歯車6ページ目の日記です

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2014-08-27 レフ・テルミンの誕生日(1896)
2014-09-11 山本卓眞さんの誕生日(1925)
2014-09-15 エンジニアの日(インドの祝日)
2014-10-07 バーコード特許成立の日(1952)
2014-10-09 日本がメートル条約に加入した日(1885)
2014-11-02 ホビーパソコン・オフ会
2014-12-07 ハイキング
2014-12-10 エイダ・ラブレイス伯爵夫人の誕生日(1815)
2014-12-18 コンラッド・ツーゼ 命日(1995)
2015-01-20 高柳健次郎の誕生日(1899)
2015-01-20 SIMON は世界初のPCか?
2015-04-04 ジョン・ネイピア 命日(1617)
2015-04-13 春は忙しい
2015-04-13 LiCa HOUSe
2015-04-20 海上安全技術研究所
2015-04-27 サミュエル・モールス 誕生日(1791)
2015-04-29 「オセロ」 発売日(1973)
2015-05-05 3度、理科ハウスへ
2015-05-07 エドウィン・ハーバード・ランド 誕生日(1909)
2015-05-12 世界初の「プログラム可能な機械」発表(1941)
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レフ・テルミンの誕生日(1896)  2014-08-27 11:17:44  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はレフ・テルミンの誕生日(1896)。


不思議な電子楽器「テルミン」に名を残す、ロシア生まれの博士です。

ロシア革命後、人間が近寄ったことを感知する「近接センサー」を研究している過程で、人間との距離を音階・音量で表現する楽器「テルミン」を作り出しました(1920)。




僕は音楽にはそれほど詳しくなくて、テルミンも「音を出した」ことはあるけど、演奏とは程遠いレベル。

もっとも、テルミンの演奏は非常に難しく、音楽ができれば使える、と言うようなものではないです。


音楽って、本来連続している音の周波数をあえて「区切る」ことで、人間が認識しやすい数にまとめることで成り立っています。

だから、ピアノでは鍵盤があるし、ギターではフレット(弦の押さえられる位置を決める凸部)があります。


でも、テルミンは「距離」によって音階を決めるので、音が自由に出せすぎてしまい、音楽になりません。


バイオリンもフレットがなく自由な音が出せてしまうため、テルミンは演奏方法は全く違うものの、「バイオリンと類似する楽器」として使われることが多いようです。


ただ、バイオリンの物まねをするのであれば、最初からバイオリンを使う方がいい。

テルミンの性能を最大限に引き出した演奏は、テルミンでしかない味わいが出ます。



「テルミン」と言う映画があります。博士の辿った一生をインタビューなどを中心にまとめた映画ですが、公開された 1993年に博士は亡くなっています。

(作成時点では博士は生きていてインタビューに答えているので「半生記」とすべきなのかもしれません。

 しかし、事実としては博士はインタビュー直後に無くなってしまったため、事実上は博士の一生を追った映画となっています)


日本では 2001 年に夏に公開され、興味があったので見に行きました。

恵比寿ガーデンシネマでの単館上映でした。


映画の内容は…えーと、よく覚えてない!


僕のページ、1996 年からやっているけど、2000年前後に一旦閉鎖して、2001年秋から再公開しています。

そのため、テルミン見た、と言う日記もありません。残念。



手元に今、映画のパンフレットというか、映画について書かれた小冊子があります。

映画館で買ったものなのですが、いわゆるパンフレットのサイズではなく、文庫本サイズ。


普通のパンフレットにしていないのは意味があって、カバーの中に3冊が収まっているのです。


1つは、楽器テルミンと博士の一生について解説した冊子。

もうひとつは、テルミンに魅せられた音楽家や、関係者、映画を一足先に見た著名人などからのメッセージ集。


最後の一つは、冊子ではなくて折りたたまれた紙。広げると、テルミンの回路図が描いてあります。

テルミンは古いだけに回路が単純で、その気になれば簡単に作れます。




メッセージ集には、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンや、最高のテルミン奏者であるクララ・ロックモア、シンセサイザーの始祖として有名なモーグ博士の談話も載っています。


モーグ博士は、「モーグ」シンセサイザー(1965)の開発者として有名ですが、元々テルミンに感化され自分でテルミンを作って販売し、その過程で音を自由に作り出す原理を学んでシンセサイザーを作成したのだそうです。



PDP-8 で MUSYS(1969)を作った Electronic Music Studios Inc. もシンセサイザーメーカー…ということはモーグの影響を受けていますし、MML の始祖と僕が考えている SCORTOS(1977) も、モーグのシンセサイザーを含むいくつかの電子楽器をコンピューターで操作するシステムでした。


なので、テルミン - モーグ - 現代のコンピューター音楽というのは、明らかにつながっているのです。




クララ・ロックモアは、博士から直接演奏法を教わり、博士より上手に演奏ができるようになった、当時最高のテルミン奏者でした。


奏者はそれなりにいたのですが、クララの演奏は次元の違う音です。

映画では、多くの演奏者が出演するのですが、明らかにレベルが違っていました。


クララの演奏は、Youtube などで見ることもできます。


最初に人間との距離によって演奏する、と書きましたが、クララの演奏では手の形を変えています。

厳密に言えば、人間との距離、ではなく、アンテナが電圧を持つことで人間との間に静電気が溜まり、この静電容量によって音を変えています。


距離が変われば静電容量も変わるのですが、電場中の「面積」が変わっても静電容量が変わります。

クララは、手の形を微妙に変えることにより、これをコントロールしているのです。


演奏には非常に集中力が必要なだけでなく、周囲の観客の動静までもが「静電容量」に影響を与えてしまいます。

このため、演奏中は周囲の人も静かにしていなくてはならないそうです。




映画を見に行った頃は、「テルミン」というのはそれほど有名ではない楽器でした。


それ以前にテレビで見たことがあって興味を持っていたのですが、日本で映画公開するまでに 8 年かかっているので、たぶんテレビで見たのもアメリカでの映画公開後だったのでしょう。


今では日本でも知名度が上がっています。

「テルミン」と言えば、名前くらいは知っている人が多いのではないかな、と言う程度には。



先に「クララ・ロックモアの演奏は次元が違う」と書きましたが、それは映画公開前の話。

今では、日本でも非常に高いレベルの演奏を行うテルミン奏者が多数います。


遊んでみたいなら雑誌の付録で入手できてしまうくらい。


もっとも、最初に書いた通り僕はそれほど音楽に詳しくなくて、生演奏のコンサートを見に行ったこともないですし、テルミンも持ってはいません。



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10年 デジカメ購入

10年 家族旅行・2010年夏(目的地まで)

10年 家族旅行・2010年夏(富士サファリパーク)

10年 家族旅行・2010年夏(ぐりんぱ)

10年 家族旅行・2010年夏(宿)

10年 家族旅行・2010年夏(富士急ハイランド)

10年 家族旅行・2010年夏(帰り)

12年 サーバー故障中間報告

12年 夏休み最後のイベント


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山本卓眞さんの誕生日(1925)  2014-09-11 11:51:05  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は山本卓眞さんの誕生日(1925)


元富士通の会長さんです。2012年に亡くなっています


でも、富士通と言う大きなコンピューター会社の会長さんだったから…と言うような甘い理由で紹介したりしません。

元々たたき上げの技術者で、日本のコンピューター黎明期に、独自のコンピューターを設計したチーム(たった3名!)の一人でした。



話は 1950年にさかのぼります。


日本は第2次世界大戦中、1945年に原爆を落とされて無条件降伏を行っています。

この後、戦後は混乱と貧困の時代でした。


しかし、1950年に、朝鮮戦争が起こります。

北朝鮮にはソ連が、韓国にはアメリカが支援を行い、この際アメリカは日本を基地として使用しました。


これにより特需が起こり、日本経済は一気に回復へと向かいます。

この際、株式市場では計算が間に合わなくなり、パンチカード会計機の導入が検討されます。



この際に、富士通にパンチカード会計機を作ってみないかという誘いが来ます。

当時の富士通は電話交換機を作るメーカーでしたが、電話交換機で使われるリレー回路で計算が行えることは、多くの技術者が知っていました。

富士通も、小規模な計算機を作成して多少のノウハウは持っていました。



富士通には池田敏雄という「天才」技術者がいました。

彼は以前からコンピューターに興味を持っており、独学でアメリカから取り寄せたENIACの回路図を元に、小さな回路を動作させたりしていました。


彼を設計の中心として、交換機の設計などを行っていた山口詔規さんと山本さんが補佐として付けられました。

この3人で設計を行うことになります。



池田さんについては、いつかまた書きたいと思うのですが、いろいろ逸話の多い人です。

とにかく、日本のコンピューター黎明期を一人で支えた大天才。


山本さんは池田さんが思い付きのままにどんどん作り出す回路…基本回路だけで5000種類以上一人で短期間に書きあげたそうですが、これらをまとめ上げていく作業を行っていたのだとか。


ただ、池田さんは締め切りのことなど気にせず、面白そうなアイディアをどんどん形にしていくため、最終的にこの計算機は納期に間に合わず不採用。

(厳密に言えば、納期の時点で動作する形にはなったが、信頼性が十分でなかった)



しかし、これにより富士通のコンピューターの「基礎」が出来上がり、続けて富士通初のリレー式計算機となる FACOM の設計に入ります。

この際も、山本さんは中心メンバーの一人を務めています。


FACOM は、最初はリレー式計算機として、後にはパラメトロン(これもいつか詳細を書きたい電子部品)、そしてトランジスタ式のコンピューターへと発展していきます。



池田さんは後にくも膜下出血で急死します。




ここに書いてある内容の多くが「池田敏雄」の物語であることがわかるように、富士通の(そして日本の)コンピューター黎明期を牽引したのは、池田さんでした。

山本卓眞氏は「チームの一員として手伝った」のにすぎません。


しかし、山本さんは富士通の要職についてから、最も近くで見てきた者として、「天才池田敏雄」の存在を伝える語り部のような役割を自ら担って来ました。

山本さんがいなければ、池田さんの物語を詳細に知ることもなかったという点で、山本さんもまた重要人物だと思うのです。



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エンジニアの日(インドの祝日)  2014-09-15 13:10:27  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はインドの祝日、「エンジニアの日」。


インドで多くのダムを作ったエンジニア、Sir Mokshagundam Visvesvaraya (…読めない。モッシャンダム・ヴィスヴェスバラーヤ、でいいのかな?)の誕生日にちなんで制定されました。


なんでインドの祝日の話なんて出すのかって?

世界中で「エンジニアの日」が制定されているのに、日本にはないからですよ!



エンジニアって、国の知的生産力を支える非常に重要な存在です。

だから、多くの国で、祝日にまではなってないにせよ、エンジニアを称える日を制定しています。


先日、ロシアの「プログラマーの日」だと書いたけど、ロシアはエンジニア関係をものすごく讃えていて、宇宙飛行士の日もあるし、宇宙飛行士を称える壁画(レリーフ)も公式に作っています。

このレリーフの中には、宇宙飛行士だけでなく、科学者やロケットの設計技師、プログラマーなど、多くの技術者の姿も描かれている。ロシアでは、技術者は讃えられているのです。



アメリカでは「フリーメイソン」って組織があって、ムー的には悪の秘密結社だったりするけど、もともとは石工組合から起こって、エンジニア一般の組合になったものだとされてます。

シンボルの1つは、コンパスと直角定規で、エンジニアであることを意味するものです。


中世においては、エンジニアは尊敬され、特別な地位を持っていました。

だから職業組合が発達して、政治にまで影響力を及ぼすようになったのです。

(ムー的に悪の秘密結社なのはこのためで、フリーメイソンが政治を動かして歴史を闇で動かしていると…)



そんなわけで、世界中でエンジニアは称えられるのだけど、日本ではエンジニアって軽んじられる存在。

社会基盤を支え、日常生活を守ってくれているのに、大抵は給料も安くて仕事もきつい。


エンジニアになりたい、なんて人はどんどん減っています。

そして、それは生活を脅かす事態でしかないのに、多くの人はそのことに気付いていません。


なぜなら、エンジニアは軽んじられているから。

彼らが社会を支えていることは気づかれておらず、いなくなっても問題はない、くらいにしか認識されていない。




もちろん、エンジニアの重要性をわかっている会社はありますよ。

ものづくりをしている会社は、エンジニアがいないと商品が開発できない。

そういう会社はエンジニアを大切にしている。


それでも…そういう会社ですらも、エンジニアはあまり日の目を見ることが無い。



なぜ日の目を見ないかと言うと、技術上の苦労話をしても、誰も興味を持たないから。

ここでも、「会社内」では大切にしていても、「世間一般」との常識の乖離により、エンジニアは称えられることが少ないのです。


エンジニアが重要である、というのは、心ある一部の会社や組織内だけでの認識で、世の大多数にとってエンジニアなんて興味の対象外なのです。




インドでは、カースト制があります。

仕事は世襲制で、子供は親の仕事を受け継ぐか、もっとカーストの「下位の」仕事をするしかない。


これ、悪いように言われますが、昔から続く生活の知恵でもあります。


インドは昔から非常に人口が多かったので、皆で仕事をわけあわないと、失業して死者が出た。

だから、仕事を細分化し、自分の仕事以外は「やってはならない」ことにして、みんなに仕事が回るようにしたのです。

そして、無用な競争を避けるため、ある種の仕事をする人が急に増えたりしないようにしたのです。


このカースト制にはちょっとしたトリックがありまして、今までになかった新しい仕事と言うのは、カーストの「最下層の仕事」とされます。

それがどんなに重要な、金を生む仕事であってもです。


エンジニアも比較的新しい仕事のため、カーストの最下層の仕事。

でも、重要技術なので非常に金を生みます。国力を上げ、国民全員を幸せにする仕事でもあります。


だから、インドは貧困層に対し、エンジニアになるための教育を熱心に行っています。

優れたエンジニアになることは貧困から抜け出すチャンスでもありますし、優れたエンジニアはみんなのあこがれでもあり、尊敬されるのです。


カーストと言うのは宗教上の物であって、経済上の「儲け」や、民衆の「尊敬」とは別物。

ここが非常に良くできていて、カースト最上位の王様はもちろんお金持ちで尊敬されますが、カースト最下位のエンジニアも、優れていれば金持ちで尊敬される存在になれるのです。


そして、優れた技術を持ち、国民を幸せにしたエンジニア…Sir Mokshagundam Visvesvaraya は、王からも尊敬されるような人物でした。

だから、誕生日が祝日とされたのです。



インドでは、映画スターもカースト最下位の仕事ですね。

インドでは映画産業が盛んで、時々世界的に有名になる映画が出るのは皆さんご存知の通り。




翻って日本。


最初に書いたように、エンジニアは軽んじられています。

というか、エンジニアに必要な「論理思考」自体が軽んじられている雰囲気がある。


必要なのは、理系の知識「ではなく」、論理的な思考ができるかどうか。


でも、今の日本では、論理的な思考を展開する人は、めんどくさい人であり、ウザイ奴であり、疎んじられます。

もっと軽い、直情型の人の方が注目を浴びやすい。


それが悪い、と言うのではないですよ。多様性は重要なことです。直情型の人材はみんなを牽引する力を発揮します。

世にとって重要な人材であることは間違いありません。


ただ、そうした人材が注目を浴びることと、その逆のタイプが疎んじられることは別問題。

違うタイプは車輪の両輪ですから、逆のタイプにももっと注目が集まらないといけない。



まぁ、わかっている人はわかっていて、この傾向は1980年代ごろから起こり始めたのですが、1990年ごろには「将来のエンジニアを育てなくては」と言う動きは各所で始まっています。

2008年から始まった「未来技術遺産」登録の制度なんかも、もっとエンジニアリングの重要性を伝えていこうという意図があるし。



取り組みは数多いので、徐々にでも変わってくれればよいかと思います。


この文章を読んだ人が、少しでも「技術者のお仕事」に興味を持ってくれれば…いや、興味を持たないでもいい。町工場で油まみれで機械作っている人を「実はすごいのかも」って思ってもらえるだけでも、世を変える一歩となるでしょう。




蛇足1。


長い文章を書いていると、すぐに盛り込めない話題が出てしまいます (^^;

文章下手でスミマセンが、蛇足の追記。


アメリカでは「国民全員がコンピュータープログラムを出来るようにしよう」という政策で盛り上がっています。


一方、国内では職業プログラマーであっても「そんなこと、できるわけないじゃん」と言う反応。

まぁ、職業プログラマだからこそ、プログラムの難しさを知っていますからね。



でも、ちょっと誤解がある。

「全員がプログラムできるように」というのは、本当にコンピューター言語を使いこなせるようにすることが目的ではなくて、論理的な思考力を身につけさせよう、と言う意味合いです。


論理的な思考能力を身に着ける一番手っ取り早い方法は、自分でプログラムをしてみること。

人間相手に教えてもらっていたら時間の制限などもありますけど、コンピューターはあなたがどんなにエラーを出しても、根気よく付き合ってくれます。

あなたも投げ出さないでやり続ける必要がありますけど。


そして、見事に思い通りに動けば、それが正解だと瞬時にわかります。



別の方法でも論理的な思考力は養えるけど、「プログラムが作れるように」というのは、わかりやすいし、誰もが試しやすい方法ではあるのです。




蛇足2。


「ジョブズみたいな人材が現れない」と嘆く人が多いけど、実は必要なのはウォズだ、と言う話でもあります。

ジョブズはウォズが支えたから最初の成功を得て、その後の仕事に繋がったのですよ。


優れたエンジニアがいないと、優れたアイディアは世に出ないのです。



#日本には、優等生的に「優れた」エンジニアは多数いますが、ウォズみたいな変態(褒め言葉)レベルはあまりいないように思います。



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バーコード特許成立の日(1952)  2014-10-07 06:28:38  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はバーコードの特許登録が成立した日(1952)。


…って、去年も書きました

でも、去年の最後に「バーコードの仕組みとかいつか書きたい」って書いたままでしたね。


せっかくなので、去年に続いてバーコードの話を書きましょう。


#去年の話はバーコードの歴史でした。興味ある方は合わせてお読みください。




バーコード、非常に巧妙に作られているんですよ。


まず、桁数について。昨年の話に書きましたが、1970年に11桁で作られた、米国の小売店用のコードが発端です。

しかし、利用が広がり、カナダも同じコードを使うことにして、1973年に1ケタ増やした12桁となります。


さらに1977年、ヨーロッパを中心に世界中で使えるコードとして作り直され、さらに1桁を追加して13桁となっています。

現在日本で使用されているのも、13桁のものです。


13桁の内訳は、先頭2桁が国別コードです。日本では非常に良く使用されるため国内で使用できるコードが足りなくなり、49と45の2つが発行されています。


続いて、国内でメーカーごとに割り当てられるコードが5桁。

メーカーの中で、商品を識別するためのコードが5桁。ここまでで12桁です。


#国別コードが3桁の国もあります。

 また、国コードの後ろは、国ごとの取り決めによります。

 国内では、メーカー5桁+商品5桁が一般的ですが、商品の少ない中小企業などにはメーカー7桁+商品3桁が割り当てられます。


そして、12桁を適切に計算して導き出される1桁。読み取り時、計算が合わない場合は「読み取りミス」となります。

これで13桁。




…と、ここまでは結構知っている人が多い内容。

でもこれは、「数字で商品を表す」という仕組みであって、バーコードの仕組みではない。


バーコードがしくみとして巧妙なのはここからです。

バーコードは、モールス信号のような「信号のありなし」で数値を表しています。


ちなみに、モールス信号では、信号が4つあります。

短い音、長い音の2つは良く知られていますが、「短い無音」と「長い無音」も同じように重要なのです。


バーコードでは、黒い部分と白い部分の太さが変わります。

この「太さ」には、1~4の4段階があり、白と黒を2つづつ組み合わせると数字1桁が作られます。


また、数字一桁は、必ず「太さ7」になるようになっています。

つまり、もし太さ4の黒い線が現れたら、あとは全て太さ1で空白、線、空白。合計太さ7です。


ちなみに、線と空白は2つづつなので、隣同士の線や空白がくっついて、太さがわからなくなることはありません。


このように「太さ」を手掛かりにして読み取る方式であるにも関わらず、バーコードのサイズは伸縮自在です。

サイズを変更しても読み取れなくてはならないことになっています。(拡大縮小範囲の基準はありますが)


これは、最初と最後、それに中間位置に、常に共通のサイズの信号が描かれているため。

これを手掛かりにすることで、他の部分の線のサイズを認識するのです。




もう1つ、バーコードの重要な秘密があります。

バーコードは、左からと右から、どちらからでも読めるように、規格が左右対称に作られているのです。


左右の両端にある「共通信号」は、細い線を、細い空白で挟んだもの。太さ3になります。

左側の数字は、1桁の左端が空白から始まり、右端が線で終わります。このため、左端の共通信号とくっついてしまうことはありません。

右側は逆に、1桁の右端が空白から始まります。


そのままでは、中央で「黒い線」同士がくっついてしまう…のですが、そうならないように中央の信号があるのです。

ここは、両端と同じ「細い線2本」を、さらに空白で囲んだ、太さ5の信号となっています。

そして、空白で囲んであるので、黒い線とはくっつかないのです。



でも、左右対称だと、逆に読んだ時に違う意味になってしまいそう。


しかし、実際にはそんなことはありません。180度回して読み込んでも、必ず正しい数字を認識できるのです。

どうなっているのでしょう?



