今日は何の日10ページ目の日記です

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2015-07-15 ファミコン・SG-1000の発売日(1983)
2015-07-16 原爆実験の日(1945)
2015-07-17 NECの創業日(1899)
2015-07-17 エジホン探偵事務所
2015-09-12 レイ・ドルビー博士 命日(2013)
2015-09-19 山内溥 命日(2013)
2015-09-23 任天堂の創業日(1889)
2015-09-24 パラケルスス 命日(1541)
2015-09-28 シーモア・クレイ 誕生日(1925)
2015-10-01 デイブ・アーンソン 誕生日(1947)
2015-10-02 アンドリュー・グリーンバーグの誕生日(1957)
2015-10-08 ヘイリー兄弟の誕生日(1949)
2015-10-13 やなせたかし 命日(2013)
2015-10-14 アショーナ・ヘイリーの命日(2011)
2015-10-14 ゲームセンターあらし 発表日(1978)
2015-10-15 グレゴリオ暦の制定日(1582)
2015-10-23 マイケル・クライトン 誕生日(1942)
2015-10-29 DJBの誕生日(1971)
2015-10-30 クリフォード・ベリー 命日(1963)
2015-10-31 ロナルド・グラハム 誕生日(1935)
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ファミコン・SG-1000の発売日(1983)  2015-07-15 10:31:04  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、任天堂のファミリーコンピューター、およびセガのSG-1000・SC-3000(上位互換期)の発売日(1983)。

32周年です。0x20周年です。区切りの年です、と無理やり言っておきます。


ちなみに、SC-3000はSG-1000にキーボードが付いた「パソコン」ね。

中学の時に友達が持っていて、しばらく借りてプログラム作ったことがあります。



ほんの数年前まで、ファミコンもSG-1000も、発売が「1983年7月」というだけで、正確な日付まではわかっていませんでした。

でも、30周年を前にして日付を特定しようと一部の方々ががんばって、共に15日の新聞に「本日発売」と広告が出ているのを見つけ出しました。


素晴らしい成果です。

僕もコンピューター関係の歴史調査を趣味にしているので、そういう素晴らしい成果を出したいとは思うのですが、なかなか難しい (^^;;




2年前に、30周年を祝う話は書いていますし、その関連でいろいろな話題を書きました。


なので、過去の記事へのリンクをまとめておくだけにします。忙しいので手抜きです(笑)


#結構語りつくしたので、もう書きたいことが無い、というのが実情なのですが。


祝30周年

ゲームの歴史・ファミコン以前

→さらにその後掘り下げて書いた、世界初のテレビゲーム


80年代の画面表示技術

基礎知識

MSX編(SG-1000は、MSXと同じ画面表示回路を使っています)

ファミコン編



6502は遅かったのか?

Z80 vs 6502

ファミコンとMSXはどちらが速いの? という内容で書いた一連の記事。

MSXとSG-1000のCPU・クロックは同じですので、ゲーム機のライバル対決と読み替えていただいても。


ファミコンサポートが終了した日

ファミコンって、生産終了から14年間も修理サポートしてました。


山内博誕生日

山内さんの誕生日にかこつけて、僕のファミコンの思い出話を書いただけ。



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原爆実験の日(1945)  2015-07-16 14:18:03  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はアメリカ軍がアラゴモード砂漠で、プルトニウム原爆の爆発実験を行った日です。


トリニティ実験、と呼ばれています。

この日以降、世界は「核の時代」に入った、とされます。


…気の重い話題だ。日本人として、特に気が重い。

でも、主にコンピューターの歴史で「今日は何の日」を書いている以上、触れないわけにはいかない話題だと思うのです。



原爆の開発プロジェクトが「マンハッタン計画」と呼ばれているのは有名です。


当時、核物質が強いエネルギーを持っていることはわかっていましたが、爆弾に応用可能かどうか、は未知でした。

そのため、爆弾を作成するのであればどんな核物質が適切か、というところから研究が始まっています。


主な対象となったのは、すでに知られていた核物質である「ウラン」と、見つかったばかりの核物質である「プルトニウム」。


ウラン型の爆弾は、論理計算のみで製造がおこなわれました。

一方、プルトニウム型の爆弾は、爆発実験が行われました。


1945年の今日行われたのは、このプルトニウム型の爆発実験。

実験は成功し、後に長崎に投下されています。

(広島に投下されたのは、ウラン型でした)




当時はまだ、電子計算機は作られていません。ENIAC は開発が進んでいましたが、完成は大戦終結後です。


でも、Harvard mark I (ASCC) はありました。

原爆の理論を完成させるには膨大な計算が必要で、ASCC ではその計算の一部が行われています。

(ASCC で計算されたのが、ウラン型・プルトニウム型のどちらのものだったのかはわかりません。)



良く言われる、コンピューターが「戦争の道具として開発された」というのは適切ではありません。

どちらも、学者が「面倒な計算を行ってくれる道具」として着想したものです。


しかし、それが戦争の道具として「利用」されたのは事実です。


日本が「精神論」で戦争に勝とうとしていたことは、たびたび批判されます。

しかしそれは実は日本だけではなく、アメリカも第1次世界大戦中は同じで、非常に多くの死者を出したのです。


そこに目をつけ、ヴァネバー・ブッシュが戦争に「知見」をもたらします

実は、体よく予算をぶんどって大学・学者にばら撒くのが目的だった節はあるのですが、ともかくアメリカは知力を結集して戦争に望みました。



原爆等という想像を超えた兵器を着想したのも学者ですし、そのために計算力が必要となれば、ASCC のような計算機も利用されています。

間に合わなかったとはいえ、ENIAC のような新型計算機の開発にも予算が配分されました。

Whirlwind I だって戦時中に軍が予算を付けて開発を開始したものです。


戦争ですから、まさに「殺るか殺られるか」の世界。

わずかでも計算速度が遅ければ、敵の攻撃を受けて終わり、かもしれません。

とにかく、速度の速い計算機が求められました。ENIAC などは、その延長上にあるアイディアだったから予算が付いた、とも言えます。


今でも、計算機は速度が最重視されているように思います。

1980年代のパソコンなど、速度以外にも多様な評価軸があったように思うのですが。




話を核爆弾の実験に戻しましょう。


ウラン型とプルトニウム型は並行して作成されていましたが、プルトニウム型だけが爆発実験を行っています。


実験に先立ち、1通の報告書が大統領に提出されました。

報告書の作成者は、マンハッタン計画に参加したジェイムス・フランクを中心とした7人の学者。

このことから、報告書は「フランクレポート」と呼ばれます。


既に、核爆弾を日本に対して使用することは決定されていました。


#これに関してはいろいろあります。

 開発開始時にはドイツを標的にしていたようですが、チャーチル英首相とルーズヴェルト米大統領の会談で、ドイツ降伏前・原爆完成前から日本を標的とするようになっています。

 陸続きのヨーロッパで強力な兵器が使われてはかなわないので、島国で…という意図もあったかもしれません。


しかし、フランクレポートでは、その前にデモンストレーションとして実験を行い、それを使用することを日本に通告するほうが良い、としていました。


このレポートでは、各国が核兵器を持ち、互いに疑心暗鬼になる「冷戦」状態が戦後に生じる危険性を示唆しています。

技術はやがて普及するものですから、各国が核兵器を持つのは時間の問題。


冷戦を避けるためには国際協力が不可欠で、アメリカが率先して国際的な信頼を得なくてはならない、としています。

そこで、日本に対して核兵器使用を通告し、降伏を促す、という紳士的な態度が重視されるのです。



この報告書を受け、実験は行われました。

ただし、その実験成果をどのように世界に公表するかは、あらかじめいくつものシナリオが考慮され、実験結果を見てから決定されることになりました。


シナリオには、その破壊力を日本に見せつけて降伏を促すためのものから、「不慮の事故によって多数の科学者が死亡した」と伝えるものまで、複数あったようです。

実験結果は十分な破壊力であったものの、一部の科学者の予想ほどの破壊力はありませんでした。

結果として、成功はしたものの「火薬庫の事故で爆発があったが、死傷者は無い」と公表するにとどまりました。



日本に対して降伏を促さなかったのは、核爆弾を作るには高い技術が必要で、フランクレポートが危惧する様に、「すぐに他国が持つ」ようにはならないだろう、という考えもあったようです。




7月16日に実験が成功して、8月6日には広島に未実験のウラン型を、8月9日には長崎に実験と同様のプルトニウム型を使用します。


これに関しては、アメリカは公式に「戦争の終結を早め、無駄な死者を避けるためだった」としており、多くの人が…アメリカ人に限らず、日本人もその公式見解を信じています。

ただ、先に書いたフランクレポートの関係もあり、事はそれほど単純ではないようです。

戦争の終結を早めるなら、実験を公表するだけでも十分だったのですから。


日本では、1944年11月以降、首都東京に対する度重なる空襲…特に、3月~5月にかけての空襲と、5月に同盟国であるナチスドイツが降伏してしまったことで、敗戦ムードが濃くなっていました。


しかし、負けを認めるにしても、どこまで良い条件を引き出せるか…なかなか、すぐに降伏、とはいきません。

実のところ、当時アメリカと同盟国ではあるが、日本とは戦争していなかったソ連を通じ、アメリカとの和平工作を働きかけています。


こうしたこともあり、アメリカは日本が夏まで持たずに降伏するかもしれない、という情報を入手していたようです。

「既に降伏が近いと知っていた」ことは、「原爆が戦争の終結を早めた」とする公式見解と異なります。



アメリカにとっては、むしろ「降伏される」ことの方が困る状況でした。

やっと完成した新兵器の威力を見せ付けるには、実験だけでは不十分で、実戦での使用の方が衝撃が大きいのです。


また、砂漠での実験だけでは、実際の市街地への投下でどの程度の破壊力かを知ることができません。

是非、実戦で使用したい、というのがアメリカ側の思惑だった様子。



このため、アメリカは慌てて新兵器を投入した、というのが近年の歴史学者の見方。

もちろん、学者によって見解は異なりますが、アメリカの学者でもこの見解を支持する人が多いようです。


#念のため書いておきますが、僕は広島・長崎の補償を今からアメリカに求める…というような考えは持っていません。

 被害にあわれた方としては、「実験」目的で何万人も殺した、というのは許しがたいことだと思いますが、元々国のエゴがぶつかり合うのが戦争。

 ただ、過去にあった事実を、個々人が記憶しておくことは大切だと思います。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも。




以下余談。


実のところ、日本は原爆を落とされてもなお、無条件降伏ではなくソ連を通じた和平に期待をかけていたようです。


ところが、 8月 9日にソ連が日本に対して宣戦布告。

これに慌てた日本は、 翌日 8月10日に、ポツダム宣言受諾の準備があることをアメリカに伝えます。


そして、8月 14日に正式に受諾通告。8月 15日に無条件降伏することを国民に周知。



ただし、これは「国民に対して周知した」というだけで、戦争は終わっていません。

局所的な戦闘は 8月下旬まで続き、 9月 2日に昭和天皇が正式な文章としての降伏文書に調印。


これによって戦争が終結します。




戦争終結からわずか4年後…1949年 8月 29日には、ソ連が核兵器の開発に成功します。


これは、アメリカの思惑とは違うものでした。フランクレポートにあるように「すぐに他国が核兵器を持つ」ということは考えられない、と思っていたようですから。


実際、核兵器の開発は非常に高いノウハウと、技術力が必要でした。ソ連も、普通なら短期間で開発することはできません。

しかし、軍事スパイが情報をもたらしたために、短期間での開発が可能となったのです。


このスパイ事件は後に映画になり、映画の中で SSEC が使用されています。

また、戦時中にフライトシミュレータを作るために開発されていた Whirlwind I は、ソ連軍の核攻撃からアメリカを守るための SAGE システムへと変貌します。


この後、フランクレポートが危惧したように、世界は冷戦へと進んでいきます。




この頃のコンピューターには、戦争や血なまぐさい話が付きまといます。

しかし、戦争だからこそ命がけで開発が行われ、急速に性能が上がっていったのも事実。


いま、平和にコンピューターを利用できる我々も、そういう歴史を知っている必要はあると思うのです。


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NECの創業日(1899)  2015-07-17 15:22:54  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、NECの創業日(1899)。

創業したの、19世紀ですよ。ギリギリだけど。

コンピューター企業として有名だけど、もちろん当時はコンピューターなんてありません。


IBMだって20世紀になってから創業した会社(1911)。

まぁ、日本にはテレビゲーム会社なのに 1889年創業、という任天堂もいるのですが。


#アメリカにだって、エジソン電気照明会社(1878)を母体とするGE(ゼネラルエレクトリック社)があるけど。




日本は1856年に日米修好通商条約を締結し、1859年に横浜・長崎を開港します。

鎖国政策の事実上の終了でした。


とはいえ、まだ外国人の行動は制約され、居留地から外に出るには特別な許可を必要としました。


歴史の授業でよく出てくる話ですが、この頃の日本と外国の立場は「不平等条約」です。

外国と「条約」を結ぶのに慣れていない日本が、一方的に騙されて不利な条約を結んでしまった。



1894年には、イギリスとの間に日英通商航海条約が締結されます。

不平等条約の中心であった領事裁判権(外国人が事件を起こした際、その国の領事が裁く。当然、外国人に有利な判決が出た)を撤廃するのと引き換えに、居留地以外に居住し、自由に活動することが認められます。


但し、この条約は、締結から発効までに5年の猶予期間がありました。

イギリスとの条約締結を皮切りに、他の諸外国とも同様の条約が締結されます。




米国のウェスタン・エレクトリック(多数の合併を経て、現在、フランスのアルカテル・ルーセンス社)は、日本で外国人の活動が自由化されるのを見越して、日本に会社を設立しようとしていました。


