家族の日記です

目次

2024-05-20 病気その後
2024-05-14 腸炎でした
2024-05-11 病人食
2024-05-06 横浜散策(4/4)
2024-05-06 横浜散策(3/4)
2024-05-06 横浜散策(2/4)
2024-05-06 横浜散策(1/4)
2024-04-30 ピクミン4
2024-04-22 最近遊んでいるゲーム
2024-04-21 次女の誕生日
2024-04-15 ビーチコーミング
2024-04-15 観音崎自然博物館
2024-04-03 長男大学入学
2024-03-31 牧場ソフトクリーム
2024-03-31 母三回忌
2024-03-22 鎌倉アルプス
2024-03-17 国立西洋美術館
2024-02-14 受験シーズン
2024-02-02 朝ご飯
2024-01-31 風邪惹き
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病気その後  2024-05-20 09:46:25  家族

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今日はふたつの話を書きたいが、まずは先日の病気の話のその後から。


前回書いたのは火曜日で、僕が腸炎から回復傾向、というところだった。

長男は火曜日に一度吐いてしまい、その後ほとんど何も食べれない状態になった。


食べないとまずい、と自分でも思うのだが、胃が固形物を受け付けない。

ジュースとゼリーで栄養と水分をかろうじて得ている、という状況になった。


これはまずい、と、水曜日に医者を再受診。

緊急で栄養点滴が行われ、追加で抗生物質が処方される。


この点滴で、ずいぶんと体力が持ち直した。体力が付けば、食事をとることもできる。

まだ怖いので最初は水分の多いお粥から。本人の希望で暖かい素麺なども作った。


木曜日にはずいぶんと体調が戻り、熱も下がった。金曜日には下痢も止まり、ほぼ完全回復。


それで、土曜日には大学へ行ってみることにした。

元々先週土曜日から休んでいたが、土曜日は好きな講義の授業があることと、土曜日は1コマしかないので、すぐに帰ってこれるので様子見には良かったため。


特に問題はなく、昨日日曜日は再度ゆっくり休み、今日月曜日にまた大学に行っている。




さて、それとは別にもう一つ話があるのだ。

長女が、木曜日に体調を崩した。


長女の話によれば、先生が急に窓を開けて、窓際の長女の席に風が吹き込んでいたらしい。

何かの花粉が多かったようで、急に花粉症の症状が出て苦しい、と。


長女はアレルギーの気が多く、春には長期間花粉症の症状が出る。

この時も、鼻水が止まらず、喉の奥が腫れて呼吸がしにくい、という状態だった。


窓を開けるなら先一言断ってほしかったし、先生マジ許すまじ! と怒っている。


しかし、翌日金曜日の朝、熱が出た。長女は花粉症だと言っているが、半日家にいても鼻水が出続けて喉が腫れている、というのはおかしい。風邪なのでは?


ただの花粉症だから様子を見て学校行く、と言っていたのだが、家を出ないといけない時間まで様子を見ていたら熱が上がった。うん。風邪だね。



そんなわけで、長女は独立して別の種類の風邪にかかったようだ。


金曜日を休み、土曜日もゆっくり過ごしたところ、土曜夜には熱は収まった。

しかし、咳が止まらない。



日曜日は、長女と妻で観劇の予定があった。


妻の高校時代の親友が演劇をやっている。

今年の年賀状に、長女が高校で演劇部に入ったことを伝えたところ、非常に喜んで、是非見においでと誘ってくれたのだ。

(とはいえ、チケットは購入した。団員斡旋価格で安くしてくれたけど、1席1万円越えだ。)


せっかくだが、風邪では出られないだろう。


長女は行きたがっていたので、日曜朝まで判断を遅らせたが、咳が止まらず無理せずに家にいた方が良い、という判断になった。


そこで、長女の代わりに僕が行くことになった。

次女に行かせようとしたけど、次女は演劇に興味ないし、「昼に推しの配信があるので見たい」とのことだったので。


というわけで、次の記事では演劇の内容を記します。


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別年同日の日記

02年 5/20

05年 美味しいケーキ屋さん・その後

07年 ぞうが かわに おっこちた

13年 桑の実

19年 Nexus7 (2012) 復活

20年 在宅学習

22年 風邪ひいた


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腸炎でした  2024-05-14 19:25:07  家族

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前回の日記で、家族の病気の話を書いた。


その後、僕も感染したようで、日曜夕方から熱が出た。

これが、夜10時には 39度の高熱になった。


月曜日に病院に行くため、僕と長男を、コロナ検査キットで再検査。

…二人とも陰性。


あれ? 土曜日に長男が検査した時は陽性が出たのだが。

もっとも、その時に使ったキットは、コロナ蔓延時に出回っていた怪しげなキットの上に、確認したら消費期限を過ぎていた。


今回使ったのは、病院に提出する参考資料のためなので、ちゃんとした認可品で消費期限内のもの。




月曜午後3時に病院へ。


僕が車を運転して行こうと思ったのだが、高熱で判断力落ちているから危ない、と妻が運転することになった。

コロナでないとしても、感染性だと妻が危険だ。


ちなみにこの日は暴風雨で、こういう時の対策の「窓を開けて走る」ができない。


病院でもインフルエンザの可能性を疑い、インフル A B とコロナの3種類が確認できる検査キットを、長男にだけ使用。

明かに感染だから、二人に使う必要はない、という判断だろう。しかし、すべて陰性。


二人とも下痢が重いなどの症状から、腸炎だろうと診断された。

症状からの判断のみなので、原因ウィルスなどの特定はできない。


ただ、普通の腸炎なら2日ほどで治るのだが、長男はすでに2日経過しても症状が重いままなので、ちょっとおかしいねぇ、とのこと。


お医者さんが長男を触診・聴診器診断したうえで、「抗生物質は使わない」という判断になった。


処方された薬は、熱さまし(アセトアミノフェン)と、下痢止めと、整腸薬。

対症療法して自然回復を待つ、ということですね。




昨日月曜日は、僕も一日中高熱でぐったりしていた。


今日は、こんな日記を書こうと思う程度には回復した。まだ微熱あるし、下痢は止まってないけど。



長男はまだ回復してない。

それどころか、今日は朝食後に吐き戻してしまった。

体調の悪さから、食べ物を受け付けなくなっているのだ。


しかし、食べないと元気にならないし、薬も飲めない。

昼ご飯からは、気分が悪くならないように少しづつ、ジュースや重湯など段階を踏みながら細かく食事している。


自分も経験あるが、一度ひどく吐いてしまうと、その後心理的に食べるのが怖くなってしまうんだよね。




ところで、長女だが、腸炎と聞いてなにか納得したようだ。


長女も少し風邪気味なのか気分が悪いと言っていたのだが、同時にお腹が痛かったらしいのだ。


そして、長女は胃酸過多の気があり、これが元で急性食道炎になりやすい。

気分が悪くてお腹痛いなら胃酸の出過ぎだろう、とガスター10を飲んだらしいのだ。いつもならそれで治る。


ところが、治らなかった。


ガスター10 には絶対の信頼を置いていたらしいのだが、利かなかったことにショックを受けていたらしいのだが、「腸炎になりかけてすぐ直った」と考えれば納得できる。

胃酸過多が原因ではないので、ガスター10が効かなかったわけではない。


喉も痛かったのだが、これも気分の悪さから胃酸があがってきて食道炎になった、という可能性を考えると納得いくそうだ。




そんなわけで、前回の日記では子供たちが三者三様の症状で病人食を必要としている、というものだったのですが、長男と長女、そして今回追加で僕が同じ病気だったようです。



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別年同日の日記

02年 5/13

04年 ピクミン・訂正

07年 保育園の遠足

13年 ケミクエ改良ルール・策定中

15年 ジョージ・ルーカス 誕生日(1944)

15年 ルーカスの作ったもう一つの会社

19年 パソコンは買ったのだが…

21年 訃報


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病人食  2024-05-11 18:55:26  家族

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G.W. 開けの今週火曜日、次女が歯科矯正を始めた。


矯正器具を入れて、口の中の違和感はあるし、何よりも最初は歯が痛い。

何も噛めないような状態で、満足にご飯も食べられない。


3日程度で痛みは和らぐ…と言われているが、実際和らいでは来たようだがまだ十分痛いそうだ。


そんなわけで、食事は柔らかくて、小さく切られたものしか食べられない。




昨日金曜の夜、長男がなんか体調が悪い、と言い出した。


大学は土曜もあるのだが、特に月曜にテストがあるらしい。

そして、その月曜のテストについて、友達と話をしたいので土曜日は行きたいらしい。


体長が悪い、と言っていても仕方がない。熱測りな、と図らせたところ、37度。

ひとまず早めになることにした。



今朝、僕は子供の弁当作りと朝の家事のため、いつものように4時半起き。

すると、長男が部屋のドア越しに話しかけてきた。いつもなら寝ている時間だが、起きているのだ。


熱を測ったところ、40度近いという。これは大学は休みに決定。

ドア越しに話しかけてきたのは、コロナの場合の感染を警戒してのことだ。


その後、コロナ検査キットを使ったところ、陽性。


長男の熱が高かったのもあり、寝ていたので検査が昼過ぎになった。土用の午後だと、やっている病院も少ない。

何よりも、病院に行っても熱さましをもらって終わりだ。

なので、市販の熱さましで対応することにして、病院はいかない。


熱が高すぎて食欲もないらしいが、時々目を覚ましたときに、ゼリー飲料やミルクセーキなどで栄養補給はしている。

アセトアミノフェン飲んで少し楽にはなったようだ。




長女は今日は高校部活がある予定だったので、先に書いたように僕は早起きして弁当を作った。


だが、7時ごろ起きてきて、なんだか喉が痛いという。

夜部屋が暑かったから喉乾いたかな…というが、風邪を疑った方が良い。


その後しばらく様子を見ていたが、どうも風邪のようだという自己判断で、部活は休み。


その後熱を測ったら、37度弱。微熱程度ではあるがある。

今のところコロナらしい症状はないので長男とは別経路と見る方が妥当だが、警戒はしておく。


喉が痛いので、食事がしづらいようだ。




さて、それで困ったのが「今日の昼ごはんどうしよう」問題。


・誰も食べない弁当がある。

・長男は高熱で食欲がない

・長女は喉が痛くて、柔らかいものが食べたいという

・次女は噛むと歯が痛いので、最初から切ってあるものが良いという



相談の結果、長男はどうせ食べられないのでゼリー飲料で対応。


昼ご飯は、次女の希望もあって、具材を細かめに切った親子丼になりました。

つゆ多めに作って、ご飯もふやかす感じで。


僕と妻は親子丼をハーフサイズにして、お弁当を分けて食べました。




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別年同日の日記

03年 リロ&スティッチ

13年 新玉ねぎ

14年 エドガー・ダイクストラの誕生日(1930)

15年 コンピューターが、チェスの世界チャンピオンに勝った日(1997)

15年 くじ引きの確率


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横浜散策(4/4)  2024-05-06 22:46:42  旅行記 社会科見学 家族

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横浜散策の続き。



人形の家の後は中華街へ。


実は、横浜散策の最大の目的は「中華街でゴマ団子を食べる」ことだった。


長女の誕生日は四月末なのだが、次女の誕生日のすぐ後でもある。

ごちそうが連続しても胃がもたれる、という長女の意向もあり、すぐには誕生日祝いをしなかった。


その時に、ケーキくらい買おうか? と聞いたところ「ゴマ団子が食べたい!」というリクエストだったのだ。

長女はゴマ団子が好きなのだが、せっかくだから中華街でゴマ団子が食べたい、と。



事前にネットで調べたのだが、ネットで予約などをいれられる店は、軒並み高い。

高級店、もしくは「食べ放題 2500円」というような店だ。


うちの子たちはみな、それほど食べる方ではないので、食べ放題を好まない。

それよりは買い食いで構わないので、いろいろなものを少しづつ食べたい、という意向。


ひとまず中華街に行き、「横浜大世界」前の辻を目指す。

山下公園方面から歩いてくると、中華街に入ってすぐのあたり。

このあたり、昔から食べ歩き用にスタンド販売している小店舗が多いのだ。


しかし、数年ぶりの中華街。

以前よりも…なんというか、「個性」がなくなったね。

沢山店があるのだけど、店が違うだけで売っているものはみんな同じ。


どうも、中華食材を卸している企業があるようで、みんなそこの材料を店頭で調理して出しているだけ、ということのようだ。

だから、料理もメニューも値段も同じ。


あぁ、事前にネットで調べたときにも、同じような値段の店が多いと思っていたけど、こういうカラクリか。

おそらくは、食べ歩き用のメニューも、「食べ放題」を掲げる店のメニューも同じ。


ひとまず、長女の希望であったゴマ団子を購入。多くの店で6個550円と書いてあったのに、6個500円の店があったので列に並んだら、カウンターに値上げ告知が書いてあって550円だった。

