コンピュータ29ページ目の日記です

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2016-03-09 クララ・ロックモア 誕生日(1911)
2016-03-14 アレクセイ・パジトノフ 誕生日(1956)
2016-03-19 プログラム教育に対する誤解
2016-03-19 プログラム教育の目指すところ
2016-03-20 ロビン・ミルナー 命日 (2010)
2016-03-26 肩の力が抜けたところで
2016-03-29 アクティベートにハマる
2016-04-12 電話番号のしくみ
2016-04-18 プログラム教育と義務教育
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2016-05-10 理科ハウス
2016-05-12 NORAD 設立日(1958)
2016-05-12 キーボード
2016-05-16 ブレッドボードと IchigoJam
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2016-05-22 JAMSTEC 一般公開日
2016-05-24 ROM と RAM
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プロテクトの話  2016-03-04 23:54:21  コンピュータ

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先の思い出話の勢いで書いてしまおう。


コピープロテクトの話をいつか書きたいと思っていた。

かける側と、破る側の攻防が好きなのね。


実は、もう3年くらい前に書いて、詰めが甘いのでお蔵入りさせていたやつ。

というのも、技術を網羅できるほどには僕が詳しくなかったもので。


そのまま…出せる感じではないので、ある程度リライトしつつ。




プロテクトの話と言えばまずはフロッピーディスクなのだけど、仕組みを知らないとわからない部分も多いので、ざっと説明。


今では 3.5inch も使ったことがない、という人が多いのだけど、3.5inch は「入れれば読める」ので特に難しくはない。

裏表を間違えて入れようとしても入らないし、ドライブに入れる前は磁性体がシャッターで保護されるし、一番よくできたディスクだ。


5.25inch の場合、裏表逆にしても入ってしまう。

裏表逆でも入ってしまう、というのが面白くて、後で書くのだけどわざと逆に入れることもあった。


そして、ドライブに入れただけでは読めない。

入れた後に、「ノブ」を回してやる必要があった。


このノブは、物理的にディスクの抜き差しを禁止するのと、内部でディスクを上下から抑え込み、挟んで回転させる機構に密着させるのと、両方の意味合いがあった。


8bit コンピューターの時代…1980年代後半は、5.25inch が普通だった。

シャッターもついていないし、3.5inch よりもジャケット(外側の保護プラスチック)が柔らかいので、取り扱いに注意が必要だった。


もっと大きいと 8inch ディスク。実は、これが「標準ディスク」と呼ばれる。

1980年代のパソコンでは使われていない。その時代でも、オフィスコンピューターでは使われていたけど。


詳しくは、8inch ディスクの開発者、シュガートの話でも読んでくれ。




さて、ディスクというのは非常に複雑な機構を持つのだけど、あまりに複雑なので、ディスクドライブだけに専用の LSI を持たせるのが普通だった。

フロッピーディスクコントローラー (FDC) と呼ばれる。


ただし、Apple II では FDC を持たなかった。CPU で直接フロッピーディスクを制御するので、変なことがいろいろできた。


先に書いたけど、PC-8801 では、フロッピーディスクは当初は外付けだった。

外付けだと、CPU との通信にも時間がかかる。これを少しでも効率化するために、ドライブ内にも CPU を搭載した。


なので、メイン CPU とドライブの CPU を通信して、ドライブの CPU が FDC を制御して、FDC がフロッピーディスクを駆動した。

こちらも、変なことがいろいろできる。




プロテクトの基本は、「読めるけど書けない」だ。


ディスクをコピーするときは、読み込んで、同じ内容を書く。

でも、書けなければコピーできない。単純な理屈だ。


問題は、どういうデータが読めるけど書けないのか、だ。

僕もすべてを網羅するほど詳しくないのだけど、いくつか書いてみよう。


(詳しくないし、当然資料も持ち合わせていない。なので、書いてあることには間違いがあるかもしれない。

 いろんな方法がある、という読み物として楽しんでもらい、詳細を知りたければ自分で調べてみてほしい)



▼セクタ数が違う


非常に初歩的なもの。

フロッピーディスクは、データを「セクタ」という単位で区切っている。

セクタはさらに集まってトラックを作る。



これらをいくつにするかは、ある程度融通が利く。

セクタやトラックの数を変えることだってできる。


当時は BASIC が OS みたいなものだったので、BASIC が使用する標準ディスクフォーマット、というものがあった。

そして、この標準ディスクをコピーするソフトも、BASIC のセットに付属していた。


「ユーザーは、このソフトでコピーを取ろうとするだろう」という前提で、BASIC のフォーマットとはセクタの数を変えてやる。

すると、全部のセクタをコピーしたつもりでも、実はコピーできてないセクタが生じる。


でも、すぐに「どのようなセクタ数でも、解析して全部をコピーするソフト」が登場する。

セクタ数を変える、というプロテクトは、短期間しか通用しなかった。



▼CRC プロテクト


ディスクには、セクタごとに CRC というデータがつけられている。

データが壊れていないか検出する、「チェックサム」と呼ばれるものの一種だ。


これを書き換えて、わざと「壊れている」ようなセクタを作るとどうなるか?


FDC は、一応データを読み込みはするのだけど、「壊れている」という報告を返す。

ソフトのほうでは、壊れているなら再読み込みをするのだけど、何度読んでも壊れている。


仕方がないので、何度目かのトライで読み込みを諦め、その時読み込めたデータを信用するしかない。


そして、コピーのためにそのデータを書き戻す際には「正しい」 CRC を再計算して、書き込む。

この CRC の書き込みは FDC の仕事なので、「正しくないものを書き込め」とは指示できない。


ソフト起動時に、このセクタを読み込んでエラーが出れば、正規品だ。



これを再現するには、何度読んでも CRC エラーが出るセクタを見つけたら、そのセクタのデータを書き込んでいる最中に「FDC をリセット」するように CPU から指示を送ればいい。


FDC は、セクタの途中で書き込みをやめてしまう。当然、CRC は計算されず、「それまで書き込まれていたもの」のままだ。

これでセクタはエラーとなる。



▼未フォーマット(コロコロプロテクト)


新品のディスクは、フォーマットしてから使う。

上に書いた、「セクタ」や「トラック」に、データ的な目印をつけてから使うのだ。


ところが、特定のセクタやトラックだけ、わざとこの「フォーマット」作業を行わない、という技法がある。


すると、磁気データが一切書き込まれない。

これは不安定な状態で、データを読もうとすると、読むたびに違う結果が返ってくる。


コピーソフトは、「読むたびに違う」なんて思わないから、1回読み取って書き込んでしまう。

すると、とにかくその時のデータで「確定」してしまう。


プログラムの起動時に、該当セクタを 3 回読み取り、すべてが内容が同じかチェックする。

正規品は、フォーマットが行われていないので、「内容が変わる」はず。

でも、コピーしたものは、常に同じ内容が返ってくる。


一度も使っていない生ディスクを使い、(もしくは、一度使ったディスクに磁石を近づけて内容を破壊し)、コピーする際に同じセクタを複数回読みながら、未フォーマットと思われる部分は飛ばしてコピーする、という手法が現れた。



▼時分秒プロテクト


FM-7 などで使用された FDC では、フォーマット時のコマンドとして F5 F6 F7 の3つの値が使われた。

それぞれ別の意味だが、ともかくフォーマットに必要な処理を行う。


もちろん、これらが意味を持つのはフォーマット時のみで、通常のデータとして書き込む際には、これらの数値は問題なく書き込める。


では、フォーマット時に書き込まないといけないデータ部分に、F5 F6 F7 の数値を利用したらどうなるか?

これは、「使えない」というのが、その FDC での仕様だった。



では、逆に、わざとこのデータを書き込んでしまえばプロテクトになる。

読み込みには問題は出ないが、書き込もうとしても絶対に書き込めない。


F5 F6 F7 は、FM-7 の文字コードでは「時分秒」の文字が入れられていたため、時分秒フォーマットと呼ばれた。



該当 FDC は、もともと「片面ディスク」用に作られたもので、両面ディスクで使用する際には、この FDC とは別に読み書き面を切り替える回路を設けるのが普通だった。


そして、この回路は FDC とは独立して動作する。


なので、時分秒フォーマットを見つけたら、F5 F6 F7 の代わりに、FD FE FF を書き込む。

FD と F5 は、1bit だけ値が違う。他の数値も同様だ。

そして、時間を正確に測り、この 1bit を書き込むタイミングで、書き込み面の裏表を逆にしてしまう。


これで F5 を書き込むことができる。他の値も同様。


#説明が難しいが、信号を逆の面に送ることで、1 のビットは必ず 0 になった。

 また、保護機構があって、裏面が 1bit だけ破壊される、ということはなかったらしい。

 


▼ダブルインデックスホール


5inch ディスクには、小さな穴が1つ開いていた。


未フォーマット時のディスクを初めてフォーマットするときは、何も目印がない。

そこで、この「穴」を検出できるようになっていて、この穴を見つけたらディスクが1周した、と考えてフォーマットを行った。


逆に言えば、フォーマット時くらいしかこの穴は使用されない。

これを利用して、穴を2つ開けてしまう。


穴が特定の位置を通ったかどうかは検出できるので、穴の通る時間間隔を調べれば、穴が1個か2個か、程度はわかる。

穴が2個開いていれば正規品、と考える。



自分で穴を開けるにしても、それなりに正しく穴を開けないと、時間間隔の微妙な違いでコピー品と見抜かれてしまう。

物理的な工作が必要なので、コピーソフトだけでは対応ができなかった。



▼穴あきプロテクト


上と同じような感じなのだけど、ディスクのデータ領域に穴を開けてしまおう、というプロテクト。

その部分を読むと、コロコロプロテクトと同じようなことが起きるので確認できる。


じゃぁ、コロコロと同じようにコピーできる。物理的に変わったことをしても、それほど意味はなかったようだ。


ついでに、穴が開いているために、ディスクドライブのヘッドを傷つける恐れがある、というので、どこかの会社が考えたものの、ほとんど使われなかったらしいプロテクト方法。



▼回転速度プロテクト


ディスクドライブには個体差もあるので、ディスクの回転数は常に同じ、とはならない。

ディスクの回転が異なれば、データの読み出し速度も変わる。


そこで、FDC では、多少読み出し速度のムラがあっても対応できるようになっていた。

ただ、書き込み時には基本的に同じ速度で書き込みを行う。


これを利用して、特殊なドライブで、ゆっくり回転するディスクにデータを書き込む。

ディスクはゆっくり回るので、普通のディスクよりも多くのデータを書き込める。


読むときは、多少の速度の違いは許容されるので、普通にデータが読める。

ただ、ディスク1枚に入るデータ量が、普通より多いだけだ。


この方法でディスクを作られ、データを詰め込まれると、コピーすることができない。

どんなにコピーしようとしても、全データを書き込むことができないのだ。



▼Apple II のプロテクト


先に書いたが、Apple II は FDC を持たず、CPU がすべてを制御する。

そのためおかしなフォーマットがたくさんあった。


ディスクを逆回転させるとか、読み取りヘッドが、普通の 1.5 倍の速度で動く、なんてやり方もあったようだ。


Apple II のディスクドライブは片面だったので、途中で「裏返す」ようなゲームも存在した。

先に書いたが、5inch ディスクは裏返しても入ってしまう。


これを積極的に利用したのだ。


#実際には、裏返して入れることは出来るのだけど、それで読み書きするにはちょっと加工が必要。

 市販ゲームの場合は、もちろん最初から加工してあったし、簡単に加工するための工具も売られていた。



▼パッチ


プロテクトというより、外す側の最後の手段が「パッチ」だ。

最後の手段というか、末期には常套手段になっていた。


ここまでに書いた話では、「コピーする」というのは「オリジナルと同じものを作り出す」ことだった。


しかし、パッチでは、コピーしようとしているのに、オリジナルと積極的に変えてしまう。


ほぼすべてのプロテクトで、「正規品かどうかを確かめる」プログラムが動くことになっている。

このプログラムを動かさないようにしてしまえば、プロテクトを再現できなくてもソフトは動くのだ。



究極の方法…だけど、特に面白さを感じない。

当時はコピーが法的に「認められたもの」から「違法」へと移行しつつある時代で、まだコピーは当然の権利、と捉えられていた。


でも、それは自分で買ったゲームを、万が一の事故に備えてコピーしておく、というような場合だ。

市販ソフトをただで遊ぶためにコピーする、というのは、褒められた行為ではない。


そして、悪い行為に「面白い」も「面白くない」もないのだけど、パッチ当てはあまりにも即物的だ。

コピー、と言っているのだから、元と同じものを再現してやろう、というテクニックには、チャレンジ精神を感じる。



ちなみに、この「パッチ」を禁止してやろうと試みるプロテクトも存在したようだ。


パッチを開発するコピーソフト製作者は、CPU の動作を特別な方法で確認しながら、プロテクトを確認している該当プログラムを探そうとする。


でも、プロテクトの確認を「CPU 以外」がやっていたら?

通常の方法では、プロテクト確認のプログラムを見つけ出せない。


PC-8801 は、ディスクドライブに CPU を搭載していた。

そこで、こちらの CPU にプロテクト確認をさせよう、というプロテクトもあったようだ。


こうなると、パッチを作るのが難しくなる。

人間のやることだから、最後にはばれてしまうのだけど、少しでも「パッチ」に抵抗しようという、防御側の工夫が面白い。





以上。

多分、もっとたくさんのプロテクトが考案されていたはず。


ついでに、ゲーム機のほうのプロテクトの話も…とおもったら、これはすでに過去に書いていた




追記 2016.7.4

2016.6.30に、ハイドライド作者の内藤さんがこのページを見てくださり、思い出話をツイートしていました。


これは貴重な話だと思ったので、ご本人に許可を頂いたうえで引用いたします。


元々は、引用されることなど想定せずに思い出を語っただけです。

間違いなどあっても内藤さんへの問い合わせをしないようにお願いします。


記録が残ることを想定していない文章を引用した以上、文責は僕にあります。




「パソコン向けソフト」の黎明期は、プログラムを作成したメーカーが自分のところで複製を行っていました。

しかし、後にはデュプリケート(複製)業者が現れ、大量生産を請け負うようになります。


そして、業者がオプションサービスとして、プロテクトも請け負うようになります。




上記ツイートは、本人より INT 21H と書いたのは 1BH の間違いです、との訂正情報もいただいています。

INT 21H は DOS の機能を呼び出す機械語命令で、1BH は DISK アクセスのための機能を呼び出す機械語命令。


記憶のみでさっと書いて、よく使う数値を取り間違えただけの些細な問題です。




引用許可をいただいたら、さらに思い出話をしていただけました。


「互換機」などは結構頭の痛い問題です。

こちらは僕の思い出ですが、知人が FM-7 の外付けドライブを購入する際、安い互換品を買ったところ、正規に購入したゲームがコピー品とみなされて遊べない、という事態が発生していました。


MSX なんかは「互換機」しか存在しない市場なわけで、事実上強いプロテクトはかけられなかったようです。

MSX の場合、ROM カートリッジにすることが何より強いプロテクトでもありましたが。



以上、当時現場でプロテクトをかけていた側の方に思い出話をいただけたのは、非常に貴重なことかと思います。

引用の許可をいただき、ありがとうございました。



追記 2016.7.5


上の追記をした翌日、たいにゃんさんが SeeNa で使われた技術と共に、プロテクトの話をしてくださいました。

許可を得た…のかな (^^; リンクさせてくださいと言ったら「にゃーん」と答えられたのだけど。



SeeNa は、たいにゃんさんが PC-8801mkII 用に作られた、迷路の中を駆け抜ける3Dゲームです。

レース+RPG風味…かな? 今でも似たゲームは見当たりません。


本文に書いたように、PC-8801 のディスクドライブは、CPU を搭載しており、任意のプログラムを実行できます。

これを使ってゲームの処理をするという超絶技巧を使い、ヒットしたゲームでした。


SeeNa の技術についてはとても興味深いですし、そちらが話の主体なのですが、togetterまとめが作られているのでそちらを読んでください。



以下、プロテクトに関する部分を引用します。

こちらも、引用した以上文責は僕にありますので、たいにゃんさんに問い合わせしないように。






いろいろ分からなかったので、ツイッターで直接お伺いしました。簡単にまとめます。


SeeNa のプロテクトは多重構造になっていて、


・普通にプロテクトがかけられている

・プロテクトチェック部分はディスク1枚ごとに違う方法で暗号化され、パッチしにくい


・ディスク1枚ごとに、トラックの並び方が違う

・トラックのうち一本は「ハングアップを誘う」トラップ用

・並びの違いは、先に書いた「暗号化」されたデータ領域内に記録されているので、事前にわからない。


・でも、BASIC のディスクをコピーする純正ツールではコピーできる。

 (BASIC のディスク構造を示す fat 領域を巧妙に作り込み、トラップに引っかからずコピーできる)

・ただし、純正ツールコピーでも、違法コピーしたことはゲームを遊ぶとわかるようになっている。



SeeNa はゲーム自体の技術も高かったのですが、プロテクトもすごい…



引用ツイート最初の暗号化部分、簡単に解説すると、シーザー暗号です。

IBM の各アルファベットを、ABC 順で1つ前にすると HAL になる、ってやつ。


ここで「1つ」という数値が「ソルト」と呼ばれます。


#暗号鍵と同じ意味。

 なぜわざわざ違う言い方をするかは、説明が長くなるので興味ある人は調べて。



sub 1(1つ前にする)で暗号化したら、add 1(1つ後ろにする)で復号化できる。

ソルトが変われば数値部分を変える。sub と add を入れ替えると別の暗号になる。


さらに、xor でも別の暗号になる。

この演算は、2回繰り返すと元に戻ります。だから暗号化と復号化は同じ。



市販するディスクをコピーする際に、自動的に sub add xor のどれを使って暗号化するかを選び、ソルトもランダムに選び、暗号化したデータと一緒に適切な復号化プログラムをディスクに書き込む…というソフトを作成したのだそうです。


コピーソフトを作る業者が、プロテクトをチェックしている部分を回避しようと思ってパッチを当てようとしても、パッチを当てたいプログラムは暗号化されている。

しかも、その暗号データは、市販されているディスクの1枚づつで内容が異なる。



ここに、最後の引用ツイート、トラックシャッフルが組み合わさります。


本文最初の方で書きましたが、ディスクはセクタ単位で管理が行われ、セクタをまとめたものをトラックと呼びます。

トラックはディスクに対して同心円状に並び、物理トラック番号が割り振られます。



この順番をディスクごとにバラバラにシャッフルしてしまい、実際にアクセスするときは、シャッフル順を記録したデータを参照して実際の物理トラック番号に変換してアクセスするのですね。


これに加えて、特定の1トラックはおかしな構造で記録されていて、アクセスすると FDC がハングアップする。

シャッフルされているので、そのトラックがどこかはディスクごとに異なる。


ハングアップするトラックを飛ばしてコピーしよう、と考えたとしても、それがどこにあるかわからないのです。




ディスクから起動する場合は、まずトラック0のセクタ1が読み込まれます。

トラック0はシャッフルしない、という理由はこれ。


読み込むんだデータはプログラムとみなされ、実行されます。

これは1つのセクタに収まるほど小さなプログラムですが、続いて複雑なプログラムを読みこませるには十分です。


そして、おそらくここでトラック0から先に書いた「復号化プログラム」が呼び出され、シャッフルされたトラックのデータ(シャッフルテーブル)を含む、暗号化された重要データの復号が始まる。


以降はゲームのシーケンスに入っていくのでしょうが、データアクセスの際には、必ずシャッフルテーブルを参照して、そこに書かれたトラックにアクセスします。


これで、トラックがシャッフルされていても正しいデータにたどり着ける。

もちろん、ハングアップするトラックにはアクセスしないようになっている。



非常に巧妙です。



SeeNa は、「ソフトメーカーのお手製プロテクト」の時代としては、最後に近いものではないかと思います。

もう少し後になると、先に書いたように複製業者が出てきて、プロテクトのサービスを行うようになる。


SeeNa はヒットゲームだったので、後に「ワイド版」というバージョンが作られます。(続編ではない)

このときには、複製業者にプロテクトを頼んだのだそうです。



こうした複製業者のサービスは、専門家なので非常に技巧を凝らしたものだった一方で、あまり手の込みすぎることは出来ません。

すでに完成しているゲームにプロテクトを施すだけだからね。2重3重のトラップは作りにくい。


SeeNa は、非常に凝ったプロテクトの技術としては円熟期のゲームの一つなのだろうと思います。



こんなお話を伺えたのは、非常に貴重なことかと思います。

引用の許可をいただき(…にゃーん?)、ありがとうございました。


2018.7.24 追記


実際に、FM-7 の各種ゲームを中心にプロテクトがどのようにかけられていたか、コピーするとどうなるか、などを説明しているサイトを見つけました。

こういう実例、非常に面白いです。リンクしておきます



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前回は1985年ごろ、というつもりで書いたのだけど、多少突っ込みを見受けたので釈明。


1985年にはもうディスクは一般的だったのでは、と言っている方がいました。

たしかに、一般化し始めていたからこそ、ハイドライドのディスク版なんかも発売されたんでしょうね。


だけど、まだ高価だったのは事実で、中学生への普及率は高くはなかった。

先に書いたように、そもそもパソコンを持っているだけでも珍しい。興味はあるけどパソコンすら買えず、もっと安いポケコンで、というやつだっていた。


#前述の、家にパソコン持っていないのにディスクのゲームを購入した奴は、ポケコンなら持っていた。


あと、1985年「ごろ」なので、それほど話が厳密ではないです。

今でもそうですが、コンピューターを取り巻く状況は急激に変わる。


中学1年の時には、パソコンを持っていることが珍しかったのに、3年の時には PC-8801mkII SR を持っていたのは何人かいたようにも思いますし。


いずれにしても、一般化された話ではなくて「僕の周辺の」話です。

今回はもう少し後の時代を書くのだけど、これも僕の周辺に限った話。




1988 年ごろ…ちょっと前から話を始める。


ファミコンブームはひと段落するけど、ブームの中でゲーム機はファミコンの一人勝ちになっていた。

多数の機種がひしめいていたパソコンも、PC-8801mkII SR の後継機 (以下 88SR)が主流になっていた。


この間に挟まれたのが、MSX 。

MS はマイクロソフトの意味。マイクロソフトの名を冠した、8bit パソコンの決定版!…という触れ込みで発売されていた。


今ではどこの会社が発売した PC でも互換性があるけど、当時は会社が違えば互換性がないのが当たり前。

それを、会社の垣根を超えて互換性を確保しよう、という統一ブランドだった。


でも、先に書いたように、ゲーム機ならファミコンが、パソコンなら 88SR が強くなってきて、MSX はどっちつかずの状態。

MSX を発売しているメーカーにも撤退が相次ぐ中、カシオ計算機が思い切った機能削減により、他社のパソコンの10分の1の値段で発売を開始した。


これで、ゲームをやりたいわけではなくプログラムに興味があり、でも 88SR を買うほど金を持っていない貧乏人の間で、MSX は普及し始める。




僕が MSX2 を購入したのは、この状況から少したって、MSX が安定した勢力になりつつあった頃。

MSX2 は MSX の後継の仕様。カシオの MSX に引きずられる形でどんどん低価格化して、フロッピーディスク付きでも5万円程度で変えるようになっていた。


この当時、88SR を買おうと思ったら、専用ディスプレイ込みで20万円くらい。他社の機械でも同じくらい。

MSX2 は普通のテレビに接続できたので「ディスプレイなし」の値段なのだけど、非常に安かったのがわかると思う。


88SR は同時に8色しか出なかったけど、MSX2 は 256色出せた。

88SR でアクションゲームを作ろうと思ったら大変だったけど、MSX2 はスプライト機能(ゲーム向けの、小さなキャラクタを動かすハードウェア)を持っていた。


メインメモリ容量も同じ 64KByte だったし、MSX2 は全然 88SR に負けていなかった。

いや、当時の MSX ユーザーは、「負けていない」と思いたがっていた。



まぁ、実際には MSX2 の CPU 速度は 88SR の半分だったし、グラフィックが 88SR より荒いのでワープロなどには向いていなかったし、勝負になっていなかったのだけど。




僕は MSX2 でゲームを作ろうと思ったのだけど、なかなか難しかった。


ファミリーベーシックは 4KByte しかなくて、キャラクターはあらかじめ決められた「マリオ」などを使うだけ。

MSX2 は、64KByte 使えたし、キャラクターも自由に作れた。音源もファミコンより高機能だった。


ファミリーベーシックは、何かをやろうとしても「できない」ことのほうが多すぎて、妥協しながらメモリいっぱいになるまでプログラムを組んだら完成、だった。

でも、MSX2 は妥協しないでもいろいろできてしまう。プログラムの完成がいつになるかわからず、モチベーションが続かなくなる。



そして、MSX2 には誘惑が多かった。


ファミリーベーシックには、ゲームなんてなかった。ゲームをやるならファミコンのカセットを買えばいいのだから。

そして、カセットはコピーすることが難しかった。


中学生の頃は、先に書いた通り友達の間でも持っている機種がバラバラ。

コピーが当然の時代で、レンタルソフト屋があった話も書いたけど、そもそも中学生にとってはレンタル代金だって安くない。



MSX2 を買ったときにはある程度機種が淘汰されていて、同じ MSX2 ユーザーが周辺に何人かいた。

ゲームをコピーするにしても、友人経由で無料で回ってくる。必要なのは、生ディスクの代金だけ。


#MSX2 は各社から発売されたため、フロッピーディスクを制御する LSI である、FDC の種類が決まっていなかった。

 このため、プロテクトはかかっていても非常に弱いもので、コピーが簡単にできた。


ゲームを作ろう! と考えていても、面白いゲームが目の前にある。

これがモチベーションを低下させた。


結局、小さなゲームは数本作ったけど、「ゲーム作りが楽しかった」という思い出は、この頃にはない。




話が急に逸れるようだけど、当時は BASIC でプログラムするのが当然。

BASIC では、命令ごとに「行番号」が付くのだけど、これは処理の「とび先」を示すなどの言語機能以上に、大きな役割があった。


長いプログラムの「どこを」編集したいのかを示すのに、行番号を使うのだ。


10 INPUT A


と書いてリターンキーを押せば、この行を「10」という行番号と共に記憶してくれる。


20 END


と書いてリターンを押せば、新たな行を「20」として覚えてくれる。


間に行を入れたいときはどうするか?