実は、バーコードの中央から右側の半分は、必ず「1桁ごとに見ると、黒い部分の幅の合計が、偶数になる」ように作られています。

その決まりを守ったうえで、10種類の数字に線と空白の組み合わせを決めてあるのです。



そして、左側半分は、基本的には「右半分の色を逆転したもの」で数値を示します。

左側の 0 の記号を白黒反転すると、右側の 0になります。他の数字も同様。


この時、1桁の幅は7ですから、白黒を反転すると、黒い部分の幅の合計は必ず奇数になります。


左半分では黒い部分の幅の合計が偶数。右半分では奇数。

これによって、左側と右側を見分けているのです。

非常に巧妙です。




ところで、「中央に記号がある」と書きました。

バーコードは、13桁の数字を示しています。中央で分けられないのでは…?



実は、上に書いた仕組みは、現在のバーコードの元となる、アメリカとカナダで使用した 12桁時代の物なのです。

現在の13桁用は、もう一工夫してあります。


右側と左側では、同じ数字を表す記号の白黒が反転している、と書きました。

現代では、左側にのみ、「白黒反転」するのではなく「左右反転」したものが混ざることになっています。


白黒反転すると黒い部分の幅の合計が奇数になりましたが、左右反転では偶数です。

このため、記号としては全く別のものになり、間違えることはありません。


先に書いたように、右側用は必ず右端が白で、左側用は左端が白です。

反転するのでこの決まりにもあいます。もちろん、右側用と違う記号になり、間違えることはありません。


たとえば、 0 という同じ数字であっても、左半分では2種類の記号、右半分ではそれとは違うもう一種類の記号があるのです。



あれ、でも単に左右を反転しただけじゃぁ、「180度逆に読んだ時」はどうなってしまうの?


これも大丈夫。左側に時々「右半分の左右反転が入る」とはいっても、6桁の半分の3つだけ、と決められています。

(または、「全く入らない」こともあります)


このため、上下逆にバーコードを読み込ませても、これも正しく方向を識別できます。


非常に巧妙に出来ています。



そして、「半分の3つ」偶数の記号が入った時、これがどこに入るかの組み合わせが、全部で9種類あるようになっています。

これにより、1~9の数字を示すことができるのです。

(ちなみに、「全く入らない」ときは0になります)


これが先頭の数字。

バーコード自体は基本的に 12桁時代のままのサイズなのですが、内部の記号の持ち方を工夫することで、1桁多く記録しているのです。




改めてまとめると、


1) 右側は、1つの数字が1つの記号(白と黒2つづつの組み合わせ)に対応している。

2) 左側は、1つの数字が2つの記号に対応している。

3) 左側の数字が、桁ごとにどちらの方法で書かれたか、の組みあわせで、さらに数字を1つ作り出す。


3 で作られた数字は、13桁の先頭に位置するものとされています。

そして、ここを 0 と見做すと、12桁の頃のアメリカ・カナダのバーコードと互換性を保ったままになります。


先頭が 0 の場合、この後に書く「チェック」の計算にも影響を与えません。

(チェックは基本的に足し算で行われるため)


#国際的な 13桁バーコードは、アメリカでの12桁バーコードの成功を見て拡張されたものです。

 すでに普及しているアメリカの体系とは互換性を保ったまま、アメリカのバーコード「以外」の数値領域を確保する必要がありました。

 このために、非常に巧妙に拡張が行われているのです。




さて、数字を読み取る部分までは以上ですが、読み取った数字を最後に「チェック」しなくてはなりません。

最後の数字を除く12桁を決められた方法で計算し、その結果が最後の桁と一致しなくてはなりません。


チェックの方法としては、奇数桁と偶数桁を別々に足し合わせます。

そして、偶数桁だけを3倍し奇数桁と足します。


その1の位だけを取り出し、10から引きます。


 10 - (((奇数桁合計)+(偶数桁合計)*3) mod 10)


これが、最後の1桁の数字と一致すれば読み取り成功、失敗すればエラーです。




もう一度書くと、次のようにしてバーコードを読み取ります。


1) 端から順に、白と黒を判別。両端と中央には決まった太さの線があるので、その太さを基準として認識。


2) 白と黒の2つづつを組にして分離。これが1桁。中央で分けて、6桁づつ存在。

 1桁は太さ7になるので、1 で認識した基準とも照らし合わせ、線の太さを認識。


3) 片側の1桁ごとに、黒い部分の合計の幅を認識。すべて偶数なら右側。半分、または全部奇数なら左側。


4) 左右が逆なら、逆の状態で読み取られている。読み取った白黒の情報を逆にする。


5) 左側の数値を認識。この際、黒い部分の合計幅の奇偶の組み合わせで、表記されていない頭の1桁を導き出す。


6) 右側の数値も認識。これで合計 13桁が揃う。


7) 先頭の12桁を計算し、最後の1桁と一致するかチェック。



7 まで全部成功すれば読み取り完了です。

途中で想定外の事態が起きた場合、読み取りがうまくいっていないので、そのまま 1 に戻って読み取りを続行します。


お店の人が「なかなか読み取れない」と商品を一生懸命スキャナに向けているときは、途中のどこかでエラーが出続けているわけです。



実際の記号と数字の対応などは省いて、ざっくり説明しました。

もっと詳細を知りたい人に別のサイトを紹介しようと思ったのですが、いいサイトが見当たらない。


ここが比較的詳しいかな。

バーコードの仕組みと作成方法




さて、急に話は変わってデザインバーコード


デザインバーコード社が考案し、特許を取ったうえで活動しています。

最初は「こんなこと考えた」という内容の本を出したのですが、妻が面白がって購入し、この本家にあります。


#発売時はタイトルの通り「革命的」な新しさがあったのだけど、今読んでもそれほど感動は無いかも。

 基本的にはバーコードで遊んでみたデザイン集。読み物ではなく、10分で読み終わります。

 まぁ、古本は安いので気軽に読んでみるのも楽しいかも。



上に書いたように、バーコードは巧妙な仕組みですが、結局は「白黒の線」さえ読めればそれでいい。


でも、商品のパッケージデザインする人にとっては、頭の痛い問題だった時期があります。

バーコード以前にデザインしたパッケージの一角を急に「白抜き」にしてバーコード印刷されたりして、全体デザインが台無しになってしまうことも多かった。


#当時、缶詰のパッケージなどをしていたデザイナーの方が、デザイン直しなら格安でやるからひと声かけてほしい…と嘆いていました。


そこに提唱されたのがデザインバーコード。

バーコードは結局のところ1次元の線の上で白黒の縞模様が付いていればいいのです。


じゃぁ、必要な部分はしっかり確保したうえで、その周辺に絵を描いて遊んじゃおう、という内容。


今では実際の商品でも結構使われています。じゃがりこのパッケージとか有名。



基本的にはパッケージ全体に「笑い」の要素を求めるものなので、お菓子とかジュースの使用例が多いみたい。

我が家の扇風機は、バーコードが波になってサーフィンしてました。


#しかし、この扇風機海外製の安物なので、特許無視で勝手にデザイン真似してるのかもしれません。



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日本がメートル条約に加入した日(1885)  2014-10-09 20:42:41  歯車 今日は何の日

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今日は、日本がメートル条約に加入した日(1885)。


長さの単位としては、現在では世界中で「メートル」が使われていることになっています。

まぁ、アメリカではフィートを使っていたりもしますが、それでもメートルも認知はされている。


それ以前の世界では、大抵は「人間の体の一部」が長さの基準になっていました。

古くは古代エジプトで使われたキュービット(肘から中指の先までの長さ)とか、古代中国から日本に伝えられた尺(親指から中指の先まで)とか。


でも、人間の体の一部が基準だと「誰の?」というのが問題となる。人によって違うからね。

キュービットなら、その時のファラオが基準だったし、尺は時代と共に大きくされ、最後には30センチ以上になった。


なんで大きくなるのかって?

重さや長さの基準は時の為政者によって定められましたが、定めないといけない理由は「税を納めるときの単位だから」です。

大きいほうが税を多くとれるから、どんどん大きくなるのです!




で、恣意的に長さが変わるし、当然国ごとに長さの基準が違うので、これでは不便だから長さをそろえよう、ということになりました。



呼びかけたのはフランス。これにヨーロッパのいくつかの国が賛同します。

でも、どこかの国の単位を使おう、とか、どこかの国に由来するものを単位にしよう、というのでは不公平。


そこで、スケール大きく「みんなの暮らす地球」を単位とすることにしました。


当時も地球の大きさの概要はわかっていました。

そこで、赤道から北極までの長さを測り、その 1000万分の1なら大体使いやすい長さとなるだろう、と決まりました。


ただ、決めるからには正確にやらねばなりません。

呼びかけたフランスが中心となり、大規模な測量が行われます。

長さも場所によって多少は異なる、と判っていたので、「パリを通る線」と決められました。


この測量には3年を要しましたが、1799年、ついに新しい「メートル」が決まります。

ちょうど1メートルの長さに、錆びにくい白金を使った板を切り、これをフランスの国立中央文書館で保管しました。




しかし、実際にメートルが使われ始めるのはずっと後。


国際的な長さの単位にしよう! とメートルを定めたものの、なかなか新しい単位は使われませんでした。

これではいけない、国際的に普及させようと、1867年のパリ万博を機に、フランスはメートルを国際的に広める活動を開始します。

1870年に、メートルを国際的な単位とするための会議が開かれます。

日本がメートル条約に加盟するのも、こうした一連の会議の途中から(1885)。


メートルは地球を単位としている、という点で理解は得やすかったものの、何かあった時に再度基準の長さを測りなおして再定義…と言うのには不便な単位でした。


そこで、フランスが持っていた「メートル」単位の板を元に、改めてメートルを再定義します。

この板こそが「メートル」の基準であり、もう地球の長さは関係ないことになりました。


そして、この板と同じの棒を再び白金で30本作り、1889年に参加各国に配布します。

各国では、この棒を元に「メートル」を定義しました。


この棒は「メートル原器」と呼ばれました。




しかし、これもまたおかしな話です。

各国ごとに長さが違うのが問題だから「メートル」を作ったのに、各国ごとに別々に保管する棒が、その国における「メートル」なのです。


棒は金属製なので、厳重に管理しても温度によって誤差が出ます。

長さの基準とするのは「0度の時の長さ」と決められていましたが、そもそも、工作精度の問題で、作った時から長さはほんのわずかづつ違うのです。

(作り方が悪いということではなく、当時最高の技術を使って作られても、限界があったのです)


1960年、国際会議により、新たな「メートル」の基準が作られます。


「クリプトン86原子が真空中で発する光の波長の 1650763.73倍」

これが新たなメートルの基準でした。


これはまた、地球を測量するような大事業を行わずとも、また世界中のどこにいようとも、同じ基準で「1メートル」を定められる、ということでした。




クリプトン86は、クリプトンの同位体の中で最も安定したものです。


…話がややこしいですが、すべての元素には「同位体」というものがあり、一定の時間(場合によって数秒から数万年単位まで)たつと別の同位体に変わってしまいます。


変わるとはいえ、クリプトンではあります。でも、少しづつ性質が違います。

この違いを表現するのに、後ろに数字を付けて表現します。


そして、クリプトン86は、一番安定しているクリプトンなのです。


…でも、ここで一つ問題が。

一番安定している、というのは、一番入手しやすいという意味ではありません。

天然に存在する一番入手しやすいクリプトンは、クリプトン84。


そして、「同位体」というのは、少しづつ性質が違うとはいえ、ほぼ同じものです。

86 だけ分離する、というのが非常に厄介。


安定しているから、一度分離すれば他の同位体が混入する可能性は低いとはいえ、「世界中のどこでも1メートルの基準を得られる」という観点でいえば、手に入れるのが非常に難しいのです。




そこで、1983年にふたたび基準が変更となります。


「真空中で光が 1/299792458秒に進む距離」

これが新たな基準でした。


クリプトン86と同じように、光基準です。

しかし、クリプトン86が「波長」を使っているのに対し「速度」を使うようになりました。


波長と言うのは、つまり色のこと。

純粋なクリプトン86でないと、正しい計測ができませんでした。


しかし、新たな基準では「速度」だけが問題で、その光をどのように得てもかまいません。


話はややこしくなりますが、光の「速度」は、色などには関係なく、また重力や、地球自体の動きなどにも関係なく一定です。

極端な話、光の速度で動くロケットの中でも、光も逃げ出せないブラックホールの重力場の中でも、光の速度は一定なのです。



つまり、この基準であれば、宇宙のどこにいようとも、簡単に「1メートル」の基準を得ることができます。




話を最初に戻します。


古代、長さの単位は、人間の体の一部を使用したものでした。

この方法の利点は、いつでも簡単に基準長さを手に入れることができる、という点です。


国際的な共通の長さを求め、1799年に「メートル」が定められました。

これは各国で同じように使える便利な単位でした。

しかし、その反面基準長さが地球の大きさであり、簡単に手に入れることができなくなります。


その後、メートル原器を基準としても、やはり誰でも簡単に参照できるものではありません。

クリプトン86もそうでした。


それが、1983年にふたたび、誰でも簡単に手に入るものを基準にして「メートル」が再定義されたのです。

メートルを定義してから、「簡単に基準が手に入る」という定義前の利点を取り戻すまでに200年かかったのです。



普段何気なく使っている長さの単位ですが、これを「何気なく」使うために、多くの努力が払われ続けているのです。



#メートルは、重さの単位の基準でもあるが、現在重さの単位で同じような努力が進行中。

 また、メートルは現在「秒」を基準としているが、こちらでも努力が進行中。




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ホビーパソコン・オフ会  2014-11-02 16:27:14  コンピュータ 歯車 社会科見学

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ホビーパソコン・オフ会

ツイッターで知り合った、「ホビーパソコン興亡史」の著者さんが、10月29日に「ホビーパソコンガイドブック」という書籍を発行するという。


あー、興味あるなー、どうしようかなー、と思っていたところ、発売前から大人気で、予約だけでアマゾンのカテゴリー1位となった、と聞いてすぐ予約しました。

前著「興亡史」も気になりながら買っていなかったので同時購入。この2冊は補完関係になるように作っている、と聞いていたので、セットで持っていないと面白さが半減しそうです。


内容詳細についてはきっと他の方が書評を書くのでそちらに譲ります。

雑感としては、どちらも相当の誤りを含みます。これは著者の方も認めるところ。


しかし、30年も前の散逸した資料を、メーカーなどにも存在しないのにかき集め、整え、まとまった形で書籍にしたことが素晴らしいです。

2冊組だというのも、文字を中心とした解説と、カラー写真を中心とした図版の両面から記録に残すため。

特にカラー中心の「ガイドブック」は、ほぼ全ページカラーにもかかわらず1200円というお手ごろ価格で驚愕です。




さて、出版前からカテゴリ1位になった記念に、興味のある方で集まってお話しませんか、というお誘いがありました。

…いや、僕が誘われたわけではなく、そういう話になっているのを知って「参加したい」と割り込ませてもらったのですが。


最近主夫しているので、オフ会と言うものに参加するのが久しぶり。

妻の許可も得て、11月1日のオフに参加させてもらいました。


#昔からパソコン通信などやっていたので、オフ会自体はたびたび参加してました。

 妻と知り合ったのもネットですし。

 でも、最後にオフらしいものに出たのは10年前か…




さて、以下はオフ会の様子をアトランダムに。


非常に楽しい会でした。この会に自分が混ざっていていいのかな、というくらい「濃い」方が多い。

ホビーパソコン時代の話は、僕はリアルタイムに見ていましたが、実のところそれほどわかってないのです。


自分のページで「第2部」とする以前に紹介している機種が自分の使った機種。

学研FXマイコン、ファミリーベーシック、PB-100、MSX、MSX2、PC-E500、Handy98、X68000。これで全てです。


オフ会の元となった書籍の趣旨である「ホビーパソコン」としては、携帯機を含みませんので、ファミベ、MSX(および2)、X68kの3機種「しか」知らない、知識の少ない人です (^^;;

(Handy98 は、中古で購入して「所有」しましたが、あまり活用してません)


しかも、これらは僕にとって「過去に使った機種」なのですね。

今でも古い機械を愛し、活動を続けている方の「濃さ」も持ち合わせていない。




ぴゅう太買えや」の方、チューター(ぴゅう太の海外販売名)用ソフト初めて見ました。


PC6001mkII を持ち込んだ方、ベルーガ(2007年に発表されたPC6001の新作ソフト)のカセットテープ版の存在知りませんでした。

(特殊カートリッジがないと動かないと思ってました…6001 ではメモリの都合で特殊カートリッジが必要で、mkII では十分なメモリがあるのでテープで動く、とのこと)


FM-TownsII ノートを持ち込まれた方、非常に珍しいと聞いていましたが、実機初めて見ました。

試作器が流出した程度しか存在しない、と以前にどこかで聞いていたのですが、実際には教育用として学校などには販売されていたとのこと。

いずれにせよ、非常に珍しいです。


386~Pentium 時代のCPUを多数持ち込んだ方。

全くわかっていない僕に、それぞれの石がどのような特徴を持っていて、どんな部分が面白いのか懇切丁寧に解説してくださいました。


#自分がよくわかる CPU としては、6502 Z80 68000 V60 SH2 あたり。Intel 系は弱いのです。



一応書いておくと、僕は「当時の販促用缶バッジいろいろ」なんてものを持ち込んでました。

Apple ロゴ2種、Mac ColorClassic、Pipin とApple関係ばかりの中に、IBM JX が1つ。


この JX の缶バッジが妙に受けていましたが、そこですかさず「キーホルダーが JXです」と、鍵を出した方がいました。確かに同じロゴが。

JX なんてマイナーマシン、わかってもらえるかな、くらいに思っていたのに「普段から持ち歩いている」という強烈な反撃を食らった格好。


いや、とっても濃い世界でした。


というか、ホビーパソコン時代に合わせて考えて缶バッヂ持っていったのだけど、関係なしに変なものもってけばよかった。

これは反省点です。




宴会が始まってすぐに「こちら、ホビーパソコンのオフ会ですよね?」と飛び込み参加したZOB速水さん。


超有名人だったようで、自己紹介した瞬間に湧きました。

申し訳ない。僕は存じていませんでした。

(このあたりで、本当に当時の文化に疎いことがわかるかと思います)