これも、みんな同じもの売っているんだな、と確信した理由。


以前中華街に来たときに、同じあたりでゴマ団子を買い、すぐ近くの山下町公園で食べた。

だから同じように行ってみたら、G.W.なので公園中に人がいて座る場所もなかった。

まぁいいや。立ち食い。長女が2個食べる。


長男が、どこかのお店入って何か食べる感じ? と聞いてきた。

僕としてはそれをやりたかったのだけど、最近の中華街は点心食べ放題ばかりになってしまって気軽に店に入れない。

さもなければ、しっかり食事をとるコースになってしまう。


そう説明すると、ちょっと残念そう。

僕も食べたいとは思っているので、ちょっと店を探してみようと思うが、いい店なかったらごめん、と言っておく。


長女のもう一つの希望は、「美味しい胡麻餡月餅が食べたい」。

こちらも、昔は美味しい中華菓子のお店があったのでそのあたりに行って見ようと思うのだけど、最近の中華街ではどうも中華菓子はウケないようで、店がずいぶん減ったのだよね。




関帝廟通りを歩きながら、中華食材屋さんを覗く。

我が家のみんなが好きな、麻花兒(まふぁーる)、話梅(わーむい)、山査子餅(さんざしもち)と、菊花烏龍茶を購入。


関帝廟の手前で右手に曲がる。この通りには、点心食べ放題や、点心セットの店が並んでいたはずだ。

どこか安い店があれば入っても良いかも。


とおもったら、すぐに「1皿100円から」という店があった。黄山飯店

呼び込みをしていたおばちゃんに、それほどお腹すいてないのだけど点心を食べたいので、少しだけでも構わないか聞いた。

別に少しでも構わない、と言ってくれたので、入ることにする。


入ってから詳しい説明。1皿100円からだけど、それは「1個」の値段。シウマイ1個、ゴマ団子1個、で100円。

メニューは全部3個の写真だけど、3個100円ではない。了解。


みんなで分けやすいものは少しずついろいろ買って、分けにくいものは5個買おう。


揚げワンタン5個、中華粽3個、蓮葉糯米2個、小籠包5個。


点心だけでなく、小皿料理もある。この場合、1皿350円が基本のようだ。

油淋鶏を2皿頼む。


ひとまずここまで。


少し待つと次々と料理が運ばれてくる。どれも熱い。出来立てだ。

油淋鶏、子供たちに大人気。


僕は油淋鶏が好きだから頼んだのだけど、子供はあまり食べた記憶がないようだ。

君たちが保育園~小学校低学年頃に頑張って作ったことあるんだけどね。

家で作るには面倒くさい料理なので、その後作ったことはない。


みんな、まだ夕食には早くてお腹すいてない、と言っていたのに、食べ始めてみたらもっと食べたい、となった。


料理をいくつかとって、みんなで取り分けて食べよう。

料理は、800~1000円程度。


黒チャーハン、鶏肉とカシューナッツ炒め、ワンタンメンを頼んだ。

ワンタンが5個入っていたのは、5人家族だから分けやすいように気を使ってくれたか。


鶏肉とカシューナッツ炒めは、僕が大好きなので頼んだもの。

「中華街に来るたびに食べてる」と妻に笑われた。それほど食べていたかは定かではないが、好きなのは事実。

そして、とてもおいしいと子供に大好評。

これも、家で作ったことあるのだけど、カシューナッツが結構高いのよ。店で食べる方が気楽。


もう少し食べてもいいかな、という感じだったが、長女がもうお腹いっぱいというので終了。

この前に、大き目のゴマ団子2個食べているからね。




月餅を買おうと目指した店は、昔から中華菓子を売っている老舗だが、高かった。

月餅1枚1000円する。安いものでも500円くらい。


そこまで高価なものが欲しいわけではない、気軽に食べれるのも美味しさのうち、と長女が言うので別の店へ。

以前は向かいにも似たようなライバル店があったのだが、そちらは無くなってしまったようだ。


中華のスーパーで、大きい月餅が4個入りで 700円のパックを見つけた。

ただ、胡麻餡じゃない。長女は胡麻餡が食べたい、といっている。

しかし他にないので、ひとまず購入。この店では土鳳梨酥(パイナップルケーキ)も購入。


もう、帰りの電車の駅に向かいながら、さらに別の店に入る。

そこでは各種の月餅が売られていた。小さめだが、1個250円。胡麻餡のものを2つ購入。

1つは長女が1人で食べる。もう一つは4人で分ける。


さらに、店頭で桃饅頭を売っていたのを購入。長女が食べたがったので。

写真とか見ると、先ほど食べた店で点心メニューに入っていたものを全く同じ。値段も1個100円。


桃饅頭は、あんまんと何が違うの? と長女が聞いてきた。

特に何も変わらない。桃の形をしているだけ。


ただ、桃は中国では邪気を払うと考えられている果物で、桃太郎などもそのイメージから。

桃をかたどったお菓子は、お祝いごとに使われる。


さらに、大きな桃饅頭を切ると、なかから小さな桃饅頭がいっぱい出てくる、というのは、結婚式で好まれる。

西洋的なケーキ入刀を模した儀式もできるし、小さなものが沢山出てくるのは、子孫繁栄を意味するから。




翌日、月餅を食べる。

4個入りだった大きい月餅、ナッツたっぷりの味で悪くはないのだけど、少しボソボソとした食感。

胡麻餡の月餅も、胡麻の香ばしさがそれほど無い。


…ヤマザキパンの月餅は偉大だな、と再認識。



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横浜散策(3/4)  2024-05-06 22:46:27  旅行記 社会科見学 家族

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横浜散策の続き。



横浜人形の家を見に来た目的の一つは、特別展「いざなぎ流のかみ・かたち」。

面白かったので、最初にざっくりとまとめておく。


「いざなぎ流」は、高知県の小さな地域で独自に発展した、神道と仏教と陰陽道が入り交ざった信仰。

シャーマンとしての「太夫」が、八百万の神々を呼び出し、尋問する形で様々なトラブルを解消する。


これが、独特ではあるが「迷信」と片付けるには惜しい、独自の科学性を持っている。

いや、現代科学とは違うのは事実なのだけど。


病気になったら、医者にかかる。それは問題ない。でも、医者にもわからない、原因不明の病というものはある。


その場合、太夫は、原因となっていそうな神を呼び出し、尋問を行う。

関係なければ、丁重に挨拶して帰ってもらい、次の神を呼び出す。


神を呼び出すときは、御幣を使う。神道で使われる、紙を切って細長くして、棒の先に付けたやつね。


ただ、いざなぎ流では、この紙の切り方が独特で、顔や手足を作るように切る。

人型を式神として使役する陰陽道の影響があるが、ここで切るのは呼び出す神様の形なのだそうだ。

神を呼ぶのには依り代を必要とする、神道の影響なのだろう。



ここでの尋問は、数珠を使って行う。


数珠というのは、「数」と入っているように、本来計数器だ。

仏教では真言などを繰り返すことが重要なことが多く、何回唱えたかを手元で記録するために数珠を使う。


そして、適当に数珠を握れば、何らかの数が出る。

この数が奇数か偶数かで、YES / NO が決まる。

こちらは陰陽道的だ。陰陽では数が奇数なら陽、偶数なら陰とする。



尋問を繰り返し、余り下級の神になってくると、不誠実な態度をとることがあるそうだ。

つまりは、それ以上他に神様がいなくなっても、誰も原因となる神がいない場合は、最後の神様が嘘をついていることになるのだ。


その場合は、太夫は「王子」の形の御幣を作り、神に対して脅しをかける。

王子は非常に強い力を持ち、神をも退治できるのだ。これは陰陽道の、式神の使役なのだろう。


脅しをかけてもう一度尋問してもシラを切る場合は、いよいよ王子を発動させ、神を懲らしめる。

これで、悪い行いはもうしない。病気も治るだろう。


もちろん、途中の神が原因を認めた場合も、神と交渉して原因を取り払う。

時には供物を要求され、その供物をささげれば交渉は成立、病気は治る。



シャーマンって、大抵は一定の手順を踏んだ呪文などを使って病人をなおすのだけど、いざなぎ流では、繰り返し「試行」することで、原因を探し出して取り除こうとするのだ。


これは、科学的な態度に思える。

多くのシャーマンが科学文明の発達とともに消えていったのに対し、まだいざなぎ流が残っているのは、科学との相性がそれほど悪くないからではないだろうか。



病気を治すだけでなく、普段から「集落内の人間関係の悪い部分」を取り去るようなことも行っている。

人を呪うほどではなくとも、小さな妬みや羨望が、「呪詛」(すそ)となって溜まっていき、やがては禍を起こすと考えるのだ。


そのため、定期的に呪詛を消し去る。呪いの類は、通常は相手に「返す」のだが、それではお互いに返し続けてキリがないからと、呪詛は「遠いところに追いやって、なかったことにする」ようにしている。


…これ、小さな村社会では人間関係がギスギスしがちだから、定期的に「今までのことは水に流しなさい」とやり続けてきた、ということだよね。


儀式をやったのに、妬みなどを持ち続けていると、自分だけが悪人だということになってしまう。

村全体で、儀式をきっかけに「なかったことにする」しかない。


ここら辺も、神様という絶対的な権力の力を借りているだけで、村全体のストレスを管理して問題が起きないようにする知恵に思える。科学的。




いざなぎ流の太夫(シャーマン)が使う道具の展示があったが、「笠」にはいろいろと書き込まれていた。

寄贈するにあたり、太夫がいろいろな説明を書いてくれたらしい。


端の方に、縦横に線を引いた格子模様と、五芒星の形。

横に「ドーマン クジ」「セイメイ」と書かれている。


長女がこれを見て、「星の横にセイメイってあるから、安倍晴明の事だよね」と聞いてきた。

うん。そうだろうね。そうすると、クジは九字で、臨、兵、闘…のやつだね、と話をする。


すると長女「あー、2年生の時に覚えてできるようになってたけど、もう忘れたわ」と。

2年というのが、まさに中二病だね、と笑うと「いや、小学校2年の時」。


早すぎるでしょ。そういうの覚えるのは中2でしょ。


長女は保育園のころから本が好きで、小学校低学年の時にはもう高学年向けのジュニア小説とか読んでた。

そのころ読んでた小説で、主人公が九字を切るシーンが度々あるので覚えたらしい。




常設展の方も、リニューアルされて面白いものでした。

以前は、「日本全国の人形」と「世界の人形」が展示の中心だった。


元々設立が 1978 年で、そのころは日本人が海外に強く興味を持っていたんだよね。

だから、世界中の人形を見ることで、世界を感じられる展示は人気があった。


でも、現代ではそれだけではちょっとおもしろくない。

民芸品としての人形だけでなく、「みんなの記憶にある人形」の展示コーナーもあった。


1階の階段前に、1980年~2000年くらいの人形を並べて置いてある。

小熊のミーシャやイーグルサムは、年代は違うが「オリンピックキャラクター」として並ぶ。

キャベツ畑人形や、「にこにこぷん」、リカちゃん人形なども。


そして、階段を上って2階に行くと、もっと古い年代で同じように並べてある。

1960年代のビートルズのキャラクター人形がある。

モンチッチやだっこちゃん、「ブーフーウー」、バービー人形なども。


これ、1階と2階で、年代が違うのだけどわざと同じように並べている。

世代は違っても好まれるものは似通っている、ということか。


そして、さらに古いものもある。

1930年ごろのミッキーマウスとミニーマウスの人形。今のディズニーなら許さない造形だな。

さらに古く、1900年初頭ごろの人形もあるが、ここまでは「懐かしい大量生産品」の扱い。



この階段を挟んだ展示は「あなたの遊んだ人形はどの時代?」というようなことが書かれていた。

しかし、子供たちは 2000年以降の生まれで、その時代の人形すら置かれていない。


別に自分が遊んだものでなくていい。

同世代の子なら懐かしむことができる、というのがあればよかったのだが、その権利すらないのはちょっと残念。




2階には、もっと古い時代のアンティークドールたちが並ぶ。

階段あがって左手には日本のひな人形、右側には西洋のアンティークドール。


どちらも、最初は人形を中心として、その後「ミニチュアのキッチン」が置かれている。

ここでも、洋の東西を問わず、似たものが作られていたと示したいのかもしれない。


雛人形の一種としての、ミニチュアの道具類は「雛道具」というらしい。

さらに、道具だけでなく厨房(水屋、というらしい)を作ったものは、今の子供ならおままごとに使いそう。


多分、昔の子供もおままごとのように楽しんだのだろう。

ただ、こんなセットはとても高価で、貴族か、よほどの金持ちでないと買えなかったのではないかと思う。




西洋の人形の中に、オートマタの「手紙を書くピエロ」があった。

これは人気があって、オートマタの最高傑作のひとつと言われるやつね。


長女は本で見たことがあったようで「本物がこんなところにある」と感動していた模様。


でも、これ大量生産品だから。

大量生産と言っても当時は熟練の職人による手作りで、非常に高価なものではあったのだけど、たった一つというわけではない。

しかも、ここに置いてあったのは小さく作りなおされたミニチュアだから、オリジナルの一つですらない。


実際に動かした様子のビデオも上映していたのですが、どうもここのピエロは、ランプに火を灯さない状態で動かしたようです。

ビデオでも火がついていない。火、という扱いずらいものを見事に制御してみせたのも、最高傑作とされる理由の一つなのだけど。


本当は「ピエロが手紙を書いているうちに、うとうとと眠ってしまう。寝ている間にランプの灯が消えそうになるが、目を覚まして慌ててランプを調整し、さらに手紙を書く」という複雑な動きを演じるものです。