今のエディタなら、行の間に空行を作って、新しい行を挿入する。

でも、BASIC ではそうはしない。


全く新しく、


15 PRINT A


と書く。画面上の順序としては、10 20 15 の順に行が並んでいることになる。


でも、LIST 命令で覚えている内容を改めて表示すると


10 INPUT A

15 PRINT A

20 END


と、行番号の順に並び替えられて表示される。


行を消したければ、行番号「だけ」を入れてリターンすればいい。

行の順序を入れ替えたいなら、LIST で表示された行番号を入れ替え、各行でリターンすればいい。



#リターンは今のように「改行」を意味するのではなく、「カーソルのある行を記憶」という指示だった。

 なので、2つの行を入れ替えた際には、両方の行でリターンしないといけない。

 もっとも、この作法も機種により異なり、富士通系ではリターンすると「画面上のすべての行を」記憶した。




この「行番号による編集」は、BASIC のものなのだけど、これを応用して動作するアセンブラなんかもあった。


BASIC が「記憶する」内容は、命令などが解釈された中間形式でメモリ上に置かれる。

でも、「コメント行」は、当たり前だけど解釈が行われない。そのままメモリに入る。


これを利用して、メモリ上に置かれた BASIC のコメント部分を解釈してアセンブルする、というアセンブラがあったのだ。

アセンブラ自体は、BASIC からメモリに機械語を置いて呼び出す形で使う。


1) BASIC で書かれたアセンブラプログラムを入力し、実行する

2) すると、BASIC を拡張し、「アセンブル」命令が使えるようになる

3) BASIC のプログラムを消去し、コメントの形でアセンブラソースを入力する

4) 2 で追加された「アセンブル」命令を使うと、メモリ上に機械語プログラムが生成される


ファイルなどを仲介せず、すべてメモリ上で行われている。

当時は、まだディスクを持っていない人もいたためだ。


当時は BASIC が BIOS であり、OS だった。

すべてをここから実行する。だから、今みたいな「エディタを起動」なんて概念がない。


でも、BASIC は、行番号によるエディタ機能を備えていた。

アセンブラなどのプログラムが作られたとき、このエディタを利用するのはごく自然なことだった。




1988年ごろには、ゲームとプログラムだけではなく、ワープロとかグラフィックソフトとか、他の使い方が一般化し始めた。


この頃、MSX-C というC言語のソフトもあって、僕は BASIC 以外の言語に興味を持っていた。

でも、C言語には行番号がないという。いったい、行番号なしでどうやってプログラムを入力するというんだ?


今から見ると笑い話みたいだけど、当時の僕には本当に見当が付かなかった。



パソコンで文章を書く、ということに興味を持ってワープロソフトを購入し、そこで初めて疑問が解けた。

画面上で文章を編集する、なんていう世界があったなんて!



とはいえ、C言語とかを使うのはまだ先の話。

当時は、この「画面上で文章を編集する」ということが、面白くて仕方がなかった。


#今も、文章を書くこと自体が大好きだ。

 だからこんな駄文を書いている。



それまでは高価な周辺機器だったプリンタも、このころ急激に安くなり始めている。


#裏には、ワープロ専用機のブームがある。

 BASIC ではなくワープロソフトが動くようにしたパソコンと、数行しか表示できない小さな液晶モニタと、プリンタを一体型にした機械だ。



これ以前のプリンタは、ドットインパクトが主流だった。

縦に何本か並んだ細い「針」を、横に動かしながらインクリボン越しに紙に打ち付けて印字する。


カーボン紙を挟んで2枚の紙を置いておけば、正副2枚の書類が作れる。

会社などでは便利だったからこのプリンタが主流だったのだけど、騒音が激しいし、可動部分が多くて作るのも大変なので高かった。


ワープロ専用機では、熱転写方式が主流となった。

プラスチックのリボンの表面に、薄く熱で溶けるインクが塗られている。

この上から、小さなヒーターで文字の形に加熱し、インクを溶かして紙に転写する。



ドットインパクト方式では、インクリボンは布でできている。

打ち付けた後も周囲のインクがにじんでくるため、長期間使えた。

また、上下に2本のインクリボンがついていて、「赤と黒」など、色が使えるものも多かった。


しかし、熱転写では、一度印字に使った個所は、まだインクが残っていても使えなくなる。

そんな形式なので、色を使えるようにすると、ものすごい無駄が出る。


本体は安く、静かだったけど、むちゃくちゃ印字コストの高い方式だった。



僕も、MSX2 用の熱転写プリンタを購入してワープロで作ったものを印刷して遊んでいた。


高校でパソコン部にいたので、みんなに呼び掛けて部誌とか作ってたんだけど、目的は部誌を作ることよりも、当時流行しつつあったDTPの真似ごとをしたかっただけだ。


でも、印字コストが高いので、主に「感熱ロール紙」を使った。


これは、熱に反応して黒くなる薬剤が塗布された紙。

鉛筆の裏で表面をこすると摩擦熱で黒くなる、というくらいの反応性で、長期保存には適さない。


でも、インクリボンを使うよりも、この特殊紙を買う方がずっと安かった。




MSX2 は、ファミコンのようなカートリッジによって、様々な拡張ができた。


今のPCよりずっと優れていて、ハードウェアとデバイスドライバが一体化している。

本当に、カートリッジの差し替えでなんにでも変身したんだ。


先に「ゲームはコピーしたものが回ってきた」というようなことを書いたけど、カートリッジで発売されるゲームも少なくなかった。

本当に欲しければ、お小遣いを貯めて買った。


先に書いたワープロも、漢字ROMなどが必要となるため、カートリッジになっていた。

高校生のお金で買うには高かったのだけど、本当に欲しかったので思い切って買った。


貧乏だと言いつつ、機能拡張には結構お金を使った覚えがある。




なんか、MSX2 の話ばかりになってしまっているけど、当時はそれなりに MSX2 ユーザーの勢力があって、僕が「MSX2 のコミュニティ」内にいたためだ、


あと、中学と違って高校は友達の家が遠いので、友達の家に行って別のマシンで遊ぶ、とかができない。

88SR 持ってた友達もいるけど、数回遊びに行った程度であまり思い出がない。


当時は、BASIC が使える、電卓を巨大化させたような「ポケットコンピューター」もあった。

中学の頃のポケコンは、プログラムができる電卓、という程度の低機能なものだったのだけど、高校の頃には低性能なパソコン程度の力は持っていた。


テトリスが流行した時、ポケコンでテトリスを作ったらクラスで流行してしまい、休み時間になるたびにクラスメイトがポケコンを借りに来たのを覚えている。



あぁ、そうだ。大事な話を忘れていた。


中学の頃は、パソコンはマイナーな趣味だけど、それほど悪いイメージはなかった。

でも、高校の頃には「オタク」や「ハッカー」という言葉が社会的に浸透し始め、パソコンで遊んでいたり、プログラムを作るだけで後ろめたい雰囲気が醸成されていった。


つまりは「パソコンが無視できないものになりつつあった」ことの裏返しなのだけど、多くの大人が、この新しいメディアをどのように捉えていいのかわからなかったんだ。


結果として、もちろんそのコミュニティにもよるとは思うのだけど、パソコンが趣味だというだけで蔑視されたとか、暗い思い出を持っている方も少なからずいるように思う。


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【訃報】レイ・トムリンソン  2016-03-07 11:47:39  コンピュータ 今日は何の日

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レイ・トムリンソンが3月5日に亡くなっていたそうです。


現在の電子メールの考案者で、「ウィルスとワクチン」を作り出した人でもあります。


どちらにしても、ネットワークを介して、情報やプログラムを送信できることを示しました。


以前、誕生日記事を書いているので詳細はそちらを参照。




ウィルス・ワクチンに関しては、彼の功績を示しにくいのだけどね。


元となるプログラム「クリーパー」を作ったのは同僚で、彼はそれに「いたずら」を加えただけ。

いずれも、作られたのは 1970年ごろ。



元のクリーパーは、コンピューターからコンピューターへと、渡り歩くものでした。

AからBにプログラムをコピーし、Bで稼働を開始したらAのプログラムを消去する。


これは、通信とプログラムの関係性で何ができるか、という実験だったのね。



でも、レイはいたずらして、「Aを消去する」部分を失くします。

これで、改造クリーパーは無限に増殖することになった。


しかし、無限に増殖するプログラムは困ります。

そこで、これを駆除するプログラムも一緒に作った。


こちらは「リーパー」(死神)と呼ばれます。



ここで、現代のウィルス・ワクチンらしくなる。

でも、名前はクリーパーとリーパーです。




ウィルス・ワクチンと名付けたのは、おそらく HARLIE

1972年に発行されたSF小説です。

この中で「クリーパーとリーパー」の話が、「ウィルスとワクチン」という名前で使われている。


こちらの名前のほうが実態に即していたし、わかりやすい。

でも、当時はまだコンピューターが一般的ではなかった時代。これは「笑い話」として広まります。



本当にパソコンに感染する「ウィルス」が発見されるのは 1982年。10年もあとの話です。

このときには「ウィルス」と呼ばれていますから、HARLIE の影響があったのでしょう。




そんなわけで、レイ・トムリンソンは、ウィルスとワクチンを最初に作った人でもあるのだけど、こちらは言いにくい。

言ったとしても、ウィルスって社会的にいいイメージ無いしね。


でも、「電子メールの人」だけじゃなくても、もっといろんなことしているのです。




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クララ・ロックモア 誕生日(1911)  2016-03-09 10:26:48  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、クララ・ロックモアの誕生日(1911)


この人は知っていたのに、そう言えば誕生日を調べていませんでした。

今朝、Google Doodle になっていて知った。


電子楽器の始祖とされる「テルミン」の最高の演奏者であり、その楽器の作成者であるテルミン博士の一番の理解者でした。


テルミンについても、その最高の奏者であるクララさんについても、テルミン博士の誕生日に詳しく紹介しています。


詳細はそちらをお読みください。




テルミンって、古臭い、奇妙な楽器…ではないですよ。


テルミンの原理を元に、モーグ博士が世界最初のシンセサイザーを作っています。


その後類似のシンセサイザーを作るメーカーがたくさん現れるけど、ヤマハはデジタル化した。

FM音源ですね。その音源を搭載したキーボード、DX-7は今でも名機と呼ばれます。


で、同じくヤマハが開発した、歌うシンセサイザー技術「ボーカロイド」を商品化する際に、DX-7 を擬人化したイメージのイラストが使われた。

これが初音ミクです。


ほら、ちゃんと現代に繋がった。


#お、当時のクララ = 現代のミク という妙な図式が思い浮かんだ。

 僕のイメージするクララはおばあちゃんなのだけど、若いころはきれいな人だったそうです。




楽器としてのテルミンや、テルミン博士についてはいろいろと知られているのですが、クララさんの生涯についてはあまり情報がありません。


まぁ、Wikipedia とか見れば少しは情報はあるのだけど、本当に少し。


以下、細かな情報と、僕の記憶(怪しいもんだけど)をつなぎ合わせて、クララさん視点で追ってみます。




テルミン博士はロシア生まれ。

電気工学の博士で、テレビなどの開発も行っています。


人が近寄ったことを感知する「近接センサー」の開発中に、これで音楽を奏でられることに気が付きました。


その後、ヨーロッパへの演奏旅行を経て、アメリカへ。




アメリカで研究所を設立し、電子楽器の研究を続けます。


ここで、クララ・ライゼンバーグと知り合う。

ライゼンバーグは、クララの旧姓ね。



クララは子供の頃にバイオリンを習っていましたが、病気がもとで断念しています。

でも、優れた音感の持ち主でした。


テルミンは演奏が難しい楽器ですが、自由な周波数…音階ではなく、自由な音が出せるという点でバイオリンに近いです。


実際、多くの人がテルミンをバイオリンのように扱います。

しかし、クララはテルミンの演奏法を独自に研究し、テルミン博士に改良を要請し、テルミンでないとできない素晴らしい演奏を行うまでになります。




テルミン博士は、彼女に何度かプロポーズしたそうです。

でも、クララは博士とは結婚していません。


だって、博士はすでに結婚していたのですよ!

ソ連で結婚して、家族一緒にアメリカに来ているのです。



しかも、どうも博士は女癖が悪かったらしい。


電子音楽に興味を持ち、博士にコンタクトを取ったバレエ団がありました。

このバレエ団のプリマドンナ(看板バレリーナ)と恋仲になり、妻と別れて再婚しています。


アメリカにもソ連人を中心としたコミュニティがあり、博士はそのメンバーでもありました。

そして、プリマドンナとの結婚に周囲は反対していて、結婚後はコミュニティから半ば離脱した状態に。



クララは、法律家のロバート・ロックモアと結婚。

クララ・ロックモアを名乗り始めたのはこの後です。



そして、テルミン博士はある日急に姿を消します。

皆にお別れを言うでもなく、本当に音信不通。


そのまま 50年の時が立ちます。




テルミン博士は、ソ連の秘密組織 KGB に拉致され、ソ連に強制送還されていました。


…となっているのですが、博士が借金で苦しんでおり、自分から送還を望んだのだという話も。


ここら辺、はっきりしないです。多分どちらも本当なのだろうね。

KGB は、優れた工学博士であるテルミン博士を連れ戻したかったし、テルミン博士は戻っても良い頃合いと感じていた、ってところなのでしょう。



今の若い人にはわからないかもしれないけど、当時のソ連は恐ろしい国でした。


技術力は高かったのよ。民間主導のアメリカと違って、何かをやるときは国が一丸となって達成する。

だから、当初の技術力は非常に高いのです。


当時のソ連は、すべてを国が主導する。民間主導のものなんて、基本的にない。

この結果、企業間競争もないので、だんだん技術力が落ちて行ってアメリカに抜かれるわけだけど。


そして、「国のため」という大義名分のためには、平気で人を拉致するし、歯向かう人は抹殺されるし、それでいて外には全然情報が出てこない。



だから、テルミン博士がどこに消えたのか、誰もわかりません。

ソ連に帰ったのかどうかすらわからない。もしかしたら、ニューヨークの路地裏でたまたまチンピラに絡まれて殺されてしまった、というだけかもしれない。




たしか、映画「テルミン」を撮った監督は、クララの親戚だったか、親戚の友達だったか、ともかくクララとたまたま接点のあった人なのだそうです。


すでに「テルミン」という楽器も忘れされれていたけど、クララの演奏を見る機会に恵まれた。

そして、すでに演奏者はほかになく、演奏すること自体が難しく、年老いたクララだけがこの楽器を守り続けているのだ、と知ります。


そして、このスゴイ事実に巡り合えた幸運を喜び、映画作品としてクララさんの演奏を残したい、と考えます。



記録映画とするために、古い写真と当時を知る人も証言をもとに、テルミンの歴史などを再構成。

もちろん、最高の演奏者であるクララさんの演奏も途中に挟まれます。


そして、当時ペレストロイカ(情報公開政策)を進めていたソ連から、テルミン博士を探し出し、クララさんと再会を果たします。


「テルミンのことを記録したい」という動機で気軽に作られ始めた映画が、50年間音信不通だった博士を探し出し、再会を果たすという、作る側も予想しなかった結末へと進んだのです。




この映画が公開される前に、テルミン博士は亡くなります。

そして、5年後にはクララさんも亡くなります。


日本で映画が公開されたのは、アメリカでの公開から8年後。

お二人とも亡くなった後でした。


しかし、亡くなる前に再開を果たせてよかった。

心からそう思います。


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アレクセイ・パジトノフ 誕生日(1956)  2016-03-14 15:56:32  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、アレクセイ・パジトノフの誕生日(1956)


テトリスを作った人です。


他にもいろいろ作っているけど…どうでもいい!

テトリスだけで十分偉人。多分、それ以外のことを言い始めるとかえって名誉を貶める(笑)


テトリスによって「落ち物パズル」というジャンルを創出し、この延長上に誰でも気軽に楽しめる、いわゆる「カジュアルゲーム」と呼ばれるジャンルがあります。

これを作ったのが彼だ、というだけで、もう十分。



テトリスについての説明はいらないでしょう。

誰もが知っているゲーム。


1988年ごろ、世界中で大ヒットしました。

いろんな会社が作って、少しづつルールが違ったりするんですけどね。


日本でも、BPS 、任天堂、セガが作っています。


BPS はパズルゲーム色が強く、任天堂は対戦ゲーム、セガはアクションゲームと、同じ名前で基本ルールも一緒なのに、全く違うゲーム。




パジトノフがテトリスを作ったのは、1984年。

当時、西側諸国では COCOM (対共産圏輸出統制委員会)という組織があり、共産圏であるソ連に対して、16bit CPU を持つパソコンやゲーム機を輸出することは出来ませんでした。


でも、ソ連にはちゃんと IBM-PC があるんですよね。

一般に売られてはいないので、入手は困難。でも、必要な人にはちゃんと IBM-PC が与えられた。


パジトノフは、当初は PDP-11 のソ連製クローンである「エレクトロニカ60」でテトリスを作ったそうです。

このバージョンでは白黒。


でも、1985年にはパジトノフ自身の手で IBM-PC に移植されています。

ここでカラー画面になったそうです。



僕の記憶では、当時は「心理学の研究のために作った」とされていました。

選択の自由はあるが時間は限られている、という状況で、人はどのような選択をするか、という研究。


心理学の研究ですから、多くの被験者に、他の影響を出さないためにできるだけ単純なテストをしてもらう必要があります。

「テトロミノを組み合わせる」「横に揃えると消える」「上まで積み上がったらダメ」という単純なルールのゲームを用意したのだとか。


他に、職業適性検査だった、軍人の忍耐力を試すものだった、というような話もあります。

「単にゲームを作りたかった」からテトリスを作った、という話も見ました。



ソ連では計画経済で、勝手にゲームを作ったりは出来なかったはず。


職業適性訓練や軍人の忍耐力も含めて、心理学的な検査が求められていたのは事実かと思うので、それを理由にして好きなようにゲームを作った、などが真相かもしれません。




計画経済の当時のソ連では、「テレビゲーム」なんて言うジャンルの商品はありませんでした。

だから、コンピューターで作られたゲームに価値がある、なんていう概念がない。


価値があると思っていないので、自由にコピーされました。

1985年の夏に、パジトノフが友人に IBM-PC 版のコピーを渡しました。

それ以降のことはよくわかっていません。


ともかく、2週間でモスクワのすべての PC で遊べる状態になり、その後ソ連中に広まり、気づいたらヨーロッパ中に広まっていた…そうです。


これで、「フリーウェア」としてのテトリスがまず出回ります。

ここまでの時点で結構時間がかかっている。


すでにテトリスは「出所不明」になっています。




当時共産圏であるハンガリーに、「アンドロメダソフト」というソフトウェア会社がありました。


共産圏と言っても、一枚岩ではありません。

ハンガリーは、当初からソ連の支配に反発し、最終的に共産圏全体の崩壊を招いた国。


共産主義の時でも、比較的自由経済をとりいれていて、ソフト会社もあったのです。


このアンドロメダソフトが、テトリスを商品化しようとしました。

そこで、ソ連の科学アカデミー計算機センターに、商品化についての問い合わせを行います。



先に書いたように、ソ連ではソフトウェアが商品価値を持つとは考えられていませんでした。

問い合わせの意味が分からず、とりあえず作者であるパジトノフをハンガリーに送ります。


パジトノフは、ただ送り込まれただけで、何も事情を分かっていません。

しかし、アンドロメダソフトの社長は、パジトノフが作者であることを知り、だから彼が全権を持っているのだと考え、交渉を行いました。


そして、テトリスに関する全権利を彼から譲り受けます。

もちろん、パジトノフはテトリスに価値があり、その価値に対する権利がある、ということを理解していません。

権利を譲り受けた、ということ自体が、アンドロメダソフト側の勘違いです。


しかし、アンドロメダソフトは、テトリスをさらに面白くするように作り直し、各種パソコン向けに移植します。



とはいえ、比較的自由と言えども、ハンガリーは共産圏です。

テレビゲームはハンガリー国内では商売になりません。




ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、ルーマニアに囲まれた国境地域に、カルパチア・ルテニア地方という場所があります。