支社ではなく、日本の会社との合弁会社が希望でした。

まだ当時日本で電気事業を行っている会社は少なく、沖電気工場(現在の沖電気工業)が有力な合弁先でした。


岩垂邦彦が代理人となって交渉を行いますが、結局条件が折り合いません。


そこで、岩垂邦彦自身が会社を興し、その会社を提携先としてウェスタン・エレクトリックの合弁企業を設立します。日本初の、合弁会社の設立でした。


会社名は、「日本電気」。Nippon Electric Company (NEC) です。

設立は、外国人の自由な活動を認める条約が発効した、1899年の、7月17日でした。



当初は、電話交換機などの通信機器の製造を行います。


日本電気はやがて住友財閥に経営委託され、第二次世界大戦でウェスタン・エレクトリックとの関係が続けられなくなると、「住友通信工業」となります(1943~1945の期間のみ)。


#NEC の歴史もコンピューター企業としては古いほうなのだけど、住友も非常に古い。

 1590年に銅の精錬技術を開発したことから住友財閥(戦後は財閥解体され、現在は住友グループ)が興っている。

 400年以上というのは、財閥として世界最古だそうだ。


#ちなみに、話に関係ないけど世界最古の会社は、大阪にある、寺社仏閣建築の「金剛組」。

 578年創業で、創業から 1400年以上になる。




戦後再び「日本電気」として活動を開始すると、NEAC コンピューターの開発を始めます。

(これ以前にもアナログコンピューターを開発していたらしい。詳細不明)


NEC は、元々電話交換機を主軸とした会社でした。


電話交換機は、多数の回線を、自由自在に、「電話番号」という信号に従って瞬時に接続する必要があります。

これは、多数の計算回路を、自由自在に、「命令」という信号によって接続するコンピューター技術と、ほぼ同じものなのです。





電話交換機というのは、「多数の電気回路を、自由自在につなぎ変える」必要があり、コンピューター技術と非常に近い位置にある技術です。


1977年には「コンピューターと通信の融合」という、C&Cを会社のスローガンとします。

これまでは、「電話交換機の会社」のイメージが強かったのですが、ここからNECはコンピューター会社として成長していきます。


この頃の主力機種は、ACOS シリーズ。

GEのコンピューター部門(後にハネウェルと合併し、現在は Bull)の作った GCOS シリーズを元に作成したものです。



NEC は「オフィスコンピューター」(オフコン)も販売していました。

ACOS は汎用機にもオフコンにも使用されていますが、やがてオフコン用はより知識がなくても使用できる独自 OS になっていきます。


私事で恐縮ですが、1978年発売のシステム100/80 をうちの父の会社で導入していました。

NEC が初めて「8インチ標準フロッピーディスク」を採用した機種の一つで、「大容量固定磁気ディスク」もついていました。たしか8メガバイトではなかったかな。


リース終了後に買い取ったのを自宅に持って帰ってきたので、1990年ごろに使ってみた記憶があります。

お世辞にも使いやすいとは言えなかった…(12年前の技術なのだから、少し割り引いてあげないといけないとは思いますが)




さて、コンピューターでNECの話なら、当然出さなくてはならない話。


1976年に、半導体事業部が TK-80 を発売します。


半導体事業部、ですからね。パソコンとして作ったつもりじゃない。

それまであまり知られていなかった「CPU」という新しい LSI を、どのように使うか技術者に知ってもらうための、トレーニングキットでした。


でも、これが大ヒット。

コンピューターに興味を持っていた人たちにまで広く普及しました。


しかし、あくまでも半導体のトレーニング用です。自分で半田付けをする必要がありましたし、完成したってプログラムを機械語で直接入力しなくてはならない。

普通の人が使えるようなものではありません。


そこで、別売り拡張キットとして、TK-80 BS が作られます。

このキットを追加すると、キーボードがついてベーシックが使えるようになりました。



しかし、元々パソコンとして使う予定ではなかった製品では、対応に限界があります。

ちゃんとしたパソコンを作ろう、と、半導体事業部が頑張って作ったのが PC-8001(1979)。


しかし、NECには先に書いたように、オフコンや汎用機を扱うコンピューター事業部があります。

半導体事業部からコンピューターを出すことには問題がありました。



そこで、PC-8001 は、子会社の新日本電気が生産し、NECが販売することになりました。

新日本電気は、主に家電の製造販売を行っている会社でした。


形の上では、NECは「販売だけ」で、コンピューター事業部以外ではコンピューターを扱いません。玉虫色の解決策でした。




驚いたのは子会社の新日本電気。

実は、TK-80 のヒットを見て、自社製品として安価で TK-80 よりも性能の良い機械を設計していたのです。

PC-8001 とほぼ同じ構成でした。


当初は搭載する BASIC を互換品にし、PC-8001 互換として売り出すつもりでした。

しかし、PC-8001 互換でより安いのであれば、PC-8001 の存在意義が無くなります。


親会社のNECとも何度も交渉が行われ、性能を落とし、家庭用としてテレビ出力などを備え、プログラムの交換をしやすくするため ROM カートリッジなどを備えた、PC-6001(1981) として販売されます。


こちらは、新日本電気の製造・販売で、家電品ルートに乗せられました。




半導体部門は相変わらずコンピューターの設計を続けていて、PC-8001 はやがて PC-8801(1981) に進化します。


そして、当初危惧した通り、コンピューター事業部の市場に食い込み始めました。



そこで、コンピューター事業部でも PC-8801 の互換機が作成されました。


ただし、PC-6001 が「設計変更を命じられ、非互換になった」のを見ていたので、極秘裏にプロジェクトが進みます。


コンピューター事業部の威信をかけたものだったので、16bit になりました。

当初はベーシックをマイクロソフトに頼んだのですが、マイクロソフトは 16bit のベーシックは「統一ベーシックにする」構想を持っていたため、断られます。

そこで、オリジナルの互換ベーシックを開発しました。


これが、PC-9801(1982)です。

シリーズは、後に「国民機」と呼ばれるほどに普及しました。




増えすぎたパソコン事業に対し、NECは「8bit は家電品として、新日本電気が扱い、16bit はビジネス用としてコンピューター事業部が扱う」という切り分けを行います。



これにより、ブームを作り出した半導体部門は作るものを失ってしまいます。


でも…もう一つの道が残っていました。

8bit でも、ビジネス用でもない「16bit の個人用コンピューター」を作るのです。


こうして生み出されたのが PC-100(1983)。

当初計画では、マウスでグラフィックを操ることで操作するOSを搭載する予定でした。


…が、依頼されたマイクロソフトで開発が難航し、納期に間に合いません。

本来は Windows 1.0 が搭載される予定でしたが、急遽普通の MS-DOS マシンとして発売されます。


PC-100 は、グラフィック高速化の仕組みなどが搭載されていて、非常に高価なマシンでした。

しかし、できることは PC-9801 と同じ、MS-DOS マシンとして発売されたのです。


シリーズは続かず、すぐに終わった不遇の機種でもあります。




他に、PC-6001 の上位互換期である、PC-6601 シリーズもあります。

PC-8001 もそうですが、上位互換期が登場しても、廉価機種としてシリーズが続く、というのが悩ましい。



PC-6001、PC-6601、PC-8001、PC-8801、PC-9801 。

NEC では、主にこの5つのシリーズが展開され、1980年代中期には「月刊NEC」とすら言われるようになります。


大体、半年ごとにマイナーチェンジした新モデルを出すんですね。

5機種あるから、それだけでも本当に、ほぼ月刊ペースになる。


そこに加えて、PC-100 とか、PC-8201 とかの「非互換機」もでる。


選択肢が多いのは良いことなのですが、いつ買ってもすぐ新機種が出て自分の愛機が古く見えてしまう、というのは悩ましいものでもありました。


#1990 年代に入ると、PC-6001などが無くなる代わりに、PC-H98 や PC-9821 など、別のシリーズが増える。




PC-8001 は、マイクロソフトのBASICを採用しました。

これ、国内では最初の MS-BASIC 。

以降、MS-BASIC が大きなシェアを持ちます。


PC-9801 では独自 BASIC を使ったけど、あまりにも互換性が高かったために著作権違反の可能性が指摘され、MS にライセンス料を払っている。



PC-8801 の時代、OSというのは特に存在しませんでした。

ディスクがあっても、フォーマットはアプリごとにバラバラ。

PC-9801 になっても、その時代に倣ってOSなんて存在しない、という状態がしばらく続く。


実はアメリカでも似たような状況でした。

IBM PC は PC-DOS(MS-DOSのOEM)が標準 OS でしたが、独自OSを使うようなソフトも多数。

だって、独自フォーマットにしないと簡単にプログラムをコピーされちゃうじゃん。



西和彦が思い切って「MS-DOS のOS部分だけなら無料で配布してよい」とソフト会社に持ちかけたことから、MS-DOS が急に標準OSとなっていきます。

実は PC-9801 がきっかけ。


すでに書いた通り、Windows も元々は PC-100 のために予定されたものでした。

マイクロソフトが躍進した裏には、たびたびNECとの関係があります。


だから、ビル・ゲイツはNECに特別の親近感を持ってくれていた。

1998 年の「Windows 98」の発売の際は、NEC の PC98-NX で Windows 98 を動かそう、というキャンペーン、「98で98」をやってくれた。


もっとも、PC98-NX は PC-9801 の互換機ではなく、名前だけを引き継いだ PC/AT 互換機。

(実は、PC/AT 互換機としても完全互換ではない)




今ではパソコン事業はすっかり縮小してしまった感じですが、汎用機・スーパーコンピューターではまだすごいです。

地球シミュレータとか、NEC製だからね。



そもそも、アメリカ以外の国が作ったスーパーコンピューターが世界最速になったのは、NECのSX-2が最初。


SX-2の設計者の一人が、後にV60設計の一人で…という話題は、過去に書いたので、興味ある方はそちらを読んでください。



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02年 冷蔵庫に乾杯

14年 続・世界初のMML


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エジホン探偵事務所  2015-07-17 17:32:02  今日は何の日

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この年は 7月にまとめていくつかソフトを出していたようです。

まぁ、夏休み前だから投入タイミングではあった。


「エジホン」は、Popteen という女子高生向け雑誌で人気のあったページ。

単行本化もされています。


絵の中に字を入れている。絵に対してお話が書いてある「絵本」ではなく、絵の中に字が入った「絵字本」というわけです。


絵は毎回有名アーティストが書いたもの。字は基本的に同じ1字をちりばめてあるのですが、1つだけ「似ているけど違う字」が入っています。


「金」の中に「全」がはいっていたりね。



まぁ、確かに面白いのですが、これを「ゲーム化」と言われて、割り振られた企画者は頭を抱えました。

雑誌の1コーナーとしては十分だけど、100円払ってもらうゲームになるのでしょうか?




企画者は同期で、割り振られたプログラマも同期。デザイナーも同期でした。

つまり、簡単そうなゲームだから若手だけで作れ、ってそういうことですね。


#絵が中心のゲームなので、後からデザイナーは増強されベテランも入りましたが、中心となったのは同期


でも、企画者は上手に「100円の価値があるゲーム」を作り出した。

今でも「結構好き」という人は多いゲームです。



まず、元は「本」だから、間違っているところは常に同じ。

テレビゲームなので、遊ぶたびに間違っているところが変わるようにしました。


とはいっても、絵に溶け込んだような手書き文字が多いので、完全に自由に変えられるわけではない。

1枚の絵について5か所位づつ、間違いの場所が変えられるようになっているだけ。


ゲーム自体の難易度は低めなのですが、2人プレイで競うのが楽しいようにしました。

間違いを見つけたら、カーソルを合わせてボタンを押すだけ! という簡単操作なのですが、このカーソルが「ぶつかる」のですね。

相手にぶつけて邪魔したり、単純に見つける以外の部分でテクニックを要求される。


そして、ゲームの合間にミニゲームが入っています。

こちらは、タントアールのような単純なミニゲーム。


AM1研はタントアールで、「ミニゲーム集」の先鞭をつけた部署です。

でも、実はタントアールって、相手との直接的な対決はありません。


タントアールは「パズル&アクション」です。

直接対決するようなものではなく、時間内にパズルが解けたかどうかを競うだけ。

それでも十分盛り上がるのですが、エジホンは、先に書いたようにカーソルがぶつかったり、ミニゲームでも必ず「勝敗」が決まったり、直接対決の色合いを濃くしています。


エジホンはその「気軽さ」でタントアールと良く比べられるのですが、違った面白さを求めた作品でした。




完成したゲームが「エジホン探偵事務所」。

Youtube に実況ムービーがあったので、引用させてもらいます。



上のムービーを再生するとデモ画面から始まるのだけど、このデモの「絵柄が怖い」という人多数。


企画者によれば、元々単行本に載っていた絵が個性に溢れすぎていて、それらをまとめるキャラとしては「どれよりも濃いもの」を必要とした、とのこと。

そのために、何か濃い絵柄のタッチで絵を描いてみて、とデザイナーに頼み、デザイナーはまずデモ画面に出てくる絵を油絵で描いてみた…と言うところから始まった模様。


#何度も書きますが、直接知っているわけではないので多少間違いがあるかも。


テモナ君、メル子ちゃん、ラフランチ・モショ郎先生…って、名前も謎すぎる。


モショ郎ってフランス人? と企画者に訊ねたことがあります。

ラフランチ、って名前がそれっぽかったし、金髪だし。


「え? どう見ても日本人に決まってるじゃん!」と、明確な答えが返ってきました。

どう見ても、って、分からないから聞いたのだけど。


いや、コイツのセンスは好きなのだけど、いつも常人には理解しがたい設定を持ってくる。


デカリスの人です。




ゲームシステムが大体完成したところで、本から画像を取り込んで、修正したりする作業は多くのデザイナーが参加します。


そして、デザイナーの何人かは、オリジナルの絵も描いて入れました。

「エジホン」の絵はどれも個性的なので、思いっきり自分の絵柄を出してよい、という条件で。


この時、ファイナルアーチにも参加したデザイナーの先輩のオリジナル絵柄を初めて見ました。衝撃だった。

男らしい人なのだけど、すごくかわいらしい絵を描くの。

ネットで多少人気のある絵師(当時はこの言い回しは無かったけど)だった、と後で知りました。




エジホンが後のサターン版では「ゲームウェア」という雑誌に入れられた、というのもまた有名な話。


なんか、サターンをメディアとする雑誌を作りたい、という相談があって、部長が「自由に使っていいよ」と快諾してしまったんですね。


企画者は、サターン版が発売されると思っていたので、ちょっとかわいそうだった。


でも、結果的に多くの人に遊んでもらえたのかな。

「雑誌」という扱いで、単体発売するより安くできたから。



ゲームウェア、エジホンが遊びたい人が結構買ってくれたようで、売れたようです。

でも、第2号は全然売れない。エジホンが入ってなかったから。


そこで、急遽エジホンは「連載」となります。

3号以降、絵を差し替えて発売されたようです。


でも、こちらは元ゲームの開発者はノータッチ。


エジホンが好きな人のページによれば、1が一番面白い、とのことで、やっぱ企画者の手元を離れて、別の作業者が絵を差し替えるだけでは魂が入っていなかったのかもしれません。