でも、実は、この人が一番すごかった。僕の趣味に刺さった、という意味ですが。

年配の方で、「子供の頃にホビーパソコンで遊んでいた」多くの参加者とは違い、それを「仕掛けた」大人側の方。


今、昔の書籍を復刻する作業中…と、話の枕に名刺代わりに取り出したのが、「ざべ」。

この時点ですごさがわかります。


えーと、当時の書籍と言えば、「I/O」とか「PIO」「ASCII」「ベーマガ」などいろいろあります。

でも、「ざべ」(元はThe BASICというタイトルでしたが、表紙には「ざべ」と書かれていました)はそうした雑誌とは一線をかくしていました。


内容は、各ハードウェアの解析記事とか、市販ソフトの改造記事など。

「ハッカー」のようなゲーム改造や、コピーのための解析などと違って「高度に実用性を重視した」ものでした。


たとえば、PC-98HA は、98との互換性に十分気を使っていましたが、VRAM構造が違うという致命的な非互換性がありました。

しかし、内部ロムにはこの非互換性を「解消」するためのサービスルーチンが用意されており、それを呼び出すことで簡単に互換性が取れるようになっています。


…こうしたことを「解析記事」として紹介したうえで、実例として Vzエディタ(当時流行した高機能エディタ)を改造し、98HA 対応にしてしまう…というような記事を載せていました。



話が横道にそれましたが、この「ざべ」でアセンブラの解説記事の連載をしていた、というのです。

復刻しようとしている、という書籍は、その連載をまとめた本。


20年も前のCPU解説に意味があるのか、と思う方もいるでしょうが、最近 Intel 系のCPUが組込み機器でも使われるようになり、C言語ではなくアセンブラで、記述する必要性も増しているのです。




ところでZOBさん、前述の Vzエディタを作った c.mos さんとは旧知の仲。


ZOBさんは「ZOB Station」という草の根BBSを運営していた方で、c.mos さんもそこの常連だったとか。

そこで、ゲームを作るためにエディタを作っていたのが、エディタだけで十分すごいので発売したのが Vzエディタだったのだとか。



いわく、c.mos さんのプログラムは「超人的だった」。

クロック数計算をしないでどんどんアセンブラで書いていき、それが一番速いコードになっている、と言う状態だったとか。


…って話から「森田さんも同じタイプだった」と言う話に飛びます。

森田将棋や、PC88でアルフォスを作った故・森田氏。やはり知り合いで、天才だったと言います。


森田さんは大胆な省略によって高速化する手法が上手だったそうです。

森田将棋のアルゴリズムにはそうした大胆さが行かされていたし、アルフォスもそうだった、と。



森田将棋は、僕の記憶では一番古い「市販された将棋ソフト」。

研究としては1970年代からあったようですが、1985年に発売された「森田和郎の将棋」に始まる森田将棋シリーズは、その後のコンピューター将棋の研究を活発化させます。


その後、類似の将棋ソフトも出てきた時点で「世界コンピューター将棋選手権」が開催され、第2回では優勝。初回から第6回までは常に3位以内に入る、という元祖としての貫録を見せます。

大会により「目標」が明示されたことにより、次々と新しいソフトも作られ、現在はコンピューター将棋もずいぶん強くなりました。

しかし、その源流を作り出したのが森田将棋と考えてよいかと思います。

 

アルフォスはゼビウスを真似して作ったゲームですが、ゼビウスは当時「パソコンには移植不可能」と言われていました。

何よりも、当時のパソコンには「縦スクロール」を現実的な速度で実現する方法がありませんでした。

アルフォスでは、RGB別々にわかれているグラフィック画面のうち、「2枚だけ」しかスクロールに使わない、とい割り切りで高速化を行っています。

使える色数に激しい制限を受けますが、処理は2/3に軽減されます。


アルフォスは「真似をしたゲーム」であり、ゼビウスではありませんでした。

しかし、「あまりにも似すぎている」という判断で発売元のエニックスがナムコに許諾を求めます。

そして、これもナムコは「別のゲームだから許諾不要」とは判断せず、許諾を与えます。


つまり「移植不可能」と言われたもの高いレベルで再現した、と認められたのです。




ZOBさんは西和彦とも知り合いで、一緒に仕事をしようと誘われたけど、その時は断ってしまった、とのこと。


返事一つで億万長者だったのにねー、と悔しがるそぶりを見せながら、それほど悔しそうではありません。

十分に面白そうな人生を歩んでおられる。




さて、この方が「面白いものを持ってきた」と取り出した1枚の基板。

これ、個人的には今回一番の目玉でした。


Intel4004 の評価用テストボード。


4004 は、世界初の「CPU」です。

1971年に出荷され、まずはビジコン社の電卓に使用されます。


これは、4004の開発を持ち掛け、ほぼすべての回路を設計したのがビジコンだから。

インテルは「製造担当」にすぎませんでした。

…と言っても、現実には設計にもかなり関与していますし、共同開発と言ってよいです。


契約上はインテルは製造のみの担当なので、ビジコンが独占的に使用するはずでした。

しかし、開発費がかさみ過ぎたため、ビジコンはインテルに権利を売却。インテルから「一般に」発売されます。

ビジコンはその採用第1号となっただけ。


4004 は最初の CPU ですから、当時新しすぎて使い方などが理解されませんでした。

設計依頼したビジコン「だけが」使えたといってよい状態。


それでは困りますから、インテルは開発者が実際に回路を組んで CPU 動作が学べる「評価用ボード」を発売しました。



ビジコンの電卓は、一般に発売されたためそれなりの数があります。

国立科学技術博物館にも保存展示されています。


それに対し、「評価用ボード」は開発者向けに出荷されただけで、一般販売ではありません。

そのため非常に珍しく、インテル純正の「リファレンス基板」としても価値があります。


ちなみに、搭載された 4004 も白いセラミックパッケージの比較的初期のもの。

後期になると黒いパッケージになります。この点も価値がある。


ただ、このボードの発売自体が 1973 年だったようで、1971年のビジコンの電卓で使用されたパッケージとも違うようです、



…と、この基盤が出されたときに僕は水を得た魚のように活き活きしてました(笑)

Townsや6001の話では「聞き役」に徹していたのですけどね。


写真を撮る方に、CPU 横に書かれた 4004 の表記、RAM部分に書かれた 4002 の表記、端に書かれた Intel ロゴあたりが「見所」と解説。


…それはいいんですけど、僕自身が全体写真を撮れていないと、会が終わった後で気づきました。

何やってんだ。


#一応全体写真は撮ってあるのですが、撮影角度の問題で 4002 の文字が見えないのです。

 4002文字部分の拡大写真などは別途あるのですが。



「4bit って、アドレスも4bit だったの?」などの質問が僕に飛んできましたが、まさか 4004が出てくると思ってなかったために下調べしておらず、十分に答えられませんでした。


この場を借りて、概略の解説。


アドレスは12bit 、レジスタは 16本ありました。

16本は2本づつが「ペア」になって、8bit としても使えました。


ここら辺、のちの 8080 で、8bit レジスタをペアにして 16bit 演算ができたのと同じです。

命令は 4bit ですが、オペランド部分は 4bit ~ 12bit の可変です。



型番「4001」の ROM をメインメモリとして使用し、基本的にはレジスタのみで演算を行いますが、型番「4002」の RAM にデータを保存することもできます。


4002 は I/O 空間に接続されているため、「メインメモリではない」のがミソ。

電卓用途を考えていたので、プログラムを収めるメインメモリはすべて ROM です。


メインメモリに RAM がないのでスタックもありません。

でも、プログラムカウンタ自体が4本あり、3段までのスタックを形成します。

このため、サブルーチン呼び出しは可能でした。


4003 は電卓キーボードや表示部との橋渡しで、キーボードが押されたときに、4004 の TEST ピンに電圧をかける役割を持ちます。


TEST ピンは割り込み線ではありませんが、内部フラグを変化させ、このフラグを使って条件ジャンプが可能でした。

キーボードのアクセスは遅いのですが、事前に「入力の有無」程度は確認できることになり、効率よくプログラムを動かせます。


で、4004 は CPU 。

「4bit だから 4004」なのではなく、4000 シリーズと言う LSI の4番目の製品なのです。


#8008 は、「4bit から 8bit に拡張したから 8008」です。


詳細は、過去に書いた「4004の発売日」を参照してください。



この基盤、「CPU なんだから、動かさないと意味がない」とのことで、復活プロジェクト中だそうです。

ROM 部分がソケットになっているのだけど、できることならそこに刺すROMも当時のものにしたい、でも入手するあてもない、という状況らしい。


すごいなぁ。楽しみに続報を待ちます。


2014.11.4追記

このボード、Intellec4 の物かなーと思っていたら、どうやら違う様子。


Intellec はインテルが作成し、開発者向けに市販した評価用の基板です。

一応「コンピューター」として完成できるようになっていて、スイッチを使ってデータを与えたり、ランプの点滅で結果を返したりできます。


Intellec4 は 4004 で、Intellec8 は 8008 。

世界初のパソコンとされている、Altair の祖先みたいなもの。


Youtube に、Intellec4 の解説ビデオがありました。

内部基板なども映っているのですが、見せていただいたものとは異なります。



Intellec4 の基板に書かれた年号は「1973」で、見せていただいたボードと同じ年です。

同時期に類似目的のボードを複数作っていた、というのも不思議です。

(まぁ、目的は少し違うようにも思いますが)


本当にかなり珍しいものの様子。なんなのだろう…


以上、追記終り。




さて、オフ会の最後に、じゃんけん大会がありました。

秋葉原の「家電のケンちゃん」の方が、オフ会があると知って賞品提供を申し出てくれたのだとか。


賞品、PC6001とFP1000の交換用キーボードの「新品」。

数か月前に、急に店頭に並んで話題になりました。なんで30年もたって新品が出てくるのか、と。


取り壊す倉庫があって、中に置かれているのはもうゴミばかりだろう…と整理していたら大量に見つかったのだそうです。


もう「品切れ」となっていて、再入荷の予定も当然ない、とアナウンスされている…のに、少し残っていたのですね。

どうやら、このじゃんけん大会が入手の最後のチャンスのようです。



PC6001のキーボードは、2つしかなかったのに欲しい方多数。

これは、PC6001で現在も活動している方に譲るのが筋。


FP1000のほうは、5つありましたが特に欲しい方がおらず…

貰えるならもらう、と手を挙げましたが、全部で4人。定員割れ(笑)

じゃぁ、ともう一人手を挙げたので全部貰われましたが、もらった人全員が「なんにつかうんだろう」と首をひねる状態。


僕電子工作できないから、有効活用できる方がいらっしゃいましたら譲ります。


#一方で、Arduinoに挑む良い機会かとも思っている。



2014.11.4追記

その後、参加者のツイッターでのつぶやきをまとめることで会の雰囲気を伝える「まとめ」が作られました。



ついでなので見ながら思い出したことを追記。


0次会について、上に書いた日記には書きませんでしたが、実は「早めに行くので0次会しましょうよ」と言い出したのは僕だったり (^^;

時間が合わなくて来られない、という方がいたのですが、ぜひお会いしたかったので持ち掛けたのです。


本の著者で、今回のオフの主催者の前田さんは、「0次会は5名程度」と考えていたようなのですが、当日蓋を開けてみれば、16名と言う大所帯。

(1次会と言うか、本来の会は26名でした)


こちらでは、みなさん「本番に向けてネタを控えて」いたようで、それほどとんでもないものは出ていません。

書籍編集の苦労話を前田さんから伺うなど、なかなか楽しい会ではありましたが。



えーと、先に日記まとめた際には「書かない方が良いかな?」と思っていたのですが、今見たところ、当人が隠していないので書いてしまいます。


紅一点、女性の参加者がおられました。こんなおっさんホイホイの集まりに。

そして、女性らしい心遣いで、前田さんに「出版おめでとうございます」と花束を…


おー、すごく当たり前の心遣いなのに、おっさんどもは誰一人その「お祝い」をしてなかった。

みんな「書籍買いましたよ」とサインを求めることが、最大の賛辞だと思ってました。



この方、「他の女性参加者が無い」と悲しんでおられました。8bit パソコン時代の話題が出来る女性って少ないですからね。


妻に伝えたら「今度あったら私も行こうか?」と言ってました。

でも、子供いるから二人同時参加はできないですわー (^^;;


#妻はこういう話普通についてきます。

 僕が教えたのではなくて、元々興味があったから付き合いがはじまったの。


#ところで、妻は「女だと知ると、急にちやほやしてくる奴がいてウザイから」という理由でネット上では性別隠してます。

 それが、当初「参加者に女性がいた」ことを書くのをためらった理由です。


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ハイキング  2014-12-07 12:59:41  歯車 旅行記 家族

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先日妻の誕生日だったので、お祝いに何かするかい? と聞いてみた。


紅葉見に行きたいなー、という答えだったので、近所の山を気軽にハイキングする予定に。

おにぎり3合分握って出かけました。


2年前に近所から港南台まで山の中を歩いている。

これ、「天園ハイキングコース」と名付けられている道なのだけど、途中から入った形になる。


じゃぁ、同じ場所から入って逆方向に歩こう。

コースとしてはすごく短いのだけど。


山に入ったのが10時半くらい。




歩きはじめて、元気ではしゃぎまわっているうちにハイキングコースは終わってしまった。

建長寺の境内に出る。時間はまだ11時半くらい。お昼ご飯を食べるにも速い。


流石にちょっと短すぎたかな、と思うが、せっかくなので建長寺を見学。

実は、近所だけど一度も入ったことない。


「ここどこ?」と子供たちは言っていたが、実は先日オクトーバーフェストに自転車で行ったときに前を通っている。


建長寺をゆっくり見学していたら、1時間くらい経ってしまった。

腹減った、というので建長寺を出たところで、「あー、前自転車で来たとこ」と納得。


と同時に「結構歩いたつもりだったけど、すごく近所だ」とショックを受ける。




建長寺の中でのこと。


小さな石碑が沢山立っている。「金百圓」とか書かれている。

なかなかこういうことを勉強する機会は無い。昔は百円の価値と言うのが非常に大きくて、百円寄付したら石碑を立ててくれるくらいだったのだ、と話をする。


百円がどれくらいの価値か…も聞かれたけど、これは時代によって変わるからわからない。


金五百圓、と刻まれた、非常に大きな石碑があった。

金心講、とも書かれている。講とは志を共にするグループの意味。寄進するために集まってお金を集めたのだろう。


下にメンバーの名前が刻まれているが、○○病院とか、○○楼(多分食べ物屋)とか、個人名ではない。

それだけの大金だった、ということだろう。


裏に回ったら、明治43年、とあった。明治末期だ。

さらに小さな石が添えられてあり、そちらには個人名が刻まれていた。そして、「金参圓」とある。


参円で名前を特に刻んで残すレベルだ。とはいえ、個人で寄進できる額でもあるので、5~6万円と言うところか。



#と思って調べたら、当時の1円は現在の2万円くらいの価値らしい。

 5~6万というのはだいたいあっているようだ。


すると、五百圓は1千万円くらいの寄付。その程度寄付すると、立派な石碑が残されたようだ。





建長寺を出てから、源氏山公園を目指す。

この日の朝のラジオで、八幡宮の紅葉はさかりを過ぎたが、源氏山公園は見ごろだと言っていた。


源氏山公園の入り口が化粧坂切通(けわいざかきりとおし)。

そういえば、google now でもしばらく前から「近所の観光スポット」として紅葉が綺麗だとおすすめされていた。



また山道に入ったので、子供ははしゃいで登る。

でも、公園に入ったらごはん、というので頑張っている節もある。




紅葉の綺麗な木の下でお弁当。時間はすでに1時を過ぎていた。


おにぎりと、おかずのウィンナー・きゅうりはあっという間になくなった。

まだ食べたそうなので、非常食に持ってきていたバナナチップスを開ける。


この後どうすんの? と長男が聞いてくる。


鎌倉駅を目指すよ! と言ったら、妻が「次女がもう疲れているし、北鎌倉に抜けて帰ってもいいよ」という。


でも、源氏山公園は、鎌倉と北鎌倉の中間地点。どっちに行っても大して変わらない。

スマホの地図を出して妻に見せると、じゃぁ鎌倉行こうか、となる。


すぐに市街地に出て、車に気を付けながら歩く。




小町通り。


誕生日祝いでもあるので、何かおいしいものでも食べよう、と言っていた。

でも、さっきご飯食べたばかりだし、時間も夕飯には速い。


どんぐり共和国(ジブリグッズショップ)とか、ちょっぺー(有名なおもちゃやさん。オリジナル商品を作るので、ここでしか入手できないプラレールとかある)とか覗きながら歩く。



「石道楽」というお店があった。

入り口の目のつきやすいところに「化石コーナー」と書いてあったので何気なく見ると、安い。


三葉虫のかけらが300円、とかだったりする。

完全な標本でも800円とか。


アンモナイト、直角貝などもやすいし、珪化木も安い。

妻は1年半ほど前に科学館で珪化木標本を買っているが、それよりずっと安いので衝撃を受けていた。


この店、非常に不思議な構成だ。

化石もあれば、鉱物標本もある。パワーストーンとしての「お守り」も売っているし、ちゃんとアクセサリーとしての宝石もある。


結構前に小町通りにパワーストーン屋さんができて、その後人気があるのか徐々に増えているのは気づいていた。


でも、個人的には「パワーストーン」は好きではない。でも、この「石道楽」の扱いは好き。

パワーストーンとしての効用なども書いてあるのだけど、変にオカルト・おまじないに走らず、科学的知識も併記してあったりする。




温度によって色が変わる液晶を使い、体温で色が変わる指輪が売られていた。

5歳の次女が欲しがる。と言っても、一番小さな指輪でもぶかぶかだ。

370円。高くはないが、悩む。


7歳の長女は、「人工テレビ石」が欲しいらしい。200円。

人工だけあって天然モノよりずっと透き通っていて、面白い。こちらは買ってあげてもよいかな。


長男は、ヘマタイト磁石に興味を持っている。

紡錘形の2つの磁石のセットで、投げると空中でくっついて面白い音を出す。

小さいの 300円、大きいの500円。大きいほうが明らかに磁力が強い。



子供が欲しがっているものが特に高くないし、科学的に面白いおもちゃだとも思うので、買ってあげることにする。


テレビ石は、人工と天然のセットを 600円で売っていたので、子供は「200円のでいい」と言っているのにそちらを買う。

天然モノに興味を持つことがあれば、いろいろ話も膨らむだろう。


磁石は大きい方を。こういうのは磁力が強いほうが面白いし、面白がって遊ぶことで発見があるので、200円をケチると良くない、と考えた。

実際、後で遊んでみたら「磁力が強いからこそ」な遊びがいろいろできた。



これに加えて、妻が「アンモナイトを薄く削って磨いたもの」を購入。

穴が開いているので、紐を通せばアクセサリーになる。


妻は時々生物系の科学イベントに行っているので、「人に見せたらウケると思って」という購入動機。

値段忘れたけど、500円程度ではなかったかな。


僕は特に買わず。

あえて買うとしたらシリコンウェハー(そんなものも売っていた!)がウケを狙えそうだったけど、人に見せる機会もないし。




「おやつまだ食べてない」と次女が言うので、どっか喫茶店でも入ろうか…と言っていたが、雨が降り始めた。

源氏山のあたりでは、雲一つない天気だったのにな。


あわてて、豆菓子屋にはいる。「鎌倉まめや」かと思ったら、違う店だった。

まめやが人気あるから、類似店が増えているのだな。


と言いつつ、店内の試食を結構食べ、まめやとは違う方向のラインナップのお菓子を数点買う。

通り雨だったようですぐやんだ。でも、ちょっとあたりが寒くなった。


小町通りを「まめや」の角まで進み、若宮大路に出て、引き返す。

妻のおいわいを兼ねているので妻の食べたいものを探しているのだけど、なかなか決まらない。



結局駅まで戻ったところで、「駅前の回転ずしに入って早めの夕ご飯にしてしまおう」と妻が決断。

時間は5時少し前。


100円均一ではなく、皿によって値段が違う店。でも、適正価格でおいしかった。

次女が「エビ食べたい」と言って、天然クルマエビ一皿360円を取ってしまったりしたけど。


#普通の蒸しエビは180円。次女はまだ天然モノの味の良さとかわからないです…



腹いっぱいになってから次女がまた「おやつ食べてない」と言うので、ジュースも取ってあげたし、最後にわらびもち食べたじゃないか、と言うと「あー、そっか」と納得。




鎌倉駅から電車に乗ったのは、5時半ごろ。

でも、少し疲れたのか次女も長女も「ねむいー」と言ってました。


「今度はもっと山の中歩きたい」という要望が出たので、近いうちにまた港南台まで歩いてみるのも楽しいかも。




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エイダ・ラブレイス伯爵夫人の誕生日(1815)  2014-12-10 09:25:59  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、エイダ・ラブレイス伯爵夫人の誕生日(1815)。


