コンピュータ23ページ目の日記です

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2015-03-17 ジョン・バッカスの命日(2007)
2015-03-21 スティーブ・ファーバー 誕生日(1953)
2015-03-24 ぎーちさんにお会いした
2015-03-25 ベーマガに出会うまで
2015-03-26 作り棄てる日々
2015-03-28 ファミベ、MSX、X68k
2015-03-28 X68000発売日(1987)
2015-04-01 ビッグエンディアンとリトルエンディアン(1980)
2015-04-01 エド・ロバーツ 命日(2010)
2015-04-03 ベーマガの影響
2015-04-03 横スクロールゲームに右向きが多い理由
2015-04-04 ジョン・ネイピア 命日(1617)
2015-04-06 最近の同人
2015-04-06 プログラムを始める年齢
2015-04-07 プログラムは必要か
2015-04-07 女性向けのゲーム
2015-04-08 ゲーム開始時の主人公の位置
2015-04-13 春は忙しい
2015-04-15 PC-E500 発売日(1988)
2015-04-18 エドガー・コッド 命日(2003)
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ジョン・バッカスの命日(2007)  2015-03-17 09:34:05  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ジョン・バッカスの命日(2007)。


虎は死んで皮を残す。人は死んで名を残す。

ジョン・バッカスは、FORTRAN と ALGOL と BNF を残しました。




FORTRAN は、世界最初のコンピューター言語。


これ以前にもアセンブリ言語はあるし、わずかながらアセンブラ(アセンブリ言語で書かれたプログラムを、機械語に変換するプログラム)もありました。


でも、アセンブラは必要に駆られて作られた「表記法」程度のもので、言語と呼ぶのはちょっと違う感じ。

人間にとっては無意味な「機械語」と、1対1対応だからね。



そんな時代に、バッカスは数学者が書いた数式を、ほぼそのまま計算できる言語を作り出しました。

それが FORTRAN でした。


人間にわかりやすいような…機械語でない言語でのプログラムなんて不可能だ、と明言する学者もいた時代。

プログラム言語が「可能」であることを示すには、ただそれを作ってみせればいいだけでした。


これは非常に難しいチャレンジでしたが、FORTRAN は成功しました。

ただ、この時は「実証する」ことが最大の目的で、使いやすさとかは考えてません。




もっと使いやすい言語ができるはず。

多数の計算機学者が集まり、「美しい言語」の設計が始まります。


バッカスも、当時唯一の「実際に動く言語を作成した経験者」として、この会議に加わっています。


そこで策定された言語が ALGOL で、文法構造は非常にシンプルになっていました。


この、シンプルな文法構造の表現に使われたのが、BNF 。バッカス・ナウア・フォーム(バッカス・ナウア記法)の略です。

ナウアは、バッカスと共にこの記法の策定にかかわった人物。



BNF は非常にシンプルで強力なため、今でもいたるところで使われています。

特に、インターネットのプロトコルなどは BNF で書かれるため、現代プログラマの必須知識。




現代の言語の多くが、BNF で記述できることを前提に設計されています。

その意味では、どの言語も ALGOL の子孫。


中にはそうではない変態言語もありますが…

perl なんて、単純に BNF で記述できない言語のひとつ。


でも、BNF で書けない、というのが悪いことではない。

BNF で書くと、厳密で強固な言語となる一方、回りくどい書き方をしなくては記述できないことがあります。


perl は、その回りくどさを無くすために、あえて BNF で記述できない文法を採用している。

だから、ややこしい処理を非常に簡潔に書くことができます。


80年代の BASIC なんかも、BNF で書けませんでした。

BNF で書かれた言語って、プログラマから見ると美しい一方、あまり初心者向けではないように思います。




…と、ここでは、ざっくりした説明にとどめておきます。

バッカスについては、過去に書いた記事に詳しいので。


もっと知りたい方は、是非以下の記事も読んでみてください。


ジョン・バッカスの誕生日(1924/12/3)

「計算機言語」が生まれた日(1956/10/15)



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

スティーブ・ファーバー 誕生日(1953)  2015-03-21 11:00:58  コンピュータ 今日は何の日

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今日はスティーブ・ファーバー(Steve Furber)の誕生日(1953)。


最初に書いときます。僕、彼の業績ちゃんと認識していません (^^;

「今日は何の日」として調べてみたら出てきた、というのも紹介の理由ですが、彼が何をやったか知ったら、これは業績を理解していなくても紹介すべきだ、と思ったのです。


イギリスのコンピューター学者。BBC Micro と ARM CPU を設計しました。




まず「イギリスの」から解説。


コンピューターの歴史は、多くのマシンに彩られています。

世界初の電子計算機とされる ENIAC 、ノイマン型を最初に提唱したとされる EDVAC 、世界初の(成功した)商用コンピューター UNIVAC-I 、世界初の普及機種であった PDP シリーズ、世界でベストセラーとなった IBM 、世界初のスーパーコンピューター CRAY-I 、世界初の 1chipコンピューター Intel 4004、世界初のパソコン Altair 8800 、本格的な PC 時代をもたらした Apple II 、GUI の元となった Alto


などなど。

これらすべて、アメリカの機械。まるで、アメリカがコンピューターを作ってきたかのようです。



でも、イギリスもコンピューターの発展に大きく寄与しています。


最初に、「計算する機械」を夢想したチャールズ・バベジはイギリス人。

現代的コンピューターの基礎理論である「チューリング機械」を提唱したアラン・チューリングは、イギリス人。


チューリングの理論をもとに、ENIAC 以前にコロッサスと呼ばれる電子計算機が、イギリスで作成されています。


コロッサスは軍事機密であったため後まで存在が公表されず、ENIAC が世界初、とされました。

ちなみに、コロッサスも ENIAC も、現代的な定義ではコンピューターではありません。


現代的な定義での最初のコンピューター、とされる試作機 Baby Mark-1 は、イギリスのマンチェスター大学で作られ、これを元に「マンチェスターマーク1」が作成されます。

マンチェスターマーク1は、コンピューターのプログラム上非常に重要な機能である、「インデックスレジスタ」を導入した最初の機械です。


さらに、EDVAC の思想を元に、先に完成した「世界初のノイマン型マシン」である EDSAC はイギリスで作られています。



このように、コンピューター黎明期ではイギリスは非常に重要な役割を果たしているのですが、「実用」で出遅れてアメリカに押されてしまった感があります。今ではどうも影が薄い。


それでも、8bit PC の黎明期にはまだイギリス独自の機械を作っていたりします。


そんな会社の一つが、 Acorn 社でした。ちなみに、Acorn てドングリのことね。


IBM PC の開発名も Acorn でしたが、共に「corn」を com (コンピューター)の意味で、A を最初に来る・優れたものの意味で、さらに Apple よりも(アルファベット順で)前に出る、などの意味でつけているらしい。



2015.4.13 追記

Acron って、単に「ドングリ」というだけでなく、オークなど、勇気や威厳、知性の象徴とされる樹木の実を意味するものでもあるそうです。

ヨーロッパでは、特に北欧を中心として樹木信仰があり、その実は翻訳すれば「ドングリ」ではあるのですが、実際に感じるイメージは、日本人とはずいぶん違う、とのこと。


なるほど、この名前が人気がある理由がわかりました。




イギリスの 8bit マシンと言うと、シンクレア・リサーチ社の ZX スペクトラムとか有名です。

このシンクレア・リサーチ社の創業者(出資者ではない)が後に作った別の会社が、Acorn コンピューターです。


同じ創業者で、同じ分野の企業。ライバルで争っていました。

今日が誕生日の、スティーブ・ファーバーは、この Acorn に在籍する技術者でした。



ある時、イギリスの国営放送局 BBC が、小さなコンピューターが世界を変える、というドキュメンタリー番組を制作します。

これがイギリスで世論を動かし、政府議会でも話題となり、コンピューター教育に力を入れることになります。



国としての事業ですから、特定の団体に利益が誘導されるようなことがあってはいけません。

しかし、教育現場でコンピューターを扱うのですから、学校ごとに非互換も困ります。


シンクレアも Acorn も、このプロジェクト用のマシンとして自社の機械を売り込んだようです。

ここで、ファーバーが Acorn で開発中だった 6502 ベースの廉価機が選定され、BBC Micro という名称で発売されます(1981/12/1発売 £235~)。


BBC お墨付きのマシンですから、爆発的に売れました。

これを買わなくてはならない、という決まりはなかったのですが、ほとんどの学校が、コンピューター導入に際して BBC Micro を選んだそうです。


#BBC は国営放送ですから、これが「私企業の商売を国が妨害した」ことになり、後まで問題になったようです。




Acorn は、後に Acorn Electron という機種を発売します。

BBC Micro と互換で、さらに廉価にした機種でした、この機種も含め、イギリス国内では大きなシェアを持っていました。


Acorn では、設計時点ですでに 6502 は時代遅れで、速度が遅いことを認識していました。

しかし、廉価機種を作るには一番良い CPU でした。


そのため、BBC Micro には「CPU を追加してバージョンアップできる」設計を持たせていました。

後からデュアル CPU に出来るのです。その際には、6502 は入出力だけを担当し、追加したメイン CPU と協調して動く設計でした。


ところが、実際に強力な CPU を搭載しようとしたところ、想定していたような「都合のよい」CPU が見つかりません。

大きなシェアを持つ BBC Micro を、そのまま強力にすることはビジネス上必要な事でした。



無いなら作ってしまおう…ファーバーを中心として、新たな CPU の作成が始まります。

設計が簡単で速度の出る、RISC CPU となりました。


この設計が非常に面白い。




CPU が命令を実行するとき、いろいろな処理が行われています。


まず、メモリから命令を取得します。

次に、命令がデータを必要とするか調べます。

データが必要なら、そのデータをメモリから取ってきたりします。


必要なものが全部そろったら、命令を実行します。

実行結果は、またメモリに書き戻されます。


昔の CPU では、命令ごとにこれらの動作を全て行い、それから次の命令を実行していました。

そのため、1つの命令の実行に、複数の「クロック」が必要となります。


#クロックは、電子回路の動作を行うための時間単位。1クロックで1つの動作を行う。



1つの動作ごとに、別々の回路が動きます。

じゃぁ、命令の実行を待たないで、同時に複数の回路を動かせばいいじゃん。


この仕組みを「パイプライン」と呼びます。

1つの「命令」に注目すると、やっぱ複数クロックで実行されている。

でも、1つの「クロック」で何が出来るかを見ると、毎クロックごとに命令の実行が行われている。


現在の CPU では、この仕組みによって「1クロック1命令実行」を実現しています。

非常に高速に動ける。




でも、実はパイプラインには落とし穴があります。

パイプラインでは、「次のアドレス」の命令が順次実行されるはず、と考えて命令を取り込んでいきます。


ところが、プログラムの中には、非常に条件分岐が多いのです。


分岐すると、取り込んでいた命令は「無駄」となります。

せっかく読み込んだものは捨て、新たに読み込みから始めます。読み込んだ命令が「実行」に至るまでは数クロックかかります。


この間、1クロック1命令実行、ではなくなるのです。

普通のプログラムは非常に分岐が多いので、かなり処理速度が落ちます。



取り込んでしまった命令は、ジャンプしても実行する「遅延実行」という手法もあります。(SH など)


遅延実行の場合、分岐の後の数命令(すでにパイプラインに取り込まれた命令)は、分岐の有無にかかわらず実行されます。

ただ、実際には条件分岐の判断有無にかかわらず出来ること、ってあまりなくて「何もしない」命令が詰め込まれるのがオチ。


分岐が予測されるなら、過去の実績からどちらに進みやすいか、確率的に判断して「はずれ」を引くことを減らそう、という手法もあります。

これ、少しでも被害を減らすという考えであって、被害は必ず出る。

その上、予測精度を上げようとすればするほど、回路は複雑になる。


当時の Acorn は、CPU 設計の専門家集団ではありません。

そんな複雑な回路を作ることはできない。



そこでファーバーが考えたのが、「全命令に条件判断を付ける」でした。


どんな命令であっても、フラグの状態によって「実行」するかどうかを変えられます。

条件によって「分岐しない」だけでなく、「足し算しない」「メモリに書き込まない」などなど。なんでも条件を付けられる。


プログラム中、条件分岐は非常に多いのですが、それは「変数の値が限界を超えたらリセット」とか、「キーが押されたら1足す」とか、非常に小さなものです。

じゃぁ、分岐させるまでもなく、命令をスキップさせてしまえばよい。これで、条件分岐の大半を無くすことができます。


これで、パイプラインが無駄になる、という被害を無くすことができます。


非常にユニークな問題回避方法でした。


6502 は、非常にシンプルな命令でありながら、組み合わせ次第で強力なプログラムが組めるようになっていました。

Acorn が作った CPU も、同じように「シンプルな命令を組み合わせる」仕組みになっていました。


Acorn RISC Machine…この CPU は、 ARM と名付けられます。




Acorn はこの後業績が悪化し、オリベッティ(これもユニークなコンピューターを作っていたイタリア企業)に買収されます。


この後、CPU 作成部門だけを別会社化し、ARM CPU として発売されます。

Apple の Newton メッセージパッドで採用され、3DO の CPU にも使用されます。


でも、この頃はまだ「廉価な割に性能がいい」程度の位置づけだったと思います。

廉価の割に、というのがミソで、実際にはそれほど性能は良くありません。



ARM は、CPU 設計専業の会社となりました。

設計だけを行い、製造は別の会社に任せます。場合によっては更なる改良を許可します。


これにより、DEC や Intel の改良が入り、性能が上がりました。


SH-2 の台頭の際には、それまでの「32bit アーキテクチャ」に加え、16bit 命令を拡充しました。

これにより、プログラムが小さくないと使えない組込み分野にも強くなります。


16bit 命令は、Thumb と名付けられています。ARM(腕)に対して Thumb (親指)。

イギリス童話の「親指トム」など、Thumb には「小さい」という意味があります。名付け方が非常にうまい。


その後、さらにパワフルな 64bit 命令などの拡張もあります。



ARM は、現在では、数多くのスマートフォン、タブレット端末、その他の機器で利用されています。


iOS と Android の戦い、が注目されがちですが、CPU はどちらも ARM です。

スマホ対任天堂 3DS 、みたいな構図も言われますが、CPU はどちらも ARM です。


サーバー分野でも、クラウドコンピューティングなど「性能が低めでも多くのCPUを用意する」ことが重要な分野で、ARM が積極的に使われています。


Intel は、もはや「PC だけ」に押し込められた状況。

Windows も RT で ARM に対応しましたが、どうも人気が出ずに ARM に移行しきれない様子。


#と言いつつ、マイクロソフトは最近は常に ARM 向け Windows を意識した行動に出ています。

 昔は PowerPC 向けで頑張ってたよねー。




さて、話が長くなりました。


イギリスで教育用に普及したコンピューター BBC Micro と、現在世界中で数多く使われる ARM 。

この両方の設計の中心だったのが、今日誕生日のスティーブ・ファーバーです。


他にも業績多数、なのですが、最初に書いた通りちゃんと認識していません (^^;

それでも、上に書いた2点だけで紹介するには十分すぎる、と思っています。



先日、BBC が新たな機械 BBC Micro Bit を 100万台、イギリス国内の子供に無償配布することを決定しました。


名前からわかるように、BBC Micro を意識したもの。

以前の失敗(私企業の妨害と言われた件)を繰り返さないように、配布は一度きり、と決めているのだそうです。


もちろん、CPU は ARM です。

BBC Micro は、CPU はアメリカ製でしたが、今度は CPU までイギリス由来。



最初に書いた通り、コンピューターの歴史の中で、イギリスは重要な役割を担って来ました。

しかし、今は影が薄い。


イギリスは復権できるでしょうか?


