昨年は余りにも数が増えて密集していたので、今年は春先から時々間引いている。




この間引いたバナナ、成長途中でも 1m 程度あって立派なのだが、茎の中心部分が美味しく食べられる、というので食べてみた。料理したのは妻だけど。


事前に一度、少しだけの量で試したんだ。それで美味しかったので、先日もう一度間引いたところで大々的に料理した。


アクが多いので、茎の中心を一度煮込んで湯でこぼした後、薄い酢水につけておく。その後料理していただくわけだが…


まぁ、筍の姫皮、もしくは柔らかい穂先の部分だと思ってください。サクサクとして淡白な味わい。味付け次第でなんにでも合う。

竹もバナナも、単子葉植物類で、根で増える。その成長し始めの所を食べる、というので類似性はあるし、似た味わいであることにも納得感がある。


バナナと鶏肉とコンニャクの煮物とか、バナナとシーチキンの炊き込みご飯とか、バナナとレタスの浅漬けとか、どれも美味しかった。

(どれも、筍の姫皮で作るようなレシピのアレンジ)



どうせ間引かないといけないものなので、美味しく食べられるとわかれば労働にも精が出ます、

(根が張っていて、成長途中でも 1m になる植物なので、間引くのも結構大変なの…)


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