そして、米国防総省規格番号 MIL-STD-1815 、「エイダ」言語が正式承認された日(1983)。



エイダは世界最初のプログラマ、と呼ばれる女性です。

バベジのよき理解者で、バベジが構想していた「解析機関」の講演集をまとめたりもしています。


まずはこちらの話から。




彼女は貴族の出身で、父親は「詩聖」とも呼ばれる詩人、バイロン卿。


もっとも、彼女はバイロンのたった一人の子供ですが、生後一か月で両親が離婚し、母親に引き取られています。


父母は離婚後会うことは無かったようですが、バイロンはエイダの実の父親として、この後も多少の交流はあったようです。

エイダ自身、結婚前は「エイダ・バイロン」を名乗っています。


また、以前に「悪魔とドラキュラの誕生日」として書いたのですが、バイロンがスイス旅行した際に同行し、後に「フランケンシュタイン」を執筆したメアリー・シェリーは親友でした。



エイダの母親は数学・科学好きで、エイダにも家庭教師を付けています。

その家庭教師の一人が、ド・モルガン。


プログラムの学習をすれば、必ず「ド・モルガンの法則」として名前が出てくる人です。

どんな法則か気になる人は自分で調べてください。


ここでは、「論理性を重視した数学分野」で特に深い功績のあった数学者だ、とだけ書いておきます。




さて、そんな重要人物に数学を教わったエイダは、論理性というものを正しく理解していました。

そして、母親が数学・科学好きだったため、数学者や科学者たちとも親交がありました。


17歳の時(1833)、エイダは知人の紹介で、当時 41歳のバベジと知り合います。


バベジは、1822年から階差機関を作成中でした。

しかし、政府も資金を提供した(世界初の国家プロジェクトだった!)階差機関の作成は、10年目にして暗礁に乗り上げていました。


バベジは「完璧な機械」を作ろうとするあまり、作成中なのに設計図を変更したり、職人の仕事のやり方に口をはさんだりするのです。

雇われていた機械職人は非常に技術の高い人でしたが、ついに10年目で仲違いし、彼は去ってしまったのです。

余りにも複雑な階差機関を作れる職人は、他にいませんでした。


そこで、バベジは階差機関のほんの一部を使って、卓上型に作り直した「見世物としての」階差機関を持って、多くの人に階差機関の素晴らしさを説いて回っていました。

これには、国家予算を使い果たしてまだ足りない開発資金を提供してくれる、貴族のパトロン探しの目的もありました。


…そして、貴族の出身であるエイダも、この「見世物」を見物することになるのです。




19世紀当時、女性の地位は低く、学のある女性はそれほど多くありませんでした。

しかし、エイダは階差機関の動作に非常に興味を持ち、的確な質問をバベジに浴びせかけます。


バベジは、この若い聡明な娘さんに対して、丁寧に解説を行います。

この関係は、その後もずっと、エイダが結婚して「ラブレイス伯爵夫人」となっても続きます。


エイダはバベジの最大の理解者であり、バベジはエイダにとって多くのことを教えてくれる教師でした。




1842年頃、バベジはイタリアで、当時考案していた「解析機関」のアイディアを講演しています。


解析機関は、先に書いた、見世物にした「階差機関」とは違う新たな機械です。

階差機関は計算機にすぎませんが、解析機関はプログラム可能なコンピューターでした。



この時の講演を、イタリアの軍事技術者メナブレアが、フランス語で記録していました。

これはメナブレア記録、と呼ばれます。


エイダもバベジもイギリス人でしたが、バベジの講演はイタリアで行われ、フランス語で書かれていました。

そこで、エイダはメナブレア記録を入手し、英語に翻訳します。


そしてこの際に、バベジの協力の下で膨大な注釈を入れました。注釈が、本文の2倍にも及びます。

実際に階差機関の「プログラム」も多数添えられていますが、これらのプログラムはバベジが書いたものだと考えられています。


しかし、以前はこれらのプログラムは、注釈を書いたエイダが作ったものだと考えられていたため、エイダを「世界最初のプログラマー」だとする説が広まっています。




もっとも、エイダもプログラムは書けたようで、彼女の手によるプログラムも残っています。

バベジとプログラムの作り方が明らかに異なるため、彼女の物だとはっきりわかるのだそうです。


#プログラマの方であれば、プログラムに「個性」が出ることはお分かりであろう。


また、バベジが作ったプログラムをよく吟味し、誤り…つまりは「バグ」の指摘も行っています。



ただ、エイダは数学知識はあまりなく、メナブレアの記述ミスで、明らかに間違っている数式をそのまま翻訳しています。

現代のプログラマにも、数学的知識はあまり持っていないがプログラムは出来る、という人は多数いますので、そういうタイプだったようです。


…ただし、当時はプログラマは、エイダとバベジの二人しかいないのですが。




エイダは、数学的な知識はそれほどありませんでしたし、それほど優れたプログラムを残したわけでもありません。

しかし、解析機関の可能性については、バベジよりも的確に把握していました。


バベジは、解析機関を優れた計算機として考えていましたし、そのつもりで設計していました。


しかしエイダは、解析機関が単なる計算機を超えたものであることを感じ、人工知能の可能性にまで言及しています。





時代はずっと下って 1983年。

米国防総省は、軍事用のプログラムを行うための専用言語を開発し「エイダ」と名付けました。


この言語の正式な「規格番号」は、MIL-STD-1815 。軍事(ミリタリー)標準(スタンダード)1815、という意味ですが、1815とはエイダの誕生年です。


適当につけた番号ではなく、軍の規格として使われる「通し番号」が、この数字になるようにタイミングを見計らって付けたようです。

そして、この言語が正式に「承認」されたのは、1980年の 12月10日、エイダの誕生日でした。


軍事用なので、とにかく「バグが出ないプログラムを書く」ために工夫が凝らされています。


プログラムの作りやすさよりも読みやすさを優先する、「名前空間」を導入し変数名が衝突しないようにする、「例外」処理のための機構を作る、など、当時としては最先端の言語でした。


その思想は、その後 C++ や Java など、多くの言語に取り入れられています。




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コンラッド・ツーゼ 命日(1995)  2014-12-18 23:05:13  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、コンラッド・ツーゼの命日(1995)。


ツーゼについては、誕生日に書いていますので、そちらを参照してください。


簡単にまとめれば、ENIAC 以前に、独自にプログラム可能な計算機を作成した人です。



第2次世界大戦は、枢軸国、イギリス帝国、連合国の三つ巴の戦いでした。

始めて本格的に無線による連絡が使われた戦いであり、暗号が重要となった戦いでもあり、傍受した相手の無線を解読するための情報戦が重要となった戦いでもあります。


そのため、各国で「計算機」が発達します。

戦後は連合国だったアメリカと、イギリスが競う形で「電子計算機」が発達しますが、ツーゼは枢軸国であったドイツ人だったため、彼のコンピューターはあまり後の世に影響を与えていません。



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高柳健次郎の誕生日(1899)  2015-01-20 10:37:51  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はテレビの父、高柳健次郎の誕生日(1899)。


テレビの父、と呼ばれる通り、テレビの基礎技術を完成させた人です。

日本人ですが、この方法が世界中で使われていたのだからたいしたもの。


テレビだけでなく、光と電気の関係する産業を起こしたのも功績です。

カミオカンデ作成には欠かせない、高性能の光電子倍増管を世界で唯一生産できる浜松ホトニクスも、高柳健次郎の教え子が興した会社です。


詳しくは、命日の際に書いています




ところで、アナログテレビ放送の時代、日本は NTSC でしたが、世界的には PAL という規格もありました。

全然違う規格なんで、テレビゲームとか作るときに大変なんだわ。


NTSC は秒60コマ。PALは秒50コマ。

1秒間に送り出せるドット数はほぼ同じで、結果としてPAL の方が解像度が高い。


静止画での美しさを取るか、動画にしたときの滑らかさを取るか、開発者の思惑が違ったのかなー、なんて思ってたのですが、これ、単に家庭用電源の交流周波数を元にしているんだそうです。


アメリカでは 60Hz 、ヨーロッパでは 50Hz。

なるほど、ただそれだけの話か。


NTSC も PAL も、それ以前の「白黒放送」との互換性を保ったままカラー化した方式です。

そして、白黒だった当時、一番簡単・安価に「周波数を作り出す方法」は電源の周波数をそのまま流用することだった、というのも理解できる話です。


#日本では地域によって周波数が違うので、発振回路が別途必要となり、安価な製品は作りにくい。

 国内でしか通用しない独自技術が必要となる、というルーツはこの頃からあったのだな。



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SIMON は世界初のPCか?  2015-01-20 12:12:48  コンピュータ 歯車

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少し前の GIGAZINE に、世界で最初の PC として「サイモン(SIMON)」を掲げる記事が出ていました。

ツイッターでは当日中に異論を唱えたのだけど、ちゃんとまとめておきましょう。


なお、異論を唱えたと言っても、GIGAZINE の記事が誤りだというわけではありません。

これについては後述。



以下、海外でサイモンについて詳しいサイトからの情報です。

技術を紹介したページなので、翻訳ではなくて、読み解いて解説しなおしたもの。


でも、元ページの図などを一緒に見るとわかりやすいです。




サイモンは、ラジオエレクトロニクス1950年10月号の表紙を飾り、それから1年にわたって解説記事が連載された機械です。


リレー回路を使ったデジタル計算機で、紙テープを使ってプログラムを作ることができます。

実用品と言うよりは、将来のコンピューター技術者を育てるための教育用でした。



プログラムには5穴紙テープを使います。

当時はテレタイプ用として普及していました。


#テレタイプについても解説したいけど、ここでは関係ないので割愛。

 まぁ、紙テープは当時の「普及した保存メディア」で、簡単に手に入ったことだけ理解できれば十分です。


5穴紙テープは、紙テープの「幅」方向に、5つの穴を開け、読み取ることができます。

この5穴を「1列」とします。1列が 5bit 、ということですね。


テープの続く限り、何列も穴を空けることができ、長いデータを保存できます。

また、テープ自体は切ったりセロテープで貼ったりして編集できます。

その意味で、長さの制限は特にありません。




計算機自体は、レジスタを 16本持ちます。CPU として見るとなかなか豪勢。

でも…メモリを持たない機械なので、これが「全メモリ」です。


レジスタは基本的に1本が 2bit です。

ただし、2bit のレジスタを2本まとめて 4bit として使えるレジスタ(IR1/IR2)が1本と、4bit のレジスタ(CR4)が1本あります。



テープにプログラムを組む場合は、5穴のうち4つを使い、それを3列で命令を表します。

(各列のつかわない1bitは、内部制御のフラグに使用します)


3列のうち、1つはデータを示します。

テープから読み込まれたデータは、常に 4bit で IR1/IR2 に入ります。


残る2列は、レジスタを表します。

1つは「送り側レジスタ」で、もう一つは「受け側レジスタ」の指定です。

先に書いたようにレジスタは16本なので、穴4つで完全に指定できます。


この「2つの指定レジスタ」間で、データのコピーが行われます。

送り側に IR1/IR2 を指定すれば、いまテープから読み込んだデータを別のレジスタに書き込むことも可能です。


SR1~SR6 は値の一時保存(Storage)用で自由に使えます。

OR1~OR3 は出力(Output)用。

CR1~CR5 は計算(Compute)専用。



OR1~OR3 は、ビットが電球に繋がっています。

計 6bit ありますが、OR3 は1個しか電球がつながっておらず、出力は5bitになります。


電球に繋がっている、ということを除けば普通のレジスタなので、読出しも可能です。





CR4 は 4bit ですので、IR1/IR2 の値を 4bit すべて書き込むことしかできません。

そして、CR4 に書き込みが行われると、CR1~CR3の数値を元に「計算」が行われます。


結果は CR5 に書きだされます。CR5 は読み出し専用で、書き込むことはできません。



CR4 に書き込む計算指示は 4bit ですが、9種類だけ作られていて、残りは未定義です。


以下、C言語風に書くと、命令はこうなっています。


算術演算:

CR1 + CR2

-CR1


キャリー付算術演算:

CR1 + CR2 + CRY

-(CR1 + CRY)


ビット演算:

CR1 & CR2

CR1 | CR2

~CR1


選択:

(CR2 > CR1) ? 1 : 0

(CR3 & 1) ? CR2 : CR1


以上の9個が全命令です。


キャリーは、算術演算・キャリー付算術演算で生じます。

これはレジスタではなく、計算回路に 1bit のフラグとして保持されています。



命令には、選択はあるけど、条件分岐はありません。それどころか、ジャンプ命令が無い。

メインメモリが無くて「紙テープ」にプログラムが書かれているのだから、ある意味当然です。




紙テープに直接書かれているプログラムが、直接「計算」を指示するのではなく、「データ移動」だけ。

計算指示は CR4 にデータを移動することで表現。


今の CPU から見るとちょっと変わったプログラム方法ですが、いまだってデータ転送がプログラムの中心で、計算は時々…だと思えば、それほど変わっているわけでもありません。


2bit の足し算しかできませんが、補数を求められるので引き算にも応用できます。

また、キャリーフラグはあるため、多倍長演算に拡張できます。


もっとも、結果出力が 5bit しかないので、結果が 0~31 に収まる計算しかできません。



紙テープには、各列 1bit づつの余りがあります。

これを使って、「プログラムの終了」を表現することができました。


でも、これはただ単に「終了」なのね。

条件が整ったら終了、とかではない。紙テープの終わりに来ても終了するのだけど、途中で明示的に打ち切れるだけ。


つまり、条件ジャンプも、条件停止もできません。データは制御できるけど、プログラムは制御できないのです。



これが何を意味するかというと、掛け算は作れても割り算は作れない、ということです。

割り算は「何回引けたか」が答えなので、「引けなくなった」という条件によって「停止」する必要がある。


ここら辺が、サイモンのプログラムの限界です。




ちなみに、後にスケッチパッドを作り、CGの世界を切り拓いたサザーランドは、幼少のころに兄と一緒にサイモンを使っていたそうです。


詳細はサザーランドの誕生日に書いたけど、彼はサイモンを改造し、割り算プログラムを作っています。


CR4 に与える命令は、4bit まで可能だけど9種類しかありませんでした。

残り7命令文、拡張の余地があります。


恐らくは、どこかに「条件停止」を追加したのでしょうね。


ジャンプ命令は無いので、「何回引いたか」を調べるために、理論上最大の長さまで命令を繰り返しておく。

(現代風に言えばループ展開です)


そして、割り算の結果が出た時点で条件停止します。

残りの命令は実行されずに終わるのだけど、それでいい。


これが、プログラムの紙テープが 2.4m にも達した理由でしょう。

複雑なプログラムを組んだから長いのではなくて、ループ展開したから長いだけ。




さて、最初に書いたように、僕はこの機械が PC だというのに異論がありますが、ギガジンの記事が誤りだとは思いません。


まず、GIGAZINE の記事は、海外記事を翻訳しただけの受け売りで、GIGAZINE の記者は記事の内容を理解できていません。

だから、GIGAZINE に誤りはない。誤りがあるとすれば元の海外記事。


この記事自体は「PCの定義」から始まっています。

なにを PC と呼ぶかは不明だけど、「定義した内容にしたがって」最初の PC を紹介する、という体裁。


ここでは、誰でも手に入るほど、入手容易で安価なデジタルコンピューターでプログラム可能なもの、とされています。


(GIGAZINE では、コンピューターを「計算機」と訳し、「デジタル計算機である」ことを定義としています。

 しかし、元記事では「コンピューター」と書かれているので、ここではコンピューターとします)



ところで、計算機(カリキュレーター)と、コンピューターは違います。

カリキュレーターは、ただ計算を行うだけの機械。


カリキュレーターの中には、計算手順をプログラム可能なものもあります。

なので、プログラム可能であることはコンピューターの条件ではありません。


元々、コンピューターは計算手…計算を行う「人」を意味した言葉です。

一定の手順…アルゴリズムに従って計算を行えます。


アルゴリズムには、条件の「判断」が多数含まれます。

そうでない場合、プログラムが可能で、その手順がどんなに複雑でも、単一の「計算式」を示しているにすぎません。


カリキュレーターとコンピューターをわけるのはこの部分です。

コンピューターであれば、プログラムの「条件分岐」か、最低でも「条件停止」を持っていることが条件となります。


そして、サイモンはこうした命令を持っていないのです。

(サザーランド兄弟による「改造サイモン」には条件停止がありましたが、改造するには高度な知識が必要です。これはすでに「特殊な訓練を受けていなくても使える」という元記事の要件を満たしません。)




ただ、どこまでがカリキュレーターで、どこまでがコンピューターか、というのも人によって解釈はさまざま。


サイモンは条件分岐や条件判断は持ちませんが、条件によって値を変える命令はあります。


元記事を書いた人たちは、古いコンピューターを保存するのを目的とした人たちですから、ここまでに書いたような議論は全部了解したうえで、あえて「サイモンが最初」と書いたのだと思っています。



当ページでは、リレー式計算機はコンピューターには含めていません。

電気では動きますが、物理的動作があるために遅く、いわゆる「電子計算機」としての要件を満たさないためです。


サイモンはリレー式なので、僕としては最初とは考えません。

部品が違うだけで原理的には同じなので、含めるという考えがあったって一向に構わないのですけどね。



GIGAZINEの記事中では、PDP-8 は「高かったから選外」となっているのですが、実際には PDP-8 は安価だったが故の大ベストセラーマシンで、長年売られていたために技術の進歩に合わせてどんどん値下げされました。