この地域は戦争のたびに別の国に併合される、という歴史がありました。

チェコスロバキアの一部だった時代があり、独立運動により独立国家となったわずか2日後に、ハンガリーに攻め込まれて併合されています。


ハンガリーはドイツの同盟国であり、ユダヤ人に対する迫害も行っていました。


さて、チェコスロバキアに生まれたユダヤ人、ロバート・マックスウェルは、ハンガリー人となり、迫害で家族を失い、難民となってイギリスへ逃れます。


そこで事業を起こして成功し、資産家となります。

会社を大きくし、次々とメディアを買収して、イギリスのメディア王となります。

国会議員にもなり、政治の世界にも影響力を強めます。



多数持っているメディア会社の中に、2つのゲーム会社、イギリスのミラーソフトと、アメリカのスペクトラム・ホロバイトがありました。



ハンガリーでテトリスを作ったアンドロメダソフトは、ハンガリー出身者の会社であるミラーソフトに、作成したテトリスの販売を委託します。


ミラーソフトと経営者が同じスペクトラム・ホロバイトも、アメリカでのテトリス販売権を得ます。

イギリスのミラーソフトが販売するゲームの、アメリカでの販売権、という形ですが、社長が同じなので事実上同じ権利を持っていました。


1987年にイギリスとアメリカで発売され、大ヒット。

10万本が販売されたそうです。




ATARI は、自社製の家庭用ゲーム機にテトリスを販売しようとします。

そこで、ミラーソフトと契約を行いました。


このとき、ミラーソフト自身の商売の邪魔とならないように、「PC以外」をライセンス条件としたようです。

ATARI は、これにより業務用ゲーム機の販売権も得ることになりました。



ところで、当時のナムコファンならば、ATARI がナムコの傘下に入っていたことを覚えているでしょう。


ATARI は、業務用の作成に当たり、まず親会社のナムコに相談をしたようです。

しかし、ナムコはテトリスを作るつもりはない、と返事をしました。


そこで、ATARI の子会社であるテンゲンに業務用の権利を移行し、テンゲンが業務用を作ります。



そして、この頃になると、アメリカで大ヒットしたゲーム「テトリス」の噂は日本にも届きはじめていました。




ここで、BPS を紹介しておきましょう。この後、非常に重要な役割を果たします。


今は解散した会社なので知らない人もいるかと思いますが、パソコン黎明期から活動していた有名なメーカーです。


社名は「Bullet Proof Software」の意味。「防弾ソフト」という意味ですが、それほど強固な、バグのないソフトを作る、という意味合いです。


日本の会社ですが、社長はアメリカ人のヘンク・ブラウアー・ロジャース。



BPS は、国産初の RPG と呼ばれるブラックオニキスシリーズで有名になりました。

その後は、社長がアメリカの事情に詳しいのを活かし、海外でヒットしたゲーム、アーコンやM.U.L.E.、ボールブレイザーなどの移植で知名度を上げていきます。


そして、テトリスもいち早く発見しました

社長のヘンクが、スペクトラム・ホロバイトと交渉を行い、日本のパソコン向けの権利を獲得します。



一方、セガもテトリスを業務用に出そうとしました。

テンゲンが業務用のライセンスを持っていることを知り、テンゲンから許可を取り付けます。



正確な発売時期がわからないのですが、BPS の PC 向けが 1988年の初頭、セガの業務用は夏、ファミコン版は12月だったようです。



また、任天堂は BPS に許可をもらい、ゲームボーイ版の作成を開始します。

ゲームボーイ発売時に、「通信ケーブル」を使ったキラータイトルとなるものです。


こちらは、ゲームボーイと同時発売で、1989年4月。




ここにきて、ソ連は価値に気づきます。

テトリスはソ連の資産であり、海外貿易に使えるものです。


ソ連政府は、コンピューター資産を外国にライセンスするための新しい部署「Elektronorgtechnica」を作ります。

Electron org technica …電子技術組織、の意味です。略称 ELORG。


活動を開始したのは、1988年の前半。最初の仕事は、アンドロメダソフトとミラーソフトに対し、警告を送ることでした。


「テトリスの正式なライセンス契約がなされていない、契約を結ぶように」



5月になって、アンドロメダソフトの社長が ELORG と会談を持ちます。


アンドロメダソフトは、ELORG の持ってきた契約書にサインしました。

しかし、契約金の支払いを拒みます。


すでにパジトノフと契約はしてある。

組織が変わったということであれば、書類に再度署名はするが、契約金を払う必要はない、というのです。



10月になっても問題は解決せず、ELORG は権利関係の再調査を行います。

この段階で、ヘンク(BPS の社長)が権利関係がこじれていることに気づきました。



1989年2月、ヘンクはロシアへ向かいます。

英語しかできない彼はロシアでは右も左もわからず、すぐには ELORG にたどり着けません。


ロシアの政府機関にも顔が利く通訳をやとい、やっと ELORG にたどり着いて交渉を開始します。



この動きを知り、アンドロメダソフトの社長と、ミラーソフトの代理人も ELORG に向かいます。

お互いの動きはわかりませんが、同じ週に相次いで ELORG との交渉を持ちました。


ミラーソフトの代理人は、社長であるロバート・マクスウェルの息子、ケビン・マクスウェル。

メディア王・政治家の息子として育った彼は、各国の習慣にも詳しい、国際交渉のエキスパートでした。



ヘンクは、ファミコン版を発売していたことを ELORG に告げました。


正式にライセンスを受けていないが、ライセンスを受けたものと勘違いし、すでに発売してしまった。

ファミコンは世界で最大のシェアを持ち、テトリス発売に当たっては任天堂のバックアップもあった。

事後になってしまうが、ちゃんとした権利を買い取りたい。



一方、ケビンは、ファミコン版が権利を得ていない海賊版だ、と ELORG に訴えました。

家庭用ゲーム機の権利は我々が保有しており、ATARI に権利を委譲している。

にもかかわらず、ファミコン版を発売したのは許されない行為である。



ELORG は、ヘンクの態度を好ましく感じました。

ミラーソフトはライセンス料を支払っていないにもかかわらず、権利を保有していると主張している。

それに対し、ヘンクは勘違いがあったことを謝罪し、事後になるがちゃんと権利を得るための支払いをしたいと申し入れているのです。


このとき、ヘンクはパジトノフとも会談し、今後のテトリスについてアイディアを出し合っています。

ヘンクとパジトノフは、この後も友好的な関係を保ちます。




ELORG は、ヘンクのためにミラーソフトに対するライセンス契約書を書き換えることにしました。


すでに署名だけされていた契約書は、全権を与えるもので、契約金が支払われれば契約が締結される状態でした。



新しい契約書は、ミラーソフトに与えるライセンスの区分が、次のように書き換えられていました。


「プロセッサ、モニタ、ディスクドライブ、キーボードとOSを持つコンピューター向け」


コンピューターゲームのライセンスなのですから、コンピューター向けに決まっています。

しかし、よく読むと、ディスクドライブやキーボード、OSを持つ…つまり、ゲーム機は除外され、PCに限定される内容となっています。


この書き換えと同時に、再三警告しているにも関わらず支払いがないことに対するペナルティとして、契約金を値上げします。



ケビンは契約金が上がってしまったことに驚き、契約が遅れるとさらに値上げされるかもしれない、と慌てて契約を締結します。

権利条項の書き方が変わったことには気づきましたが、それが巧妙に「PC限定」となっていたことには気づきません。



BPS には、家庭用ゲーム機に対する権利を与える、という契約書を作りました。

そのうえで、任天等が新しい「携帯ゲーム機」を作っていることを聞いていたので、新たなライセンス分野としてハンドヘルドゲーム機の分野も加えます。



ヘンクは、交渉をうまくまとめました。

しかし、この契約金は BPS には払いきれないもので、任天堂が支払います。


任天堂は、BPS からライセンスを受ける形でゲームボーイ版の開発を始めました。

しかし、最終的には任天堂が権利を持ち、BPS は任天堂の権利下でファミコン版続編の開発を続けます。




さて、ここで ATARI の権利が消滅しています。


ATARI は、ミラーソフトが持っている権利から、PC 以外のものを委譲されています。

しかし、そもそもミラーソフトは PC 向けの権利しか持っていないことになったのです。


ATARI から業務用の権利を委譲されていたテンゲンも、さらにその権利を認められたセガも、一緒に権利を失いました。



セガは、任天堂との交渉で発売を中止。

発売したばかりのメガドライブ用のキラータイトルとして移植を行っていたようですが、まだカートリッジ生産前で、今やめてしまえば損失は少ない、と判断したようです。


業務用でも、テトリスは大ヒットタイトルでした。

過去に作ってしまったものに対しては、済んでしまったことなので遡って契約金を払ったようです。


しかし、この後は続編を作れなくなります。

ブロクシード、フラッシュポイントなどの名前で続編を作ってはいますが、「類似ルールのゲーム」に過ぎず「テトリスを名乗らない」ため、ゲームのどこにもライセンス表記がありません。



ATARI はすでにゲームを発売していました。

新聞の全面広告まで使い、大々的に宣伝費をかけています。


テトリスはヒットゲームとなっていて、ATARI はカートリッジを増産していました。



任天堂は、そんな ATARI を相手に販売差止請求を行います。

ELORG が唯一認めた家庭用ゲーム機ライセンスは任天堂が保有しており、ATARI の販売行為は違法である、というものです。

裁判所命令により、ATARI は販売をやめなくてはなりません。


ATARI は、確かにミラーソフトから家庭用ゲーム機向けのライセンスを購入していました。

ちゃんと権利を持っている、任天堂の訴えこそ違法なもので、販売差止によって失った機会損失を補填せよ、と逆訴訟を起こします。


この裁判は、1989年の11月に判決が出ています。

ミラーソフトは、そもそも家庭用ゲーム機のライセンスを持っておらず、ATARI にライセンスを与えられない。

任天堂の持つライセンスだけが、正当なものと認められる。というものでした。



ATARI としては、ミラーソフトと、その社長であるマクスウェルに責任を取らせなくてはなりません。



しかし、この頃ロバート・マクスウェルの「メディア帝国」は崩壊し始めていました。

彼はメディア王でしたから、自分自身に関するスキャンダルを抑え込んでいました。


しかし、違法行為を含む不正行為で事業を拡大し、会社を私物化し、社員が給与から積み立てた年金を横領するなど、彼の行ってきた悪事が次々と暴かれ始めていたのです。


ロバート・マクスウェルは、姿を消しました。

ミラーソフトは名前だけの、倒産寸前の会社でした。


こうして、テトリスの権利をめぐる世界的な争いは、BPS と任天堂の勝利に終わるのです。



マクスウェルは、この直後、1991年にヨットから転落して水死しています。

彼の帝国が崩壊する最中だったため、自殺したとする説もあります。


1992年には、彼の帝国の企業が次々と破産し、息子ケビンも借金を抱えて破産申請します。




ソ連の崩壊が進む中の1991年、パジトノフはヘンク(BPS 社長)のつてでアメリカに移住し、一時期はマイクロソフトでゲーム作成を行います。



1995年、ヘンクがハワイに「ブルー・プラネット・ソフトウェア」(以下、新BPS と略記)を設立。

ゲーム作成を開始します。


すでにテトリスのブームは去り、各会社に与えられたライセンスは失効していました。

ソ連が崩壊し、ELORG は民間会社となりましたが、まだテトリスの権利を管理していました。


ヘンクは、ELORG から独占ライセンスを得て、新 BPS に集約します。


そして 1996 年、パジトノフと共に、新 BPS の子会社として「The TETRIS Company」を設立。

世界中に向けて、テトリスの版権管理を行います。



その後、パジトノフは「原権利者として」ELORG からテトリスの権利自体を買い取ります。

そして、権利を管理する会社として「TETRIS holding」を設立します。


現在、パジトノフの TETRIS holding と、新 BPS が半分づつ出資する子会社として、The TETRIS Companyが存在する形です。

TETRIS holding は権利を持っていますが、その権利の管理は The TETRIS Company が行っています。



ややこしいかな?

紆余曲折あったけど、テトリスが再びパジトノフのものとなった、ということ!



そんなわけで、2000年ごろから再び、いろいろな会社がテトリスを作れるようになっているのです。


#ところで、日本の BPS は 2001 年に解散しています。




以上、主に日本語資料英語資料2つを元に書いています。


食い違うところが多々あるので、インターネット上の多数の資料を調査しながら、信ぴょう性のありそうな情報をまとめましたが、正確性を保証するものではありません。



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プログラム教育に対する誤解  2016-03-19 10:43:52  コンピュータ

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プログラム教育に対して誤解があるな、というのは、ずっと前から気づいていた。

しかしまぁ、時がたてば誤解も解けるだろうと思っていたら、むしろ誤解が広まっている気がする。



誤解はいろいろあるし、根深い。

一言で誤解を解くようなことは出来ないのだけど、ネットなどで見かけたものをタイプ別に、「そうではない」ことを示していきたい。




▼スマホがあるからパソコンはいらない


最初から特例。プログラム教育に対する誤解ではなく、それ以前。


でも、実際そういう人が増えている。

まずは家にパソコンがないと、プログラム教育の話に入れないので、この部分から話をしよう。



テレビつければなにか映像動いているんだから、わが子のビデオ撮る必要なんてないじゃん、という人はいるだろうか?

そんな馬鹿な話はない、テレビで放映されている映像と、家族のビデオは違うものだ、と誰もが反論するんじゃないかと思う。


スマホとパソコンの関係は、テレビとビデオカメラほどはっきりとは別れていない。

でも、同じような感じだ。スマホは閲覧に適したもので、パソコンは作成に適したもの。


スマホだってメールで文章書いたりできるよ、という反論もあるかもしれない。

それは否定しない。でも僕は「適している」と言ったのだ。スマホは文章作成に適していない。


パソコンでは文章を書くだけでなく、絵を描いたり3Dのモデリングをしたりもできる。

「スマホでもできる」という反論はここでもあり得るが、明らかに得意分野ではなくなっていく。


まずは「守備範囲が違う」ことを知ってほしい。スマホがあるからパソコンいらない、はおかしな論理なのだ。




学校の授業では、教科書とノートを使う。

先生は教科書に従って板書し、皆がそれをノートに写し取る。


ということは、教科書をノートにまとめ直すのと似たようなもんだし、じゃぁ教科書を読めばいいのだから、ノートに取る必要はない。


…これは、本当にそう思っている人いそうだな。ノート取らない学生ってそこそこいるし。


この考え方は間違っている。

まぁ、良い先生なら教科書以上の情報を授業で伝えるので、それを書きとっておくと役に立つ、というのもある。



たとえそのような情報がなくとも、まとめ直すという行為に意味がある。

「まとめ直す」ということは、まとめる程度に理解する必要があるからだ。


だから、学校では教科書だけでなく、必ずノートを使う。

ノートにまとめるときに、よくわからないと思ったら手を挙げて質問しよう。

そこはきっと理解しにくいポイントだ。他の人も疑問に思っているかもしれない。


物資の少ない国の学校などでは、生徒も小さな黒板を持っていて、書いては消してしまう。

消しちゃったら記録の意味はないのだけど、ノートに書くのは記録のためではなく、「まとめ直す」ためだと考えれば納得できる。




スマホとパソコンも、教科書とノートのような関係だ。

スマホで情報を閲覧したってかまわない。急な調べものには便利だ。

でも、その情報を自分のものにしたいなら、情報を自分でまとめ直さないといけない。


もちろん、パソコンで情報を閲覧することもできるから、「スマホとパソコンを一緒につかえ」と言っているのではない。

パソコンを使えるようにするだけで、スマホだけを使っているよりも遥かに多くの知識が、技術が、身に付く。



「プログラム教育」に関しては、スマホでできる環境を整えようとする動きも、もちろんある。

でも、この文章の目的はプログラム教育の誤解を解くことだ。


スマホ向けの環境整備も、少し誤解の上に成り立っている。

プログラムの制作環境は作れるのだけど、実際にそのうえでプログラムをしようと思うと、使い勝手が悪すぎて持続しないからだ。



スマホがあればパソコンはいらない、と思っている人は、パソコンの購入を検討してみてほしい。



▼別にプログラマーになりたいわけじゃない


プログラム教育は、職業訓練ではない。プログラマーになることを目的とはしていない。

だから、プログラム言語の習得も目的とはしていない。


プログラム教育なのに、言語の習得を目的にしていないだって?



驚かれるかもしれないが、事実だ。

もっと言えば、コンピューターの動作を理解させたいわけでもない。


プログラム教育の目的は、もっと他のところにある。

何が目的かは、読み進んでもらえば追々わかる。



▼プログラムを教える前に、コンピューターの仕組みを理解させないと


この誤解は、趣味でプログラムをやっている、もしくは仕事としてプログラムをやっている人に多いようだ。


いずれにしても、プログラム経験者だね。…それも、申し訳ないが上級者レベルではない人。



プログラム言語を学ぼうとすると、多くの教科書が「コンピューターの動作原理」から入り、早いうちに「変数」の説明をする。

これが結構ややこしい。小学生に理解させようと思ったら大変だ。

だから、プログラム教育の前に1~2年使ってしっかり教えないといけない。


…と、この主張をする人たちは思っている。本当はそうではないのだけど。



そんなことは、プログラマーになりたい人だけが覚えればいいのだ。

先に書いた通り、プログラム教育はプログラマーになるための職業訓練ではない。


プログラム教育用に考慮された言語を使えば、コンピューターの動作原理を知っていなくても、OS上のアプリケーションの連携を知らなくても、変数を理解していなくても、数学一般の知識がなくても、プログラムを作り始めることができる。


実は、こうした言語は 1960年代には登場している。十分実績もある。

コンピューターの原理を知らないとプログラムできない、というのは、これらの言語の存在を知らない発言だ。


「上級者レベルでない」と書いたのは、様々な言語を経験していない程度のプログラマ、という意味合いだ。



▼あんな子供だましの言語では役に立たない


これも、プログラム経験者に多い意見のようだ。


実際、大手IT会社のプログラマが、プログラム教育を依頼されて、普段仕事で使っている「真に役立つ言語」を子供たちに教えたと、自慢げに書いているブログを読んだことがある。



申し訳ないけど、プログラマーを職業にしているというだけで、上級者ではない意見だと思う。


仕事で役立つ言語を教えた、と言っている人は、プログラムに重要なのが「言語」だと思っている。

言語は道具にすぎない。大切なのは道具を使いこなす知恵のほうだ。


プログラム教育の目的の一つは、プログラムを通じて知恵を身に着けさせることだ。

何度も書くが、職業訓練を目的としているのではない。


だから、仕事で使うような「役立つ言語」は、もっと成長してから、やりたい子供だけがやればいい。



すでに書いたように言語は「道具」にすぎないので、プログラム教育に使う言語が何であってもかまわない。

ただし、小学生に教えるのであれば、先に書いたように「コンピューターの仕組み」や「アプリケーション間の連携」「変数」、数学の「座標系」などを理解していなくても始められるものが良いだろう。




具体例を挙げないと話が進めにくいので書くと、「子供だまし」と言われているのは Scratch であることが多い。

Viscuit かもしれないけど、どちらも批判されやすい点は似たようなものだ。


批判されているのは大きく分けて2点。

プログラムを作るための「エディタ」が選べないことと、最初から画面上にかわいい絵が表示されていることだ。



Scratch は、過去にあった多くの「初心者用言語」と同じように、言語内にプログラム作成環境を組み込んでいる。

多くのプログラマにとって、これが許し難いことのようだ。自分のお気に入りのエディタを使えないなんて!


Emacs や Vim を使わないと何も書けない、という人にとっては致命的なのだろう。

でも、古くは LOGO や BASIC 、Smalltalk だってエディタを言語内に組み込んでいた。


初心者には、アプリケーション間の連携という概念が難しく、煩雑なためだ。

最初に覚えないといけないことを極力減らすなら、エディタは内蔵してしまったほうがいい。



そんなの許さない、と主張する人たちは、すでに初心者ではないので Scratch を使わなければ良いだけの話だ。

それでも批判したがる人は、使ったことがない言語が流行して、自分が時代遅れになってしまうのが嫌なのだろう。




かわいい絵に関しても同じことだ。

最初に表示されている猫の絵は、命令を出す対象を具体化したものに過ぎない。


初心者プログラマの最初の壁は、パソコンでできることが抽象的過ぎて理解できないことだ。

Scratch ではその壁をなくし、具体的に猫に命令を出すことを最初の一歩とする。


猫は「前へ」と命令すれば前に進むし、「右へ」と命令すれば右に曲がる。

「にゃーんと言う」と命令すれば、「にゃーん」と書いた吹き出しが現れる。


歩いた後に線を残すこともできて、三角形を描く手順を指示すれば三角形を描く。

三角形を描くのなんて、単純だけどしっかりとした「プログラム」だ。


先ほど少し書いたけど、絵を描くにも関わらず座標系などの難しい概念は必要ない。

猫には「現在の状態」があるにも関わらず、それを保持する変数などの概念を知らなくてもかまわない。


「前に進む」と「曲がる」だけで三角形は描ける。


こうして、子供たちは自然にプログラムに親しんでいく。



もちろんそれで終わりではない。

三角形を拡張して、再帰処理によりシェルピンスキーのギャスケットを描けと命令すればフラクタル図形を描き出す。


100までのすべての数字で割り切れる最小の数値を教えて、と命令すれば、猫はとてつもなく大きな数字を教えてくれるだろう。



猫が表示されているから子供向け、ということはなくて、十分に複雑なことだってできるのだ。


これが子供だましだ、というのであれば、おそらくその人は Scratch を一度も使わずに批判をしている。

理解せずに批判しているのであれば、あまりにも筋違いだ。そんな批判を気にする必要はない。



▼小学校のうちは、国語や算数をしっかりやるべきだ


今度は、おそらく非プログラマーの意見。


これに類似の意見は非常に多い。全体にざっくりまとめると以下のようなものだ。


「まずは論理的に物を考え、文章で伝える力が必要だ。

 そのためにも、母国語である国語をしっかりやるのだ、算数で論理性を学ぶのだ。

 これらが完璧にこなせるようにならないと、他のことを学んでも意味がない。」


これは、国語や算数が何かわかっていない。

算数と数学を同じものだと思っているかもしれない。



国語は、表現するために必要な技術を教えてくれる。

だけど、その表現内容は個人の体験に基づくもので、国語で学ぶわけではない。


そして、「論理」は表現内容に付随するものだ。

国語の授業で、論理立てて話を展開しましょう、という「アドバイス」はするが、論理を教えるわけではない。



数学は、論理が重要になる。数学を勉強すれば論理が身に付く。

しかし、小学校で教わる算数は、数学の前段階の基礎を学んでいるだけで、まだややこしい論理は出てこない。

だから、算数をやっていても論理が身に付かない。



プログラム教育は、論理性を身につけさせようとする教育だ。

しかし、プログラム教育の反対論者は「論理性が身に付かないうちにプログラム教育をしても意味がない」という。


論理を学ぶのを禁止して、どうやって論理を身につけろっていうんだ?