火が消えそう、調整したらまた火力が戻る、というような部分が制御されているのが見所の一つ。




日本の「市松人形」と、西洋の「ビスクドール」の作り方を解説しているコーナーがあった。

これも、部品ごとに対比して確認できるようにしてある。


部品の一部は触れて肌触りを確認できるようにしてあるのも素晴らしい。

人形って、触れて遊ぶものだからね。


長女は演劇部に所属しているのだけど、少し前に市松人形が動く、ホラー仕立ての劇をやっていた。

シナリオは同年代の友達が書いたらしいのだけど…長女はたくさん本を読んでいるし、中学の時は文芸部だったので自分でもお話を書く。

その目から見ると、いろいろと細かな部分が気になるので、シナリオの改良に手を貸していた。


その際に、市松人形を出すのであればまずそれに詳しくなくてはだめだ、と、作り方から調べていたので、ある程度知っていたらしい。


ただ、その実物の制作過程の展示を見られるのは面白かったようだ。

詳しく知っているからこそ、興味深く見られれるものもある。





ところで、人形の家は妙に「カエルのピクルス」推し。

子供のころに遊んだ人形、のコーナーにも置いてあったし、ミュージアムショップにもいっぱい置かれていた。


これ、我が家になぜかあるが、なんだかわからなかったんだよね。疑問氷解。


我が家にあるのは、次女が小学校の時に先生にもらった、「誰も作らなかったエプロン生地」。

小学校の家庭科の授業ではエプロンを作るのだが、次女は裁縫が好きなので、すぐに縫い上げてしまい暇になった。


そうしたら、先生が「数年前に購入したが、誰も作らなかったセット」をくれたのだ。

カエルが描いてあって「pickles the frog」とロゴが入っているのだけど、何者かわからなかった。


特にエプロンは作らなかったのだけど、現在我が家で座布団のカバー生地になっている。


で、ミュージアムショップにたくさんのグッズが並べられていたので、それなりの人気キャラだったんだな、と認識した。

けろけろけろっぴとのコラボ商品もある。カエル業界、というものがあるかは知らんが、そこではそれなりの知名度なのだろう。


続き


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横浜散策(2/4)  2024-05-06 22:46:06  旅行記 社会科見学 家族

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横浜散策の続き。



さて税関を見終わったら 11時過ぎ。

G.W. は店が混みそうだから、早めに昼ごはん食べたいところ。


山下公園方向に歩きます。ここら辺、おしゃれな飲食店が多いエリアがある。


最初に見かけた店、洋食屋さんで、1200円くらいのメニューが中心。

横浜の一等地で 1200円なら安いんじゃない? と思ったけど、最初の店だし、もう少し見てから決めたい、という家族の意向で通り過ぎる。


しかしその後、1500円、2000円という感じで、値段が上がっていく…


横浜開港資料館の前あたりで、道が少しだけクランクになっています。

そこで、黒板スタンドでランチメニューの案内をしている店がありました。


中心価格は 800円。安いし、ここ入って見よう、と家族に持ち掛けます。


少し奥に入ったところに「波止場会館」という建物があり、その1階に入っているバーでした。

バー&ダイナー Sala、と看板にあるので、夜の営業が中心なのでしょう。


波止場会館は休日で入れない。1階のそのお店は、さらに細い路地の裏口のようなドアを開けて営業している。

怪しさ満点ですが、窓から見える店内は悪くなさそうな雰囲気。


まだ11時半と少し早かったのもあってか、店内にお客さんは1組だけ。

入り口すぐのテーブルに座っていましたが、犬連れで、店に入ろうとするとその犬が吠える。

少し離れた席に案内されます。店内は広くて明るい。席数も多いし、テーブル間は大きくとられていて余裕がある。


そして、メニューの値段が安い。カレー、ドライカレー、煮込みハンバーグ、豚生姜焼きが800円。

塩鮭定食は 900円、トロサバ定食は 950円。


壁に書かれたメニューの下に「物価高騰のため、5/1より 100円値上げしまた」と申し訳なさそうに書かれている。

800円でも安い、と思っているのに、先日まで 700円だったのか。


なんだかカレーが美味しそうなので、妻と長女がカレー、僕と次女がドライカレー。

魚好きの長男は、塩鮭定食にした。


カレー、ドライカレーには、サラダともやしの浅漬け、具沢山の味噌汁がついていた。

さらに、デザート代わりか小さなチョコレートが付いている。


お箸はないので、味噌汁をスプーンで食べることになる。

しかし、これが非常にうまい。カレーもドライカレーも旨かった。


長男も、塩鮭定食絶賛。ちょっと鮭が小さい、とは言っていたが、焼き加減が良くて、皮まで美味しいそうだ。


これは、煮込みハンバーグと豚生姜焼きも手分けして頼めばよかった…。

この値段でこれはすごいな…と感心して家族で話していたら、食後にコーヒーを持ってきてくれた。


サービス精神が凄い。ただでさえ安いのに、付いてくるものが多い。

大満足の昼食でした。




昼食後、山下公園を歩く。


なんか、ずいぶんきれいに花が咲いているな、とおもったら、3年後に横浜で開催される「国際園芸博覧会」の宣伝として、この春は横浜の各所で花を魅せるイベントを行っているらしい。


山下公園は、バラ園になっていた。

沢山の種類のバラが咲いている。せっかくなので、ゆっくり楽しむ。


そして、次の目的地、横浜人形の家へ。

たしか、2000年ごろに妻と見に来たことがあるのだけど、その後全面リニューアルをしている。その後評判が良いのだけど、見てなかったので来たかったところ。


続き


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横浜散策(1/4)  2024-05-06 22:45:50  旅行記 社会科見学 家族

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5月4日、家族で横浜散策してきました。


本当は G.W. に家族旅行行きたかったんだよね。

でも、新年度になったばかりで、子供たちの予定がわからない。

4月の半ばに G.W. の予定が全員分揃い、旅行に行くつもりで宿を探したのだけど、もう高級宿しか空いてなかった。


そんなわけで横浜散策しよう、と方針を切り替えてはいたのですが、あまり詳細は決めておらず、詳細決めたのは前日。




面白そうな箇所をたくさんリストアップして、家族の意向を聞きながら絞り込んでいました。

そのせいもあって、いきなり降りる駅間違えた。関内で降りればよかったのだけど、隣の桜木町で降りてしまった。


横浜散策と言えば、大体このどちらかの駅で降ります。当初の面白そうな場所のリストには桜木町の施設も入っていたのだけど、最終的に行くことにしたのは、全部関内周辺でした。


とはいえ、隣駅だから歩いても大したことはない。元々散策目的なので、ぶらぶら歩きます。


桜木町には大観覧車がある。次女が、小学校の時に遠足できたわー、などと話をします。

通常は遠足はもっと遠いところなのだけど、コロナの影響で近場で済ませることになったんだよね。


カップヌードルミュージアムの前を通る。長男が、家族で遊びに来たねーなどと話をするけど、次女は小さかったので覚えてない。


でも、次女は遠足の時に来ているので、それなりの想い出はあるらしい。



赤レンガ倉庫近くの、変わった歩道橋「サークルウォーク」。

このすぐ横に、JICA 、いわゆる「青年海外協力隊」を統括する組織の横浜支部があった。


次女は社会科が結構すきなのだけど、教科書に JICA 載ってた、というような話をする。

長女の高校の先生が、JICA で海外に行っていたことがあるらしい。

妻の知り合いにも、「青年海外協力隊」で海外に行っていた人がいる。


みんなそれなりに興味がありそうなので、資料展示スペース無料だけど見てみる? と聞いてみる。

行く予定の場所はあるけど、それほど時間が詰まっているわけではないから。


でも、少し考えた後で、全員「別に見なくていいかな」という答え。先に進む。



赤レンガ倉庫の横には大きな駐車場がある。「ちきゅう」に乗船した時は、この駐車場が集合場所で、埠頭まで連絡バスが出ていた。

しかし、子供たちは覚えていないらしい。その時にトイレに行きたくて赤レンガ倉庫に行ったことは覚えているのに。


赤レンガ倉庫では、Frühlings Festが行われていた。

ドイツのビール祭りだよね。昔、「春のオクトーバーフェスト」ってわけのわからん事言ってたやつだ。


※と、その時は家族で話していたのだが、春のオクトーバーフェストは横浜ではなく、お台場や日比谷などで行われていたようだ。

 横浜は10年前からやっているが、最初からFrühlings Festだった、と今調べて確認した。


ところで Frühlings ってなんだ? と、大学でドイツ語を学び始めたばかりの長男が調べ始めた。

スマホの GBoard にドイツ語キーボードいれてあるから、ウムラウトが入っていても入力できるそうだ。

単純に「春」って意味だった。まぁ、春とか花とか、そこらへんだとは思っていたけど。




上記のように道で見るものを楽しみながら歩いてきたが、最初の目的地の横浜税関についた。



税関のお仕事を知ってもらうための展示があって、これが面白い、と聞いたのはもう5年以上前だったと思う。

見に来たかったけど、小学生が見てもつまらないだろうと思って待ってたんだよね。

そのうちコロナで出かけにくい雰囲気になっていた。


いまなら次女も中学3年生なので、楽しめるだろう、ということで見ることにしたのだった。


主なコーナーは3つかな。


・ワシントン条約で保護が決まっている生物を使った商品の展示。

 美術品としての象牙とか、印材の象牙が取り締まられるのは知っていたけど、「象皮のバッグ」みたいなものもあるのね。

 もちろん、他の動物を使った製品もいろいろと置いてある。


・ブランド品の偽物の展示。

 本物と偽物を並べて置いてあるコーナーがあるので、じっくり見極めてみる、というのも面白いです。

 15個くらいあったのだけど、長女は1つ間違えただけで全部当てた。


 偽物は明らかに出来が悪いものもある一方、区別がつかないようなものもある。

 出来が悪いというのだって、本物が隣にないと判らないかもしれない。

 長女曰く、違いに気づけば「よくできていると思う方」が本物、でほぼあっているそうだ。


 本物のブランドには存在しない商品、というのもあるようで、そうしたものは全部まとめて「こちらは全部偽物」のコーナーに置いてあります。


・麻薬などの密輸手法の展示

 実際に密輸しようとした事例を、パネルや再現、実物を用いて展示。

 隠す手法を考える側もすごいけど、見つける側もすごいよね…


どれも見ごたえがあって面白い。


このほかに、過去の資料を並べた歴史コーナーもあります。


歴史コーナーで、横浜税関の仕事の一環として「貿易統計の集計」があることと、大正12年には自動集計器が導入された、というのを知る。

こんな古い時代から、日本でパンチカード集計器使っていたのか、と驚き。


パワーズ式、というものだったので今調べたら、最初のパンチカード集計器であるホレリスのものを改良したもので、一時期ホレリスのタビュレーティングマシン社よりシェアを持っていたようだ。

ここら辺は、コンピューター以前の歴史なので、僕もあまり詳しくないところ。


ホレリスの機械は集計しかできなかったが、パワーズの機械は集計結果を印字できた。

結果印刷まで行ってくれるというのは、事務作業としては革命だろう。売れるわけだ。


その後「タビュレーティングマシン」社は、後追いの他企業と合併して、紆余曲折あって IBM になった。

パワーズの会社も、最初のタイプライターを商品化したレミントンランドに吸収され、のちの UNISYS になったようだ。


この話、長いので何回かに区切ります。

続き


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ピクミン4  2024-04-30 14:34:28  コンピュータ 家族