当初の値段は $18,500 で確かに高価なのですが(質素な家が買える値段、だったようです)、後には 1/10 程度まで下がりました。

特に「複数台買うと値引き」もあったので、会社のと併せて2台買ってしまおう(BUY TWO, TAKE ONE HOME)、なんてキャンペーンもあったようです。



そんなこともあって、最初の「個人でもなんとか所有できるコンピューター」としては PDP-8 はギリギリの線かな、と思っています。


#もちろん、本当に「気軽に」買えるのは、値段的にもサイズ的にも Altair8800 だと思います。


実際、PDP-8 ではゲームとか音楽演奏とか、仕事ではない、個人のためのフリーソフトが沢山作られました。

後のパソコン文化を先取りしていた、と言ってもいいでしょう。



あと、個人で遊べるコンピューターとしては TX-0 推し。1台しかないプロトタイプなので、所有は無理でしたが。

(GIGAZINE の記事にも出てきませんし)


テレビゲームも多数作られています。面白くもない計算用途ではなく、面白いからコンピューターを使う、というのは「個人のための」の重要要件だと思います。


ちなみに、サザーランドはサイモンで基礎を学びましたが、TX-0 でコンピューターの可能性に目覚め、後継の TX-2 でスケッチパッドを作っています。

当時はまだコンピューターが高価な時代。お絵かきのために「個人で占有する」なんていうアイディアは、当時としては驚きを持って迎え入れられました。


スケッチパッドのアイディアを元に SmallTalk が着想され、Alto が作られます。

Alto は、GIGAZINE の記事にも出ているね。


そして、Alto が Macintosh や Windows を生み出したわけで、PC のルーツをたどると TX-0 に行きつく、と思っています。



TX-0 は「個人でコンピューターを使う」というハッカー文化を生んだ機械でもあり、「誰かが作ったプログラムのソースを入手して改造できるのが当然」なんていう、オープンソースの概念はここから生まれています。


GNU の創始者である RMS も TX-0 の作った文化を知る最後の世代です。



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ジョン・ネイピア 命日(1617)  2015-04-04 00:14:24  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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当ページ内では歯車計算機なんかも紹介しているのですが、その中に「ネイピアの計算棒」というものがあります。

これ、ページ開設当初(もう18年も前だ…)に、たまたま科学館で存在を知って書いたものです。


それほど詳しかったわけでもなく、ただ面白がって知ったばかりのことを書いただけなので、あまり深みが無い記事。

(今でも、書いている内容に深みなんてないけどさ)



#ちなみに、その後知ったのですが「ネイピアの骨」と呼ばれることの方が多いようです。




いちいち計算棒のページを見に行かないでもいいように、概要だけ書いておきましょう。


計算棒は、掛け算九九が書かれた棒です。

この時、2桁の数字は、間に斜線が入っています。


上には、九九の「何の段」かが書かれていますので、この数字を並べて、掛けられる数を作ります(何桁でも良い)。

そして、掛ける数(こちらは1桁)の部分に書かれている数字を読み取ります。


斜めの線により、隣同士の棒の数字が組み合わされます。

この数字を足して、書きだすと、答えがわかります。


たとえば、左の図では、573 * 3 = 1719 であることがわかります。


…言葉で説明するとややこしいな。

つまり、掛け算九九の表を使って、繰り上がった部分は上の桁に足していくと答えがわかるんです。


ただそれだけなのだけど、「掛け算」という結構大変な計算を、ただの足し算に変えてしまう道具です。




18年前にこの道具の紹介を書いた時は、「ネイピアの計算棒」の本当の価値がわかってませんでした。

これが、ネイピア数に名を残す数学者、ネイピアの作ったものであることがわかってなかったのです。


今日は、その数学者ネイピアさんの命日。

そして、ネイピア数とは、自然対数の底 e= 2.718281828459045235360287471352…


…いや、いいんです。

対数とか e とか、見ただけで嫌になる人が多いでしょうから、そんな話をしたいわけではない。



ネイピアは、対数を発見し、計算方法に革命を起こしました。

後にそのことが評価され、対数に関係の深い数字に、彼の名前が付けられたのです。


しかし、ネイピアが発見した対数は、現代的なものとは違いました。

ネイピアの時代には、小数の概念がまだ普及していなかったのです。


このため、できるだけ分数の比率で表しやすいように、対数の定義自体も異なっていました。

それでも、その「ネイピアの対数」は、現代の対数に通じる重要な特徴を持っていたのです。




対数の重要な性質とは…


なんと、対数を使うと、掛け算を足し算に変えることができます。


…ここでも、掛け算を足し算に変えようとしているのです。


ネイピアは、計算することの重要性を理解し、複雑な計算を誰でも簡単に行う方法を追求した数学者でした。



ネイピアの考案した対数を元に、後に計算尺が生み出されます。

計算尺とは、スライドする二つの棒を組み合わせた「計算機」です。


2つの棒には、対数で同じように目盛りがつけてあります。

ここで、


1) 棒 A の目盛り 1 の位置に、棒 B の「賭けられる数」の目盛りをあわせる。

2) 棒 A の「賭ける数」の位置の目盛りの下にある、棒 B の数を読み取る。


という簡単なことをするだけで、掛け算が終わっているのです。


棒をずらしたり、さらにずれたところにある数字を読む、という操作は、足し算に相当します。

これは普通の定規でも同じね。3の目盛りから、4つ離れたところの目盛りを読めば、7と書いてある。


ただ、計算尺ではメモリが対数で刻まれています。

そして、先に書いたように、対数では掛け算を足し算に変えることができます、


だから、足し算するような操作をすると、掛け算の答えが得られるのです。



より詳しく知りたい人は、こちらのページが詳細に書いてくれています。

是非、お読みください。




ところで、先ほどネイピアの時代には小数の概念が普及していなかった、と書きました。


それ以前は、小さな数は分数で表現しました。

しかし、ネイピアと同時代の数学者が、常に 10 の累乗を分母とする分数を使うと、整数部分の10進法と相性が良くて扱いやすい、と気づきます。

小数の概念の誕生です。


しかし、当初は表記法がスマートではなく、使いにくいものでした。

そこで、「小数点」を発案したのが、ネイピアでした。


これにより、ややこしかった「小さな数の表記」も簡単になります。

ここでも、ネイピアは「計算を簡単にしよう」と工夫を凝らしています。




現存する最古の歯車計算機であるパスカリーヌは、足し算と引き算しかできませんでした。


しかし、パスカリーヌの百年前に、シッカルトが歯車計算機を設計しています。

この機械では、なんと掛け算も可能でした。


その重要な仕掛けが、ネイピアの計算棒でした。

結局、歯車では足し算しかできないのですが、計算棒を使うことで掛け算を足し算に変換しているのです。



さらにいえば、現代のコンピューターでも同じ原理が活かされています。

表を使って掛け算を簡単な足し算に変換することで、高速な計算を行っています。



一方の計算尺は、電気化されて「アナログコンピューター」となります。

オペアンプ使って計算するのって、計算尺と原理的にそれほど変わるものではない。


でも、デジタルコンピューターが高速化するにしたがって、アナログコンピューターは消えちゃった。


コンピューターなんて高価だった時代、庶民は計算尺を使っていました。

でも、これも電卓が普及したら、やっぱ計算尺は消えちゃった。



でも、「対数の原理を使った計算方法」が消えても、対数の重要性は失われません。

むしろ、強力な計算機が使われるようになって、ますます対数の存在意義は増しています。



人間の知覚は、対数に従うようになっていることが多い、ということが知られています。

こうした、「人に合わせた感覚」をコンピューターで表現するには、対数の活用が欠かせないのです。


通常、オーディオ機器などの音量調節は、対数に従って音の強さを変えます。

対数に従った表示の時に、半分の位置に音量をあわせると、半分になったように感じるためです。


音楽を聴くときも、テレビを見るときも、現代ではコンピューターの応用機器になっています。

内部ではものすごい速度で計算が繰り返されていて、そこに「対数」が何度も顔を出しています。




ネイピアの計算棒はコンピューターの計算を裏で支える基本的な原理となり、ネイピアの発案した小数点と共に計算に使われています。


そして、ネイピアが発見した対数がその計算の中で繰り返し使われ、我々の生活をいたるところで支えてくれているのです。






追記?


書き終わってから気づいた。

去年も記事書いてるじゃんよ!

内容微妙に違うからリンクしときます。



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春は忙しい  2015-04-13 11:28:25  コンピュータ 歯車 社会科見学 家族

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先日家族旅行という大イベントを執り行ったが、この週末は科学館のハシゴ。

来週も科学イベントの予定で、次女の誕生日にはピューロランドにも行かなくてはならない、と思っている。


冬の間、子供たちが「いきたーい」と言っていたことに「はいはい、暖かくなったらね」とか「誕生日にね」とか、いいかげんな空約束を繰り返すからこうなる。

春は忙しい。




11日(土)は、科学未来館へ。


去年の秋に、TVCMやっていたイベントを次女が見たがって、来ています。

…が、そのCM予告だった。その時点ではまだ始まってなかった。


じゃぁ、また今度こよう、と言ったきり、忘れてた。

3月の中ごろ「そういえば、あの約束は?」と次女に言われる。しまった! 会期は2月末までだった!



…が、大好評につき、会期延長していました。ゴールデンウィークまで。

ただ、大人気で、休日は朝早くに行って整理券を受け取り、その整理券に書かれた時間にならないと入場できない、という制限があります。


じゃぁ、ゴールデンウィークなんてもっと混むし、春休み中もダメだろう。

春休みが明けた次の休日である11日に、朝早くから出かけます。


運よく(?)この日は雨。

車で行くから雨でもそれほど問題はないし、客足は鈍ってそれほど混まないだろう。




開場前に付いたのに、すでにチケット購入待ちの行列。

すでに科学館は開いていました。お客さんが多く並んでいるし、雨だから開けたみたい。


10分ほど並んでチケット買います。

見たかった特別展、「チームラボ展」は、整理券を貰わないと入れません。が、まだ朝早かったから、配っている整理券は今すぐ入れるものでした。


#整理券が無いと入れないから…と、全部見るまで、昼ご飯も食べずにみっちり遊んだのですが、外に出たら「今日は整理券無しで入れます」に変わってました。



さて、全体内容については、ざっくりと。


最初に置いてある展示…というか部屋。

天井からのプロジェクター映像で、床には花が咲き乱れています。でも、踏んだら散る。

美しいけど…もう、20年以上前から類似作品あるよね。技術が上がって花の表現は美しくなったけど、その程度どまり。


部屋を出てずっと後のところで、技術的な詳細解説がありました。

それを知ってからもう一度見たら、もうちょっと深く楽しめたけど、これは芸術だから、解説なんてなしに感じられるかどうかが重要。


そういう意味では、この部屋に余りとどまっていた人はいないし、子供たちもすぐ飽きてた。

「世界中で大人気のメディアアート作家集団」という触れ込みの割にたいしたことないな、というのが最初の部屋を見た率直な感想。


他の作品を見た後で、きっとこれは初期の作品で、だから最初に置いてあったのだろうと思いました。

後で出てくる作品は、もっと面白いものが多数あったから。


…この作品、比較的新作だから最初に置いてあったのね (^^;;




前半は、主に「アート」としての作品が中心。それも、「和」と「デジタル」の融合に挑んだものが多い。

面白い表現もあり、興味深く拝見したのだけど、ただの映像作品。ビデオを流し続けているだけ、というのと変わらない。


奥の方に、江戸の絵師、伊藤若冲の絵画をデジタル表現したものがあった。

若冲の絵を3D化し、動かしたものを、若冲風のレンダリングで描く。ここまでなら他の作品と変わらない、ただのビデオ作品だ。


若冲の絵画の特徴に、全体に升目が設定されている、というものがあるらしい。

らしい、というのは、若冲の絵は見たことあったけど、マス目なんて意識してなかったから。


デジタル作品としては、その升目が2つの状態を持っている。


1つは、マス目の枠はあるけど、基本的に本来の絵がそのまま見える状態。本来の若冲の絵。

もう1つは、マス目の中が、代表される色に塗りつぶされてしまう状態。モザイク画になる。


この2状態が、不思議に入れかわる。基本は「升目だけ」で、ところどころ「モザイク」になる。

モザイクの場所は、生きているように広がり、消滅する。ちょうどライフゲームでもやっているような感じだが、ライフゲームとも違うアルゴリズム。


これは、鑑賞する人によって変化する様につくられている、らしい。

音とか、前を歩く人をセンシングしているとか、何をやっているのか探ろうとしたのだけど、分からなかった。


その意味では、インタラクティブ性があるのだとしても弱すぎて、やはりただのビデオ作品と変わらなくなる。

ちょっと残念なだけど、表現方法は非常に面白くて印象に残った。




後半、デジタルとアートを融合したことで生まれた「遊園地」空間。

次女が行きたがっていたのは、当然ながらこちらが目的。


入り口に、「まだ かみさまが いたるところにいたころの ものがたり」という作品があった。


長男、これがものすごく気に入った。

実は先の「アート」側にも類似作品があり、こちらがバージョンアップのようだ。


上から象形文字が落ちてくる。漢字の原型ね。

これを触ると、文字で表現されているものが現れる。


「山」を触るとそこに山が現れ、「木」を触ると木が立つ。

「火」に触れると火が現れ、「水」を触ると水が噴き出す。


アート側のものは、ここまでの表現で終わっていた。

しかし、「遊園地」はもう一歩進んでいる。


木に火が触れると燃えてしまう。でも、水を使って火を消せる。

雨でも火は消えるし、雨は木を育てることもできる。


犬に火を見せれば驚いて逃げるし、象を人…これは遊ぶ人本人が撫でてやれば、喜んで鼻を上げて鳴く。


他にも、非常に多くの「コンボ技」があって、説明表も配っていました。




会場での一番人気は、3Dで街を作る塗り絵。

配られている塗り絵…飛行機、自動車、消防車、バス、UFOなどの乗り物系と、いろいろな形のビルに、自由にクレヨンで色を塗ってもらう。


高速スキャナで読み取ると、すぐに巨大画面に現れます。

3Dで、テクスチャは適当に解釈されて、それらしく貼られている。


家はUFOが運んで来ます。

時々怪獣が現れ、古い家を壊します。動けないものの「登場」「退場」をうまく処理している。


車とか、動くものは当然、自分でやってきて、古くなると出てこなくなる。

でも、1時間程度はとどまってくれるみたい。描いてしばらくして、自分の描いたのがまだいるのを見ると嬉しい。


これ、3階にある常設展示「おやっこ広場」(入るのに整理券が必要)にも置いてありました。

画面は小さいけど、そちらには、ロボットとか飛行船とか木とか、特別展には無い塗り絵もあります。

しかも、画面がタッチパネルで、触ることでいろんな反応もします。


大画面とはまた別の面白さ。




これの「前作」にあたる、水族館を作るものも人気でした。

こちらは、魚がペラペラで3Dではないのね。動きは3D的だけど、パラッパラッパーみたいな感じ(例えが古いけど)。



さらに、会期延長してからの「新作」として、ふなっしー版もあった。

みんなでふなっしーのデザインをして、画面の中を歩き回る。シュール。


こちらは、急きょ追加したものなので会場に入りきらない。廊下に置かれていた。

会場から廊下に出ないとみられないし、廊下に大画面が置いてあるので、狭い。


ちなみに、ふなっしーだけでなく、普通の人間(男の子、女の子、髪型違いで2種類ずつ)もデザインできる。


とりあえず、あの寸胴体系、おどる埴輪にしてやった。

妻はウルトラマン作ってた。


埴輪とウルトラマンが出会って挨拶をし、一緒に「梨汁ブシャー!」ってやってる。シュール。




さて、他にもあるけど、全部は解説しない。その代り、1つだけ詳細解説。


実は、「我が家的に」一番大ヒットだったのが、「小人が住まうテーブル」。


他のものに比べて、見た目が地味で、一見して何をするのかもわかりにくい。

だから、多くの人が一瞥して、もしくは少し触って、「よくわからない」という反応で通り過ぎていく。


でもこれ、すごく良くできています。遊ばないのはもったいない。


円形のテーブルに、天井からプロジェクターで投影された「小人」達が住んでいます。

テーブルの縁が地面。中央付近に太陽があって、太陽の周囲には雲が出る。


全部、輪郭だけの線画で表現されていて、ものすごくかわいい。

一方で、線の中身が「黒い」ため、テーブルは地味に見えます。これが興味を持たれない理由。


でも、古いゲームを知っている人なら、シンプルだからこそ表現できるものがある、ということに同意してもらえると思う。


この「小人」たちは、レミングスみたいにずんずん歩き続けている。

何もなければ、平和に進み続けるのだけど、突進してくる「牛」なんかも存在する。


牛に跳ね飛ばされると、小人はすっ飛ぶ。で、どこかに着地して、また歩き始める。


「火」というのもあって、小人はコイツをジャンプで飛び越す。大きな火になると越えきれず、痛そうに目を×印にして跳ねまわったりする。

ちなみに、牛は火だって跳ね飛ばす。


雲からは雨が降っていて、雨が当たると火は消える。

地面に雨が当たると、草が生えてくることもある。草はやがて実をつけ、小人が見つけて食べたりする。




さて、面白いのはここから。

自分の手を、テーブルの縁に置く。小人はこれを障害物と認識し、火と同じように飛び越える。

段差を設けてやると、1段目に乗って、さらにジャンプして2段目に進む。


飛びきれないほどの高い段差を…テーブル端に腕を置いておくと、それは「木」だと認識されるようだ。

腕から、にょきにょきと葉っぱが生えてくる。やがて、リンゴがなったりする。


高い木は飛び越えられないので、梯子を持ってきたりする。

この梯子が、ぐにゃぐにゃしていて不思議な存在。

小人がのぼり、一番上から飛び降りたりする。木の横にうまく梯子があれば、飛び越えられることもある。


木に生えるリンゴは大きいのだけど、そのままでは小人は食べられないようだ。

手を急にどけると落っこちて、地面に落ちると小さいいくつかのリンゴに「割れる」。

小さなサイズだと小人は食べれるようで、落ちているリンゴを見つけると食べることがある。


時々、腕を置いても木とは認識されないで…「フライパン」だと思われてしまうようだ。手の上に目玉焼きやケーキが現れることもある。


#会場のテーブルの上には、おもちゃのフライパンが置いてあった。本来これの上に目玉焼きが出来るようだ。

 フライパンを置くと、周囲に火が現れることもある。



雲から降る雨に手をかざしてやると傘になる。これで、小人を雨から守ることもできる。

もっとも、元々小人は雨を気にしない。


雨から守りたいのは「火」だろう。

手で少しづつ押すと、火を動かせる。火をくっつけると大きくなるし、草やリンゴ、目玉焼きなどを火にくべると、どんどん大きく育つ。

ところが、雨が当たるとすぐ消える。火を育てる遊びをする子も結構いた。


一方で、草を育ててたくさんの実をつけたい子もいる。

草から火を離したい子、近づけたい子。


思惑とは別に、牛に跳ね飛ばされた火がどこへ飛ぶかはわからない。

草をたくさん育てていると、面積が広いのだから火が飛んでくる確率も高い。そして、草が密集しているとあっという間に延焼する。

なかなか、リスクとリターンのバランスが良い。


これはゲームではないのだけど、目的を持った途端に、各々が勝手に遊ぶゲームになる。

しかも、そのゲームのバランスは絶妙で、うまくいきはじめると邪魔が入る。




空には星が1つ、出ていることがある。

…基本的には出ているのだけど、星を「使いすぎる」と、しばらく消えていることもあるようだ。


…使う? 星を?