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ぎーちさんにお会いした  2015-03-24 16:54:29  コンピュータ 業界記

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そんなわけで、はじめて入る山猫料理店で、ぎーちさんとお会いしてきました。


僕の意識としては「MSXマガジンのぎーちさん」です。

高校生の時に読んでいたら、ぎーちさんの4コマ漫画がよく載っていました。


だから年上の方だと思っていたら同じ歳でした。

当時のあれは、投稿だったのですね。


現在はテレビゲーム関連のフリーライターをしておられる。



何でそんな人と会って話をすることになったのだろう…





まずは、ぎーちさんのこちらのツイート。

話の流れを説明しないと、いきなりわからないかもね。


マイコンBASICマガジン、というのは、その昔存在した伝説の雑誌。

…いや、伝説とかいうと持ち上げすぎだし、全然説明になっていない。


パソコン黎明期は、パソコンと言う機械を買ってきて(もしくは部品のセットを組み立てて)、自分でプログラムして使うのが当たり前だった。

「ラジオの製作」という、名前の通り電子部品の組み立て趣味の人向けの雑誌でも、パソコンの記事がたびたび載っていた。


でも、電子回路がわかる、というのと、プログラムがわかる、というのは別問題だ。

コンピューターを手に入れたはいいが、どう使っていいかわからない、という人々が多数いた。


そこで、ラジオの製作では、プログラムの投稿を受け付けた。

パソコンを役立てられるプログラムを掲載すれば、「どうしていいか分からない」人たちに道を示せる。


これが大人気で、本誌には乗せられないほどのプログラムが来て、別冊として「マイコンBASICマガジン」が発売され、やがて独立した雑誌となっていく。



これ、アメリカのパソコン黎明期の、「PCC」「DDJ」と全く同じ構図だ。

ピープルズ・コンピューター・カンパニー(PCC)は、パソコンを自作する人たち向けの会報だった。

やがてプログラムが投稿され、1度だけ別冊で「ドクター・ドブズ・ジャーナル」(DDJ)が発行され、定期刊行化されていく…




マイコンBASICマガジン(以下ベーマガ)以外にも、プログラムを掲載する雑誌はあった。

それらの雑誌では、レベルの高いプログラム…時には市販ゲームのプログラムを掲載した。


ベーマガはそれらとは一線を画した編集方針を取った。

ベーマガのプログラムは、すべて素人が作ったもので、レベルも低く、非常に短かった。


荒削りで短い、というのは「改良の余地がいくらでもある」ということだ。

改良版、移植版、元ネタからインスピレーションを受けた別のゲーム、など次々投稿された。


当時のパソコンは、とにかくいろんな会社から出ていて、互換性がなかった。

ベーマガではありとあらゆる機種のプログラムを載せていて、50機種以上あったのではないだろうか。


とはいえ、基本的にどの機種も「BASIC」言語を搭載している。

文法やハードウェア性能などに違いはあるけど、根本的には似ている。

移植のテクニックなどを教える記事もあり、他にも機械語入門、ゲームを作るうえでのアルゴリズムの考え方など、様々な解説記事もあった。


「すごいプログラムに触れ、真似てみる」ことも奨励されている節があった。

そのため、普段見る機会の少ない海外のゲームの紹介記事や、業務用ゲームの紹介・攻略などの記事もあった。


ある時、「ゲームスタジオ」を解答陣に迎えた、ゲームプログラミング講座のページができた。


ゲームスタジオって、ゼビウス作った遠藤雅伸さんを中心として独立したゲーム作成会社ね。

素人が「こういう処理どうやんの?」とか、「ドット絵を動かすコツ教えて」とか質問したことに、プロが丁重に答えてくれる。


同じころ、誌上公開質問状、というページも出来た。

パソコンメーカーの営業や開発者に、疑問や質問を直接ぶつけられる。



プログラムの初歩から、プロが教えるコツまで。とにかく幅の広い雑誌だった。

もちろん、読者投稿コーナーもある。プログラムも投稿で成り立っているけど、漫画、イラスト、ネタ、なんでもこいだった。


充実したベーマガはもちろん大人気で、1980年代中盤から後半にかけ、黄金期を迎えたように思う。




さて、そんなベーマガも、今は休刊した。

休刊、というのは雑誌業界の方便で、「休んでいる」わけではない。休刊と言った場合、事実上は廃刊だ。


#廃刊にすると、雑誌発行に必要な ISBN コードというものを返却しなくてはならない。

 いろんな都合でこのコードを取得するのは大変なので、「休んでいるだけ」ということにして保持し、別の雑誌に使ったりする。


ところが、休刊したベーマガが復活するという。

いきなり雑誌になるのではなく、別の雑誌の1コーナーとして、だけど。



最近、電子工作がまた復権している。

ハードよりソフトの時代になり、電子工作を行う人は一旦減った。


しかし、現在では昔より高性能の部品が増え、簡単な工作で新しいものを作り出せる。

ハードとソフトは別の物ではなくなり、電子工作の一部としてのプログラム、もあり得るし、プログラムの一部としての電子工作もあり得る。


その昔、「ラジオの製作」で、自作したパソコンのプログラムを掲載し始めた時と状況は似ている。


海外に Raspberry Pi という電子工作キットがある。

非常に小さな基板だが、Linux を動作させられる。I/O ポートなどむき出しなので、LED やセンサーを繋いで、プログラムして遊べる。


同じような環境を、日本人が作りだした。 IchigoJam という。

Linux は実のところ初心者向けではない、という思想で、BASIC を搭載している。


同様に、Nintendo 3DS に「プチコン」というアプリケーションがある。


「初心者でも扱える言語」として BASIC を扱える。

こちらの BASIC は非常に強力で、3DS の機能をガシガシ扱えるし、即時コンパイル実行なので非常に高速に動く。


そして、先に書いたように、「電子工作マガジン」のコーナーとして、ベーマガが復活した。

まずは IchigoJam から、となっているが、プログラムの投稿を受け付けている。



さて、もう一度先ほどの、ぎーちさんのツイートを振り返ろう。



上に書いたように、ベーマガも復活し、「プログラムを作る」ことが再びブームの兆しを見せる中、ベーマガの投稿者の話を聞いてみたい、とのことだった。


僕はこのツイートに返信…はせずに、リツイートして自分のつぶやきとしてこう書いた。



ツイートに「お呼びでない」と書いた通り、冗談だったつもり。僕は常連ではなかったからね。


ベーマガ常連だった「Bug太郎」さんとか、アスキーから2005年に発行された PC-8001・6001 の懐古本にインタビュー載ってたね。

そういう記事を書きたいのだと思っていた。



…で、なぜか常連でもない僕が、今日ぎーちさんと会ってお話してきたわけです (^^;;




ぎーちさんは本当に「投稿者の話を聞きたかった」だけだそうです。


ぎーちさん自身、何度か載った投稿者で、他の人が自分と同じ気持ちで投稿をしていたのか、それとも違ったのか…などを確かめたかっただけだそうで。


僕もゲームプログラマーだった人間で、ぎーちさんもゲーム関連のフリーライターしている。

だから、サンプルとしては偏っているかもしれない。


それに、ベーマガの話とはどんどん脱線しつつ、いろいろと楽しい話をしてきました。


話が楽しかったので、サイン貰おうとぎーちさんの漫画が載っているMSXマガジン永久保存版3を持っていったのに、サイン貰い忘れました (^^;




自分でも半ば忘れていたような話も、人に話していると思い出したりするもんです。


ベーマガ投稿などの話は、いわゆる「ゲーム業界記」ではないのだけど、すでにゲーム業界記と言いつつ自分の昔話になっているので、今後少しづつ書き留めていこうかと思います。



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ぎーちさんにお会いした【日記 15/03/24】

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ベーマガに出会うまで  2015-03-25 18:01:29  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんとの対談(?)の最初のテーマは「ゲームを作り始めたきっかけ」だったのだと思います。多分。


なんとなく話ししながら、自然な流れでそうなっていったので、特に質問があったわけでもないのね。

だから脱線しまくり。その後の質問でも、脱線したまま質問に答えてなかったりすることも多く、改めてぎーちさん宛ての返答も兼ねて、ここに書き留めます。




冒頭の質問。ゲームを作り始めたきっかけ。

これは、「ゲーム作り」と「プログラム」の両方の意味があるのと思いますが、分離できないのでごっちゃに。



覚えている最初は、小学校2年の時に東京タワーに連れて行ってもらったことです。

ここで、「コンピューター展」みたいなイベントをやっていた


発売直後の PC-8001 で動くゲームを見て、強い興味を持っています。

これが初めてパソコンを見た記憶。




小学校3年の時、友達の家に積んであった古本の中に、「初歩のラジオ」を発見します。

その頃、電気回路にも興味があった。


丁度発見した号は、小学生でもわかるくらい簡単な「電気工作」を楽しむ趣旨の特集が載っていて、古本で捨てるものだから、と譲り受けました。


この本を隅々まで読みました。その中に、丁度連載第1回の「BASIC 講座」がありました。

簡単な内容を何度も読み返し、興味を持ちます。




この頃、年の離れた兄と一緒に、はじめて「ゲームセンター」に行ったのではないかな。

テレビゲームってスペースインベーダーのこと、と思っていたのですが、もっとゲームの世界は広いと知ります。


ドンキーコングが最新ゲームだったはず。

兄が1度だけ遊ばせてくれたけど、面白いと思う前に終わったのじゃないかな。


その後、ゲームセンターに行かないでも駄菓子屋などにゲームが置いてある、と知ります。




小学校4年の時、貯金を使って学研の電子ブロック「FXマイコン」を購入。


上に書いたように電子回路にも興味がありましたし、パソコンにも興味があった。

それなりに遊んだのだけど、機械語だったので自分でプログラムなんて組めない。




確か同じころ、友達の家にゲームのテーブル筐体が持ち込まれました。

親戚の家が喫茶店やっていて、1台余ったから「しばらく置かせてくれ」と持ってきたのだとか。


日本物産のローリングクラッシュでした。


遊んだのは3度ほどだと思いますが、フリープレイだったので攻略して、ノートに「面クリアパターン」まとめました。

初めての「やり込んだゲーム」。




小学校5年の時、ファミコン発売。

これも自分の貯めていたお年玉貯金で購入。


すごく面白かったのだけど、ふと「あれ、コンピューターって、自分でプログラムできるじゃなかったっけ?」と気づきます。

ファミリー「コンピューター」のはずだけど、これはコンピューターじゃない。ただのゲーム機だ。




小学校6年の時、ファミコンは大ブームになっています。

欲しくても買えなかった友達が、親が代わりに MSX を買ってきました。


その友達は、本当はファミコンがやりたい。僕は、プログラムがやりたい。

利害が一致して、1か月くらいの間交換します。


これが、はじめての BASIC 。

それまで、憧れて書籍などを読んで勉強はしていましたが、急に使えるはずもない。


MSX-BASIC って、実行を途中で一時停止する機能あるんだよね。


3つの数字が適当に表示が変わるのを「一時停止」して、揃ったら成功、というスロットマシン作った覚えがあります。

一時停止するって、ゲームでもなんでもない。でも、自分としてはゲームを作ったつもり。


セーブする方法がなかったので、電源を切ったらプログラムが消えます。

翌日、改良案を思いついたら昨日と同じものを作ったうえで、改良する。


毎日毎日、同じようなプログラムを作りつづけました。

同じのつもりでも、「同じことを実現する、もっとスマートなやり方」とかを思いついて、改良されていく。


同じものを作るしかなかったから、自然に改良が進みました。

この時は「面倒くさい」って思ってたけど、今考えると非常にいいトレーニング方法。




中学1年で、ファミリーベーシックが発売されます。

誕生日の直前だった。お年玉貯金で…買うにはお金が足りなかった。

ファミコン発売以前は、お金って特に使わず貯金してたけど、ファミコン以降はゲーム買ってたから。


誕生日に、親が半分くらい援助してくれて、ファミリーベーシックを手に入れます。




BASIC の勉強になる本は無いか…探しに行った本屋でベーマガと出合います。

丁度「ファミリーベーシック発売」という速報が掲載されていて、サンプルプログラムがあった。(1984年8月号)


この号から購入を開始。

翌号からは投稿プログラムが掲載されていました。


ベーマガでは、ファミベ用はもちろん、他の機種用のプログラムも結構目を通していました。

面白そうなゲームは移植を試みたりね。




というわけで、冒頭の質問の答え。


僕の場合、ゲームとパソコン・プログラムは同時進行で好きになり、どれも十分に手を出せないまま、憧れている期間が長く続きました。

機械持ってないのに、BASIC の本だけ何度も読み返したりね。


中学1年でファミベを入手して、それを期にゲームのプログラムに一気にのめり込みます。

すでに知識はあるので、難しそうという意識はなかった。


ただ、それなりにまともなゲームが作れるようになるのは、もう少し後の話になります。



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作り棄てる日々  2015-03-26 20:00:14  コンピュータ 業界記

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昨日の続き。


ファミベ入手してからは、ひたすらプログラムを作り棄てていました。


作り棄てる、って変な言い方だし、当時は作り溜めていたつもりなのだけど、一度作ったゲームはセーブされ、2度とロードされない感じ。


ファミリーベーシックは、2Kbyte しかメモリがありませんでした。

この中で、作りたい内容を詰め込むと、1日でだいたいメモリいっぱいまで使ってしまう。


中学では部活はやらず、パソコン仲間とゲームを見せ合ったりしていました。

誰とも遊ばない日はゲーム作成。


だから、大体プログラム時間は3~4時間くらい。これでメモリ限界に達するほどメモリが小さい。



あのゲームみたいなの作りたいな、って思ったら、そのゲームの何が面白いのか、自分なりに考えてみる。


大きなプログラムは作れないから、作りたいゲームの中でも特定箇所に絞って真似してみる。

ファミベーはキャラクタは ROM で書き変えられないから、見た目は真似できない。動きをどう似せるか考える。

動きも BASIC で遅いから真似できないなら、遅くても実現できる方法を考える。


「考える」のはいつでもできるので、それこそ1日中。プログラム作業は上に書いたように3~4時間。

これで、ゲーム1本出来上がり。

出来が悪くても良くても、メモリ限界でそれ以上の改良はできません。



もう、毎日すごく小さな目標を立てて、それを実現してみる、というそれだけです。

作ったものは、ゲームのつもりだけどゲームになっていなかったりする。


毎日毎日作っているから、同じような処理もひたすら書き続けます。

写経みたいなもので、毎日書いているとより良い処理方法がわかってくる。


以前作ったゲームは大切に置いてあるのだけど、今日のプログラムより出来が悪いとわかっている。

だからロードして遊ぶことは無い。メモリ限界なので改良だってできないし。




自分でも覚えている、できの悪いゲームを書いておきます。


夢幻の心臓」をみて、へー、こういうの RPG っていうのか、と作ってみた。

内部的には大きなマップがあって、一部を表示してスクロールする…まぁ、後のドラクエと同じです。

(この時点ではドラクエ発売前)


時々敵が出てきて、戦ったり戦わなかったりする。

でも、この部分の処理がよくわからない。


なんか、敵と戦って自分が強くなったりするんだけど、適当にパラメータ決める。

敵も適当。戦いも、パラメータを元に乱数で「勝った」「負けた」って決める。


友達に遊ばしたら「おめー、RPG ってのはそうじゃねーよ」と。

マップの表示の仕方とか、見た目は真似しているのだけど、重要な部分が全然判って無い。



また別の物。

ロードランナーみたいな「アクションパズル」を作りたい。

でも、パズルって作るの難しい。じゃぁ、良く知られている名作パズルをアクションにしてみよう。


ペグソリティアをアクションゲームにしました。


ペグソリティアって、単純なルールなのだけどパズルとして非常に難しい「名作」ね。

そんな難しいものを、敵から逃げ回ったりしながら解かなくちゃならない。


自分は解き方をわかっていて遊ぶから面クリアできるけど、他の人は誰もクリアできない。

パズルをアクションゲームにすればアクションパズルなのではない、と知りました。



ゼビウスもどきの流行していた時期。自分も似たの作りたいと思いました。

でも、あんなスクロール BASIC じゃできない。


サイオン」というゲームがありました。

このゲーム、スクロールするのだけど、1画面しかないのね。画面下に消えたものが、すぐ上から出てくる。


これなら作れるんじゃないか。真似します。


BASIC でスクロールはできないけど、一番下の行に何か書けば、1行上にスクロールする。

一番上の行を一番下にコピーすれば、1画面がループスクロールする…


進行方向は本物の逆なのだけど、そんなことは些細な問題だ!


「サイオン」は、画面内の地上物(攻撃してこない)を全部撃つと面クリア。

この部分まで作りましたが、空中物を出す余裕がなくなった。


シューティングゲームなのだけど、地上物しかいません。敵の攻撃もない。



…ロクでもないゲームばっかだな。

それでも、ここら辺のゲームは1日ではできず、2~3日かかった「出来の良いゲーム」のはず。

じゃなきゃ、覚えているわけがない。


とにかく、作ることが楽しかった。出来上がったゲームの質なんて、どうでもよかった。




ベーマガは毎月買って、熟読していたように思います。

欄外の読者投稿欄、OFコーナーも読んでましたし、スーパーソフトマガジン(後にコーナーになる)も読んでた。


他機種のプログラムでも良く読んで、どうすればどんなことができるのか、研究していました。


ある日、FM-7 を持っている友人の家に行ったら、友達がベーマガのゲームを打ち込んでいたんです。

でも、動きがおかしい。エラーが出て止まるならその行に誤りがあるのだろうけど、何が悪いのかわからない。


僕は FM-7 は持ってなかったのですが、リストは読めました。

「おかしな動作」からどこら辺のプログラムが関連していそうかアタリを付け、その付近のリストをよく読みます。


それで、このあたりの変数が間違ってんじゃないかな…と、FM-7 に入っているプログラムと見比べます。


たしか、変数名の 1 と I が間違ってる、とか、すごくわかりにくい間違いだったともう。

持ってもいない機種のプログラムを読んで、バグ修正したので友達に驚かれた覚えがあります。




他に、Beep! も読んでいましたが、お小遣いの都合でこちらは「面白そうな号」のみを購入。後は好きなコーナーだけ立ち読み。

プログラムポシェットも注目していましたが、こちらはほぼ立ち読みのみ。


バックアップ活用テクニックも、ファミコン解析特集の号とかは買いました。今でも置いてあります。


いろんなプログラムを読んで、些細なテクニックに感心する。

それを繰り返して、技術を覚えていきました。



ある時、ファミリーベーシックに「V3」カートリッジが発売されます。

ベーシックは初期型の V1、いつの間にか更新された V2 があって、V3 は別売りだった。


テレビCMでは、V3 でマイク入力を使ったゲームをやっているのね。

すげー、そんなことできるんだ。お店でチラシを貰います。


ところが、チラシにあった命令一覧を見ても「マイク入力」を検知する命令は載っていない。

その、マイク入力プログラムの画面写真が載っていて、ちらっとプログラムも出ていました。


その中に、PEEK(&H4016) という一文があった。これなんだ?