余談になるけど、同じ理由で「小学校の英語教育必修化反対」という意見もある。

こちらも、日本語で文章を書けないと英語に翻訳しても意味がないからダメ、という意見だ。


英語って、日本語で考えてから翻訳するものではないよ?

最初から英語で考えて、英語でしゃべれるようになるのが目標だ。


#と言っても、僕は英語で考えてしゃべることはできない。

 読むのは、かろうじて英語のままでできる。頭の中でいちいち翻訳はしないで、なんとなくわかる。

 正確な意味が知りたいときは、やっぱり翻訳していかないとダメなのだけど。




さて、誤解としてはこんなところだろうか。

「そうじゃない」ばかり書き続けていて、プログラム教育が何なのか見えてこない、余計わからなくなった、という人も多そうだ。



文面が長くなったので、いったん区切って、次の投稿でプログラム教育の目指すところを書きたいと思う。


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プログラム教育の目指すところ  2016-03-19 10:56:06  コンピュータ

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先ほど書いた記事では、プログラム教育に対する誤解を挙げて、プログラム教育はそういうものではない…という否定ばかりを書いた。


否定ばかりされて、何が何だか分からなくなった、という人もいるかもしれない。

今度は、プログラム教育が何を目指す教育なのか書いてみたいと思う。




学校の勉強では、国語・算数・理科・社会・図工・音楽…などというように、学科がわかれている。

これが当然のように思われているが、実は学校教育の弊害の一つが、「学科を分ける」という考え方だ。



国語と算数は別のものだろうか?

算数には文章題が良く出される。問題の意図を理解するには国語の能力が必要だ。


理科では数式をよく使う。社会問題である二酸化炭素の削減を論じるとき、科学の知識は必須となる。


図工だって幾何が理解できていなくては展開図を作れない。音楽は周波数が単純な整数比となるとき、美しい和音となる。


これらの学科を分けて考えることに、いったいどんな意味があるのだろう? 全部ひとつながりではないのか?


でも、小学校時点から学科を分けて教えられた結果、多くの人が国語と算数は違うものだと思っている。




本来、学問というのはひとつながりになっているものだ。

理系と文系、なんて垣根は、このつながりを理解していない人が生み出したものに過ぎない。



「数学なんてやって何の得になるのか」という、子供が良く発する質問がある。

答えは幾通りも考えられるが、この質問が定期的に出てくることに目を向ける必要があるだろう。


数学が他の分野に繋がっている、ということに気付けば、この質問は出てこない。

質問が出てきた時点で、学校教育制度の負けだ。学問がつながっていることを教えられなかったのだから。



誰かがつながりを教えなくてはならない。


その子がテレビゲーム好きなら、すべてのテレビゲームの裏で数学が駆使されていることを教えられると良いだろう。

その子が音楽好きなら、古代ピタゴラス音階からの、音楽と数学の結びつきを教えられるかもしれない。

その子が物語好きなら、不思議の国のアリスの作者は数学者で、言葉遊びの裏に数学が潜んでいることを伝えてみよう。


すべてのものは学問の対象になりうる。そして、すべての学問はつながっている。

じゃぁ、どんな学問であっても、その意味を自分の興味に結び付けられるはずなんだ。



ただし、これらを教えるためには、当然のことながらそのことに詳しい大人が周囲にいる必要がある。

子供が興味を持っている分野、というのも、一人一人違うので学校では教えにくい。




プログラム教育は、この現状に風穴を開ける、新しい学習方法だ。


コンピューターは万能シミュレータだ。理論的に論じられるものであれば、どんなものにでも化けられる。

そこで、各自が思い思いの趣味を楽しめばいい。それだけで、学問のつながりを肌で感じられる、他にない学習方法となる。


ただし、自分でプログラムする、というのが大前提だ。

お絵かきツールを使って絵を描くだけだと、紙とペンをコンピューターに置き換えただけで、学習効果は得られない。



まず、自分で絵を描いてみる。

これは図工の知識が必要だ。


続いて、コンピューターにプログラムするために、絵の中に現れる線の角度や長さを測ってみる。

これは算数の知識だ。


プログラムする。

言い換えれば、ちょっと特殊な言葉を使って作文をする。


この作文の出来は、直接結果に表れる。

正しい順序で書き方を説明できていないと、正しい絵が描けない。

論理的な文章を書く訓練になる。国語だ。


結果がうまく出ないとき、どこが悪いのか探さないといけない。

作ったプログラムが長くなってくると、その中のどこがおかしいのか探すのは大変だ。


結果をよく観察し、おかしくなった場所を特定し、自分のプログラムの手順のどこら辺が悪いのか推察する。

つづいて、プログラムの該当箇所を探し出し、書き換えてみて、正しくなったかを確認する。


これは理科の実験と同じだし、小学校では教えない、工学的なフィードバック改良過程だ。




ここでは絵を描く例なので、社会や音楽は出てこない。

でも、音楽を作ることもできるし、地理クイズのようなゲームを作り出す子だっている。



画面上で多数のキャラクターを動かし、物語を作る、という遊びを始める子も多い。

子供は想像の世界でお話を作るのが大好きなのだ。


楽しい物語を作るには、良いお話がどういう構造になっているかを知らないといけない。

そして、それをみんなが楽しいと感じる方法で表現しないといけない。


これには国語の能力だけでなく、表現能力やプレゼン能力が必要となる。

学校では教えないが、実社会で必要になることが多い技術を、子供が勝手に学び始める。



想像力さえあれば、どんな学問でもプログラムと結びつく。


学問の垣根を飛び越え、学んだことはすべてつながっている、と肌で感じ取る。

これが、「プログラム学習」の第1の効用だ。



▼「知ってる」と「説明できる」の違い


ネットを見ていると、誰かの発言に対して「知ってる」と知識をひけらかそうとする人がいる。

しかし、発言者と「知っている」という人との間には、知識に圧倒的な差がある。


例えば、あなたはパンダを「知っている」と思う。


じゃぁ、今すぐ何も見ずにパンダを紙に描いてほしい。

これがパンダだよ、と説明してほしい。


おそらく、知っている人の多くは、描けない。説明できない。

これは、誰もが知っているはずなのに、実はほとんどの人が説明できないというギャップを楽しむ「記憶スケッチ」という遊びだ。

(故ナンシー関の考案したもの。多くの人が描いた「パンダ」や「カマキリ」などの絵が載った書籍が発売されていて、爆笑ものだ)


これは単に「絵が下手だ」という話ではない。


絵が下手でも、ちゃんと「知っている」人は、的確に説明できる絵を描く。

どんなに絵が上手な人でも、説明できるほどに詳しくなければ、何か偽物くさい奇妙な絵を描く。



誰かが説明したのに対して「知っている」と言うだけの人の浅はかさがよくわかる。

知っていても何も偉くはない。説明できるほどに知識があれば、ちょっとは偉い。




小学校の友達同士で、勉強でわからないことを教えあう、というのは普通に見られる光景だ。


多分、頭の良い子が教える側に回るだろう。

その子はなぜ頭がいいかというと、よく友達に教えるからだ。



初めて教えるとき、いきなり上手には教えられない。

どうやったら相手に伝わるのか、よく考えないといけない。自分が知っていると思う事を、さらに細かく分解しないといけない。


友達に教えようとしても、最初は要領を得ない。

でも、何度か説明するうちに、説明がすっきりしてわかりやすくなる。


これ、説明する子が、説明するうちにより深い理解に進んでいるんだ。

そして、深く理解しているから、次の授業で教えられた内容もすぐに頭に入る。



残念ながら不公平な話で、頭の良い子はどんどん頭が良くなる。

頭の悪い子は、教えられてばかりで、教える機会に恵まれない。なかなか理解が進まず、頭が悪いままだ。



プログラム学習は、この不公平を失くす役割もある。


コンピューターは何も知らない。いちいち教えてやらないと何もできない。

自分の知っていることをコンピューターに教える…つまり、プログラムする、という経験を通じて、より深い理解に進むことができる。


何度も繰り返すうちに、説明できるレベルまで理解しよう、という習慣が自然に身に付く。

どんなものを見ても、これを人に説明できるだろうか? と考え始めれば、実際に説明しないでも深い理解にたどり着くことができる。



これが、プログラム学習の第2の効用だ。




以下は余談だけど、大切なこと。


頭が良い子がプログラムを作れるのは、当然に思えるかもしれない。


でも、頭が悪い子こそ、プログラムを経験する意味が大きい。今までに人に教えた経験が少ないから、伸びしろも大きい。

頭が悪い、と思われていた子が、プログラムを始めた途端にぐんぐん頭が良くなっていくなんてことだってあり得る。


ただ、教えることに慣れていないから、最初は時間がかかるかもしれない。

急がずにじっくりと取り組む環境が必要だ。


ところで、「世界で最初のテレビゲーム」と呼ばれるスペースウォーを作ったスティーブ・ラッセルは、「うすのろ」というあだ名で呼ばれていた。

他の人よりも頭が悪く、何をさせても遅かったそうだ。


#「うすのろ」は、書籍ハッカーズで出てくる翻訳語。原語でのあだ名は slug 、「なめくじ」の意味だ。


でも、じっくり取り組むことで、誰もが認める、面白いプログラムを作り出した。

あまりに面白いから、他の人も真似し始めた。多くの亜流が生まれ、そこからさらに亜流が生まれた。


結果として、今のテレビゲームがある。すべてのテレビゲームは、彼が作ったゲームの子孫だ。

彼は「うすのろ」だったかもしれないけど、その分伸びしろが大きく、最後には誰もやらなかった大きなことを成し遂げたんだ。


これからプログラムを始めようと思っている人は、途中であきらめずに続けてほしいと思う。



▼模倣すること


先に記憶スケッチの例を挙げたけど、もちろん急に言われたものでも上手に描く人がいる。


何で描けるかと言えば答えは簡単で、以前に描いたことがあるから、だろう。

見ていても、なかなか細部が頭に入ってこない。でも、一度描いてみれば頭に入り、記憶だけでも描けるようになるのだ。


一度描く、というのは「模倣する」ということだ。

模倣するというのは研究の基本で、まずは何かを模倣することから始まる。


そして、コンピューターというのは万能のシミュレーターだ。

論理的に表現できることであれば、ありとあらゆることを模倣できる。




1990年代に LEGO LOGO というプログラム教育があった。

まぁ、今でもあるのだけど、僕も当時あこがれて入手した。

(注:本来教育組織向けで、個人が入手するようなものではない)



テキストに「洗濯機の動きを作ってみましょう」というのがあった。

子供の興味を引くなら、そこは車とかじゃないの? と思うのだけど、読み進めるとこの課題が絶妙であることがわかる。


最初は、ドラムを回転、逆回転させてそれらしい動きを作ることを目指す。

一定回数動かしたら「洗濯完了」ランプを点灯し、完了を知らせるようにする。


洗濯機のふたにセンサーを付けて、ふたが開いたままでは動作が始まらないようにする。

この際、動作が始められないことを知らせる「エラー」ランプを点灯させる。


とりあえず、ここまでは作り方のサンプルもあった。

以降は、余裕があったらやってみよう、と書かれた課題。答えは載っていない。


・洗濯、脱水などのモードランプをつけ、回転動作を変える。

・洗濯ものの量を変えられるようにし、時間などを調整する。

・動作中にふたが開けられたら緊急停止させ、エラーランプをつける。



車を題材にしていたら、こんなに細かく真似をする項目を出せないだろう。

車は「自動的に動くもの」ではないから、プログラムで模倣しにくいのだ。


模倣することで、普段気付かない「洗濯機」の細部が理解できる。

どんなものであれ、細部を知ると驚きがあるものだ。


ここでは、自分でプログラムを作っているのだから、「緊急停止」がどんなに難しいことか知るだろう。

世の中すべての洗濯機が、この複雑な機構を取り入れていることに驚くかもしれない。




模倣することから得られるものは大きい。


そして、コンピューターは万能シミュレーターだ。

自分でプログラムすることで、なんでも模倣できる。世の中を深く知ることができる。


これが、プログラム学習の第3の効用だ。




プログラム教育の利点は多いのだけど、ここでは3点ほど効用を挙げてみた。


もう一度まとめ直すと


・学問がつながっていることを知り、多くの知識を結びつける能力が身に付く。

・知っている知識を説明することで、より深い知識を得ることができる。説明能力が身に付く。

・観察し、模倣することで世の中を深く学ぶことができる。



深い知識を持っていて、それらの知識を結び合わせる方法を知っていて、観察眼を持った人材が育つ。

ついでに言えば、説明能力があるからプレゼンだって上手だろう。


つまりは「頭が良い人が育つ」とまとめてもいいんじゃないかな。

本当にこういう人材が増えれば世界が変わるだろうね。



追記 2016.4.20


Scratch を開発した MIT メディアラボで学び、日本で Scratch の普及に努めている阿部和広氏が、「情報処理」に発表した論文が無料公開されていました。(PDF)



論文なので、プログラム教育とは何か、なんてことは理解していることが前提で、僕の記事内容とは異なります。

プログラムの授業で起こったことなど、実践風景をまとめたもので、読むのに専門知識は不要です。


これを読んでもらうと、小学生でのプログラム教育についてイメージされやすいかと思います。


追記 2016.6.30


文部科学省が、プログラム教育に関する有識者会議の議論取りまとめを発表していました。


この日記に書いた「誤解」や「目指すもの」は、日記執筆時点では僕の考えに過ぎなかったのですが、文部科学省も大体同じ認識を示していました。ほっとしました。



もう一つ、上の日記には「人に教えることでより深く理解できる」ということを書いたのだそうですが、この学習方法を「ファインマンテクニック」と呼ぶのだそうです。


ファインマンが考えたわけでもないのですが、天才の名前を付けることで「正しい学習法である」という感じは出ます。

その一方で、名前だけで満足して本質が理解できない人も出てきそう。


リンクした記事は、たぶん理解していない人が書いていますし、理解するつもりもなさそうです。



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ロビン・ミルナー 命日 (2010)  2016-03-20 11:35:50  コンピュータ 今日は何の日

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今日はロビン・ミルナーの 命日(2010)


OCaml や Caml という言語があります。

ML という言語から派生したものなのですが、この ML を作ったのがミルナーです。


プログラムリスト見ると普通の言語っぽいのだけど、関数型の言語なのね。

Lisp などのなかま。


一般的な BASIC や C などの「手続き型」の言語が、ただ処理の手順を並べただけだとすれば、関数型の言語はもっと数学的な美しさによって処理をくみ上げていく。



ミルナーはまた、数学の定理を証明するプログラム、というものも作っています。

あー、やっぱ数学系なのだな、数学者なのかな、と思います。



でもこの人、博士号とか一切持ってません。

イギリスのコンピューター会社、フェランティ社のプログラマーだった、というだけの人。




イギリスマンチェスター大学で、世界で最初に稼働したノイマン型コンピューター、The Baby MarkI が作られました。


これは、当時新開発されたメモリ部品、ウィリアムス管を使って本当にコンピューターを作れるのかを試験するための機械。

一応コンピューターではありますが、実用品ではありません。


しかし、実験に成功したので実用コンピューターを作ります。

マンチェスター MarkI と呼ばれます。


さらに、このコンピューターをプロトタイプとして、互換機が量産されました。

レーダーや通信機器などを作る民間軍事企業の、フェランティ社が量産を担当し、「フェランティ MarkI」と名付けられました。


世界初の商用機、と呼ばれるものの一つです。


#UNIVAC I も世界初と言われます。

 完成は UNIVAC のほうが早く、顧客への納入はフェランティのほうが早かったようです。



フェランティ社はこの後もコンピューター企業として成長するのですが、ミルナーもその会社のプログラマーだった、ということ。


まぁ、当時はコンピューターなんて科学者でないと使いませんし、マンチェスター大学の優秀な学生がフェランティ社に入社した、とかだと思うのですが。




博士号は持っていませんが、ミルナーは多くの大学を渡り歩き、計算機科学科の学科長まで勤めています。


詳細は、ミルナーの誕生日記事にも書いてあるのでそちらを参照してください。



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先日、プログラム教育について思うところを書いた。


3月1日に、パパートの誕生日って記事書いたのね。

僕の勘違いで、本当は2月29日が誕生日だったのだけど。


パパートという人が、プログラム教育の概念を作り出した人。


BASIC など、プログラムの作り方を学習する手段はすでにあった。

そういうことではなくて、プログラムを活用することで子供の発達に良い影響を与えられないかと考え始めた。


1960年代にはやり始めていて、1980年には本を書いてちょっとしたブームになった。

それから「プログラム教育」が広まり、実際にプログラム教育で育った世代が社会に出始めて、ここ数年でプログラム教育の有用性が急に注目され始めている。


#詳しくは、パパートの誕生日記事読んでね。



これがアメリカでの「プログラム教育」ブームの背景にあるわけだけど、日本にいるとそういう流れがわかりにくい。

じゃぁ、一つ書いてみようか、と思ったのが、先日の記事




先日の記事は、説明しようと思って肩に力が入っている。


自分でもわかっていた。

でも、書いても書いても良くならない。


記事を書く過程で、派生記事も生まれている。

問題を一部切り分けることでまとめようとしたのだけど、まとまらない。


もう悩むのに疲れて、とりあえず出してしまえ、で公表した。



やれやれ…と思って別件で過去の Scratch 関係の日記を検索したら、1年前にも同じようなこと書いてたことに気付いた。


鶏頭だ。

そんな記事を書いたことをすっかり忘れていた。



過去記事は、別に誤解を解こうとか考えていない。

単に家族の情景を書いただけの、自然体の良い日記になっている。


その代わりと言っては何だけど、誤解なんてないことを前提に書いているので、誤解がある人が読んでも理解できないかもしれない。




とりあえず公開してしまった理由の一つは、NHK で「Why!? プログラミング」という番組が始まる直前だったから。


ちゃんとプログラム教育がわかっている先生が監修している番組なので、この番組自体には誤解はないと安心していた。

でも、もしかしたら見た人が勘違いして何か言い出すかもしれない。


…杞憂だった。

番組見たら、すごくいい内容。誤解しているような人でも納得してくれるんじゃないかと思う。


全編 NHK のサイトで見られるので、興味がある人はそちらを見てほしい。

プログラムを知らない人には冗談で笑わせつつ、しっかりとしたお勉強もやりつつ、上級者ならニヤリとすることも入っている。


すごい盛り込んだ内容だ。

盛り込んでいるのに、詰め込んだ感じはない。


#いや、第3回はちょっと詰め込みすぎだったかな。

 「直交座標系」の勉強をして、キー入力で動くキャラクターの作り方を教え、シューティングゲームまで作ってしまった。

 10分の中で、初心者向けの説明を交えつつシューティングゲームの基礎が作れてしまう、という Scratch の扱いやすさを象徴する回でもあるのだが。



この番組、全5回しかないのが惜しい。


もっとも、現在レギュラーの子供番組「みーつけた」だって、「なりきり!」だって、「ミミクリーズ」だって、「シャキーン」だって、2~5回程度の試作版から始めている。

この番組もいつかレギュラーになる、と思いたい。



一方で、たった5回だから今の濃厚な内容が楽しめるのかな、とも思う。

これを毎週、1年作るとしたら結構大変だ。


いや、「考えるカラス」みたいに年20回くらいの放送ならできそうな気もするか…


#今思ったが、うちが NHK 教育見ている時間比率すごいな…




実は、この記事を書いている時点で全5回の、第5回だけ未放送だ。

月曜~金曜で5回の予定が、金曜日に国会中継が急遽入り、延期になったの。


長男に見せるために録画したのだけど、春から1年生の次女も、もちろん長女も、楽しく見ている。

昨日、予定されていた第5回がない、というだけで、次女は不満そうだった。それくらい楽しみなのだ。



長男はある程度 Scratch をやっているからこそ、他人の作品を紹介するコーナーで「この処理どうやってるの?」なんて声を上げている。


気になるなら、ソースプログラムを見られる、というのも Scratch の良いところだ。

公開されている作品は、すべてソースにアクセスして、改造して構わない。



人は教えても成長しない。

学ぼうとしたときにだけ、成長する。


この番組では、基本的なことは教えているが、「もっと知りたい」と思うくらいで止めている。

わざと中途半端に終わらせているのだ。寸止めがうまい。


そして、知りたければ資料は山のようにある。

学び取るのは自分自身だ。


つくづく、よくできていると思う。



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アクティベートにハマる  2016-03-29 17:44:27  コンピュータ