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前回の日記で少し触れたので。


発売から半年以上たつが、いまさらピクミン4を家族で楽しんでいる。

本当に、今作は「家族で」楽しめる内容だ。よくできている。


もともと、僕はピクミン1をそのように評価していた。

実際、当時の姉の子供は5歳くらいだったと思うが、ピクミンがわらわら動いているだけで喜んでいた。

怖がって、全然敵に近寄らないし、ゲームは進んでいないのだけど「楽しい」のだ。


ピクミン2、3が何か違うものになってしまっていた、というのは前回や過去に書いた通り。

そして、今作は内容が1に近いものとなっている。


1の「パズル性」と、2の豊富な面構成を中心にして、3で出てきたキャラや操作性も取り入れた感じ、かな。


1は難しいゲームで、敵と戦うのが結構難しかった。先ほど書いた通り、この部分は5歳児では難しかった。

3で戦い方に大幅な「アシスト」が入り、遊びやすくなった。1の時の緊張感はなくなったが、遊びやすくなったことは歓迎だ。


そして、今作では3と1の両方の戦い方が入っている。

ゲーム中は2人のキャラクターを切り替えながら遊べるのだが、選んだキャラによって戦い方の戦略が変わるのだ。


3以上に簡単な「パワープレイ」か、1のような緊張を強いられる戦いか。

この件、後でもう一度ふれるが、とても良いバランスになっている。




さて、我が家では、僕と妻は1と2は時間をかけてじっくり攻略した。

当時、まだ結婚前で同棲中だった妻は、テレビゲームは遊ぶのだが、取り立てて好きだったわけではなかった。


でも、僕と一緒にピクミンを遊んでいて、どうやら「やり込み」の楽しさに目覚めてしまったようなのだ。

…と、後で妻から聞いた。ともかく、今では立派なやり込みゲーマーだ。


長男も、数年前にピクミン1,2を遊んでいる。

僕と妻は1から攻略を組み立てたのだが、今時の子供なので、攻略サイトで「解法」を調べて遊んだようだ。

なので、最少人数・最短日数クリアは一応している。


ただ、僕と妻は解放の美しさで1が好きだが、長男は操作性の良さや「生物図鑑」などのおまけ要素で2が好き。


3は、我が家的には超低評価。

1,2で作り上げた世界観を無視した部分も多いし、攻略的にも問題があった。


はじめてピクミンを遊ぶプレイヤーには「かわいい」だけでよいのだが、古参プレイヤーは攻略を求めているのだ。




そして、4の話。


まだエンディングを見ただけで、ゲームは続いている。

2の時もそうだったけど、当初の目的を達成すればエンディングにはなるのだ。でもゲームは続く。


まず、この構造が良い。日数の短縮などを行う際、まずはエンディングまでの日数を競うことになるだろう。

4はストーリー的に、日数短縮がやりづらい部分もあるのだが、「エンディングまで」と限定すれば短縮できる。



1では主人公ひとり、2では2人での探索だった。

2人の場合、いつでも操作するキャラを切り替えることができるため、ピクミンが作業を終わらせるのを待つ間に、別キャラで違う作業を、と分担することができた。


3では、3人にキャラが増えたが、それよりも「キャラに指示を出し、自動で行動させる」ことができるようになったのが大きい。

あるキャラの移動時間を、別キャラの作業時間に当てられるのだ。しかし、3人というのはちょっと煩雑だった。


4では、主人公キャラと、お供の「犬」が一緒に行動する。

これが、犬と主人公でできることが違うのだ。


一緒にいるとどちらの特性も使えるので強力。

でも、別々に作業するときは、それぞれの特性を考えないといけない。


ここで、犬も主人公も、ピクミンを投げて戦わせることはできる。

そして、強い敵と戦う際は、犬なら「突進」、主人公なら「突撃」という技が使える。

どちらも、強い敵でもすぐに倒せるので、味方への損害が少ない。


しかし、その技の際のピクミンの行動は少し異なり、その違いで敵に対して、得手不得手がある。

そのため、片方だけで行動しているときは、強い敵と「ピクミンを投げて戦う」必要が出ることがあり、この時の緊張感は1の時と変わらない。



…ここがうまいのだ。

ピクミンに慣れていない初心者なら、まだ「2キャラが手分けして時間を短縮」なんて考えを持たないので、常に敵に勝ちやすい戦法を選べる。味方への損害もあまりなく、楽しくゲームを進められる。


でも、上級者が、手分けして日数短縮を狙い始めると、途端にゲームの難しさが跳ね上がるのだ。


ここに加えて、パワーアップ要素がある。

ゲーム中で集めた「資材」によって、探索の合間にパワーアップ要素を購入できる。


この資材集めも、当然ながらゲーム中の時間を使う。時短を狙い始めると、必要以上の資材を集める余裕はなくなる。

すると、パワーアップもできず、難しいゲームを進めないといけない。

さらに、パワーアップの要素によっては「日数が進まないと登場しない」ものもあるのだ。慣れていない初級者ほど、パワーアップを手に入れやすくなり、ゲームが簡単になる仕組み。



我が家では、次女はピクミンを遊んだことないので、時短など考えずに遊んで、いま一番ゲームを進めている。

長男が、最初から時短を狙って攻略しているため、一番ゲーム進行が遅い。


僕は先に書いたようにエンディングを見たが、我が家で2番目。あまり時短狙ってないから。


で、次女のプレイとか見ると、犬がすげー強いの。すごいパワーアップしていて、犬がいれば怖いものはない、というレベル。

初心者ほどゲームが簡単になっていく、っていうのはいいバランスのとり方だと感心。



しかし、長男の攻略も観ていて面白い。

他の人のプレイも参考にして、自分でも考えて感心するような手順を思いつくんだよね。

思い付きだけで失敗することも多いので、その場合はやり直し。時間はかかるが、初回プレイから少ない日数で進めている。



よくできたゲームです。



(購入した「ギターライフ」は時間が無くて遊べてない。初日に1回プレイしただけ。

 入手困難なのを発売日に買ったので、僕が買わなければ欲しい人がだれか一人入手できたよね。

 申し訳ない。

 ただ、こちらもギター練習中で…挫折気味だった次女が喜んで遊んでいます。)


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最近遊んでいるゲーム  2024-04-22 17:52:18  コンピュータ 家族

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長男の大学受験が終わったころから、再びいろいろなゲームを遊んでいる。

長男が気を散らさないように、新しいゲームを買わないようにしていたのね。

(スイカゲームはブームの時に買ったけど)


まず、長男が「サイドオーダー遊びたい」と言ったので購入。

これが先月13日の話だな。


サイドオーダーというのは、スプラトゥーン3の追加コンテンツね。


スプラ3自体は、正直なところ2よりつまらなくなった。

つまらない、というレベルではなく、かなりダメ。らしい。

僕は2の時からそれほど遊んでいないが、3は全然遊んでいないので、正確なところは表現できない。


ともかく、あれほど熱中する人が多く、スプラ2のゲーム実況配信者も多かったのに、配信者が一瞬3を始めた後で、「このゲームは期待しているものではない」と続々と辞めていった、という状況。

発売から1年以上たつのに、度重なる調整にも関わらず、いまだにバランスが悪いそうだ。


で、スプラ2が大好きだった長女もスプラ3はダメだというし、長男は時々気晴らしで遊ぶときは2を遊んでいた。

3はあまり興味ないのかな、と思っていたら、この追加コンテンツは別ゲームとして面白そうで興味ある、とのことだった。


というわけで、購入した。

家族みんなが遊んでいたが、1か月くらいたって、そろそろ沈静化してきた。




実は、僕としてはピクミン4が遊びたかったのだが、長男がサイドオーダーが良いというし、みんなサイドオーダー遊んでるしで、買わないでいた。


そしたら、妻がピクミン4遊びたいという。

次女も遊びたいという。


あれ、みんな興味ないのかと思ってたけど、やりたかったのね、とピクミン4購入。

これが今月5日の事。



ピクミン3が凄く残念な出来だったので、4は興味あったけど「怖かった」んだ。

でも、遊んでみたらすごく良い出来。


遊びの主軸は、1に戻った感じ。


ピクミン1は、部下であるピクミンを適材適所で作業させて、最高効率となる配置を探し出すゲームだった。

しかし、いまでこそ評価の高いピクミン1だが、当時は「すぐ終わってしまう」と不評だったんだ。


ここでいうすぐ終わる、というのは、エンディングがすぐみられるという意味。

これは最高効率を目指すゲームなので、一度最後まで遊んでからが本番なのだが、それまでにそういうタイプのゲームが無い、全く新しいものだったので、理解されなかった。


ピクミン2では、この声に対応して、冒険できる場所を増やした。

ランダム生成の地下ダンジョンを作ることで、何度でも楽しめるようにしたし、エンディングまでは非常に長い。


半面、ランダム生成なので「最高効率を目指す」ことはできなくなったし、エンディングまでが長いので、何度も遊んで効率を上げるのが大変になった。


そして、3。完全に「冒険を楽しむゲーム」になった。

効率なんて考えるだけ無駄。フィールドが広すぎて、あちこちの作業を同時に行うこと自体が難しいし、無理に作られたフィールドにバグが起きるポイントが多数あり、ゲーム自体に問題があった。

これはもう、自分の好きだったピクミンではないな、と感じた。


で、今作。1~3で出てきたいろいろな要素は全部引き継いでいるが、基本的に1に戻った、と考えて良さそうだ。

まだ最後まで遊んでいないのだけど…遊ぶ時間が無くてまだ序盤なのだけど、効率を目指すゲームに戻っている。


1はゲームキューブだった。

当時はディスクメディアのゲーム機が増えてきたところだったが、通常はリセットスイッチを押すと、ハードウェアにリセットがかかって、ディスクの読み込みから開始する。


しかしゲームキューブはそうではなかった。リセットスイッチが制御できたんだ。

ピクミンの場合、リセットスイッチを押してもハードウェアにはリセットがかからず「タイトル画面に戻る」だけだった。

だから、効率を目指したプレイ中に失敗したらすぐリセット、が可能だったんだ。これが無かったら攻略が苦痛になるゲームだっただろう。



今作は、そういうことができないので、メニュー内に「時間を巻き戻す」というものが付いた。

内部的に区切りがあるたびにセーブされるようで、数分前に戻すこともできるし、そのステージの最初から、などもできる。


これで、効率が悪いと思ったらやり直せばよい。

もっとも、現在の僕はまだ初見プレイなので、効率はあまり重視していない。冒険を楽しんでいる最中。


最初はあまり興味なさそうにしていた長男が、遊び始めてから一番ハマっている。

3つ目のステージまで進めたところで、効率を目指して1からやり直し始めた。

その途中、3日目に入ったところで「2日目ににやらないといけなかったこと」がわかり、また最初から。


いや、自分が1を攻略していた時を思い出す。

そういうプレイを目指したくなる、という時点で、1に非常に近いのだ。


で、僕は平日は忙しくてあまり遊べず、休日に遊びたいのだが、長男も平日あまり遊べないので休日にべったり遊んでいる。

僕も遊びたい。




まだ発売前だが、「GUITER LIFE -LESSON 1-」を購入した。

ギター型コントローラーがついて1万2千円、という高いソフト。


ソフト、ではあるがゲームではない。ギターのレッスンを行うソフト。


実は、高校のころから何度かギターに挑戦しては、挫折している。

兄がやはりギターを買って挫折したので、家にギターも教本もあったのだ。


Fernandes の Zo-3 も持ってるよ。

発売当時の入手困難だったころに、なぜかギターを弾けない姉がビンゴで当たってもらってきて、僕が譲り受けた。

もらったのは大学のころだな。その頃も練習したけど、やっぱり挫折した。


GUITER LIFE は、ゲーム雑誌の記者などのレビューでは、ギターの練習で挫折しやすい点がことごとくクリアされている、と評価が高い。

しかし、1万2千円は高いな…と思って家族に相談したら、妻も次女も興味があるという。

二人とも、過去に Zo-3 で練習して挫折している。


というわけで、通販サイトを見たときには、すでに予約売り切れだった。

落ち着いてから買うか、と思っていたら、1週間くらい前に発売元のサイトで予約が可能になっていた。増産したらしい。


で、先ほど出荷した、と連絡が来た。

発売日は 25日なので、その日まで配達されないけど。


例によって遊ぶ時間無いのだけど、楽しみ。



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20年 次女の誕生日


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次女の誕生日  2024-04-21 15:26:25  家族

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本日、次女の誕生日なのでお祝いをしたかったのだけど、僕は今日の夜町内会の会合に出席しないといけない。