PEEK は、メモリの内容を読み出す命令です。怪しすぎる。もしかしたら…


プログラムを作って実験したら、V2 でもマイク入力が読み取れることがわかりました。

CMを真似たゲームを作って、友達に見せて驚かせます。



プログラムポシェットのある号に、「マシンごっこ」というプログラムが載っていました。

BASIC からメモリに特定の値を書き込み、そこを実行している。名前の通りマシン語プログラムです。


このプログラム、なんと画面が滑らかにスクロールする、というもの。

「マシン語だからこんなことができる」と書かれていたように思います。


すごく気になった。この号に他に欲しい情報はなく、欲しいのは10byte 程度のマシン語の内容のみ。

メモ用紙に鉛筆で書き留めて、家に帰って解析しました。


#今考えると情報万引きです (^^; 当時その意識はなかったのだけど、真似してはなりませぬ。


当時はまだ、マシン語がわかったわけではありません。

でも、ベーマガの Dr.D のマシン語寺子屋に、6502 の主要命令など出ていたと思う。

バッ活の解析記事も参考にしたかもしれない。


結局このプログラム、単に POKE 命令(PEEK の逆)をやっているだけだと判明します。

BASIC で書けるのだけど、この機能の投稿者が、詳細不明のまま人を驚かせようとしてわかりにくい表現をしただけ。


こちらも、「マシン語だから出来る」に対し、BASIC で同じことをやってみせて友達を驚かせます。



とにかく、ファミベーでもそうでなくても、人のプログラムをよく読んだ。

そして、面白くもなんともないプログラムを良く書き散らかした。




プログラム上達のコツは、とにかくたくさんのプログラムを書くことだと思います。

大抵のプログラマーが、上達のコツを聞かれて同じように答えますけどね。


綺麗に書こうと悩むより、汚くても書いて動かしてしまう。

動いたら、もうそれは終わり。綺麗に書きなおそうとかし始めると、疲れるだけだからやらない。


より良い機能を作るより、新しい機能を作る。

1からくみ上げるのは楽しいのだけど、最後の仕上げをするのって疲れるから、楽しいところだけどんどんやっていく。


プログラムって、8割完成で止めておくのがいいです。

仕事だとそうも言ってられないのだけどね。


ファミリーベーシックはメモリが少なかったため、望まずにこれが実現できていたことになります。

当時はもっとメモリが欲しい、と思っていたのだけど、メモリが多かったら同じプログラムばかりいじり続けていて、プログラム上達しなかったかもしれません。



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ファミベ、MSX、X68k  2015-03-28 10:09:16  コンピュータ 業界記

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ここに書いている内容は、順を追って整理しています。

僕の昔話になってしまっているけど、小学生から始まって、中学生でベーマガに投稿した話まで書きました。


ぎーちさんとの対談の時は、こんなに順序立てていません。時代とか飛び回る。

最初に話したのが、今回の話。


#お店に入る前に、歩きながら話してた内容。




ツイッターで、ぎーちさんが「ベーマガ投稿してた人と話がしたい」と書いていたので、ファミベで投稿した話は先にしています。

そして、お会いした時にまず「ぎーちさん、とお呼びしていいですか?」と尋ねた。


これで、「あれ、もしかしてMマガ読んでました?」と言われました。

はい、その通り。読んでましたし、ぎーちさんの4コマ漫画好きでした。


#特に気に入っていた一つは、今でもその内容を言える。

 言ったら恥ずかしがられたのでここには書かないけど。


#MSXマガジン永久保存版3には、ぎーちさんの4ページ漫画と、4コマ2本が載ってる。

 サイン貰おうと思って持っていったのに、話が楽しくてサイン貰い忘れた!


さて、MSX も使ってた、という話からパソコン遍歴の話に。


僕は、ファミベの後 MSXMSX2 と進み、X68k を購入しました。

その隙間に、PB-100 とか PC-E500 などのポケコンも使っているけどね。


#前回書いたけど、父に怒られてファミコン禁止になった。

 ポケコンなら隠れてこそこそやれるから購入。



ぎーちさんは、SC-3000 から MSX に進んだそうです。

X68k は憧れではあったけど、高くて買えなかったって。


僕は、大学の夏休みをみっちりバイト入れて、その賃金を全部突っ込んで、1年型落ちの X68k を入手しました。

当時はパソコンってすごく高かったし、X68k はその中でも特に高かった。


一式およそ 50万。型落ちを通販の安売りで買っても 30万しました。




ファミベ、MSX(2/2+/TurboR含む)、 X68k 、と進んだ人はゲーム業界には多いようです。

ぎーちさんはゲーム業界でフリーライターをしていたのでそういう方に会っているようですし、僕の周囲にもいます。


なんででしょうねぇ、という話になった。


乱暴なあて推量をすると、お金持ちで自分でゲームを買える人は、きっとゲームで遊んだと思う。


貧乏でゲーム買えないのにゲームが好き、という人は、夢想しながら自分で似たようなものを作る。

この時に、高価なパソコンを使えるわけもなく、ファミベみたいな貧乏くさい機械になる。


じゃぁ、X68k は何なのさ、ということになるけど、成長後だからね。


僕もぎーちさんも、第2次ベビーブーム世代です。

この世代、すごく人数が多いから、商売のターゲットにされている。


ファミベも、MSX2 も、X68k も僕ら世代が「ちょうどよい」時代になったところに発売されています。


ファミコンが「小学校高学年」あたりをターゲットにして登場したのが小学5年生の時。

ちょっと背伸びしてパソコンに興味を持つ中学生の時に、ファミベが発売されました。


MSX2が急激に安くなって普及期に入るのが、そろそろ「ファミコンは子供っぽい」と思い始める高校の時。

パソコンは一式15万円くらいの時代に、5万円だったので高校生でも自分で買えました。


X68k は、欲しいもののためならバイトもできる大学生の時。

バイトしてバイクや車を買うやつだっていたのだから、パソコンくらい、なんてことない。



パソコン以外では、ガチャピン・ムックも、ガンダムのプラモデルも、コロコロコミックも、チョロQも、僕ら世代に売り込んできた商材。


もう、それは見事にカモられているわけですが、いろんなおもちゃが提供されて楽しかった世代でもある。




でも、すでに書いたようにファミベは入門には良い機械でした。

絵はお仕着せの物しか使えない。メモリは少ない。


だから、プログラムだけに集中して、辛くなる前に「限界」に達してしまう。一番面白いところだけのつまみ食い。


そこから、安い上に「ファミベと同じようにスプライトが使える」という理由で MSX2 に移るわけだけど、僕は出来ることが急に増えすぎて戸惑った。

プログラムはしたのだけど、ゲームはあまり作りませんでした。(小さなのは作ったけど)


X68k は、構造が「ファミコンを豪華にした」ような感じだった。

だから、ファミベ出身者としては懐かしい。これはものすごい使い込んだ。



でね、これらの機種の共通点である「スプライト」は、ゲーム作りたい人にとっては、本当にありがたい機能だった。


スプライトがなくたってゲームは作れるけど、細かなテクニックを駆使しないといけない。

もちろんそういう方向の腕を磨いた人もいるけど、それは技術者であってクリエイターではない。


ゲーム業界で「クリエイター」になった人が、ファミベ・MSX・X68k というコースをたどった人が多い、というのであれば、そういう理由があるのだと思います。




以下余談。ぎーちさんにも話したのだけど。


僕らの世代が「子どもが多いターゲット世代」だったので、5歳下は割りを食っています。

上の世代が遊んでいた面白そうなものは、その時にはまだ年齢が低すぎて遊べない。


でも、遊べそうな年代になった時にはブームも終わっており、入手も困難。

この繰り返し。面白いものが何もない。


仕方がないから自分たちで新しいことを始める。

その時は誰も注目しないのだけど、下の世代に受け継がれ、さらに3歳下の世代が「今子供たちにこんなことが流行っている」と注目される。


ずーっと、この「谷間」を歩いてきた世代が、第2次ベビーブームの5歳下世代。


この世代を示す言葉すらない。

実は彼らの世代は自分たちを示す言葉を「作り続けている」のだけど、この言葉もいつも3歳下に奪われる。


ちなみに、就職時期は一番求人比率が悪かったときでした。


でも、これも統計がまとまって「あまりに酷い」と問題視されるのは3年後で、3歳年下が同情されるんだよね。

その時にはもう状況が改善していたのだけど。



不遇の世代です。

彼らの世代に、もっと光を!


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X68000発売日(1987)  2015-03-28 11:33:57  コンピュータ 今日は何の日

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ちょうど、ぎーちさんとの対談話X68k の話題を書いたところだったけど、今日は X68k の発売日でした。


これはもう、熱い思いを18年前に書いている


でも、18年も経つと、その後の思いも多少はあります。

ちょっと書かせてもらいましょう。




定価は 36万9千円だったそうです。

正確な数字がすぐに見つかる。18年前に書いたときはそこまで調べなかった。



当時のパソコンは、だんだん性能が上がってきていて、ビジネス用の PC98 で一式40万円くらいだったかな。

ホビー用の PC88 だと、一式 30万円くらいでした。


…これだけ聞くと、X68k は案外高くないように思えますね。

PC88 と違って 16bit 機だし、同じ 16bit の PC98 より少し安い。


でも、X68k は「一式」じゃなくて、本体価格だからね。


X68k は、テレビ事業部が作ったもので、「テレビの可能性を広げるパソコン」という思想がありました。


だから、専用ディスプレイはテレビとしても使える。チューナーが付いているんです。

テレビの画面にパソコンの画面を重ねることもできる。これ、パソコン側ではなく、専用テレビ側で制御していました。


せっかく画面を重ねられるのだから、ビデオに録画できるように、テレビに「出力」機能が付いている。


さらに、パソコン側からテレビのチャンネルを変えたり、音量を変えたりできる。

本体の電源を切っている時でも、キーボードでテレビを操作できました。



技術的なことを言えば、テレビは 15KHz の映像周波数で表示を行っていて、当時の一般的なパソコンは 24KHz の映像周波数を使っていました。

X68k は、他のパソコンより画面が細かかったので、31KHz を使っています。


専用ディスプレイは、この3種類の信号入力を適切に見分け、自動的に表示を変えるように作られていました。



なんだかすごいね。

この、専用テレビがめちゃくちゃ高い。


パソコン専用ディスプレイって、細かな文字を表示しないといけない都合もあって、一般にテレビより高いのね。


それが、X68k 専用だとディスプレイだけで 12万9800円。

パソコンの機能の一部を、ディスプレイ側に入れ込んじゃってあるからね。


合計で50万円弱。1987年だから、消費税導入前ですね。




「5年間は設計を変えない」と言った、ということにされていることが多いのですけど、ちょっと違うと読んだことがあります。


当時としては、ものすごい性能の機械だった。

発表会見に集まった記者たちが驚き、こんな高性能にして採算に合うのか、と聞いた。


それに対して「5年先を見越して設計しています」と答えた。

ただそれだけ。


今はすごい機能に見えるものでも、5年後には普通になるだろう。

だから、それを見越していろんな機能を入れてある、というだけで「設計を変えない」とは言っていない。


でも、「設計を変えない」と雑誌などに書かれ、ユーザーがそれを信じるようになった。


性能が高いマシンを発売したら、ユーザーに対する裏切り行為になってしまう。

進化の激しいパソコン業界で、5年間性能を変えるわけにはいかなくなった。



これで、X68k は「性能の低い機械」となって、パソコン業界の中で取り残されていきます。

やっと5年が過ぎて、性能を上げた機械を出しても手遅れ。




まぁ、設計を変えられたのか、というと難しかったとも思います。

5年目のマシンも、ただ CPU を高速化しただけだったし、その高速化も周辺が遅いからあまり活かされなかった。


設計が美しすぎた、というのが X68k の弱点だったと思います。


全てが一体となって設計され、一分の隙も無かった。

だからこそ、後から改良を入れる余裕もなかった。設計した時点が「最高」で、その後の展開がなかったんです。


IBM-PC なんて、最初から設計が汚かった。つぎはぎだらけだった。

その代り、ツギハギ部分を叩き切って、別の機能に挿げ替えることも簡単だった。


結果として、時代に合わせて変わりつづけられました。




実は、「美しいものははかない」って、このページの開設当初からの隠しテーマなんだよね。

今は使われない昔の機種・機械を紹介しているけど、やっぱ紹介する機械は、僕なりの「審美眼」で選んだものだけになっている。


でも、その「美しいもの」はもう使われていないのです。

大抵は、設計が美しすぎて改造できず、時代に取り残されたものなのね。



僕は、大学生の頃までは「美しいことは正義」だと思っていた。

でも、そうじゃない。時代を超えるには清濁併せ持たねばならないのだ、と教えてくれた機械が X68k でした。


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ビッグエンディアンとリトルエンディアン(1980)  2015-04-01 11:14:14  コンピュータ 今日は何の日

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今日は何の日、なのになんだかよくわからないタイトルになっています。


長いから短くしたのだけど、今日は


「ビッグエンディアンとリトルエンディアン、という言葉が、コンピューターのデータ格納順の意味で初めて使われた日」


です。




毎年、4月1日には「ジョークRFC」と呼ばれるものが発行されています。

RFCっていうのは、インターネット技術の標準を決める文章…ってよく言われるし、実際そうなのだけど、もともとは Request For Comment の意味。


「なんか意見ある?」ってだけで、標準を定めるとか、難しい意味は無い。

ただ、技術提案がだんだん「リファレンス」の意味を持ってきて、今では標準としての権威を持つようになっただけ。


権威を持っているので、文章の発行には(いまでは)ややこしい手順を踏む必要があります。


そして、その手順をちゃんと踏んだうえで、一見技術文章に見えるような手の込んだ「ジョーク」を作り上げるのがジョークRFC。

出来の悪いものも多いのですが、出来が良いものはちゃんと技術文章になっているし、技術者じゃないと意味がわからないし、それでいて笑い出すほどバカバカしい。


まぁ、技術者の遊び心を競うイベント、とでも言いましょうか。

技術者ってまじめすぎる人が多くて、ギャグの解説書いちゃったりして興ざめの物もありますが。




インターネットは「小さなネットワークを結びつける技術」として生まれました。

上にRFCを「インターネット技術の標準」と書きましたが、もともとはRFCは「ARPANETの」標準を定めるものでした。小さなネットワークの中の標準に過ぎなかった。


ネット同士を接続する際の技術文章としては、IEN(internet experiment note)というものが別途発行されていたのですが、現在ではIENに書いていたような内容もRFCで発行するような形に統合されています。


IENで話し合う内容は、ネットワークの基礎が違う場合に何が起こるか、コンピューターの互換性が無いと何が起こるか、それらの問題を解決するにはどうすればよいか…というようなものでした。


さて、話が長くなりましたが、1980年の4月1日、IEN 番号 137 の技術文書が発行されます。

タイトルと書き出しは以下のようなものです。


 ON HOLY WARS AND A PLEA FOR PEACE

 This is an attempt to stop a war. I hope it is not too late and that somehow, magically perhaps, peace will prevail again.



訳せばこんな感じ



 聖戦における、平和の嘆願書

 これは、戦争終結への試みです。この試みが手遅れではなく、願わくば平和が戻りますように。



一体何の技術文書なんだ?

と思われるかもしれません。


この嘆願書に書かれている内容は、「ガリバー旅行記」に書かれている、リリパット国(小人国)と、その隣のブレフスキュ国の戦争を止めようというものです。




ガリバー旅行記は有名なお話ですが、確認のためにあらすじを紹介しましょう。


英国の船乗りであったガリバーは、船が難破して不思議な国に漂着します。

その国の住人は全て小人で、ガリバーが気づくと囚われの身でした。


しかし、小人が縄でガリバーを縛ろうとも、ちょっと力を入れれば簡単に縄が切れます。

ガリバーが小人に危害を加えるつもりが無いと伝えると、国王に歓待されます。


小人の国では、隣の国(こちらも小人の国)と戦争をしていました。

ガリバーは、隣の国の船が沖に停泊しているところまで歩いて行って、全部縛って捕虜にし、引っ張ってきました。


これで戦争が終わり平和になるかと思えば、国王は「ガリバーの力」を手に入れたことに気が大きくなり、次々他の国に戦争を仕掛けようとします。

その方法に反論するガリバーは、ついに命を狙われ、小人国を脱出します。



さて、問題は、小人国と隣国が戦争していた原因です。


もともと、小人国では半熟卵を食べるときは、卵の大きなとがった端から殻を剥いて食べる習慣がありました。

しかし、2代前の王様が子供の頃に、卵の殻を剥いていて、指を切ってしまったのです。


その父である3代前の王様が、これは卵の大きい端から剥いたために起きた悲劇であると考え、卵は小さな端から剥かなくてはならない、という命令を出します。


これに、一部市民が反発しました。卵を大きい端から剥くのは、祖先から受け継いだ大事な習慣である。

卵を小さな端から剥くくらいなら、死んだ方がましだと。


彼らは、レジスタンス活動を開始します。

国王軍に何度も戦闘を仕掛け、双方に多くの犠牲者が出ます。


一部の者は亡命し、隣国がこれを支援します。そして、2国間の戦争が始まりました。


この戦争は、卵を小さい端から剥くか、大きい端から剥くか、2者択一の主義を巡る戦争です。

「中庸」ということはありえず、長く続くことになります。



ところで、小さい端は英語で Little-end 、大きい端は Big-end です。

2語を合成して作った造語ですが、これ以上小さな意味に分けると意味が変わってしまうため、分解してはなりません。


これを主義主張とするものは、 Little-endian と Big-endian です。

これも、「リトルエンディアン」「ビッグエンディアン」で一語で、分解して「エンディアン」などと言ってはなりません。




さて、いよいよ話が混とんとしてきました。

ガリバー旅行記の中に出てくる戦争に、なんで技術文章で「平和のための嘆願書」が出されなくてはならないのか。


IEN 137 では、ちゃんと技術的な話が行われています。


元々、コンピューターは情報の最小単位である「bit」を寄せ集め、「word」として扱います。

コンピューターごとに、何bit が 1word となるかはバラバラでした。


また、word とは別に byte という単位もあります。通常は、word はコンピューターの扱いやすい単位で、byte はそれよりも小さく、文字を扱いやすい単位です。

byte も、6bit 、7bit 、8bit などコンピューターにより異なります。


しかし、1980年ごろには、8bit が byte で、1word が 16bit 、というような構成が一般的になりつつありました。

混乱していた情報の単位は統一されつつあったのです。


ところが、ここに新たな混乱が生じていました。


16bit の 1word を、byte 単位で情報を記録できる「半導体メモリ」にアクセスする際に、どのようにアクセスするかが機種ごとに違ったのです。


16進数4桁(16bit)で、 1234 という数値があったとしましょう。

これを、8bit 2つにわけると、 12 と 34 に分かれます。


12 は、1234 という数字の時には「上の桁」でした。これを、上位の桁と呼ぶことにします。34は下位の桁です。


そして、この 12 と 34 を記録するのですが、どちらを「下位アドレスのメモリ」に記録するかが、メーカーにより異なります。




さて、次の話をする前に、ちょっと取り決めをしておきましょう。


コンピューターでは、プログラムをメモリに納めています。

そして、いまプログラムのどこを実行しているかを、「プログラムカウンタ」というレジスタ(変数)で記憶しています。


プログラムカウンタ(以下PC)は、プログラムデータの読み取りを行った後、値を1増加します。

つまり、次の命令を読む準備をするのですが、ここで「1増加」なことに注意してください。


メモリアドレスが小さいほう(下位アドレス)が先に読まれ、大きい方は後で読まれることになるのです。



今読んでいる文章は、横書きで、左から右に読むようになっています。

そこで、横に並べて数値を書くときは、左側が先に読まれる「下位アドレス」、右側が「上位アドレス」ということにします。




用語が混乱しないように、再確認


「上位の桁」と「下位の桁」…これは、1234 という数字を別けた時の位置関係です。12 が上位。

「上位アドレス」と「下位アドレス」…これは、メモリの並び順です。下位が先に読まれる。



では、16bit の数値 1234 を、8bit づつ 2byte に区切って書きます。


12 34


あぁ、真ん中で切っただけね。なんか普通に見えます。

下位アドレスに上位の桁を置いて、上位アドレスに下位の桁を置いています。


…あれ、言葉で説明するとなんか不自然に感じる。


もう一つ書きます。


34 12


なんか、逆転していて不自然に見える。


でも、下位アドレスに下位の桁を置いて、上位アドレスに上位の桁を置いています。

説明だけみると、非常に自然。


どちらも、それなりの根拠があってやっているのですが、全く正反対の結果となっています。

そして、この主張には「中庸」という落としどころはありません。




IEN 137では、上の形式…下位アドレスに、上位の桁を入れる方法は、Big-endian と呼んでいます。

メモリからデータを「取り込む」、つまりは「食う」のが、大きな端(上位)が先になるからね。


下の形式は、逆なので Little-endian です。


…やっと、混乱していた話がまとまりました。



コンピューターの値の格納には2つの形式があるけど、これは小人の国の戦争のようなもの。

中庸の意見などなく、どちらが正しいわけでもない。


でも、IEN は「インターネット接続のための」技術文章です。

戦争を終わらせるために、お互いを理解する努力を…データの並び順に常に注意を払い、相互接続できるようにしようではありませんか、という趣旨のものです。


そういう意味では、4月1日に発行されているけど、「ジョーク」ではない。

ちゃんと重要な提案を行っているのです。


まぁ、ガリバー旅行記の戦争になぞらえたのは、エイプリルフールネタを意識していたと思いますけどね。



これ以前、こうしたデータ並び順は「バイトオーダー」と呼ばれていました。


でも、これ以降、バイトオーダーを示す用語として「ビッグエンディアン」「リトルエンディアン」が使われるようになり、さらに現在は「エンディアン」がバイトオーダーの意味で使われています。