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恥をさらすだけなのだけど、面白かったので書く。


世の中では iOS 9.3 のアップデートでアクティベートできない、という問題が出ていたようだ。

OS にバグがあったそうで、Apple が慌てて配布を中止、数日後にバグを修正したものを再配布した。


僕自身は Android 派なのだけど、仕事で iPhone を借りて使っている。

そして、やっちまったのですよ。アクティベートでハマった。




ただし、バグのせいではない。自分のうっかりミスなので「恥をさらす」と書いたのだ。


仕事で借りてから、何度か OS のアップデートはしていた。

でも、今までアクティベートっていうのは求められなくて、その存在すら知らなかった。


iPhone は「高級品」で盗まれることが多いので、盗んだ人が使えない仕組みが備わっているのね。


たとえば、クラウドストレージである iCloud との連携で、iPhone を探し出すことができる。

この機能、購入して最初に「アクティベート」した際に設定した ID とパスワードの組で動作していて、機能を OFF にしようとしてもパスワードを求められる。



先に書いた通り、仕事先で購入した iPhone を、仕事で使うために借りている。

借りる際に、すべてのデータをクリアしてから僕に渡されたので、新たに ID を設定して使っていた。


でも、iCloud の ID だけ、以前のままだった。

時々 iCloud がパスワードを聞いてきていたのだけど、キャンセルすればそのまま使えていたし、仕事で使っているだけなのでそのまま気にせずにいた。



で、iOS 9.3 を入れたら、アクティベートを求められた。

iCloud の ID とパスワードを求められたのだ。


普通に使っているとき、iCloud の ID は表示され、パスワードを求められるだけだった。


しかし、アクティベートでは ID から入力しなくてはならない。

ヒントとして、数文字だけ明かされているのだけど、わからない。



えーと、たしか iColud の ID は、EZweb の初期メールアドレスだった。

利用者名義は貸してくれている会社社長になっていた。


じゃぁ、社長に聞けばわかるだろう。解決。


…と思ったら、社長も知らないという。

仕事で使うだけだから、普段自分が使っている ID とは違うもので、購入時にショップの店員に「適当にアクティベートしといて」と頼んだだけだそうだ。

パスワードはさすがに適当ではなく自分で設定したはずだけど、ランダムに決めただけで覚えてないらしい。




情報を調べる。


iOS9.3 でアクティベートができないときは、PC に接続して iTune をつかえ、という情報がある。

しかしよく調べると、これは「iOS 9.3 のバグにより、iPhone 単体でアクティベートできないとき」の対処方法らしい。


そして、Apple ID がわからない際は、キャリアに聞いても無駄。Apple に聞けとのこと。

じゃぁ、Apple に聞いてみよう。



まずは、本体のシリアルを調べる。問い合わせに必須らしいので。

起動するなら OS 上で調べられるが、起動しないので OS 上では調べられない。


機種により違うが、どこかに物理的に文字で書いてある

うちの場合、SIM カードを抜くとトレイに記してあった。



Apple に電話する。

バグ問題もあってすごく混んでいて、つながるまで2時間待ち、という情報もある。


でも、WEB ページで電話番号を調べると、WEB 上からコールバックを要求できるようになっていて、2分以内に電話する、とある。


すでにバグを修正したバージョンが配布されているので、混雑が解消しているだけかもしれない。

電話をかけるのではなく、コールバックしてもらう方がかかりやすいのかもしれない。




事情を説明する。

自分の名義ではなく、法人で購入していること。

購入者が「仕事で使うだけだから」とショップでアクティベートしてもらい、ID すらわからないこと。


連絡先などがわかれば…ということなので、購入者氏名として、社長の名前と法人名を伝えたが見つからない。

iPhone の電話番号でも、シリアル番号で調べることもできない。


Apple ID を消去してやり直すこともできるのだけど、それには購入証明書などの書類手続きが必要になるという。


他にも、思いつく限りの購入者の特定情報をためしてもらう。

…運よく見つけることができた。



見つかっても、本人確認が必要だ。

そして、僕は困ったことに購入者本人ではない。


レガシー…古いタイプの本人確認方法だった。

今の Apple ID では、あらかじめ決められたいくつかの質問のうち、3つに答える形で本人確認を行う。


以前は、質問自体を自分で設定したようだ。その設定が残っていた。

幸いなことに社長は、社員であればわかり、社員以外にはわからないような質問を設定していた。


これで、Apple ID はわかった。

あらかじめわかっていたことだけど、EZweb メールの初期アドレス(ランダム文字列)だった。




さて、パスワードもわからない。

パスワードリセットは可能で、リセットするとメールアドレスに届くらしい。


そのメールアドレスは、iPhone をアクティベートしないと受け取れない。


EZweb には WEB でメールを確認する機能もあったように思う。(未確認)

だけど、WEB ページに行ってみたら、2段階認証が必要だった。


電話番号を入れてログインすると、その電話番号にショートメッセージが届く。

iPhone をアクティベートしないと見られない。WEB メールも使えない。詰み。



でも、Apple サポートのお姉さんは、もう一つの方法を教えてくれた。

もう一つの方法で本人確認すれば、 WEB ページでパスワードを付け直せる。



その本人確認の方法は、誕生日を答えることだった。

社長の誕生「日」は知っていたのだけど、年は知らない。


3回間違えると、「しばらく後でまたやってね」になる。

お姉さんによれば、これを3セットくらい繰り返してしまうと、8時間程度ロックされるという。


社長に聞けば簡単なのだけど、連絡してもすぐ捕まらない人なので、適当に入れてみる。


…6回目で突破。




パスワードを付け直し、アクティベートする。

その後、iCloud を OFF にする。パスワードもわかっているから大丈夫。


今後は、謎文字列の EZweb メール ID は不要になる。


これで完了。



そもそも、iCloud が時々パスワード求めてきている時点で、キャンセルしないで社長に問い合わせて置けば済んだ問題。

最初に書いた通り、自分の不用意が招いたもので、書くのは恥さらし。

でも、面白かったので記録を残したかったの。



一応社長から了承を得ているのだけど、ちょっとしたソーシャルハッキングだよね。

ゲームとしてはなかなか楽しめた。


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電話番号のしくみ  2016-04-12 17:10:47  コンピュータ 歯車

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全く別の2つの話を読み、自分の中でつながったので1本書く。



1つ目。

ツイッターで、「昔のモデムにリダイヤル規制が付いたときがあって、オムロンの Z80 を使用したモデム用のパッチが出回ったので、みんなそのモデム買って ROM 書き換えた」という話題を見た。


先日パソコン通信時代の話を書いたのだけど、この話題はすっかり失念していたな。

そんなパッチが出回ったことは知らなかったが、リダイヤル規制は知っている。



モデムという機器は、パソコンと音声電話回線を接続する機器だった。

普通の電話と並列につなぐことができ、モデムを繋いでも電話として使うことができる。


ここで、パソコンからコマンドを送ると、任意の電話番号に電話をかけられる。

音を認識することで、話し中とか、かかったとか認識することもできるので、つながらないなら即リダイヤル、という自動化ができる。



ところで、今ではライブのチケットなどを WEB で買えるが、当時は必ず電話する必要があった。

しかし、人気のチケットなどは電話回線が込み合い、つながらない。


そこで、パソコンを使ってひたすらリダイヤルする。

繋がったらすぐに受話器を取れば、そのまま会話ができる。



しかし、これが余裕のない電話回線をさらにパンクさせる、というので問題になった。

そして、リダイヤル機能がある装置には、必ず「1分間は同じ番号にかけられない」という規制がかかることになった。


先に書いた話題は、この規制を嫌って、モデムのファームウェアを書き換えたよ、という話だった。


でも、そんなややこしいことしないでも、簡単に規制回避できた。

当時は多くの人が知っている常識で、規制の意味は全くなかったんだ。


この話は、また後で続ける。




2つ目。

4月になって新入社員が入ってきたが、得意先の8桁の電話番号を見せたところ「番号が少ない」と言われた、という話。


あー、そうか。携帯電話だと、必ず11桁くらいの番号になるからね。


すでに固定電話の方法がレガシーなので、知らない人を笑うべきではないと思う。

でも、これを機会に電話番号のしくみは知っておくといいかもしれない。



今、これを読んでいるあなたは、固定電話の電話番号のしくみを理解しているだろうか?



固定電話は、市外局番、市内局番、加入者番号の3つのパートで電話番号が作られている。


同じ市内(厳密にいえば、同じ市内とみなされる電話局)の中では、市外局番がいらない。

先に書いた「8桁程度の番号」は、市外局番を省いたものだった、ということだ。


この程度は知っている人が多いだろう。



市外局番は、必ず 0 から始まることで認識できる。

ちなみに、1 から始まる場合は3桁の短縮サービス番号となる。110 とか 119 とか、189 とかね。


ということは、市内局番は必ず、2~9 の数字で始まる。



ところで、加入者番号は通常4桁だ。

1つの局…交換機に、0000~9999 の 10000 台の電話回線を収納できるということだな。


市内局番の長さは、不定。

なぜなら、電話の契約が多い(普通は世帯数の多い)市では、交換機がたくさん必要だから、番号も長くなる。

逆に、交換機があまり必要ない小さな市なら、市内局番は短くていい。


そして、市外局番も不定。

よく使われる大都市なら短い局番が便利だけど、あまり使われないところなら長くてもかまわない。


逆にいえば、市内局番の長いところは、市外局番を短くしないと不便。

市内局番が短い田舎なら、市外局番が長くてもかまわない。


そんなわけで、電話番号全体としては、大体10~11桁になっている。



携帯電話などは、特殊な「市外」として全体の番号を割り振った形だ。

市内局番は、ドコモや au 、ソフトバンクなど、キャリアごとに割り振られたので、市内局番に当たる電話番号を見ればキャリアがわかった。


ただし、現在は番号ポータビリティ制度があるため、電話番号だけでキャリアを判別することは出来ない。




さて、ここからが大切な話。


市外、市内局番の長さは不定だ。「ここで終わり」というような信号はない。

ただし、市外局番と市内局番は、頭の数字で見分けられる。


家の電話が接続された交換局では、最初に押された数字によって、市内の通話か、市外の通話かを見極める。


ここで、 0 から始まったとしよう。市外だ。長距離回線を使って、遠くの交換局と接続しなくてはならない。


0 の次が 3 なら…ここで終了だ。03 は東京だから、かけるべき都市が決定する。

でも、4 なら決定できない。04 は「東京以外の南関東地方」としかわからない。


044 なら川崎。東京ほどではないが、大都市なので3桁の短めの市外局番が割り振られている。

同じように、045 なら横浜市だ。


でも、046 ならまだわからない。神奈川のどこか、とまでは判別できるのだけど。


さらに続く番号を見て、0467 だと、やっと藤沢局だと判明する。



もっと長い市外局番だってある。


例えば、01 は基本的に北海道・東北地方なのだけど、01267 は岩見沢局の市外局番だ。


同じように、市内局番も「判明するまで」続く。桁数の規定はない。



ということは、だ。

電話番号が何桁になるかは、その電話番号によって交換局の中継を動かしている、電話会社にしかわからないことになる。


ちなみに、相手の番号が確定した後に電話番号の入力を行っても、相手にその音が伝わるだけで、電話システム的には何も起きない。

(書き忘れたが、電話番号は音として伝えられる。)


普段気にしていないが、これが非常に大切なことだ。




モデムのリダイヤル規制の話に戻る。

規制は、「同じ番号に1分以内にかけられない」というものだった。


でも、番号の桁数をモデムが知ることは出来ない。

先に書いたように、電話番号の桁数は複雑な方法で決まっていて、電話会社しか知らないからだ。


そして、桁数が多すぎても、相手に余計な音が伝えられるだけで、電話システム的に問題はない。


じゃぁ、モデムで電話をかけるときは、1桁多く番号を入れてしまえばいい。



規制は「装置」にかけられたので、モデムには規制する仕組みが入っていた。


でも、パソコンのソフトは規制外だったから、掛けたい番号に1桁自動的に追加して、連番でリダイヤルするソフトを作っても何も問題はなかった。


実際多くのパソコン通信用ソフトがこの機能を持っていた。

規制は最初からザルで、何の意味も持たなかったんだ。




以下は余談。


電話番号は音として伝えられる、と途中に書いたけど、電話をかけていないときでも、最寄りの電話局までの電話は常に繋がっている。


だから、ボタンを押したときの音、またはダイヤルを回した時のパルスを最寄りの電話局まで伝えられる。

そして、その音やパルスによって、交換機が動作して、別の電話に回線をつないでくれるんだ。


じゃぁ、電話のボタンを使わないでも、同じような音を通話口に流し込んだら、電話をかけられるか?

もちろん、掛けられる。



今の携帯電話では、電話帳機能が付いているのが普通だ。携帯電話は個人の持ち物だから。

でも、固定電話や公衆電話は個人の持ち物ではなかった。


そこで、個人でも「ダイヤラー」という、電子電話帳を持っている人がいた。


ダイヤラーは、電話のプッシュボタンと同じ音を出す機能を持っている。

掛けたい相手を選んで、受話器の通話口にダイヤラーをくっつけて音を出すと、相手に繋がる。


電話のボタンを使わないでも、適切な音さえ出せばちゃんと電話できる。




昔は、交換局同士の信号伝達も音で行われたそうだ。



ただし、電話機からその音が混信すると問題があるため、電話機には高い音を通さない回路(フィルタ)がつけられている。

交換局同士は、来るはずのない高い音で信号を伝達した。


じゃぁ、電話機のフィルタを外してしまい、高周波を出すとどうなるか?



これをやったのが、初期の電話ハッカーたちだ。


上手にやると、電話の課金情報を混乱させ、ただでかけることができる。

または、国際電話で地球を一周して、隣の部屋に電話をかけられる。



「キャプテン・クランチ」というシリアル商品のおまけについてきた笛が、ちょうどその高周波を出せた。

ジョン・ドレイパーはこのことを発見し、笛の音を使って電話システムのしくみを解き明かしていった。


彼はキャプテン・クランチというニックネームで呼ばれ、伝説となった。


#「今日は何の日」でこの人のことを書きたいのだけど、誕生日がわからないので書けないでいる。



Apple 社のジョブズ&ウォズも、回路的に同じことを行う、自動ただがけ装置を作成し、販売していた。

キャプテン・クランチが「システムを解体した」のに対して、彼らは成果を使って商売をしただけだけど。



パソコンが一般化する前、電話システムというのは、一番身近なブラックボックスだった。


ブラックボックスがあれば、入力に対する出力を調べ、中身を推察してみたい。

君はそうは思わないか?


電話ハッカーたちは、決して電話代をくすねたかったわけではない。

ただ、システムを調べたかっただけなんだ。



モデムのリダイヤル規制を無意味にする方法なんて、電話のただがけのような違法性の高い方法に比べれば、かわいいものだと言える。


でも、電話システムをちゃんと理解していないとできないことだし、電話ハッカーの名残を感じる。



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プログラム教育と義務教育  2016-04-18 15:19:16  コンピュータ

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しばらく前に、プログラム教育に対する誤解、って内容で記事を書いた。


僕の立場としては、プログラム教育が広がってほしいと思っている。

だからその記事では、誤解を解くべく、前向きなことばかり書いた。


でもね、世の中いいことばかりじゃない。悪いこともある。

話の混乱を避けるためにいいことばかり書いたけど、いいことしかないような薄っぺらい概念なら、広まる必要なんてない。



2日ほど前に、ある新聞社のスクープで、内閣府がプログラム教育の小中学校への導入に前向きだ、という記事が報道された。


すると…やっぱり、前の記事で心配したような勘違い意見が相次いだ。

そういう勘違いはこの際ほおっておく。誤解を解いているので、前の記事を読んでくれ。



僕はプログラム教育が広がってほしいとは思っているのだけど、小中学校への導入に際しては懸念もあるのだ。

つまり、導入に対する悪い面だ。


今回はそのことを書きたいと思う。




まず、日本の学校教育制度のすばらしさについて書いておこう。


日本では、すべての子供が等しく学習の機会を得られるように配慮している。


田舎に住んでいるからと言って、都会の子に比べて質の低い教育しか受けられない、なんてことはない。

日本全国、どこだって均一な教育が受けられる。


これは素晴らしいことだ。

アメリカやロシアでも子供の教育には十分な配慮があるが、どうしても田舎の学校は都会の学校に比べて質が落ちてしまう。


もちろん、田舎であっても子供が教育を受ける権利は守られるよ。

ただ、都会には多くの人が住んでいるし、先生を志す人も多い。その中で特に優れた人が先生になる。


でも、田舎は人が少なくて、結果的に先生を志す人の絶対数も少なくなる。結果的に、都会に比べて優れた先生を確保しづらい。



日本では、多大な努力と予算によって、そのようなことが無いように配慮されている。




でも、裏を返すと「どんなに優れた先生がいても、田舎と足並みをそろえることを強要される」という意味でもある。


田舎で頑張って先生をしている方には申し訳ないのだけど、田舎の先生の質はどうしても低くなりがちだ。

この質を飛躍的に高めることは難しい。それよりは、質の高い先生に「足並みを揃えろ」と命ずる方が現実的だ。


教科書も、検定を通ったものしか使ってはならない。

その内容範囲を大きく逸脱する授業も許されない。


だからこそ、都会でも田舎でも同じ内容の授業が行われていることを保証できる。



飛びぬけて頭の良い子供がいたとしても、先生は逸脱した教育をすることが許されない。

今はまだ早い…それは授業では教えてない…と言うしかなくなる。


批判するつもりはない。そう望んだのは我々国民なのだから。


もしこれを批判するのであれば、生まれた地域による差別、教育格差を認めることになる。

そのような差別は絶対にあってはならない。




でも、これがプログラム教育と恐ろしく相性が悪い。


プログラム教育はアメリカで流行しているが、先に書いたようにアメリカでは田舎と都会で授業内容に差がある。

プログラム教育なんてやっているのは、都会の裕福層が通う学校が中心だ。



そもそも、アメリカには教科書検定もないし、現場での先生の裁量が、日本よりずっと認められている。


だからこそ、子供の能力を見極め、伸ばしてやることができる。

その子が好きなことに興味を持ったなら、どんどん上の段階を目指して構わない。


そして、プログラム教育が面白いのは、その子の興味に従ってプログラムを組んでいれば、必ず論理的な思考は身に付くし、もっと上を目指したくなるところなんだ。


子供の能力を伸ばす、というアメリカの教育方法となら相性が良い。

というか、アメリカの教育現場で考えられた教育方法なのだから、相性が良いのは当然だ。



プログラム教育に関しては、今の現場に教えられる人材がいるのか、なんてことも良く問題になる。

実際、教えられる人間は少ないだろう。しかしそれ以上に、教えようとしても禁じられる、という問題もあるように思う。




実はプログラム教育のようなことはすでに学校で起こっていて、理科の実験軽視なんかが、20年以上前から言われている。


現場の先生なんかに聞くと、決して軽視したいわけではないようだ。

でも、実験は準備から含めて時間がかかるし、学校のカリキュラムは詰め込まれていて、その時間を確保しづらい。


結果として、実験はやったという体で、「実験するとこうなる」と結果を教えて授業を進めるしかなくなる。



答えを予想して、実験によって確かめるのが理科の楽しみだと思う。

でも、すべての子に均質な授業を届ける、という日本の学校制度のひずみで、その一番の楽しみを奪ってしまう。


時々時間を確保して実験をしたとしても、慣れていないから「予想」ができない。


予想を聞かれているのに、正しい答えを出さないといけないと考え、教科書の先のページを盗み見てしまう。

つまりは、自分の知識を組み合わせて考える、ということをしない。


先に答えを知って実験をしても、わくわく感がない。

それどころか、実験の不手際や誤差によって想定される結果にならなかったとき、結果を捏造して正解に合わせようとさえする。


上手くいかないことも含めて実験を楽しめるといいのだけど、「失敗できない」緊張感の中で楽しめなかったりする。



本来、理科というのはもっと楽しめる遊びのはずなのだけど、教育制度のひずみの中で、その楽しみが奪われてしまっている。

結果として理科が嫌いな子は多い。


これと同じことが、プログラムでも起こってしまうのではないかという懸念はある。




…と、前回書いた「プログラム教育」の文脈で学校への導入の懸念を書いたのだけど、最初に書いたスクープ記事によれば、学校での導入はそういうことではないのね。



小学生だと、テキスト通りにプログラムをつくって「画面上の絵が動いた!」って喜ぶ程度、のようだ。


これだと、自分で工夫してみるとか、自分で気づくという余地がないので、学習効果は低いように思える。

まぁ、将来パソコンを使うための練習にはなるかな、という程度。



中学生だと、ホームページ作成など。

ホームページ作成はプログラムではない、という批判もあるようだけど、僕は十分プログラムだと思う。


あ、HTML 直書きが前提ね。

HTML はページ記述言語なのだから、思い通りのレイアウトを作り出そうと思えば「論理性」を学ぶ必要がある。


ただ、この場合はやっぱり「自由に」作らせないと論理性を考えるまで行かないので、学校教育でうまくいくかはわからない。



もっとも、まだ内閣府が方向性を示しただけで、具体的な方法論には至っていないようだ。


この内閣府の指針も問題で、プログラム教育によって子供の論理性を育てる、とかではなくて「優れたIT技術者の育成」を目標に掲げているのね。


以前書いたけど、プログラム教育は職業訓練ではない。

子供の論理性を養う、という目的が本来で、IT技術者を育成したいなら別の方法がある。



もっとも、パソコンに触れることで潜在的な適性を見出して、興味を持つ子が増えるのであれば、それは良いことだと思う。




良い判断材料もあって、今は一時期よりも現場の先生方の裁量が認められるようになっている。


すでに、一部の学校では、裁量の範囲で、実験的にプログラム教育も行っている。

今回の義務教育化も、そうした実験の「成功」を踏まえてのことだ。


すでに実験して、うまくいっているのだから、破滅的に悪いことにはならないだろう。

…僕は、そう楽観的に考えている。



こうした裁量を認めることは、「全国で同じ教育を」という理念に対立するものだ。

大抵は、都会の一部の学校の生徒だけが、良い教育を受けられることになるだろう。


でも僕は、それでいいんじゃないかと思っている。

最低限の質を確保することは重要だけど、出る杭を打ってみんなを同じ高さにする必要はない。



そして、良い教育を受けられて、良い社会的地位に立った人たちがいたら…自分は幸運だっただけだ、と振り返ってみてほしい。

たまたま手に入れられた良い地位を、幸運に恵まれなかった「だけ」の人達に還元する方法を考えて欲しい。



世の中はそれで十分回ると思うし、みんなが低い地位でいるよりも、ずっとうまくいくように思う。




追記 2016.4.20

ホームページ作成、は誤報だそうです。

報道でわかりやすくするつもりで「翻訳」したけど、本来は「コンテンツに関するプログラム」だったそうだ。


そして、教育が専門の方が解説しているのを読みました。

今回の「スクープ」は、次期教育指針に関するものだそうです。


次期教育指針としては、教師が「教える」教育から、生徒が自分で気づくことを重視する教育に転換しようとしているのだとか。


本文中ではアメリカでは、という形で書きましたけど、西洋ではこちらに転換しています。


(西洋でも昔は今の日本と似た教え方をしていた。日本はそれを明治期に導入した。

 今の日本のやり方は、寺子屋制度や、戦後の改革などもあって独自のものだけど)


つまりは、プログラム教育の導入も、今までの制度のままだと「相性が悪い」のだけど、制度から改めようということのようです。


もちろん、急な改革だと先生方も、PTAの親御さんたちも意識を変えるのが難しいでしょう。

すぐにうまくいく、とは思いませんが、徐々に良い方向になっていけばよいと思います。



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GAME ON展  2016-04-24 13:58:58  コンピュータ

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GAME ON 展見てきました。


3月頭からやっているので、開幕すぐに見に行くつもりで前売り券購入していました。

券が安かったので、土曜日限定で。


しかし、3月中は次女の保育園卒園にからんで、週末に突発的な事項がいろいろ入り、行けずじまい。

やっと行けた形です。




ちょうど科学未来館のリニューアルもあり、入館無料・ドームシアター無料の日。

ドームシアター、WEB で事前予約しておきます。


これ、予約しておいてよかったよ。

今回僕が一番面白かったのは、ドームシアターの新作映画「9次元から来た男」でした。


…GAME ON 展、あらかじめ「期待外れだ」と聞いていたのでそれほど期待していなかったのだけど、期待値下げて行ってもまだ期待外れだった。


しかしまぁ、内容は書き留めておこう。




まずは入場券を購入。

入館無料の日だし、前売り券も持っているのだけど、進級してしまった次女の分は買わないといけない。

これが、すごく混んでいた。



GAME ON 展入ってすぐに、次女が「つまらない」とぐずる。

まぁ、次女にはつまらないだろうと覚悟はしていた。


妻が、次女と長女連れて別のところ見てくる、と引き受けてくれたので、僕は長男と展示を見て回る。

長男には面白かったようだ。


実は長女は興味あったそうで、妻も見たいというので、後で家族でもう一度回った。

(その時は僕は2周目なので、次女のご機嫌取りに始終した)


以下の話は、時系列ごちゃまぜで書く。




入ってまず、COMPUTER SPACE が置いてある。

世界最初の業務用テレビゲームだな。


ただし、筐体が置かれているだけで電源が入っていない。

(会期の最初の頃は、遊べないが電源は入っていたらしい)


後ろには、PDP-1 のモックアップと、エミュレーションで動く SPACE WAR!