昨日に前倒ししたかったところだが、昨日の夜は次女が塾だった。


というわけで、普段はお祝いは夕飯で行うのだが、昼に行った。

ピザハットのピザでお祝い。


Mサイズピザ3枚。2枚はちょうどキャンペーンで、1枚600円。マルゲリータと、じゃがマヨコーン。

もう一枚は1250円だった。クリームチーズベーコンを、鉄鍋パンピザで。

これに、ポイントで和風タツタチキンをつける。


ピザなんてめったに頼まない…ポイントは昨年の僕の誕生日に、お祝いでついていたもの+αだ。

有効期限1年なので、今使わないと消えそう。


美味しかった。


お店に受け取りに行く際に、シャトレーゼでケーキも買ってきてあって、これはこれからおやつに食べる予定。

食べたら追記します。




追記。

ここから上は 15時過ぎに書いたもので、以降は 17時過ぎに書いたもの。


おやつにケーキ食べましたよ。

次女と長女には、お誕生日プレート付けました。


次女は、2回ケーキが食べられた方が嬉しいので、別々に祝って欲しい、と言っていました。

でも、長女は毎年この時期ケーキやごちそうが続くので、胃もたれするそうです。

一緒に祝って欲しいから誕生日プレート付けて、と言われていました。


誕生日は4日違い。

まぁ、少し時間をおいて、ゴールデンウィーク中にもう一度お祝いしますかね。




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09年 女の子産まれました。

11年 情報の扱い

14年 ゲームボーイの発売日

15年 NCSA Mosaic 発表日(1993)

20年 炊飯器


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ビーチコーミング  2024-04-15 10:53:28  旅行記 社会科見学 家族

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観音崎自然博物館に行った話の続き。


博物館を出た時刻は16時くらいだったろうか。

まだ少し早かったのだが、外食するつもりだった昼ご飯がコンビニグルメになってしまったので、夕飯を食べて帰りたい。

せっかくなので、車は駐車場に止めたまま、もう少し楽しもう。


付近一帯が自然公園になっているが、以前来たときは時間が限られていて全然見なかった。

少し歩いてみよう、と家族に提案する。


ちょうど、自然博物館の前に、里山っぽく整備されたエリアがあった。


里山っぽい部分と、その隣に別に整備された道がある。どちらも、山の上の方に道が続いている。

里山エリアの方を歩いてみることにする。


何らかの植物を育てているようで、区画内に入らないように、と書かれている部分が多い。

何を育てているのかは知らないが、ちゃんと人の手が入っているのは良い事だと思う。


里山エリアの一番上に登ったところで、猫がいた。

そして、その猫から少し離れたベンチのところに、おじさんが座っていた。


横に細い道が、まだ上に向かって伸びている。

先ほど横を通っていた道かな、とおもって、まだ上に続くから上ってみよう、と家族に行ってみたところ、おじさんが「この道、止まっているように見えるけど別の道に繋がってるから」と教えてくれた。


どういうことかよくわからず進んでみると、確かに道は行き止まりだった。

そして、子供が探検でもしたような細い道が横の斜面を折り返しており、上で別の道に繋がっている。


上の道が、先ほど隣にあった、別の立派な道らしい。



進んでみる。

しばらく進んだところで、方向表示案内。

まっすぐ進む道には、「ふれあいの森 1200m」の表示が。


いや、1.2kmも歩くつもりはない。ちょっと入って見ただけなのだ。


別の道で戻る方面には、「たたら浜園地」と書かれていた。

なんか、その地名カーナビで見た気がするぞ。博物館のすぐそばではあったはずだ。


そちらに戻ることにする。




たたら浜は、博物館からわずかな距離の浜辺だった。

そして、たたら浜園地には、バーベキュー場があった。


次女がバーベキュー食べたい、という。

今食べたいというのではなく、コロナ前はよく夏になると庭でバーベキューをやっていたので、またやりたいという意味だ。

コロナだから、というよりは、夏が暑すぎたり、誰かが受験で忙しかったりで、最近やっていない。



せっかくだから、たたら浜に降りてみる。ビーチコーミング好きの長女大喜び。


ぶらぶらとビーチコーミングしながら歩く。博物館から離れる方向に向かっていくと岩場があるので、そこに行ってみよう。


僕は先に岩場に入って見たが、潮溜まりが残されていて、小魚などがいる。

こういうの、いいね。イソギンチャクとかいないかと思って岩の下をいろいろ覗き込んだが、いなかった。

でも、貝はいろいろなものがいる。


長女がゆっくり追いついてきた。

貝いっぱいあるよ、と言ったところ、今回ビーチコーミングで拾っているのは貝ではないそうだ。


そういえば、しばらく前からシーグラスを集めているのだった。


シーグラス…ガラス瓶などの割れた破片が、波に洗われて角が丸くなったもの。

鎌倉の海岸では茶色いものが多い。ビール瓶の破片だな。ガラスとしては、茶色はあまり綺麗ではない。


しかし、ここの浜では、水色や緑が多く、綺麗だという。

ここの浜は海水浴場ではないので、ビール飲んだりする人が少ないとか、捨てられやすい瓶の種類も違うのだろう。




特に薄い黄色から緑色のシーグラスを探しているらしい。

ウランガラス、だそうだ。そういえば、しばらく前にそんなことを言っていたな。


僕のこの時点での知識では、放射性物質を微量に入れたガラスは、屈折率が高くなるので昔はレンズなどに使われた、というものだった。

でも、次女によると、美しいので工芸品としてのガラスにも多いのだという。実際、今調べたらそうだった。


岩場で砂浜は終わりだったので、再度引き返して、シーグラスを探す。今度は僕も手伝った。

片道では長女の片手に乗るほどのシーグラスしか見つけていなかったのだが、家族みんなで探して歩いたら、両手でも載せきれないほどの量が見つかった。




5時半ごろ、帰路につく。

八景島付近でファミレスの「ココス」に寄り夕食。うまかった。


家に帰ってから、長女はシーグラスを水道水で洗浄。

海で拾ってきたものは、すぐに洗っておかないと臭くなる。


で、妻にブラックライトを借りたいと頼む。これは、帰りの車中でも言っていたこと。

科学実験としてはブラックライトはよく使うので、妻は持っている。


ウランガラスは、暗闇で紫外線を当てると美しく輝くそうだ。

今回、それらしい色のガラスは無かったので望み薄だけど、と言いながら長女は暗い廊下でがさがさとやっている…


「光った!」っと、素っ頓狂な声。

慌てて見に行くと、確かに1つだけ、小さなシーグラスが輝いている。


しかし、ウランガラスの特徴である、緑色の光ではない。オレンジ色の光。


まさか本当に光るとは思ってなかったので長女は興奮気味だが、色が違うので冷静に「勘違いである可能性」を確認しはじめた。


ガラスではなくプラスチック片の場合、蛍光塗料などが練り込まれていて光るものもある。

しかし、僕も確認したが、ガラスのように思える。プラスチックなどの樹脂ではない。


次に、表面に蛍光塗料などがついているだけ、の可能性。これもなかった。全体に削れて曇りガラスになっているのだ。

表面に何かペイントされていたものが割れたとしても、これほど全体に光ることはないだろう。


紫外線ではなく、自然光で見た場合にもオレンジ色っぽい。



いろいろと情報を探すと、ウランではなくカドミウムを入れると、普段の色も蛍光もオレンジ色になるらしい。

ウランガラスよりも珍しいらしい。


ちゃんと鑑定できるわけではないので、まだ疑問符付きだけど、長女としては宝物。

小さなジッパー袋に入れたうえで、採取地と採取日、おそらくカドミウムガラス、と書いてコレクション箱に入りました。

情報を書いておけば、ガラクタではなく立派な資料。




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別年同日の日記

02年 4/15

15年 PC-E500 発売日(1988)

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観音崎自然博物館  2024-04-15 10:17:20  旅行記 社会科見学 家族

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昨日、14日日曜日の話。


以前から、家族で行こうと約束していた「観音崎自然博物館」に遊びに行ってきた。


前回行ったのは、僕と次女だけ。

二人だけだったので日記にも書いてなかったな…


2019年の8月21日、水曜日だった。写真が残っていたので日付まで分かる。

たしか、長女は部活だったか、塾の夏期講習だったかで不在、長男は受験予定だった高校の説明会に行かなくてはならず、妻はその付きそい。


で、僕は長男と妻を送るために車を出したのだが、当時まだ小学生の次女を留守番させるわけにはいかない。

高校近辺で面白そうな施設を探したところ、観音崎自然博物館を見つけた。

説明会が終わるまで、2時間程度遊びに来たのだった。


しかし、小さい博物館ながら非常に面白かった。展示方法などに工夫がある。

そのことを帰ってから話したところ、家族皆行きたがったので近いうちに行こう、と約束していた。


そのすぐあと…すぐ、というほどではないか。

2019年12月には、コロナが世界中で猛威を振るい始める。

不要不急の外出を避けるように、と呼びかけられた。


そんなわけで、約束は延期となっていたのだった。




先日、「所さんの目がテン」で、ヒトデの科学を放送していた。


ここで、観音崎自然博物館が紹介されていた。同館は、ヒトデの仲間である棘皮動物の展示が多い。


そこでまた、見に行こうという話になったんだ。


しかし、新学期が始まったばかり。新年度の予定もまだよくわかっておらず、家族の予定がどうなるかはよくわからなかった。


一昨日、土曜日の夜に、とりあえず全員日曜日は空いている、とわかった。

ただし、長男は履修登録を週末の間に終らせて、さらにその教科書などの購入手続きを終わらせる必要がある。


可能なら遊びに行こう、とはなったが、履修登録が非常にややこしい。

僕は先に寝たのだが、この日は遅くまでかかって履修登録を終わらせたと後から聞いた。


昨日の朝、8時過ぎに起きてきた長男に話を聞くと、教科書もカートまでは入れてあり、あとは支払いのみという。

すぐに僕のカードで決済。数冊の教科書が、大学指定のサイトでは売っていなかったので別途探す必要があるらしいが、後日でも大丈夫とのこと。


というわけで、準備が整った。

皆で博物館行こう。まだ寝ていた長女・次女も叩き起こす。




なんだかんだで、家を出るのが遅くなった。11時過ぎ。

昼ごはん食べてしまってから行こう、と僕が提案し、家の近所の道沿いのガストで食べようとしたところ、妻から「せっかく観音崎行くのだったら、その近辺で変わったもの食べたい」との意見。


観音崎周辺、食べるところ何もないよ? と言ったが、ほかのみんなも同意したため、まずは観音崎まで行くことになった。


高速道路も使い、家からは1時間ほど。

高速道路を降りてから食べられそうなところを探すが、やはり何もない。そのまま博物館まで来てしまった。


しかし、博物館の隣にレストランが併設されているではないか。

そこでもいいか、と思って駐車場に入ろうとするが、満車で入場待ちの車の列ができている。


あ、これだめだ。どこかでご飯食べてきた方が、駐車場もすくだろう。

一旦諦めて別の方向へと走る。


しかし、食べられるところどころか、コンビニすらない。

横須賀美術館前は、渋滞が起きていた。入場待ちの車が渋滞を作ってしまっているのだ。


春で暖かくなり、新年度も落ち着いた日曜日ということで、行楽客が多いようだ。


なんとかファミリーマートを見つけたが、駐車場満車。

しばらく待って中に入り、とにかく各自好きなものを買う。


この近辺は、広い範囲が自然公園に指定されていて、駐車場も多い。

どこかで食べられたらよさげなところで食べよう…と思い、駐車場を探しながら博物館方面に戻るが、どこも満車。


結局博物館まで戻ってしまった。

駐車場待ちの列に並ぶ。前に2台待っていた。そして、その車内でご飯を食べてしまう。


全然駐車場から出る車が無い。この駐車場、時間当たりいくら、ではなく、1回いくらの形式だ。

だから、早く出さなくてはならないというモチベーションはないのだ。


1時半を過ぎたあたりで、やっと1台動いた。

時間的に、併設のレストランから出て家に帰る人がいたのだろう。


その後、しばらく待ったがまた立て続けに2台出ていき、入れ替わりで入ることができた。

すでに2時前。




自然博物館に入る。

5年もたっているので、内部の展示もずいぶんと変わっていた。半分くらい入れ替えられた感じか。


しかし、以前よりも活性化している感じだ。

以前は、展示内容に古臭い部分もあったのだが、そうした部分が大幅に入れ替えられている。


3年ほど前から、YouTube でチャンネルを持って動画配信を始めたようで、積極的に「地域の自然探検」をやっているようだ。そうした成果報告も博物館内のいたるところに書かれている。


あと、同じく3年前には、近くにあった「京急油壷マリンパーク」が閉園になっている。

そちらから博物資料をいただいたものも展示されており、珍しい展示が増えている。



長女・次女は、タッチプールで楽しそうに遊んでいた。

よく見ると、6腕のイトマキヒトデがいる。普通は5腕なので、奇形なのだろう。

ヒトデは再生力が高いので、傷ついて再生した際におかしくなりやすい。


長男は展示の説明を隅々まで読み込んでいる。




今回、博物館の行く際に僕が家族に言った言葉は「カイロウドウケツを見に行こう」だった。


カイロウドウケツ…偕老同穴は、中国の故事に倣った言葉。

夫婦が二人で共に年を取り、死んだ後も同じ墓穴に入れてもらおう、という夫婦愛を示す言葉。


そして、カイロウドウケツは、深海に棲む海綿の仲間。

非常に美しい、ガラスで編まれた籠のような骨格を持つ。英語名は「ビーナスの花かご」。


で、その網目の中に、雌雄一対の2匹のエビが寄生する。エビにとっては、籠に守られて敵の来ない空間なのだ。

小さなプランクトンの時に中に入り、大きく成長して出られなくなる。


「海老」の字の通り、エビは腰が曲がるまで老いたもの、の意味を持つ。

老夫婦が二人で一生を共にする、というところから、この海綿自体の名前が「カイロウドウケツ」となった。

(エビはドウケツエビと名付けられている)