さらに、セガカラ…サターンを使ったカラオケシステムにもおまけゲームとして作られています。

こっちは、元ゲームの開発者が作業していましたよ。


「マイクを奪い合うゲーム」を入れただけだけどね…

本編にあった、賞金を奪い取るゲームのキャラクター変えただけね (^^;




余談:


ラフランチ・モショ郎先生は、初級編ゲームの最後で謎の踊りを踊っています。


初めて見た時に、「なに? この変な動き」と言いながら動きを真似したら、企画者にとても驚かれます。


「人にはできない奇妙な踊り、ってリクエストして描いてもらったのに、完璧な動きだ!」と。


そして、僕は「ラフランチ・モショ郎を名乗ってよい」と企画者から公式に許可を与えられました。

一度も名乗ったことは無いけど。



2016.11.27追記

サターンを十数年ぶりに引っ張り出して、エジホンを遊びました。

で、急に思い出したので追記。


エジホンでは、プレイヤーは間違いを探すカーソルを動かします。

このカーソル、探偵が使う拡大鏡(ルーペ)という設定なのだけど、1P側のカーソルは「アヒルーペ」という名前だった。


…どうみても、アヒルではなくてヒヨコなんだけど。

上に書いた通り、謎のキャラ設定をしてくる奴が作ったゲームなので、こんな部分も意味不明。


ちなみに、この名前は企画者が設定していただけで、多分どこにも公表されていない。



2P側はお花(チューリップ)なのだけど、この名称が思い出せない…

誰かご存知の方(公表もされてないのに)いましたらご連絡ください。


2018.10.15追記

webarchive に企画者本人が後で語った話が残ってました。


画像は一部しか残ってないけど、虫眼鏡の名称は「アヒルーペ」と「ムシメガネコ」だったようです。

ただ、これは企画書段階ですね。この段階ではちゃんとアヒルだし。


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レイ・ドルビー博士 命日(2013)  2015-09-12 10:28:28  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、レイ・ドルビー博士の命日(2013)


ドルビー…っていうと、カセットテープを知っている世代には、なんかカセットテープの音質をよくするあれね、という記憶があると思います。

その後多くの音響技術を作り上げるのですが、あの「カセットテープのシステム」がドルビーが世界的に有名となったきっかけ。



今更覚えている人がどれくらいいるかわかりませんが、その昔、テープレコーダーの時代には、独特の「高音域のノイズ」が入りました。

高い音で、サー…っていう雑音が入るのね。



原因は、テープを動かしているため。

テープには磁性体が塗られていて、この磁性体の磁場を変化させることで記録を行います。


磁性体は、小さな磁石です。

テープが動けば磁場が動く。これを読み取って再生するのですが、「何も録音されていない」ときでも、磁場はかすかに動くのです。

これにより、高音域のノイズが生まれます。


#この、テープ由来のノイズを「ヒスノイズ」と呼びます。

 テープ由来でなくても、同じような音はヒスノイズと呼ばれるけど。




もう一つテープ時代特有の技術話を。

テープレコーダーは、全周波数を均一に記録できるわけではありません。


テープを動かすことによる「磁場の変化」で記録を行うので、低周波数になるとこの変化がゆっくりになりすぎて、記録が弱くなります。

また、テープの動く速度に比較して、早すぎる動き…高周波数の音も、うまく記録できず、記録が弱くなります。


もともと、テープレコーダーは人の声を記録することを前提に開発されました。

そのため、人の声の周波数はきれいに録音できますが、それよりも低かったり、高かったりすると記録が弱くなる性質があるのです。



そのため、テープに音を記録し、再生すると、音が歪みました。

これは先に書いた高周波ノイズとは別の問題ですが、テープレコーダーの難点でした。




どちらも、テープレコーダーの原理上「仕方のないこと」でした。

でも、ドルビー博士はこれをどうにかしたかった。1966年に、ドルビー・ノイズリダクションシステムを完成します。

両方の問題を一挙に解決する、素晴らしいアイディアでした。



高音域は、記録が弱くなってしまうので、あらかじめ高音域の音だけ大きくしたうえで録音します。

再生する際には、読み取ってから音を小さくして、再生します。


これによって、記録の弱さを補えます。同時に、高音域で勝手に発生してしまうノイズも、「小さくして再生」するので軽減できます。



基本アイディアはこれだけ。

低音域も音を大きくして記録したり、いろいろな微調整があり、音質が明らかに向上しました。



当初は、映画などに使用される音響技術として使われ始め、のちには民生用のコンパクトカセット(いわゆる、カセットテープ)でも使われています。


#映画用と民生用では、多少技術内容は異なります。




ノイズリダクションシステムを皮切りに、ドルビーサラウンド、ドルビーデジタルなど、ドルビー博士は時代の求める音響技術を次々と開発していきます。



パソコン用にドルビーデジタルが出てきたころ、僕は「ドルビーといえばヒスノイズ軽減」と思っていたので、テープの存在しないパソコン音源になぜドルビーが? と思いました。


これ、音声圧縮システムなのね。mp3 などと同じ。

ac3 がドルビーデジタルを意味していて、5.1 チャンネルサラウンド。

左右だけでなく、センター、後ろ左右、低音用サブウーファーの音声を同時に記録できます。



ドルビーサラウンドは、ステレオ 2ch で、後ろスピーカーから出す 3ch 目の音も記録する技術。

ステレオスピーカーでも問題なく再生でき、スピーカーを増やすと迫力が増すため、広く使われました。


のちに改良され、ステレオ音声記録で、5.1ch 再生まで可能になっています。




テープ時代のドルビーは、ノイズを低減する代償として、音が少し歪む、という問題もありました。

パソコンのプログラムを記録する際は、ドルビー機能を使わないことが推奨されたものです。


#パソコンのプログラムを、1200Hz / 2400Hz の「音」で 0/1 を表現して、カセットテープに記録していた時代があったのですよ。


ドルビーサラウンドも、ステレオと互換性を持つ記録で 5.1ch 再生できる、というメリットはありますが、もちろん最初から 5.1ch を記録するのに比べると音は悪いです。



ドルビーデジタルも、圧縮形式としては初期のもので、今となっては後発の dts のほうが音質が良い、と言われます。


ドルビーの技術は、音質を良くしようと作られているものが多いのに、「音が悪い」といわれやすい。



ドルビー技術は、最初の制約の中で、工夫によって音質を上げようとするものが多いです。

制約自体をなくして、後から作られた技術に劣るのは当然。

そこと比べて悪口を言うのは簡単だけど、現実問題として存在する制約をクリアできるドルビーの技術は、広く使われていることが多いのです。


ドルビー博士はすでに亡くなりましたが、研究所とスタッフは活動を続けています。

これからも、音響の新技術を開発し続けるのでしょう。


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山内溥 命日(2013)  2015-09-19 14:23:20  今日は何の日

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今日は山内溥さんの命日(2013)


任天堂の中興の祖です。

花札の会社から、トランプやテレビゲームの企業にした人。


亡くなった翌日に追悼文を書いていますので、詳細はそちらをお読みください。

追悼文は「翌日」に書かれていたため、この記事は「命日」を記録することが目的。



また、11月7日の誕生日にも記事書いてます。山内博さんとして。

生まれたときは博だったけど、60歳で溥に改名しているんですよね。




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任天堂の創業日(1889)  2015-09-23 10:41:27  コンピュータ 今日は何の日

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今日は任天堂の創業日。


会社が設立されたのは、1947年の11月20日です。

でも、会社組織化する前に、個人経営の山内房治郎商店で「任天堂」という屋号を使っていました。


#屋号とは、商売上の名前のこと。正式な名前とは別の通名。


その山内房治郎商店を創業したのが、1889年の今日。

テレビゲームで有名な会社としては、100年以上の歴史を持っている会社はそう多くないと思います。




安土桃山時代、トランプが日本に渡来します。

ポルトガル経由で渡来したため、ポルトガル語をそのまま使って「カルタ」と呼ばれます。


#トランプ、カルタ、という名前の由来も面白いのだけど、ここでは割愛。



ところがこのカルタ、賭博性が強くて、仕事もせずにカルタにのめり込む人がたびたび出た。

それでは困るので、何度も禁制品にされています。


「何度も」というのは、つまり禁止しても誰もやめないから。

禁止しても禁止しても、みんなカルタを遊び続けるのです。


ついには、カルタが禁止されれば似たような別の遊びを考えて禁制令をかいくぐる、という始末。


花札はこうしてできたもので、カルタの特徴として「数字が書いてある」という指定があったために、数字をなくしたものです。


でも、12か月を想像させる季節の絵柄を書き、各絵柄が4枚で構成されます。

つまり、現在の13枚*4種類のトランプと、ほぼ同じものなのです。


そして、江戸時代には花札も禁制品に加えられるようになります。




さて、任天堂こと山内房治郎商店を創業したのは、山内房治郎さん。

ファミコンを発売した時の任天堂社長、山内溥氏の曽祖父に当たります。


元々浮世絵などの版を作り印刷を行う、木版工芸家です。

江戸時代には珍しくない職業。


ただ、彼はこっそりと、禁制品の花札を作り続けていたようです。

いわゆる日陰者。でも、欲しがる人がいれば作る人も必要なのですね。



江戸時代、花札は禁制品とはいえ、需要がありました。

普通に流通しているし、幕府もそれに気づいているのだけど、お目こぼしがあった。


これ、裏には平和すぎた江戸時代ゆえの弊害があります。


当時、家は長男が継ぐものだった。…まぁ、継ぐほどの「家」があるのは、たいてい武家です。

でも、子供は多数います。次男、三男は普通にいる。


平和でない時代なら、武家は戦うのが仕事ですから、いつ長男が死ぬかわからない。

次男、三男であっても家をいつでも継げる覚悟でなくてはなりません。


ところが、江戸、特に末期は平和すぎた。

次男三男はやることがありません。主君を持てない浪人も多く、毎日を無為に過ごす状態。


将来家を継げないことがわかっているなら、何か仕事を始めたりできるとよいのですが…

身分社会でもあり「武士の子が商人になるなど家の恥」とされ、許されません。



結果、生活費は長男から十分に与えられ、将来のあてがあるわけでもなく、何かを始められるわけでもなく、ただ家の恥にならないように過ごしてくれ、という生殺し状態にされるのです。



で、こういう人が行きつくのは、賭博場。

生活費は十分にありますし、自分が苦労して稼いだものでもないので、どんどん賭博にお金をつぎ込みます。


さて、話を花札に戻すと、賭博場に花札はつきものでした。

これを本気で取り締まると、賭博場が存続できません。すると、武士の次男三男の欲求不満を解消する手立ても失われます。

もし彼らが、世の中への不満を募らせて暴徒となれば、江戸幕府にとっても危機となります。


…こんなわけで、賭場や花札は「必要悪」で、存在は明らかでありながらも、お目こぼしがあったのです。



花札が欲しければ、天狗のお面を看板としているお店に行けば入手できました。

天狗の「鼻」で、「花札」を意味しているのです。


任天堂の名前の由来は、賭博の結果を「天に任せる」という意味でもありますが、天狗の天でもあるようです。




明治維新が起こり、江戸時代の制度が見直される中で、カルタやトランプに対する禁制も 1886年に解除されます。


花札職人は日陰者ではなく、堂々と花札を売ることができるようになりました。

その3年後の今日、山内房治郎商店が創業されます。



詳細、および創業後の歴史は、「任天堂の会社設立日」に書いています。

そちらも併せてお読みください。



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パラケルスス 命日(1541)  2015-09-24 12:29:57  今日は何の日

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今日はパラケルススの命日(1541)。


多くの人にとって、誰それ、って人ですね。死んだのが16世紀ですから、コンピューター関連ではないです。

でも、ゲーム関係ではあるかな。

RPGなんかで出てくる魔物やアイテムなどの元ネタは、結構パラケルススの研究から引用されているのです。



僕が中学から高校の頃って、ドラクエなどのRPG全盛期。

D&DやT&T(いずれもテーブルトークRPG)でもよく遊んだし、こうしたファンタジー世界が大好きでした。



ちなみに、「パラケルスス」は、本人が名乗っていた通称。


「ケルスス」は紀元前ローマの名医の名前。

「パラ」は、超えるという意味です。


パラケルスス、で、伝説の名医を超える、という名前なのです。


本名は、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムだったようですが、正確にはわかっていません。




実際には、医学に革命をもたらした人…のようです。

それまで伝承として伝わってきた薬の効能を追確認し、効能がない薬を排除し、それまで使われていなかった「鉱物」を薬として使い始めました。


特に、鉱物を薬として使用する際、1つだけを使用するのではなく、数種類を混ぜて科学反応を起こします。

「植物の持つ生命力によって治癒する」というような考え方ではなく、「病気に効く薬を精製する」のです。


水銀とかヒ素とかも薬に使っています。

もちろん毒性を持ちますが、毒だからこそ病原体を殺し、治癒もします。


彼は、それが毒であることも十分承知していましたが、「服用量が毒を作る」と考えていました。

わずかであれば薬となり、多すぎれば毒となるというのです。


これは当時としては全く新しい考え方でした。

現代の薬も、この考え方の延長上にあるため、「用量用法を守る」ことが徹底されます。


病気の原因についても、当時一般に信じられていた「体液のバランスが崩れる」というものを否定し、星の影響(医療占星術)を提唱していますが…まぁ、これは現代的に見ればどちらも間違っている。