先に書いたとおり、「ビッグエンディアン」「リトルエンディアン」でそれぞれ1語で、「エンディアン」だけにすると意味を持たないはずなのだけど、現在では当たり前に「エンディアン」という言い回しが使われている。


#日本では、ではなく、英語圏でもそうなっています。


まぁ、言葉は時代と共に変わる物なので、この事に問題はありません。

大切なのは、こうした違いがあることを認識し、データが読めない、というような問題を回避するための努力です。


ほんと、ファイルシステムがエンディアンの影響受けるとか、シャレにならないからね…



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今日は、エド・ロバーツの命日(2010)



「世界初のパソコン」である、アルテア8800を作り出した人です。

詳しくは、誕生日の記事に書いているので、そちらをお読みください。





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ベーマガの影響  2015-04-03 11:18:29  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんからの質問…と明示されたわけではなかったと思うけど、「ベーマガの影響」の話になりました。

ベーマガって、プログラム投稿以外にもたくさんコーナーありましたから。


僕が真っ先に「好きだった」と挙げたコーナーは、「ゲーム・プログラミング講座」。


ゼビウスを作った遠藤雅伸さんって、当時は憧れの人だった。

その遠藤さんと、仲間の方々がゲーム作成の質問に答えてくれるという夢のような(?)コーナー。


プログラム上の疑問・相談だけでなく、ドット絵の描き方、音楽の作り方、ゲームシステムの考え方、ゲームクリエイターになる方法…などなど、幅広い質問に答えていました。


中学生の頃は、まだ無邪気に「将来はゲームを作る仕事をしたい」と思っていました。

ゲームクリエイターの人たちというのは殿上人。その言葉は素直にすごいものに感じたのです。




Beep! でも、ゲームクリエイター多数にアンケート取った特集とかありました。それも熟読した。


遠藤さんたちも、Beep! のアンケートに答えた人も、似たようなことを言っている。

ということは、ゲームクリエイターになりたければ、これは本当に重要なのだろう。


それは、「今すぐテレビゲームなんてやめて外へ行け!」ってこと。


これが意味がわからなかった。

テレビゲーム作りたい、と思っているのに、テレビゲームやっちゃいけないの?



もう一つ、「素人のうちは、プロには作れないゲームを作れ!」とも言っている。

これも判らなかった。

プロって、なんでも作れる技術を持っているからプロなんじゃないの?



これらの言葉は、ずっと心のどこかに引っかかっていました。




自分がゲームを作る立場を経験して、この言葉の真意がわかりました。


テレビゲームって、人を楽しませるものです。

じゃぁ、「楽しいこと」自体をたくさん知っていないといけない。


テレビゲームばっかやっていても、所詮は「ゲームの中」の小さな経験でしかない。

もっと多くの「楽しいこと」を知っていないと、人を楽しませることなんてできない。


テレビゲームが大好きで、テレビゲームばかりやってきて、テレビゲームを作る立場になったら全然いいものが作れない、という人を、実際何人も見てきました。

楽しいことの経験が少ないのだと思います。


幸い僕は友達に恵まれ、旅行もしたし、酒飲みながら語り合ったこともある。

そんな経験でも「楽しい」ことを少しでも多く経験しておくことは、ゲームを作るうえで非常に大切です。



もう一つの「素人のうちはプロには作れないものを」というのは、前回もちょっと書いたね。

プロになると、商売だから「売れるゲーム」を作らないといけない。


遊ぶ立場では、面白いゲームが良いゲームだと思っていました。

でも、プロにとって、それは良いゲームではないんです。


あと、プロになると操作方法に制約が出る、というのもあります。

家庭用なら、家庭用のゲームパッドの中で考えないといけない。


業務用はもっと制約が厳しくて、1レバー3ボタン、というのが基本でした。

業務用だからこそ、変な入力デバイスでも使えそうに思いますが、そういうものは高くつくし、交換が面倒なのでゲームセンターが買ってくれない。




ところで、僕は大学時代に「マイクが1本おいてあるだけ」というアクションゲームを作ったことがあります。

変なゲームを作ろうと心がけていた頃のもの。


いろいろ狙いがあって、ゲームのあり方に対して自分なりに問うてみた意欲作なのよ。

でもまぁ、七面倒くさい理論はどうでもいい。このゲームに触れた人の反応が予想外で、僕には印象に残っている。


ゲームを遊ばない人ほど、このゲームを見て戸惑うのね。

ゲームって、ファミコンみたいにパッドでやるものだと思てる人にとっては、マイクが置いてある、というシチュエーションからおかしいのです。


でも、説明は書いてあるから遊んでみる。

自分が声を出さないとゲームが遊べない、でも声を出すというのは案外恥ずかしい。


ここで、みんな変な状況に笑い始める。

最初は照れ笑いなのだけど、笑っているうちに自分でも楽しくなってきて、遊んだ後も嬉しそうに帰っていく。



ちなみに、ゲーム慣れしている人はすぐにルールに慣れて、冷静に黙々と遊びます。

笑顔にはならないけど、ハイスコアは叩きだす。



ゲーム業界に入ってから気づいたけど、これが「プロには作れないゲーム」でした。


プロのゲームを真似するのであれば、どうすれば面白いかもだいたいわかる。

すでにあるものを真似していけばそこそこのものが出来上がる。


でも、そうではない、物まねではないものを作ると、すべてを自分で決めなくてはなりません。

「声で操作する」ゲームを、どうすればより面白くできるのか、どうゲームバランスを設定すれば楽しいのか。



マイク一本だから、スタートボタンもない。ハイスコア出してネームエントリーしようにも、文字を選ぶ方法がない。

変なデバイスを採用したら、当たり前に思っていたことが何もできないんです。

ゲームスタートの方法、ハイスコア時のネームエントリーの方法まで考える必要がありました。



物まねではないゲームを作ると、真似をするよりもずっと深い部分まで考える必要があります。

その苦労は、確実に「面白いゲームを作るための方法論」として身に付きました。


そういう経験を積んでおけ、というのがプロからのアドバイスだったのですね。



ところで、セガに「デカリス」(2009)ってゲームがあったのですが、あれを作ったのは同期の企画者。


僕が会社辞めた後なので、裏話とか知らない。実は、僕はこのゲームを見てすらいない。

あまり売れなかった上に、すぐに市場から消えてしまったからね。


ぎーちさんにも話したし、裏話を最初から知らないので、20年たってないけど書いてしまいましょう。



彼は、プロは作ってはならない、「変な入力方法」にこだわってました。

新人の頃から、変な入力のゲームの企画を、何度も出しては没になっていたのを知っています。


どうも、狙いは僕が作った「マイク入力ゲーム」と同じだったみたい。


変な状況に置いてやると、それだけで人は楽しくなってくることがある。

ゲームって「楽しむ」ことが目的だから、楽しくなれるのであればそれは成功。



で、何度も没を喰らって、できたのが「デカリス」。


すごくでかいレバーで、すごくでかい画面で、すごくでかいブロックのテトリスを遊ぶゲーム。

とことんバカバカしいアイディアです。遊びながら、バカバカしさに笑ってほしかった。


…でも、評価は低い。意図が理解されなかったのね。

僕のゲームと同じで、ゲーム慣れしている人は冷静に遊ぶ。おかしな状況で楽しくならない。


本当は、ゲーム慣れしている人が少ない、遊園地とかに置ければよかったのでしょうね。

でも、ゲームだからゲームセンターに置かれました。そして、ゲームセンターはゲーム慣れした人ばかりです。


彼の意図は理解されず、このゲームの評価は低いまま。

プロが作ってはならないゲームをプロが作るとどうなるか…という残念な例です。


#届けたい人に届かなかったというだけで、それを作り上げた彼の情熱を、僕は高く評価しています。



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横スクロールゲームに右向きが多い理由  2015-04-03 16:01:03  コンピュータ

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なんかしらんけど、ツイッターで「なぜテレビゲームは左から右に向かって進むか」を論じている人たちがいた。


えーと、別にすごい話題になっていたとかじゃなくて、僕の見てる人たちが話していただけです。

それも、2005年に書かれたブログ記事を見て疑問が出ていただけ。


同様の議論を書いているブログは、2008年にもあった

これも、ツイッターで議論している人が提示していたのだけど。


恐らく、先のブログの影響を受けて後のブログが書かれたのだと思う。

議論の流れが似ているから。


ただ、先のブログは「右上位・左上位」という文化論を論じているのだけど、後のブログはそのなかでゲームだけが特異に見えることを取り上げた内容になっている。


で、疑問が出てくるわけだ。

なんで、ゲームだけが特殊なのか?




ゲームを論じたほうのブログ記事は、それなりに面白い考察もしていて、否定する気はない。

ただ、面白かったからこそ、自分でも考えを書いてみたくなった。



その前に、否定しないと言いつつそれは違うんじゃないかな、という指摘だけしとくね。


スカイキッドとスパルタンX(海外ではKung-Fu Master)を、「異色のゲーム」として挙げていることに対して。


この二つ、右から左向きにスクロールするんだよね。

ただし、スパルタンXは、1面ごとに方向が交互に変わる。



当時、そもそもスクロールするゲームがまだ珍しかったようにも思う。

スクロールするゲームはそれなりにあるのだけど、「右だから変」という感覚はあまりなかった。


当時、ベーマガで「ジョイスティックは右か左か論争」があったのを覚えている人もいるかもしれない。

同様に、「横スクロールの向きは右か左か」もあったように思う。


論争が起こるくらいだから、「こちらが普通」というのは特になかったのだ。


#そもそも、横スクロール議論の発端がスカイキッドだったようにも思うけど。



あと、スパルタンXは宮本茂作品ではない。アイレムの業務用の移植だから、スーパーマリオと方向が違う、というのはあまり問題にならない。




当時は右でも左でもよかった、として、じゃぁなんで右向きに進むゲームだけが残ったのか、の方が大切に思う。


で、直感として「スーパーマリオがそうだったからじゃない?」と思ったんだ。

あのゲーム、なんせ世界一売れたゲームだったから影響力は馬鹿にならなくて、それ以降のゲームのスタイルを統一してしまった感がある。


じゃぁ、なぜスーパーマリオは右に進んだのか。


ファミコンのスプライトは左端でおかしくなるから、もしかしたらその影響では?



ファミコンのスプライトは 8x8 のサイズなのだけど、この「左上」のドットの座標を指定して表示するのね。

座標は 8bit で、0~255 。


255 を指定すると、右端に1ドット分だけ表示される。254なら2ドット分。

つまり、右端は「少しずつ登場」ができる。


でも、左端は 0 を表示すると8ドット全部が表示されて、-1 にはできない。

(-1 は、255 になってしまう)


つまり、左端では「急に現れる」「急に消える」しかできない。


#注:ブラウン管は、通常は走査線を左上からスタートさせ表示を行う。

 これにあわせ、コンピューターでも左上を 0 として、横座標は右に行くほど増加、縦座標は下に行くほど増加する。


ただし、当時のブラウン管では、もともと「左端」は見えないことが多かった。

テレビにもよるけど、周辺 16dot は見えないものとして扱うのが普通だった。


でも、見えないものとする、というのと、実際見える、というのは別物。

テレビによっては見えないが、テレビによっては見えてしまう。


出来ることなら左端は見てほしくなかったのではないかな。


だから、プレイヤーの視線が出来るだけ右側に集中する様にすればいい。

そうすると、右に進んだ方がよいことになる。



スーパーマリオ以前にもエキサイトバイクとかで右向きスクロール使ってますね。




…ってツイッターで書いたら「グラディウスはファミコンじゃないから関係ないのではないか」と言われた。


うん、僕の趣旨は「スーパーマリオ以降統一されたのではないか」であって、それ以前に右向きが無いと言っているわけではないからね。


ただ、思い立って調べてみた。


グラディウスは、スクランブル(1981)が元になっていることがわかっている。

スクランブルは古い基板なので、ファミコンスプライトと同じような欠点があった可能性がある。


…Youtube で公開されていたエミュレータ動画を見ただけだが、スプライトは左端で、急に消失していた。

右側では徐々に登場する。


こちらも、スプライト座標にマイナスは指定できなかったようだ。

やはり、左端には注視されたくなかったのではないかと思う。



MSX や SG-1000 で使っているTMS9918 では、スプライトを左端でも滑らかに表示できます。

 「表示座標を 32dot 左側にずらす」という指定が可能で、0~255 の座標指定と組み合わせると、-32~255 の範囲にスプライトを置けたため。

 ただ、やっぱ左端だけ特殊になっちゃうので、面倒くさい。


#X68k を調べたら、スプライト座標にマイナス指定ができたみたい? もう忘れた…

 技術書によれば、座標指定は 0~511 の 9bit なのに、座標レジスタは 10bit ありました。

 多分、グラディウスの頃には業務用基板でもマイナス指定したりできて使いやすくなっていたのだと思う。




そんなわけで、文化的な右上位・左上位なんて関係なく、「技術的な都合では?」説。


ファミコンでは右向きにスクロールするほうが作りやすかった。

というか、アラが目立たなかった。


それで右向きが多くなって、それがゲーム全体で「常識」になっていく。

業務用でもそちらが中心になり、格闘ゲームなどでも1Pは右向きになる。




…ただ、この説、弱み一杯あるね。

自分で提唱しておいてなんだけど。


スクロールしないドンキーコングでも、マリオは最初左端に、右向きで現れる。


インベーダーゲームでも、砲台は左端から出現する。



…スクロールする以前から、左から出現し、右に向かうのが普通だったのではないか、という説。


こちらの理由は何かと尋ねられれば、初期位置だから座標が 0 に近いほうを選んだんじゃないかとか、右向きに進むと座標が増加するから、気分的にそうしたいのではないかとか、技術的な言い訳は思いつく。




ただ、これにもさらに反論を出して置けば、マッピーなんかは右端から始まるけど違和感はない。

さらに言うなら、あれもスクロールゲームだ。左右自由にスクロールするけど、最初は右から左向き。


やっぱり、ある程度昔のゲームになると、どっち向き、というのはそれほど決まっていないように思う。


#右向きが多かったかな、とは思うけど、スーパーマリオ以前は決定的ではなかったという感じかな。





この話、後日続きを書きました



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【雷更新世】 ファミコンのスプライトが左端でおかしくなる件ですが、一応左8pxを隠す(黒になる)設定はありますね。面倒なことはしないに越したことはないですが。 (2016-09-04 03:46:23)

【azip77】 その流れで、スーパーマリオも画面左下部分に置かれ、スクロール方向も右向きになったのではなかろうか (2015-04-06 23:25:37)

【azip77】 ドンキーコングの1面は画面左下にマリオがいる。これが前提となり、画面の左下にキャラが居ることで統一すると都合がいい。(場面が変わってもどこに自分がいるのか無意識にすぐ把握できるのが相応しい) (2015-04-06 23:23:15)

【azip77】 じゃぁ、なぜスーパーマリオは右に進んだのか。 (2015-04-06 23:18:42)

ジョン・ネイピア 命日(1617)  2015-04-04 00:14:24  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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当ページ内では歯車計算機なんかも紹介しているのですが、その中に「ネイピアの計算棒」というものがあります。

これ、ページ開設当初(もう18年も前だ…)に、たまたま科学館で存在を知って書いたものです。


それほど詳しかったわけでもなく、ただ面白がって知ったばかりのことを書いただけなので、あまり深みが無い記事。

(今でも、書いている内容に深みなんてないけどさ)