で、博物館内では…以前は目立つところに置かれていたのだが、端の方の物陰にひっそり置かれていた。

以前は無脊椎動物を中心に並べられていたコーナーの一画に、古代サメの「ラブカ」が置かれるようになって、その陰になっているのだ。


ラブカは、油壷マリンパークからの寄付らしい。貴重な資料なので置く場所を探したところ、無脊椎動物のコーナーを侵食したのだろう。


しかしまぁ、美しいカイロウドウケツ標本は見られたので、当初の目的は達成された。


ちなみに、次女は前回来たときには、この標本の珍しさがよくわからなかったようで、見たのを覚えていないらしい。

今は「あつまれどうぶつの森」にあったので知っているそうで、本物の美しさを興味深く見ていた。




残念なこともあった。

以前来たときは、貝殻だけをたくさん並べたコーナーがあったのだが、無くなっていたのだ。


オキナエビスなどの珍しい貝もあったのだが。

長女はビーチコーミングが好きで、子供のころは綺麗な貝殻を集めていたし、妻も貝の標本は結構好きだ。


貝殻だけたくさん並んでいる、というのは、地味であまり人気が無かったのかもしれない。

まぁ、これは仕方のないところ。



2時間ほどいただろうか。

満足したので博物館を出る。


この話、長くなったのでいったん区切りますが、まだ続きます。



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長男大学入学  2024-04-03 16:35:34  家族

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ひとまず入学しましたよ。

国立も受けたのだが残念ながらダメで、有名私立、とだけ書いておきます。


僕自身がそれほど有名ではない大学の出身なので、十分すごいと思います。


今日入学式があって、先日作った慣れないスーツ着て行ってきました。

長男、フォーマルな恰好本当に苦手で、ネクタイ締めてスーツ着てるだけで疲れたみたい。


まぁ、今後当面着ないので、別に慣れる必要もないかと思います。




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牧場ソフトクリーム  2024-03-31 18:20:57  家族

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次女が、牧場のソフトクリーム食べたい、と言ったのは去年の夏の話。


小学校の修学旅行で行った日光で、牧場のソフトクリームを食べたのだそうだ。

濃厚でとてもおいしかった、と。それを、夏の暑いころに思い出したのだった。


昨年夏は、長男が大学受験でとても旅行に行ける状態ではなかった。

単にソフトクリームなら食べられるけど、牧場の、となると旅行になってしまうし、とても無理だよ、とその時は言っておいた。




長男の大学受験は終わった。

次年度は、次女が高校受験生となる。


じゃぁ、この春休みの間に旅行にでも行こうか、と思っていたのだが、長女が高校の部活で忙しいという。

大事な発表会があり、部員一丸となって追い込みになったのだ。


とても旅行になどいけない。


次女が、牧場のアイス食べたい、と言った。春になれば旅行に行けるだろうと思って楽しみにしていたそうなのだが、どうも無理だと判ったら、余計に食べたくなったという。


うーん、どうにかしてやりたい。牧場のは無理でも、美味しいソフトクリームならよい、というので、近所で評判のソフトクリームが無いか探してみる。


…結構近所に牧場があり、直営のソフトクリームショップがある、と知った。車で 30分かからない。


じゃぁ食べに行こうか、と話をしていたら、長女も食べたいという。先に書いたように高校の部活で忙しいので、それが終わったらみんなで行こう、となった。


で、今日やっと行くことができた。

3月末ではあるが、25度を記録した夏日だった。

ソフトクリームを味わうにはちょうどいい。




横浜市戸塚区には牧場が多いのだそうだ。


横須賀総武快速に乗ると、東戸塚駅の手前で牛が見える。

こんな町中に牧場がある、というのは気になっていたが、それ以外にもたくさんあるのだそうだ。


西洋人は日常の食生活の中に「ミルク」が当たり前に入っている。

日本人がミソを当然のものとして使うように、西洋ではミルクがあって当然なのだ。


そのため、横浜が開港し、西洋人が住み始めたときに、ミルクを供給する体制がすぐに整えられた。

その時に牧場が作られたのが戸塚区のあたりで、今でも小さい牧場が点在しているのだとか。



今回アイスクリームを食べに行ったのは、小野牧場さんの経営する、横浜アイスクリーム工房本店。

普通に町中にある。牧場も近くにあるが、少し離れている場所。




ソフトクリームの味は1種類のみ。牧場直営なので、非常に濃厚で美味しかった。

恐らく乳脂肪分が多いのだろう。乳脂肪分が増えると溶けやすくなるため、流通には向かない。作ってすぐ提供するスタイルでないと出せない味わいだ。


で、ジェラートがいろいろな味がある。

ジェラートとソフトクリームを一緒にした、「ソフトトップ」なんていうメニューもあるので、両方の味を楽しみやすい。



長男はソフトクリームを注文。基本的な味をちゃんと確認したかったそうだ。コーンの上にのせてくれるのはこれだけ。


次女と僕はソフトトップで、ジェラート部分は、チョコミントと抹茶。

長女はサンデー。これは、ソフトクリームの上にソースがかかる。キャラメル味を頼んだ。


妻はダブルワッフル。この中では一番の豪華メニュー。

焼きたてのベルギーワッフル2つに、ソフトクリームとジェラートが付く。ジェラートはほうじ茶味を選択。


で、みんなで各味を分け合って食べる。どの味も美味しい。


ただ、ジェラートは思っていた「ジェラート」と違う。

牧場だから、ミルク多めに入れて、そうすると柔らかくなるのでよく空気含ませてるよね。

世間ではそれをアイスクリームと呼ぶ。


(ジェラートとアイスクリームの違いは、乳脂肪分と空気の含有量)




さて、ソフトクリームを食べるのが目的で外出して、大満足だが、食べ終わったところで昼頃。


じつは、次女はもう一つ「ミスドでラーメン食べたい」という要望を出していた。


こちらも、コロナ禍以降外出することが少なく、ミスド自体は買って帰ることで何度か食べているのだが、ラーメンなどはイートインでしか食べれないからだ。


ソフトクリーム屋から最寄りのミスドは、戸塚駅のショッピングモールである、「トツカーナモール」内にある。

トツカーナモール、完成から 14年になるが、実はまだ行ったことが無かった。


それ以前は時々戸塚に行っていたのよ。でも、ちょうどトツカーナ完成のころに次女が生まれ、子供三人抱えての外出は難しくなった。

それでも戸塚に行った覚えはあるのだが、目的地が別の場所だったりで、駅前のショッピングモールには入っていなかった。



調べると、トツカーナの駐車場は高い。

駅の逆側にある、アピタの駐車場が安いのでそちらに停める。後で買い物すればいいだろう。


で、少し歩いてミスドへ。




ところで、戸塚駅の近くを流れる柏尾川は護岸に桜が植えられ、花見の名所でもある。

長女が「花見したい」というので、もし花が咲いていたら、ラーメンは別の機会にして、ドーナツをテイクアウトして花見をしよう、ということになっていた。

これは次女は少し不服そうだったが、今日はすでに「ソフトクリーム食べたい」という次女の願いは叶えている。それでよい、ということになっていた。


駅が近づいて確認すると、まだ桜はほとんど咲いていない。花見には早すぎる。

じゃぁイートインで、となったら次女は大喜び。



抹茶好きの長女は、ミスドでちょうどやっている抹茶味のフェアを楽しみにしていた。

あと、半年ほど「世界のスープ麺」という特別メニューがあったらしく、最終日だった。


思い思いにたくさんのドーナツと、次女が食べたがっていた坦々麺、長男はブイヤベース麺を注文。

美味しかった。




アピタに戻り、長女が普段使いのバッグを欲しがっていたというので、バッグ売り場を見る。

ちょうどいいものがあった。


今は、長女が出掛ける時のバッグとして、妻が使っていた肩掛けの小さなバッグを使っていた。

ただ、これは少し小さいという。


店の人に断ったうえで、長女の気に入ったバッグに、いま持ち歩いているものをいれさせてもらう。

全部入った上で結構余裕がある。これが使いやすそうだというので購入。

駐車場料金はこれで無料になった。


簡単なお出かけではあったが、家族みんなで出かけて楽しめた。

結局春休みに旅行はいけなかったが、満足。



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母三回忌  2024-03-31 17:44:16  家族

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母の三回忌法要が行われた。


昨日、3月30日の土曜日の事。

直前の28日夜から、29日の午前中にかけては、台風並みの大嵐だった。


しかし、30日は穏やかな晴天。台風一過と同じですね。


我が家からの参加者は僕のみ。

子供たちが物心ついたころには母の痴呆が始まっていて、余り想い出ないからね。



長姉夫婦に、駅からの車での送迎をお願いされていた。

父母の菩提寺は我が家からそれほど遠くない場所にあるので僕は車で行けるのだが、遠方からくる兄弟にとっては、駅からの交通手段が難しいのだ。


次兄は駅からバスで行く、と言っていたが、こちらもお寺で合流後の交通手段は頼まれていた。



午後1時からお寺で法要。

墓は少し離れた市民霊園にある。住職さんにもそちらに移動してもらい、墓でも法要。

話としては、これで終わり。




久しぶりに兄弟が集まるので、この後食事をしよう、と長兄が手配してくれていた。

しかし、お店の予約時刻まで1時間半もあった。ちょっと早い。


どうしよう、と話をしていたら、次兄から「美空ひばりのお墓を見てみないか」と提案。

じつは、同じ市民霊園内にあるのは知っているのだが、行ったことはない。


父は美空ひばりのファンであったが、父も同じ霊園内にあることは知っていながら、見に行ったことはなかったんだよね。


しかし場所がわからない。

調べてみると、お墓の管理を任している石材店さんのウェブページに案内動画が載っていた。

しかし、これを見てもよくわからない。


墓参りの際に借りていた水桶などを返すついでに、美空ひばりのお墓について聞いてみた。

そうしたら、ちょうど話をした方が、この動画をアップした本人だった。

なんとなくの位置を聞いて、行ってみる。




案内動画もわかりにくいし、話に聞いた位置案内もよくわからなかったので、少し道に迷った。

別に石材店さんが悪いのではなくて、お墓の中なので似たような光景ばかりで分かりにくいのだ。


どうもこっちっぽいな…と進んだところにあった地図に、「美空ひばりの墓」とわざわざ書かれていた。

でも、この地図も主目的は墓の位置を示すことではなかったので、詳細位置がわからない。


どうもこのあたりだろう…というあたりを、親戚一同で探す。

そして、見つけた。


美空ひばりは芸名で、本名は加藤和枝。だから、加藤家の墓になる。

これはわかっていたのだけど、加藤って名前の墓、多すぎるよ…


そして、美空ひばりの墓だからと言って、特に大きくて立派ということもない。だからわかりにくい。

ただ、明らかにこれだ、と決め手になったのは、墓に入れないように門がついていて、中に立派な花束が所狭しと置いてあったから。

また、門の前に線香を置く焼香台があり、火のついた線香があった。今でもファンが訪れ続け、献花や焼香が絶えないようだ。


門から中に入ってはいけないのに花が沢山あるのはなぜだろう、とも少し思ったが、門の前に水が入った桶がいくつか置いてあった。

つまり、花束はここに入れておけば、管理している人が中に置いてくれるのだろう。


急に来たので線香の持ち合わせがなかった。さっき我が家の墓で全部使ってしまった。

…と思ったら、焼香台のところに箱があって、線香とマッチも置いてあった。自由に使っていいようだ。

ろうそくも置いてあったが、皆で線香を1本ずつ備える。




こんなことをしているうちに良い時間になった。会食の場所に移動。


去年行った一周忌では、九つ井で会食した。有名なお蕎麦屋さんだが、そばに限らず懐石料理なども出している。

今年は侘助。同じところだよね…と思っていたら、違った。


すぐ隣にあって、侘助もお蕎麦屋さん。だから僕は、九つ井が経営している、別のスタイルのお店なんだと思っていた。でも、全く違う経営母体のお店。


こちらも、懐石料理なども出している。非常においしかった。




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鎌倉アルプス  2024-03-22 18:19:24  旅行記 家族