他にも、四元素説に代わる三原質説を唱えています。

四元素(火・風・水・土)を否定するものではないが、これらはもっと基本的な三原質(硫黄、水銀、塩)から作られている、というのです。


特に、パラケルススは水銀を「宇宙の始原物質」と考えました。


これ、四元素説よりはよっぽど「科学的」な根拠があります。

錬金術は金の精製が最終目標ですが、水銀は金を精錬する際に使用された物質でした。


その水銀は、辰砂という鉱物を熱し、発生する蒸気を冷やすことで取り出せます。

辰砂は硫化水銀なので、硫黄も一緒に生成されます。


このように取り出した水銀は液体金属で、硫黄は有毒な二酸化硫黄ガスとなります。


しかし、反応時に塩を入れておくと、水銀は塩化第二水銀となり粉に、硫黄は硫化ナトリウムとなり、透明な結晶になります。

これらは、また混ぜたり熱を加えたりすることで、元の水銀や硫黄ガスに戻せます。


つまり、この「三原質」は適当に決められたわけではなく、金と反応しやすい水銀と、さらに水銀と関連の深いものが選ばれているのです。

この点で、根拠がない四元素よりも科学的です。


もっとも、それらが「宇宙の根源物質」かといえばそうではない。

当時の知識だから、今から見ると間違ってる。


でも、それはこの際問題ではありません。

その時の最新の知見を用い、過去に正しいといわれていたことを疑い、再検証する、という方法を確立したことがすごいのです。




ただ、四元素は紀元前から信じられている説で、パラケルススも完全否定はしていません。

三原質の作用で四元素が作られる、としたうえで、この四元素には、それぞれをつかさどる精霊があるとします。


火のサラマンダー、風のシルフ、水のウンディーネ、土のノーム。


これまでの「四元素」は単に物質だったのでが、パラケルススによってそれらに人格が与えられたのです。


#化学的に基本物質として認めがたいが、昔から信じられているものを否定するのも難しいので、精霊という「心の問題」に切り替えた、というべきか。



ちなみに、パラケルススは「錬金術師」といわれますが、金を作ろうという考えはあまり持っていません。

しかし、錬金術の手法で万病に効く薬を作り出せると考えていて、その薬を「賢者の石」と呼んでいます。




さて、ゲームなどに登場するパラケルスス。


まずは、上に書いた四精霊。ファンタジーの世界観には欠かせません。


「賢者の石」も、ファンタジーではよく出てくるアイテムです。

ハリーポッターの第1章も、サブタイトルは「賢者の石」でした。



医学の改革者であり、生命の謎にも興味があったようで、彼が「人工生命」を作り出した、という伝承があります。


著作物に作り方が書いてある、とされるのですが、ちょっと眉唾。

というのも、彼は実地の知見を求めて各国を放浪した医師であり、生前に本など書いていないためです。


もっとも、膨大な文書を残したのは本当のようです。それらは死後、整理され、出版されました。

ただ、この際も「パラケルススの著作だ」と騙った偽物が多数出版されているのですね…


ともかく、この人工生命、ホムンクルスと呼ばれます。

人間の精液をもとに作るとされていて、最終的には人間の赤ちゃんに育つものの、大きさは非常に小さく、フラスコから出すと死んでしまうようです。


ホムンクルスは「小さな人間」として、ファンタジーでは時々見かける魔物。



パラケルススが Azoth と書かれていた剣を持っていた、という伝承があります。

この言葉、意味も発音も不明。


ただ、後の錬金術師が「アゾット」と読むことにして、意味を「A から Z」つまり、始まりであり、終わりである、の意味と解釈しています。


これ、パラケルススがそう言ったり書いたりしたのではなく、彼の死後別の人が解釈しただけ、というのがみそ。

だから、もっと違う意味だという諸説にあふれています。


さらに、剣の柄には宝石が埋め込まれていたとか、その宝石こそが「賢者の石」だとか、剣の中に使い魔を封印していたとか、いろいろな伝説が入り混じっています。


謎が多いからこそ、想像の入り込む隙がある。

パラケルススの持っていた剣は「アゾット剣」と呼ばれ、ファンタジーのアイテムとして登場することがあります。



#剣ではなく杖だという説もある。蛇の巻き付いた杖が、医療のシンボルだからだろう。

 でも、アゾット剣を携行していたのはパラケルススが軍医をしていた時代だというので、剣でいいのではないかと思う。




…鋼の錬金術師は読んでないからよく知らない。

錬金術、という世界観をテーマにしているだけに、パラケルスス関連のものたくさん出てくるみたいだけど。

(この文章書くために調べものしていて、時々引っかかる…)



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シーモア・クレイ 誕生日(1925)  2015-09-28 10:01:46  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、シーモア・クレイの誕生日。


スーパーコンピューター、という名前を広めた、CRAY-1 (1975)の設計者です。


彼の業績については、命日に書いているので、そちらを参照してください。




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デイブ・アーンソン 誕生日(1947)  2015-10-01 14:22:11  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はデイブ・アーンソンの誕生日(1947)。


ロール・プレイング・ゲーム…いわゆる「RPG」を考案した人です。

RPG、いろいろと形は変わっていますが、今でも人気のゲームジャンルの一つです。




アーンソンが考案したのは、ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ、いわゆる「D&D」というゲームです。

発売されたのは 1974年。


RPGは1980年代前半のアメリカでは人気のゲームで、1982年の大ヒット映画「ET」の冒頭でも、子供たちが遊んでいます。

この時代ですので、コンピューターゲームではない。よく「ボードゲーム」とされるのですが、いわゆるボードゲームとも違う。


愛好者からは、テーブルトーク、と呼ばれています。

テーブルの周辺に集まって、お話をするゲーム。



お話をすることの何がゲームなのか、知らない人には理解されにくいのだけど、ちゃんとルールがあり、ゲームとして成立しています。


まず、遊ぶ人は、プレイヤーとマスターに分かれます。

マスターは一人で、それ以外がプレイヤー。プレイヤーが2~4人くらいいると楽しいです。


マスターは、プレイヤーに状況を説明します。

「シナリオ」として販売されているものもあるけど、基本的にはマスターが自由にお話を考えていい。



 薄暗い森を進んでいくと、そこに一軒の小屋がたっていた。

 小屋の隣に炭焼き釜があり、その前には薪が散らかっている。

 小屋にはかぎが掛かっており、人のいる気配がない。


さて、こんな状況が説明されて、プレイヤーは自分がどのように行動するかをマスターに伝えることになります。


窯を調べてみてもかまいませんし、小屋のカギを開けられないか試すこともできます。

小屋の主が帰ってこないか、夕暮れまで待ってみてもよいでしょう。


いずれにしても、マスターはプレイヤーの選択の結果を伝えます。

ただお話を読んでいるのではなく、プレイヤーは自由な行動をとれますし、マスターもそれに対応して、臨機応変に受け答えます。


おそらく、マスターは大きな話の流れを準備しているでしょうが、細かな部分は決めていません。

その場のアドリブで決まっていきます。それがゆえに、どんな突拍子もない行動に対しても対応できるのです。




でも、これだけだと想像でお話を作って「ごっこ遊び」しているだけで、ゲームではありません。


プレイヤーは自由に行動できる、と書きましたが、実際には制約が付きます。

その制約は、役を演じること。あらかじめ、プレイヤーは、その世界の中でどのような人物を演じるのかを詳細に決めてあり、その人物ならそこで何を行うか…という観点で動かなくてはなりません。


人物の「詳細」は、すべて点数化されています。筋力の強さ、頭の良さ、すばしこさ、器用さ、魅力、運の良さ…などなど。

頭が悪い人物を演じるのであれば、プレイヤー本人が罠に気づいたとしても、あえて気づかずに罠にかかる、というような行動も必要です。


「役を演じる」という、プレイヤーとマスターとの間の了解により、マスターはあらかじめ「あの人物ならここでこういう行動をとるだろう」と予測してシナリオを準備することができます。

全員の協調作業によって、マスターが用意したお話を楽しむ、というのがテーブルトークの一番重要な点です。


「役」は英語で「ROLE」(ロール)、役を演じるは「ROLE PLAYING」(ロール・プレイング)。

それを目的としたゲームなので、ロール・プレイング・ゲームなのです。




ところで、行動をする際に、役を演じる以外の制約がまだあります。


先の状況説明で、プレイヤーの一人が「カギを開けてみる」と宣言したとします。

じゃぁ、開いたかどうかを、その人の器用さで確かめてみましょう。


先に「器用さ」などが数値化されている、と言いました。大きい数字ほど「器用」だということです。

プレイヤーがさいころを転がして、器用さの数字よりも小さければ、カギ開けに成功することにします。


器用な人物ほど、カギを開けやすいわけです。



でも、さいころで決まるなら、ダメもとで試してみても…


プレイヤーがそんな考えを持っていたら、マスターは失敗した際に「不器用にカギをいじったから、カギが壊れて絶対に開かなくなってしまった」など、制裁措置を返すことだってできます。


不慣れなプレイヤーは「役を演じる」ことの意味が分からないかもしれません。

しかし、上手なマスターが、このような形で適切にプレイヤーに「余計なことはしないほうが良い」ことを教えていけば、そのプレイヤーも本来の楽しみ方をできるようになります。




これが、テーブルトークの楽しみ方。

はっきり言って、マスターの技量がゲームの面白さを大きく左右します。


僕は高校生の頃に友達と遊んでいて、マスターは最初は持ち回りでやっていたのだけど、僕は良いマスターではなかった(笑)

とても上手にシナリオを作り、マスターをやる奴がいたので、最終的にはそいつがマスターをやる、という形に落ち着きました。



非常に細かなルールがあるのだけど、それらはマスターだけが知っていれば、とりあえず大丈夫。

マスターはこの世界の「神」なので、あえてルールを逸脱することだってかまいません。


大切なのは、みんなでお話を楽しむこと。ただの「ごっこ遊び」に終わらせないために、そのほかのルールがあるのです。




話をデイブ・アーンソンに戻しましょう。


D&Dよりも前、1960年代には、ウォーシミュレーションと呼ばれるゲームが流行していました。

六角形のマス目に地形を設定して、そのマス目の上を駒を動かして戦うゲーム。


誤解を恐れずに言えば、将棋を複雑にして、できるだけ現実に近づけたものです。

ここでも、戦闘の際にはさいころを転がして勝敗を決定したりします。


同じころ、ファンタジー小説の「指輪物語」も流行しています。(シリーズの発刊は1941~1950年代半ば)

イギリスの作家トールキンによる作品で、ヨーロッパ各地に残る伝承などをまとめ、体系化し、あいまいな部分を規定し、架空の国の物語として、空想的でありながらリアルにまとめ上げたお話です。


たとえば、「オーク」といえば、恐ろしい小鬼、という程度の伝承しかありませんでした。

指輪物語の中では豚の顔をしていて背の高さは人間と同じくらい、軍隊を組織して戦うが、知能はそれほど高くない…というように、細かな設定がなされています。



この細かな設定は、ゲームの格好のネタでした。

アーンソンの友人、ゲイリー・ガイギャックスは、ファンタジー世界で、大軍勢を率いて戦うウォーシミュレーション、というゲームを試作します。


しかし、アーンソンはウォーシミュレーションに問題を感じ…つまりは、飽き始めていました。

両軍を動かし、そこかしこで起こる小さな戦闘をひとつづつサイコロを振って処理し、特殊状況でのルールを間違いなく適用し…

ウォーシミュレーションは、1回遊ぶのに2~3日かかるような場合も多く、気軽に遊べるものではありませんでした。


アーンソンは、大軍勢を動かすのではなく、プレイヤー1人が、ゲーム内の1人の人物のみを受け持つ、というゲームを提案し、ガイギャックスとともにルールセットを作り上げます。


2つの軍が戦うと、不公平がないように厳密にルールを適用しないといけません。

でも、プレイヤーはみな仲間で、共同で危機を乗り越えるような形式であれば…



当初は「戦闘」のみを楽しむ形だったルールが、お話の中で戦闘がおこる形に代わって行き、やがてはお話が重要となっていきます。


こうして出来上がったのが、D&Dでした。


D&Dは、特殊なさいころを多数使います。4面、6面、8面、10面、12面、20面のサイコロが必要。

ルールブックと、これらのサイコロ、キャラクターの詳細数値などを記入する紙、マスターの手元(シナリオが置いてあるでしょう)を隠すためのついたて…など、いくつかのアイテムが箱に入れられていました。