#ちなみに、その後知ったのですが「ネイピアの骨」と呼ばれることの方が多いようです。




いちいち計算棒のページを見に行かないでもいいように、概要だけ書いておきましょう。


計算棒は、掛け算九九が書かれた棒です。

この時、2桁の数字は、間に斜線が入っています。


上には、九九の「何の段」かが書かれていますので、この数字を並べて、掛けられる数を作ります(何桁でも良い)。

そして、掛ける数(こちらは1桁)の部分に書かれている数字を読み取ります。


斜めの線により、隣同士の棒の数字が組み合わされます。

この数字を足して、書きだすと、答えがわかります。


たとえば、左の図では、573 * 3 = 1719 であることがわかります。


…言葉で説明するとややこしいな。

つまり、掛け算九九の表を使って、繰り上がった部分は上の桁に足していくと答えがわかるんです。


ただそれだけなのだけど、「掛け算」という結構大変な計算を、ただの足し算に変えてしまう道具です。




18年前にこの道具の紹介を書いた時は、「ネイピアの計算棒」の本当の価値がわかってませんでした。

これが、ネイピア数に名を残す数学者、ネイピアの作ったものであることがわかってなかったのです。


今日は、その数学者ネイピアさんの命日。

そして、ネイピア数とは、自然対数の底 e= 2.718281828459045235360287471352…


…いや、いいんです。

対数とか e とか、見ただけで嫌になる人が多いでしょうから、そんな話をしたいわけではない。



ネイピアは、対数を発見し、計算方法に革命を起こしました。

後にそのことが評価され、対数に関係の深い数字に、彼の名前が付けられたのです。


しかし、ネイピアが発見した対数は、現代的なものとは違いました。

ネイピアの時代には、小数の概念がまだ普及していなかったのです。


このため、できるだけ分数の比率で表しやすいように、対数の定義自体も異なっていました。

それでも、その「ネイピアの対数」は、現代の対数に通じる重要な特徴を持っていたのです。




対数の重要な性質とは…


なんと、対数を使うと、掛け算を足し算に変えることができます。


…ここでも、掛け算を足し算に変えようとしているのです。


ネイピアは、計算することの重要性を理解し、複雑な計算を誰でも簡単に行う方法を追求した数学者でした。



ネイピアの考案した対数を元に、後に計算尺が生み出されます。

計算尺とは、スライドする二つの棒を組み合わせた「計算機」です。


2つの棒には、対数で同じように目盛りがつけてあります。

ここで、


1) 棒 A の目盛り 1 の位置に、棒 B の「賭けられる数」の目盛りをあわせる。

2) 棒 A の「賭ける数」の位置の目盛りの下にある、棒 B の数を読み取る。


という簡単なことをするだけで、掛け算が終わっているのです。


棒をずらしたり、さらにずれたところにある数字を読む、という操作は、足し算に相当します。

これは普通の定規でも同じね。3の目盛りから、4つ離れたところの目盛りを読めば、7と書いてある。


ただ、計算尺ではメモリが対数で刻まれています。

そして、先に書いたように、対数では掛け算を足し算に変えることができます、


だから、足し算するような操作をすると、掛け算の答えが得られるのです。



より詳しく知りたい人は、こちらのページが詳細に書いてくれています。

是非、お読みください。




ところで、先ほどネイピアの時代には小数の概念が普及していなかった、と書きました。


それ以前は、小さな数は分数で表現しました。

しかし、ネイピアと同時代の数学者が、常に 10 の累乗を分母とする分数を使うと、整数部分の10進法と相性が良くて扱いやすい、と気づきます。

小数の概念の誕生です。


しかし、当初は表記法がスマートではなく、使いにくいものでした。

そこで、「小数点」を発案したのが、ネイピアでした。


これにより、ややこしかった「小さな数の表記」も簡単になります。

ここでも、ネイピアは「計算を簡単にしよう」と工夫を凝らしています。




現存する最古の歯車計算機であるパスカリーヌは、足し算と引き算しかできませんでした。


しかし、パスカリーヌの百年前に、シッカルトが歯車計算機を設計しています。

この機械では、なんと掛け算も可能でした。


その重要な仕掛けが、ネイピアの計算棒でした。

結局、歯車では足し算しかできないのですが、計算棒を使うことで掛け算を足し算に変換しているのです。



さらにいえば、現代のコンピューターでも同じ原理が活かされています。

表を使って掛け算を簡単な足し算に変換することで、高速な計算を行っています。



一方の計算尺は、電気化されて「アナログコンピューター」となります。

オペアンプ使って計算するのって、計算尺と原理的にそれほど変わるものではない。


でも、デジタルコンピューターが高速化するにしたがって、アナログコンピューターは消えちゃった。


コンピューターなんて高価だった時代、庶民は計算尺を使っていました。

でも、これも電卓が普及したら、やっぱ計算尺は消えちゃった。



でも、「対数の原理を使った計算方法」が消えても、対数の重要性は失われません。

むしろ、強力な計算機が使われるようになって、ますます対数の存在意義は増しています。



人間の知覚は、対数に従うようになっていることが多い、ということが知られています。

こうした、「人に合わせた感覚」をコンピューターで表現するには、対数の活用が欠かせないのです。


通常、オーディオ機器などの音量調節は、対数に従って音の強さを変えます。

対数に従った表示の時に、半分の位置に音量をあわせると、半分になったように感じるためです。


音楽を聴くときも、テレビを見るときも、現代ではコンピューターの応用機器になっています。

内部ではものすごい速度で計算が繰り返されていて、そこに「対数」が何度も顔を出しています。




ネイピアの計算棒はコンピューターの計算を裏で支える基本的な原理となり、ネイピアの発案した小数点と共に計算に使われています。


そして、ネイピアが発見した対数がその計算の中で繰り返し使われ、我々の生活をいたるところで支えてくれているのです。






追記?


書き終わってから気づいた。

去年も記事書いてるじゃんよ!

内容微妙に違うからリンクしときます。



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最近の同人  2015-04-06 16:57:37  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんからの質問。というか、ぎーちさんが語る順番だったかな。

「最近の同人ゲームを、ベーマガみたいにまとめる場が作れないだろうか、って思うんです」



ぎーちさん、テレビゲーム関連のフリーライターで、特に同人ゲームに注目しているんだそうです。

話を整理して出している都合もありますが、実はこの話は最初に聞いたもの。


ここまでに、「プロには作れないゲーム」という話がたびたび出ているのも、同人の話が先に出ていた影響でもあります。




ベーマガは、プログラム投稿誌でしたけど、不思議な存在でした。


他のプログラム投稿誌って、採用基準は「プログラムの価値があること」だったのね。

ゲーム内容が高度であるとか、非常に面白いとか、プログラムが役立つとか。


でも、ベーマガってそうではないのね。

短くて、簡単に真似できそうな、レベルの低いプログラムばかり掲載されていた。


まぁ、レベルが低いとはいっても、ある程度のレベル維持はあるんですけどね。

それでも、「これなら真似できそう」と思えたし、実際他機種のプログラムを移植したりして楽しみました。


簡単に真似できる程度のプログラムなら、わざわざ雑誌を購入する意味もない…はずなのですが、人気があった。

恐らくは、掲載されているプログラムに価値があるのではなく、そうしたプログラムが多数集まってくる「コミュニティ」としての価値が高かったのだと思います。


今でもベーマガが独自の地位を持って懐かしまれるのは、独自の世界観を作り上げていたからではないのかな。




さて、ぎーちさんから聞いた同人ゲームの現状。


僕はコミケとか行かないから、あまり同人ゲームを知りません。

それでも聞こえてくる同人ソフトって、技術的にはプロとしても通用するような高みにあるのね。


最近は素人でもすごいもの作るんだなぁ、と思っていました。


でも、それは現場を知らないからそう思っていただけ。

当然のことながら、突出したレベルのゲームは有名になるので、すごい技術のものとかだけが知られるだけ。


それよりもずっとレベルが低い、たいしたことのないゲームが多数あるんだそうです。



でも、それらを「面白くもなんともない」と一蹴するのはもったいない。

誰かが一生懸命作ったゲームは、たとえレベルが低くても、その人にとっては思い入れのある作品。


それを発表できる、ベーマガのような「コミュニティ」は作れないものだろうか?

ぎーちさんには、そうした思いがあるようです。




もちろん、今はネットで発表することもできます。

たとえば、Scratch では、子供たちが作ったソフトをすぐに公開できる仕組みがあります。


でも、そこに「コミュニティ」を感じないんです。



結局、有名になるのは出来の良いプログラムだけ。初心者が作ったゲームは有名になんてならない。

頑張ったのに評価されないと、そこで作るのをやめてしまう人も多いのです。


ベーマガでは、レベルが低くとも「採用」されれば、評価されたと感じることができました。

そして、毎月100本を超えるようなプログラムが載っていました。

これが、決して「狭き門」ではなく、でも「誰でも載れる」ほど簡単でもなく、丁度良いレベルを維持していたんです。



細かく作り込んだ大作だけが評価されるわけではなく、どの作品でも載せてしまうほど広く受け入れてしまうわけでもなく、ほどほどの「障壁」を維持しながら切磋琢磨し合えるコミュニティ…

そういうものが存在すれば、同人ゲームを作っている人たちにとってはもっと励みになるでしょう。




今の同人ゲームを作っている人たちは、ツクールなどを使用している場合も多いそうです。


ゲームの絵を変えたり、シナリオを変えたりする程度で、簡単に新しいゲームを作り出せるソフトね。

その仕組み上、プロが作ったゲームの物まねが作りやすいです。縮小再生産に陥りやすい。


でも、ツクールを製作している側(角川エンターブレイン)もそんなことはわかっているのか、簡単なプログラムを組んで拡張することもできます。

これがなかなか良くできていて、ちょっと驚くようなアイディアを入れ込むこともできる。


そういう部分で、プロには出せないアイディアを作っている人たちもいます。

一番評価したいのは、そういう「ちょっとしたアイディア」の部分。

縮小再生産に終わらせない部分です。




先に、プロが作れないゲームを作るのは、すべてを自分が決めなくてはならなくなる良い経験だ、と書きました

そういう人は、縮小再生産ではない、新しいゲームを作り出すことができます。


そういう経験をした人がどんどんゲーム業界に入ってくれないと、ゲーム業界はしぼんでいってしまう。

同人ソフトを、「市販ソフトのような出来のよさ」ではなく、「アイディアの良さ」で評価するのは、ゲーム業界の将来のためにも大切なことです。



でもね、アイディアの評価って難しいのよ。

それまでにない全く新しいアイディアって、誰も評価できずに低い評価になることが多い。


これはプロでもそうで、「新しいゲーム」を目指して作っても、世間に評価されずに失敗作に終わることはあります。



…まぁ、プロの話は置いとこう。

プロにとっては世間の評価がすべて。評価されなかったのは失敗作です。

厳しいですけど、プロだから。


でも、素人ゲームは違う。

世間の評価が低くても「理解者の評価」がひとつあれば、それでいいんです。

ところが、現在は大きなコミュニティが存在せず、その理解者を見つけることが非常に難しい。



プロが作るゲームを「評価」するのは、遊ぶしかしない素人でいいんです。

だって、万人に遊んでもらうために作っているんだもん。


でも、素人が作るゲームを評価するのは、「評価のプロ」である必要がある。

こちらのゲームは、万人に遊んでもらうことを目指しているのではない。

(多分作る側は遊んでほしくて作っているのだけど、素人ゆえの至らない点が多々ある、という意味で)


だから、そういう部分を差っ引いて、ゲームの核心部分だけを的確に評価できる人がいないといけない。


あぁ、この人はこれがやりたかったのか。誰にもないいいアイディアだ。

…ゲーム自体がつまらなくても、その「やりたかった部分」を適切に取り出せないといけない。


でも、そんなことできる人がいたとしたら、その人は「評価のプロ」なんです。

ネットで発表するだけでは、そういう人に出会うことはできない。



ベーマガって、変なゲームアイディアでも「面白い」って積極的に採用していたように思います。

ここでいう「評価のプロ」だった。


こういう存在が、現在は無いように思うのです。




時々僕は、「プログラムは8割作って終わるといい」って言ってます。


そこまでで終わると、辛い部分を経験しないで済むから、一番楽しい。

最後の2割って、細かな部分をいじり続けるだけの作業で、やっていて辛いことがあるのね。



えーと、最後の調整でゲームの面白さがぐんと高まることはあるよ。

それは楽しい作業だからやっていて構わない。


でも、これを修正しないと完成度が高くならない、と判っていても、やるのがつらい作業もある。

そんな部分はやらないでもいい、と思ってます。素人の趣味なんだから。


そして、そのつらい作業をやっていない、完成度の低い作品でも、アイディアが良ければ評価されるといい、と思うのです。


#将来業界で働きたい、と強く思っている人は、是非完璧を目指してください。苦労した経験は必ず役に立つから。



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プログラムを始める年齢  2015-04-06 17:16:28  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんは事前に僕の日記などを読んでくれていたようで、うちの子供が Scratch を楽しんでいることを知っていました。

それで、プログラムは何歳くらいから始めるのが良いのか、という話になりました。


ぎーちさんもお子さんはいるけど、うちの次女(5歳)と同学年らしいので、プログラムはまだ早い。




これはゲームやプログラムの話から外れてしまうのだけど、子どもの発達について書いておきます。

専門家じゃないから、間違っていたらごめんなさい。


まず、3歳以下だと、ゲームのルールは理解できません。


2歳くらいの子と、片方だけの手に何か入れて、両手を出して「どっちの手に入ってるか」って遊びをやったりします。


あれ、大人はゲームをやっているつもりだけど、子供にとってはゲームではない。

「いないいないばあ」と同じ、何かが急に出現することを楽しむ遊びです。


ただ、毎回出てくるわけではなく、出てこない場合もある「意外性」が楽しい。

だから、入っている方を当てるゲームではなく、出てきたり出てこなかったりを楽しむ遊びとして楽しんでいる。


子供が「出題側」になると、わざと中に入っているのを見せて、「当ててもらう」のを喜んだりします。

大人は勝ち負けで考えているので、子供に勝たせてやろうと、わざと「入っていない」方を選んだりします。


でも、これは子供にとってはつまらないのね。出現を楽しみたいのだから。

「手が小さいから見えちゃってる」のではなく、わざと見せていることも多いのです。



同じことをやっていても、3~4歳くらいになると、「勝ち負け」を理解し、ゲームとして楽しめるようになり始めます。




4~5歳くらいになるとジャンケンくらいの簡単なルールの遊びであれば、遊べるようになります。


でも、この段階で遊べるゲームって、真似できなかったら負け、とか、偶然性で勝ち負けが決まる、とか、その程度。

5歳くらいだと「太鼓の達人」を楽しめる子も出てきますが、これはリズムに合わせて叩く、という「真似」の要素だから。


それ以上難しいゲームになると、まだできません。


ちなみに、「リズムに合わせる」ということ自体、5歳くらいからでないとできない。

ブランコ漕いだり、縄跳びしたり、自転車に乗ったり。こういうのもリズムに合わせる必要があるから、この頃までは難しい。



7歳くらいになると、七並べとかババ抜きとか、簡単なルールと戦略性を持ったゲームが遊べるようになってくる。

でもまだ戦略を駆使することは出来ず、ルールを理解してはいても、運が良くないと勝てません。


テレビゲームだと、キャラクターを動かして、それなりに先に進むことを楽しめる。

でも、1面クリアできたら喜ぶような段階で、先にはなかなか進めない。


#大人でも楽しめる程度の難易度のゲームの場合ね。

 7歳くらい向けに作られた、大人が遊んでも簡単すぎてつまらないようなゲームで「クリアできて楽しい」とかはあり得ます。



7歳から小学校になるわけですが、これ以前は「ルールを理解できない」から、集団生活には向きません。


保育園の場合、集団生活ではあっても、問題があればすぐに保育士さんと園児の「1対1」の状況に入れる。

小学生になると、基本的には子供同士で問題を解決していく必要があります。

ここに、「ルールを理解する」必要が出てくるのです。


小学生でも、1~2年生の間は「勉強のやり方」を学んでいる段階。

国語と算数が中心ですが、内容はそれほど高度ではありません。


3年になると、理科や社会も始まり、本格的に勉強を行うようになっていきます。

でも、まだ詰め込み教育。これは悪いことではなくて、「自分で考える」なんてできない年齢だから。

ここで詰め込まれた内容は、後で「自分で考える」段階が来た時に、考えるための基礎となるものです。


4年生くらいから、自分たちで研究発表をまとめるなど、自分で考える勉強が始まります。

年齢にすると10歳くらいですが、この頃から本格的に自我を持ち始め、自分で考えて、自分で行動するようになります。


3年生くらいまでは、周囲の大人との関係が重要だけど、4年生からは友達との関係の方が重要になっていくのね。


漫画だと、サザエさんのカツオ君は5年生で、ワカメちゃんが3年生。

ちびまる子ちゃんは3年生。ドラえもんののび太とか、カードキャプターさくらとかは4年生。


#注:のび太はアニメ版は5年生ってことになっている。


「周囲の大人」と「友達」のどちらが大切か、1年の差で変わってくるのがわかりますでしょうか?