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水曜日の20日、春分の日でお休みだった。


また家族でどこか行こうか、と思ったが、長女は部活が忙しいらしい。

面白そうなところ行くのはいっしょに行きたいけど、そうじゃないなら家族が出掛けても良いという。


じゃぁ、次女がソフトクリーム食べたがっているから、食べに行くか…と思ったが、これは長女も興味あり。

以前から家族で行きたいと思っていた、観音崎自然博物館行くか…と思ったが、これも長女は興味あり。


港南台まで山歩きするか、と言うと、それなら行ってきてよい、と許可が下りた。

これが前日朝の話。




前日、次女は学校でレクリエーション大会があったらしい。年度末だからもう授業はあまりないのね。

それで散々球技やったり走ったりして、筋肉痛になりそうだという。


…20日の朝、案の定全身筋肉痛。次女は結構ひ弱。

とても山歩きはできないからみんなで行ってきて、という。


次女なら昼ご飯は自分で作って食べられるから、留守番を任せて、僕と妻と、一番山歩きをしたがっていた長男の3人で、お弁当を持って出かける。




鎌倉アルプス、というのはたいそうな名前なのだが、家の近所の裏山感覚なのだ。

どちらかと言えば、六国見山の方が近いし気軽に登れるから、こちらの方が裏山っぽいのだけど。


鎌倉アルプス、こと「天園ハイキングコース」は、家から歩くと 20分くらいのところに途中入り口がある。

鎌倉方面に行くと、すぐに建長寺の中に出てしまう。今回は天園方面に向かう。


…まぁ、詳細は面倒だから省こう。ひたすら山歩きだ。


子供たちが子供のころに、同じコースを2回歩いたことがある。子供の足ではしょっちゅう休憩になり、一日がかりではあったが、保育園児でも歩けるコースではある。

今回は、3時間半くらい。10時ごろでかけて、午後早い時間に歩き終わった。




何度覚えても忘れてしまう。

大平山は、鎌倉市の最高峰だそうだ。


大平山はピークが2カ所にあり、片方は鎌倉市、片方は横浜市なんだよ…

それで、大平山は横浜市の山だ、という説が出回ったこともあったんだよ…


以前は鎌倉市側に「山頂」と書いた看板があったのだが、この噂があったころに架け替えられ、今は「鎌倉市最高地点」に変わっている。横浜の山だとしたら、鎌倉市側には山頂はないので。


だけど、今ネットで調べる限り、やはり大平山は鎌倉市での最高峰、ということになっている。

そして、横浜側のピークは、横浜市の最高地点。ハイキングコースの横浜に入った側のピーク地点にも、そこは横浜市の最高地点であり、大平山は鎌倉の山という説明書きがあった。


…まぁ、覚えても特に意味はないので、ここに書き記してもまた忘れると思う。


あ、今調べていて知った。


神奈川県のページには、大平山は「横浜市最高峰」とある。

…同じページ内に、「鎌倉市最高峰」とも書いてあるな。


うん。やはり、横浜市か鎌倉市か、判然としていないようだ…




さて、大平山を過ぎてすぐに天園がある。茶屋があったのだけど、しばらく前から営業を休止しているそうで、寂れていた。



僕は子供のころボーイスカウトをやっていたのだが、毎年大みそかの夜から元旦にかけて、オーバーナイトハイクというものをやっていた。


本郷台駅から出発して、港南台まで歩き、今回歩いたコースを逆にたどって江の島まで行って、初日の出を見るの。


天園は、深夜に行っても明かりがついていて、大人たちが楽しそうに話をしていた。

まぁ、深夜営業なんて年越しの時だけだったと思うのだけど、山の中に急に明るくて楽しげな場所がある、というのが、毎回印象的だったのを覚えている。


寂れてしまっている今は、その面影はない。



天園を過ぎたあたりで、ハイキングコースを外れて港南台方面に向かう。

そのあたりから、鎌倉霊園を見ながらひたすら歩き続ける。なんか、ずっとお墓の横を歩いている気分になる。




横浜市側に入ると、いくつかのコースがある。ビートルズトレイル、というコースを通る。

鎌倉市よりお金持っているから、山道も横浜市側の方が整備されているんだよね。


そういえば、今回は山のいたるところで、2019年の台風被害の痕跡が残っていた。

我が家でもベランダが壊れる被害にあったのだが、山の中では、大木が倒壊した箇所、山道が崩落した箇所が数カ所あったそうで、その後2年くらいハイキングコースが立ち入り禁止になっていたはず。


コロナの影響で、山道の補修に予算が回らなかった、という事情もあるのだけど。



一番驚いたのは、結構大きい木が横倒しに…なっているのだけど、根っこが想像と違う形をしていたもの。


鎌倉近辺の山は、鎌倉石、と呼ばれる砂岩でおおわれている場所が結構多くて、そういう場所に生えた木だったのね。

そして、生えたものの、下が石なので根っこが入らない。根は横に伸びて、その上に落ち葉が土を作って、薄いわずかな土の上に生えていた状態になっていたようだ。

これが、その「横に広がった根っこ」ごと、土も一緒に風で倒れた。当然板のように平たく張り巡らされた根っこも空中に浮いているわけで…不思議な光景になっていた。




ハイキングコースも終点に近づいたところで、大丸山がある。

これは、横浜市の最高峰。先に書いた、大平山のピーク位置の方が、横浜市としては「最高地点」らしいのだが、あれは横浜市の山ではない、というのが横浜市の見解なので、大丸山が最高峰、という扱い。


ちなみに、大丸山が標高 156.8m、大平山が 159.4m、参考として六国見山は 147m で、横浜ランドマークタワーの展望フロアは 273m だ。

横浜市最高地点はランドマークタワーで、自然地形なら大平山、最高峰が大丸山、という状態。



今回、大丸山のあたりで、時間は 11時40分だった。山頂でご飯食べよう、と言いながら登る。


前回、子供たちが小さなころに大丸山に上った時は、確か山頂でカップラーメン食べてる人がいた。

…という話をしながら登ったら、今回もカップラーメン食べている人がいた。

大丸山はそういう場所なのか?




食事後、歩き始めてすぐに、円海山から市街地に抜ける。


アスファルト道路になると、歩いていて足が痛い、と長男がいう。

山道って、柔らかいから足に優しいんだよね。


しかしじきに駅前。

せっかくだからお土産に何か買う? と妻が言うので港南台バーズなど見たが、特にめぼしいものがないので、さっさと電車に乗って帰宅。




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国立西洋美術館  2024-03-17 18:06:02  社会科見学 家族

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長男の受験も一区切りつき、発表を待っている。

次女は来年度受験生だが、まだ余裕がある。


久しぶりに家族でどこか遊びに行きたい。

一泊旅行もしたいのだが、それを行う時間も急には都合がつかないので、日帰りでどこか行こう、となった。

予定日は、3月16日の土曜日。


妻は美術館に行きたいという。横浜美術館? と考えて調べたところ、しばらくリニューアルオープンのためにお休みしていたそうで、3月15日がオープン日だった。


それは混みそうだねぇ。ということで、パス。

鎌倉の近代美術館は? となったが、こちらは近すぎるのでいつでも行けそう。またの機会に。


で、妻の要望もあって、国立西洋美術館の常設展を見よう、となった。

長女、次女も、最近どうぶつの森の影響で少し美術館は気にいなっていたそうで、行きたいという。


長男は山歩きがしたかったらしいが、それはまた今度ね、ということになった。




久しぶりの上野。8年ぶりか。駅前風景が一変していて驚いた。

4年前に大幅な工事をしたのね。駅の位置が移動して、駅前の道路がなくなり、駅を出たら目の前が上野公園になっている。


目的の西洋美術館へ。前庭にいくつかのブロンズ像が置いてある。「考える人」とかね。


特に大作、ロダンの「地獄の門」があった。せっかくなので、まずそれを見る。

子供たち、美術の教科書に載ってた、という反応。

長女がこれ本物? と聞くので、ブロンズ像の説明から行う。


版画作品の場合、たくさんの絵が作られて、どれも本物だ。

同じように、ブロンズ像は、元となる彫像が作られた後にかたどりをして、大量生産される。

どれも本物だ。


ちょうど先日、長女は高校の美術で、自分でデザインしたメダルの鋳造を行った。

小さなメダルでも鋳造は大変だったそうで、このサイズのものを作るなんて想像を絶する、と驚いていた。


実際、地獄の門はでかいのだ。高さ5メートルくらいか。

普通は石膏で型取りして鋳造するのだと思うが、このサイズを作るのはどうやったのか、想像もつかない。




中に入ると、企画展はこちらでーす、と案内している人がいたが、今回の目的は常設展。


これは妻の考えで、企画展というのは、すでに美術をある程度分かっている人間か、全く知らないがミーハー的に見に来る人を相手にしているものだから、とのこと。


常設展は、わかりやすく美術を教えることを目的にしているので、最初はいろいろな美術館の常設展を見に行くと良いそうだ。


これ、後で書くけど実際勉強になった。



常設展の入り口で、ギャラリートークの案内が書いてあった。

ボランティアの解説員と一緒に、1時間くらいで見所を見て回る、というツアー。

美術館に入ったのは10時前だが、10時45分受付開始、11時からスタートで、15名が定員らしい。


ひとまず時間を待ちながら展示を見始める。




展示の最初は16世紀ごろの宗教画から。年代を追って進んでいくようだ。


さて、実際にはいろいろ考えながら見進めていったのだけど、ここで初めての人向けにガイドするつもりで、見所だけ書いていこう。



まず、今時持ってない人はいないと思うが、一人一台のスマホを持っていくべきだ。

イヤホンがあるとなおよい。

自分のメールアドレスをすぐ入れられるようにしておき、QR コードの読み方も知っておくこと。


というのも、今時はスマホで音声ガイドが聞けるためだ。昔はそういう機械を貸し出していたが、今は存在しない。

館内には FreeWifi があるのだが、この認証にメールを使用する。自分のメールアドレスを入れ、受け取ったメールに書かれた番号を入力することで認証とする。


自分のアドレスとかは当然すぐに使えたのだが、子供は普段メールを使わない(スマホは親との LINE 連絡用)ので、メールアドレスをすぐに入れられず苦労した。



この音声ガイドは、個々の絵の鑑賞ポイントを教えてくれるものだ。

それとは別に、ところどころに、ひとまとまりの作品をまとめて鑑賞ポイントを教えてくれる、解説ページへのリンクの URL が置いてある。

途中までその違いに気づいていなかったのだが、一緒に見るより楽しめるかと思う。



#この音声ガイド、やはり以前は機械で行っていたが、コロナもあって貸し出しをやめていたらしい。

 スマホで見られる形のものが、先月から使えるようになったばかりだったらしい。




絵なんて言うのは、生活の役に立つものではない。だから、裕福になるまで、見て楽しむための「美術」なんて存在しない。

16世紀ごろの宗教画、というのはそのギリギリ最初のポイントで、文字が読めない人に聖書の教えを伝えるために描かれ始めている。だから、楽しむための美術ではなく、実用品なのだ。


また、この時代の絵の具というのは大変高価だ。ここでも、権力を持った教会などでないと発注できないのだ。


しかし、やがて金を持った貴族などが、絵にお金を使い始める。

最初は、寄進する宗教画として。絵の一部に自分の城を書いてもらったり、自分自身を入れてもらったりして。


そのうち、聖書の人物の顔を自分にする、などの形で、宗教画の形式をとった肖像画が出始める。

そして、宗教から離れて肖像画を作り始める。



もう一つの鑑賞ポイントとして、宗教画は、宗教上の理由で「人をだましてはならない」物だった。

それが、本物と見間違えるようなものであってはならない。形式的な絵を描くだけで、遠近法などを取り入れてはならない。


それが、宗教を離れて貴族がパトロンになるにつれ、どんどんリアルに描かれるようになっていく。

最初は肖像画が中心だが、食卓に飾るから食材の絵を描いてくれとか、いろいろな注文で絵の幅が広がっていく。



…と、ある程度見て回っていたら、そういう意図をもって順序が組まれているように思えたので、子供たちに解説した。

鑑賞ポイントが分かった方が面白いからね。





ギャラリートークの時間が来たので、エントランスに戻って参加する。

15名の予定だったが、大人気だったようで 30人以上いたと思う。


解説員のボランティアの方が、驚くと同時に感動していた。

この方、7年間ボランティアを務めていたが、この日で最後だったらしい。

普段はここまで集まらないのに、最後の回がこんなに大盛況で驚いたと言っていた。



西洋美術館は多くの作品があるので、1時間程度ではとても全部は説明できない、ということで、最初に説明された作品は、宗教画の時代よりも後の作品。


そして、モネ。印象派の代表、睡蓮をたくさん書いた人だね。

さらに、モネと同時代を生き、彫刻を作ったロダン。最後には中庭の地獄の門を解説してくれた。


地獄の門は大きな作品なので、資金が無くて生前には型まで作ったものの、ブロンズ鋳造されなかったらしい。

最初に資金を出す、と名乗りを上げたのが日本人で、上野にあるのが最初の鋳造のものなのだとか


その日本人が、西洋美術館の元となるコレクションを作り上げた人。

モネ、ロダンとも実際に面識があり、本人から直接買い付けてきたらしい。

そのため、西洋美術館は、モネとロダンのコレクションが豊富。


と言っても、コレクションの多くは、「購入」したものの、ヨーロッパにあった。

第二次世界大戦の敗戦時に、敗戦国の財産として、フランスの管理下に置かれた。


いろいろあったが、日本に返却するときの条件が、ちゃんと管理を行える美術館の建造だった。

それで作られたのが、国立西洋美術館。




ギャラリートークは楽しかったが、同時に速足で美術館の全貌を見せてくれたので、「朝のペースで見ていたら一日では見終わらない」と分かった。


中庭で終了となったので、そのまま一旦外に出て昼ご飯にする。

そして、もう一度常設展へ。常設展は、一日の間何度でも出入りできる。



さて、宗教画から貴族の肖像画などが中心の時代を見終え、その後の時代に入る。

ギャラリートークでも最初に説明してくれた絵は、貴族の家を飾る、四季の連作として描かれた一枚だった。


だんだん、絵の内容…テーマが自由になっていく。風景を描いた絵や、狩猟風景を描いた絵など。作者が美しいと思ったものを絵にとどめ、それが評価されれば買い手が付く時代。