はっきり言えば、さいころもキャラクターシートもついたても、そこら辺のもので何とかなる。

ルールブックは必要だけど、大体覚えてしまえば何とかなる。


D&Dって、買わないでも遊べたわけです。でも、買うとかなり高かった。当時1万円近かったのではなかったっけ。


それほど売れるわけではないので、扱っているおもちゃ屋さんまで、電車に乗っていったりしました。


#僕は買わなかったけど、友人が買うのにつきあった


基本セットを購入しても、シナリオを作る、というのは能力が必要で、誰もができるわけではありません。

これらは、別売りの追加セットとして発売されています。


マスターの能力が面白さを大きく左右するゲームですが、初心者マスターでも最初は市販のシナリオを使いながら学べるのです。

これがまた、高いんだけどね。



#今では、D&Dも一部が無料配布されています

 プレイヤー向けの簡易ルールブックとか、試しに遊んでみたい人向けの初心者向けルールとかだけど。




D&Dの大ヒットで、類似ゲームもたくさん出ました。


高校時代には、T&Tもよく使いました。トンネルズ・アンド・トロールズ。


D&Dが「竜と地下迷宮」なら、こちらは「鬼と坑道」ですね。


先に書いた通り、D&Dは高かった。

でも、T&Tは、普通の本屋で流通できる「ルールブック」一冊あれば始められます。


あとは、普通の6面さいころがいくつかと、キャラクターの数値を記入するメモ用紙があればいい。


MSX の HALNOTE でキャラクターシート作って、感熱プリンタで印刷して、コンビニでコピーして使ってましたけどね。




僕は「混沌の渦」のルールブックもってます。これもRPG。

T&Tと同じように、書籍扱いで売ってたので安かった。


内容はかなり変わっていて、16世紀イギリスが舞台です。

いちおう「剣と魔法の世界」でもあるのだけど、16世紀イギリスなので、魔法を使っているのがばれると魔女狩りにあったりする。


だから、派手な魔法は使えない。

盗賊がカギを開けるときに成功確率を上げる、とか、戦士の次の一太刀で相手に致命傷を負わせる、とか、確率操作が中心になる。


ダメージシステムも変わっていて、かすり傷がたくさんでも、深い傷が一つでも、同じように「痛い」のだけど、治りが違う。

翌日になるとかすり傷は全部治ってるけど、深い傷は正しく手当てしていないと悪化する。


職業も派手な「剣士」とかは少なめで、肉屋とか薬草師とか、そういうのが多い。

というのも、16世紀イギリスでは自由に旅をすることが禁じられていたから。


職人や商人は、必要性があるから旅が許可されていて、シナリオの都合上そういう職業の人々が中心になる。

ルールブックには、16世紀の知識による(現代的には間違っている)薬草の一覧などが載っていて面白い。


ファンタジーだから何でもあり、というのではなくて、すごく泥臭く、16世紀の人々の暮らしを追体験する感じ。

友達の間でこのルールでプレイしてみたら、不評でした。

想像の世界の中くらい好き勝手したいのに、させてもらえないんだよね。


でも、個人的には好き。




RPG幻想辞典には、巻末付録で簡単なRPGのルールがついていました。


この本は、ヨーロッパの神話、アーサー王伝説、指輪物語など、RPGのネタにされることが多いお話や、RPGに登場することの多いモンスター、武器、道具、魔法などを説明したもの。


特にテーブルトークでマスターをやる人には「必携」だった本ですが、単にファンタジーの解説本としても秀逸。

そして、ファンタジーから興味をもって、テーブルトークを遊んでみたくなったら、簡単なルールもついている、というよくできた構成。


他にも、こうした本はあったと思いますし、雑誌などでもオリジナルのルールを掲載することはありました。




D&Dを遊んだ様子を掲載する…という手法で書かれた小説(?)「ロードス島戦記」では、雑誌掲載時はD&Dを使用していたのですが、単行本発行時に、D&Dのルールをそのまま利用する許可が得られませんでした。


#詳細は知らないけど、ルールを知ることができる「書籍」を発売してしまうのは、D&Dの基本セットと競合するためかな?


そこで、「ロードス島RPG」という、オリジナルのルールが作られます。

単行本は、このルールに従って書き直したものになっています。


#ロードス島は、「誌上リプレイ」から始まって、小説、アニメなど、多角展開した。

 これも、最初に掲載された「D&Dのリプレイ」がよくできていたためだが、書き換えに伴って少し変わった部分などもあり、最初のものは当時の雑誌でしか読むことはできない。



後に、同じ作者による別のルール「ソードワールドRPG」と統合したそうです。


#統合前に、ソードワールドでは何度か遊んだ覚えがある。



…などなど。ほかにももっとたくさんあると思います。




混沌の渦のルールはそのままに、時代設定だけを「日本の江戸時代」に移した、時代劇の渦、なんて言うのもあった。


#混沌の渦を持っていることを前提に、違いだけを記す形で雑誌掲載された。

 僕は雑誌は持ってないので、詳細知りません。




さて、D&Dを元に、コンピューターで遊べるようにしたのが Wizardry


サイコロ転がしたり、計算したり…という面倒な部分をコンピューターがやってくれるので、ある意味テーブルトークより遊びやすくなった。


ただ、人間がマスターをやるような、柔軟な対応は無理。

迷宮を探索し、敵と戦闘する緊張感を中心としたゲームになりました。


戦闘は、本当に緊張するものです。ランダム性が高すぎるから。

たとえば、6面さいころ2個のダメージ…となっていたら、2~12と、最大値と最小値で6倍も差があります。

予測不能な部分があって、弱い敵との戦闘でも、必ず勝てるとは言い難い。


コンピューターRPGでは、「役割を演じる」という意味合いは薄れて、ゲーム中に主人公たちが成長するゲーム、という意味合いに変わったように思います。



ファミコンのドラゴンクエストでは、全然違う方法で戦闘などを計算していました。

詳細な方法は知らないけど、ランダムの影響が少なくなっていたので、戦闘で勝てる敵かどうかを判断しやすい。


そして、Wizardry ではカットされた「シナリオ」を、選択肢が非常に少ないものではありながら、実現しました。

(ドラクエが、ではなく、ウルティマがすでにやっていたのだけど、もっと上手にやった。)


日本では、RPGは「シナリオを楽しませる」ものに変化して、戦闘の緊張感などはどんどん無くす方向になったのですね。

戦闘で勝てなくても、同じところで粘っていればいつか主人公が強くなるので、時間さえあればだれでも先に進める。


これが、アクションゲームなどが苦手でもゲームは遊びたい層に訴求し、一時期は家庭用に発売されるゲームがRPGだらけになりました。


最近はこうしたRPGの「シナリオ」が大きくなりすぎて、遊ばないといけない時間が長くなりすぎたためにファンが減る傾向にあるようですが…



今でも、RPGはゲームの主要ジャンルの一つです。



#翌日追記

翌日はWizardryの話書きました。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

あきよし】 リプレイに関しては、すぐ後に「リプレイ」って言葉を出してしまっていますが、一般的ではない言葉なので「小説(?)」と表記しました。誤解を招きやすいかもしれないけど、リプレイの説明から入ると話の腰を折ってしまうので… (2015-10-02 17:28:25)

あきよし】 ROLE の綴り間違い、指摘ありがとうございます。修正しました。ROLLはさいころを振るほうですね。 (2015-10-02 17:27:27)

【m.ukai】 「ロードス島戦記」連載されていたのは「リプレイ」ですね。小説はリプレイとは別に(リプレイを下敷きにして)あります。 (2015-10-02 11:50:23)

【m.ukai】 ×roll ○role。 (2015-10-02 11:39:15)

アンドリュー・グリーンバーグの誕生日(1957)  2015-10-02 17:21:18  コンピュータ 今日は何の日

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今日はアンドリュー・グリーンバーグの誕生日(1957)。

Wizardry の作者の一人です。


昨日、RPGの発明者、デイブ・アーンソンの話を書きました。

彼の考えたD&Dは大ヒットし、多くの人が遊びました。




コンピューターの昔話から始めます。

まだ、パソコンが生み出されるずっと前の 1952年、アメリカのイリノイ大学で、ILLIAC I というコンピューターが作り出されました。


コンピューターの研究目的で作り出されたもので、高性能化の工夫が多数入っていました。

当時としては、非常に高性能のマシンです。



1960年、イリノイ大学は ILLIAC I を使い、大学内の教育用コンピューターシステム、PLATO を作り上げます。

当時のコンピューターは、パンチカードなどで入力を行い、タイプライタで結果出力するのが普通でした。


しかし、PLATO では学生が親しみやすいように、ブラウン管に文字を表示し、キーボードから操作することが可能です。



PLATO は段階的にバージョンアップされ、1972年には PLATO IV が作られます。


#IV はローマ数字の「4」。4番目のバージョンです。


これまでの機能アップで、文字だけでなく簡単な画像も表示できるようになり、複数人数が同時に使えるようになっています。

そして、簡易言語によってプログラムをすることが可能でした。


さらに、1970年代半ばには端末側がバージョンアップされ、Intel 8080 が搭載されます。

これにより、中央のコンピューターを使わず、端末だけでも簡単なプログラムが実行可能になります。



#PLATO もいつかちゃんと調べたいマシンの一つ。

 今のところ、通り一遍の知識しかないので、あまり偉そうに語れません。間違えてたらゴメン。




PLATO でプログラムを組める理由は、「教育ソフトを製作するため」です。

しかし、学生たちは競ってゲームを作り、楽しみました。


大学側はこうしたゲームを見つけると削除していたのですが、学生達はすぐにゲームを復活させてしまいます。



本当に数多くのゲームがあったようなのですが、「地下牢」(Oubliette)はアンドリューのお気に入りでした。

D&Dのルールを使ったコンピューターゲームで、3Dで描かれる迷宮をさまよい、モンスターと戦います。


ただ、「地下牢」では、探検する主人公は1人だけでした。

「役を演じる」ゲームであるRPGでは、一長一短ある仲間たちが、助け合う形で冒険するのも楽しみの一つです。


また、「地下牢」は大学でしか遊べませんでしたし、先に書いたように、時々大学側に消されてしまいました。

すぐに復活するとは言っても、復活したファイルを探し出すまでは遊べなくなります。


アンドリューは、「地下牢」を参考にしながら、もっと本物のD&Dに近い、奥深いゲームを、家でも遊べるように作ろうと考えます。



1980年、アンドリューがシステムを考え、友人であるロバート・ウッドヘッドが Apple II にプログラムをする形で、Wizardry が作られます。

大学の友人にも遊んでもらい、意見を反映し、速度を上げるために別の言語で書き直し…


1981年9月、完成度を高めたものが発売されると、このゲームは伝説級の大ヒットを記録しました。




D&Dは、主人公たちの視点…3Dで迷宮の中をさまよい、目的を達成するゲームです。

戦士、魔術師、僧侶、盗賊などでグループを作り、それぞれの能力を活かして助け合わなくてはなりません。


Wizardry は、常に「死」の恐怖と戦い続けるゲームです。

死んでしまうと、それまで育て上げたキャラクターは、無情にも消え去ってしまいます。


リセットすればやり直せる、というような甘さはありません。


道に迷うことも死につながるため、歩くだけでも気を抜けません。

戦闘でも、たとえ弱い相手でも、いい加減な戦い方はできません。



おそらく、このゲームが今発売されたら「クソゲー」と片付けられるでしょう。

遊ぶ人に対して、とことん不親切です。しかし、不親切だからこそ、世界を探検し、乗り越える楽しみがありました。

ゲームといっても、気軽に遊ぶゲームではなく、真剣勝負としてのゲームなのです。



後にシリーズ化されましたが、最初の Wizardry には「狂王の試練場」というサブタイトルがつけられています。


君主トレボーは、その圧倒的な強さから「狂王」と呼ばれ周辺各国から恐れられていた。

ところが、ある日トレボーの力の秘密であった、「アミュレット」(お守り)が盗まれてしまう。


盗んだのは、魔術師ワードナ。

ワードナは地下迷宮を作り上げ、その一番深い階層に姿を隠し、地下迷宮に魔物を解き放して守りを固めます。


トレボーは、アミュレットを取り戻したものに莫大な褒美を約束した。

この褒美を目当てに、各国から腕に自信のあるものが集まってくる。


プレイヤーもその一人として冒険を行う。


…主人公、金目当てに集まった冒険者で、伝説の勇者とかじゃない。

冒険者がたくさんいるから、そういう人を相手にする商売人も多い。非常にリアリティのある設定です。




ところで、トレボー(Trebor)は、プログラマのロバート(Robert)を逆に書いたものです。

そして、ワードナ(Werdna)も、システムを考えたアンドリュー(Andrew)を逆に書いたもの。


今では、ワードナって「大魔術師の名前」として時折使われます。

Wizardry がそれだけ影響力の大きなゲームだった、ということ。



その Wizardry 自体、冗談がたくさん入れられているゲームですけどね。

上に書いた名前もその一つだけど。


中世の世界観なのに、「サムライ」とか「ニンジャ」とか出てくる。

サムライが強くなると、「ミフネ」になる。(アンドリューは日本映画が好きで、三船敏郎のファンだった)


カシナートの剣(なんでもよく切れる、という宣伝のミキサーの名前から)とか、ボーパルバニー(殺人ウサギ。モンティパイソンのコメディから)とか、最初のシナリオでは出てこないけど、「聖なる手投弾」なんてのもある(これも、モンティパイソンネタ)。