よく出来たお話…漫画やアニメも、ここら辺のことをちゃんと考えて年齢設定されています。




さて、長々書きましたが、僕としてはプログラムは4年生以降に始めるのがいいんじゃないかな、と思います。


「自分で考える」ことができる年齢だから。

プログラムって、考えることが大切だから、これ以前の年齢だとちょっと早すぎる。



ただ、それ以前にプログラムに触れることを否定するものではありません。

うちの長女はまだ7歳だけど、長男がプログラムしているのがうらやましくて、真似してる。


長男に教えてもらっている…つもりになっているだけで、ほとんど長男がやっているのだけどね。


長男も、8歳の誕生日にポケモンのゲーム買ってます。

「まだ遊ぶには早い年齢」だと思っていたけど、本人が強く希望していたので。


やっぱ早くて途中でやめちゃったのだけど、RPG の世界を経験したというのは、論理性に若干触れた経験だった。

そういう経験が、10歳になってプログラムはじめるのに役立っていると思います。



さて、上に書いたことには、当然個人差もあります。


自我が芽生えるのは10歳~12歳、とされていて、それがすなわち「考えられるようになる年齢」なので、4年生では早すぎる子もいるかもしれない。


一方で、もっと前の年齢でも楽しめる子はいるかもしれない。

子供にやらせてみたかったら、少し早くても与えてみることです。


でも、強要はせず、興味を示さないなら引っ込める。

その後は、また興味を持ちそうなタイミングが来るまで、じっくり待ってください。


あまり早い段階で与えすぎると、「難しい」っていう苦手意識を持っちゃうから、ダメだったら十分な期間を開けたほうがいい。


あと、何よりも「大人が楽しんでいる」姿を見せるのは興味を引かせるのに役立ちます。

子供にプログラム教えたかったら、大人がやってみせることです。




今は、中学生でプログラムが必修科目になっているそうです。


以前、これに反対する意見として、「中学生でも作文などで論理性のある文章を書けない子供がいる」としている人がいました。

塾講師のようで、子供の作文能力など、ちゃんと見極めた上での意見。素人意見ではないです。


でも、僕はこの意見には反対。

「考えることができる年齢」というのは、脳がその準備ができた、というだけの話。


論理的に考えるのって、訓練しないとできないです。

「まだできないから」と言って訓練しないと、いつまでたってもできない。


中学生なら、もう考えることのできる年齢に達していますが、必ずしも論理的なわけではありません。

だから、論理性の訓練を始める必要があり、そのための道具として「プログラム」を使うのです。



ついでに書けば、プログラムは道具であって、目的ではありません。

プログラム技術を教えたいのではないから、「みんながプログラマを目指す必要が無い」という反論も、前提から間違えている。


ここら辺、詳細は以前に書いた日記に書いてます。



#話は飛ぶけど、20歳は大人か、という問題も同様だと思ってます。

 周囲が大人扱いしないで大人になるわけがない。20歳「から」大人扱いだったら、精神的にも大人になるのは25歳くらいからで当然。

 昔は、15歳くらいから大人扱いで、仕事もさせられました。だから、20歳の成人式では立派な大人だった。

 何事も、訓練せずに出来る人なんているわけがない、という当然の話。


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プログラムは必要か  2015-04-07 12:05:45  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんとの同人話の続き


昔はプログラムしないと自作ゲームは作れませんでした。

でも、今はツクールなんかで同人ソフトを作っている人も多い。


ベーマガが復活したわけですが、ツクールだと「プログラム」ではないから、ベーマガは発表の場にはなりにくい。

同人ソフト作るうえで、プログラムって必要なことですかね? と聞かれました。




私見では、プログラムのそもそも論になってしまうのですが、「ツクールもプログラム環境である」と思います。

コンピューターを、自分の考えた通りに動かそうとする試みは、すべてプログラムです。


複数言語を使えるプログラマなら、テキスト処理なら awk 、WEB プログラムなら PHP 、画像処理ならC…とか、使い分けている人も多いと思います。

awk なんてプログラム言語じゃない、と言い出す人もいるけど、それは考え方が偏狭。

適材適所で、もっともやりやすい言語を選ぶ、というのも、プログラマの能力のうちです。


じゃぁ、ゲームを作るのに、ゲームを作りやすい「ツクール」を使うのだって言語選択のうちでしょう。



ロードランナーの面コンストラクションとどこが違うんだ、という人もいるかもしれません。

なにも違いません。面コンストラクションだって、明確な目的を持って「コンピューターに何かをさせよう」とするのであれば、プログラムとなり得ます。


一方で、明確な目的無く、適当にブロックなどを配置して、面白くもなんともない面を作るのであれば、それはプログラムではない。


先に書いた awk で言えば、「何もしないスクリプト」を作るのは簡単です。空ファイルで良い。

何の目的もない。プログラム言語を使っていても、これは「プログラムした」と言わない。目的を持っていないから。


#C言語だと「何もしない」のにも、それなりのプログラムが必要です。


プログラムを作ったかどうかの境界線は、選択した言語にあるのではなくて、作成者の心構えにあるのだと思います。




目的を持ってプログラムをするのであれば、うまく目的が達成できず苦労する、という局面が現れるはずです。

それがツクールのような簡単なツールであっても、C言語のような面倒くさいツールであっても、必ず目的がはばまれる局面が来る。


これをどう乗り越えるか、目標を少し変えて軌道修正するか、別の実装方法を模索するか、力技でねじ伏せるか…

そういうことを考えなくてはならなくなる。


この「考えなくてはならないこと」の連続がプログラムで、デバッグもこれに含まれます。

そして、目標を達成した時、成果物は「プログラムしたもの」と言ってよいかと思います。



#話逸れるけど、以前に「目的があって、それを阻害するものがあればゲーム」と書きました。

 僕はゲームを作ること自体が一番楽しいゲームだと思っていますが、それはプログラムが「目的を阻害するもの」だから。

 プログラムはゲームを作る手段なのですが、実は乗り越えないといけない障壁でもあります。




ところで、言語を選ぶというのは、自由度を狭める行為なのね。


究極的なことを言えば、すべてのことをするのに、アセンブラを使えばいいんです。

CPUが出来ることは全てできるし、それ以外のことは一切できない。コンピューターに命令を出すには最適な方法です。


でも、それは面倒くさいから、自由度を狭め、利便性を手に入れる。

C言語を使うと、自己書き換えは出来なくなるけど、簡単な計算で命令をいくつも組み合わせる必要は無くなる。


でも、Cは比較的アセンブラに近いです。awk になると、速度も遅くなるし、Cほどバイナリの扱いも上手ではない。

その代わりに、テキスト処理はCに比べてずっと楽になります。


RPG ツクールだと、事実上 いわゆる「JRPG」…2Dマップでマス目を感じながら移動して、戦闘時は画面が切り替わってコマンド選択、というゲームしか作れなくなります。

そこまで自由度を狭めた代わりに、JRPG では非常に苦労するシナリオ管理やアイテム管理などが楽になります。



ここでもやっぱり、Cとawkと RPGツクールは、同列に並んでいるものだと思います。


JRPG 作りたいのなら、Cを使うより RPGツクール選んだ方がいい。

シューティング作りたいなら、シューティングツクール選ぶといい。


でも、誰も見たことが無いゲームを作るなら、Cとか Javascript を使わないといけなくなる。

自由度と利便性の天秤の問題で、適切に選び出すことが大切。ツクールが「プログラム環境ではない」なんて思いません。


#RPGツクールは、JRPG しか作れないと言いつつ、シューティングゲームを作ってしまう人がいる程度には自由なプログラムも可能です。

 これは、大道芸の一つで、適切な言語の選び方とは思わないけど。

 (RPG 中にミニゲームを入れたいのならアリ。その程度には自由度がある)




話を「ベーマガのような場所」に戻すと、プログラムを「一覧できる」必要はあるのでしょうね。

ツクールではこれが難しいし、Scratch ですらプログラムが分散しているので一覧性は悪いです。


そうすると、エディット環境と実行環境がある程度分離していて、テキストファイルでプログラムリストを示せる言語、のみをプログラム言語として扱う必要が出てくる。

今時、そういう言語は初心者向けの言語ではないと思うので、ベーマガを目指すならそんな限定をしない方が良いのだけど。



雑誌としてのベーマガ、という考えにとらわれなければ、実行ファイルをダウンロードできることと、その実行ファイルを見て興味を持った人がソースにアクセスできること…などの条件を整えることで、ツクールや Scratch も含めることが可能でしょう。



昔のベーマガと違って、自分で打ち込まないと動かない、というのは今の世の中難しいように思います。だから実行ファイルのダウンロードも準備する。

本当は「写経する」って、勉強の第一歩だから、意味も分からず打ち込むのは良い経験なのだけど。



ただ、「打ち込むこと」や「紙面」の制約が無くなっても、ベーマガのようなコミュニティを作る際に、ソース規模の制限は必要でしょう。

内容を見て把握できる程度でないと、テクニックを盗めなくなる。ベーマガを目指すのなら、ソースから学び取ることが重要。



同時に、以前も書いたように、投稿を受け付けてアイディアの良いものを選び出す第三者が必要でしょうね。

その第三者は、ソースを見てみたくなるようなテクニックのポイントを解説する役割も持つ必要があります。


#ベーマガの Dr.D の役割です。詳細解説は不要。そこは自分で盗むものだから。



把握できる程度の規模で、と制限されると、ツクールは、おそらく見た目の良い作品は作れるけど、アイディアを入れるのが難しい。

Cではアイディアを入れやすいけど、見た目を整えるのが難しい。


これを適切に判断し、評価する…というのも大変なことだと思います。

環境ごとに、その環境では難しいことに挑んだポイントなども適切に評価してあげないといけない。



ただ、ベーマガの時だって、多少はそういう条件の違いあったんだよね。

スプライトのある機種と無い機種で、見た目はかなり違うものだったけど、ちゃんと機種ごとに評価されてた。



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女性向けのゲーム  2015-04-07 12:06:10  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんから聞いた話の続きです。

最近は、女子高生でもゲームを作ったりしてる、という話が出ました。


どんなゲームを作っているのですか? と聞いたら、ノベルゲームが多いらしい。

文章主体のアドベンチャーゲームね。


これは納得。




ゲームでも、女性向け・男性向けってあると思います。


…と書く上で、先に断わっておきましょう。

以前に書いているのですが、性別って簡単に区分できるものではないです。


だから、ここでの女性男性って、「一般論として」の話であって、そうではない例は山ほどあります。



女性はアクションゲームが苦手、と言われることもあるのですが、僕の経験上それはあまりないように思います。


ただ、アクションゲームで「攻撃される」のは嫌い。

シューティングゲームとか、格闘ゲームとか嫌いな人が多い。


テトリスやコラムスは好きなのに、ぷよぷよは嫌い、という女性に会ったことがあります。

対戦型で攻撃されるから嫌なんだそうです。


落ち物で言えば、コラムスの方が女性人気高いようです。


テトリスって、「待つ」ことが多いのね。棒ブロック待ち。

でも、コラムスって、いま落ちてきたブロックをどう処理するか、だけを考えることが多い。


「待つ」=「耐える」で、攻撃されているのと変わらないようです。

目の前のブロックを処理し続けるのは、たとえうまくいかなくても自分の失敗であり、攻撃とは感じないみたい。



同じ理由で「ミスタードリラー」が好きだという女性を知っています。


あのゲーム、アクションゲームとしても結構激しいのだけど、攻撃されることは無くて、失敗は全て自分のミス。

他にはテトリスが好きだけど、他のアクションゲームはそれほど遊ばないらしい。



最初に戻って「女性はアクションゲームが苦手」説では、アクションじゃなければ大丈夫、となるはずですが…

RPG とかで敵が強いと、やっぱり「攻撃されている」感が強くて嫌い、という人が多いです。

Wizardry とか、人気ある RPG ですけど、好きだという女性はあまりいない模様。厳しいからね。


ドラクエとか、適切にレベル上げをしていれば敵の攻撃が弱いのも、ここら辺に配慮してのことのようです。




最初に書いた、ぎーちさんがあった女子高生、ノベルゲームを作っていると聞いて納得したのはそういう理由です。

お話を作ることが「ゲームを作る」ことで、攻撃されるようなこともない。


昔だったら文芸部に入って小説書いていたような女の子が、今はパソコンでノベルゲーム作っている、とも言っていました。

それもまた、納得。昔は小説が娯楽として注目されやすいメディアでしたけど、今はゲームの方が注目されやすいからね。


ぎーちさんは「女の子と一緒にゲームを作る青春なんてうらやましい。今は良い時代だ」と言ってました。

あー、なるほど。ここが話の重要な点らしい(笑)




別にうらやましがられる話ではないのですが、大学時代のパソコンサークルは女性が多数いました。


理学部と薬学部が同じキャンパスだったのですが、理学部は男性比率が高くて、薬学部は女性比率が高い。

もちろん、両方とも「理系学問」ですから、理系サークルだからと言って女性比率が下がることもない。


結果として、パソコンサークルでも半数は女性だったのです。

彼女たちもプログラムは覚えましたし、簡単なゲームなら作る子もいました。


それこそ、ベーマガにも載らない程度のレベルのゲームだけど。


サークル内で付き合っているカップルが何組かいて、女が絵を描いて、男がゲーム作ったりしていました。

男が回路設計して、女が実装(半田付け)しているカップルもいたな。


…僕は彼女いませんでした。好きな子はいても、告白しても玉砕だったり、言い出せなかったり。


それはさておき、ぎーちさんのいうように「今が良い時代」なのではなくて、当時もそういうのはいたって話ですよ。


#実のところ、パソコンサークルで女性比率が高かったのは僕らの年代だけの特異現象でもあった。

 2代上の先輩が、女性比率を高めようと頑張って勧誘した結果。

 僕らが卒業するまで勧誘して入ってくるのは男女半々くらいだったけど、その後いつの間にか男性ばかりに戻ったらしい。




話変わって、セガに入社した時、同期に女性プログラマがいました。

当時、セガ社内で女性プログラマは3人しかいない、と聞きました。


女性だからプログラマに向かないとは思いません。世界初のプログラマは、Ada にせよ ENIAC のプログラマにせよ、女性でしたし。

ただ、事実として現状では女性プログラマは珍しい。



ゲーム業界では、プログラマの多くは、ゲームを作りたくてプログラムを覚えた人でした。

昔のゲームは…今のゲームも、多くは男性向けに作られているのね。そういうものを楽しんで、自分でも真似したくなって作る、というのは、当然男性が大多数。


そして、男性がゲーム会社で作ったプログラムは、また男性向けの内容になる。

せめて企画に女性がいるといいのだけど、企画も男性がほとんどなのね。


#デザインは女性がそれなりの人数いました。4割女性、くらいだったかな。


ノベルゲームのシナリオ作る、でもいいから、女性のゲーム作成者がもっと増えるといいな、と思います。



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ゲーム開始時の主人公の位置  2015-04-08 11:28:23  コンピュータ

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先日、横スクロール方向はなぜ左から右に進むのか、ということを思い付きで書いたら、思ったより反響いただきました。

思い付きだから、そんなに読んでいただいたこと自体が申し訳ない (^^;;


スーパーマリオブラザース以前に、ドンキーコングでも左下にいるから右に進むしかない、スーマリもこれを引き継いだのではないか、という意見も頂きました。

うん、それは僕も思ったので、さらっと書いた。さらっと書いただけで、その間のつながりは想像に任せたのだけど。


ただ、この「左下スタート」にも違和感があった。

ドンキーコングがそうだったから、では説明になっていなくて、ではなぜドンキーコングは左下スタートだったのか、を考えないといけない。




2015.4.13追記


どうも勘違いされているので、前もって追記。


この話題、元々ゲーム「だけ」の話ではなく、西欧と日本の文化論比較です。

西欧では主人公は右に向かって進むが、日本では左に向かって進む。


今でも、日本のアニメとか見ていると、主人公は画面右側に立っていて、左に向かうことが多いです。


しかし、ゲームはみんな左から右に向かう。それはなぜか、というのが、前回記事の最初にリンクした、元々の話題。


以上、明示的な追記は終りですが、以下の文章に「日本的」「西欧的」と書いてある部分があったら、この追記の際に一緒に追記しています。




それで、「固定画面の時代に主人公はどこに出現したか」を調べてました。


えーと、調べて表を作っていたら、膨大だけど無意味な気がしていたので公表しない。

気になる人は自分で思いつく限りのゲームを調べてみてください。



それでもって、有名なゲームだけ使ってざっくりと説明。まずは固定画面ゲームから。


ポンとかブロック崩しの時代(1976頃まで)は、ボリュームを使ったダイヤル操作が多い。

これは物理的なもので、自機の「出現位置」は、ダイヤル位置に左右される。


スペースインベーダー(1978)は、左下に出現。

文字を書くときも左から右に書くし、コンピューターの座標も普通は左から右に進むので、それで左なのかな、とも思う。


または、左下に残機数が書かれているので、「そこから出てきた」イメージなのかもしれない。


ただ、この後は「中央出現」が多い。

ヘッドオン(1979)、ギャラクシアン(1979)、パックマン(1980)、スペースパニック(1980)、フロッガー(1981)、アミダー(1981)…


僕が嘘ついている可能性もあるので、別のゲームも調べてみてほしいのだけど、ほとんどのゲームが画面中央~画面下中央のあたりで始まる。



この中でも、例えばヘッドオンは、中央下に、敵と並んで現れる。

この時、敵が左側で、プレイヤーは右側。立ち位置としては日本的。

スタートしてすぐに右に向かって走りはじめる。ここは西欧的。



パックマンは中央に向き不明で出現するが、特に操作しないと左向きに走りはじめる。日本的。

ここら辺に「左に進むか右に進むか」の好みは出始めているかもしれない。


ドンキーコング(1981)は、前述のように左下スタートだ。西欧的。

でも、これが他のゲームに影響を与えたかというと、それほど与えていない。


ハンバーガー(1982)、ディグダグ(1982)なんかは、やっぱり中央スタート。


ディグダグはちょっと面白い。

ゲーム開始時にデモがあるのだが、画面右上から主人公が登場し、中央まで歩く。

そして、主人公が右を向いた状態から始まる。


「左向きに歩いてくるけど、右向きスタート」になっている。


この後のゲームは、すべてがそうだというわけではないが、ゲーム前に小さなデモが付くことが多くなる。

そのデモによって、主人公の登場位置を明確にすることで、「中央以外でもわかってもらえる」工夫をするようになる。



ロックンロープ(1983)は、内容的にもドンキーコングの影響を受けているのが見受けられ、左下スタート。

ドンキーコングと同じ任天堂が作ったポパイ(1982)は、左上スタート。

マリオブラザース(1983)は、2人同時プレイ可能だったので、左下と右下からスタートする。


#当初、ドンキーコングはポパイの版権を取って作る予定だった。

 その後宮本さんは「版権不要でオリジナルキャラ立てよう」と心変わりしたようだが、法務部は版権を取ってしまったようだ。


だんだん固定画面ゲームが減っていくが、ちゃっくんぽっぷ(1984)、フェアリーランドストーリー(1985)、バブルボブル(1986)のように、タイトーは固定画面にこだわった時期がある。