COMPUTER SPACE! の元になったゲーム、というわけで、本当にゲームの始まりを表現したいわけだな。

だけど、こちらも、電源は入っていない。


もっとも、電源が入っていたとしてもエミュレーションなので、それほど価値は高くない。



COMPUTER SPACE の隣には、SPACE WARS。こちらも SPACE WAR! の派生ゲーム。


これは後に家庭用に作られた Vectrex (日本での商品名は光速船)用のゲームなのだけど、今回の展示に貸し出した人の趣味で「業務用筐体っぽく改造したもの」のようだ。


基本的に業務用ゲーム機を置くコーナーの中に、業務用っぽく改造した家庭用ゲーム機が置いてあるのは、紛らわしい。

COMPUTER SPACE も SPACE WAR! も電源が入っていないので、少しでも最初のゲームに近いものを見せたいという苦肉の作かもしれないけど。




LUNAR LANDER は遊べていたが人気があるようなので遊ばず。

まぁ、並んでまでやろうとは思わなかったので。


ベクタースキャンのゲームの初期の名作だ。

今のテレビ画面とは、表示原理が違う。


あまりベクタースキャンゲームを見たことが無い人にとっては見どころのひとつだと思うけど、LUNAR LANDER はそれほどベクタースキャンの特徴を活かしているわけではない。



センチピードは、気に入った小学生が占領中。後ろに人がいても気にせず、連続して何度も遊んでいる。

声をかけて長女が1回だけやらせてもらったら、その小学生も特にうまくないのに、偉そうに横から口を出してくる。


いや、これは「嫌だった」とかの話ではなくて、今時の小学生がセンチピードに熱中している、ほのぼの話として。

多分僕がやれば、偉そうな彼の鼻をへし折れるだろうけど、大人げないのでやめておく。



ミサイルコマンドは、長男が何度かプレイ。

面白いけど難しい、が感想。うん、僕も小学生の頃プレイした時はすごく難しいと思った。



パックマン。長男が特に遊びたかったゲームの一つ。家にあるのだけど。

筐体は見どころの一つ。PUCKMAN と表記されている。


PUCK だと、いたずらで簡単に FUCK に変えられてしまう、という海外の販売会社からの要望で、すぐに綴りが PAC に変更された。

それ以前の筐体は珍しい。


1P キーと 2P キーの配線が逆になっていて、一人用だと思って遊んでいると、敵にやられると最初からやり直しになったり、かと思うとさっきの続きからになったり、謎の挙動に困惑している人が多かった。


長男は何とか1面クリアするも、2面クリアは出来ず。

2面クリアするとショータイムがあって面白い。見せてやりたい。


で、僕がプレイ。

2面クリア後に加え、5面クリア後のショーまで見せることができた。

ルールが理解できた物は見ていても面白い。説明しながら遊ぶことで、次女も楽しんでいた。


ディグダグ。

長男が今回一番気に入ったゲーム。これも家にあるので、帰宅後心行くまで遊ばせた。



こちらのまとまり、基本的に、海外で人気が出たゲームを順不同で並べているようだ。

時代順ですらない。このあと、PONG があり、その後ろにはバーチャファイターが置かれている。




他にもいろいろあるけど、通路の逆側へ。

こちらは日本の人気ゲーム。


インベーダーゲームが多数ある。

白黒のものは見どころの一つ。隣にカラーのものもあるが、点数の桁数が白黒は4桁、カラーは5桁とわかる。

実は、白黒インベーダーも、最初期のもの以外は点数5桁だし、4桁のものもソフト改造されて5桁にされたものが多かったはず。


大人気で、上手なプレイヤーが現れて、4桁では足りない、ということになったからね。

改造されずに残っていた4桁版が動いているのは是非見ておくべきだろう。


長女は何か遊びたい、と言いながら、4方向レバーのゲームではもう難しすぎた。

しかし、2方向+1ボタンのスペースインベーダーは楽しめたようだ。

やはり、最初の頃のゲームは単純で、初めてテレビゲームを遊ぶ子供でも楽しめる。



他には、3Dカーレースとして世界初のポールポジションや、「体感ゲーム」第1弾のハングオン、体感ゲームシリーズのヒット作、アフターバーナー2など。

アフターバーナーは時間を決めて動かしているようで、それ以外の時間は電源を切ってあった。



通路と展示コーナーの境には、「ゲームってなんで面白い?」という、今回の展示のテーマを解説した動画が流れているパネルがある。


パネル上もアクリルケースになっていて、展示物が置かれている。

最初のエリアでは、CPU の変遷と、記録メディアの変遷。


CPU のほうは…特に面白くはないよ。4004 おいてあるけど、たぶんゲームでは使われていないよね。

(ゲームを作れるほどのプログラム性能はない)


記録メディアは、PDP-1 などで使われた紙テープ、IBM 汎用機で使われたパンチカードから始まっている。


IBM 汎用機でゲーム作られたのかな…という疑問はあるけど。

8inch フロッピーも同様に、その時代にゲームはそれほど遊ばれていなかったのではないかな。

でも、単に記録メディアの歴史として面白い。




次のエリア。

順不同で、ジャンル分けされたゲームが並んでいる。

基本的には、「家庭用テレビゲームの歴史」のようだ。


「ピットフォール」から始まり、3Dの冒険ゲームに至るのはアクションアドベンチャー。

「イーアルカンフー」に始まり、鉄拳に至るのは格闘ゲーム。


「ハイパースポーツ」から始まり、テレビ中継と見間違うようなサッカー、バスケットゲームに至るとか、2D縦シューから、3Dの戦争ゲームに至るような流れも。


ただ、ここで「ジャンルごとの時代の流れを表現しているのだな」というのは、あくまでも僕がそう感じた、というだけ。

説明は一切ない。ゲームが多数置かれているだけ。


ゲームの遊び方の説明もないから、最近のゲームは複雑すぎて遊ぶこともできない。

遊び方の説明はあっても、コントローラーが壊れていて動かないものも多数。



通路を挟んで反対側は、家庭用テレビゲームのハードウェア。

といっても、ハードと共にテレビゲームが展示されていて遊べる。

つまり、他のところと展示内容は大して変わらず、「ハードの展示だ」というのは気づいた人だけがわかること。


最大の見どころは、ブラウンボックスだと思う。

世界で最初の家庭用テレビゲームの、プロトタイプ機。


動作しない状況だし、もしかしたらモックアップかもしれない。

もし本物だとしても、後に再現されたものだ。オリジナルは失われている。


でも、作者であるラルフ・ベアのサイン入り。これだけで見る価値がある。



動体展示では、それぞれのハードを代表するようなゲームを選んではある。

Apple II ならチョップリフターだったし、AMIGA ならレミングスだった。

MSXは、グラディウス2 だった。


長男はレミングスに興味があって、前の人が面クリアして去った後続きを遊ぶ。

同じように、面クリア後は別の人に引き継いだ。


こちらも、PSP 版で良ければ家にある。



スペクトラム ZX って、存在は知っていたけど実機を見たことが無かった。

実機、驚くほど小さかった。カシオの MSX みたい。


ここに置かれた機械は、基本的に海外で人気があったものばかり。

PC-8801 とかは存在しない。




どこに置いてあったか失念したのだけど、「テレビテニス」も確かここらへんにあったのではなかったかな。

日本で最初の家庭用テレビゲーム機。見どころの一つだと思う。


以前に Youtube で動作している画面を見て、左右のパドルの「太さ」が違うのは、テレビ受像機の問題で横に伸びて(にじんで)いるのだと思っていた。


説明書が置いてあったのだけど、説明書でも幅が違うように書かれていた。

1P 側と 2P 側を区別できるように、幅で違いを表現していたようだ。



もう一つ、これもどこにあったか忘れたけど、ATARI の、STAR WARS の筐体が置いてあった。

筐体だけ。電源は入っていない。


というか、開幕時にはエミュレーションで動いていた。

このゲーム、本来は「カラーベクタースキャン」という非常に珍しい方式で画面が作られている。


最初のほうに LUNAR LANDER の話を書いたけど、ベクタースキャンは基本的に白黒だ。

でも、STAR WARS はカラーだった。ベクタースキャンの特徴である、回転や拡大縮小ができることを利用して、迫力のある3Dゲームを作っていた。


(当時のハードウェアは非力で、回転や拡大縮小なんてできないのが普通だった)



ベクタースキャンは線画のみで描かれるのだけど、非常にコントラストが強く、画面が華やかだ。


でも、エミュレーションでは普通のパソコンモニタで表示され、コントラストが弱い。

なんだか貧弱なゲームに見えてしまう。

さらに、エミュレーションするハードウェアが貧弱だったようで、遅延がひどくてとても遊べない状態だったとか。



非常に珍しいゲームだったからこそ、遊べるゲームのリストに入っていたことで多くの人が楽しみにしていた。

それがひどい状態だったから、ちょっとした炎上騒ぎになった。


騒ぎになったら、主催者が謝って、筐体のみの展示にすると発表した。


会場のどこかの片隅で、ひっそりと筐体が置かれていたけど、知らいない人にとっては電源の入っていない箱が置かれているだけだ。


非常に残念だ。




次のエリアは、コンピューターゲームではあるがテレビゲームではないもの、がテーマのようだ。


ザ・シムスがある。ゲームではあるが目的も勝敗もない。


ドラゴンズ・レアがある。ゲームではあるが、基本的にアニメ垂れ流しで自分が主人公を操作したりしない。


グランド・セフト・オートもここに置かれていた。

僕はこのシリーズやったことが無いのだけど、ゲームの進行とは関係なしに、プレイヤーがかなり自由な行動をとれる。

目的が「ない」わけではないけど、曖昧なのでゲームらしからぬものとして並べられたようだ。



パラッパラッパーや、スペースチャンネル5もあった。

僕的にはこれらは十分ゲームなのだけど、出てきた当時「新しい潮流」であったことは間違いない。


これらのゲームも遊べるようになっているのだけど、残念ながら音は出ない。

たくさんのゲームが置いてあるから、音を出したらうるさいからね。


もちろん、リズムゲームで音が出ないのだから、「操作できる」かもしれないけど、ゲームにはならない。



通路挟んで逆エリアには電子ゲーム群。

任天堂のゲームウォッチ全種類とか。末期に出た(末期症状感たっぷりの)据え置き型の大きなゲームウォッチとか、カラーにするためのギミック感たっぷりのものもある。


ただし、すべて電池が入っておらず動かない。

白黒液晶でカラー表示するギミックとかよくできていたのだけど、動いていないからわからない。



FL 管ゲームとかは遊べる状態でいくつか置いてあった。

パクパクモンスターとか、ビームギャラクシアンとか。


携帯ゲーム機、も一緒に展示しているようで、3DS のモンスターハンターのような近年の作もある。

ワンダースワンの「軍平」も置かれていたのは、電子ゲーム時代を切り拓いた横井軍平氏へのオマージュなのか。


サイオン」が置いてあったのも、ちょっと見ておくべき。

先に書いた、ブラウンボックスを作った、ラルフ・ベア氏が作って世界的ヒットとなった電子ゲーム機。

ブラウンボックスが置かれていることと、セットになっているのではないかと思う。




このエリアでの「ゲームってなんで面白い」の動画展示は、自分で作ると面白い、というテーマだった。

Apple II のビル・バッジのピンボール・コンストラクションとか、近年ではマインクラフトとか、「自分で作ることを楽しむゲーム」をいくつか紹介する。


そして、最後は Scratch の紹介。

究極のゲームは、プログラム言語によってゲームそのものを作り出してしまうことだ、と。


Scratch の画面が出てくるので、それだけで子供たちが興味をもって見ていた。

実際、うちの子はゲームを遊ぶよりも、作ることを楽しんでいるからなぁ。


#もちろん遊ぶのも好きだけど、限られた時間を大作ゲームに使うつもりはないらしい。

 それより、小作品を遊んで面白さのエッセンスを学んで、自分でゲーム作りに活かしたいみたい。




この後は、整理券を必要とする体験コーナー。

開館時間に間に合うように来たので、その気になれば整理券もらえたのだけど、10分程度は並ばないといけないのでもらわなかった。


プレイステーションVR のゲームを遊ぶか、4人同時プレイマインクラフトを楽しめる。



最後はお土産物コーナーで終わり。




総評。


振り返ってまとめると、それなりに充実した内容のように見えるね。

でも、ゲームに対する愛があまり感じられない。


古いものの動態展示なので、調整中のものがあっても仕方がない。

でも、電源が入っていないものや、壊れていて遊べないものが多数。

パックマンのところで書いたけど、配線がおかしいというのもある。


そのゲームが何であるか、どのような意図で見れば楽しめるのか、というような表記も一切無い。

ゲームセンターのようにただ並べられているだけ…と事前に聞いていたのだけど、むしろ昔のおもちゃ屋さん店頭の試遊台を感じた。


ゲームセンターなら遊ばさせる環境は整えるのだけど、遊べる環境も整っていないのね。



この展示会、イギリスから始まって、話題となって世界中を回っているらしい。


後になって思えば、これ「イギリスだから」話題になったんだわ。

日本人がこの言葉で期待してはならない、釣り文句だった。



テレビゲームはアメリカで生まれ、日本で育ち、世界に広がった。

GAME ON に置かれているのは、主にアメリカと日本のゲームだ。


そして、イギリスにはその時代、ゲームセンターがほとんどなかった。

ゲームファンは、日本やアメリカで流行しているというゲームの話を聞いても、遊ぶことはおろか実機を見ることも難しかった。


だから、それらのゲームが集められている、と言うだけで大きな話題になっただろう。

憧れの機械に会いに来る人にとって、その機械がそこにあるだけでいい。

多少壊れていようとも、何の説明もなくたって、それで十分だ。



でも、日本人にとってはそうではない。

置かれているのは、中年世代にとって「懐かしいゲーム」ばかりで、置かれているだけでは物足りない。


その展示をまとめる説明が欲しいし、中年世代は子供と一緒に来るだろうから子供たちに説明するために時代の流れなどの説明も欲しい。

(実際、うちに限らず家族連れを結構見かけたのだ)



さらに言えば、「重要なゲーム」を置いてあるにもかかわらず、その重要性は欧米人の、ゲームマニアにとってのものだ。


日本でヒットしたゲーム、は欠落している。

家庭用ゲーム機にドラゴンクエストはないし、ゲームセンター向けのゲームとしてもグラディウスは置かれていない。

(一部日本で独自に整えたと思われるコーナーはある)


また、マニア向けで無いゲームも欠落している。

テトリスはないし、タワーディフェンスのような気軽に遊べるゲームも無視される。


おそらくは、先に書いたように、マニアが憧れのゲームを見に来る展示会として企画されたからだろう。




「ゲームってなんで面白い?」というテーマは、日本で開催されたときにとって付けたテーマのようだ。

調べてみると、元の展示会のサブタイトルは「The history, culture and future of computer games.」だったから。


単に「コンピューターゲームの歴史、文化、そして未来」というだけだ。


面白さの分析を試みた展示は、先にも書いたように動画で用意されている。

だけど、どうも面白さの分析とは程遠いのね。ゲームシステムを分類したりしているのだけど、それがどうして面白く思えるのか、という点に踏み込んだりはしない。



もちろん、多くの人にとって、そんな分析はどうでもよいことだ。踏み込む必要もない。

踏み込み不足の内容ですら、ほとんどの人が興味を持っていなかったのだから。


しかし、それならなんで「ゲームってなんで面白い?」を展示テーマに据えたのか。


多分「ゲームの歴史」というタイトルなら、各コーナーの展示意図などの解説が必要だったろう。

そちらをやってもらったほうが、よほど万人受けする内容になったのではないかと思う。




家に帰った後、PS2 の「ナムコミュージアム アーケードHits!」と、「タイトーメモリーズ上巻」を出す。

長女はインベーダーを、長男はディグダグを繰り返し楽しんだ。


妻も「やらせて」と遊びだす。


長女は「お父さんもやって」と僕にコントローラーを渡す。


家族みんなで順番にインベーダーやディグダグをプレイするって、昭和の家庭のようでほほえましい。



ナムコミュージアムには8種類、タイトーメモリーズには25種類のゲームが収録されている。


子供たちは他のゲームにも多少興味はあるようだけど、次々違うゲームをやるより、腰を落ち着けて1つのゲームに取り組みたいようだ。

目移りするよりも、一つのゲームを攻略する、という態度で正しいと思う。その方が楽しめる。



「ゲームってなんで面白い?」は深遠なテーマで、答えは簡単に出せない。


でも、僕はゲームは勝敗があるから面白いのだと思っている。

勝敗はゲームの基本だ。


ということは、目移りして次々別のゲームを遊ぼうとすると、面白くなくなる。

次のゲームに移るのは、逃げだからだ。逃げたということは負けたわけで、面白いわけがない。


子供たちは教えずともわかっているようで、頼もしい。



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理科ハウス  2016-05-10 17:09:33  コンピュータ 家族

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G.W. 締めくくりの週末、長女の希望で理科ハウスへ。


もうすっかり馴染んでしまっていて、スタッフの人に「ひさしぶりー」と迎え入れられる。


日記に書き記しはするのだけど、何があったわけでもないんだ。

理科ハウスはなんというか、非常に落ち着くところで、家にいるようにのんびりと過ごせる。



この日は2階に上がる階段の前に「小学校5年生以上向け」との注意書きがあった。

長女が2階行っちゃいけないの? と聞くので聞いたところ、顕微鏡をたくさん並べてあるから、わからない子にはつまらないというだけだった。


入っても良いと言われたのだけど、なんとなく2階にはあがらない。

(長女も次女も、あとで上がったのだけど)




長男は行く前から、今日は図書コーナーで読みたかった本を読む、と決めていた。

一応2週間貸出可能なのだけど、我が家はちょっと遠いので、2週間で行くというのがなかなかできない。


聞いてみたら、図書館と違って厳密な決まりがあるわけではないので、別に構わないと言ってくれた。

長男は以前から気になっていた、幾何学折り紙の本を借りる。




子供たちは、2年くらい前から家でアイスの棒を使ってスティックボムを楽しんでいる。

この日の1階にはスティックボムが置かれていた。


手芸屋さんで薄い木の板を買ってきて切っただけだという。

アイスの棒よりも組みやすい反面、アイスの棒よりも反発力がないため、組み方に制約があった。


しかし、組みやすいというのは気軽でいいな。

今度考えてみよう。




2階には子供の質問コーナーがある。


理科ハウスに来るたびに、これを眺めるのを楽しみにしている。


子供が疑問に思ったことを、なんでも書いて掲示できるコーナー。

申し訳ないがつまらない質問もある。「私も質問してみたい」という欲で書かれた質問は、どこかで聞いたような質問になるのでわかる。


でも、大抵は面白い。大人には気づかない視点で書かれた質問が多い。


質問に対して誰が答えてもいい。答えは質問の裏に掲示される。

何人答えてもいいし、答えが食い違っていることだってある。

回答者の個性が見えて面白い。


そういえば、ノーベル賞取った梶田さんが答えたものもある。

理科ハウス、人脈が広いのだ。



それはさておき、僕は「答えが付いてない質問」を見つけては、少しづつでも答えるようにしている。


この日は、スタッフの方から「ぜひこれに答えてください」と、質問の指定が。

回答者の間でも答えが食い違い、回答者同士で議論が始まってしまったのだという。



見てみると、ちょうど理科ハウスに行く前日に、長女から受けた質問と同じだった。

その場で「長女にはこう答えた」と、僕なりの答えを口頭で説明した。


文章は今度書きます。


#後でメールしても、プリントアウトして貼っておいてくれる。




2階にブレッドボードが置いてあった。


ブレッドボードって、電子工作試作用の基板ね。

電子ブロックははんだ付けなしに回路が組めるのだけど、子供向けにわかりやすくしてある。


それに対して、ブレッドボードはやはりはんだ付けなしで回路が組めるけど、大人の仕様に耐えうる実用品だ。


実は10年くらい前から欲しいと思って、手を出しかけてはやめている。


小学校くらいまでは電子工作少年だったのだ。

でも、市販キットを回路図通りにくみ上げるのどまりで、自分で設計するほどの能力がなかった。


そして、ソフトウェアを覚えてしまったのでハードウェアからは遠ざかった。

今でもハードができないことはコンプレックスで、初心者レベルでもいいから今から勉強しよう、と何度も思ってはやめている。



理科ハウスには、7セグ8桁…いわゆるデジタル数字が8桁出せる液晶パネルと、LED と抵抗が適当においてあった。

LED には定格電圧があることと、E=IR の式、抵抗値の読み方が書いた紙が置いてある。


これだけ。後は勝手に遊べばいいし、壊したってかまわないという。


液晶パネルは、配線を適当につなぐと適当に表示が付いたり消えたりする。

間に7セグドライバ IC を入れていないので、数字以外でも形が自由に作れる。


LED は、適当な抵抗を入れて直結すれば光る。

抵抗を入れないでも光る。ずっと光らせてたら壊れるかもしれないけど。


通電すると勝手に色が変わり続ける LED とかも置いてあって、次女には大うけ。



いいなぁ。

また電子工作欲が刺激されてしまった。下手の横好きでいいから今から始めようか。




…と、ここまでが理科ハウスに行った日の話。


帰ってきて翌日ツイッターを見たら、IchigoJam福野さんに自分のツイートをリツイートされていた。


ツイートは5月1日がBASIC の初稼働日だという、自分のページの宣伝。

IchigoJam も、福野さんという人も知っていたけど、別にフォロー関係はありませんでした。



実は、ブレッドボード欲しいと思ったときに、ブレッドボード版 IchigoJam を買う、という選択肢も思い浮かんでいた。

これはもう、IchigoJam 買えってことか。運命がそうささやいているのか。


そんなわけで、先ほど Amazon でポチりました。

結局、普通のプリント基板 IchigoJam + ブレッドボードにしたのだけど。



遊ぶ暇があるかどうかは不明ですが、子供と一緒に少しやってみるのは楽しそう。



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NORAD 設立日(1958)  2016-05-12 10:55:50  コンピュータ 今日は何の日

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今日は NORAD が設立された日(1958)


Whirlwind I (以下 WWI) という、コンピューター黎明期の機械があります(1948年作成開始)。


当時のコンピューターは1ビットづつ計算するのが普通だったのですが、WWI では 16ビットを同時に計算します。


当時のコンピューターのメモリは、速度は遅いが容量の大きい水銀遅延管か、速度は速いが容量の少ないウィリアムス管のどちらかでした。

しかし、WWI では「コアメモリ」という全く新しい、高速で容量が大きく、値段も安いメモリを使用します。


当時のコンピューターは、紙テープなどでプログラムし、動き出したら結果が出るまで待つのが普通でした。

しかし WWI にはキーボードとディスプレイが供えられ、ディスプレイを直接触れることで動作を指示することが可能でした。


とにかく、コンピューターの常識を作り変え、現代のコンピューターの基礎を作り上げた機械でした。


ただ、設計が予定より遅れたため、当初の作成目的を失ってしまいました。

作成開始早々に予算援助が打ち切られ、作成中止の機器に見舞われます。




そのころ、アメリカに続いてソ連が核兵器の開発に成功します。

実はアメリカの核開発陣にソ連のスパイがいて、研究データなどがソ連に伝わっていたためでした。


アメリカはこれに慌てふためきます。

もし、ソ連がジェット爆撃機に核を積んで、低空からアメリカ領土に侵入したらどうなるでしょう?