状態異常や、死んだ時に最後の望みで復活を試みられる寺院の名前、「カント寺院」というのだけど、これだって冗談。

cant って、「偽善」の意味ね。人の弱みに付け込んで、高額を要求する寺院。



日本では、英語の冗談は理解されずに、そのまま訳されました。

冗談がわからないから、すぐ死んでしまう難しいゲームだということも相まって、すべてがシリアスな設定だと捉えられた。




Wizardry の一番の楽しみは…

というか、人それぞれに違う楽しみ方ができるゲームなのだけど、「アイテム探し」をした人も多いでしょう。


基本アイテムだけでも数多いのだけど、時々ランダムに「魔法がかかっている」ものが落ちるのね。

この魔法は、ランダムに +1 とか +2 とか、数字がつく。


D&Dと同じように、Wizardry では内部でさいころを振っています。

敵に与えるダメージも、6面さいころ2個、とかの数字。


するとどうなるか。6面2個なら、期待値は 7 です。これが +2 になっただけで、期待値が 9 になってしまう。3割近い性能アップです。


アイテムには出現確率があって、ただでさえ手に入りにくいものもある。

そこに持ってきて、魔法がかかっているというのはとんでもないお宝なのです。


ランダムだからこそ、終わりがなくていつまでも探し求めてしまう。

もう、余裕でワードナを倒せるようになっても、いつまでも遊び続けられるのです。



今でもこういうゲームありますけどね。

というか、Wizardry よりも昔からありますけど、すごく上手にゲームに組み込んでいた。




今でも、いろいろなところで Wizardry の影響を見ることができるように思います。


でも、初期のシリーズは権利が不明確で、再販とかリメイクとかできないらしいのね…



シナリオを作ったアンドリューは、その後弁護士になり、知的所有権が専門だそうです。

(IEEE知的所有権委員会の元会長でもあります)


その専門知識で、権利関係をなんとか解決してもらいたいものです。


#そんなに簡単にいかないから、今でも不明確なままなのだろうけど (^^;


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ヘイリー兄弟の誕生日(1949)  2015-10-08 13:21:01  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ショーン・ヘイリー、キム・ヘイリーの誕生日(1949)

双子で、HSPICE の開発者。…という説明で、わかる人はわかってくれるはず。


でも、多くの人はわからない。僕もわかってない(笑)

ちなみに、AMDで世界初の、セカンドソースではない「互換マイクロプロセッサ」を設計した人達でもあります。


とはいえ、あまりなじみのない人です。僕も今調べていて、すごい人だと知りました。




シノプシス、という会社があります。


僕はプログラマーなので、回路設計にはあまり詳しくないのですが、半導体の設計などの支援ツールを製作・販売している会社です。

半導体の設計支援ツールは、大手3社の寡占状態にある業界で、その最大手。


HSPICE はその会社が扱う製品の一つ。

半導体回路の構造を特別なプログラムの形で入力すると、回路のアナログ動作をシミュレーションできます。


…これ、すごいことですよ。

デジタル回路って、クロックに合わせて状態が変わっていくから、全体としてシミュレーションすることもそれほど難しくない。

でも、アナログだと、各所の電圧が複雑に絡み合いながら変化していきます。


時間に従って電圧などが刻々と変化するというのは、数学的に見れば微分・積分です。

でも、コンピューターはこれを「微小時間に区切って」扱うことしかできない。微分積分ではなく、差分・積算しかできないのです。


#連続・非連続か、の違いです。このわずかな違いが、大きな計算誤差を生む。


…昔、回路設計できる人に聞いたら、こういうプログラムはやっぱ完全なシミュレーションは無理なのだそうです。

でも、実際の回路を作る前にある程度シミュレーションできる、というだけでも設計効率が非常によくなる。



HSPICEでは、様々なテクニックで、実際の回路とのずれがあまりないように、シミュレーションする。

それも、正確性を求めすぎて遅くては使い物にならない。速度と精度の両立を行っています。


このため、回路シミュレーションの定番ソフトとなっているようです。




HSPICE は、 SPICE の実装の一つです。

先に書いた通り、特別なプログラムの形で回路図を記述し、動作をシミュレーションできます。


SPICE はカリフォルニア大学バークレイ校 …BSD UNIX が作られた大学… で1973年に開発されたもので、フリーウェアとして公開されました。


当初は FORTRAN で書かれていましたがバージョンアップの過程でC言語に書き直され、様々な派生バージョンを生み出します。

今でもオープンソースで無料で入手可能なものもあります。


HSPICE は、その中の一つ。

無料で使えるオープンソース版もあるのに、なぜわざわざ商用の高価なものを使うのかといえば、やっぱりシミュレーションの出来が良いから。




ショーンとキムは、テキサス州で双子として生まれました。

仲が良く、一緒にボーイスカウト活動を楽しみ、一緒にテキサス工科大学に入学しています。


卒業後はこれも二人そろって軍需企業であるマーチン・マリエッタに入社し、弾道弾迎撃ミサイル(スプリント 1972年完成)の発射システムを設計しています。


スプリントは、飛んでくるミサイルを狙って撃ち落とす、というとんでもないミサイル。

湾岸戦争で「パトリオット」が使われて有名になりましたが、最初に迎撃ミサイルを完成させたものです。


迎撃ミサイルにヒントを得た、「ミサイルコマンド」というゲームもありました。

また、「迎撃」が成功したことで、後にSDI構想が持ち上がります。(こちらもゲームになった




話を二人に戻しましょう。


マーチン・マリエッタでは、ミサイルに搭載するために 16bit CPU を開発していました。

…詳細はわかりませんが、いわゆる「マイクロプロセッサ」ではなく、4bit 演算の LSI を複数組み合わせ、16bit 演算できるようにしたものだったようです。


軍事用なので、非常に広い温度範囲で動くように工夫していましたし、信頼性を上げるために欠陥の少ない回路製造技術も開発していました。

しかし、マーチン・マリエッタでは、スプリントの開発が終わった後に、これらの技術を「転用」して何かを作ろうとはしませんでした。

それどころか「知的所有権」の主張さえしなかったのです。



1972年、インテルが 8008 を発売します。

マーチンマリエッタが作っていた 16bit CPU と比べて、わずか4分の1の速度しかでません。


2人は、これを好機だと捉えました。

8008 互換でもっと速度の速い CPU を作らないか、とゼロックスに持ち込みます。


…しかし、ゼロックスは興味を示しませんでした。

その後、いくつかの会社を周り、最終的にAMDが興味を持ちます。



そこで、彼はAMDに入社し、1973年には同社の最初の CPU を開発しています。

すでに 8080 が発売されていました。AMD が発売したのは、その互換品 Am9080 。


さらに、AMDで最初の「不揮発性メモリ」である Am2072 も設計しています。2048bit の EPROM でした。



#AMDの互換品に対し、インテルはこの後訴訟を起こしています。

 しかし、ヘイリー兄弟はインテルの回路は全く参考にしておらず、「動作」だけを解析し、同じ動作になるように作っていました。

 その後も、AMDはインテル互換 CPU を作り続け、現在はAMDが作った AMD64 の「互換品」をインテルが作る状況になっています。




1976年ごろ、電子回路の業界はどんどん発展していきました。

回路規模は大きくなり、試行錯誤で作る従来のやり方では、とても間に合わなくなっていきます。


彼らは、バークレイ校で作られた「SPICE」を見つけ出し、使用してみます。

…しかし、精度も悪く、速度も遅く、バグも多く、実際の開発に使うにはいろいろと問題がありました。


ちょうどそのころ、コンピューターの時間貸し会社がCRAY-1(1976)を導入したことを知ります。

しかし、まだ CRAY-1 用のプログラムは少なく、誰も使っていませんでした。


2人は、これを好機だと捉えました。

SPICE のソースコードを元に、CRAY-1 の「ベクター演算」機能を使って高速化します。

バグも取り、シミュレーション結果の精度を上げました。


こうして作られた HSPICE は、従来のものより6~10倍も高速でした。

そのうえ、バグも無くなっており、「使い物になる」ツールとなっていたのです!



1978年、二人で新たな会社「メタソフトウェア」を興します。

(当初は「ヘイリーカンパニー」という名前だったそうですが)


HSPICE を販売する会社でした。

といっても、当時はコンピューターの時間貸しが普通なので、CRAY-1 上で HSPICE を使う時間を売る、ということですが、


その後、18年間毎年 25~30% の成長率で会社が大きくなったそうです。

こんな高成長を、それほど長い期間続けられるのは、すごいこと。


1995年、メタソフトウェアは、十分な「成功企業」でした。

2人は、3つの銀行に、会社の評定額を出してほしいと依頼します。


その額は…二人が「衝撃的だった」という高価なものでした。

これで、二人は会社の売却を考え始めます。


売却先は、同業ライバル社のアバンティ。

アバンティは、さらに後にシノプシスに合併します。


そんなわけで、現在 HSPICE はシノプシスの製品になっています。


そして、彼らは莫大な資産を入手しました!




ショーン(Shawn)は、その後性転換手術を受け、女性になっています。

女性としての名前は、アショーナ (Ashawna)。


性転換、というのは微妙な話題なようで、いつ手術を受けたのか、調べてもよくわかりません。

彼らが会社売却直後の1997年末にインタビューを受けた際にはまだ男性で、二人とも結婚して配偶者もいます。



アショーナは、資産を元に、政治活動を開始します。


麻薬問題、食糧問題、女性の地位向上、人種問題、熱帯雨林の保護…

彼女が資金援助した団体を見たところだと、ここら辺の問題に興味があったようです。


彼女は、2011年 10月 14日に亡くなっています。

その後、遺言に従い、1千万ドル…日本円にして10億円を超える遺産が、これらの問題を扱う諸団体に寄付されています。



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やなせたかし 命日(2013)  2015-10-13 16:13:49  今日は何の日

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今日は、柳瀬 嵩…「やなせたかし」さんの命日(2013)


アンパンマンの作者の方です。

結構好きでした。亡くなられたときに追悼文を書いているのですが、ちゃんと「今日は何の日」の記事にしてなかったので、記しておきます。

詳しくはそちらの記事に。




やなせたかしさん、大御所でした。

日本漫画家協会の理事長もやっていた。


そして、十分なお金を持っていたから、お金に頓着していませんでした。

キャラクターデザインとか頼まれると、無料でほいほい引き受けてしまう。


…「いい人だった」のですが、多くの漫画家が困ってもいるようです。

協会の会長が無料で仕事をしてしまうと、世の中すべての漫画家がそういうものだと思われてしまう。


漫画家の仕事の「単価」を落としてしまった、という批判もあります。



その一方で、漫画の地位向上に努めた人でもあります。

1960年代に人気を博したころの漫画は、まだ漫画家の数も少なかったこともあり、漫画家に高収入をもたらせました。


でも、1980年ごろから漫画家が増える一方、漫画人気が落ち続け、漫画家の平均収入は落ち続けます。

これを食い止めなくてはならない、と頑張ったのがやなせさん。


漫画の地位向上に努め、漫画を「子供だけが読む俗悪なもの」だとする風潮をなくしていきました。

これは、漫画を楽しむ世代が親になったという時代背景もありますが。



結局、仕事の単価を落としたのか、それとも上げたのかはよくわかりません。

批判する人もいるし、感謝している人もいる。


賛否両論あるのは、無視できない大物の証拠ではあります。




ところで、我が家の次女は、この1年くらいで急に「アンパンマン嫌い」というようになりました。

5~6歳くらいの子供が必ず通る道。それまで大好きだったアンパンマンが、急に赤ちゃん向けのものに思えて、嫌い始める。


でも、嫌いなのはアンパンマンだけで、バイキンマンやメロンパンナちゃんはOKだそうです(笑)



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今日はアショーナ・ヘイリーの命日(2011)。


誕生日は1949年の 10月 8日。

先日誕生日記事を書いたばかりなので、詳細はそちらを読んでください。



彼は、男として生まれ、ミサイル開発・CPU 開発・半導体開発支援ソフトの作成など、非常に男らしい仕事をしました。


その後、性転換手術を受けた彼女は、女性の地位向上、人種差別撤廃、熱帯雨林保護など、愛にあふれた女性らしい仕事をしました。



すごい人生だと思います。


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ゲームセンターあらし 発表日(1978)  2015-10-14 21:32:34  今日は何の日

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今日は「ゲームセンターあらし」が発表された日。



…すみません。およそ2年前に、1か月勘違いして 11月14日だという記事を書いてしまいました。


掲載されたのは「11月14日号」だったのですが、その発売日は1か月前だったのです。


作者の すがやみつる 先生も 11月 14日としていたのですが、ちゃんと調査された方がいて、間違いがわかっています。



お詫びして訂正いたします。


日付が違うだけですので、詳細は以前に書いたものをご参照ください。


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グレゴリオ暦の制定日(1582)  2015-10-15 21:15:58  天文 今日は何の日

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今日はグレゴリオ暦が制定された日。


ただし、イタリアでの話ね。

グレゴリオ暦を定めたのは、ローマ教皇グレゴリウス13世。

ローマ教皇だから、その勢力範囲はイタリア・スペインあたりなのだ。


ともかく、1582年の10月15日に、グレゴリオ暦は定められた。


ちなみに、この「10月15日」は、グレゴリオ暦によるもの。

その後はずっとグレゴリオ暦なので、今の 10月 15日と同じ意味だ。



じゃぁ、その前は10月15日は10月15日ではなかったのか、という話になる。

そう、違った。前日はグレゴリオ暦ではなく、ユリウス暦となっていて、10月4日だった。


つまり、グレゴリオ暦の1582年10月15日は、ユリウス暦の1582年10月5日だった。



…そろそろ混乱してきましたね?