この星に、小人がぶつかると、たくさんの「キラキラ」を放出する。

ハート、星、アスタリスク、渦巻き、ひし形…いろんな形の模様が、星から一斉に飛び出すんだ。


この世界、基本的にはテーブルの中で閉じている。円形のテーブルの縁が地面で、その外側には何もない。

だけど、この「キラキラ」だけは、テーブルからも零れ落ちて床に飛び散る。これがなかなか見ごたえがある。



でも、普通にやっていると、小人が牛にすっ飛ばされて、偶然ぶつかるときくらいしかこの現象は起きない。


…最終的には、この現象を強制的におこそう、とするゲームに発展した。


両手で小さな部屋を作り、小人が逃げ出さないようにする。

(親指が床に、その他の指が壁になるように両手を置く)


そのままずりずりと空に上げていくと、小人は星に近づいていく。

これで星にぶつければいい。


星も障害物の影響を受ける。そこで、星を囲い込んで地表に引きずりおろす、という作戦も出現した。

(何も起こらないけど、太陽や雲でもできる)


地面までくれば、小人はいくらでもいる。

ただ、地面でキラキラが発生しても、中央で発生するほどの「派手さ」は無い。

中央から一気にはじけ飛ぶ、という方が面白かった。


また、星はキラキラを出すと、同時に「はじかれて」少し違う位置に移動する。

地表だと、特に中央に戻ろうとする力が強く働くようで、苦労する割にはすぐに星に逃げられてしまう。


逆に、上空であれば同時に何人もの小人をぶつけることも可能。

きらきらが発生しすぎると、計算量が爆発的に増え、一瞬画面が「フリーズ」する。

(ゲーム専門用語でいうところの「処理落ち」)


これが楽しくて、どこまで計算負荷をかけられるか、の勝負に発展していく。


#この遊びに気付いたとき、うちの子供たちだけでなく、周囲の子供も面白がってこの遊びに参加し始めた。


ただ、動きが止まった瞬間は、小人も止まってしまう。「連続してぶつける」のには限界があった。



限界を打ち破るのは「牛も星にぶつかる」と発見した時。

牛は体が大きいので、一気に何度もあたり判定を起こしてしまうようだ。

小人よりも、キラキラの発生個数が多くなるようで、牛2頭を同時にぶつけたりすると、ものすごい処理落ちになる。


通常、処理落ちしても数フレーム…時間にして、1/10 秒程度だろう。

しかし、最大の処理落ちの際には、2秒くらい画面が止まっていた。

しまった、やりすぎてシステムを停止させてしまったか、とヒヤリとしたくらい。


#まぁ、そうなったらスタッフの人に謝って再起動してもらうだけですが。




「デジタルメディアアート」なんて言葉が出てきたのは、20年位前だったのではないかと思う。


#メディアアート、自体は映画などを含むものとして、20世紀中盤にはあった。

 「デジタル」とつくのは、コンピューターを使った芸術。


この言葉、僕は「ゲーム崩れ」と同義だと思っている。

この言い方が失礼極まりないのは承知しているが、多くのデジタルメディアアートが、そうなっていると思う。



チームラボ展で言えば、前半のアート部分は、ゲームですらない、ただのビデオだった。

最先端技術を使っているが、見ているだけ。映画と変わらない。


後半の遊園地部分は、「インタラクティブ」と言いながら、そうなっていない作品が多い。

塗り絵は子供たちは楽しんだが、画面に表示された後は「自分の描いたのがそこにいる」と見ることが楽しみになってしまい、これも映画と変わらない。


「デジタルメディアアート」と呼ぶのはおこがましい、20世紀中盤からあるものの延長に過ぎない。



長男の気に入っていた「かみさまがいたころのものがたり」は、触れることで事象が起き、その事象の組み合わせでさらに別の事象が起きる、ということで非常にインタラクティブだ。

ここに来てやっと、「デジタル」であることの意味が出始める。


ただ、しばらくやっていると飽きる。事象を起こしたいのだが、上から象形文字が降ってくるのを待つしかなく、組み合わせは運でしかないからだ。

ゲームになり切れないゲーム。僕がそう呼ぶのは、こうした作品だ。




「小人の住まうテーブル」は、見事なゲームだった。

ただ、これがゲームであることは、ほとんどの人が気づいていない。何を目指したものなのかも理解されていない。


多くの人は、自分の手を「障害物として使う」という操作方法を理解できず、表示されいるオブジェクトを「スワイプ」して動かそうとしていた。

ゲームとして見た際には、説明書を熟読しないと遊べない、失敗作の部類だろう。


でも、僕はこのゲームを高く評価する。今までにない新天地を切り拓いたからだ。

先駆者は理解されず、多くの人が素通りするのも仕方がないことだ。



似たようなゲームが20年ほど前にあった気もするが、あれも理解されなかった。



一方で、アートとして見た際には、「ゲーム」と捉えられてしまうのは不本意なんでしょうなぁ、やっぱ。

アートと言うのは見たこともないようなものを提示するのが本領なわけで、ゲームという既存の枠組みに組み込まれるようじゃダメなのだと思う。


アートである以上ゲームにならない「ゲーム崩れ」だというのは、宿命でもあるのだと思う。


でもね、好奇心を刺激してくれるものが良いアートだ、とも僕は思っている。

ルールがよく出来ていると、ついつい遊び始めてしまうわけで、結果としてゲームとして成立するのもまた、アートとして出来のよい証拠、のハズ。


ここら辺、僕自身がアート製作者ではないので、アートの人たちがどう思っているかはわかりません。

ゲームになるようじゃアートじゃないのか、アートだからこそゲームになるべきなのか。




アートがどういうものであるかはさておき、この「小人」、子供たちが非常に楽しかったようで、同じようなものを Scratch で作りたい、と言っています。

インスパイアされて真似したくなっちゃうって、最高の褒め言葉だと思う。



この翌日も外出したので忙しくまだ作りはじめてないのだけど、長男と長女は一緒に「Scratch で作れそうな程度の」、サブセットルールを考案した様子。


作る前から「途中であきらめるかも」って弱気なのだけど、元作品がよく出来ていることがわかっているからこそ、とてもそこまで作れないだろうと思っちゃってるのね。


あれは、アート作成としてはプロの作品だ。あそこまで作れなくても、やってみることに意義がある。



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LiCa HOUSe  2015-04-13 12:19:41  歯車 社会科見学 家族

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12日(日)、2度目の理科ハウス。


前回日記に書いたときには気づいてなかったのだけど、その2~3日後に気付いた。

「理科ハウス」の英語表記の LiCa HOUSe 、元素記号なのね。


Li リチウム Ca カルシウム H 水素 O 酸素 U ウラン Se セレン。


LiCa って表記で、「小さな科学館」をリカちゃんハウスのように小さい、というのとかけているのかと思ってたよ。


#それもあるのだ、と思っている。今度行くときあったら聞いてみよう。




さて、未来科学館に行った翌日、妻が用事があって外出。


以前に理科ハウスに行ったときと同じ場所に行ったのですが、じゃぁ車で送るよ、と言って子供たちは前回と同じように理科ハウスへ。


…考えてみたら、前回は雨だったから車で送ったのでした。今回は晴れ。

しかも、春の行楽シーズンで、渋滞にハマりました。自転車でも行ける範囲だったから、自転車で行った方が妻としては早かった (^^;



それはさておき、理科ハウスは月に一度くらい展示内容を変えます。

前回からしばらくたつので、違う内容で楽しめました。


半分くらいは前回のものが残してあった感じかな。

瓶に水が入っていて、順番に叩くと曲になっている展示で、前回と曲は変えてあったけど基本的には同じ、とかね。




前回あらかた見ているのだけど、今回の目玉(?)は、タイガー計算機を発見したこと。

多分、前回もあったのに気付かなかっただけ。


触ってよいか尋ねると、構わないとのこと。

壊れることが無いほど頑丈なのは知っているけど、壊したら修理できない貴重品です。自由に触れることに感謝。



以前から疑問に思っていて、試してみたかった「引き放し法による割り算」を試します。

…あー、思っていた以上に簡単。タイガー計算機のページの記述、後日改めます。


#ページ記述「原理」的にはあっているのですが、タイガー計算機上での操作が思ったより楽でした。



昔の計算機は歯車で計算させてたんだよ、という話は、子供たちにしたことありました。

長男も一緒に、興味津々で見ています。


その後、僕が使い方を教えながら、まずは簡単な足し算、複数桁×1桁の掛け算、そして複数桁同士の掛け算など試します。

割り算も試したけど、こちらは長男にはまだ理解できない様子。


#引き放し法を使うと、原理を理解してないので納得できない。

 引き放し法を使わないと、操作が煩雑すぎて覚えられない。




タイガー計算機は、計算する値として10桁の数を設定できます。結果は20桁まで記憶できます。

でも、内部的には13桁までしか繰り上げを行ってくれない、と気づいたのも今回の大きな収穫。


10桁を足しこんだ結果、13桁までは繰り上がってくれる、というのは実用上は十分でしょうね。

ちなみに、結果記憶が20桁まであるのは、桁をずらすことで大きな数の計算を行うからです。


#タイガー計算機で足し算・引き算も出来るけど、主に掛け算に使う機械です。

 掛け算の筆算で桁をずらして計算し、後で足すように、桁を「ずらす」ための機構がついています。


13桁までしか演算しない、ということの影響は、引き放し法で割り算をやった時にも影響します。

余りの頭の方にゴミが残って、090909000000004 とかの表示になったりする。

(余りが4の場合)




理科ハウスの館長さん、以前に1回行っただけなのに覚えていてくれました。

それで、少しお話ししました。


子供が理科好きみたいだけど、他の科学館とかも良く行くんですか? と聞かれ、丁度昨日未来科学館行きました、とか、本棚に並んでいる本で、これとこれは家にあります、とか…


もちろん、理科ハウスの本棚はすごく充実していて、うちにあるのはそのほんの一部。

でも、専門家が選ぶような「良書」と、うちで選んだ本も一緒だと、ちょっと安心するのです。


本と言えば、古い蔵書の一部を「ご自由にお持ちください」で置いてありました。

子供向けの科学写真絵本1冊と、大人向けの本2冊貰って来ました。



帰り際に、サイエンスカフェなんかもやっているので、良かったらそういう時にも来てみてね、と言われました。

実は、妻が理科ハウス近所で「用事」があったのは3度目。1度目は、サイエンスカフェの日で予約が必要だったため、理科ハウスに行けなかったのでした。


いつも妻の用事の日に理科ハウスに行っているので、妻も「話聞いていると、楽しそうで行きたいのに行けない」と言っています。

子供もお母さんと行きたいらしい。そのうちまた行かなくては。


それこそ、サイエンスカフェの日を狙って予約してみようかな。



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海上安全技術研究所  2015-04-20 15:44:02  コンピュータ 歯車 社会科見学 家族

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19日の日曜日、独立行政法人海上技術安全研究所の一般公開を見てきました。

なんだか堅そうな名前だけど、非常に面白かった。


以前に、タモリ倶楽部で紹介していて、その時から興味を持っていました。


…と書くより、この4月からの NHK 「0655」の朝の歌「素晴らしき哉 世界」の「深の界」だと言った方が通りが良いのでしょう。


実際、うちでも 0655 を見た子供たちが「すごい! いったい何が起きてるのか!」と興奮するので、タモリ倶楽部で見た知識で解説してあげたのです。


そしたら、「見てみたい」と。

あー、あぁいう施設は、年に1度くらい公開しているけど、その時しか見られないんだよ、と説明。

一般公開って秋が多い印象だから、その頃まで待てば見られるかもね…と。



そしたら、妻が何やらスマホで調べて「19日に一般公開するらしいよ」と。年に一度がすぐでした。




というわけで、海上技術安全研究所に行ってきたわけです。

基本的に、小さな研究所です。同じ敷地内に「交通安全環境研究所」と「電子航法研究所」があります。


それぞれ、海、陸、空の安全を研究している施設です。同じ敷地内、というのも納得。

ちなみに、一般公開日では敷地が隣接している JAXA も同時開催で、4研究所を廻るスタンプラリーが開催されていました。



以下、面白かったと思うものを順不同で紹介。




▼深海水槽


上に書いた造波装置です。造波装置、というのは波を起こす装置で、他の水槽にも付けられていますが、深海水槽は 128台もの造波装置を使い、自由な形の波を起こすことができます。


1時間ごとに、15分ほどの実演を行う…となっていたのですが、0655人気でものすごい人が来ました。

初回を見に行ったのですが、30分前にも関わらずとても入れず、「後で見に来よう」となりました。


…が、初回前にもう一度通りがかったら、なんか方法が変更されている。

10分ごとに、7分程度の実演に変更されていました。これで見ることができました。


波を起こす機能ばかりが注目されてしまっていますが、本来深海掘削パイプなどに波が及ぼす影響を調べるための施設。

直径は 15m 程度ですが、深さは 35m もあるそうです。


#うちの子は JAMSTEC には良く行くので、深海掘削パイプなどの話は普通に受け入れます。


▼海洋構造物試験水槽


実は最初に見たのがこれ。むしろ、こちらの方が「造波装置」としては王道。

大きな水槽に、波を起こす装置があります。船などを浮かべ、波の影響を調べます。


海底ガス田開発で、船を浮かべて海底掘削パイプからガスを吸い上げ、LNGとして貯蔵する、ということは現実に計画されているのだそうです。

そこで、その「基地船」に、「LNG 輸送船」が横付けしている状態を想定。各船の中には液体である LNG が入っている状態で、波が来るとどうなるか…という実験をしてくれました。


…何も起きません。一番安定して、何も起きない波を起こしたのだそうです。

なぜ、一番何も起きないのを選ぶ。


ビデオで、過去に実験した「一番激しい状態」の説明などもしてくれました。

意義はわかるのだけど、多少波で揺れたりするところ見たかったな。


#横付けしている状態を想定した配置だったこともあって、揺れたりすると模型がぶつかって破損する可能性もあるのだとは思います。

 でも、それならもっと「模型は壊さない」程度で「激しく揺れる」状況だって想定できるだろうに。


▼熱力学展示


各種歯車機構が触れる状態で置いてあって、子供や僕に大人気。

2ピストン、4ピストンのエンジンの模型とか、スターリングエンジン、ロータリーエンジンもあります。

回転軸の延長上に、逆方向に回転する軸を配置する機構とか、歯車Aが1回転するごとに、歯車Bが1/4づつ回転する機構とか…


触れるモデルだけでなく、実際に動くものもありました。スターリングエンジンは、普通温めて動かすものですが、「温度差さえあれば動く」ことを示すためドライアイスで動かしていました。


ロータリーエンジンは、外部から空気圧を入れることで回転。

他に、水素燃料電池とか、太陽光で発電してモーターを回して、そのモーターの回転で発電機を回して電球を付けるとか、無意味だけど装置として興味深かった。


▼船の危機回避シミュレータ


大きな円筒形スクリーンの中で、油圧で動く「操舵室」があります。

本当は操舵室が波に合わせてゆらゆらするようなのですが、この日はお客さんがたくさん入るので、一切動かしません。


スクリーンにはリアルタイムのCGで、東京湾の風景が映っています。

すごく波が高い。時々船の甲板に波がかぶります。


子供たちが「波が入ってきた。バグってる」というのですが、聞いてみたら実際その程度の波高に設定しているのだそうです。

ただし、東京湾でそんなに波が高くなることは、通常はないとのこと。


クルージング(?)の最中、ほんの数分で天候は目まぐるしく変わり、昼間から夕方、夜へ。そして昼間の濃霧へ。

夜景では船の明かりが波に反射し、非常に質が高いCGでした。



▼チタンプレート作成


チタンのプレートを、目の前で電圧をかけて色を付けてくれます。

ちゃんと理解してないけど、


1) チタンは酸化しやすい。常に酸化被膜でおおわれることで、それ以上錆びにくい。

2) しかし、化学薬品処理して電気を通すことで、酸素が強く供給され、通常以上に厚い酸化被膜を作れる。

3) 表面の酸化被膜の上で反射した光と、奥で反射した光が干渉し、色を生じる。

4) 電圧によって酸化被膜の厚さを調整でき、色を変えられる。


ということのようです。

話は知っていたのだけど、目の前で作るのを見るのは始めて。想像以上に美しい色が出るし、みるみる色が変わっていくのが美しいです。

ちなみに、着色したのではないので非常に強い。とはいえ、ひっかけば表面の酸化膜が落ちるので、色落ちはします。



実は、一般公開終了の時間ぎりぎりに駈け込みました。

妻も子供もみたがっていたのだけど、「後で」と思っていたら、時間いっぱいになってしまったの。


駆け込んだら、すでに終わって片付け中でした。

でも、わざわざ走ってきてくれたのだから、と、急遽うちのためだけに実験をやってくれました。


ありがとうございました。


#本当は、プレートにあらかじめシールなどを張ることで、その部分だけ「着色しない」ことができ、模様を作れます。

 本来、そうした体験をしてオリジナルアクセサリーを作れる、というコーナーでした。

 この時は、時間もなかったために着色実験のみ。でも、美しい色で子供は喜んでいました。




つづいて、交通安全研。


▼燃料電池自動車


トヨタの「MIRAI」を展示していました。

そして、その奥で子供が燃料電池の模型自動車を作って学べるようになっていました。


模型自動車を作るには整理券が必要。問い合わせると、丁度今から始まる回の人数がまだ空いている、と入れてもらえます。

この体験「小学生以上」だったのですが、そうとは知らずに保育園年長の次女も体験しました (^^;;


最初に燃料電池の仕組みをまなび、燃料電池で LED が点灯することを確認します。

つづいて、その燃料電池を模型自動車に搭載。


模型自動車にはスイッチがあり、OFF だと電球が点灯します。

これで通電を確認し、ON にすると走ります。


燃料電池にはビニールパイプがついていて、そこに水素を入れてもらえば発電できます。

LED や電球をつけているだけなら長く発電するのですが、車を走らせるとあっという間に電池切れ。


「物を動かす」には、非常に大きな力が必要なのです。

何度も水素を補給してもらいながら遊んでいました。


この子供向け講座、子供は模型に夢中で聞いちゃいなかったのだけど、最後にいいこと言っていた。


「水素自動車は排気ガスを出さない。でも、水素を作り出すのにエネルギーが必要で、CO2 も排出する。

 実は何も問題は解決していない、と知っておいてほしい」と。


▼鉄道用台車試験設備


鉄道が「どうやって曲がるか」をわかりやすく解説していました。


鉄道って、左右の車輪が繋がっているし、カーブでは内輪差が生じるはずだし、どうなっているのだろう、というのは前から疑問だったんだよね。


わずかだけど車輪が円錐になっていて、カーブでは外と中で車輪のサイズが変わるようになっているのだそうです。

すごく単純だけど、合理的な考え方。


実際に、いろいろな形に作った車軸を模型のレールの上を動かして、何が起こるか見られるようになっていました。


▼バス運転手の制服体験


京王バスが、制服を着てバスの運転席に座れる体験会を実施していました。


長男、昔バス好きだった。今更…かとおもったら「やりたい」と言い出す。

次女もやる、と。長女は興味なし。


もうすぐ6歳だけど体の小さい次女は、一番小さい制服でも大きめ。

制服制帽でバスの大きなハンドルを握っているのは、親ばかだけど可愛かった。




電子航法研。


▼音声診断システム


画面に表示された文章を読むと、疲労度や緊張度を診断してくれる、というシステム。

パイロットやドライバーが、自分でも意識できてない疲労などを診断して、事前に危険な運転を避けるためのシステムなのだそうです。


「カオス理論を応用」ということで詳細を聴いてみたのだけど、よくわからなかった (^^;;