レーダー基地が機影を捉え、本部に伝達され、本部から最寄りの空軍基地にスクランブル発信が命じられ、迎撃に向かう…

これだけで10分以上かかるでしょう。ジェット爆撃機なら、その間に都市を一つ壊滅させています。


空軍はかつてない危機に戦慄します。この状況を救う手立てはないものか。多くの学者に研究を依頼します。



ここで、WWI の存在を知る学者が、WWI を使って「自動化」を行えば、スクランブル発信までの時間を劇的に短縮できるだろう、と進言します。


アメリカの海岸線に多数のレーダー基地を多数作り、それらの情報を WWI に集約します。

異常を感知すればすぐにオペレーターに警告し、同時に最寄りの空軍基地に発進への準備を通知します。


実際にオペレーターが危機を確認すれば、すぐにスクランブル発進が可能となっています。



このシステムは、SAGE と名付けられます。

半自動式防空管制組織 (Semi-Automatic Ground Environment) の頭文字を取った名称です。


アメリカを守るためには、よりソ連に近いカナダも包括的に防御する必要がある、と考えられました。

そのため、SAGE はアメリカ空軍の組織ではなく、カナダと共同で運用される独立組織である必要がありました。


そこで設立されたのが、北米航空防衛司令部 (NORth american Air Defense command) 、通称 NORAD です。


その後、宇宙からの攻撃の可能性も出たため、組織名の air (航空)の部分は aerospace (航空宇宙)に変更となっていますが、組織自体は存続しています。




ところで、WWI をベースとして TX-0 という機械が作られています。

当時はコンピューターの使用には「1分いくら」という高額料金が課せられる時代でしたが、TX-0 は試作機だったこともあり、学生に無料開放されます。


様々なゲームが作られるのですが、そのうち一つに Tic-Tac-Toe があります。いわゆるマルバツ。


そして、このゲームは単に「テレビゲーム」なのではなく、人工知能研究黎明期の成果の一つです。

こんな単純なゲームであっても、コンピューターが人間と同じように考え、ゲームの相手をできるということが驚きだった時代です。



WWI という機械があり、その機械をベースとした SAGE を NORAD が使用しています。

同じく WWI をベースとした TX-0 は人工知能研究に使われ、マルバツゲームが動いていました。


そして、NORAD は核戦争を未然に防ぐための防衛組織です。


核戦争と、マルバツと、人工知能。

ここに三題話が生まれます。「マルバツに勝者がいないように、核戦争にも勝者はいない」と悟る人工知能!


1983 年公開の映画「WAR GAME」の舞台は NORAD です。

これを見た当時は「そのオチはないだろう」と苦笑いしたのですが、今なら事実に基づいたストーリーだとわかります。




WWI を作ったのは MIT なのですが、SAGE のために大量生産したのは IBM です。


当時の IBM は、コンピューターの作成を始めたばかり。

UNIVAC I を作った UNIVAC 社の方が有名で、大手でした。


しかし、当時としては最先端の技術を多数盛り込んだ WWI の量産を請け負います。

これにより最先端のコンピューター技術を得るとともに、莫大な利益を上げます。



この頃から IBM はコンピューター大手になっていきます。




NORAD といえば、毎年サンタクロースの追跡を行っていることで有名です。


NORAD の設立前、アメリカ空軍に Continental Air Defense Command (中央防衛航空軍基地)、通称 CONAD という組織がありました。


1955年12月24日。CONAD の司令部に間違い電話がかかってきます。

サンタクロースとお話がしたい、という子供からでした。


電話を受けた司令官は、ここは空軍の基地でサンタはいないと子供に伝えましたが、子供の夢を壊さないようにこう付け加えました。


「空軍のレーダーはアメリカ上空を飛ぶものをすべて捉えている。

 サンタクロースのソリは、現在○○にいるよ」と。



その後も続々と間違い電話がかかってきます。どうやら間違いではなく、明らかに CONAD 充てに電話をかけてきているようです。

調べると、老舗スーパーマーケットチェーンのシアーズの新聞広告に「サンタクロースと話ができる」電話番号が掲載されており、ミスプリントで CONAD の司令部の電話番号になっていることがわかりました。


司令官は、子供の夢を壊さないように、サンタクロースの現在位置を教え続けるように部下に命じます。


このときは、誤植による1回きりの「イベント」でした。


しかし翌年、AP通信社とUPI通信社が、CONAD が今年もサンタクロースを追跡するのを待っている、と伝えてきたのです。


彼はこの要望に応え、CONAD 公式の「サンタクロースの追跡報告」を発表しました。


1958年、CONAD を母体として NORAD が生まれます。

サンタクロースの追跡任務も NORAD に引き継がれました。



…個人的な意見としては、最近はちょっとやりすぎかな、と思います。

翌日になって新聞とかに公式発表として「サンタクロースは全米中を飛び回って、何件の家にプレゼントを配っていった」とか載せるのは夢があるけど、Google Map 上で現在地を表示し続けたりするからね。


気の利いた洒落っていうのは、控えめだから楽しいのであって、調子に乗りすぎるとすべてをぶち壊してしまう。


まぁ、上に書いたように「ぶち壊し」な悪乗りだけでなく、電話スタッフが「サンタさん」として子供たちと通話したりもするそう。

スタッフは主に NORAD 勤務の軍人なのだけど、みんなボランティアで任務外の仕事。


軍人が、こういう平和な活動をできる世の中が続くといいと思います。


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キーボード  2016-05-12 14:30:40  コンピュータ 歯車

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キーボード

3年ほど前に購入したPC用のキーボードが調子悪い。


…って書き出しは、3年前にやったのだな。

あの時は、その2年前に購入したPC付属のキーボードが壊れたのだった。


壊れたというか、入力時にキーが引っかかる感じになるのね。

接触不良とかの電気的なトラブルではなくて、キーを支える軸がぐらつき始めて正しく入力できない感じ。


今回も同じ。

PC付属キーボードは、安PCについてくるものだからかなり安物なのだろう、仕方がないと思った。

でも、今回は別売りキーボードを買ったのにたった3年で壊れたのだ。


もっとも、安いからそのキーボードを選んだわけで、安物であることは認めるのだけど。

たしか、1200円程度だったのではなかったかな。


よく使うキーの印刷も剥げ、つるつるになっていた。




キーボードにこだわりはないが、普通の 109jp キーボードであっては欲しい。


子供のころから JIS 配列なので、US 配列はあまり好きではない。

仕事で仕方なく使っていた時期もあるので、絶対ダメなわけでもないのだけど。


有線キーボードがいい。

置きっぱなしで使うから無線である必要はないし、無線だと高いし、電池交換が必要になるから。


今使っているPCに付属してきた(早々に壊れた)キーボードは、Insert/Delete/Home/End/PageUp/PageDown の6キーの配列が変則的だった。

僕はそこら辺のキーは結構使うので、できれば通常の並びがいい。

カーソルキーも、その下に普通に並んでいてほしい。


まぁ、つまりは「普通のキーボードがいい」と言うだけだ。

何も難しいことではないはず。


…なのだけど、今の世の中これが案外難しい。

先に書いた6キーって、使わない人多いから小さくまとめて別の場所に配置されたりする。

カーソルキーだって使われないから変則的な並びにされたりする。


「ごく普通」を望んでいるだけなのに、案外ゲーミングキーボードとかが悪くなかったりする。

ゲームに使うときって、一瞬の判断を必要とするから、キーが普通に押しやすい配置でないといけないんだよね。


でも、ゲーミングキーボードは高いからパス。

しっかりした会社のいいキーボードを買えばいいとわかっていても、1万円越えはパス。


キーボード会社だって、差別化を図って高い商品を売りたい。

そんな当たり前の理由で、無線キーボードには結構いいものがあるのに、有線キーボードには商品が少ない。


そうして、どんどん選択肢が狭くなっていく。




いっその事今まで使っていたキーボードと同じものを買おうか、とも思った。

ロングセラー商品でまだ売っている。1000円程度だから、3年使えればそれでいいと思う。


でも、せっかくだから違うのを選んでみたい。

ということで、Microsoft の Wired 600 キーボードを購入。¥990.-


この型番、「マイクロソフトの一番安い有線キーボード」という意味合いの型番で、同じ型番のまま時々モデルチェンジするらしい。

今回購入したのは Windows8 対応版。Win10 にも対応している、と上からシール張ってあったけど。


何が Win8 対応なのかと言うと、まずは Windows キーのアイコンが Win7 までの「ぐにゃりとした」ものではなく、直線的。


Win8 から出てきた「共有」のためのキーが印字されている。

印字されているだけで、Fn + F6 キーなのだけど。

他に Fn + F5~F8 でいろんな機能を呼び出せる。


そう、109 のフルキーボードなのに、さらに Fn があるわけだ。

でも、この Fn キーは、F5~F8 以外には使わないようだ。


せっかくだからもっといろいろ使えればいいのに。

まぁ、普通は使わない右 Win キーを Fn に割り当ててあるので、邪魔にはならない。


あと、キーボードに音量調節ボタンがある。音量アップ・音量ダウンと、ミュート。

そして「再生・一時停止」のキー。


もう一つ「電卓」のキーもある。




電卓キーを押すと、Windows 付属アプリの電卓が起動する。

…まぁ、便利と言えば便利かな。


驚いたのは、109jp に存在しない特殊なキーなのに、デバイスドライバなしで動作したこと。

マイクロソフト製なので、単に Windows の中にあらかじめ組み込まれている、と言うだけの話だけど。


同じように、音量調節も、Fn + F5~F8 も、何もせずにそのまま動作する。


でも、再生・一時停止キーは何も動かない。

このキーは、Windows は認識しているが、Windows 純正の音楽アプリ・映画アプリなどが起動していないと動作しない。


僕は普段 Windows で音楽を聞かないので、このままでは無意味なキーだ。



キーの割り当て変更には、マイクロソフトのページで設定ソフトをダウンロードする。


電卓キーと再生・一時停止キーには、好きなアプリの起動を割り当てられる。

または、キーボードマクロ(一連のキーを順次押す処理。マウスボタンや時間間隔も設定できる)を割り当てられる。

または…用意された、非常にたくさんの処理を割り当てられる。


用意された処理は、もちろん音楽アプリでの再生・一時停止もあるけど、次のトラックへ、なんてのもあるし、ブラウザの戻るボタン、なんてのもある。


指定された URL を開く、というのがあったので、Google Calendar を指定してみる。

結構よく使うのだけど、今までは Chrome で新規タブ開いてから、Bookmark を選んで呼び出してた。


うん。確かに1発で開く。ちゃんと Chrome を使ってくれる。

上手く使えばなかなか便利なキーかもしれない。



しかし、せっかく設定ソフトがあるのに、設定できるキーは2つだけ、というのが少しもったいない。

先に書いたけど、Fn キーあるのだから Fn + なんとか、でいろいろ設定出来たら楽しかったろうに。




設定ソフトには、他にもささやかな機能が付いている。


Caps Lock を無効化できる。

時々、間違えて打ち込んでしまって大文字になることあるよね。それを禁止できる。

でも、僕は故意に大文字を使いたいときもある。禁止はしないでおこう。


Win キーも無効化できるし、アプリケーションキー(Menu キーとも呼ばれる)も無効化できる。

Win もアプリもマイクロソフトが「増設」したキーで、今では多くのキーボードについているのだけど、邪魔だと思う人もいると、ちゃんとわかっているらしい。


とはいえ、無効化して別の用途に、とはなっていない。

じゃぁ、無効化するのもなんかもったいないから活かしておこう。




MS 600 キーボード、キーの角度が段によって少しづつ変えられていて、手になじむ。悪くない。


キーを押した感触も悪くない。

まぁ、もちろん高級品ではないよ。安物として悪くない、という感じ。


#個人的には、高価なのに安っぽい Apple のキーボードよりも高評価。


ただ、明らかにダメな点が一つ。


F1~F12 、およびその列に並ぶ ESC / PrnScr / ScrLk / Pause キーの押し心地が非常に悪いのだ。

キー自体が小さめで、押した感触も固めになっている。


ということは、ここら辺のキーは「特別なもので、普通は触らない」ことを前提にしたキーボードなのだろう。

事実として、初心者はここら辺のキーは使わないと思うし、うかつに触って知らない動作が起きると混乱すると思う。



でも、僕はこれらのキーをよく使う。

文字入力中もカナにするのに F7 を押したりするし、Vim や Emacs を使うこともあるので ESC を酷使する。


固くて押しにくい、という評価を知ったうえで、それでも他に良い選択肢がなくてこのキーボードを選んだ。

十分吟味した結果なので他に選択肢はなかった、とあきらめているのだけど、もっと「ごく普通のキーボード」が市場に存在するといいと思う。


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ブレッドボードと IchigoJam  2016-05-16 11:36:11  コンピュータ 家族

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先日理科ハウスに行ったときに、ブレッドボードが置いてあって欲しくなった。

IchigoJam と一緒に購入したよー、と日記に書いたのだけど、その後、金曜日には届いた。



先に書いた通り、週末は近所の祭りが多くて忙しかった。

でも、届いたのだからとりあえず遊んでみたい。暇を見ながら遊ぶ。


まずはブレッドボード。

LED 2つを交互に点滅させる、というサンプル回路を作れる部品付きのキットを買ってみた。


土曜日、祭りに出かける前に少し時間に余裕があったのでやってみる。

一応、キットについている回路説明としては、LED をただ点灯させるだけ、トランジスタをスイッチとして点灯、そして交互点滅、と、回路を理解しながら進めるようになっている。


でも、トランジスタの働き自体は理解しているので、いきなり交互点滅回路を作る。


…少しして出来上がった。


最初は、配線を1つ隣の穴に差し込んでしまっていて、うまく動かなかった。

回路を見直してミスを発見し、修正する。簡単なものでもデバッグって必要だ。


チカチカした。


せっかくなので、以前から「壊れたけど捨てられずにいる」子供のおもちゃの基板から、LED を外しまくる。


3V で駆動する回路だけど、子供おもちゃの多くはボタン電池3個、4.5V で駆動されていた。

だから、LED を入れ替えてもかなり暗くしか点灯しない。


でも、壊しても惜しくない部品が多ければ子供にいじらせることもできるだろう。




ある程度できたところで、「なにやってんの?」と長男が興味を持って覗きに来た。

なんかチカチカ動いているのを見て、自分でも作ってみたいという。


いきなり回路を作るのは無理だろうけど、LED を入れ替えて遊んだりしていた。


このときは、祭りに行く予定があったので時間切れ。

夜、祭りから帰ってからまた遊んでいた。トランジスタをスイッチとする回路を組んでいたのだけど、トランジスタを理解していないので、ただLEDが点灯するのとどう違うのかわかっていない。


交互点灯回路も含め、何が起きているのかを順を追って解説したら、理解はした。

でも難しくて自分では作れなさそう、という感想。


それでもいいし、僕だって交互点滅回路を自分では組めない。理解はできるけど。

「読めるけど書けない」ってことだな。




翌日、今度は祭りが終わってから、夕食までの間に2時間ほど時間があったので、IchigoJam を組んでみることにした。


はんだ付けは、小学生の頃には何度かやったし、中学では技術の授業で電子工作を作る必要があった。

(今では必修ではないようだけど、僕の中学の頃には必修だった)


大学以降も数年に一度、ちょっとくらいはやっている。

でも、基本的には素人だと思ってもらっていい。



IchigoJam の組み立て説明書は、とてつもなく不親切だ。

組み立て説明書なのに、組み立て方なんて一切書いてない。


でも、完成した基盤の写真があって、部品の絵があって、そこに基板に書かれたのと同じ R1 とか IC1 という説明がある。

これだけで、その部品を、基盤のその文字の位置につけるのだな、とわかる。


取り付け方向がある部品については「左右方向に」とか「足が長い方を内側に」と書いてある。

基板のどっちが左右でどっちが上下かなんて規定してないのに、急に左右と言われても…


まぁ、常識的に考えて、基盤の文字を読めるようにおいて「上下左右」だろうと考えて組み立てる。


全体に、不親切ではあるが、ちょっと考えれば何を求められているかはわかる程度に説明されている。

説明書だと考えると不親切でも、これ自体がパズルだと思えば、ヒントが多すぎて簡単すぎるパズルだ。




ところどころ、部品が微妙に曲がったのを修正するのに苦労したりしながらも、50分ほどで組み上がる。

どうも、素人でも 50分、というのは標準的な時間のようだ。



さて、動かしてみよう。

PS/2 キーボードは家にあるものを使った。USB 電源もある。


サーバー用に使っている小さなディスプレイを持ってきて、ビデオケーブルを接続…と思ったら、ケーブルがない。

家のどこかにあったな、と探し出してくる。


さて、電源 ON 。…画面が出ない。でも、キーボードのランプが一瞬付くから、通電はしている。


あれぇ、どこか配線ミスしたり、熱しすぎて壊したりしたか? と不安になりながらチェック。

熱で壊したのは目で見てもわからないけど、半田ミスはなさそうだ。


テスターを、本当に数年ぶりに出してくる。

…テスターが動かない。電池がないのかな、と入れ替えても動かない。使ってないうちに壊れたか。


うーん、お手上げ…と思ったけど、そもそも使っている小さなディスプレイは、VGA 以外でつないだことが無い。

ビデオケーブルでも繋げることになっているのだけど、これが怪しいのかもしれない。


居間にある大きなテレビにつないだら、普通に動いていた。

なんだ、ちゃんとできてるじゃん。




居間のテレビで動かしたので、子供がすぐに興味を持ってやってくる。

いや、はんだ付けの段階から、臭いで寄ってきてたのだけど、「できたの?」と様子を見に来た。


パソコンだと聞いていたけど、黒い画面に白い字が出ているだけ。

すぐに興味を失って、また別の遊びを始める。


えーと、チェックもかねて簡単なゲームでも作ってみるか。

8ビット BASIC 定番の初心者向けゲーム、「下向きに走るレースゲーム」でも作ってみよう。


XXXX と並んだ X が壁で、壁にぶつからないようにしながら V を操作するゲームにした。



IchigoJam には、BASIC の命令一覧表が付いてくる。


これが、小さな紙にびっしりと細かな文字で印刷されたもので、とても読めない。

一応同じものが公式 WEB ページにもあるので、本気で使うときにはそちらを印刷しておくといいのだろう。


でも、とりあえずこのときは「びっしり」の文字で読んで作り始める。

使い方がわからない命令もあったけど、BASIC なのでダイレクトコマンド入力したりして動作を確かめながら作る。


30分もしないでゲームができた。

「下向きレースゲーム」と書いたのは、BASIC では画面最下段に文字を表示すると、全体に上にスクロールするからだ。


でも、IchigoJam には SCROLL 命令というのがあって、自由方向にスクロールできた。

これを使い、普通に上向きに進むようにした。


また、絵文字の出し方がわかったので、自機を飛行機にして、壁も●にした。



ここら辺までできたところで、また子供が様子を見にきて、「あ、なんかゲーム遊んでる」と言い出した。

このパソコンは文字が出るだけだと思ったけどゲームが遊べるのか、というので、今作ったのだと説明。




長男もゲームを作ってみたいと言い出し、まずは僕が作ったゲームの改造から始めてみる。


僕が作ったゲームは、サンプルで作っただけで面白くもなんともない。

ゲームスピードを変えてみたり、キャラクタを変えてみたりして楽しむ。


で、おもむろに「自分で1から作ってみたい」というので、NEW する。


IchigoJam 、セーブできないと思っていたからプログラムの画面写真撮ってから NEW したのだけど、4つまではセーブできるのね。

まぁ、知らなかったことだし、できの悪いゲームなので惜しくないのだけど。



普段 Scratch を使っている長男、キーボードは不慣れながら、何か作り始める。


IF が条件判断だ、というのは僕のプログラムを見て理解したようだ。

キーボードの上下左右で、* が自由に動くというだけのプログラムを作り始める。


最初は * が壁のように伸びてしまい、動いているようには見えない。

スペースを上書きして消すようにした。


ここで長男が思いつき、あえて通った後を消さず、・(本来はピリオドだけど、読みにくいのこの表記で書く)を残すようにした。


適当に動かしながら、・が並んだ画面を見て「パックマン作れるじゃん」と。



ランダムに画面上に・を散りばめ、 * を動かすだけのものを作った。* の後はスペースで消す。

これだけで、・の上を通ると消える。特に「食べた」という判定はしてないのだけど、パックマンのようにも見える。


「食べたかどうか判定できないの?」と聞いてきたから、できるよ、とあっさり答える。


さっき僕が作ったゲームでは、壁にぶつかったか調べてたじゃん。

同じようにすればできるよ、と、その方法を教える。



ついでにキャラクターも変え、絵文字を使って、猫がおにぎりを食べるゲームになった。

おにぎりを食べると1点。全部食べると「CLEAR」と表示される。


ちなみに、画面端の処理をしていないので、画面外に出るとおかしくなる。

ランダムにおにぎりを散らす処理も適当なので、同じ場所に書かれるとクリア不能になる。




Scratch で慣れていると、初めて見た BASIC でも簡単なゲームの1つくらい作れる、ということがわかった。

ただ、長男の感想では、BASIC は Scratch に比べるとゲームが作りにくい環境、のようだ。


まぁ、時代の流れもあるし、IchigoJam はわざと貧弱な環境にしている感じなので、その通りだろう。

でも、BASIC が「ゲームが作りやすい言語」とされた時代もあるし、歴史の流れだけ教えて置いた。


子供に説明したものなので、非常にざっくりしていて細かな部分は正しくないのだけど、こんな感じ。



世界初の言語として FORTRAN が作られ、2番目の言語として Lisp が作られる。全然違う考え方の言語だ。


FORTRAN を元にして、もっと初心者でも使いやすい言語として BASIC が作られる。

この BASIC を見て、Lisp でも似たような環境を作ろうと、LOGO が作られる。


#最初の LOGO は、BASIC のように行番号付きエディットのインタプリタ環境だった。



パソコンの時代になって、BASIC がパソコンに移植される。

このとき、大型コンピューター用の BASIC をパソコンに移植するのは難しかったので、「ゲームに必要な機能」を選び取る形で移植された。

だから、当時は BASIC はゲームが作りやすい言語だと言われた。


LOGO を元にして、教育用のいろいろな言語が作られる。Scratch はその最新版。

いろいろな研究の内容が詰め込まれているので、今一番ゲームが作りやすい言語だというのはその通り。


でも、BASIC もその後いろいろ作られていて、最新の BASIC では IchigoJam とはまた違う使いやすさがある。

IchigoJam は、自分でパソコンを組み立てるところから楽しむものだし、外に回路を繋げて楽しむ部分が多いので、あえて貧弱にしてある。



子供としては「ふーん」って聞いていただけ。

でも、いろいろな環境があるんだな、と知ったうえで、今は Scratch で楽しんでいればそれでいいと思う。



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大川功 誕生日(1926)  2016-05-19 18:55:15  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、大川功さんの誕生日(1926)