ユリウス暦は、紀元前から使われていたカレンダーの計算方法だ。

厳密にいえば、紀元前 45年の1月1日から始まっている。


ただし、この「1月1日」というのは、現代的な表現だ。

当時は月に名前をつけ、その名前で表現した。今でもその名前で呼ぶほうが多いけど、ともかく当時は「1月」とは言わない。


古代の天文技術というのは結構優れていて、1年が365日と1/4くらい、と理解していた。

そこで、1年は365日、ただし4年ごとに閏日を挟むことになった。


暦は春、3月から始まる。

3月は、31日まで。4月は30日まで。

以降、奇数月は31日、偶数月は30日とすると、12か月で 366日となる。


これだと、普段は1日多くなってしまう。

そこで、閏年以外は、最後の月である2月を1日減らして対応した。2月は 29日までだ。



ところで、「月の名前」は、最初のほうは神様の名前が入っている。でも、最後のほうは「8番目の月」とか、即物的になってくる。

ところが、ユリウス暦を定めた皇帝ユリウスは、自分の誕生日である7月に、自分の名前 Julius をつけて、July としてしまった。

以降の月は1つずれる。


次の皇帝アウグストゥスも、ユリウスにならって、続く8月に自分の名前を付け、August とした。

以降の月はさらに1つずれる。


さらに、8月を 31日にしてしまった。偶数月は 30日、という原則が、これ以降崩れてしまう。

この影響で、2月は28日までになってしまった。


そして、オクトーバー(8の月)、ノベンバー(9の月)、ディセンバー(10の月)は、それぞれ2つずれて、10月、11月、12月になった。

プログラマなしっていると思うけど、Oct は8進数、Dec は10進数ね。

オクトパスが蛸、というほうが、Oct が8、と納得してもらえる例かな。



ところで、さらに次の皇帝ティベリウスに、側近が「9月に名前を付けては」と進言したらしい。

でも、ティベリウスは「暦は皆が使うものだから、皇帝といえども自分の名前を付けて混乱させて良いものではない」と一喝したという。


かっこいいぜ、ティベリウス。




…と、上の説を中学の頃からずっと信じていたのだけど、これはどうも13世紀の学者が唱えた説にすぎず、最近の研究では違うようだ、となっているらしい。

たった今知りました。間違っているかもしれないとなっても、面白いから書いたけど。


先に書いたように、3月から暦が始まるとすれば、オクトーバーは正しく「8番目の月」だ。

だから、名前を付けて後ろにずれた、ということ自体違うらしい。


30日と31日を交互にしていたのに…というのも、ユリウス暦以前の太陰暦で大の月と小の月がぐちゃぐちゃで、それをそのまま受け継いだものらしい。


アウグストゥスが自分勝手な間抜けではなかった、ということだ。




それはさておき、ユリウスとアウグストゥスによって完成した「ユリウス暦」は、1年が 365.25日だった。


実際の地球の動きは、1年が 365.2422 日なので、そのままだとユリウス暦は少しづつ早くなっていってしまう。

大体、1年で675秒ずれる。1日は 86400秒なので、128年たつと1日分ずれる。


紀元 325年に、春分の日を3月21日とする、と決められた。

しかし、やっぱり少しづつずれていく。


このずれが、1500年代の後半では、325年と比較して、およそ 10日分ずれていた。

(1582-325 = 1255 。128年で1日、と考えると、およそ10日ずれる計算で合っている)



そこで、グレゴリウスが、暦の計算方法を改めた。

128年で1日早まるのだから、100年に一度は「閏日をなくす」ことにした。

これだと、まだ28年分の端数が出る。そこで、400年に一度「やっぱ閏日を入れる」ことにした。


まだ400年で12年分の端数が出ているが、そこまでは考慮しない。

これが 128年分たまったら1日ずれてしまうわけだが、4000年程度はかかる計算になる。

実用上は考えなくてよいだろう。


そして、グレゴリウスは、この暦の計算方法を使うことにするのと同時に、ずれた10日分を無理やり修正した。

そのため、1582年の 10月4日の翌日は、10月15日となったのだ。




グレゴリウス暦は、なかなかほかの国が採用するのに時間がかかった。


1752年9月14日には、イギリスが導入している。

このころのイギリスは帝国であり、アメリカを含む植民地も一斉に変わった。


このため、1752年9月をグレゴリオ暦の導入日、とする人も多い。

UNIX の cal コマンドなんか、1752年9月を表示するとちゃんと「2日の翌日が14日」の表示をしてくれる。


日本では1873年に導入している。

それ以前は、ユリウス暦ではなく太陰暦を使用しているため、12日ずれる、なんて生易しいものではない。


12月2日の翌日が、1月1日になってしまった。

しかも、十分な周知がなされないまま、無理やり導入してしまった。


実は、政府は1872年度の予算が足りなくなっていて、公務員の給与が払えない状態だった。

そこで、12月を1か月分なくすことで、早く来年度予算を決めて解決しようとしたらしい。




話はポンポン飛ぶが、「ツェラーの公式」というものがある。


グレゴリオ暦であることを前提に、年月日を元に曜日を知るための公式。


W = y + [y/4]+[h/4] - 2h + [ 13*(m+1)/5 ] + d


年は、上2桁と下2桁に分けて考える。上が h 、下が y だ。

m は月で、d が日。


ただし、年は3月に始まるものとする。1月と2月は、前年の 13、14月として処理する。


出てきた W を、 7で割った余りが曜日になる。


式の意味を解析するのは楽しいのだけど、長くなるので今はやめておく。



僕はプログラマーで、占いなんかも作ったことがあるのだけど、上の式を理解しているといろいろ応用が利く。


7で割るのではなく、6で割れば六曜に対応できる。

12で割れば十二支に、10で割れば十干に、組み合わせれば干支に対応できる。


他にも、日付によって「繰り返し」で計算する占いって、結構多い。



まぁ、占いを作るような時しか使わないので、すぐ忘れてしまう式でもあるのだけど、忘れても調べればすぐわかる。

存在を知っている、ということが大切。



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マイケル・クライトン 誕生日(1942)  2015-10-23 15:54:35  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ジュラシックパークやアンドロメダ生命体でお馴染みの(?)マイケル・クライトンの誕生日(1942)。


以前、命日に記事を書いているので、詳しくはそちらを参照してください。



ジュラシックパークのシリーズは今でも人気で、現在シリーズ4作目となる「ジュラシックワールド」を公開していますね。

最初の2話しか原作書いてなくて、あとは別人がシナリオ書いているだけみたいですけど。




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DJBの誕生日(1971)  2015-10-29 11:41:36  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ダニエル・ジュリアス・バーンスタインの誕生日(1971)

本名よりも、略称である DJB のほうが有名です。


…って、誕生日 1971年? 僕より年下だとは知らなかった!


10年くらい前に DJB の存在を知った時点で大学教授だったから、もっと年配だと思っていたよ。

どんだけ天才なんだ…




と、興奮気味に書き出してみましたが、UNIX で有名なソフト群を作った人です。

ただし、彼自身は暗号の専門家であり、ソフトウェアは専門ではありません。


でも、コンピューターがわかるから大学でコンピューターネットワークの管理をやらないといけなかった。

良くある話です。


そうしたら、四六時中ソフトウェアの脆弱性が見つかったり、新機能が追加されたりでアップデート作業が必要になった。

自分の研究時間を奪われることになった。


じゃぁ、俺がアップデートの必要なんてないソフトを作ってやる! と作ったのが、一連のソフト群。

UNIX のソフトで過去に見つかった「脆弱性」をよく研究し、脆弱性が出やすいポイントを「回避する」ように作られています。



作ったのは、メールサーバーDNS サーバーが中心。

WEB/FTP サーバーも作ったけど、これは非常に低機能なので誰も使ってないと思います。


メールも DNS も、ネットワークの必須機能。

しかも、すでに枯れた技術で、これから大きな新機能が追加されることもなさそうです。


これらを、脆弱性がないようにきっちり作り込んだ。

決して高機能ではありません。むしろ低機能。

ただし、高性能です。


枯れた技術なので、機能追加アップデートは不要です。

十分高性能なので、性能を上げるアップデートはありません。

そして、脆弱性はおそらく出ないので、セキュリティアップデートも不要です。


これで、アップデートのない、サーバー管理が実現できます。




DJB のソフト群は、非常に独特の構成をとっています。

一般的なソフトとは違いすぎて、管理概念になれるのが少し大変。

だから、DJB のソフトは嫌い、という人も多いです。


でも、この独特な構成は、セキュリティを高めるためです。


まず、「メールサーバー」と書きましたが、これだけで大きく分けて2つのソフトになっている。

メールを「受信する」のと「送信する」ので、別のソフトになっているのです。


そして、それぞれはさらに細かなソフトに分かれています。

プログラムが複雑化するとバグが出やすく、脆弱性の元になるため、動作を最小単位にまで分割しているのです。


これらの小さなソフトは協調して動きますが、決してお互いを信頼しません。

自分の任された仕事はきっちりやるけど、ほかのソフトが正しく仕事をしているとは信じないのです。


これにより、どこかに脆弱性が発生しても、全体として致命的な事態にならないようになっています。


そして、「他を信用しない」ために、それぞれのソフトが別の権限を持つようになっています。

UNIX では、権限は「ユーザーアカウント」で表現されるため、メールサーバーを入れるだけで6つのユーザーアカウントの登録が必要となります。


さらに、設定ファイルも細かく分割されます。

これは、分割されたソフトごとに別々の設定が必要、ということもあるのですが、「構文解析」、特に「文字列処理」という脆弱性の元となりやすい部分を無くすためでもあります。


構文解析というのは、「文章を読む」ということ。

普通設定ファイルには、いくつもの設定項目が書き込まれます。この文章を読み取る必要があるのですが、文章を読むという処理は結構複雑で、脆弱性を持ちやすいのです。


DJB のソフトでは、設定ファイルは「ファイル名」が設定項目で、中身が設定の値です。

そのため、構文解析の必要がなく、こうした脆弱性が入り込む余地がありません。



また、また、人間のミスによる「脆弱性」をなくす目的もあるようです。


一般的に、設定ファイルは1つであることが多いのですが、そのために、うっかり書き間違えると関係のない機能にまで影響が及ぶことがあります。

こうした「うっかり」をなくすために、設定1つごとに1ファイルなのです。



でも、この方法だと小さなファイルをたくさん作る必要があります。


もう、何から何まで分割したがる。

アカウントを6つも使い、設定ファイルだけで十個以上。



ここまでややこしい設定を要求しておきながら、できることは「UNIX のローカルアカウントへの配信」だけです。

普通のメールサーバーよりも低機能。


別マシンへ配送するための POP3 サーバーなどは、別途入れる必要があります。


さらに、このメールソフトは、動作ログを「標準出力」に吐き出します。

ファイルに残したいなら、標準出力をファイルに残すためのソフトを、別途入れる必要があります。


ソフトの動作を最低限の機能に絞って脆弱性を失くす、という方針なので、何をやるにしても「それは別のソフトで」となる。




DNS も同じ調子。


DNS って、「世界中の情報を調査する」ための機能と「自分の情報を提供する」機能の、2つに分かれている。

ところが、最初に DNS を実装した BIND では、この2つの機能をごちゃまぜに考えてしまって(最初はこれが別機能だという認識もなく)、同じポートで提供している。


#ネットワークの仕組みで、1つの「アドレス」に、受付窓口である「ポート」が複数あります。

 ポートはサービスごとに異なっていて、メールなら 25、WEB なら 80 、というような番号で指定されます。

 DNS は 53 番なのですが、この1つだけで「情報調査」と「情報提供」の両方を兼ねているのです。



DJB の作った DNS では、別の機能は別のソフトです。

でも、1つのアドレスで同じポートを使う2つのサービスは提供できない。だから、別の IP アドレスを使う必要があります。


なんと! サーバー1つ入れるために、1つのマシンに2つの IP アドレスが必要となってしまう。

これで困ってしまう人も多くて、DJB の DNS サーバーは、メールサーバーよりさらに不人気。


ここではインストール方法を書きたいわけではないので、詳細は書きません。

でも、ちゃんとおかしなことをしないで設定できる。設定できないと思うなら、管理者としての知識が浅いだけ。


世の中の「インストール方法」を書いたページにも、間違っているものが多数見受けられます。

一見動いているように見えるけど、外部 DNS サーバーを参照しているだけで、インストールした意味がないとかね。




ハッカー文化を表現する言葉に KISS というものがあります。


Keep It Simply, Stupid


「簡単で馬鹿なままにしておけ」、または「そのままにしとけ、馬鹿め」の意味とされます。


これ、結局は理系文化です。


シンプルで応用が利くものが良いのであって、「この機能を追加したら便利だろう」とか考えるのは浅はか。

大抵の「便利なもの」は、よく使う機能に特化したもので、応用は利きにくいのです。



その意味で考えると、UNIX でよく使われるメールサーバの Sendmail や、DNS サーバの BIND は、高機能になりすぎている。

肥大化して、シンプルではありません。


DJB は、KISS の精神で機能をバラバラに分解した。

Sendmail が1本のソフトでやっていることを、6本に分割した。

しかも、この6本を動かしてもまだ低機能で、ログを残すこともできない。



もちろん、「組み合わせられる」ことが KISS の良さですから、DJB のソフトも組み合わせて応用がききます。

ログを残すことはもちろん可能だし、POP3 対応にもできる。


別のソフトと組み合わせて、メールが来た時だけサーバーが起動するようにしてメモリを節約したり、万が一にもサーバーが停止した場合には自動再起動、なんてこともできます。


DJB 自身の手による「メーリングリストサーバ」もあって、もちろん簡単に組み合わせられます。




と書くと DJB のほうが優れているように見えますが、実態はそうでもないでしょう。

上に書いたように「組み合わせれば」いろいろできる、というのは、使う人に高度なプログラム能力を求めているのと一緒です。

組み合わせるって、「プログラムする」ってことですからね。



実際、各ソフトがどういう役割で動いているのか、副作用として何が起こるのか、ちゃんと理解しないと設定ができません。

先に書いたように、DNS ソフトの設定では、失敗している例が多数「設定例」として公開されている。



万人が使えるソフトではありません。

だけど、一度理解して設定してしまえば、非常に信頼性が高い。

アップデートなどの面倒を見る必要はないし、停止することもまずありません。


便利だけど使うには高度なスキルを必要とする、という、非常に癖の強いソフト群なのです。




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クリフォード・ベリー 命日(1963)  2015-10-30 11:24:57  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、クリフォード・ベリーの命日(1963)。