登場位置は、左上、左下、左下と右下、だ。

バブルボブルは2人同時プレイができたので、登場位置が2か所ある。

これも、先に書いたように開始前にデモがあり、出現場所が明示される。



ロードランナー(1984)のように、出現位置が面ごとに変わる場合もある。

これは、家庭用のパズルゲームからの移植なので、「わかりやすさ」を重視していたわけではなかったという事情もあるように思う。


でも、業務用では画面開始時に主人公を点滅させ、位置を明示してから始まるようになっていた。




続いてスクロールゲーム。年代は巻き戻る。


最初と言われるのはディフェンダー(1980)。

操作が複雑なゲームで、横スクロールだけど左右どちらに進むことも出来た。

ただ、最初の状態では右に向かって進むようになっている。西欧的(メーカーも海外)


ディフェンダーは世界的な大ヒットで、真似をしたゲームが沢山作られる。



その中で頭一つ抜き出た面白さでヒットとなったのが、スクランブル(1981)。

これは先にも書いたのだけど、右に向かって進む。グラディウスの元になったゲームだ。


ディフェンダーを真似したゲームだろうから、「最初の方向」に進んだのかもしれないけど、先に書いたように「左端でスプライトが破綻するから、左をあまり見てほしくなかった」のかもしれない。


このヒットでみんな右向きになった…なんて簡単な話にはならない。

スクロールゲームは続々出てくるけど、結構いろいろある。


ラリーX(1980)、ニューラリーX(1981)、ボスコニアン(1981)。

同じ基板を使ったナムコの作品だけど、主人公は常に画面中央に固定されていて、自由方向のスクロール。最初は上に進む。


スクランブルがヒットしたコナミも、タイムパイロット(1982)で、画面中央に自機を固定した自由スクロールを作っている。

こちらは、初期状態は右向き。


マッピー(1983)をスクロールと呼んでよいかわからないが、2画面分の画面を左右に動ける。

2画面しかないから、固定画面とスクロールの中間的な感覚。

これが、右端から主人公がスタートして、最初のスクロールは左に向かうことになる。日本的。


マッピーと同じ基板のドルアーガの塔(1984)は、主人公の出現位置は決まってなかった。



ハイパーオリンピック(1983)は、いろんなゲームが入っているので必ずしもスクロールしないが、スクロールする場合は右向き。


コナミはスクランブル以降、基本的に右向きスクロールが好きなようだ。

でも、これはオリンピックを題材としたもので、トラック競技のテレビ中継は基本的に右向きに走るようになる。

(トラックは反時計回りで、観客席に近い部分は右向きに走ることになる)


このスクロール方向には必然性があるかもしれない。


サーカスチャーリー(1984)も右向き。


グラディウス(1985)も右向きだけど、これはスクランブル2として開発が開始されたものなので、同じ方向なのは必然だ。



ファミコンだけど、エキサイトバイク(1984)は右向き。

これは、トラック競技なので、ハイパーオリンピックと同じ必然性があったかもしれない。

Bボタンを使うと加速できる、という点で、スーパーマリオとの関連性を指摘する人もいる。




ここら辺から、ファミコン向けのゲームも出てくる。


バルーンファイト(1984)は左向き。ただしファミコン版。

業務用は2画面の縦スクロールだった。家庭用は固定画面。


そして、家庭用にしかないオマケゲームがあって、これが左向きの横スクロール。日本的。

(オマケだけど、本編より好きという人も多い)


スパルタンX(1984)も、最初は左向き。日本的。

これは前回も書いたけど、奇数面は左向きで、偶数面は右向き。交互に進む。


パックランド(1984)も似たような構成だけど、最初は右向き。西欧的。アメリカのアニメを元にしたからか。

右に進むと妖精の国があって、3面右に進むと到着。4面目は、自分の家に帰るために左向きに進む。


チョップリフター(1985)。原作は 1982年のパソコンゲーム。

左右に自由スクロールだけど、最初は右端から始まる。海外のゲームなのに日本的。

左向きに進んで捕虜となった人質を救出し、右の基地に連れて帰る。


チャレンジャー(1985)。ファミコンゲームで…内容詰め込みすぎ。

1面は横スクロール。デモ画面で、主人公は左向きに進んでいる。

でも、ゲーム開始と同時に右向きに進まないといけない。しばらく進むと折り返し点があって、左に進む。




さて、ここで一度まとめる。1985年くらいまでの、ゲームの「進行方向」だ。


固定画面ゲームでは、最初の登場位置は左右中央あたりが多い。(上下は中央から下が多い)

初期位置で「左右の向き」がある場合、どちらもそれなりにある。特に統一されている感じは無い。


それ以外の場所から出現することもあるが、左下や左上など、左側が多い感じ。そこから右に進む。


右端登場のマッピーとか、デモだけとはいえ右から登場するディグダグなど、ナムコは右が好きな感じ。

そこから左に向かって進む。

(パックマンは中央から開始だけど、左に向かって進む)


スクロールゲームでも、特にどちら向き、と決まっている感じは無い。

まぁ、コナミがかたくなに右向きスクロールを主張している感じはするし、左右自由にスクロールできる作品の場合、初期方向は右から、が多いかも。


ただ、1985年には大事件が起こっていて、これを機に進行方向が定まってしまったのではないか、と思っている。




スーパーマリオブラザース(1985・夏・ファミコン)

言わずと知れた、世界的大ヒットゲーム。右向きに進む。

作者である任天堂の宮本さんが、パックランドを見て作った、と証言している


と同時に、実はドンキーコング時点でスクロールゲームを作りたかったとも言っている。

当時すでにスクランブルがヒットしていたから、あんなのをやりたかったけど、基板がなかったと。


宮本さんとしては、マリオのスクロールジャンプゲームは、最初からスクランブルと同じく右に進むものだったのかもしれない。

実際には試作したものの「形にならず」、先に進まなかったのが、パックランドにヒントを得て一気に形になっていく。


パックランドでは左向きに進むステージがあるが、マリオはスクランブルのように、右へ、右へと突き進む。


ドンキーコング時点で、将来作りたい、という思いはあったので左下スタートにした、という可能性はあるかもしれない。



スパルタンX(1985・初夏・ファミコン)


業務用のファミコン移植で、結構人気が出た。

スーパーマリオより前の作品になる。左向きに進むことが違和感がある、という話は特になかったと思う。


チャレンジャー(1985・秋・ファミコン)

先にすでに書いたけど、左右どちらにもスクロールした。これに違和感を持った、という話は特に聞かない。



スカイキッド(1985・年末・業務用)。進行方向が左向きの横スクロールシューティングで、異端だとされる。

でも、発売時点でそれほど変わっているという印象を受けた覚えはない。

(個人的な感想であり、効能を確約するものではありません)


僕はシューティング苦手だったのであまり遊ばなかったのだけど、友達がスカイキッドがすごく上手だったので、良くプレイを見てた。

好きでプレイしている人もいるのだし、受け入れられなかった、ということは無いだろう。



ここまで、スーパーマリオが右に進むが、左に進むゲームもそれなりにあるし、おかしいという話にもならなかったと思う。




ところで、スーパーマリオはいきなり大ヒットになったわけではない。

夏に発売されて、徐々に人気が高まっていき、クリスマス商戦で、ファミコン本体も入手困難になるほどの大ブームを巻き起こした。


この前後にファミコンを購入して…もしくは、入手できないから MSX やセガを買ってもらい、「コレジャナイ」感を漂わせながら…はじめてテレビゲームを遊んだ、という人が非常に多い。


そうした人たちは、他に面白いゲームも探して買ったとは思うけど、すでに半年以上前の作品である、スパルタンXやバルーンファイトを買った人が多くいた、とは思えない。

むしろ、スーパーマリオを真似して出てきたゲーム…当然右に進むゲームを買ったのではないだろうか。


スクロールとは右に向かうものであり、左に進むなんて想像もできなかったに違いない。


次のブームはファミコン版のグラディウス(1986・春)だった。

これもまた、右に向かって進むゲームだ。



そして、ファミコン版のスカイキッド(1986・夏)も発売される。


当時はまだナムコのゲームは特別視されていたし、前年の業務用は、それなりにヒットしたゲームだった。

期待して買った人も多いだろう。


…おそらくは、「スカイキッドはスクロール方向がおかしい」と言われ出したのは、ここではなかったかと思う。


スーパーマリオが初めて遊んだテレビゲームで、いくつかのマリオ類似ゲームを遊び、グラディウスを遊んだ「だけ」の、経験の少ない人々にとって、期待したソフトが「逆方向に進むスクロールだった」というのは、理解できなかったに違いない。



スーパーマリオは世界中で大ヒットしたし、スカイキッドのファミコン移植に対する拒否反応は、他のメーカーも学んだろう。

これ以降、テレビゲームで横スクロールする際は、右向きに進む、というのが不文律になったのではないかと思う。


ゲームを遊ぶうえで、説明書を熟読する人は少ない。

既に知られているゲームの操作方法を踏襲する、というのは、理にかなった方法なのだ。

(これは「真似」ではない。共通認識が広まっただけのことだ)




さて、以上のことは、現状僕が思ったこと、というだけで十分な検証はなされていません。

あまり鵜呑みにしないように



前回書いた「スーパーマリオが決定づけた」「スーパーマリオは技術的な問題だったのではないか」という説を引きずっているので、スーパーマリオ以降変わったのではないか、という観点で物を見ている。


僕は1980年初頭~中盤頃のナムコのゲームが大好きだったので、ナムコのゲームが左向きに進みやすい(パックマンや、ディグダグのデモ、マッピーなど)という点に注視しすぎて、左向きがおかしいとは思えない、と言っているだけかもしれません。



当時から左向きは異端だった、ナムコなんて弱小メーカーで誰も見向きもしなかった、という主張をする人がいたって、べつに構わないかと思います。



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【azip77】 スクランブルとほぼ同時期のジャンプバグも右向きでした。この2つのゲームが決定づけた感もあります。(この件、意識していたのか今一度宮本さんに聞いてみたい) (2015-04-08 12:38:11)

春は忙しい  2015-04-13 11:28:25  コンピュータ 歯車 社会科見学 家族

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先日家族旅行という大イベントを執り行ったが、この週末は科学館のハシゴ。

来週も科学イベントの予定で、次女の誕生日にはピューロランドにも行かなくてはならない、と思っている。


冬の間、子供たちが「いきたーい」と言っていたことに「はいはい、暖かくなったらね」とか「誕生日にね」とか、いいかげんな空約束を繰り返すからこうなる。

春は忙しい。




11日(土)は、科学未来館へ。


去年の秋に、TVCMやっていたイベントを次女が見たがって、来ています。

…が、そのCM予告だった。その時点ではまだ始まってなかった。


じゃぁ、また今度こよう、と言ったきり、忘れてた。

3月の中ごろ「そういえば、あの約束は?」と次女に言われる。しまった! 会期は2月末までだった!



…が、大好評につき、会期延長していました。ゴールデンウィークまで。

ただ、大人気で、休日は朝早くに行って整理券を受け取り、その整理券に書かれた時間にならないと入場できない、という制限があります。


じゃぁ、ゴールデンウィークなんてもっと混むし、春休み中もダメだろう。

春休みが明けた次の休日である11日に、朝早くから出かけます。


運よく(?)この日は雨。

車で行くから雨でもそれほど問題はないし、客足は鈍ってそれほど混まないだろう。




開場前に付いたのに、すでにチケット購入待ちの行列。

すでに科学館は開いていました。お客さんが多く並んでいるし、雨だから開けたみたい。


10分ほど並んでチケット買います。

見たかった特別展、「チームラボ展」は、整理券を貰わないと入れません。が、まだ朝早かったから、配っている整理券は今すぐ入れるものでした。


#整理券が無いと入れないから…と、全部見るまで、昼ご飯も食べずにみっちり遊んだのですが、外に出たら「今日は整理券無しで入れます」に変わってました。



さて、全体内容については、ざっくりと。


最初に置いてある展示…というか部屋。

天井からのプロジェクター映像で、床には花が咲き乱れています。でも、踏んだら散る。

美しいけど…もう、20年以上前から類似作品あるよね。技術が上がって花の表現は美しくなったけど、その程度どまり。


部屋を出てずっと後のところで、技術的な詳細解説がありました。

それを知ってからもう一度見たら、もうちょっと深く楽しめたけど、これは芸術だから、解説なんてなしに感じられるかどうかが重要。


そういう意味では、この部屋に余りとどまっていた人はいないし、子供たちもすぐ飽きてた。

「世界中で大人気のメディアアート作家集団」という触れ込みの割にたいしたことないな、というのが最初の部屋を見た率直な感想。


他の作品を見た後で、きっとこれは初期の作品で、だから最初に置いてあったのだろうと思いました。

後で出てくる作品は、もっと面白いものが多数あったから。


…この作品、比較的新作だから最初に置いてあったのね (^^;;