自分なりに判断すると、そこでカオス理論としているものは、「フラクタル」と類似の概念のようでした。

音声パラメータを周波数変換し、周波数空間での再帰性を評価することで「カオス」な度合いを検出する。


最終的には、周波数・声の大きさ・時間軸…などとあわせ、5次元のデータが得られるそうです。


この「カオス」が何を意味するかは、「わかってない」と明言していました。

ただ、多数の人の声を調査した結果、判って無いなりに疲労度との相関性はわかっている。


そこで、5次元パラメータと疲労度との相関性を総当たりで調べ(つまりは機械学習させ)、関連性を示す式を求める。


この機械では、その式を利用して疲労度を出すのだそうです。

処理量は、音声を FFT して周波数に注目するだけ、というようなシステムに比べると、4桁くらい多いそうですが、その分評価の正確性が上がるようです。



▼電波を光ファイバで送る


電波を光ファイバで、というのはどういうことかと思ったら、当然のことながら「電波を光に変えて送る」でした。

ただ、たとえばラジオの内容を一度音声にもどして、サンプリングして圧縮…みたいなことではない。


電波の強弱をそのまま光の強弱に変更し、光ファイバで伝送後に電波に戻すのだそうです。

光ファイバだって減衰はするから、普通はデジタル化して伝送するのですが、それを克服してアナログで送れるようにしたというのがすごいところらしい。


▼ GNU Radio を使ったソフトウェア受信機


GNU Radio ってものを知りませんでした。

電波をそのまま受信して、ソフトウェアで同調するのね。そういう方式なので、同時に複数のチャンネルの電波を捉えられる。


デモでは、航空機の現在地情報と音声通話を同時にとらえて、リアルタイムの航空機の位置情報を表示しつつ、その通話を流していました。


どうでもいいけど、羽田に入ってくる飛行機が見た目で列になっていて、空も渋滞しているのだなと実感。




JAXA。

ここだけ敷地が離れていますが、研究施設としては1個なので、隣の3施設ほどの「バラエティ」感はありませんでした。

やっていることは、ずっとすごいはずなのにね。


▼スーパーコンピューター展示


富士通による「宙」の概要と、実際に動いているマシンルームの見学(窓から見るだけ)ができました。


富士通だから SPARC CPUです。SPARC 64。

元々 SPARCを開発した SUN が無くなったけど、ちゃんとまだ続いているのね。


1CPU で 32コアで、1000以上の CPU ノードが使われている。

1ノードは 128GB の RAM を持っていて、他ノードへの転送能力は 128GB/s 。全メモリを1秒で送れちゃう。

ハードディスクは 5ペタバイトで、テープアーカイバは 20ペタバイト。


詳しく知りたい人は、宙のページ



宙では、数値計算シミュレーションをやっているそうですが、開発当初から「結果をわかりやすく手に取れる」ことを重視したそうです。

そのため、3D表示能力がすごい。裸眼3D表示ディスプレイとか置いてありました。


3Dプリンタで出力した演算結果、なんてのも多数あって…お土産に、各種 JAXA ロケットの 3D モデルストラップを配布してました。


1人1個、ということなのでいろんな種類を家族分貰ってきて…子供が「ロケット打ち上げごっこ」して遊んでます。


▼宇宙デブリの研究


デブリを見つけるためのシステムとか、デブリを地球に落として燃やすための方法とかを紹介していました。


デブリに限らず、コンピューターで空を監視し続けて、複数の画像の「差分」から飛行物を検出するシステムは以前からあるのだけど…もうソフトじゃ遅い、ということで、FPGA 化しているなんて話が出てました。



デブリを落とすには、ワイヤーをぶら下げるだけで十分、という話。

地磁気の中に「電線」が移動するので、電気を生じてエネルギーが落ち、やがて地球に落ちるとか。


#発生した電気はプラズマとして放出。


電気と磁石と力の関係を、いろんな装置で確かめられるようになっていました。

丁度、長男が電磁石とかに興味を持っていたので、楽しく学んでました。




4施設分の敷地はとにかく広くて、歩き回るのが大変。

でも、4施設あるので非常にバラエティに富んでいて、楽しめました。


本当はもっとたくさんの展示があったし、もっとたくさん見たかった。

でも、これで時間いっぱい。開始から終了まで、ずっといたのに時間が足りない。


また来年行きたい、と子供たちは言ってますが、うちから結構遠いんだよね…





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サミュエル・モールス 誕生日(1791)  2015-04-27 12:15:22  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、サミュエル・モールスの誕生日(1791)


職業は、画家です。

画家としても結構高名なのですが、今日取り上げるのは画家としてではありません。


彼の名前は、むしろ画家としての活動とは別に考えだした発明品として残っています。

モールス信号です。




モールスは早熟な天才で、14歳で大学に入学しています。

イタリアのボルタが電池を発明(1800)した頃で、電気学が急に発達し始めていました。


モールスも、電気学を学びますが、その学費を稼ぐために、画家としての活動を始めています。

絵を描くだけでなく、彫像なども作りました。


卒業後は両親の反対を押し切ってイギリスに留学、画家としての頭角を現し始めます。

展覧会で金賞を受賞したり、批評家に絶賛されたり。


アメリカで米国デザインアカデミー(現在の、米国アカデミー博物館)の設立に尽力し、その初代学長にもなっています(1826)。




その前年、モールスが画家としての仕事で出張中に、彼の妻が危篤に陥りました。

彼の元に駅馬車(当時の最も早い郵便システム)で手紙が届けられ、彼もすぐに家に帰ったのですが、帰宅は妻の埋葬後となりました。


モールスは、この事件をきっかけに、「郵便よりも早い連絡手段」を考え始めます。


事件の5年前、1920年に、電流が磁界を発生させることが発見されていました。

彼が学んでいた電気学は「電磁気学」となって発展していました。


1832年、モールスは船旅の最中に、電磁気学に詳しい、チャールズ・トーマス・ジャクソンと出会います。


彼は、前年にジョセフ・ヘンリー博士が発明した「電磁石」の話をモールスにします。

モールスも電気学を学んでいましたし、電気と磁気の関係が発見された(1920)ことは知っていました。


しかし、それを強くし、電磁石として使う方法が発見されたことを知り、連絡手段に使えそうだと思いつきます。


ジャクソンとモールスは、船旅の間に「電信機」の詳細をまとめました。

電磁石によって鉄板が動き、その動きを紙テープに記録します。


このテープに、点と線で符号化された「コード」を記録することで、文章を伝達するのです。



ただし、この時点では「単語をコード化する」アイディアでした。

どんな単語をあらかじめ準備しておけばよいのか、あらゆる単語を想定してコードを割り振る、という作業は難航します。


この問題は、1938年になって共同研究者のアルフレッド・ヴェイルが「文字単位でコード化する」ことを思いついて解決します。

この際に、文字の使用頻度などを調査し、一番良く使われる E には短い符号を、あまり使われない Q などには長い符号を…と割り振って、モールス信号と呼ばれるものが完成します。


#実際には、この初期のものをベースにさらに改良され、現在のモールス信号になります。




話が前後しますが、文字単位のコード化に移行する前年まで、モールスの電信機は、すぐ近くにしか信号を送ることができませんでした。


コードを最大に伸ばしても、せいぜい2マイル…歩いても1時間、馬なら5分程度で走れる距離です。



この時点では、モールスの電信機はあまり遠くまで信号を送ることができませんでした。

電気は通信に使われる電気コードの抵抗を受け、あまり距離が長くなると届かなくなってしまうのです。


これも、電磁石の発明者であるヘンリー博士が考案した第2の発明、「リレー装置」によって解決します。


ヘンリー博士も、電気コードが長くなると電気が通らなくなることに気付いていました。

そこで、電気が届く範囲の遠方にある「スイッチ」を、電気で操作することを思いついたのです。



スイッチのもっとも簡単なものは、ばねのようにしなやかな鉄板があれば作れます。

鉄板を押せば接点にくっつき、電気が流れます。離すとばねのように戻り、スイッチが切れます。


これは鉄板ですから、接点の下に電磁石を用意して、引きつけることができます。

これが、電気で操作可能なスイッチ、「リレー装置」です。



スイッチが入れば、電気が流れます。これは別回路ですから、そこからまた2マイル程度は電気が流れます。

そして、またスイッチを動かします。これを繰り返せば、理論上は無限に遠くの装置を操作できます。


「電気」は2マイルしか届かなくても、その電気による「信号」は、はるか遠方に届くのです。



ヘンリー博士は、この装置の特許を申請しませんでした。

彼は、科学の発展のために、発明は広く使われるべきだという主張を持っていたため、モールスの電信機にも無料で特許を使用させているだけでなく、技術的な助言なども行っています。




これで、やっと電信装置が完成します。


情報を瞬時に送れるというのは大発明で、モールスの電信機と、その電信機を使うためのモールス信号は世界中で使われ始めます。


1849年時点では、アメリカに20の電信会社があり、その電信線の総延長は12000マイルに達しました。

1852年にはイギリス海峡を渡る海底ケーブルが埋設され、ロンドン・パリ間の電信も始まります。


1954年、モールスの電信機の特許が成立します。電信を使う世界中の会社は、モールスに特許使用料を支払うようになりました。

もっとも、モールスは特許料が支払われなかったとしても、相手を訴えなかったそうです。


ヘンリー博士の影響もあったのかもしれませんが…彼自身、画家としての地位もあり非常に裕福だったため、お金にこだわらなかったようです。


1856年。モールスは、小さな電信会社を集め、「ウェスタンユニオン」を設立します。そして、世界中に電信ケーブルを埋設していきます。

1858年には大西洋横断ケーブル、1861年には、アメリカ大陸横断ケーブルが完成します。


しかし、1865年には大西洋横断ケーブルが障害を起こし、使えなくなります。

すぐに別のケーブルの埋設を始めますが、2/3が埋設された時点で事故を起こし、使えなくなります。


結局、翌年最初のケーブルを引き揚げ、修復が行われました。

その頃から太平洋横断ケーブルの埋設が始まりますが、1868年までかかる難工事となっています。



1871年、モールスの偉業をたたえる像がニューヨークのセントラルパークで披露されます。

モールスは、ここから世界中に電信で「Farewell」(丁寧な別れの挨拶)を送ります。


そして、1972年4月2日モールスは81歳で死去しています。


信号線埋設などで多額の私財を投げだし、慈善活動などにも多額の寄付をしていたそうですが、遺産は50万ドル。

現在の日本円にして、10億円程度でした。




現在でも、モールス信号は使用されています。

長・単・無だけの組み合わせで表現できるため、電気信号だけでなく、音や光でも情報を伝達できるためです。


モールスの死後、無線通信が普及し、そこでもモールス信号が使われます。

無線通信の発明者であるマルコーニが、船の救難信号を国際的に定めようと提案し、CQD という符号を提案。採択されます。


しかしそのわずか2年後、1906年には、船の救難信号として「SOS」が国際的に使用されることが決定されます。


これは、単にモールス信号で「わかりやすい」組み合わせを拾っただけです。

・・・---・・・が SOS の組み合わせになります。


1912年、タイタニック号が、マルコーニ式の電信機では世界最初の「SOS」を打電します。

この際には、CQD と交互に打たれました。


1999年、船の遭難信号としては、SOS は廃止となり、国際的に GMDSS と呼ばれる仕組みに移行しました。

このシステムでは、GPS や通信衛星も使用し、即座に救助が行えるような信号を自動発信します。


しかし、これは「船の遭難信号として」モールス信号は使われなくなった、というだけで、モールス信号が不要になったわけではありません。




電気の ON / OFF で情報を伝達する、という考え方は、この後テレタイプに受け継がれ、ASCII コードの制定に繋がっていきます。

もちろん現在も、コンピューターは電気の ON / OFF で動いていますし、通信はモールスが埋設したのと同じように、海底ケーブルによって世界中を繋いでいます。


その意味で、150年も前の彼の時代を想像するのは難しくありません。


ここ20年で起きたような「情報革命」が、全く同じような筋書きで、彼の時代にも起こったのです。

モールスの電信機が特許を取得してから、世界中に電信網がいきわたるまで、やはり20年程度。


ただ一つ違うのが、これが世界で最初の「電気通信革命」だったことです。

彼のやったことのインパクトは、インターネットの普及よりもはるかに大きかったでしょう。




余談:

モールス信号で Farewell …

とあるゲームのエンディング音楽の中で使われていたような。


多分、エンディングだから Farewell にしただけで、モールスの1871年のメッセージとは無関係と思うのだけど…

そのうち作曲者に聞いてみよう。




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「オセロ」 発売日(1973)  2015-04-29 12:05:03  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、ボードゲーム「オセロ」の発売日(1973)。


オセロの起源については、諸説あってどれが本当だか(僕には)よくわかりません。


大きく分ければ、リバーシの影響を受けたか否か、なんですけどね。

オセロ以前からリバーシというゲームがあったことはわかっていて、日本でも紹介されていたことがわかっている。


でも、それほど有名だったわけではない。


オセロの考案者の証言では、白黒の碁石を使った単純な遊びとして「挟み碁」を考えた、となっています。

最初は、挟まれると碁石を取り換える、という遊び方だった。


でも、これが面倒くさいから牛乳瓶のふたで「両面が白と黒」のコマを作って、挟まれるとひっくり返されるゲームになる。


…この話だと、リバーシの影響は受けていないように思います。



その一方で、オセロはリバーシで決まっていなかった詳細を決定してルールを厳密化したゲームで、リバーシが元になっている、という説明もよく見る。


オセロ以前から日本に紹介はされているのだから、考案者は知っていたはずだ、という見解ですね。



いま Wikipedia を調べたところでは、オセロのページでは後者の説を、考案者長谷川五郎のページでは前者の説を紹介していました。




いずれにせよ、世界的にそれほど有名ではなかった「リバーシ」を、「オセロ」の名前で有名にした功績はあります。


現在ではオセロは非常に有名なゲームです。

1977年からは、毎年世界大会も開かれている。


一方で、有名すぎて「真似をした」ゲームも多数発売されている。


ゲームって、ルールには権利主張できないのね。

オセロの場合、名前の商標だけが取られている。


だから、真似をする場合には「リバーシ」を名乗って、ルールをオセロのままにすると、法的な問題なしに真似できます。



ただ、一つ書いておきましょう。


本来のリバーシでは、最初のコマの打ち方のルールが少し違います。

オセロでは白黒2枚づつを中央4マスに、市松に置いた状態から始まります。


リバーシでは、中央4マスが埋まるまでは両者そこに置かなくてはならない、というルールがあるだけで、何もない盤面から始まります。


あと、コマや盤の色もリバーシでは定められていない。


リバーシはチェス盤を使って遊ばれることが多かったそうで、とすれば盤面は緑ではなく、市松模様です。

コマはチェスと同様に白黒が多かった、とのことですが、特に日本国内では紅白が多かったとのこと。

(紅白合戦、というのは日本人的にイメージしやすいのでしょうね)


一方、オセロは、白黒のコマと緑の盤面です。


ルールと、盤面の色。

「リバーシ」を名乗りながら実はオセロの知名度にタダ乗りしようとしているゲームを見極める際に役立ちます。




オセロって、思考プログラムを作る際の題材にもよく使われたと思います。


ベーマガにも、よくオセロのプログラム載ってました。

僕もその思考ルーチンを参考に、ファミベでオセロを作ったことあります。


#コマの色は白・水色でした。ファミベのテキストキャラに、白と水色の塗りつぶし四角があるから。



ベーマガによくあったプログラムは、コマを打つ位置が、優先順位順にデータ化されているだけ。

順次調べて行って、打てる条件に適合すれば、そこに打ちます。



オセロ知っている人には自明だけど、オセロでは角のマスを取るのは非常に重要なのね。

角だと、どこからも挟まれないから、絶対ひっくり返されなくなる。


逆に考えると、「角の隣」を打つのは非常に危険です。

だから、角を囲むマス…全部で12マスは、優先順位を最低にする。


この考え方で、マスごとに優先順位を付けてあるのです。ただそれだけ。



これは流石にあんまりだ、と思ったので、僕はデータの並びを優先順位とするのではなく、「同じ優先順位」を意味するフラグを設けました。

同じ優先順位の中で、一番多く取れる場所に手を打つ。


…先読みは無いから、これでもまだ非常に弱いんですけどね。


でも、友達に遊ばせたら、これでも「強い」と言われた。

ということは、この方式でもオセロ苦手な人には十分な強さだということだ。



コンピューターで「思考ルーチン」作ってみたいと思っている人は、このレベルからお試しあれ。




多分、ツクダオリジナルから発売になっていた「オセロマルチビジョン」だと思うのだけど、おもちゃ屋さんでオセロが遊べるテレビゲームが試遊展示されていました。


コンピューター相手にオセロを遊べるのね。


なんかね、それを一定の手順で打つと、比較的最初の方で全部のコマを裏返せた。

全反転したら、その時点で終了ね。



初めて遊んだ時は、たまたまそうなったの。

「えっ!」って驚いて、思い出しながら同じ手順を再現すると、必ず全反転で勝てる。


人間相手なら、そんな馬鹿な状態にはなかなかならないのだけど、これが楽しくて同じ手を延々繰り返して遊んだような記憶があります。


市販オセロですら、非常に弱かった時代の思い出です。



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3度、理科ハウスへ  2015-05-05 12:20:14  歯車 社会科見学 家族

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まだゴールデンウィーク途中なのだけど、ここまでの日記をまとめておこう。


29日(昭和の日)。


子供たちが、以前から「おかあさんと行きたい」と言っていた、理科ハウスへ。

もちろん妻も一緒。


前回から2週間程度しかたっていないけど、子供が「誕生日に行くと何かあるらしい」と言っていたので。

25日が誕生日で29日ならいいかな、と思ったのですが、これは「当日」限定でした。


(基本的には、その場にいるみんなでお祝いしよう、ということのようでした)