ジョン・アタナソフとともに、アタナソフ・ベリー・コンピューター(ABC)を作成しました(1939)。


ENIAC よりも古いです。

ENIAC は 10進数で計算するのですが、ABCは2進数で計算します。


このため、ABCが「最初のコンピューター」だと主張されることがあります。

僕はそうは思わないのですが、まぁ、その程度に有名な機械です。


ABCマシンの詳細を知りたい方は、「ジョン・アタナソフ誕生日」のほうもご覧ください。




クリフォード・ベリー、名前は残っているのですがどのような方だったのか、詳細がよくわかりません。

調べてわかったことを簡単にまとめておきましょう。


ネット情報なので、誰でも簡単に調べられるし、まとめるほどのものでもないのですが。



クリフォード・エドワード・ベリー(Clifford Edward Berry)は、1918年4月19日にアイオワ州グラドブルックの電気店での長男として生まれました。4人の兄弟がいました。


1920年。ペンシルバニア州ピッツバーグで世界で最初のラジオ放送が始まります。

しばらくして、彼の父はラジオ受信機を作り始めました。


このとき、クリフォードも父を手伝い、父は電気技術をクリフォードに教えています。


グラドブルックの町で最初のラジオだった、ということなので、アイオワ州ではまだラジオ放送はなかったのでしょう。

そして、遠方の電波をとらえるため、非常に大きな…おそらくはアンテナのことだと思いますが…大きなラジオが完成します。


ラジオがまだ珍しかった時代。この機械を見ようと電気店を訪れる人は増えました。

その後もクリフォードは電気技術に興味を持ち続け、電気工作を続けるようになります。


11歳の時には自分でアマチュア無線機を組み立てています。




クリフォードは学校の勉強でも非常に成績がよく、1年生の終わりには、2年生を「飛び級」して3年生に上がることを提案されました。

両親はこれに反対します。理由はわかりませんが、無暗な飛び級よりも、基礎をしっかり学ぶこと、級友と共にいることを優先させたかったのではないでしょうか。


しかし、校長は毎年のように飛び級を進めます。

ついに、3年の終わりに飛び級を受け入れ、4年生を飛ばして5年生になっています。




11歳の時、父が電力会社のマネージャーの職を得ます。

この関係で、事務所があったアイオワ州の小さな町、マレンゴに引っ越します。


そして、クリフォードが高校2年生の時、事件が起きます。

父が解雇した社員から逆恨みを買い、射殺されるのです。


クリフォードは長男として、家族を守らなくてはならなくなりました。



しかし、彼の母はクリフォードの大学進学を希望します。

クリフォードは電気工学を学べるアイオワ州立大学に進学し、家族は大学のあるアイオワ州エイムズに引っ越します。


1939年、彼は電気工学の学士号を取得します。このときの指導教官はハロルド・アンダーソン。


ハロルドの非常に仲の良い友人に、ジョン・アタナソフがいました。


アタナソフは、電気式の計算機を作ろうとしていましたが、理論的には完成していても、実際に一人で回路を作成するのは大変でした。

そこで、友人のハロルドに「電気工学に詳しい学生を一人紹介してくれないか」と頼みます。


ハロルドはすぐに、クリフォードを紹介します。

そして、ふたりはABCマシンの作成を始めます。


1939年の年末には、非常に簡単なプロトタイプが完成し、デモを行っています。

これにより研究を続けることが認められ、大学から助成金も出ています。




ABCの作成中に、秘書として働いていた女性、マーサ・ジーン・リードと知り合い、1942年5月30日に結婚しています。

その後、子供も二人できています。


結婚の直後、クリフォードは国防企業に職を得ます。この関係で、カリフォルニア州に引っ越さなくてはならなくなりました。


ABCマシンは「戦争の影響で研究が続けられなくなり、未完成で中断した」ことになっています。

おそらくは、設計の中心人物であったクリフォードがいなくなったことで、続けられなくなったのでしょう。


クリフォードは大学を去りましたが、大学と特別な取り決めをしていました。

このため、カリフォルニアの会社に在籍しながらも研究を続け、1948年に物理学の博士号を取得しています。


1949年には会社でもチーフ物理学者の地位に昇格しています。




その後の彼に何があったのか、正確な記録がありません。


しかし、1960年ごろに、鬱状態となってしまったようです。


仕事での待遇にも満足がいかない、酒におぼれ、家庭生活も崩壊しかかっていました。

追い打ちをかけるように、立て続けに2回の交通事故にあっています。


精神科のカウンセラーの元にも通っていましたが、鬱を抜け出すことは難しかったようです。


このころ、アタナソフは「古い友人」であるクリフォードに会うために、はるばるカリフォルニアまでやってきています。

そして、昔の天才がすっかり落ちぶれている姿を見ています。


その後、1963年にクリフォードはニューヨークの電気技術会社の開発マネージャーの職を得ています。

「職に満足していない」とこぼしていた彼が、もっと自分を評価してくれる仕事を見つけ出したかのように思えます。



彼は、1963年の10月に、家族を置いてニューヨークに単身赴任しました。

そして、10月30日、引っ越したばかりの自宅アパートで死んでいるところが発見されたのです。


ビニール袋をかぶって、窒息死。

周囲にはおびただしい量の酒瓶が転がり、検死の結果も、彼がアルコール中毒であったことが裏付けました。


警察の見解は、自殺、です。

実際、不審な点は何もありません。


天才の悲しい最期でした。



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ロナルド・グラハム 誕生日(1935)  2015-10-31 13:40:56  今日は何の日

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数学って、厳密で窮屈だと思っている人が多いです。


でも、数学ってものすごく「ファンタジー」な世界です。

SF小説がリアリティをもって「まだ見ぬ世界」を見せてくれるように、良質のファンタジーがおとぎの国を身近に感じさせてくれるように、数学は時として想像もつかない、面白い世界を見せてくれます。



良質の数学はファンタジーですが、確固とした理論の上に立っています。

良質のSF小説が、事実を組み合わせて、ありもしない世界を作り出すのと同じ。


たとえば、目の前に点があったとしましょう。

点があるにもかかわらず、大きさはありません。そんな点があるわけないのですが、ファンタジーですから。

これが「0次元」の世界です。


この点を2つ用意して、その間を線で結びます。「1次元」です。

線の両端を、点によって「囲んだ」ともいえます。


続いて、1次元の線4本で、空間を囲みます。

話を簡単にするために、角は全部同じ角度で、線の長さも全部同じだとしてください。

いわゆる真四角。正方形です。これは2次元。


正方形6つで、空間を囲みます。

今度は立方体。3次元。



ここでわかるのは、「次元が増えるごとに、空間を囲むのに必要な『1つ前の次元のもの』が、2つづつ増えていく」ことです。


1次元は、0次元の点2つで囲めます。

2次元は、1次元の線4つで囲めます。

3次元は、2次元の面6つで囲めます。



では、3次元の立方体8つで囲んだ空間を考えてみましょう。

…空中に浮かんだ十字架みたいな形、を思い浮かべるのは間違いですよ。



ここで、3次元の立方体8つのうち、隣り合うもの同士は「面」を完全に共有しています。

正方形の角は「点」を共有し、立方体の辺は「線」を共有しているように。


そんな形あり得ない? 3次元ではね。

ここでは、「立方体」といいつつ、ひしゃげた形を想像してもいいでしょう。


ひしゃげているように見えて、実はひしゃげていない。

なぜなら、これは4次元の話で、3次元に住む我々には見ることができない図形だからです。


こうしてできた、立方体8つで囲まれた形を、「4次元超立方体」と呼びます。


この先はどういう形になっているのか想像もつきませんが、5次元、6次元の超立方体だって存在します。




超立方体!

形を想像することなんてできません。ただ、存在を受け入れてみましょう。

存在しえない、ファンタジーの世界です。


ネバーランドのお話を楽しむように。

中つ国、イーハトーブ、リリパット、ファンタージェン、ジーリー宇宙…それらの世界の物語を楽しむように。


…超立方体、というわけのわからない存在がある世界を、ただ受け入れて楽しんでみましょう。



でも、数学は確固とした理論の上に立っていますから、リアリズムのあるファンタジーです。

この超立方体にどういう特徴があるのか、論じることができるのです。



1970年にこんな問題が提起されました。

問題だけでもややこしいので、内容を3つに分けて書いていきます。



▼n次元の超立方体の、すべての頂点を、ほかのすべての頂点と線で結びます。


…想像できないでしょうから、普通の立方体、つまりは「箱」で考えてみましょう。これだって n=3 の超立方体です。

他の頂点と線で結ぶのですから、通常の「辺」に加え、各面に大きく「×」を書くことになります。

さらに、箱の内部にも、対角に当たる頂点まで「紐」を引っ張る形になります。



▼結んだ線は、2つの色のどちらかで描かれるとします。


先に想像した「線」は、すべて色がついているんです。


2色ですから、白と黒でいいでしょう。色の付け方はランダム、どのような形でも構いませんが、1本の線は1色です。

白黒といっても、縞模様の線があるわけではありません。



▼n が十分に大きければ、同一平面上の4点を結ぶ線がすべて同じ色になる組みが、必ず存在する。


前半は前提条件なので、後半から。


先に、立方体の場合、各面に×を描くことになる、としました。辺の部分もあわせると、面には6つの線が描かれます。

「同一平面上の4点を結ぶ線」というのは、そういうことです。


さらに、先ほど「箱の内部にも紐を…」と書きました。実は、この部分にも平面ができている。

超立方体だと、立方体よりもはるかに多くの面ができます。


そして、前半の前提条件。

「n が十分大きければ」です。


超立方体の次元が大きければ大きいほど、出来上がる面の数は多くなります。

それらの面は、別の面と辺などを共有しています。共有している、ということは、自由が利かないということです。


ですから、線の色を好きなように決めてよいとしても、すべてを思い通りにはできないのです。


そして、最後の結論です。

完全な自由が利かず、十分すぎるほど面の数も多いとき、面に描かれた6本の線の色が「すべて同じ色になる組みが、必ず存在する」のです。




問題提起は、単に「存在する」というだけでなくて、最小の n はいくつだろう? というものです。


一応、問題の提案者は「少なくとも、n がこの大きさなら必ず存在する」という数を求め、証明して見せました。

そして、「それよりも小さな数になる n を探してくれ」と、世の中の数学者に問うたのです。



問題提案者は、今日が誕生日のロナルド・グラハム(1935)。

そして、問題提案時に示した n が、「意味のある数値として最も大きいもの」とギネスブックにも認定された、グラハム数です。


このグラハム数がまた、ファンタジーとしか言いようがありません。

話が壮大すぎて、誰もその数を計算できないのです。



33 …3の3乗、というのは、3を3回掛け合わせたもの、3*3*3 のことです。こうした計算を「累乗」と呼びます。

計算してみればわかりますが、 3*3 = 9 なので、3*3*3 = 9*3 = 27 。「3」という小さな数から急激に大きくなるのが累乗の特徴です。


コンピューター言語では、累乗を記号を使って表すことがあります。

BASIC では 3^3 、FORTRAN では 3**3 と書き表しました。


FORTRAN の書き方は、「掛け算の回数を掛け合わせた」という意味の書き方です。

「3の掛け算を3回行う」から 3**3 という書き方。


グラハムは、コンピューター関連の著書もある数学者で、こうした表記の意味をよく知っていました。

そして、BASIC 風の累乗の書き方を、FORTRAN 風の累乗の書き方によって「拡張」することにしたのです。



3^^3 という書き方は「3の累乗を3回行う」という書き方になります。

3^3^3 の意味で、計算手順としては 3^(3^3)。


先に書いたように、3^3 は 27 だから、3^27 の意味になります。

3*3*3*3* ... と、27回も掛け合わせると、答えは 7625597484987(7兆6千億)です。


3^3 の時も書きましたが、累乗は急激に数が大きくなります。

累乗には想像もつかない世界が待ち構えている。今回の話の重要なポイントになります。


さらに、3^^^3 という書き方もあります。これは、3^^(3^^3) を意味していて、3の累乗を 3^3^3 回重ねた数です。


この時点で、ものすごく巨大な数ですよ。3^^3 は先に書いたように7兆越えですから、3^3^3^3^3 …と、7兆回も繰り返すことになります。



この数、概数は計算されているけど、事実上計算できません。

素粒子1個で10進数1桁を表すことができたとして、現在見積もられている「全宇宙」の素粒子を使っても、この数を表記できないくらい大きいそうです。




さて、 3^^^3 とか 3^^^^^^^^^^3 とか、記号が増えすぎると記号の個数を数えるのも大変になるので、別の書き方をしましょう。


3^^3 のことを、G(2) と書くことにします。G はグラハムの G ね。

G(3) なら 3^^^3 のこと。G(4) なら、3^^^^3 のこと。


さっき、G(3) でもすごく巨大な数だ、と書きました。

G(4) になると概数の計算すらできていません。


そしてもうひとつ、ルールを追加します。


G2(4) とかいたら、G(G(4)) のことです。

G3(4) なら G(G(G(4))) のこと。


では、G64(4) と書いたら?


話が壮大すぎてついていけません。


数学が苦手だからわからない、とかではないよ。

数学者であっても、誰もこの数がどのくらいの大きさか理解できていません。




これが、グラハムが冒頭にあげた「n が十分大きい超立方体の各頂点を結ぶ線を2色で描いたときに、面を構成する線がすべて同じ色である面が必ず存在する」という証明に使われた、次元の数です。


n が G64(4) よりも大きいときには必ず成り立つ、という証明はできました。

だれか、もっと小さな数でもできると証明してくれ、というのが、グラハムの出した問題なのです。


この G64(4) のことを、「グラハム数」と呼びます。

先に書いた通り、意味のある数値として一番大きい、とギネスブックに認定されています(1980)。


その後、問題を満たす小さい数として「小グラハム数」が見つかったけど、これも十分に大きな数でした。

グラハム数に比べれば、ずっとずっと小さいのだけどね。


逆に、n が 6 未満では問題を満たすことができない、という「下限探し」の証明も提出されています。

現在、6ではちょっと小さすぎて、11 よりも大きいのではないか、とされているようです。



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