逆に言えば、もう宗教や貴族はパトロンではなく、絵描きが自分の才能を金に換える方法を、自分自身で探さないといけない時代にもなっていく。


絵の技術は十分に高まり、本物のように美しい絵も現れ始める。




そして、印象派の時代へ。

本物と見間違うような美しい絵、というのが当たり前になってくると、差別化するのは「作者の視点」になってくる。あえてリアルを外し、絵ならではの美しさを求め始める。


…マネの「ブラン氏の肖像」リアルとは程遠いよね。陰影とか少なくて、アニメ絵っぽさもある。

しかし、それによって描きたい人物がはっきりとわかるし、彼の伊達男っぷりも…とにかく明るい、薄っぺらい印象の人なのかもしれない、というようなことまで思ってしまう。


モネになると、さらに進んで、「絵である」ことを主張し始める。

あえて筆の跡を残し、そこかしこに筆者の痕跡を残し始める。


リアルを求めるのであれば、だれが描いても同じものになってしまう。だからこそ、作者の痕跡が重要なものとなり始めたのだ。


で、ここからは今回初めて知ったこと。モネの絵が飾ってある部屋の片隅の QR コード解説に書いてあった受け売りだけど。


ロダンとモネは、誕生日が近くて、仲が良かったそうだ。

絵と彫刻で分野は違うけど、同じ芸術家としてよく話をしたらしい。


そして、二人とも同じ方向性を持ち始める。モネは筆の跡を残すようになっていき、ロダンは粘土に指の跡を残すようになっていく。

なるほど、言われてみれば同じような手法だが、説明されるまで一切気づいていなかった。


美術作品を、頭でわかろうとするな、見て感じろ、という人がいるのだけど、こういう話は見ても感じられない。

でも、知識を持ってから見ると、非常に面白い。美術の好き嫌いは自分の感性に従えばよいのだけど、頭でわかることは大切だと思う。




その後も徐々に時代が進んでいく。日本の影響を受けた、ジャポニズムの時代のあたりは面白い。

西洋の絵なのに、掛け軸のように縦長で、署名まで縦書きしていたりする作品がある。



最後に、近代の作品。ピカソとか、ムンクとか。


ピカソのキュビズムが壮大な実験だ、というのはよく知られているのだけど、飾られていた中に、もっと晩年の作品があった。

ピカソの晩年は、シンプルで力強い線を好むようになるんだよね。で、やたらと男にチンコを描きたがる。


若いころは、無茶苦茶な絵に見えても、性的モチーフはそれほど描かなかったのにね。


あれは、性的に衰えてきた老人が、まだまだ若いところを見せようとわざと性的なものを見せびらかしているんだと思う、と僕が言ったら、妻も「そうそう、街中にいるような露出狂も、性的に自信がない人の方が多い」と同意。妻、若いころはよく露出狂に近寄られていたので、撃退方法も心得てます。


チンコ、という言葉に、さすがに高校生の長女は恥ずかしそうな反応だけど、「ピカソ、完全に迷惑老人じゃん」と。

うん、実際女性関係だらしなくて、周囲に迷惑かけていた人だからね。


しかし、この時代になると「作者の痕跡を残す」どころではなく、作者の個性がむき出しになっている。

それもまた面白い。



あと、やはり近代の作品で、絵の具を盛り付けるように塗ってある作品を並べてある一角があった。

これも、流行した技法なんだよね。特に白を盛り上げるのが流行したみたいだけど、別の色もある。


絵の具の「減色混合」では決して表せない、輝くような光を表現するための技法。

白を盛り上げて塗りたくることで、白の表面で光が乱反射し、輝きを表現できる。

また、盛り上げることで、立体的な描画も可能としている。


ここら辺、美術の教科書で見てもわからない。本物を見てやっと価値が分かるものだ。



…と、こんなあたりで展示はおしまい。




最後に、今回一番「興味深かった」絵を紹介。西洋美術館の WEB ページにも紹介があるので、リンクしておく。拡大もできるので、是非見てみて。


三連祭壇画:キリスト磔刑


宗教画なのだけど、リアルに描かれるようになった後の作品。


僕が注目したのは、中央で磔になっているキリストの右側、槍を持っている人物。


キリストの右わき腹には、傷跡がある。これは、聖書でも磔刑のあとに、死んだか確かめるために兵士が右脇腹を槍で刺した、とある。


恐らく、キリストの右に描かれる、槍を持った人物がその兵士なのだろう。

兵士は「無名の兵士」とされるが、のちに名前を与えられ、ロンギヌスと呼ばれる。


「ロンギヌスの槍」というのはキリストの血が付いた聖遺物の一つとされて、中二病な小説なんかだと強い武器の名前になっていたりするね。



で、その彼だが、この服装は一体何か。

リンク先で画像を表示して、ズームしてよく見ていただきたい。


明かに服を着ている。というか、これは服ではなく鎧だと思う。

しかし、腹筋は見えるし、へそも見える。WEB の画像ではわかりにくいが、乳首まで見えているのだ。


さらに書く。当時は男でもスカートをはくのは普通だし、スカート状の鎧もある。彼が来ているのもそうした鎧に見える。

しかし、このスカートが、腰の周囲にあるのではなく、足にまとわりつくように股の部分がはっきりわかるんだよね。



最近の男性向けのイラストなどで、女の子が「服を着ている」にもかかわらず、服越しに「へそがくぼんで見えている」物がある。

同様に、スカートをはいているのに、股の位置がはっきりわかるように描かれる絵もある。


衣服がどんなに張り付いてもへその中まで張り付くことはないと思うし、立っている状態でスカートが股にへばりつくこともない。

どちらも、「ちゃんと服を着ている」と言いながら、裸を連想させるための書き方なのだと思っている。


そういうのは最近のエロイラストの描き方の一つだと思っていたのだが、16世紀前半にすでにそういう絵が描かれているとは…。


しかも、ここでは女の子ではなく、おっさんのへそと乳首が見えてるんだよね。誰得なんだろう。

最近のエロイラストみたいな描き方が16世紀にあった、というだけでなく、最近のものだと思われている腐女子も、すでにいたのかもしれない。


性癖は時代を超える。


茶化しているように見えるかもしれないけど、結構本気で書いてる。

エロって、人間が生物である以上、非常に魅力的なコンテンツだからね。


現代人が欲しているものを、16世紀の人も同様に欲していても、何ら不思議はない。


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受験シーズン  2024-02-14 17:29:26  家族

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今日は、高校1年生の長女は休校。

高校受験で学校使うので休みなのだ。明日以降は採点のため、今週いっぱい休み。


今日はバレンタインデーなので、昨日学校に手作りクッキー持って行ってた。

友達と交換したらしい。




長男は大学受験。

先週、本命ではないが滑り止めほど低くもない学校を3校受けた。


今月頭には滑り止めを受けていたが、それは合格した。

本命校は今月末。



まぁ、そんなわけで今週は長男と長女は家にいます。次女だけ学校。

夫婦だけなら昼ご飯適当でいいのだけど、ちょっと気を使います。



追記 2024.2.17

長男、本命ではないが滑り止めほど低くもない、という学校の最初の合格発表で、合格。

滑り止め校に手付金を払わなくてよくなった。


3校全部の合格発表があるまでは猶予の時間が生まれたので、合格した中から行っても良いところに手付金を払えばよい。

精神的な余裕をもって本命に臨めそうだ。



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朝ご飯  2024-02-02 12:37:25  料理 家族

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なんとなく、なのだけど、我が家の朝ご飯は曜日によって決まっている。

というか、朝ご飯は僕が作っているので、そうしている。


平日は、米飯。おかずは卵料理と、常備菜となにかタンパク質のおかず。


月曜日は、プレーンな卵焼き。

火曜日は、青のり入り卵焼き。

水曜日は、目玉焼き。

木曜日は、その時の気分による卵焼き。

金曜日は、ゆで卵。


土日は、今はそれぞれ自由に食べてる。以前はトーストとそれに合うおかず、だった。



これは、子供たちが保育園に通っていたころの名残だ。

まだ曜日感覚のない保育園児は、朝起きてきて「きょう ほーくえん ある?」と聞いてくるのだ。


まぁ、答えが知りたいというより、親と会話したい、という面も強かったように思う。

会話のきっかけにすぎないのだ。


でも、一応保育園がある日かどうか心構えをさせるためもあり、保育園がある日は米飯、ない日はパン食を用意してから、子供たちを起こしていた。




曜日でおかずを決めているのは、「今日は何曜日」という心構えをさせるのと、僕が朝ご飯を作る際に考えるのが面倒くさいから、という理由による。後者が8割。

毎日同じじゃ飽きるし、かといって毎日考えるのは面倒くさい。曜日で決めておくのは折衷案だ。


しかし、これが曜日で決められていることに、家族のだれも気付いていなかった。


朝ご飯を食べているときに、今日何曜日だっけ? と聞かれたので「目玉焼きは水曜日」と答えたら驚かれたのだ。

まるっきり伝わってなかった。


まぁ、上に書いたように「メニュー考えるのが面倒くさい」が8割なので、伝わってなくても続けるのだけど。




ところで、温泉卵にチャレンジしたこともある。


何度かやってみたが、朝の忙しい時間に作るのは向かない。

前日から用意する、というのもやってみたが、そもそも成功率が低かった。

(理想の柔らかさにならない)


ゆで卵は、最初は単にゆで卵だったのだが、あるころから、半分に割って黄身を取り出し、マヨネーズであえて白身の上に戻す、という作りにしている。


ゆで卵の時は弁当にも入れるのだが、黄身がボソボソとして、弁当だと食べにくいらしいのだ。

マヨネーズで和えるとボソボソ間がない。


最近は、少しコンソメ粉末とかも入れている。同じゆで卵でも少しづつ変わっているのだ。



木曜日の卵焼きは、ネギ入りだったり、みそ味だったり。単にプレーンの時もあるが、青のりは火曜日しか入れない。

長女が青のり入り好きなのだけど、他の人にはそれほど評判良くないから、登場は週1回だけなの。

(香りは良いのだが、少しボソボソ感が出てしまう)


卵かけご飯を出していたころもある。

しかし、皆白身を生で食べるのが嫌いだというので、白身に火を通す意味で目玉焼きに変わった。

これも、各自焼き加減にリクエストがあったりするので、作り分けている。




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風邪惹き  2024-01-31 10:06:54  家族

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次女、長女、相次いで発熱。



最初は中学2年生の次女。

今週頭の日曜日、28日に、朝起きてくるなり「なんか喉痛い」と。

熱を測らせたら、発熱していた。たしか 38度前後。



長男が大学受験なので、今感染したらまずい。自室待機。

月曜日の夜には熱は下がったが、火曜日もだるさがあったので学校は休み。

今日水曜日、まだのどの痛みは残っているが体調は戻った、ということで学校に行った。



そして、高校1年生の長女。

昨夜、なんか鼻水が出る、と言っていたが、花粉症でもあるし、そろそろ季節でもあるのでそれかもしれない、と言っていた。


今朝、喉が痛いという。熱を測ったら 37.9度。自室待機。学校も休み。


長女と次女の部屋は、もともと大きな部屋で、今はカーテンで区切っているだけ。

直接息がかかることはないが、生活空間が近いし、感染したと見るのが妥当だろう。


長男は生活空間も分けているので感染しにくいとは思うが、要注意。



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