前半は、主に「アート」としての作品が中心。それも、「和」と「デジタル」の融合に挑んだものが多い。

面白い表現もあり、興味深く拝見したのだけど、ただの映像作品。ビデオを流し続けているだけ、というのと変わらない。


奥の方に、江戸の絵師、伊藤若冲の絵画をデジタル表現したものがあった。

若冲の絵を3D化し、動かしたものを、若冲風のレンダリングで描く。ここまでなら他の作品と変わらない、ただのビデオ作品だ。


若冲の絵画の特徴に、全体に升目が設定されている、というものがあるらしい。

らしい、というのは、若冲の絵は見たことあったけど、マス目なんて意識してなかったから。


デジタル作品としては、その升目が2つの状態を持っている。


1つは、マス目の枠はあるけど、基本的に本来の絵がそのまま見える状態。本来の若冲の絵。

もう1つは、マス目の中が、代表される色に塗りつぶされてしまう状態。モザイク画になる。


この2状態が、不思議に入れかわる。基本は「升目だけ」で、ところどころ「モザイク」になる。

モザイクの場所は、生きているように広がり、消滅する。ちょうどライフゲームでもやっているような感じだが、ライフゲームとも違うアルゴリズム。


これは、鑑賞する人によって変化する様につくられている、らしい。

音とか、前を歩く人をセンシングしているとか、何をやっているのか探ろうとしたのだけど、分からなかった。


その意味では、インタラクティブ性があるのだとしても弱すぎて、やはりただのビデオ作品と変わらなくなる。

ちょっと残念なだけど、表現方法は非常に面白くて印象に残った。




後半、デジタルとアートを融合したことで生まれた「遊園地」空間。

次女が行きたがっていたのは、当然ながらこちらが目的。


入り口に、「まだ かみさまが いたるところにいたころの ものがたり」という作品があった。


長男、これがものすごく気に入った。

実は先の「アート」側にも類似作品があり、こちらがバージョンアップのようだ。


上から象形文字が落ちてくる。漢字の原型ね。

これを触ると、文字で表現されているものが現れる。


「山」を触るとそこに山が現れ、「木」を触ると木が立つ。

「火」に触れると火が現れ、「水」を触ると水が噴き出す。


アート側のものは、ここまでの表現で終わっていた。

しかし、「遊園地」はもう一歩進んでいる。


木に火が触れると燃えてしまう。でも、水を使って火を消せる。

雨でも火は消えるし、雨は木を育てることもできる。


犬に火を見せれば驚いて逃げるし、象を人…これは遊ぶ人本人が撫でてやれば、喜んで鼻を上げて鳴く。


他にも、非常に多くの「コンボ技」があって、説明表も配っていました。




会場での一番人気は、3Dで街を作る塗り絵。

配られている塗り絵…飛行機、自動車、消防車、バス、UFOなどの乗り物系と、いろいろな形のビルに、自由にクレヨンで色を塗ってもらう。


高速スキャナで読み取ると、すぐに巨大画面に現れます。

3Dで、テクスチャは適当に解釈されて、それらしく貼られている。


家はUFOが運んで来ます。

時々怪獣が現れ、古い家を壊します。動けないものの「登場」「退場」をうまく処理している。


車とか、動くものは当然、自分でやってきて、古くなると出てこなくなる。

でも、1時間程度はとどまってくれるみたい。描いてしばらくして、自分の描いたのがまだいるのを見ると嬉しい。


これ、3階にある常設展示「おやっこ広場」(入るのに整理券が必要)にも置いてありました。

画面は小さいけど、そちらには、ロボットとか飛行船とか木とか、特別展には無い塗り絵もあります。

しかも、画面がタッチパネルで、触ることでいろんな反応もします。


大画面とはまた別の面白さ。




これの「前作」にあたる、水族館を作るものも人気でした。

こちらは、魚がペラペラで3Dではないのね。動きは3D的だけど、パラッパラッパーみたいな感じ(例えが古いけど)。



さらに、会期延長してからの「新作」として、ふなっしー版もあった。

みんなでふなっしーのデザインをして、画面の中を歩き回る。シュール。


こちらは、急きょ追加したものなので会場に入りきらない。廊下に置かれていた。

会場から廊下に出ないとみられないし、廊下に大画面が置いてあるので、狭い。


ちなみに、ふなっしーだけでなく、普通の人間(男の子、女の子、髪型違いで2種類ずつ)もデザインできる。


とりあえず、あの寸胴体系、おどる埴輪にしてやった。

妻はウルトラマン作ってた。


埴輪とウルトラマンが出会って挨拶をし、一緒に「梨汁ブシャー!」ってやってる。シュール。




さて、他にもあるけど、全部は解説しない。その代り、1つだけ詳細解説。


実は、「我が家的に」一番大ヒットだったのが、「小人が住まうテーブル」。


他のものに比べて、見た目が地味で、一見して何をするのかもわかりにくい。

だから、多くの人が一瞥して、もしくは少し触って、「よくわからない」という反応で通り過ぎていく。


でもこれ、すごく良くできています。遊ばないのはもったいない。


円形のテーブルに、天井からプロジェクターで投影された「小人」達が住んでいます。

テーブルの縁が地面。中央付近に太陽があって、太陽の周囲には雲が出る。


全部、輪郭だけの線画で表現されていて、ものすごくかわいい。

一方で、線の中身が「黒い」ため、テーブルは地味に見えます。これが興味を持たれない理由。


でも、古いゲームを知っている人なら、シンプルだからこそ表現できるものがある、ということに同意してもらえると思う。


この「小人」たちは、レミングスみたいにずんずん歩き続けている。

何もなければ、平和に進み続けるのだけど、突進してくる「牛」なんかも存在する。


牛に跳ね飛ばされると、小人はすっ飛ぶ。で、どこかに着地して、また歩き始める。


「火」というのもあって、小人はコイツをジャンプで飛び越す。大きな火になると越えきれず、痛そうに目を×印にして跳ねまわったりする。

ちなみに、牛は火だって跳ね飛ばす。


雲からは雨が降っていて、雨が当たると火は消える。

地面に雨が当たると、草が生えてくることもある。草はやがて実をつけ、小人が見つけて食べたりする。




さて、面白いのはここから。

自分の手を、テーブルの縁に置く。小人はこれを障害物と認識し、火と同じように飛び越える。

段差を設けてやると、1段目に乗って、さらにジャンプして2段目に進む。


飛びきれないほどの高い段差を…テーブル端に腕を置いておくと、それは「木」だと認識されるようだ。

腕から、にょきにょきと葉っぱが生えてくる。やがて、リンゴがなったりする。


高い木は飛び越えられないので、梯子を持ってきたりする。

この梯子が、ぐにゃぐにゃしていて不思議な存在。

小人がのぼり、一番上から飛び降りたりする。木の横にうまく梯子があれば、飛び越えられることもある。


木に生えるリンゴは大きいのだけど、そのままでは小人は食べられないようだ。

手を急にどけると落っこちて、地面に落ちると小さいいくつかのリンゴに「割れる」。

小さなサイズだと小人は食べれるようで、落ちているリンゴを見つけると食べることがある。


時々、腕を置いても木とは認識されないで…「フライパン」だと思われてしまうようだ。手の上に目玉焼きやケーキが現れることもある。


#会場のテーブルの上には、おもちゃのフライパンが置いてあった。本来これの上に目玉焼きが出来るようだ。

 フライパンを置くと、周囲に火が現れることもある。



雲から降る雨に手をかざしてやると傘になる。これで、小人を雨から守ることもできる。

もっとも、元々小人は雨を気にしない。


雨から守りたいのは「火」だろう。

手で少しづつ押すと、火を動かせる。火をくっつけると大きくなるし、草やリンゴ、目玉焼きなどを火にくべると、どんどん大きく育つ。

ところが、雨が当たるとすぐ消える。火を育てる遊びをする子も結構いた。


一方で、草を育ててたくさんの実をつけたい子もいる。

草から火を離したい子、近づけたい子。


思惑とは別に、牛に跳ね飛ばされた火がどこへ飛ぶかはわからない。

草をたくさん育てていると、面積が広いのだから火が飛んでくる確率も高い。そして、草が密集しているとあっという間に延焼する。

なかなか、リスクとリターンのバランスが良い。


これはゲームではないのだけど、目的を持った途端に、各々が勝手に遊ぶゲームになる。

しかも、そのゲームのバランスは絶妙で、うまくいきはじめると邪魔が入る。




空には星が1つ、出ていることがある。

…基本的には出ているのだけど、星を「使いすぎる」と、しばらく消えていることもあるようだ。


…使う? 星を?



この星に、小人がぶつかると、たくさんの「キラキラ」を放出する。

ハート、星、アスタリスク、渦巻き、ひし形…いろんな形の模様が、星から一斉に飛び出すんだ。


この世界、基本的にはテーブルの中で閉じている。円形のテーブルの縁が地面で、その外側には何もない。

だけど、この「キラキラ」だけは、テーブルからも零れ落ちて床に飛び散る。これがなかなか見ごたえがある。



でも、普通にやっていると、小人が牛にすっ飛ばされて、偶然ぶつかるときくらいしかこの現象は起きない。


…最終的には、この現象を強制的におこそう、とするゲームに発展した。


両手で小さな部屋を作り、小人が逃げ出さないようにする。

(親指が床に、その他の指が壁になるように両手を置く)


そのままずりずりと空に上げていくと、小人は星に近づいていく。

これで星にぶつければいい。


星も障害物の影響を受ける。そこで、星を囲い込んで地表に引きずりおろす、という作戦も出現した。

(何も起こらないけど、太陽や雲でもできる)


地面までくれば、小人はいくらでもいる。

ただ、地面でキラキラが発生しても、中央で発生するほどの「派手さ」は無い。

中央から一気にはじけ飛ぶ、という方が面白かった。


また、星はキラキラを出すと、同時に「はじかれて」少し違う位置に移動する。

地表だと、特に中央に戻ろうとする力が強く働くようで、苦労する割にはすぐに星に逃げられてしまう。


逆に、上空であれば同時に何人もの小人をぶつけることも可能。

きらきらが発生しすぎると、計算量が爆発的に増え、一瞬画面が「フリーズ」する。

(ゲーム専門用語でいうところの「処理落ち」)


これが楽しくて、どこまで計算負荷をかけられるか、の勝負に発展していく。


#この遊びに気付いたとき、うちの子供たちだけでなく、周囲の子供も面白がってこの遊びに参加し始めた。


ただ、動きが止まった瞬間は、小人も止まってしまう。「連続してぶつける」のには限界があった。



限界を打ち破るのは「牛も星にぶつかる」と発見した時。

牛は体が大きいので、一気に何度もあたり判定を起こしてしまうようだ。

小人よりも、キラキラの発生個数が多くなるようで、牛2頭を同時にぶつけたりすると、ものすごい処理落ちになる。


通常、処理落ちしても数フレーム…時間にして、1/10 秒程度だろう。

しかし、最大の処理落ちの際には、2秒くらい画面が止まっていた。

しまった、やりすぎてシステムを停止させてしまったか、とヒヤリとしたくらい。


#まぁ、そうなったらスタッフの人に謝って再起動してもらうだけですが。




「デジタルメディアアート」なんて言葉が出てきたのは、20年位前だったのではないかと思う。


#メディアアート、自体は映画などを含むものとして、20世紀中盤にはあった。

 「デジタル」とつくのは、コンピューターを使った芸術。


この言葉、僕は「ゲーム崩れ」と同義だと思っている。

この言い方が失礼極まりないのは承知しているが、多くのデジタルメディアアートが、そうなっていると思う。



チームラボ展で言えば、前半のアート部分は、ゲームですらない、ただのビデオだった。

最先端技術を使っているが、見ているだけ。映画と変わらない。


後半の遊園地部分は、「インタラクティブ」と言いながら、そうなっていない作品が多い。

塗り絵は子供たちは楽しんだが、画面に表示された後は「自分の描いたのがそこにいる」と見ることが楽しみになってしまい、これも映画と変わらない。


「デジタルメディアアート」と呼ぶのはおこがましい、20世紀中盤からあるものの延長に過ぎない。



長男の気に入っていた「かみさまがいたころのものがたり」は、触れることで事象が起き、その事象の組み合わせでさらに別の事象が起きる、ということで非常にインタラクティブだ。

ここに来てやっと、「デジタル」であることの意味が出始める。


ただ、しばらくやっていると飽きる。事象を起こしたいのだが、上から象形文字が降ってくるのを待つしかなく、組み合わせは運でしかないからだ。

ゲームになり切れないゲーム。僕がそう呼ぶのは、こうした作品だ。




「小人の住まうテーブル」は、見事なゲームだった。

ただ、これがゲームであることは、ほとんどの人が気づいていない。何を目指したものなのかも理解されていない。


多くの人は、自分の手を「障害物として使う」という操作方法を理解できず、表示されいるオブジェクトを「スワイプ」して動かそうとしていた。

ゲームとして見た際には、説明書を熟読しないと遊べない、失敗作の部類だろう。


でも、僕はこのゲームを高く評価する。今までにない新天地を切り拓いたからだ。

先駆者は理解されず、多くの人が素通りするのも仕方がないことだ。



似たようなゲームが20年ほど前にあった気もするが、あれも理解されなかった。



一方で、アートとして見た際には、「ゲーム」と捉えられてしまうのは不本意なんでしょうなぁ、やっぱ。

アートと言うのは見たこともないようなものを提示するのが本領なわけで、ゲームという既存の枠組みに組み込まれるようじゃダメなのだと思う。


アートである以上ゲームにならない「ゲーム崩れ」だというのは、宿命でもあるのだと思う。


でもね、好奇心を刺激してくれるものが良いアートだ、とも僕は思っている。

ルールがよく出来ていると、ついつい遊び始めてしまうわけで、結果としてゲームとして成立するのもまた、アートとして出来のよい証拠、のハズ。


ここら辺、僕自身がアート製作者ではないので、アートの人たちがどう思っているかはわかりません。

ゲームになるようじゃアートじゃないのか、アートだからこそゲームになるべきなのか。




アートがどういうものであるかはさておき、この「小人」、子供たちが非常に楽しかったようで、同じようなものを Scratch で作りたい、と言っています。

インスパイアされて真似したくなっちゃうって、最高の褒め言葉だと思う。



この翌日も外出したので忙しくまだ作りはじめてないのだけど、長男と長女は一緒に「Scratch で作れそうな程度の」、サブセットルールを考案した様子。


作る前から「途中であきらめるかも」って弱気なのだけど、元作品がよく出来ていることがわかっているからこそ、とてもそこまで作れないだろうと思っちゃってるのね。


あれは、アート作成としてはプロの作品だ。あそこまで作れなくても、やってみることに意義がある。



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PC-E500 発売日(1988)  2015-04-15 09:57:29  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、シャープのポケコン、PC-E500 が発売された日(1988)。


想いは全てPC-E500のページに書いてあるので、そちらを読んでください。

そちらにもありますが、事実上「最後のポケコン」だったと今でも思います。



だって、いまとなっては同じサイズで十分な「小型パソコン」が作れてしまうもの。

ポケコン、なんていう特別ジャンルを用意する必要はない。


持ち歩けて、BASIC が使える、というのをポケコンの定義だとすれば、いまなら Nintendo3DS のプチコンとか、ポケコンの後を継ぐものなのでしょうけど、あれだって十分「パソコン」としての性能を持っている。


小さいだけで単体では完結してないけど、IchigoJamだって BASIC を使う持ち歩ける機械。でも、ポケコンではないと思う。


なんでしょうね…ポケコン自体定義があるわけでもないので、どれが後継か、と考えること自体が無意味な気がします。



スマホだってコンピューターだしね。

みんなが「ポケコン」の後継を持つようになったともいえる。


でも、PC-E500 のワクワク感って、それとは違ったと思うんだよね。

これは、当時を知る者にしかわからない、ただのノスタルジーなのだけど。


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エドガー・コッド 命日(2003)  2015-04-18 18:23:06  コンピュータ 今日は何の日

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今日はエドガー・コッドの命日。

データベースの研究者です。恥ずかしながら、僕も今回の記事を書く際に初めて知りました。


「リレーショナルデータベース」というアイディアを最初に出した人です。




以前に、別のデータベース研究者の方の誕生日で、データベースの話を少し書いています。


なので、詳細はそちらを読んでいただくことにして、データベースの概念をざっくりと説明。


データベースというと特殊なものと思われがちですが、データを蓄積してあればデータベースです。

テキストファイルで書き溜めたものでもいいし、ノートにまとめたものだってかまわない。


もう少しデータベースらしく考えるには、必要なデータを速やかに取り出せる必要があります。


ノートに順次書いたデータベースは、おそらくデータを探すのが大変なはず。

しかし、同じように本に書かれたものでも、辞書は簡単に目的の「データ」を探し出せます。




コンピューター以前に、パンチカードの時代がありました。

これは、元々国勢調査などの目的のために考案されたものです。


1928年に IBM が考案したカードは、1枚のカードに、0~9の数字を80個記録できます。


たとえば、国勢調査であれば、一人の人間に対して、選択項目が 10 個までの質問を、80個できることになります。

一人分のデータがカード1枚の「データ」となり、カードを集めてデータベースを作れるのです。


カード集計機を使えば、データによってカードを並び変えることも、抽出することも、集計することも出来ました。

データを自在に操れるのです。これは、データベースの革命と言えました。



コンピューター時代にもパンチカードは使われ続け、1960年代に入り、同等の動作をコンピューターで行おうという動きが広がります。

IBM も含め、大手コンピューター企業が、コンピューターを使用したデータベースを競うように作成します。


しかし、この「データベース」は、パンチカードを動かすという「物理動作」を無くして高速化した、という程度で、概念としてはパンチカードと変わっていませんでした。




そこに、本日の紹介人物、エドガー・コッドが現れます。


彼は、1948年に IBM に入社し、在職のまま大学に入って研究を行なっています。


#日本では大学は「社会人の前に勉強するところ」ですが、アメリカでは、いつでも勉強をしたい人が通う場所です。

 社会人になり、仕事で必要だから入る、会社が金を出して入れさせる、ということも珍しくはありません。


そして 1969年、IBM の研究所で、全く新しいアイディアに基づくデータベースの論文を発表します。

それが「リレーショナルデータベース」でした。




パンチカード1枚には、80桁の数字を記録できました。


これをもう少し汎用的に考え、「1行のテキストに、複数のデータ列がある」と考えます。

パンチカードの束がデータベースであるならば、複数行のテキストもデータベースです。


ここまでは言い方を変えただけで、特に複雑なことはありません。

表計算ソフト…たとえばエクセルに沢山データを蓄えて「データベース」としている人もいると思います。同じことです。



たとえば、お店の商品台帳をデータベース化したとします。


商品が無くなったら、メーカーに連絡を入れて追加発注しなくてはなりません。

住所と電話番号も、商品ごとに記載しておくべきでしょうか?


それは、あまりにも手間が多いです。

ここはメーカー台帳を別に用意するべきでしょう。


商品台帳とメーカー台帳を別々に作ります。

商品を元にメーカー名を調べ、メーカー名を元にメーカー台帳を調べれば連絡先がわかります。


ここまでは、パンチカード形式でも問題なく実現できます。


ある時、メーカーが社名変更したとします。メーカー台帳のメーカー名を書き変えます。

しかし、これは「商品のメーカー名を元に、メーカー台帳を調べる」という流れを壊してしまいます。


商品台帳の方のメーカー名も、同じように書き変えなくてはなりません。

データが何万件あるかわかりませんが…まぁ、今のコンピューターなら一瞬でしょう。


でも、もっといい方法があります。

メーカー名も、メーカー台帳の方にだけ書いておき、商品の方のメーカーには「メーカー台帳のメーカー番号」だけを書き込むのです。


メーカー名で調べる代わりに、メーカー番号で調べる。

この番号は、メーカー台帳の中で一意に決まっていれば、どんなものでも問題ありません。


これで解決?


いや、これでは、今度は別の問題が起こります。

商品台帳を見て、商品を作っているメーカー名を知りたいだけで、いちいちメーカー台帳を調べなくてはならないのです。

これは手間が増えてしまいます。




説明が長くなりましたが、このくらいまで「データベースを使いこなす」ようになって、やっとリレーショナルデータベース(以下 RDB )の優位性が出てきます。


RDB では、データベースの表(ここでは、商品台帳とメーカー台帳)の間の関係性を記述することで、データを適切に扱えるようになります。


データとしては、上に書いたように商品台帳とメーカー台帳が別々に保存されています。


しかし、商品台帳のメーカー番号欄は、メーカー台帳のメーカー番号と一致している、と教えてやるだけで、商品名とそのメーカー名を同時に取り出せるようになるのです。



データベースなのですから、それまでの「パンチカード」式のシステムで出来たことは、当然全てできます。

これが、複数の表にまたがっていても検索可能なのです。


たとえば、商品がアンパンなのだけど、作っているメーカーが神奈川県にある物だけを全て抽出、なんてことができます。

RDB でなければ、アンパンを全て探し出してメーカー番号を調べ、メーカー番号からメーカーの所在を調べ、神奈川のものだけを抽出…という手順が必要となります。


#もちろん、RDB の内部ではそのような手順を使っています。

 しかし、RDB が面倒な部分を請け負うことで、RDB 利用のアプリケーションは簡単に作れるようになるのです。




さて、コッドがこのシステムを論文として発表した時、IBM はパンチカードを元としたデータベースを作成・販売していました。

せっかく開発したこの「商品」を否定するような論文に、IBM は反発します。


しかし、コッドの論文は世界に広まってしまいました。

他社も論文を元としたシステムの開発を開始し、IBM も開発に着手せざるを得なくなります。



そこで、IBM は SyetemR と呼ばれる、RDB 開発プロジェクトを開始します。

ただし、このプロジェクトにコッドは招聘されませんでした。

あくまでも IBM が自主的に開始したプロジェクトであり、社内の1研究員に過ぎないコッドの意見を聞いたわけではないのです。


SystemR では SEQUEL という言語が開発され、これが後の SQL になります。




IBM が最初の SQL データベースを発表し、他社も後を追うように SQL を使用するデータベースを発表していきます。


SQL はコッドが考えた言語ではなく、SystemR の成果でした。


すぐに「SQL を利用していれば RDB である」という誤解が広まり、それまで作られていた、パンチカードを模倣したようなデータベースを SQL 対応にしたような製品も出てきます。


コッドはこれに反発します。内部的にパンチカード同様のシステムはもちろん、IBM の製品すらも、コッドが当初考えていた「理想のデータベース」には程遠いものでした。


コッドはこれらのデータベースを批判し、RDB を規定する「コッドの12の規則」を発表します。


しかし、それは彼が勤めている IBM を批判することでもありました。

彼は会社に居づらくなり、独立してコンサルティング会社を設立します。




その後、コッドは OLAP という、新たな概念のデータベースを提唱しています。

これは現在、実際に広く利用されています。


RDB は、複数の表を利用していたため、メモリの節約などのメリットがある一方で、速度的には不利でした。

OLAP では、データ内のどんな要素についての集計・分類などでも、高速に答えを出すように考えられています。


たとえば、日本全国にチェーン店を持つお店が、毎日のように全ての売り上げデータをデータとして蓄積しているとしましょう。


これは、非常に大きなデータですが、OLAP ではこの集計を瞬時に行えます。

関東地方に住む30代の女性によく売れているお菓子の銘柄ベスト5…とか、条件を与えれば瞬時に集計してくれるのです。



こうしたシステムがあることが前提で、人間が想像もしていなかった項目からデータの相関性を自動的に見つけ出す「データマイニング」や、非常に多数のデータを扱う「ビッグデータ」などの、現在でも続く流行が生まれてくることになります。


コッドは、データベースの世界に2度の革命を起こしたのです。


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