セガの元会長、と説明するのが、一番手っ取り早いかと思います。

ドリームキャスト時代をご存知の方なら、氏の名前を付けたインターネットプロバイダ、isao.net も知っているかも。


まだコンピューターが一般的でない頃から「情報化社会」を予期し、起業した人です。

そして、コンピューターが子供の明るい未来を拓くと信じ、子供のコンピューター教育にも真剣に取り組んだ人。




大川氏は、1962年に IBM のパンチカードシステム (PCS) の講習を受けます。


パンチカードシステムというのは、コンピューターではない。

でも、情報をデータベース化し、ソートや検索、集計などを自由に行えるようにします。


この頃多くの人の認識では、PCS は「集計機」で、事務会計などをやってくれる機械、でした。

しかし、大川氏は情報処理の可能性を感じ取り、これを仕事にしようとします。


1968年、コンピューターサービス株式会社設立。

誰もやったことのない、全く新しい職種です。

従業員を集めるのにも苦労して、仕事内容を説明しても勘違いされたとか。


この時代はまだ大型コンピューターも高価な時代です。

コンピューターというのは、「電子計算機」ではなくて、「計算する人」を意味していた言葉。


PCSを事務に役立てるにしても、ノウハウが必要です。

最初はそうしたノウハウをサービスする会社でした。

もちろん、事務用コンピューターが一般化してからは、いち早くプログラムをサービスする会社に変わります。


富士通などと違い、個人向けには手を出さず、ビジネス分野の会社でした。

そのため一般の知名度は低いのですが、ソフトウェアの大手企業でした。




1980年、情報サービス業初の、株式公開。

さらに1982年に株式上場。


今なら上場企業になるのもそれほど難しくありませんが、当時は厳しい審査を受ける必要がありました。


それまでにはなかった職種なので、証券取引所に対して説明するのが大変だったようです。

しかし、財務状況などを改めて説明する中で、会社の中に足りないもの、無駄なものなどを再認識します。


コンピューターが安価になり、ホビー用途にも使われるようになった時代にも重なります。

これでさらに会社が成長。


1984年に、セガ・エンタープライゼスを傘下に収めます。大川氏は会長に。

これは、買収したというよりもセガ側から依頼された形。




さて、すみません。ここまで、ある程度記憶で書いています。

大川氏の著作の「予兆」は読んだのだけど、今探したら見当たらないので。


なので、このあたり後に本が見つかったら大幅修正するかと思います。

特に、CSKが初めて求人広告を出した時の「社長の十八番(オハコ)は クラブでゴーゴー!」の絵は是非見つけ出したいところ。




僕は「予兆」が発売になった時に、ちょうどセガに在籍していました。

ある朝会社に行ったら、全員の机の上に本が置いてあるのですね。


CSK って、会社名は知っていたのですが、それほど知名度もないし、技術力の低い会社だと思っていました。

というのも、大学の先輩で CSK に就職した人がいて、プログラマーのレベルが低すぎる、という話を聞いていたから。


FM-Towns のアフターバーナーとか CSK が作ったものですが、出来が悪かった。

先輩の話と、このアフターバーナーの出来を見て、CSK はちょっと馬鹿にしていた。


だから、会長が出した本を全員の机に置いてあるなんて言うのも、何やってんの? と冷めた目で見ていたわけですよ。

でも、せっかくだからちょっと読んでみることにした。



…考えが改まりました。


会社が大きいので、従業員全員の技術レベルが高いわけではないかもしれない。

(セガだって、比較的技術者のレベルが高かったとはいえ、低い人はたくさんいました)


でも、少なくとも大川氏の考え方は非常に先見の明があったし、偉い人だった。

「予兆」というタイトルも、この先見の明を表したもの。



しばらく後で、「『予兆』読んだ?」って職場のなかまにも聞きました。

誰一人読んでませんでした。やっぱ、会長が出した本を配布した、という行動を馬鹿にして、誰一人開いてもいなかったの。




さて、ここからは「予兆」が書かれた以降の話。


大川氏は個人資産も非常に多く、世界的な影響力もありました。


1995年、G7 の情報通信閣僚会議に、日本の民間代表として出席します。

この頃には、「子供の未来のために何ができるか」を真剣に考えていたみたい。


G7 の際に、大川氏の提唱がもとで、世界中の子供を集めて意見を聞く「ジュニアサミット」が東京で開催されます。

このときは1回限りで、大川氏が提唱しただけあって、ネットワーク技術の活用やデジタルディバイド問題などが話し合われました。


1998年に MIT で同様の会議が行われ、一応はこれが「第2回」と位置付けられたようです。

ただ、サミットというよりは長期間にわたり、世界中の子供の意見を聞く会になった模様。

139カ国から、3000名が参加したそうです。



その後、ジュニアサミットは 2005年~2009年に G8 サミットと同時開催されました。

このときの主催者はユニセフで、貧困や教育、性差別問題などが話し合われています。


2008年には北海道の洞爺湖でサミットが行われ、ジュニアサミットも支笏湖で行われています。


2015年から再びユニセフ主催の形で復活し、今年日本で行われる伊勢志摩サミットでもジュニアサミットが行われます。

大川氏が提唱し、日本で最初に行われたものが、再び日本に戻ってきた格好です。




1998年、個人資産から 35億円を MIT に寄贈。

MIT は子供のコンピューター教育を 1960年代から研究しています。


MIT は、この寄付金により 「未来の子供のための大川センター」を建造することにします。

完成したのは 2010年で、早速「子供にプログラムを教える」ための活動が積極的に展開され始めます。


この頃から、アメリカで「プログラム教育」が盛んになっていくのね。

もちろんそういう時代の流れでもあったのでしょうが、大川センターが時代の後押しはしたように思います。



日本では今年になって、プログラム教育を義務教育化しようという議論が起きているのですが、いまだに勘違いが拭いきれないままです。


日本人が「子供のために」と私財を提供してアメリカの子供が恩恵を受けているのだけど、日本では大人がその考え方を拒否している状態。


残念な気がします。




大川氏は、大川センターの完成を見ずに、2001年3月16日に亡くなっています。

その少し前に、業績の悪化したセガの社長に就任し、資産のほとんど、850億円をセガに寄付しています。


亡くなった時、CSK の名誉会長で、セガの会長兼社長でした。


その後、セガはサミーと合併、CSK も住商情報システム株式会社に吸収され、SCSK と社名変更になっています。



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JAMSTEC 一般公開日  2016-05-22 18:48:38  コンピュータ 歯車 家族

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毎年恒例の JAMSTEC 一般公開日。

今年も行ってまいりました。


始めて行ったの、もう10年前になるんだな。


そのころは職員食堂しか解放されてなくて、食べるのに困りました。

最近は屋台も増えたのですが、ここ2年ほどは「深海ブーム」もあって、それでも食べるのは大変だった。


というか、最初の頃に大変だと知ったので、毎年お弁当を持って行っていきます。


…でも、今年は屋台に長蛇の列は出来ておらず、買おうと思えばすぐに買える状態でした。

見学できる場所も、例年よりも混んでいない。


どうやら、深海ブームはひと段落したようです。




ただ、10年前と違って展示内容は非常に幅広くなっているのね。


以前は、多少駆け足なら「全部見る」ことも可能でした。

でも、今は1日じゃ全部回りきれない。公開日は1日しかないのですが。


勢い、毎年大して内容が変わらないところは見ないことになります。


南部潜り実演とか、高圧試験槽とか、すっ飛ばす。

関連企業ブースは見たかったのだけど、見忘れてすっ飛ばした。

しんかい 6500もすっ飛ばす。今年は うらしま もいたみたいだけど、別に見ない。


でも、子供の要望でスタンプラリーは回ったし、コーラメントスによる「噴火実験」は見た。

毎年同じ実験なのに、子供には楽しいらしい。




今年の目玉は「かいれい」の公開。完成したばかりの新造艦です。


「ちきゅう」ほどの能力はないけど、40m のコアサンプルを、12000mの海底から採取する能力があるらしい。

そのために、ちきゅう と同じように船の位置を保つ、アジマススラスターも持っている。


巨大なクレーンで、海底の岩や泥を救い上げることもできる。

子供たちには「でっかい UFO キャッチャー」と説明した。説明は間違っていないと思っている。




船自体はそれほど多いわけではないのだけど、スペースを工夫していろんな機能を搭載している感じ。

それでいて、居住性も考えられているようで、操舵室も、食堂も、船室も、今までに見た別の船より広い(と思う)。


その分、船の階層が増えているようで、エレベーターまでありました。



さすが最新鋭の船で、船内 WiFi 完備。

そして、WEB ブラウザでアクセスするだけで、操舵室に行かなくてはわからない、船の現在地や向いている方向、傾きなどの情報を得ることができる。


これ、すごいと思うのだけど、すごさに気づいている人少なかったみたい。

タブレット端末を整然と並べてデモンストレーションしていたのだけど、整然としすぎて、そういう「コンソール」が置かれているだけに見えてしまうのね。


WiFi でアクセスできる…と説明を読んで、自分のスマホでも見てみました。

kaimei-wlan という WiFi 基地局が見えましたが、パスワードで保護されていて、アクセスは出来ませんでした。(当然)




どうでもいい話。


「かいれい」から下船したところで、郵便局の方が記念切手売っていました。

JAMSTEC の切ってもあるし、近くの海上自衛隊のものもある。とにかく船の切手です。

(「はいふり」こと、ハイスクール・フリートの切手もあった。でも、僕このアニメ知らない)


ここで、小さい子向けに飴玉配ってた。

「どうぞ」と言われて、じゃぁ一人ひとつづつもらっときな、と子供に行ったところ、「一つと言わず、一掴みで取れるだけいいよ」と。


どうも、その場にいた偉い人が独断で言ったらしくて、他の職員は一瞬「えっ?」って雰囲気になった。

でも、その人が「いいじゃん。一度やってみたかったんだ」と。


一番小さい次女が最初に挑戦。

…一掴みで、20個くらいとれました。個包装された飴玉だから、思い切り握ると袋の端が指の隙間に入り、たくさん持ち上げられる。


「うわ! 思ったより取れるなー」と偉い人。

申し訳ないので、これだけもらえば十分、と長男と長女は取らないように制しました。


多分、つかみ取り最初で最後だよね。




研究室へ。


例年、研究室を公開して実験などを見られます。

超臨界水とか、超臨界水を使った MAGIQ乳化とか、被写界深度を利用して凹凸の高さを測れる顕微鏡とか、過去に変わったものをいっぱい見せてもらってきた。


…でも、残念ながら今年は研究室には入れないようになっていました。

研究室前の廊下に張り出された研究成果を見て回るだけ。


今年一番興味を引いたのは、ゴエモンコシオリエビの飼育条件がわかった、という話。

いままで、飼育条件がわからずにすぐに死んでしまっていたのが、1年以上飼うことに成功したそうです。


条件がわかれば水族館とかで見ることもできるようになるわけだけど、それ以上に「極端な環境下で、生命がどのように維持されているか」がわかることがスゴイことです。


ゴエモンコシオリエビの場合、深海の熱水鉱床で生息しています。

海底の火山で温泉が湧いている環境。


そこで生きるのに必要なのは、この温泉の「熱」なのか、火山からいろいろ出ている「成分」なのか、それとも火山に集まる他の生物なのか…

可能性はいろいろあるわけです。


飼育条件がわかった、というのは、この多数の可能性の中から、利用している要素が絞り込めたということ。



ゴエモンコシオリエビは、食べ物もない環境で、自らの腹毛に硫化水素を栄養にできるバクテリアを増殖させ、そのバクテリアを食べて生きています。

そのバクテリアの増殖に必須なのは、硫化水素の濃度だけで、温泉の熱などはあまり関係なかったそうです。




研究室前の廊下で、チェン氏の講演を聞きました。

鉄で体を作る唯一の生物、スケーリーフットの研究者で、学名にも氏の名前が付けられています。


氏は子供のころから貝マニアで、スケーリーフットが発見されたときに深海の貝に強く興味を持ち、研究者になったそうです。

ここら辺の半生(と言っても、彼はまだ 26歳。この年でオックスフォード大学を卒業している!)を面白おかしく語った講演。


「マニアになると人生踏み誤るからやめといたほうが良い」というのが話の結論なのですが、どう考えても「そういう人生は面白い」と背中を押しているようにしか聞こえません。




いろいろ見ていたらあっという間に終了時間間際。

屋内展示をあまり見ていない、と慌てて本館に飛び込みます。


地球シミュレーターの紹介展示があり、そこでゲーム大会をやっていました。

地球シミュレーターでゲーム! 何て贅沢な! 何て才能の無駄遣い!


地球シミュレーターでは、地球に関する様々なシミュレーションが行われています。

海洋の流れの研究もその一つです。


ここで行われていたゲームは、刻々と変化する海の流れに乗せて、メッセージボトルを遠くへ届けよう、というもの。

日本の沿岸の好きな地点をスタートして、一番遠くまで流した人が勝ちで、商品も出ます。



終了間際で人も少なかったので、ゲーム内容もよくわからないうちに子供たちも参加。

最初に各自の色が決められ、画面上で好きな位置を示すことで、自分の色のメッセージボトルを投下します。


…という体で、Windows 標準の「ペイント」で、示された位置に色のドットをスタッフが置いていました。

おそらく画像が保存されて、ゲーム開始時にそこから色のドットを拾うんでしょう。


みんなが決めたところで、ゲームスタート。「3、2、1」とみんなでカウントすると同時に、スタッフの人がコンソールから「./a.out」を実行します。


a.out って、UNIX でプログラムを作るときに「特に名前を決めていない」と作られるファイル名ね。

1回限りのイベントで作った、どうでもいいプログラムという感じがすごく漂っている(笑)



この後、太平洋の地図の上に、各色の腺が引かれていきます。ボトルの流れた軌跡です。


同時に、画面左上には各色の最初の地点からの直線距離が出ます。

距離が長い順に並ぶので、一目で現在の一位がわかります。


これが、よくできている。

たとえトップを走っていても、急に海の「渦」に巻き込まれてしまい、動きが止まってしまうことがある。

この渦は、いわゆるカルマン渦。刻々と変化し続けるので、すぐ後に同じコースをたどったボトルがあったとしても、同じ動きにはならない。



子供たちが参加したレースで動きを見て、僕と妻も参加します。

さっきのレースの動きを参考に置いてみましたが、先に書いたように海流が刻々と変化するので、わずかな初期位置の違いが全く違う結果を生み出します。


ある程度想像がついて、でも運任せ、というのが非常にゲームとしておもしろい。



ちなみに、地球シミュレータをリアルタイムに利用しているわけではないそうです。

あらかじめ計算した海流データを利用してゲームを作った、というだけ。




地球シミュレータ、いつの間にか第3世代になっているのね…


2002年に完成し、速度で世界一にもなった初代は、640ノードでした。

1ノードは 8CPU で、全体で 5120CPU 、41TFLOPS でした。


2009年に置き換えられた第2世代は、160ノードに減りました。

1ノードはやはり 8CPU で、全体では 1280CPU 。しかし、性能は3倍以上の 131TFLOPS でした。


昨年 2015年に第3世代になっていたそうです。なんと 5120ノード。

今まで、1ノードがロッカーくらいの大きさのコンピューターだったのに、ブレードサーバーになってロッカーくらいのサイズに多数詰め込んだ、ということですね。


1ノードの CPU は1個に減ったのだけど、実は4コア。今までは1コアだったので、CPU = コアとして考えれば1ノードが 4CPU 。

全体では 20480 CPU になり、性能は2代目の 10 倍、1.3PFLOPS。


ちなみに、「2位じゃダメなんですか」という名文句で開発中止にされそうになったスーパーコンピューター「京」は、10PFLOPS です。

想定する利用目的とかが違っていて、計算能力のほかに、データ転送能力などにチューンの違いがあるので、単純に比較できないのだけど。


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ROM と RAM  2016-05-24 17:28:59  コンピュータ

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最近、RAM と ROM の意味が変わった、と嘆いている人がいた。


スマホの宣伝とか見ると、RAM と ROM の容量が書いてある。

ROM は「写真などのデータを置いておくメモリ」という扱いだ。


でも、ROM って Read Only Memory …「読み出し専用」の意味だぜ?

読み書きできる RAM とは違うものだったはずだ。


…というのが、嘆いていた人の言い分。


そうだね。気持ちわかる。


でも、言葉は時代と共に変わるものだ。今は ROM は「読み出し専用」の意味ではなくなった、というだけのこと。

RAM だって「読み書きできる」という意味ではなかったのに、おかしいと言っている人自身がそのことに気付かないのだから。




ROM は先ほど書いたように Read Only Memory 。「読み出し専用」の意味だった。

でも、読み出し専用とはいっても、最初に何か書き込んでおかないと意味がない。


だから、ROM が開発された瞬間から、書き込みの方法はちゃんと用意されていた。


古くは、ROM はスイッチで構成された。

TX-0 の「トグルスイッチストレージ」とか、スイッチだらけだ。

1つのスイッチの ON/OFF で、1bit の 0/1 を表せる。


人間は値を変化させられるけど、コンピューターからは操作できない。読み出し専用、と言える。

(と言っても、当時は ROM とは呼ばれていなかったのだけど)


半導体メモリが開発されたとき、1度だけ書き込める「プログラマブル ROM」というのが作られた。

その後、消して書き込み直せる「イレーザブル・プログラマブル ROM」(EP-ROM)というのも現れた。


これらは、書き込みも消去も、回路から外して特殊な操作をする必要があった。

まだ、コンピューターからは読み出し専用だ。


転機が訪れたのはそのあとだ。電気的に消去できる「エレクトリカル EP-ROM」(EEP-ROM)が作られた。


容量は小さいし、書き込みのスピードも遅い。

それでも、昔の業務用テレビゲームのハイスコア保存とかに使われている。


ここら辺から、「読み出し専用」ではなくなっていく。

でも、RAM とは区別された。RAM は通電しないと内容が消えるが、ROM は通電しないでも内容が消えないもの、とされていたためだ。

(この後書くけど、この認識は正しくはない。でも、当時としては常識だった)



EEP-ROM は1ビットづつ消去を行ったので遅かった。

ちなみに、遅いのは消去で、書き込みも読み出しもそれほど遅くはない。


じゃぁ、消去の仕組みだけを数百~数千ビット分用意して、ある程度まとめて消してしまおう、という発想が生まれる。

順番に消すのではなくて同時に消す。だから、1bit 消す時間で、数千ビットを消し去ることができる。


これが Flash EEP-ROM だ。今では Flash ROM とか 単に ROM と言われている。


スマホに使われているのは Flash ROM なので、写真のデータなどを保存できる。

読み書き可能だけど、通電しなくなっても内容が消えないので「ROM」という扱いだ。




これに対して、RAM は Random Access Memory 、「自由にアクセス可能なメモリ」の意味だ。

Random を「読み書きのどちらでも」の意味だと思っている人が多いのだけど、そうではない。


コンピューターの黎明期は、メモリとして遅延管とか遅延線という素子がよく使われた。

「音波」が電気よりも十分に遅いことを利用した仕組みで、音として情報を保持しておく。


音なので、コントロールは出来ない。

メモリ素子に「書き込んで」、音が逆の端に到達するときに「読みだす」。

読みだした内容をすぐにまた書き込めば、情報を保持しておくことができる。


特定のメモリ内容を読み出したいときは、その情報を読み出すタイミングまで待つ。

連番アドレスに入っているデータは連続して読み出せるが、離れたアドレスだと待ち時間が多くなる。



この、遅延線の仕組みはとても遅いものなので、好きなアドレスを指定してすぐに読み書きできるメモリが考案された。

これが「自由にアクセス可能」という意味になる。



ところで、歴史的な経緯をすっ飛ばすと、RAM といえば「コアメモリ」だった時代がある。

コアメモリに書き込んだ内容は、通電しなくなっても失われない。


この時代には、ROM は特に必要なかった。

まぁ、全く存在しないのかと言えばそうではなくて、先に古い ROM の実装例として書いた TX-0 なんかはコアメモリを使用していた。


TX-0 の場合、コンピューターから見たら「読み出し専用」なので ROM だというのは事実だ。

でも、使われ方としては、ユーザーがコンピューターにデータを与えるための、ユーザーインターフェイスだった。

現代の ROM とはちょっと事情が異なっている。




さて、インテル社は半導体メモリを提供し、コアメモリを駆逐することを目標に作られたベンチャー企業だった。

コアメモリは電気がなくても内容が消えない、という優れた特性があったのだけど、インテル社が設計していた RAM はそうではなかった。


だから、消えては困る内容を収めておく、ROM も同時に開発する必要があった。


インテル社は数奇な運命のめぐりあわせにより、メモリ開発のベンチャー企業だったのに、最初のメモリ製品の製造より前に CPU の開発を始める。


製品としては半導体メモリが先で 1969年に出ている。SRAM だったそうだ。

CPU 4004 を含む 4000シリーズは 1971年だ。


4000 シリーズのデータシートには、4001 が ROM で 4002 が RAM 、とはっきり書かれている。


ROM や RAM という言い方は当時一般的だったのだろうか?

少し後の時代だけど、PDP-11 のオプションカタログを見てみた。


1976年のカタログには「メモリーユニット」がたくさん載っている。

READ ONLY MEMORY もある。BOOTSTRAP LOADER とも書かれている。ROM とは略されていない。

RANDOM ACCESS MEMORY という表記はなく、もちろん RAM もない。


この頃は、コアメモリが一般化しているので「メモリー」と言えばランダムアクセスなのが当然だった。

ROM を区別する必要はあっても、その対義語が RAM だったわけではない。


ところが、1983 年のカタログになると、メモリモジュールの説明が「RAM Module」と「ROM Module」になっている。

この頃には RAM の意味が変化して、ROM の対義語になってしまったのだろう。


対義語としての ROM と RAM という言葉は、おそらくインテルが使いだしたのではないかと思っているけど、資料不足で決定的な証拠は見つけられていない。




さて、昔話は終わり。


最近使われる用語である、読み書きできる ROM 、というのに違和感がある人は多いと思うけど、言葉は時代と共に変わるものだ。


歴史的には ROM と RAM は対義語ではなかったけど、半導体メモリの台頭によって対義語になってしまった。

それが再び、性質が違う、というだけで対義語ではなくなろうとしている。


言葉は伝えるための手段だから、常にその時代での言葉の使われ方を把握しておくことが大切。

以前と意味が変わってきたな、と思っても、言いたいことが伝わっているのであればそれでいいんじゃないかな。



新しい時代に対応していこう。


…ちなみに「新しい」(あたらしい)って言葉も、誤用から広まったものだ。

今では誰も間違っているなんて言わないし、間違っていることに気付きすらしないけど。


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