初めて来たときは、プラネタリウムの特別展示中でした。

2回目(前回)は、そのドームをそのまま使い、「ピカリ展」という特別展示をしていました。


で、今回は初めての「定常状態」を見たのですが、人気があるのだけど場所取るからしまってた、というようなものが出されていて、非常に楽しめました。




まず、「初めて来た人にはやってもらっている」という、ちょっとしたゲーム。

僕が始めてきた時は、子供たちに出題されたのを一緒に考えていただけ。

しかも、スタッフの方が忙しくて、答え合わせしなかった。


でも、今回は「妻への」問題。

大人向けは、いろいろ工夫されていて真剣なゲームになっています。



問題は、色とりどりの風船の中に入れられた物質を、ゴム膜越しに触った感触で当てる、というもの。


塩・砂糖・味の素・重曹・でんぷん・上新粉・小麦粉、だったかな。


いろいろ考えながら触るのだけど、結構どれがどれだかわからない。

多分これ…と思った名前の前に、風船を順に置いていきます。


子供向けだったら、これだけで終了。

でも、大人向けは一味違う。


缶ボトルに入った同じ粉が出てきます。

缶を開けてはいけないけど、振ることが許される。そのわずかな感触は、指で押すのとはまた異なったもの。


さらに、同じ量の水に、同じ重量の各粉を溶かした、という試験管が出てきます。


よく見ると、試験管の「水量」が違います。

ここで「粉は重さで同じにしてある」ことが活きてくる。


さらに、「どれか一つだけ選んで、赤か青のリトマス紙を漬けていいです」と言われます。

どれを選ぶか、悩みどころ。




結果、4つは正解で、3つは間違っていました。


でも、正解数がどうかというよりは、その思考過程が非常に面白い。

スタッフの方も、思考過程を見るのが楽しみで、はじめて来る人にこの問題を出しているのだそうです。


#だから、上でも思考過程は書きませんでした。

 是非、行って自分でもやって見てね。




もう一つ、人気があるけど冬の間は片づけていた、というゲーム。


幅1メートルくらいの、巨大な元素周期表が置いてあります。

ここに、3つの箱に入った、様々なものを置いていく。


箱は、レベル分けされています。


まず、レベル1から。

塩、1円玉、5円玉、10円玉、100円玉、ビー玉、「空気」と書いた風船、鳥の骨…などなど。


塩だったら、NaCl だから、Na か Cl のどちらに置いてもいい。

1円玉はアルミだから Al に。空気は混合気体だから、それらの元素のどこにでも…という具合。


ただし、1つのマスには1つしか入れられないのね。


全部置いたら、スタッフの判定が入って、全問正解ならレベル2へ。

塩分カットの塩「やさしお」とか、光触媒レンジフィルタとか、フライパンとかがある。


レベル2では、1マスに2つまで入れていい。

今まで置いたものでも、うまくいかないなら動かして構わない。


たとえば、僕はフライパンをアルミに分類しました。


でも、さらに「アルミ」にしたいものが出てきた。

しばらく悩んで、「あ、このフライパンフッ素加工してある」と気づいて、フッ素に変更。


これで、アルミに別のものを入れられます。


レベル2が全問正解ならさらにレベル3に進むようですが、ここで3問間違えた。

1レベルごとに20個の品物が入っているので、37点でした。


これ、非常に良い記録だそうで、最近の「3位」に入りました。

名前と点数を書いて、掲げといてくれる。


ちなみに、1位は高校で理科を教えている先生、2位は理系大学生の2人組だそうで、「特に専門にしていない人で37点はすごい」とのこと。


この後、妻もチャレンジしました。

(チャレンジしたいから、と、僕のやっていることがヒントにならないように、わざわざ遠くに行っていた)


で、妻の点数は38点でした。



これ、判定する品物は、時々入れ替えるのだそうです。

ゲーム内容同じでも、品物が変わるので「暗記攻略」はできない。




この日、NHK for School アワード 2015 の取材がやってきていました。


NHK の教育番組を活用した取り組みをしている団体などを表彰する賞…らしい。


早速 WEB にアップされて、アワード通信 Vol.1 の後半(3分あたりから)取り上げられていますね。


1回目の時は、以前書いたのだけど近所で手伝っている方に出会いました。

2回目は、どこかの教員の方かな? 視察に来ていた。

で、3回目はNHKです。ちいさな科学館だけど、関係している・参考にしたい人たちが、常にいる。


以前も書いたけど、こんな施設がある街は幸せだと思います。




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エドウィン・ハーバード・ランド 誕生日(1909)  2015-05-07 12:20:11  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はエドウィン・ハーバード・ランドの誕生日(1909)。

カメラで有名な、ポラロイドの創立者です。


でも、彼の最初の発明品は、有名なインスタントカメラではない。

「ポラロイド」という名前の薄い板が最初の発明で、大ヒットした際に社名を商品名に合わせたのです(1937)。


ポラ、というとどうもカメラが思い浮かんでしまうのですが、「ポーラー」(Polar)です。

北極や南極も polar なのですが、これは極性の意味。


そして、光の偏光も polar です。



当時、光が波であることはすでに知られていて、この波の方向が偏っている(偏光)ことも知られていました。


偏光している光は、偏光の向きが合った偏光板(偏光子)を通り抜けますが、向きが合っていないと通り抜けられません。

向きは物理的なものなので、偏光板を通して普通に見えていたものが、偏光板を 90度回すと、真っ暗で見えなくなる、ということです。


でも、この「偏光子」が非常に高価なものでした。

偏光子として使える結晶を、大きく育てる必要があったためです。




ランドは、結晶を育てる必要などなく、小さな結晶を上手に方向をそろえてセルロイドで固めてしまえば実用になる、と気づきました。

そうしてできたのが「ポーラーロイド」。偏光子として使えるセルロイド板です。1929年に特許取得しています。



その後、ポラロイド社は「現像処理時間と手間を劇的に短縮したカメラ」でもう一度大ヒットを飛ばすのですが、今回取り上げたいのは、この偏光板のほう。


現代のパソコンには欠かせないものになっています。




まず、偏光の基礎知識。ざっくりとだけね。


偏光のない光を「偏光板」に通すと、偏光します。


偏光板を2枚重ねて見ると、組み合わせを90度回すたびに明るくなったり暗くなったりします。

1枚目の偏光板で、たとえば「縦」だけに偏光した光が、2番目の偏光板が「縦」なら通れるし、「横」なら通れなくなるため。


でも、実はまったく偏光のない光というのは無くて、屈折したり、反射したりすると光は偏光します。


ミツバチは、空の空気の乱反射を偏光で見える目を持っていて、この偏光具合で、太陽が直接見えない場合でも太陽の向きを察知します。


水面を反射した光は偏光しますが、この偏光の光だけをカットするサングラスを作ると、水の表面の光をなくし、水の中が見やすくなります。

釣り人用のサングラスなどに利用されています。


同じように、濡れた路面で光が反射してまぶしいのだけを消すこともできます。

こちらは、トラックやタクシーの運転手などに利用されています。




さて、まずは、パソコンとしてはちょっと古い話。


その昔、MO…光学磁気ディスク、というものがありました。

今も放送業界では使われていたりするそうですが。


この「光学磁気」という言葉が微妙。実は、磁気をもつ物体に反射した光の偏光角度が、磁気極性によって違う、という特性を利用しているのです。


磁性体は、熱くなって「キュリー点」と呼ばれる温度を超えると、磁性を失います。

冷えると、再び磁性を得ます。この際、強い磁場の中で冷えると、周囲の磁場の影響を受けた極性を持ちます。


なので、まず強い磁場(ハードディスクのヘッド程度の磁気ではなく、永久磁石程度)の中で連続してレーザーを当て、キュリー点越えの温度にした後で冷やします。

すると、その時の磁石の向きの極性を持ちます。


つづいて、磁石を逆にして、記録したい情報に従って断続的にレーザーを当てます。

これで、元々あった極性と、新たに書き込んだ逆の極性の組み合わせで、情報が記録できます。




読み取るときは、弱いレーザーを当てます。この際、偏光板を通して、偏光させておきます。


反射した光は、反射面の極性によって偏光の向きがわずかに影響を受けます。

再び偏光板を通すことで、このわずかな影響を、「暗い」「明るい」で検出します。



CD では、反射面に凹凸を付けて、反射率を変えることで、反射光の明暗を作り出して情報を検出します。

CD-R では、反射面に色素を持たせておき、強い光で色素を破壊することで、光の吸収率を変化させ、反射光の明暗を作り出して情報を検出します。


MOは単純に「明暗」ではなく、偏光板を2枚追加することで明暗を作り出します。


この点では、CD と CD-R は同じ読み取り装置で使えるけど、MO の仕組みは読み取り装置も変えないといけない。

でも、読み取り装置に安い偏光板2枚用意しておけば、あとはほぼ同じ仕組み。


MO の方式は、将来的には「書き換え可能な CD」への技術が応用できる…と期待されました。

実際、MD は、情報記録に関しては MO とほぼ同じ技術で作られています。



でも、すでに普及したものに対し、「偏光板2枚の追加」は思った以上に難問だった。

この後出てきた CD-RW や DVD-RW など書き換え可能な光学メディアは、偏光を利用しない別の方法を使っています。


#CD-RW などは、パソコン用メディアとしては失敗した PD と同じ方式です。

 過去の再生機でも再生できる互換性を持つ一方で、書き換え可能回数は MO よりずっと少ないです。




偏光板と言えば3Dメガネ、と思う人もいるでしょう。

映画館のように、スクリーンに投影し、大勢の人が見る場合によく使われます。


2台の投影機で、それぞれ偏光板を通して投影を行います。

観客は偏光板の眼鏡を通してみるのですが、右目と左目で偏光が 90度異なっているため、別々の映像を見ることになります。


この、左右それぞれで違う映像を見ることにより、視差を感じて立体的になるのです。


#偏光が「90度」ではなく、円偏光という別の方法の場合もあります。


この方式の利点は、2台のプロジェクターの画像を1つのスクリーンに投影しても、後でちゃんと分離できることです。

解像度も、コマ数も犠牲になりません。


#たとえば、任天堂 3DS の視差バリア方式では、解像度が犠牲になります。

 昔ファミコンで発売された液晶シャッター方式では、コマ数が犠牲になります。




ただ、この方法は家庭用ではなかなか使えません。

今家庭で普及している液晶テレビでは、偏光の制御ができないためです。


というのも、液晶テレビは最初から偏光していることが前提なのです。


液晶ディスプレイでは、結晶が 90度ねじれた状態になっている「液晶」を使用します。

このねじれに従って、透過する光も 90度曲がります。


この液晶を、90度回転させた2枚の偏光板で挟んでやります。

90度回転した偏光板では普通は光を通しませんが、液晶が光の偏光を 90度曲げるため、光を通すことになります。


ところが、です。

液晶は電圧をかけると配列が変わる特性があります。

電圧をかけた時は、光を素通しするようになります。すると、90度回転した偏光板を光がそのままとおろうとする形になり、光はとおりません。


これにより、白と黒を表現できます。

白と黒が表現できれば、色のフィルタを用意することで三原色を表現できます。


電圧によって、すべての分子が一斉に配列を変えるのではなく、一定の範囲でばらつくように出来れば階調表現もできます。


これが液晶テレビ、液晶モニタ、スマホの画面など、様々な場所で使われている液晶ディスプレイの原理です。


ディスプレイから光が出た時点で、偏光しています。

先に書いた偏光板方式の3Dとは、相性が悪いのはそのため。




偏光板はいろいろなところで使われているわけですが、最後にもう一つだけ、あまりお目にかからない例を。


今は閉館していますが、千葉に麻雀博物館というところがあります。

僕は麻雀全然やらないのだけど(ルールくらいは知ってる)、テレビゲームに限らず「ゲーム」が好きなので、見に行ったことがあります。


そこに、イカサマ牌が展示してあったのね。


裏面が、金粉散らしたような豪華なラメ模様になっている。

ラメの上には透明樹脂が盛られているのだけど、実はこの中に偏光板が置かれています。


偏光板は牌の表の文字と同じ形が刻まれています。

色が変わって見えないように、90度ずらした別の偏光板を組み合わせ、完全に1枚の板にしてあります。


とはいえ、そのままでは切込み部分は少し見える。これを、背景をラメにすることで見えなくしているのです。


ラメにはもう一つの役割があって、偏光板を通して入ってくる光を乱反射させています。

これによって、偏光を打ち消している。そして再び、偏光板を通して出てきます。

つまり、周囲の人の目には、「文字の形」になった偏光が届いている。


ここまでくれば、お膳立ては整っています。

あとはイカサマをしたい人が、偏光板で出来た眼鏡をかけるだけ。


昔、業務用麻雀ゲームのアイテムとして「透視メガネ」というのがありました。

相手の牌が透けて、表に刻まれた文字が見える、というもの。


それの実物です。実在したのです。



ただ、これは偏光メガネが珍しかった時代だから使えたのだろうとも思います。

いまだと、普通に偏光メガネ使われていたりするからね。


先に書いたように、釣り人用・運転手用の眼鏡とか、普通に出回っているから、万が一にばれることを考えると怖くて使えないでしょう。






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世界初の「プログラム可能な機械」発表(1941)  2015-05-12 10:26:00  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、ツーゼが Z3 を発表した日(1941)。


コンラッド・ツーゼは(Zuse)はドイツの工学者。

建築と土木を学び、航空機の設計技師をやっていました。


ところが、この仕事ひたすら計算に次ぐ計算。

彼はこれが嫌になって、「自動的に計算を行う機械」の開発を始めます。


1号機である Z1 は 1938年完成。

歯車ではなく、カチャカチャと動く「機械式の」2進数計算機でした。

金属製の薄い板で計算します。)


しかし、これは上手く動きません。


2号機である Z2 は、 軍の協力もあって 1939年に完成。

機械式ではなく、リレー回路を使った電気式に置き変えていますが、基本的に仕組みは Z1 と同じ。


2号機がうまく動いたため、商売化するために自分の会社を設立し、3号機 Z3 を作りはじめます。

Z2 と同じ方法で、もっと汎用性を高めた改良機でした。


これが完成し、発表されたのが、1941年の 5月12日。

ENIAC の5年前のことです。




Z3 は、パンチテープによって計算の手順を指示できました。

「プログラム可能」なのです。


ENIAC は、電気回路を繋げることでプログラムできましたが、いわゆる「ソフトウェア」のような柔軟なものではありませんでした。



じゃぁ、Z3 が柔軟だったのかと言えば…全然柔軟ではありません。

使える命令は、次の9種類。


・キーボードを読み取る

・結果を印字する


・メモリを読み取る

・メモリに書き込む


・足し算

・引き算

・掛け算

・割り算

・平方根


たったのこれだけ。

ちなみに、メモリアドレスは 6bit 。64個の「一時データ置場」を持っているだけです。


#データは特殊な浮動小数点表現で、符号 1ビット、指数部 7ビット、仮数部14ビットの 22ビットでした。



プログラムはパンチテープで指示されるので、ジャンプ命令はありません。

条件分岐は当然できませんし、そもそも「条件判断」自体がありません。


コンピューターとしては、Simon みたいな構成です。

Simon の方がずっと後ですが。




ただ、Simon よりは記憶容量も大きいし、掛け算や割り算があるだけずっと良いです。


#Simon は 5bit 整数の 足し算と引き算しかできなかった。


これを巧妙に使えば、現代でいうようなプログラム…ジャンプや条件分岐が必要なアルゴリズムも実行できる、と示した人がいます。



その前に、BASIC 時代に「論理演算」と呼ばれるテクニックがあったのをご存知でしょうか?


たとえば、


10 S=STICK(0);

20 IF S=1 THEN X=X+1

30 IF S=2 THEN X=X-1


というプログラムがあったとしましょう。


ジョイスティックからデータを読み込み、変数 X を増減しているのね。

IF 文で条件判断する、という非常に普通のプログラム。


これを論理演算で書くと、こうなります。


10 S=STICK(0)

20 X=X-(S=1)+(S=2)


行の最初の = は、代入式となります。変数 X に、右辺の値を入れる、という指示。


以降の = は、 IF 文の中と同じ、条件式です。

ところで、BASIC では、条件が真なら -1 、偽なら 0 となります。


#BASIC のメーカーによっては、真が 1 でした。


そのつもりで読むと、IF 文で書いたのと同じプログラムが、IF 文無しで書けているのがわかります。



Z3 で条件分岐を使うのは、これに類似のテクニックです。

メモリ上に、条件判断に使いたい値を巧妙に記録しておきます。


この際、その値は 0 か 1 になるように正規化しておきます。



あとは、条件分岐で飛ばしてしまいたかったプログラムの「結果」と、この数値を掛け合わせます。

0 なら結果は「無かったこと」になりますし、1 ならそのままです。


プログラムをジャンプで飛ばしたわけではないけど、実行後に「無かったことに」するのです。




これだと条件判断できるだけで、「ループ」はまだ作れません。


でも、ループはもっと簡単。

パンチテープにプログラムが書かれているのだから、物理的にテープを糊付けして、頭とお尻をくっつければいい。


これで、永久ループの完成です。

…永久ループだから、プログラムが終了しませんね。



Simon と似ていると書きましたが、Simon を与えられたサザーランド兄弟は、Simon に「条件停止」機能を追加しました。

これにより、Simon では不可能だった「割り算」がプログラムできるようになりました。


プログラムでは、条件が整うまで繰り返す、ということがよくあります。

「条件が整った」時に停止するのは、プログラムに必要な機能なのです。



Z3 には、実は「条件停止」が最初から備わっていました。

割り算命令で、0 による除算を行うと、エラーとなって機械が停止します。


先に書いたように、メモリに巧妙に値を置くことで条件分岐とほぼ同じ結果を得られました。

同じように、値が 0 になったら停止する、というプログラムを作れることになります。



さて、これで Z3 が「現代のコンピューターと同じようにプログラムができた」ことを示すことができました。

素晴らしい!




もちろん、これは詭弁だと思います。

僕としては、これを現代的な意味での「コンピューター」だとは認めません。


しかし、2進法の採用やプログラム能力など、これをもって「Z3 は ENIAC よりも先に作られた、ENIAC よりも近代的なコンピューターだった」という主張をする人は、事実としているのね。



というわけで、簡単な反証を。

1942年の ABC マシンは、完成しませんでしたしプログラムできませんでしたが、2進数を使用していました。


1943年に作られたコロッサスは、長年軍事機密のために存在が隠されていましたが、ある程度のプログラム機能があったことがわかっています。

2進数を使う真空管式の計算機でした。


1944年には、Harvard mark I というリレー式計算機が作られています。

これは Z3 と似たような構成で、紙テープでプログラム可能でした。



Z3 をコンピューターと認めるのであれば、これらも ENIAC 以前の、ENIAC よりも近代的なコンピューターとして認めなくてはなりません。


でも、そんなことを言いだす人はいないのね。

明らかに能力不足だからです。




Z3 は、コンピューターの発展に大きく影響する、イギリス・アメリカ以外の国で作られたコンピューターです。


だからこそ、ツーゼはほぼ独学で Z3 を作り上げていますし、Z3 の存在は現代のコンピューターに、ほぼ何の影響も与えていません。


ここら辺の話が…独学で優れたものを作りながら、誰にも認められていないというのが、人情話として面白いのは事実なのね。


しかも、Z3 は戦火の中で破壊されています。

「可哀想な話」をさらに加速するエピソード。



これらが、Z3 を特別扱いさせ、「世界初のコンピューターだった」という伝説を生んでいるように思います。




じゃぁ、Z3 はどうでもいい機械だったかと言えば、もちろんそんなことはありません。


非常に限られた能力だったとはいえ、プログラム可能な機械として完成した、世界最初のものです。


#構想だけなら「解析機関」以降、数多くありました。



先に書いたように、Z3 は第2次世界大戦中に破壊されてしまいますが、ツーゼは続いて Z4 を作成。

これは市販され、ヨーロッパでは影響を持つマシンとなりました。


ただ、「市販されたコンピューター」としては、BINAC に次いで2番目。

また、Z4 は相変わらずリレー式だったため、ENIAC 以降としてはインパクトも弱い。


ここら辺で、Z4 は Z3 ほど「面白いエピソード」が無い。

これも、Z3 が本来の能力以上に伝説的にされる要因かと思います。



戦後は、コンピューターはアメリカとイギリスが競争するように発展していきました。

Z4 以降もツーゼはコンピューターや周辺機器を作り続けているのですが、「時代に影響を与えたか」と言えば、あまり影響はなかったように思います。


Z3 は 1941 年完成で、ドイツとアメリカ・イギリスは敵国同士です。

これも、影響が少ない理由でしょう。


#噂程度の影響は与えたかも知れません。



参考:Simulating Konrad Zuse's Computers


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